序
晦庵朱先生曰く、近思録看るに好し。四子は六經の階梯。近思録は四子の階梯、と。信なるかな、是の言や。孟子沒して聖學伝わらざるは、其れ此の階梯無ければなり。夫れ學の道は、致知力行の二つに在り。而して存養は則ち其の二つを貫く者なり。漢唐の間、知る者無きに非ざるなり。行う者無きに非ざるなり。但だ未だ曽て存養の道を聞かざれば、則ち其の知る所の分域、行う所の氣象、終に聖人の徒に非ず。宋に至りて濂渓周子、往聖を繼いで來學を開く。其の所謂無極にして太極は、則ち大易の秘を啓きて中庸の妙を發するなり。誠に能く斯に得る有らば、則ち四子六經治めずして明らかなるべし。然れども、此れ豈異端頓悟の得る所の若くならんや。先生、伯恭をして數語を做[つく]りて後に載せしむるは、正に此れが爲なり。竊かに謂うに、高卑を一にし遠近を合する者は聖人の道なり。高く昇るに卑きよりし、遠きに行くに近きよりする者は聖人の敎なり。或は高遠に馳せ、或は卑近に滯るは、則ち皆、道に非らず、教えに非らざるなり。先生、此の編、近思の名を以てして、高妙の言を極む。小學大學の工夫悉く備われり。実に學者道に入るの階梯。好く看ざるべからざるなり。當時、鄧絅之を問うこと略にして切ならず。故に先生且つ隨いて之に答うるのみ。後來、陳潜室、人の之を問うに答うるや、問う者雜にして切ならざれば、其の答も亦、達者の語に非ざるなり。何北山發揮を著すと雖も、恐らくは微言未だ析[あき]らかならざるなり。葉仲圭の集解を爲し、楊伯嵒の衍註を爲すは皆、未だ深く發明する所有る能わず。汪器之の之を議するは是なり。戴亨の補註や柳貫の広輯は皆葉解の亞流なり。周公恕、成書を亂して分類と爲し、張元禎、陳文燿、雷同して之を補成す。共に不韙[ふい]の罪を犯すのみ。其の後、蔡覚軒、先生の書を以て編じて續録と爲し、張氏呂氏の書を採りて、之れが別録と爲す。嘉嘗て之を閱[けみ]し、心に満たず。聊[いささ]か試みに之を論ぜん。夫れ先生經解の外、天人の道を說けるは元亨利貞太極の二說より詳らかなるは莫し。然れども太極說を選んで元亨利貞說を遺するは何ぞや。仁愛の味有る、智藏の迹無き、先生丁寧に之を開示す。其れ全く仁說を収むれば、則ち愛の親切以て之を味わうに足らんか。其れ四性の論を截取[せっしゅ]すれば、冬藏の言有ると雖も、其の說の詳らかなるを聞かず。則ち迹無きの微意、孰か得て之を識らんや。玉山講義は四子を発揮して、旁く情を通ずるなり。此れ學者の力を用いるが爲に之を講ず。宜しく先生、好學論を編入するの例に依るべし。敬斎箴は是れ存養の要なり。白鹿洞掲示は則ち敎學の法にして、大學以來の規なり。吳晦叔に答うる知行の書は、則ち大學の蘊にして伝者の未だ發せざる所なり。皆之を載せず。其の他惜む可き者猶多きも、今盡くは之を論ぜざるなり。別録の編、南軒の主一箴を取らず。東莱の大事記を擧げず。其れ亦遺恨なり。蓋し、周程張子有りて先生微[な]かりせば、則ち此の書の編成る可からず。先生以後更に先生無ければ、則ち註解の眼、續編の手、果たして誰に望まんや。
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道体1
濂渓先生曰く、無極にして太極なり。太極動きて陽を生じ、動極まりて靜なり。靜にして陰を生じ、靜極まりて復[また]動なり。一動一靜互いに其の根を爲し、陰に分れ陽に分れて兩儀立つ。陽變じ陰合して水火木金土を生じ、五気順布して四時行[めぐ]る。五行は一陰陽なり。陰陽は一太極なり。太極は本[もと]無極なり。五行の生ずるや各[おのおの]其の性を一にす。無極の眞、二五の精、妙合して凝[こ]る。乾道は男を成し、坤道は女を成し、二気交感して萬物を化成す。萬物生々して變化窮[きわ]まり無し。惟人のみ、其の秀を得て最も靈なり。形旣に生じ、神發して知る。五性感動して善惡分れ、萬事出づ。聖人之[これ]を定むるに中正仁義を以てして、
聖人の道は仁義中正のみ。靜を主とす。
無欲なるが故に靜。人極を立つ。故に聖人は天地と其の德を合し、日月と其の明を合し、四時と其の序を合し、鬼神と其の吉凶を合す。君子は之を脩めて吉、小人は之に悖[もと]りて凶なり。故に曰く、天の道を立つるに、陰と陽とを曰い、地の道を立つるに、柔と剛とを曰い、人の道を立つるに、仁と義とを曰う。又曰く、始[はじめ]を原[たづ]ね終[おわり]に反[かえ]る。故に死生の說を知る、と。大なるかな易、斯れ其れ至れり、と。
太極圖說。
道体2
誠は爲す無し。幾[き]に善惡あり。德は、愛を仁と曰い、宜[よろ]しきを義と曰い、理を禮と曰い、通るを智と曰い、守るを信と曰う。焉[これ]を性のままにし焉に安んずるを之れ聖と謂い、焉に復り焉を執るを之れ賢と謂う。發すること微かにして見る可からざる、充つること周くして窮む可からざるを之れ神と謂う。
道体3
伊川先生曰く、喜怒哀樂の未だ發せざる、之を中と謂う。中とは、寂然として動かざる者を言う。故に天下の大本と曰う。発して皆節に中[あた]る、之を和と謂う。和とは、感じて遂に通ずる者を言う。故に天下の達道と曰う。
文集下同。
道体4
心は一なり。體を指して言う者有り、
寂然として動かざる、是れなり。用を指して言う者有り。
感じて遂に天下の故[こと]に通ず、是れなり。惟其の見[あらわ]るる所の如何を觀るのみ。
道体5
乾は天なり。天とは乾の形體にして、乾とは天の性情なり。乾は健なり。健にして息む無きを之れ乾と謂う。夫れ天は、專ら之を言えば則ち道なり。天すら且つ違わずとは、是れなり。分かちて之を言えば、則ち形體を以て之を天と謂い、主宰を以て之を帝と謂い、功用を以て之を鬼神と謂い、妙用を以て之を神と謂い、性情を以て之を乾と謂う。
易傳下同。
道体6
四德の元は、猶五常の仁のごとし。偏言すれば則ち一事にして、專言すれば則ち四つの者を包[か]ぬ。
道体7
天の賦する所を命と爲し、物を受くる所を性と爲す。
道体8
鬼神は、造化の迹なり。
道体9
剥[はく]の卦爲る、諸陽消剥して已に盡き、獨り上九の一爻のみ尙存する有り。碩大の果食われず、將に復生ずる理有らんとするが如し。上九も亦變ずれば、則ち純陰なり。然れども、陽には盡く可き理無く、上に變ずれば、則ち下に生じ、閒に息を容る可き無し。聖人は此の理を發明し、以て陽と君子の道と亡ぶ可からざるを見[しめ]す。或人曰く、剥盡すれば則ち純坤と爲る。豈復陽有らんや、と。曰く、卦を以て月に配せば、則ち坤は十月に當たり、氣の消息を以て言えば、則ち陽の剥[お]つるを坤と爲す。陽来るを復と爲す。陽未だ嘗て盡きざるなり。上に剥盡すれば、則ち下に復生ず。故に十月は之を陽月と謂う。其の陽無きかと疑うを恐るればなり。陰も亦然り。聖人言わざるのみ、と。
道体10
一陽下に復るは、乃ち天地物を生ずる心なり。先儒は皆靜を以て天地の心を見すと爲す。蓋し動の端は乃ち天地の心なるを知らざればなり。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。
道体11
仁は、天下の公、善の本なり。
道体12
感有れば必ず應有り。凡そ動くこと有れば、皆感を爲す。感ずれば則ち必ず應ずること有り。應ずる所復感を爲し、感ずる所復應ずる有り。已まざる所以なり。感通の理は、道を知る者默して之を觀ば、可なり。
道体13
天下の理、終わりて復始まるは、恆にして窮まらざる所以なり。恆は一定するの謂に非ざるなり。一定すれば則ち恆なること能わず。惟時に隨いて變易すれば、乃ち常道なり。天地常久の道、天下常久の理は、道を知る者に非ずんば、孰は能く之を識らん。
道体14
人の性は本善なるに、革む可からざる者有るは、何ぞや。曰く、其の性を語れば、則ち皆善なり。其の才を語れば、則ち下愚の移らざる有り。謂う所の下愚に二有り。自暴なり。自棄なり。人苟も善を以て自ら治めば、則ち移す可からざる者無し。昬愚の至りと雖も、皆漸磨して進む可し。惟自ら暴う者は、之を拒みて以て信ぜず、自ら棄つる者は、之を絶ち以て爲さざれば、聖人與に居ると雖も、化して入らるること能わざるなり。仲尼の謂う所の下愚なり。然れども天下の自ら棄て自ら暴う者、必ずしも昬愚なるには非ざるなり。往往強戾にして才力人に過ぐる者有り。商辛是れなり。聖人は其の自ら善に絶つを以て、之を下愚と謂う。然れども其の歸を考うれば、則ち誠に愚なり。旣に下愚と曰うも、其の能く面を革むるは、何ぞや。曰く、心は善道を絶つと雖も、其の威を畏れて罪を寡くするは、則ち人と同じ。惟其れ人と同じきこと有り、所以に其の性の罪に非ざるを知る。
道体15
物に在るを理と爲し、物を處するを義と爲す。
道体16
動靜には端無く、陰陽には始め無し。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん。
道体17
仁は、天下の正理なり。正理を失わば、則ち序無くして和せず。
道体18
明道先生曰く、天地物を生ずるに、各々足らざるの理無し。常に思う、天下の君臣父子兄弟夫婦に、多少分を盡くさざる處有り、と。
道体19
忠信は德に進む所以にして、終日乾乾たり。君子は當に終日天に在るものに對すべし。蓋し上天の載[こと]は、聲も無く臭も無し。其の體は則ち之を易と謂い、其の理は則ち之を道と謂い、其の用は則ち之を神と謂う。其の人に命ずるときは則ち之を性と謂い、性に率うときは則ち之を道と謂い、道を脩むるときは則ち之を敎と謂う。孟子は其の中に去[ゆ]きて、又浩然の氣を發揮し出す。盡くせりと謂う可し。故に說く、神其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し、と。大小の大事にして、只誠の揜[おお]う可からざる此の如きかなと曰うのみ。徹上徹下、此の如きに過ぎず。形よりして上なるを道と爲し、形よりして下なるを器と爲す。須く此の如く說くべし、器も亦道なり、道も亦器なり、と。但道得ること在り。今と後と、己と人とに繋[かかわ]らず。
