はしがき
日本の少年よ!我が愛する皆さんよ!
私は今、皆さんに、大切な贈物をしようとしているのだ。それは何か? 即ち此の「少年日本史」だ。之を贈ろうとする考を、私は前々からいだいていた。
それは二十年近く前に、ある中學校で、急に講演をした時に始まる。私は云った。「皆さん! 皆さんはお氣の毒に、長く敵の占領下に在って、事實を事實として教えられる事が許されていなかった。今や占領は終った。重要な史實は、正しく之を知らねばならぬ」。こう云って、二、三の重要な歴史事實を説いた。
生徒一千人。その千人の目、二千の瞳は、私が壇上にある間は、壇上の私に集中し、壇を下りた時には、壇下の私に集中した。かえる歸ろうとして外へ出た時、生徒は一齊に外へ出て私を取卷いた。彼等は何も云わぬ。只穴のあくほど私を見つめるのみだ。私は自動車に乗った。車は生徒に取卷かれた。四、五人の生徒は、自動車の屋根の上へ這い上って來た。車はしばらく動きがとれなかった。
此の感動以來、私は眞實の歴史を、ひろく日本の少年、皆さんに語りたいと思いつづけて來た。機會は途に到來した。今や私は、皆さんに語りたいと思う事を、少年日本史一冊にまとめ、之を皆さんに贈る事が出來た。皆さん、どうか之を受け、之を通讀して下さい。
皆さんは日本人だ。皆さんを生んだものは、日本の歴史だ。その顔、その心、その言葉、それは皆幾百年前からの先祖より受けついだものだ。それを正しく受けついだ者が、正しい日本人だ。
從って、正しい日本人となる爲には、日本歴史の眞實を知り、之を受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戰敗れた後の我が國は、占領軍の干渉の爲に、正しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け八年にして解除せられた。然し歴史の學問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている。從って皆さんが、此の少年日本史を讃まれる時、それが一般に行なわれている書物と、大きく相違しているのに驚くであろう。
皆さんよ、人の貴いのは、それが誠實であるからだ。誠實は一切の徳の根本だ。その誠實を守る爲には、非常な勇氣を必要とするのだ。世の中には、自分の慾の爲に、事實を正しく視る事の出來ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事實を述べる勇氣のない人も多い。
今後の日本を携うべき少年の皆さん、敗戰の汚辱を拭い去って、光に充ちた日本の再興に當るべき皆さんは、何よりも先ず誠實でなければならぬ。そしてその誠實を一生守り通す勇氣を持たなければならぬ。
日本の歴史は、さような誠實と勇氣との結晶だ。凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成に與る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體でいえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覺をいだいてはならぬ。
私は今、数え年七十六歳だ。從って本書は、皆さんへの、最初の贈物であって、同時に最後の贈物となるであろう。私は戰で疲れ切った心身に、ようやく残る全力をあげて、一氣に之を書いた。
その原稿一千枚。それを私は歴史的假名遣で書いた。それが正しいと信ずるからだ。然し皆さんは學校で、現代假名遣しか學んでいない。よって時事通信杜は、皆さんの讀みやすいように現代假名遣に改めたいと希望した。私は他日、日本が正しい日本にかえる時、必ず歴史的假名遣にかえるに違いないと信じつつ、しばらくその申入を容認した。
昭和四十五年秋九月
再刊本はしがき
花を追ひて 二十日旅して 思へらく 日の本は猶(なほ) ひろくありけり
昭和三十年の春 九州より山陰へかけて、各地を巡遊した時の実感を、私は斯様に歌ひました。戦は悲運にも終わったとはいふものの、山河の秀麗依然たるのみならず、人々の心はあたたかく雄雄しく、昔に異ならぬを喜んだのであります。
その後15年を経て、少年日本史を著すに及んで、知る、知らぬ、数多くの人々に歓迎せられ、共鳴せられました事は、いよいよその感を深めたのでありました。それはまことに、桜の花。色いまだ褪せず、日本魂(やまとだましひ)猶剛健なるを信じせしめるに、十分でありました。
その後、不幸にして、初め之を出版した時事通信社の方針が変り、合意の上、契約を解除しましたが、今回、皇學館大學出版部の好意に依り、再刊の運びに至りました。願わくはひろく海内に流布して、正気の復活に貢献出来ますように。かように祈りつつ、再び之を純真なる日本の少年に贈るのであります。
表紙の絵は、旧刊と区別する為に、あらためて羽石(はねいし)画伯にお頼みしましたところ、御多用中にも拘らず快く之を容れて、十一歳の少年北條時宗が、将軍の御前に於いて、小笠懸(こかさがけ)を命ぜられ、駿馬を駈って、見事に的を射あてた英姿を描いて下さいました。その御好意に對し、厚く御礼申上げます。
昭和四十八年初冬 平泉 澄(ひらいずみ きよし)
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