https://news.yahoo.co.jp/articles/2916be6eb646e9b99473844fb2a554911aa6a3e5
広範囲に噴出物の被害をもたらした宝永噴火。そのとき富士山で何が起きていたのかを明らかにするため、2016年からフィールド調査を行ってきたのが山梨県富士山科学研究所研究員の馬場章さんです。馬場さんは、研究の意義をこう語ります。 「噴出物から宝永噴火がなぜ起こったのか、どのように推移したのかを明らかにすることで、今後の防災や避難のあり方につなげていきたいと考えています」(馬場さん) 取材班は、この夏行われた馬場さんの調査に同行し、宝永噴火の火口である「宝永火口」を目指しました。 静岡県にある登山道のひとつ、富士宮ルートの五合目から登り始めると、次第に足元には小石のような大きさの噴出物が目に付くようになります。「スコリア」と呼ばれる黒っぽい色をした堆積物です。多孔質の火山噴出物で富士山では多く見られます。 そして、火口から800メートルほど離れた場所で、馬場さんが見つけたのが「火山弾」。噴火で飛び散ったマグマが冷えて固まったもので、このとき見つけたものはなんと直径60センチもありました。 「この火山弾の質量は推定で150キロから200キロぐらいあります。宝永噴火のときに火口から放出されて、弾道を描いてこの位置まで到達したと考えています」(馬場さん) 歩くこと30分、標高2380メートルまでやってくると、巨大な「宝永火口」が現れました。火口の直径はおよそ1キロ。そして、この火口のすぐ側に「宝永山」と呼ばれる山があります。実は、馬場さんはこの宝永山の成り立ちが、宝永噴火で起きた現象を明らかにする上でカギになると考えています。 当時の絵図にも宝永山が描かれ、「宝永山出来る」という記述が添えられていることから、宝永山は噴火の際に新たにできたと考えられています。 これまでの研究では、宝永山は噴火活動に伴う地下のマグマの突き上げ、つまり「隆起」によって形成されたと考えられてきました。その根拠となっていたのは、宝永山の山頂部分だけに確認できる赤茶けた地層です。この場所にしか見られない特異的な地層であることから、古い地層が露出していると考えられてきました。 しかし馬場さんは、調査を重ねる中で「ある仮説」にたどり着きました。 「宝永山そのものが宝永噴火による噴出物によってできた。つまり、強い風の影響で東に傾いた噴煙柱から落下した火山れき、火山灰が堆積してできた、とするほうが合理的ではないかと考えています」(馬場さん) 一般的に火口付近にできる火山噴出物の堆積は「火砕丘」と呼ばれ、火口を中心とした同心円状に堆積します。一方、宝永山は火口の東側に位置する山です。馬場さんは、火山噴出物が冬の偏西風の影響を受けて、東側に厚く堆積したのではないかと考えたのです。
改定されたハザードマップを私たちはどう活用すればいいのでしょうか。過去の噴火を紐解く研究を行ってきた馬場さんはこのように話します。 「お住まいの場所によって富士山との距離感が違います。しかし、一度『自分事として』ハザードマップを見て欲しいです。ここに住んでいたら自分に何が、どう行動できるかを考えて、あらかじめ備えるということが重要です」(馬場さん) 富士山が次にいつ、どのような噴火を起こすかを予測することはできないという馬場さん。しかし、噴火活動の予兆を捉えることは可能だといいます。 「マグマが地下から上がってくると山体が膨らんだり、火山性の地震が起こったりするため、気象庁が富士山でも常時観測を行っています。ですので、マグマが上がってきたことに関するシグナルは、噴火の前に検知できるだろうと考えています」(馬場さん) 馬場さんは火山を研究する意義をこのように話します。 「研究は『バトン』のようなイメージを持っています。宝永噴火に直面した人たちが歴史史料という形で残してくれています。それは後世に対して、また同じ噴火が起きたらどうしたらいいかという投げかけをしてくれているわけです。 それから自然科学の研究者たちが知見を重ねて、ハザードマップが改定されました。まだ分かっていないことについてはこれからも調査研究して明らかにし、次世代にバトンをつなぐことが非常に重要だと思います」(馬場さん) 「過去の噴火に学び、未来に備える」。先人たちが残した絵図と科学的な知見から改定されたハザードマップは、私たちにそう語りかけているのです