道体20
醫書に手足の痿痺せるを不仁と爲すと言う。此の言最も善く名状す。仁者は天地萬物を以て一體と爲し、己に非ざる莫し。己爲るを認得せば、何の至らざる所かあらん。若し諸を己に有せずんば、自ら己と相干せざること、手足の不仁なるが如くならん。氣已に貫かざれば、皆己に屬せず。故に博く施して衆を濟うは、乃ち聖の功用なり。仁は至って言い難し。故に止[ただ]曰う、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可し、と。是の如く仁を觀しめんと欲す。以て仁の體を得可し。
道体21
生まれしままを之れ性と謂う。性は卽ち氣なり、氣は卽ち性なり、生まれしままの謂なり。人生まれしときの氣稟には、理として善惡有り。然れども是れ性中元此の兩物の相對して生まるる有るにあらず。幼よりして善なる有り、幼よりして惡なる有り。
后稷の克[よ]く岐、克く嶷なる、子越椒の始めて生まるるや、人其の必ず若敖氏を滅するを知るの類。是れ氣稟に然るもの有るなり。善は固より性なり。然れども惡も亦之を性と謂わざる可からず。蓋し生まれしままを之れ性と謂う。人生まれて靜なる以上は說く容[べ]からず。才[わずか]に性を說く時は、便ち已に是れ性にあらず。凡そ人の性を說く、只是れ之に繼ぐ者の善なるを說くなり。孟子の性善を言うは是れなり。夫れ謂う所の之に繼ぐ者は善なりとは、猶水の流れて下[ひく]きに就くがごとし。皆水なり。流れて海に至り、終に汙[う]す所無きもの有り。此れ何ぞ人力の爲[い]を煩わさん。流れて未だ遠からざるに、固より已に漸く濁るもの有り。出でて甚だ遠くして、方[はじ]めて濁る所有るもの有り。濁りの多き者有り、濁りの少き者有り。淸濁同じからずと雖も、然れども濁れる者を以て水とせざる可からず。此の如くんば、則ち人は以て澄治の功を加えざる可からず。故に力を用うること敏勇なれば則ち疾[すみ]やかに淸み、力を用うること緩怠なれば則ち遲く淸む。其の淸むに及んでや、則ち却って只是れ元初の水なり。是れ淸めるを將[も]ち來りて濁れるに換卻するにあらず、亦是れ濁れるを取り出し來りて一隅に置在するにあらず。水の淸めるは、則ち性善の謂なり。故に是れ善と惡と性中に在りて兩物と爲りて相對し、各自に出で來るにあらず。此の理は天命なり。順いて之に循[したが]うは則ち道なり。此に循いて之を脩め、各々其の分を得るは則ち敎なり。天命より以て敎に至るまで、我加損する無し。此れ舜天下を有[たも]ちて與[あずか]らざる者なり。
道体22
天地の物を生ずる氣象を觀よ。
周茂叔の看。
道体23
萬物の生意最も觀る可し。此れ元は善の長なり。斯れ謂う所の仁なり。
道体24
滿腔子是れ惻隠の心なり。
道体25
天地萬物の理、獨無く必ず對有り。皆自然にして然り。按排する有るに非ず。中夜以て思う每に、手の舞い、足の蹈むを知らず。
道体26
中とは天下の大本なり。天地の閒、亭亭當當、直上直下の正理なり。出でば則ち是ならず。惟敬して失うこと無くんば、最も盡くせり。
道体27
伊川先生曰く、公は則ち一にして、私は則ち萬殊なり。人心の同じからざること面の如きは、只是れ私心なればなり、と。
道体28
凡そ物に本末有るも、本末を分かちて兩段の事と爲す可からず。灑埽應對は是れ其の然るものにして、必ず然る所以のもの有り。
道体29
楊子は一毛を拔くことも爲さず、墨子は又頂を摩して踵に放[いた]るも之を爲す。此れ皆是れ中を得ざるなり。子莫の中を執るが如きに至りては、此の二つの者の中を執らんと欲するも、知らず怎麼[いかん]ぞ執り得ん。識り得ば、則ち事事物物上に、皆天然に箇の中の那[か]の上に在る有り。人の安排するを待たざるなり。安排し著[つ]くれば、便ち中ならず。
道体30
問う、時に中するは如何、と。曰く、中の字は最も識り難し。須く是れ默識心通すべし。且く試みに一廳[てい]を言わば、則ち中央を中と爲す。一家ならば則ち廳の中は中に非ずして、堂を中と爲す。一國を言わば、則ち堂は中に非ずして、國の中を中と爲す。此の類を推さば見る可し。三たび其の門を過ぐれども入らざるが如き、禹稷の世に在りては中と爲す。陋巷に居るが若きは、則ち中に非ざるなり。陋巷に居るは、顏子の時に在りては中と爲す。三たび其の門を過ぐれども入らざるが若きは、則ち中に非ざるなり、と。
道体31
妄无きを之れ誠と謂う。欺かざるは、其の次なり。
李邦直云う、欺かざる之を誠と謂う。便ち欺かざるを以て誠と爲す。徐仲車云う、息まざる之を誠と謂う。中庸に言う、至誠息む無し、と。息むこと無きを以て誠を解くに非ざるなり。或ひと以て先生に問う。先生曰く、云々。
道体32
冲漠として朕[きざし]無く、萬物森然として已に具わる。未だ應ぜざるは是れ先にあらず、已に應ぜしは是れ後にあらず。百尺の木の根本より枝葉に至るまで、皆是れ一貫せるが如し。上面の一段の事は、形も無く兆[あと]も無く、却って人の旋[やや]安排するを待ち、引き入れ來りて塗轍に入らしむと道[い]う可からず。旣に是れ塗轍なれば、却って只是れ一箇の塗轍のみ。
道体33
近く諸を身に取るに、百里皆具わる。屈伸往來の義、只鼻息の閒に於て之を見る。屈伸往來は只是れ理なり。旣に屈せし氣を將[もっ]て、復方に伸ぶる氣と爲すを必とせず。生生の理は、自然に息まず。復の卦に七日にして來復すと言うが如き、其の閒元より斷續せず。陽已めば復生まれ、物極まれば必ず返る。其の理須く此の如くなるべし。生有れば便ち死有り、始め有れば便ち終わり有り。
道体34
明道先生曰く、天地の閒、只一箇の感と應と有るのみ。更に甚[いか]なる事か有らん、と。
道体35
仁を問う。伊川先生曰く、此れ諸公自ら之を思うに在り。聖賢の仁を言う所の處を將[もっ]て、類聚して之を觀、體認し出で來れ。孟子曰く、惻隱の心は、仁なり、と。後人遂に愛を以て仁と爲す。愛は自ら是れ情にして、仁は自ら是れ性なり。豈專ら愛を以て仁と爲す可けんや。孟子は惻隱の心は仁の端なりと言えり。旣に仁の端と曰えば、則ち便ち之を仁と謂う可からず。退之博愛を之れ仁と謂うと言いしは、非なり。仁者は固より博く愛す。然れども便ち博愛を以て仁と爲すは、則ち可ならず、と。
道体36
問う、仁と心とは何をか異にす、と。曰く、心は譬えば穀種の如し。生の性は便ち是れ仁にして、陽氣の發する處は乃ち情なり、と。
道体37
義は宜と訓じ、禮は別と訓じ、智は知と訓ず。仁は當に何とか訓ずべき。說者謂う、覺と訓じ、人と訓ず、と。皆非なり。當に孔孟の仁を言う處を合わせ、大概に之を研窮すべし。二三歳にして之を得るも、未だ晩[おく]れざるなり。
道体38
性は卽ち理なり。天下の理、其の自る所を原[たず]ぬるに、未だ善ならざるもの有らず。喜怒哀樂の未だ發せざる、何ぞ嘗て善ならざらん。發して節に中れば、則ち往くとして善ならざる無く、發して節に中らずして、然して後に善ならずと爲す。故に凡そ善惡を言うに、皆善を先にして惡を後にし、吉凶を言うに、皆吉を先にして凶を後にし、是非を言うに、皆是を先にして非を後にす。
易傳に曰く、成りて後敗有り。敗は成るに先だつ者に非ざるなり。得て後に失有り。得るに非ざれば何ぞ以て失有らん。
道体39
問う、心に善惡有りや否や、と。曰く、天に在りては命と爲し、物に在りては理と爲し、人に在りては性と爲し、身に主たるは心と爲す。其の實は一なり。心は本善なり。思慮に發すれば、則ち善なる有り善ならざる有り。若し旣に發すれば、則ち之を情と謂う可く、之を心と謂う可からず。譬えば水の如き、只之を水と謂う可し。流れて派と爲り、或は東に行き、或は西に行くが如きに至りては、卻って之を流と謂う、と。
道体40
性は天より出で、才は氣より出づ。氣淸くんば則ち才淸く、氣濁らば則ち才濁る。才には則ち善なる有り善ならざる有り、性は則ち善ならざる無し。
道体41
性は自然に完具す。信は只是れ此を有する者なり。故に四端には信を言わず。
道体42
心は、生の道なり。是の心有れば、斯に是の形を具えて以て生る。惻隱の心は、人の生の道なり。
道体43
横渠先生曰く、氣は太虛に坱然[おうぜん]として、升降飛揚し、未だ嘗て止息せず。此れ虛實動靜の機、陰陽剛柔の始めなり。浮びて上る者は陽の淸めるなり、降りて下る者は陰の濁れるなり。其の感遇聚結して、風雨と爲り、霜雪と爲る。萬品の流形する、山川の融結する、糟粕煨燼[わいじん]、敎に非ざる無し、と。
道体44
游氣紛擾して、合して質を成す者は、人物の萬殊を生ず。其の陰陽兩端の循環して已まざる者は、天地の大義を立つ。
道体45
天の物に體として遺さざるは、猶仁の事に體として在らざること無きがごとし。體儀三百あり、威儀三千あるも、一物として仁に非ざること無し。昊天曰[ここ]に明らかなり、爾と出で王[ゆ]く。昊天曰に旦[あき]らかなり、爾と游び衍[たの]しむ。一物の體せられざること無し。
道体46
鬼神は、二氣の良能なり。
道体47
物の初めて生ずる、氣日に至りて滋息す。物生まれて旣に盈つれば、氣日に反りて游散す。至るを之れ神と謂う。其の伸ぶるを以てなり。反るを之れ鬼と謂う。其の歸るを以てなり。
道体48
性は萬物の一源にして、有我の私するを得るところに非ず。惟大人のみ能く其の道を盡くすと爲す。是の故に立つときは必ず倶に立ち、知るときは必ず周く知り、愛するときは必ず兼ね愛し、成るときは獨りは成らず。彼の自ら蔽塞して吾が理に順うを知らざる者は、則ち亦之を如何ともすること末[な]し。
道体49
一なるが故に神なり。之を人身に譬うるに、四體は皆一物なり。故に之に觸れて覺えざる無し。心使の此[ここ]に至るを待ちて而る後に覺ゆるにあらざるなり。此れ謂う所の感じて遂に通り、行かずして至り、疾[すみ]やかにせずして速やかなるものなり。
道体50
心は性情を統ぶる者なり。
道体51
凡そ物には是の性有らざること莫し。通蔽開塞に由りて、所以に人物の別有り。蔽に厚薄有るに由りて、故に知愚の別有り。塞がれる者は牢として開く可からず。厚き者は以て開く可きも、之を開くや難し。薄き者は之を開くや易し。開けば則ち天道に達し、聖人と一なり。
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爲学1
濂渓先生曰く、聖は天を希[ねが]い、賢は聖を希い、士は賢を希う。伊尹顏淵は大賢なり。伊尹は其の君の堯舜と爲らざるを恥じ、一夫も其の所を得ざれば、市に撻[う]たるるが若し。顏淵は怒を遷さず、過を貳[ふたた]びせず、三月仁に違わず。伊尹の志せし所を志し、顏子の学びし所を学ぶとき、過ぎなば則ち聖、及ばば則ち賢、及ばざるも則ち亦令名を失わざらん、と。
爲学2
聖人の道は、耳より入り、心に存す。之を蘊[つ]めば德行と爲り、之を行えば事業と爲る。彼の文辭を以てするのみなる者は、陋なり。
爲学3
或ひと問う、聖人の門、其の徒三千なるに、獨り顏子を稱して學を好むと爲す。夫[か]の詩書六藝は、三千子習いて通ぜざるには非ず。然らば則ち顏子の獨り好む所は何の學ぞや、と。伊川先生曰く、學びて以て聖人に至るの道なり、と。聖人は學びて至る可きか、と。曰く、然り、と。學ぶ道如何、と。曰く、天地精を儲くるとき、五行の秀を得し者を人と爲す。其の本や、真にして靜。其の未だ發せざるや、五性具わる。仁義禮智信を曰う。形旣に生ずれば、外物は其の形に觸れて其の中を動かす。其の中動きて七情出づ。喜怒哀樂愛惡欲を曰う。情旣に熾[さかん]にして益々蕩[うご]けば、其の性鑿たる。是の故に覺れる者は其の情を約して中に合わせしめ、其の心を正し、其の性を養う。愚かなる者は則ち之を制するを知らず、其の情を縱[ほしいまま]にして邪僻に至り、其の性を梏[こく]して之を亡す。然れども學ぶ道は、必ず先ず諸を心に明らかにし、養う所を知り、
一本に往と作す。然して後に力行して以て至るを求む。謂う所の明らかなるによりて誠なるなり。之を誠にする道は、道を信ずること篤きに在り。道を信ずること篤くんば、則ち之を行うこと果[か]なり。之を行うこと果ならば、則ち之を守ること固し。仁義忠信は心を離れず、造次[ぞうじ]も必ず是に於てし、顚沛[てんぱい]も必ず是に於てし、出處語默も必ず是に於てす。久しくして失わずんば、則ち之に居ること安らかに、動容周旋は禮に中りて、邪僻の心、よりて生ずること無し。故に顏子の事とする所は、則ち禮に非ずんば視る勿かれ、禮に非ずんば聽く勿かれ、禮に非ずんば言う勿かれ、禮に非ずんば動く勿かれと曰う。仲尼之を稱して、則ち一善を得ば則ち拳拳服膺[ふくよう]して之を失わずと曰う。又怒を遷さず、過を貳びせず。不善有らば、未だ嘗て知らずんばあらず。之を知らば、未だ嘗て復行わずと曰う。此れ其の之を好むこと篤くして、之を學ぶ道なり。然れども聖人は則ち思わずして得、勉めずして中る。顏子は則ち必ず思いて後に得、必ず勉めて後に中る。其の聖人と相去ること一息なり。未だ至らざる所の者は、之を守るなり。之に化するに非ざるなり。其の學を好む心を以てして、之に假すに年を以てせば、則ち日ならずして化せしならん。後人は達せずして以謂えらく、聖は本生まれながら知る、學びて至る可きものに非ず、と。而して學を爲す道遂に失わる。諸を己に求めずして諸を外に求め、博聞強記巧文麗辭を以て工と爲し、其の言を榮華にし、道に至る者有ること鮮し。則ち今の學は、顏子の好む所と異なれり。
爲学4
横渠先生、明道先生に問いて曰く、性を定めんとするに、未だ動かざる能わず、猶外物に累[わずら]わさる、如何、と。明道先生曰く、謂う所の定とは、動くときも亦定まり、靜かなるときも亦定まり、將迎[しょうげい]も無く内外も無きなり。苟も外物を以て外と爲し、己を牽[ひ]きて之に從わば、是れ己が性を以て内外有りと爲すなり。且つ性を以て物に外に隨うと爲さば、則ち其の外に在る時に當りては、何者をか内に在りと爲す。是れ外誘を絶つに意有りて、性に内外無きを知らざるなり。旣に内外を以て二本と爲せば、則ち又烏[いずく]んぞ遽[にわか]に定を語る可けん。夫れ天地の常なるは、其の心の萬物に普くして心無きを以てなり。聖人の常なるは、其の情の萬事に順いて情無きを以てなり。故に君子の學は、廓然として大公に、物來りて順應するに若くは莫し。易に曰く、貞しければ吉にして悔亡ぶ。憧憧として往來せば、朋のみ爾[なんじ]の思うに從う、と。苟も外誘の除かるるに規規たらば、將に東に滅びて西に生るるを見んとす。惟に日も之れ足らざるのみに非ず。顧[かえ]って其の端[こと]窮み無く、得て除く可からざるなり。人の情[こころ]は各々蔽う所有り。故に道に適[ゆ]くこと能わず。大率[おおむね]患えは自私して智を用うるに在り。自私せば則ちすること有るを以て應迹と爲すこと能わず、智を用いば則ち明覺を以て自然と爲すこと能わず。今、外物を惡む心を以てして、無物の地を照さんことを求む。是れ鑑[かがみ]を反[かえ]して照らすを索[もと]むるなり。易に曰く、其の背に艮[とどま]りて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず、と。孟子も亦曰く、智に惡む所の者は、其の鑿するが爲なり、と。其の外を非として内を是とせんよりは、内外を之れ兩[ふたつ]ながら忘るるに若かざるなり。兩ながら忘れなば則ち澄然[ちょうぜん]として事無からん。事無くんば則ち定まり、定まらば則ち明らかなり。明らかならば則ち尙何の物に應ずることか之れ累を爲さん。聖人の喜ぶは、物の當に喜ぶべきを以てし、聖人の怒るは、物の當に怒るべきを以てす。是れ聖人の喜怒は、心に繋らずして、物に繋るなり。是れ則ち聖人豈物に應ぜざらんや。烏んぞ外に從う者を以て非と爲して、更に内に在る者を求めて是と爲すを得んや。今、自私用智の喜怒を以て、聖人の喜怒の正しきに視[なぞら]えんとするは、何如と爲す。夫れ人の情は、發し易くして制し難き者なるも、惟怒を甚だしと爲す。第[ただ]能く怒る時に於て、遽に其の怒りを忘れて、理の是非を觀ば、亦外誘の惡むに足らざるを見る可くして、道に於て亦思い半ばに過ぎん、と。
爲学5
伊川先生の朱長文に答うる書に曰く、聖賢の言は已むことを得ざるなり。蓋し是の言有れば、則ち是の理明らかに、是の言無ければ、則ち天下の理に闕[か]くること有り。彼の耒耜[らいし]陶冶[とうや]の器、一つも制せられずんば、則ち生人の道足らざること有るが如し。聖賢の言、已まんと欲すと雖も得んや。然れども其の天下の理を包涵し盡くすは、亦甚だ約なり。後の人、始めて巻を執るときは、則ち文章を以て先と爲し、平生爲[つく]る所、動[ややもす]れば聖人よりも多し。然れども之れ有るも補う所無く、之無くも闕くる所靡[な]し。乃[すなわ]ち無用の贅言なり。止[ただ]に贅なるのみならず。旣に其の要を得ざれば、則ち眞を離れ正を失い、反[かえ]って道に害あること、必せり。來書に謂う所の後人をして其の善を忘れざるを見しめんと欲すとは、此れ乃ち世人の私心なり。夫子世を沒[お]うるまで名稱せられざるを疾[にく]みしは、身を沒うるまで善の稱す可き無きを疾むと云うのみ。名無きを疾むと謂うに非ざるなり。名は以て中人を厲[はげま]す可きも、君子の存する所、汲汲たる所に非ず、と。
爲学6
内に忠信を積むは、德に進む所以なり。言を擇び志を篤くするは、業に居る所以なり。至るを知りて之に至るは、知ることを致むるなり。至る所を求め知りて而る後に之に至る。之を知ること先に在り。故に與に幾す可し。謂う所の條理を始むとは、知の事なり。終わりを知りて之を終うるは、力行なり。旣に終わる所を知れば、則ち力進して之を終う。之を守ること後に在り。故に與に義を存す可し。謂う所の條理を終うとは、聖の事なり。此れ學の始終なり。
爲学7
君子は敬を主として以て其の内を直くし、義を守りて以て其の外を方にす。敬立ちて内直く、義形れて外方なり。義は外に形る。外に在るに非ざるなり。敬義旣に立てば、其の德盛んなり。大なるを期せずして大なり。德孤ならざるなり。用うるとして周からざる所無く、施すとして利ならざる所無し。孰か疑を爲さん。
爲学8
動くに天を以てするを無妄とす。動くに人欲を以てすれば、則ち妄なり。無妄の義は大なるかな。邪心無しと雖も、苟も正理に合わずんば、則ち妄なり。乃ち邪心なり。旣已[すで]に無妄なれば、往く有るに宜しからず。往かば則ち妄なり。故に無妄の彖に曰く、其れ正しき匪[あら]ざれば眚[わざわい]有り。往く攸有るに利しからず、と。
爲学9
人の蘊蓄は、學に由りて大なり。多く前古聖賢の言と行とを聞き、蹟を考えて以て其の用を觀、言を察して以て其の心を求め、識[しる]して之を得、以て其の德を蓄成するに在り。
爲学10
咸[かん]の象に曰く、君子は以て虛しくして人に受く、と。傳に曰く、中に私主無くんば、則ち感じて通ぜざる無し。量を以て之を容れ、合うを擇びて之を受くるは、聖人の感有れば必ず通ずる道に非ず、と。其の九四に曰く、貞ならば吉にして悔亡ぶ。憧々として往來せば、朋のみ爾の思うに從う、と。傳に曰く、感は人の動なり。故に咸は皆人身に就きて象を取る。四は心位に當たれども、其の心に咸ずと言わざるは、感ずるは乃ち心なればなり。感の道は通ぜざる所無し。私係する所有らば、則ち感通に害あり。謂う所の悔なり。聖人の天下の心を感ぜしむること、寒暑雨暘[よう]の如く、通ぜざる無く應ぜざる無き者は、亦貞なるのみ。貞とは、中を虛しくして我無きの謂なり。若し往來すること憧憧然として、其の私心を用いて以て物を感ぜしめば、則ち思いの及ぶ所の者は、能く感じて動くこと有るも、及ばざる所の者は、感ずること能わざるなり。係有る私心の、旣に一隅一事に主たるを以てせば、豈能く廓然として通ぜざる所無からんや、と。
爲学11
君子の艱阻に遇うや、必ず自ら身を省みる。失有りて之を致せるか、と。未だ善かざる所有れば、則ち之を改め、心に歉[けん]なければ、則ち勉を加う。乃ち自ら其の德を脩むるなり。
爲学12
明に非ざれば、則ち動は之く所無し。動に非ざれば、則ち明は用うる所無し。
爲学13
習は、重習なり。時に復思繹し、中に浹洽せば、則ち說ぶ。善を以て人に及ぼして、信從する者衆し。故に樂しむ可きなり。人に及ぼすを樂しむと雖も、是とせられずして悶すること無くんば、乃ち謂う所の君子なり。
爲学14
古の學者は己が爲にすとは、之を己に得んと欲するなり。今の學者は人の爲にすとは、人に知られんことを欲するなり。
爲学15
伊川先生、方道輔に謂いて曰く、聖人の道は、坦[たいら]かなること大路の如し。學者は其の門を得ざるを病うるのみ。其の門を得ば、遠きことの到る可からざる無し。其の門に入るを求むるに、經に由らざらんや。今の經を治むる者、亦衆し。然り而こうして櫝[はこ]を買いて珠[たま]を還[かえ]す蔽は、人人皆是れなり。經は道を載する所以なり。其の言辭を誦し、其の訓詁を解して、道に及ばざるは、乃ち無用の糟粕のみ。足下に覬[ねが]うに經に由りて以て道を求め、之を勉め又勉めよ。異日卓爾として前に立つもの有るを見ん。然して後に手の舞い足の蹈むを知らず、勉むるを加えずして、自ら止むこと能わざらん、と。
爲学16
明道先生曰く、辭を脩め其の誠を立つることは、子細に理會せざる可からず。言うこころは、能く言辭を脩省するは、便ち是れ誠を立つるを要するなり。若し只是れ言辭を脩飾するのみを心と爲さば、只是れ僞を爲すなり。若し其の言辭を脩むること、正に己の誠意を立つるが爲ならば、乃ち是れ自家の敬以て内を直くし義以て外を方にする實事を體當するなり。道の浩浩たる、何處より手を下さん。惟誠を立て纔かに居る可き處有り。居る可き處有らば、則ち以て業を脩む可し。終日乾乾たるは、大小の大事なり。卻って只是れ忠信は德に進む所以にして、實に手を下す處爲り。辭を脩め其の誠を立つるは、實に業を脩むる處爲るなり、と。
爲学17
伊川先生曰く、道に志すこと懇切なるは、固に是れ誠意なり。若し迫切にして理に中らずんば、則ち反って誠ならずと爲す。蓋し實理の中に自ら緩急有りて、是の如く迫る容[べ]からず。天地の化を觀れば、乃ち知る可し。
爲学18
孟子は才高し。之を學ぶも依據す可き無し。學者は當に顏子を學ぶべし。聖人に入るに近しと爲し、力を用うる處有り。又曰く、學者學び得て錯[あやま]らざるを要せば、須く是れ顏子を學ぶべし、と。
準的有り。
爲学19
明道先生曰く、且く外事を省き、但善を明らかにし、惟誠心を進めよ。其の文章は中らずと雖も遠からじ。守る所約ならずんば、泛濫して功無からん、と。
爲学20
學者仁の體を識り得て、實[まこと]に諸を己に有せば、只義理もて栽培するを要す。經義を求むるが如きは、皆栽培の意なり。
爲学21
昔學を周茂叔に受けしとき、每[つね]に顏子仲尼の樂しむ處を尋ねしむ。樂しむ所は何事ぞ、と。
爲学22
見る所期する所は、遠く且つ大ならざる可からず。然れども之を行うには、亦須く力を量りて漸有るべし。志大にして心勞し、力小にして任重くんば、恐らくは終に事を敗らん。
爲学23
朋友講習するは、更に相觀て善くする工夫の多きに如くは莫し。
爲学24
須く是れ其の心を大にし開濶ならしむべし。譬えば九層の臺を爲[つく]るが如き、須く大いに脚を做[つく]るべくして、始めて得。
爲学25
明道先生曰く、舜の畎畝の中より發[おこ]りしより、百里奚の市より擧げらるるに至るまで、若し熟せんことを要せば、也[また]須く這[こ]の裏より過ぐべし。
爲学26
參[しん]や竟[つい]に魯を以て之を得たり。
爲学27
明道先生は記誦博識を以て玩物喪志と爲す。
時に經語を以て録して一冊を作る。鄭轂云う、嘗て顯道先生に見えて云う、某洛中に從って學ぶ時、古人の善行を録して、別に一冊と作す。明道先生之を見て曰く、是れ物を玩んで志を喪う、と。蓋し心中宜しく絲髪の事を容るべからざるを言う。胡安國云う、謝先生初め記問を以て學と爲し、該博を自負し、明道に對して史書を擧げ篇を成し、一字を遺れず。明道曰く、賢却って許多を記し得。物を玩んで志を喪うと謂うべし、と。謝此の語を聞きて、汗流れて脊を浹[うるお]し、面赤を發す。明道史を讀むを看るに及んで、又却って行を遂いて看過して、一字も蹉[つまず]かず。謝甚だ服せず。後來省悟して、却って此の事を將[も]って話頭と做[な]して博學の士を接引す、と。
爲学28
禮樂は只進反の閒に在れば、便ち性情の正を得。
以上竝[みな]明道の語。
爲学29
父子君臣は天下の定理にして、天地の閒に逃るる所無し。天分に安んじ得て私心有らずんば、則ち一つの不義を行い、一つの不辜[ふこ]を殺すも、爲さざる所有り。分毫の私有るは、便ち是れ王者の事にあらず。
爲学30
性を論じて氣を論ぜざれば備わらず、氣を論じて性を論ぜざれば明らかならず。之を二つにするは則ち是ならず。
爲学31
學を論ずるには便ち理を明らかにするを要し、治を論ずるには便ち須く體を識るべし。
爲学32
曾點漆雕開は已に大意を見たり。故に聖人之に與[くみ]す。
爲学33
根本は須く是れ先ず培壅[ばいよう]すべく、然して後に趨向を立つ可し。趨向旣に正しければ、造[いた]る所の淺深は、則ち勉むると勉めざるとに由る。
爲学34
敬義もて夾持して直上せよ。天徳に達するは此による。
爲学35
懈意一たび生ずれば、便ち是れ自棄自暴なり。
爲学36
學ばざれば、便ち老いて衰う。
爲学37
人の學の進まざるは、只是れ勇ならざればなり。
爲学38
學者は氣の勝つ所、習の奪う所と爲らば、只志を責む可し。
爲学39
内重ければ則ち以て外の輕きに勝つ可く、得ること深ければ則ち以て誘の小さきを見る可し。
爲学40
董仲舒謂う、其の義を正しくして、其の利を謀らず。其の道を明らかにして、其の功を計らず、と。孫思邈[そんしばく]曰く、膽は大ならんことを欲して心は小ならんことを欲す。智は圓ならんことを欲し行は方ならんことを欲す、と。以て法と爲す可し。
爲学41
大抵學ぶに、言わずして自得する者は、乃ち自得なり。安排布置有る者は、皆自得に非ざるなり。
爲学42
視聽思慮動作は皆天なり。人但其の中に於て眞と妄とを識得するを要するのみ。
爲学43
明道先生曰く、學は只鞭辟[べんぺき]して裏[うち]に近づき己に著[つ]くるを要するのみ。故に切に問いて近く思わば、則ち仁其の中に在り。言忠信にして行篤敬ならば、蠻貊[ばんぱく]の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立たば則ち其の前に參するを見、輿に在らば則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然して後に行われん。只此のみ是れ學なり。質の美なる者明らかにし得て盡くさば、査滓便ち渾化し、卻って天地と體を同じくせん。其の次は惟荘敬もて持養するのみ。其の至るに及びては則ち一なり。
爲学44
忠信は德に進む所以にして、辭を脩め其の誠を立つるは業に居る所以なりとは、乾道なり。敬以て内を直くし義以て外を方にすとは、坤道なり。
爲学45
凡そ人才[わずか]に學ぶときは、便ち須く力を著[つ]くる處を知るべく、旣に學ぶときは、便ち須く力を得る處を知るべし。
爲学46
人有りて園圃を治むるに、知力を役すること甚だ勞す。先生曰く、蠱の象に、君子は以て民を振い德を育す、と。君子の事は、惟此の二者有るのみ。餘は他無し。二者は己の爲にし人の爲にする道なり。
爲学47
博く學びて篤く志し、切に問いて近く思う。何を以て仁其の中に在りと言う。學者思いて之を得んことを要す。此を了せば、便ち是れ徹上徹下の道なり。
爲学48
弘くして毅からずんば、則ち立ち難く、毅くして弘からずんば、則ち以て之に居る無し。
西銘は弘の道を言う。
爲学49
伊川先生曰く、古の學者は、優柔厭飫[えんよ]にして、先後の次序有り。今の學者は、卻って只一場の話說を做[な]し、高きを務むるのみ。常に杜元凱の語を愛す。江海の浸し、膏澤の潤すが若く、渙然[かんぜん]として冰のごとく釋[と]け、怡然[いぜん]として理順い、然して後に得たりと爲す、と。今の學者は、往往にして游夏を以て小にして學ぶに足らずと爲す。然れども游夏の一言一事は、卻って總て是れ實なり。後の學者は高きを好み、人の心を千里の外に游すも、然れども自身は卻って只此に在るが如し、と。
爲学50
脩養の年を引[の]ぶる所以、國祚の天の永命を祈る所以、常人の聖賢に至る、皆工夫這[こ]の裏に至れば、則ち自ら此の應有り。
爲学51
忠恕は公平なる所以なり。德に造[いた]るは則ち忠恕により、其の致[いたり]は則ち公平なり。
爲学52
仁の道は、之を要するに、只一つの公の字を道[い]うを消[もち]うるのみ。公は只是れ仁の理にして、公を將[もっ]て便ち仁と喚[よ]び做[な]す可からず。公にして人を以て之に體す、故に仁爲り。只公ならば則ち物我兼ね照すが爲に、故に仁は能く恕する所以なり、能く愛する所以なり。恕は則ち仁の施にして、愛は則ち仁の用なり。
爲学53
今の學を爲す者は、山麓を登るが如し。其の迤邐[いり]なるに方[あた]りては、闊歩せざる莫し。峻處に到るに及び、便ち止む。須く是れ剛決果敢にして以て進むを要すべし。
爲学54
人の力行するを要すと謂うは、亦只是れ淺近の語なり。人旣に能く一切の事は皆當に爲すべき所なるを知見すれば、必ずしも意を著[つ]くすを待たず。纔かに意を著くせば、便ち是れ箇の私心有るなり。這[こ]の一點の意氣、能[た]え得ること幾時ぞ。
爲学55
之を知れば必ず之を好み、之を好めば必ず之を求め、之を求むれば必ず之を得。古人の此箇の學は是れ終身の事なり。果たして能く顚沛造次にも必ず是に於てせば、豈道理を得ざること有らんや。
爲学56
古の學ぶ者は一にして、今の學ぶ者は三なり。異端は與[あずか]らず。一を文章の學と曰い、二を訓詁の學と曰い、三を儒者の學と曰う。道に趨[おもむ]かんと欲せば、儒者の學を舍[お]くは可ならず。
爲学57
問う、文を作るは道に害あるや否や、と。曰く、害あり。凡そ文を爲[つく]るに、意を專らにせざれば則ち工[たくみ]ならず、若し意を專らにせば則ち志此に局す。又安んぞ能く天地と其の大なるを同じくせん。書に曰く、物を玩び志を喪う、と。文を爲るも亦物を玩ぶなり。呂與叔に詩有りて云う、學は元凱の如くにして方[はじ]めて癖を成し、文は相如に似て殆ど俳に類す。獨り孔門に立ちて一事無く、只輸[しゅ]す顏子の心齋を得たるに、と。此の詩甚だ好し。古の學者は惟性情を養うを務むるのみにして、其の他は則ち學ばず。今の文を爲る者は、專ら章句を務めて、人の耳目を悦ばす。旣に人を悦ばすを務むれば、俳優に非ずして何ぞ、と。曰く、古は文を爲るを學びしや否や、と。曰く、人は六經を見れば、便ち以て聖人も亦文を作ると謂う。聖人亦胸中に蘊[つ]む所を攄發[ちょはつ]し、自ら文を成すを知らざるのみ。謂う所の德有る者は必ず言有るものなり、と。曰く、游夏の文學と稱せらるるは何ぞや、と。曰く、游夏も亦何ぞ嘗て筆を秉[と]り詞章を爲るを學ばん。且つ天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成するが如き、此れ豈詞章の文ならんや、と。
爲学58
涵養は須く敬を用うべく、進學は則ち知を致すに在り。
爲学59
第一等を將[もっ]て別人に讓與し、且く第二等を做[な]すと說道する莫かれ。才[わずか]に此の如く說けば、便ち是れ自棄なり。仁に居り義に由ること能ざる者と差等同じからずと雖も、其の自ら小とするは一なり。學を言えば便ち道を以て志と爲し、人を言えば便ち聖を以て志と爲せ。
爲学60
問う、必ず事とすること有るに、當に敬を用うべきや否や、と。曰く、敬は是れ涵養の一事なり。必ず事とすること有るには、須く集義を用うべし。只敬を用うるを知るのみにして、集義を知らずんば、卻って是れ都[すべ]て事無きなり、と。又問う、義は是れ理に中ること莫きや否や、と。曰く、理に中るは事に在り、義は心に在り、と。
爲学61
問う、敬義は何の別かある、と。曰く、敬は只是れ己を持する道にして、義は便ち是有り非有るを知る。理に順いて行う、是を義と爲す。若し只一箇の敬を守るのみにして、集義を知らずんば、却って是れ都[すべ]て事無きなり。且つ孝を爲さんと欲するが如き、只一箇の孝の字を守著[しゅちゃく]するを成さず。須く是れ孝を爲す所以の道、侍奉する所以は當に如何にすべき、溫淸は當に如何にすべきかを知るべし。然る後に能く孝道を盡くす、と。
爲学62
學者は須く是れ實を務むべく、名に近づくを要せずして、方に是なり。名に近づくに意有らば、則ち是れ僞なり。大本已に失わるれば、更に何事かを學ばん。名の爲にすると利の爲にするとは、淸濁同じからずと雖も、然れども其の利心は則ち一なり。
爲学63
囘や、其の心三月仁に違わざるは、只是れ纖毫の私意無ければなり。少しの私意有らば、便ち是れ不仁なり。
爲学64
仁者は難きを先にして獲るを後にす。爲にすること有りて作[な]すは、皆獲るを先にするなり。古の人は惟仁を爲すを知るのみ。今の人は皆獲るを先にす。
爲学65
聖人と爲るを求むる志有りて、然して後に與に共に學ぶ可し。學びて善く思い、然して後に與に道に適く可し。思いて得る所有れば、則ち與に立つ可し。立ちて之に化せば、則ち與に權[はか]る可し。
爲学66
古の學者は己が爲にし、其の終わりは物を成すに至る。今の學者は物の爲にし、其の終わりは己を喪うに至る。
爲学67
君子の學は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進む。日に新たならざる者は必ず日に退く。未だ進まずして退かざる者有らず。惟聖人の道のみ進退する所無し。其の造[いた]る所の者極まれるを以てなり。
爲学68
明道先生曰く、性の靜なる者は以て學を爲す可し。
爲学69
弘くして毅からずんば、則ち規矩無し。毅くして弘からずんば、則ち隘陋なり。
爲学70
性の善なるを知らば、忠信を以て本と爲せ。此れ先ず其の大なる者を立つなり。
爲学71
伊川先生曰く、人安重なれば、則ち學は堅固なり、と。
爲学72
博く之を學び、審らかに之を問い、愼みて之を思い、明らかに之を辨じ、篤く之を行う。五つの者其の一つを廢せば、學に非ざるなり。
爲学73
張思叔請問せしとき、其の論に太[はなは]だ高きもの或[あ]り。伊川答えず。良[やや]久しくして曰く、高きを累[かさ]ぬるには必ず下[ひく]きよりす、と。
爲学74
明道先生曰く、人の學を爲す、先ず標準を立つるを忌むべし。若し循循として已まずんば、自ら至る所有らん、と。
爲学75
尹彦明、伊川に見[まみ]えし後、半年にして方[はじ]めて大學西銘を得て看る。
爲学76
人有りて無心を說く。伊川曰く、無心は便ち是ならず。只當に私心無しと云うべし、と。
爲学77
謝顯道伊川に見[まみ]ゆ。伊川曰く、近日、事如何、と。對えて曰く、天下何をか思い何をか慮らん、と。伊川曰く、是れ則ち是れ此の理有るも、賢は卻って發っし得て太[はなは]だ早し、と。伊川は直[ただ]是れ人を鍛錬し得るを會す。說き了わり、又道[い]う、恰好に工夫を著[つ]けよ、と。
爲学78
謝顯道云う、昔伯淳教誨す。只他[かれ]の言語に管著[かんちゃく]す。伯淳曰く、賢と說話するに、卻って醉漢を扶くるに似たり。一邊を救い得れば、一邊に倒れ了わる。只人の一邊に執著するを怕[おそ]る、と。
爲学79
横渠先生曰く、義を精[つまび]らかにして神に入るは、事吾が内に豫[あらかじ]めし、吾が外を利せんことを求むるなり。用を利して身を安んずるは、素より吾が外を利し、養を吾が内に致すなり。神を窮め化を知るは、乃ち養の盛んなるとき自ら至る、思勉の能く強うるものに非ず。故に徳を崇[たか]むるより外は、君子未だ知を致すこと或[あ]らざるなり、と。
爲学80
形ありて而る後に氣質の性有り。善く之に反らば、則ち天地の性存す。故に氣質の性は、君子性とせざる者有り。
爲学81
德、氣に勝たざれば、性命は氣に於てし、德、其の氣に勝たば、性命は德に於てす。理を窮め性を盡くすときは、則ち性は天德にして命は天理なり。氣の變ず可からざる者は、獨り死生脩夭のみ。
爲学82
天に非ざる莫きなり。陽明勝てば則ち德性用いられ、陰濁勝てば則ち物欲行わる。惡しきを領[おさ]めて好きを全くする者は、其れ必ず學に由るか。
爲学83
其の心を大にすれば、則ち能く天下の物に體たり。物未だ體せざること有れば、則ち心外有りと爲す。世人の心は、見聞の狭きに止まる。聖人は性を盡くし、見聞を以て其の心を梏せず。其の天下を視るに一物として我に非ざること無し。孟子謂う、心を盡くせば則ち性を知り天を知るとは、此を以てなり。天は大にして外無し。故に外有る心は、以て天の心に合するに足らず。
爲学84
仲尼は四つを絶つ。始學より德を成すに至るまで、兩端を竭[つく]すの敎なり。意は思有るなり。必は待つ有るなり。固は化せざるなり。我は方有るなり。四つの者の一つも有らば、則ち天地と相似ずと爲す。
爲学85
上達とは天理に反り、下達とは人欲に徇[したが]う者か。
爲学86
知の崇[たか]きは、天なり、形而上なり。晝夜を通して知らば、其の知崇からん。知之に及ぶも、禮を以て之を性とせずんば、己が有に非ざるなり。故に知禮性と成りて道義出づ。天地位して易行わるるが如し。
爲学87
困の人を進むるは、德を爲すこと辨[あき]らかにして、感を爲すこと速やかなればなり。孟子謂う、人の德慧術智有る者は、常に疢疾[ちんしつ]に存すとは、此を以てなり。
爲学88
言に敎有り、動に法有り。晝には爲すこと有り、宵には得ること有り。息にも養うこと有り、瞬にも存すること有り。
爲学89-1
横渠先生訂頑を作りて曰く、乾を父と稱し、坤を母と稱す。予[われ]茲[ここ]に藐焉[びょうえん]たる、乃ち混然として中處するなり。故に天地の塞は、吾が其の體にして、天地の帥は、吾が其の性なり。民は吾が同胞にして、物は吾が與[ともがら]なり。大君とは、吾が父母の宗子にして、其の大臣は、宗子の家相なり。高年を尊ぶは、其の長を長とする所以にして、孤弱を慈しむは、其の幼を幼とする所以なり。聖は其の德を合わせたるものにして、賢は其の秀れしものなり。凡そ天下の疲癃殘疾[ひりゅうざんしつ]、惸獨鰥寡[けいどくかんか]は、皆吾が兄弟の顚連[てんれん]して告ぐる無き者なり。時に于[おい]て之を保[やすん]ずるは、子の翼[つつしみ]なり。樂しみ且つ憂えざるは、孝に純[もっぱ]らなる者なり。違うを德に悖ると曰い、仁を害するを賊と曰う。惡を濟[な]す者は不才にして、其の形を踐むは、惟れ肖者[しょうしゃ]なり。化を知れば則ち善く其の事を述べ、神を窮むれば則ち善く其の志を繼ぐ。屋漏に愧じざるを忝[はずかし]むる無しと爲し、心を存し性を養うを懈らずと爲す。旨酒を惡むは、崇伯の子の養を顧るなり。英才を育つるは、潁[えい]の封人の類に錫[あた]えるなり。勞を弛めずして豫[よろこび]を厎[いた]すは、舜の其の功なり。逃るる所無くして烹らるるを待つは、申生の其の恭なり。其の受けしを體して全きを歸すは、參か。從うに勇みて令に順う者は、伯奇なり。富貴福澤は、将[もっ]て吾の生を厚くす。貧賤憂戚は、庸[もっ]て女[なんじ]を成に玉にす。存するときは吾順いて事え、沒するときは吾寧し、と。
明道先生曰く、訂頑の言は、極醇にて雜り無し。秦漢以來、學者未だ到らざる所なり。又曰く、訂頑の一篇は、意極めて完備す。乃ち仁の體なり。學者其れ此の意を體し、諸を己に有せしめば、其の地位已に高し。此の地位に到れば、自ずから別に見る處有らん。高きを窮め遠きを極む可からず。恐らくは道に於て補い無けん。又曰く、訂頑の心を立つる、便ち天德に達し得たり。又曰く、游酢西銘を得て之を讀み、卽ち渙然として心に逆[さか]わず。曰く、此れ中庸の理なり、と。能く言語の外に求めたる者なり。
楊中立問いて曰く、西銘は體を言いて用に及ばず。恐らくは其の流れ遂に兼愛に至らん。如何。伊川先生曰く、横渠の言を立つること、誠に過ぎたる者有り。乃ち正蒙に在り。西銘の書は、理を推して以て義を存し、前聖の未だ發せざる所を擴む。孟子性善養氣の論と功を同じくす。豈墨氏の比ならんや。西銘は理一にして分殊なることを明らかにす。墨氏は則ち本を二にして分無し。分殊の蔽は、私勝ちて仁を失い、無分の罪は、兼ね愛して義無し。分立ちて理一を推し、以て私勝つの流れを止むるは、仁の方なり。別無くして兼愛に迷い、以て父を無みするの極みに至るは、義の賊なり。子比して之を同じくするは、過てり。且つ彼人をして推して之を行わせしめんと欲す。本用を爲さんとなり。反って及ばずと謂うは、亦異ならずや。
爲学89-2
又砭愚を作りて曰く、戲言は思に出づるなり。戲動は謀に作[おこ]るなり。聲に發われ、四支に見[あらわ]るるを、己の心に非ずと謂うは、明らかならざるなり。人の己を疑うこと無からんと欲するも、能わざるなり。過言は心に非ざるなり。過動は誠に非ざるなり。聲に失い其の四體を繆迷するに、己當に然るべしと謂うは、自ら誣[し]うるなり。他人の己に從わんと欲するは、人を誣うるなり。或者は心に出づる者を謂いて、咎を歸して己が戲と爲し、思に失う者を、自ら誣いて己が誠と爲す。其の汝に出づる者を戒め、咎を其の汝に出でざる者に歸するを知らず、傲を長ぜしめ且つ非を遂[と]ぐ。不知孰か焉より甚だしき、と。
横渠學堂雙牖の右に訂頑を書し、左に砭愚を書す。伊川曰く、是れ爭を起こす端なり。訂頑を改め西銘と曰い、砭愚を東銘と曰う。
爲学90
將に己を脩めんとせば、必ず先ず厚重にして以て自ら持すべし。厚重にして學ぶことを知れば、德乃ち進みて固[とどこお]らず。忠信もて德に進むには、惟れ友を尙[しょう]して賢を急とせよ。己に勝れる者の親しまんことを欲せば、過を改むるの吝[やぶさか]ならざるに如[し]くは無し。
爲学91
横渠先生、范巽之[はんそんし]に謂いて曰く、吾が輩は古人に及ばず。病源何[いず]くに在りや、と。巽之請問す。先生曰く、此れ悟り難きに非ず。此の語を設けし者は、蓋し學者の意に存して忘れざるを欲するなり。庶[ねが]わくは心を游ばせて浸[ようや]く熟せんことを。一日脱然たること有らば、大寐[だいび]の醒むるを得るが如きのみ、と。
爲学92
未だ心を立つることを知らざれば、思い多きことの疑いを致すことを惡む。旣に立つる所を知れば、講治の精しからざることを惡む。講治し思いを致すは、術内のことに非ざる莫し。勤むと雖も何ぞ厭わん。欲す可きに急なる所以の者は、吾が心を疑わざる地に立てんことを求むるなり。然る後に江河を決して以て吾が往くを利するが若し。此の志を遜し、時に敏なるを務めば、厥[そ]の脩乃ち來る。故に仲尼の才の美と雖も、然れども且く敏にして以て之を求む。今逮[およ]ばざる資を持して、徐徐に以て其の自適に聽[まか]さんと欲するは、聞く所に非ざるなり。
爲学93
善を明らかにするを本と爲す。之を固執すれば乃ち立ち、之を擴充すれば則ち大となり、之を易視[いし]すれば則ち小となる。人の能く之を弘むるに在るのみ。
爲学94
今且く只德性を尊びて問學に道[よ]るを將[もっ]て心と爲し、日に自ら問學なる者に於て背く所有りや否や、德性に於て懈る所有りや否やを求めよ。此の義も亦是れ博文約禮下學上達なり。此を以て警策すること一年ならば、安んぞ長ぜざるを得ん。每日須く多少の益を爲すを求め、亡き所を知り、少しの不善をも改め得べし。此れ德性上の益なり。書を讀みては義理を求めよ。書を編しては須く歸著[きちゃく]する所有るを理會すべく、徒に寫し過ぐること勿かれ。又多く前言往行を識れ。此れ問學上の益なり。俄頃も閑度すること有らしむること勿かれ。遂日此の似[ごと]きこと三年ならば、進むこと有るに庶幾[ちか]からん。
爲学95
天地の爲に心を立て、生民の爲に道を立て、去聖の爲に絶學を繼ぎ、萬世の爲に太平を開く。
爲学96
載、學者をして先ず禮を學ばしむる所以の者は、只禮を學ばば、則ち便ち世俗一副當の習熟の纏繞[てんじょう]を除去し了わるが爲なり。之を譬うるに、延蔓の物、纏繞を解かるれば卽ち上去す。苟も能く一副當の世習を除去し了わらば、便ち自然に脱灑せん。又禮を學ばば、則ち以て守り得て定まる可し。
爲学97
須く心を放ち寬快公平ならしめて以て之を求むべく、乃ち道を見る可し。況んや德性の自ら廣大なるをや。易に曰く、神を窮め化を知るは、德の盛んなるなり、と。豈淺心して得可けんや。
爲学98
人は多く老成すれば則ち肯[あえ]て下問せざるを以て、故に身に終うるまで知らず。又人の道義の先覺を以て之を處し、復知らざる所有りと謂う可からざるが爲に、故に亦肯て下問せず。肯て問わざるにより、遂に百端を生じ、人我を欺妄し、寧ろ身を終うるまで知らず。
爲学99
多聞は以て天下の故[こと]を盡くすに足らず。苟も多聞を以てして天下の變を待たば、則ち道は以て其の嘗て知る所に酬ゆるに足る。若し之を不測に劫[おびやか]さば、則ち遂に窮せん。
爲学100
學を爲す大益は、自ら氣質を變化するを求むるに在り。爾[しか]らずんば、皆人の爲にするの弊にして、卒に發明する所無く、聖人の奥を見るを得じ。
爲学101
文は密察ならんことを要し、心は洪放ならんことを要す。
爲学102
疑いを知らざるは、只是れ便ち實作せざればなり。旣に實作すれば則ち須く疑い有るべし。行われざる處有るは是れ疑いなり。
爲学103
心大なれば則ち百物皆通じ、心小なれば則ち百物皆病む。
爲学104
人功有りて學に及ばずと雖も、心亦宜しく忘るべからず。心苟も忘れずんば、則ち人事に接すと雖も、卽ち是れ實行にして、道に非ざる莫し。心若し之を忘れなば、則ち身を終うるまで之に由るも、只是れ俗事のみ。
爲学105
内外を合せ、物我を平かにす。此に道の大端を見る。
爲学106
旣に學べば先ず功業を以て意と爲す者有り。學に於て便ち相害す。旣に意有れば、必ず穿鑿創意し事端を作起す。德未だ成らざるに先ず功業を以て事を爲すは、是れ大匠に代わりて斲[き]るなり。手を傷[やぶ]らざること希[すく]なし。
爲学107
竊かに嘗て病う、孔孟旣に沒し、諸儒囂然[ごうぜん]たるも、約に反り源を窮むるを知らず、苟も作るに勇み、逮[およ]ばざる資を持ちて、後世に知らるるに急なるを。明者一覽せば、肺肝を見るが如く然り。多[まさ]に其の量を知らざるを見る。方に且く其の弊を創艾[そうがい]し、吾が誠を默養せん。顧[かえ]って患うる所は日力足らずして未だ他爲を果たさざることなり。
爲学108
學未だ至らずして好んで變を語る者は、必ず終に患え有るを知る。蓋し變は輕議す可からず。若し驟然として變を語らば、則ち術を操ること已[はなは]だ正しからざるを知る。
爲学109
凡そ事の蔽蓋せられて見れざる底[もの]は、只是れ益を求めざればなり。人有りて肯て其の道義の得る所至る所を言わずして、見るを得ざる底は、又吾が言に於て說ばざる所無きに非ず。
爲学110
耳目外に役せられて、外事を攬[と]る者は、其の實は是れ自ら惰りて、肯て自ら治めず、只短長を言うのみにして、躬に反ること能わざる者なり。
爲学111
學者は大いに宜しく志小さく氣輕かるべからず。志小さければ則ち足り易く、足り易ければ則ち由って進むこと無し。気輕ければ則ち未だ知らざるを以て已に知れりと爲し、未だ學ばざるを已に學べりと爲す。
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致知1
伊川先生の朱長文に答うるの書に曰く、心道に通じ、然して後に能く是非を辨ずるは、權衡を持ちて以て輕重を較ぶるが如し。孟子謂う所の知言是れなり。心道に通ぜずして、古人の是非を較ぶるは、猶權衡を持たずして輕重を酌るがごとし。其の目力を竭し、其の心智を勞するに、時に中らしむと雖も、亦古人謂う所の億[はか]れば則ち屢々中るものにして、君子は貴ばざるなり、と。
致知2
伊川先生門人に答えて曰く、孔孟の門、豈皆賢哲ならん。固より衆人多し。衆人を以て聖賢を觀れば、識らざる者多し。惟其れ敢て己を信ぜずして其の師を信ず。是の故に求めて而る後に得たり。今、諸君は頤の言に於て纔かに合わざれば、則ち置きて復思わず。終に異なる所以なり。便ち放下す可からず。更に且く之を思え。知を致す方なり。
致知3
伊川先生横渠先生に答えて曰く、論ずる所は大概心を苦しめ力を極むる象有れども、寬裕溫厚の氣無し。明睿の照らす所に非ずして、考索して此に至る。故に意屢々偏して、言多く窒し、小さき出入時に之有り。
明照らす所とは、目覩る所、繊微盡く之を識るが如し。考索して至るとは、物を揣料[すいりょう]して髣髴を約見するが如きのみ。能く差[たが]うこと無からんや。更に願わくは思慮を完養し、義理に涵泳せよ。他日自ら當に條暢すべし、と。
致知4
得ると得ざるとを知らんと欲せば、心氣上に於て之を驗せよ。思慮に得ること有り、中心悦豫し、沛然として裕かなること有る者は、實に得るなり。思慮に得ること有りて、心氣勞耗する者は、實に未だ得ざるなり。強いて揣度[すいたく]するのみ。嘗て人有りて言う、比[このごろ]道を學ぶに因り思慮して心虛なり、と。曰く、人の血氣には固より虛實有り。疾病の來るは、聖賢も免れざる所なり。然れども未だ古より聖賢、學に因りて心疾を致せし者を聞かず、と。
致知5
今日鬼怪異說を雜信するは、只是れ先に理を燭[てら]さざればなり。若し事の上に於て一一理會せば、則ち甚[なん]の盡くる期有らん。須く只學の上に於て理會すべし。
致知6
學は思うことに原[もとづ]く。
致知7
謂う所の日月にして至ると、久しくして息まざるとは、見る所の規模、略相似ると雖も、其の意味氣象は迥[はるか]に別なり。須く心を潛めて默識し、玩索すること之を久しくすべし。自得するに庶幾からん。學者は聖人を學ばずんば則ち已む。之を學ばんと欲せば、須く熟[つらつら]聖人の氣象を玩味すべし。只名の上に於てのみ理會す可からず。此の如きは只是れ文字を講論するのみ。
致知8
問う、忠信もて德に進む事は、固より勉強す可し。然れども知を致すは甚だ難し、と。伊川先生曰く、學者は固より當に勉強すべし。然れども是れ知り了わるを須[ま]ちて、方に行い得。若し知らずんば、只是れ堯を覰卻[しょきゃく]し、他[かれ]の行事を學ぶのみ。堯の許多の聰明睿智無くんば、怎生[いかん]ぞ他の如く動容周旋の禮に中るを得ん。子の言う所の如き、是れ篤く信じて固く之を守るなり、固より之有るに非ず。未だ知を致さざるに、便ち意を誠にせんと欲するは、是れ等を躐ゆるなり。勉強して行う者、安んぞ能く持すること久しからん。除非[ただ]理を燭[てら]すこと明らかなれば、自然に理に循うを樂[この]む。性は本より善なり。理に循いて行うは、是れ理に順う事なれば、本より亦難からず。但人知らず、旋[うたた]安排著するが爲に、便ち難しと道[い]うなり。知に多少の般數有りて、煞[はなは]だ深淺有り。學者は須く是れ眞に知るべし。纔かに是を知り得ば、便ち泰然として行い將[も]て去[ゆ]け。某年二十の時、經義を解釋するに、今と異なること無し。然れども思うに今日、意味の少き時と自ら別なるを覺え得、と。
致知9
凡そ一物の上には一理有り。須く是れ其の理を窮致すべし。理を窮むるも亦多端なり。或は書を讀みて義理を講明し、或は古今の人物を論じて其の是非を別ち、或は事物に應接して其の當を處す。皆理を窮むることなり。或ひと問う、物に格るは、須く物物に之に格るべきや、還[また]は只一物に格るのみにして萬理皆知らるるや、と。曰く、怎得[いかん]ぞ便ち貫通するを會ん。只一物に格るのみにして便ち衆理に通ずるが若きは、顏子と雖も、亦敢て此の如く道[い]わじ。須く是れ今日一件に格り、明日又一件に格るべし。積習すること旣に多く、然して後に脱然として自ら貫通の處有らん、と。
又曰く、窮理に務むる所の者は、盡く天下萬物の理を窮め了るを道うに非ず。又、是れ一理を窮め得ば便ち到るを道うにあらず。只積累多くして後に自然に見去るを要す。
致知10
思うに睿と曰う。思慮すること久しき後に睿自然に生ず。若し一事の上に於て思いて未だ得ずんば、且く別に一事を換えて之を思え。專ら這[こ]の一事を守著[しゅちゃく]す可からず。蓋し人の知識は、這の裏に於て蔽著せらるれば、強いて思うと雖も亦通ぜざるなり。
致知11
問う、人に學に志すもの有り。然れども知識蔽固して、力量至らずんば、則ち之を如何にせん、と。曰く、只是れ知を致すのみ。若し知識明らかなれば、則ち力量自ら進まん、と。
致知12
問う、物を觀て己を察すとは、還[また]物を見るに因りて諸を身に反求するや否や、と。曰く、此の如く說くを必とせず。物我は一理にして、纔かに彼を明らかにすれば卽ち此に曉らかなり。此れ内外を合するの道なり、と。又問う、知を致すに先ず之を四端に求むるは如何、と。曰く、之を情性に求むるは、固より是れ身に切なり。然れども一草一木皆理有り。須く是れ察すべし、と。
又曰く、一身の中より、以て萬物の理に至るまで、但理會し得ること多くして相次げば、自然に豁然として覺る處有らん。
致知13
思うに睿と曰う。睿は聖を作す。思いを致すことは井を掘るが如し。初め渾水有るも、久しき後に稍[やや]淸き者を引動し得出で來る。人の思慮は始め皆溷濁するも、久しくして自ら明快なり。
致知14
問う、如何か是れ近思、と。曰く、類を以て推すなり、と。
致知15
學者は先ず疑いを會することを要す。
致知16
横渠先生、范巽之[はんそんし]に答えて曰く、訪[と]う所の物怪・神姦は、此れ語[つ]げ難きに非ず。顧[おも]うに語ぐるも未だ必ずしも信ぜざるのみ。孟子の論ずる所、性を知れば天を知る、と。學びて天を知るに至れば、則ち物の從[よ]りて出づる所、當に源源として自ら見[あらわ]るべし。從りて出づる所を知れば、則ち物の當に有るべきと當に無かるべきと、心に諭らざること莫し。亦語ぐるを待ちて而る後に知るにあらず。諸公の論ずる所、但之を守りて失わざれ。異端の劫[おびやか]す所と爲らず、進進として已まずんば、則ち物怪は辨ずるを須[もち]いず、異端は攻むるを必とせず。期年を逾えずして、吾が道勝たん。若し之を無窮に委ね、之に付するに知る可からざるを以てせんと欲せば、則ち學は疑いの撓[たわ]むるところと爲り、智は物の昬くするところと爲り、交々[こもごも]來りて閒無く、卒に以て自ら存すること無くして、怪妄に溺るるや必せり、と。
致知17
子貢謂う、夫子の性と天道とを言うは、得て聞く可からず、と。旣に夫子之言と言えば、則ち是れ居常に之を語[つ]げしなり。聖門の學者は仁を以て己が任と爲し、苟も知るを以て得ると爲さず、必ず了悟を以て聞と爲す。因りて是の說有り。
致知18
義理の學は、亦須く深沈なるべくして、方に造[いた]ること有り。淺易輕浮の得可きに非ず。
致知19
學びて事理を推究すること能わざるは、只是れ心麤[そ]なればなり。顏子未だ聖人の處に至らざるが如きに至りても、猶是れ心麤なるなり。
致知20
博く文を學ぶ者は、只習坎の心亨るを得んことを要す。蓋し人は險阻艱難を經歴して、然して後に其の心亨通す。
致知21
義理に疑い有らば、則ち舊見を濯去して、以て新意を來せ。心中に開く所有らば、卽ち便ち箚記せよ。思わずんば則ち還[また]之を塞がん。更に須く朋友の助けを得べし。一日の閒、意思差[やや]別なり。須く日日此の如く講論せよ。久しくんば則ち自ら進むを覺えん。
致知22
凡そ思いを致し、說き得ざる處に到りて、始めて復審思明辨せば、乃ち善く學ぶと爲す。告子の若きは則ち說き得ざる處に到れば遂に已み、便に復求めず。
致知23
伊川先生曰く、凡そ文字を看るには、先ず須く其の文義を曉らかにすべく、然して後に其の意を求む可し。未だ文義曉らかならずして意を見る者有らざるなり、と。
致知24
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學者は自得するを要す。六經は浩渺[こうびょう]にして、乍來[さらい]盡く曉らかにし難し。且く路徑を見得て後、各自に一箇の門庭を立て得、歸りて之を求めば、可なり。
致知25
凡そ文字を解くに、但其心を易[やすら]かにすれば、自ら理を見る。理は只是れ人理のみ甚だ分明なり。一條の平坦なる道路の如し。詩に曰く、周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、と。此の謂なり。或ひと曰く、聖人の言は、恐らく淺近を以て他[かれ]を看る可からざらん、と。曰く、聖人の言は自ら近き處有り、自ら深遠なる處有り。近き處の如き、怎生[いかん]ぞ鑿ちて深遠ならしむることを強い要め得ん。揚子曰く、聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し、と。頤與[ため]に之を改めて曰わん、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し、と。
致知26
學者の文義に泥まざる者は、又全く背卻して遠く去る。文義を理會する者は、又滯泥して通ぜず。子濯孺子將爲るの事の如き、孟子は只其の師に背かざる意を取るのみ。人は上面に就きて君に事うる道如何を理會せんことを須[もと]む。又萬章が舜の廩を完[おさ]め井を浚[さら]いし事を問うが如き、孟子は只他[かれ]に大意を答えしのみ。人は井を浚いしとき如何にして出で得來りしや、廩を完むるに又怎生[いか]にして下り得來りしやを理會せんと須要す。此の若き學は、徒に心力を費さんのみ。
致知27
凡そ書を觀るに、相類するを以て其の義に泥む可からず。爾[しか]らずんば、則ち字字相梗[こう]す。當に其の文勢上下の意を觀るべし。充實を之れ美と謂うが如き、詩の美と同じからず。
致知28
問う、瑩中嘗て文中子を愛す。或ひと易を學ぶを問う。子曰く、終日乾乾たらば可なり、と。此の語最も盡くせり。文王聖たる所以も、亦只是れ箇[こ]の已まざることのみ。先生曰く、凡そ經義を說くに、如し只管節節推し上り去[ゆ]かば、是れ盡くるを知る可し。夫の終日乾乾は、未だ易を盡くし得ず。此の一句に據らば、只做[な]して九三を得て使うのみ。若し乾乾は是れ已まざるなり、已まざるは又是れ道なりと謂い、漸漸に推し去かば、自然に是れ盡きん。只是れ理は此の如くならず、と。
致知29
子川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きかな、と。道の體の此の如くなるを言えり。這[こ]の裏に須く是れ自ら見得べし。張繹曰く、此は便ち是れ窮まり無きことなり、と。先生曰く、固より是れ窮まり無きを道[い]えり。然れども怎生[いかん]ぞ一箇の窮まり無きこと、便ち他[かれ]を道い了わり得ん、と。
致知30
今の人は書を讀むを會ず。詩三百を誦するも、之に授くるに政を以てして、達せず、四方に使して、專對すること能わず、多しと雖も亦奚ぞ以て爲さんというが如し。須く是れ未だ詩を讀まざる時には、政に達せず、專對すること能わざるも、旣に詩を讀みし後には、便ち政に達し、能く四方に專對すべくして、始めて是れ詩を讀みしなり。人にして周南・召南を爲[おさ]めずんば、其れ猶正しく牆に面するがごとし。須く是れ未だ詩を讀まざる時は、牆に面するが如くなるも、讀み了わりし後に到りては、便ち牆に面せざるべくして、方[はじ]めて是れ驗有るなり。大抵書を讀むには只此のみ便ち是れ法なり。論語を讀むが如き、舊時未だ讀まざるに、是れ這箇[しゃこ]の人なり。讀み了わるに及び、後來又只是れ這箇の人なるは、便ち是れ曾て讀まざるなり。
致知31
凡そ文字を看るに、七年・一世・百年の事の如き、皆當に其の如何に作爲さるるかを思うべし。乃ち益有らん。
致知32
凡そ經を解くに、同じからざるも害無し。但緊要の處は、同じからざる可からず。
致知33
焞初めて到りしとき、學を爲すの方を問う。先生曰く、公學を爲すを知らんことを要めば、須く是れ書を讀むべし。書は多く看るを必とせず、其の約を知らんことを要す。多く看るも其の約を知らざれば、書肆のみ。頤少[わか]き時書を讀みて多きを貪るに緣り、如今忘れしこと多し。須く是れ聖人の言語を將[もっ]て玩味し、心に入れて記著[きちゃく]すべし。然して後に力め去[ゆ]いて之を行わば、自ら得る所有らん。
致知34
初學の德に入る門は、大學に如くは無し。其の他は語・孟に如くは莫し。
致知35
學ぶ者は先ず須く語・孟を讀むべし。語・孟を窮め得ば、自ら要約の處有り。此を以て他の經を觀ば、甚だ力を省く。語・孟は丈尺權衡と相似たり。此を以て去[ゆ]いて事物を量度せば、自然に長短輕重を見得。
致知36
論語を讀む者は、但諸弟子の問いし處を將[もっ]て便ち己の問と作[な]し、聖人の答えし處を將て便ち今日の耳聞と作さば、自然に得る有り。若し能く論・孟中に於て深く求めて玩味せば、將來涵養して甚生の氣質を成さん。
致知37
凡そ語・孟を看るに、且く須く熟讀玩味すべし。聖人の言語を將[もっ]て己に切ならしめよ。只一場の話と作して說く可からず。人只此の二書を看得て己に切ならしめば、身を終うるまで儘[きわ]めて多からん。
致知38
論語には讀み了わりて後全く事無き者有り、讀み了わりて後其の中に一兩句を得て喜ぶ者有り、讀み了わりて後之を好むことを知る者有り、讀み了わりて後手の舞い足の蹈むを知らざる者有り。
致知39
學者は當に論語・孟子を以て本と爲すべし。論語・孟子旣に治まれば、則ち六經は治めずして明らかなる可し。書を讀む者は、當に聖人の經を作りし所以の意と、聖人の心を用いし所以と、聖人の聖人に至りし所以と、而して吾の未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者とを觀るべし。句句にして之を求め、晝誦して之を味い、中夜にして之を思い、其の心を平かにし、其の氣を易[やすら]かにし、其の疑いを闕かば、則ち聖人の意見[あらわ]れん。
致知40
論語・孟子を讀みて道を知らざるは、謂う所の多しと雖も亦奚[なに]を以て爲さん。
致知41
論語・孟子は、只剩讀し著[つ]くれば、便ち自ら意足る。學者は須く是れ玩味すべし。若し語言を以て解し著くれば、意便ち足らず。某始め此の二書の文字を作り、旣にして之を思えば、又剩[あま]れるに似たり。只些かの先儒の錯會せし處有らば、卻って與[ため]に整理し過ぐるを待たん。
致知42
問う、且く語・孟の緊要の處を將[もっ]て看るは、如何、と。伊川曰く、固より是れ好し。然れども若[たと]い得ること有るも、終に浹洽ならず。蓋し吾が道は釋氏の如く、一見し了わりて便ち空寂に從い去[ゆ]くものに非ず、と。
致知43
詩に興るとは、性情を吟詠し、道德の中に涵暢して、之に歆動するなり。吾點に與せんの氣象有り。
又云く、詩に興るとは、是れ人の善意を興起するなり。汪・洋・浩・大は皆是れ此の意なり。
致知44
謝顯道云う、明道先生は善く詩を言う。他[かれ]は又渾[すべ]て曾て章解句釋せず。但優游玩味し、吟哦上下して、便ち人をして得る處有らしむるのみ。彼の日月を瞻[み]て、悠悠として我思う。道の伝[ここ]に遠ければ、曷[なん]ぞ云に能く來らん、と。之を思うこと切なるなり。終わりに曰く、百[およ]そ爾君子、德行を知らざらんや。忮[そこな]わず求めずんば、何を用て臧[よ]からざらん、と。正しきに歸するなり、と。
又云う、伯淳嘗[つね]に詩を談ずるに、竝びに一字の訓詁をも下さず。時有りて只一兩字を轉卻し、點掇地[てんてつち]に念じ過ぎ、便ち人をして省悟せしむ、と。又曰く、古人の之に親炙するを貴ぶ所以なり、と。
致知45
明道先生曰く、學者は以て詩を看ざる可からず。詩を看れば、便ち人をして長ずること一格價ならしむ、と。
致知46
文を以て辭を害せず。文は、文字の文なり。一字を擧ぐれば則ち是れ文にして、句を成せば是れ辭なり。詩は、解を爲すに一字行[や]らずんば、卻って他[かれ]に遷就して說け。有周顯れざらんやの如き、自ら是れ文を作るには當に此の如くなるべし。
致知47
書を看るには、須く二帝三王の道を見るを要すべし。二典の如き、卽ち堯の民を治めし所以、舜の君に事へし所以を求めよ。
致知48
中庸の書は、是れ孔門の傳授にして、子思・孟子に成る。其の書は是れ雜記なりと雖も、更に精粗を分かたず、一兗に說き了る。今の人は道を語るに、多くは高きを說けば便ち卑きを遺卻し、本を說けば便ち末を遺卻す。
致知49
伊川先生の易傳の序に曰く、易は變易なり。時に隨って變易し以て道に從うなり。其の書爲[た]るや、廣大悉く備る。將に以て性命の理に順い、幽明の故に通じ、事物の情を盡して、開物成務の道を示さんとす。聖人の後世を憂患する、至れりと謂う可し。古を去ること遠しと雖も、遺經は尙存す。然り而して前儒は意を失いて以て言を傳え、後學は言を誦して味を忘る。秦より而下、蓋し傳無し。予千載の後に生まれ、斯文の湮晦[いんかい]せるを悼み、將に後人をして流に沿いて源を求めしめんとす。此れ傳の作られし所以なり。易に聖人の道四つ有り。以て言う者は其の辭を尙び、以て動く者は其の變を尙び、以て器を制する者は其の象を尙び、以て卜筮する者は其の占を尙ぶ。吉凶消長の理、進退存亡の道は、辭に備わる。辭を推し卦を考えなば、以て變を知るべし。象と占とは其の中に在り。君子は居れば則ち其の象を觀て其の辭を玩び、動けば則ち其の變を觀て其の占を玩ぶ。辭を得て其の意に逹せざる者は有り。未だ辭に得ずして能く其の意に通ずる者有らざるなり。至って微かなる者は理なり。至って著れたる者は象なり。體用は源を一にし、顯微は閒無し。會通を觀て以て其の典禮を行うは、則ち辭備えざる所無し。故に善く學ぶ者は言を求むるに必ず近きよりす。近くを易[あなど]る者は言を知る者に非ず。予の傳する所の者は辭なり。辭に由りて以て意を得るは、則ち人に存す、と。
致知50
伊川先生の張閎中に答うる書に曰く、易傳の未だ傳えられざるは、自ら量るに精力未だ衰えず、尙少しく進むこと有るを覬[ねが]えばなり。來書に云う、易の義は本數より起る、と。則ち非なり。理有りて而る後に象有り、象有りて而る後に數有り。易は象に因りて以て理を明らかにし、象に由りて以て數を知る。其の義を得ば、則ち象數其の中に在らん。
理は形無し。故に象に因りて以て理を明らかにす。理旣に辭に見るれば、則ち辭に由りて以て象を觀る可し。故に曰く、其の義を得ば、則ち象數其の中に在り、と。必ず象の隱微を窮め、數の毫忽を盡くさんと欲せば、乃ち流を尋ね末を逐う。術家の尙ぶ所なるも、儒者の努むる所に非ず、と。
致知51
時を知り勢いを識るは、易を學ぶ大方なり。
致知52
大畜の初・二は、乾體にして剛健なれども、以て進むに足らず。四・五は陰柔にして能く止まる。時の盛衰、勢いの強弱は、易を學ぶ者の宜しく深く識るべき所なり。
致知53
諸卦の二・五は、位に當たらずと雖も、多く中するを以て美と爲す。三・四は位に當たると雖も、或は中せざるを以て過ぎたりと爲す。中は常に正よりも重し。蓋し中せば則ち正に違わず、正は必ずしも中せざればなり。天下の理として中するより善きは莫し。九二・六五に於て見る可し。
致知54
問う、胡先生は九四を解きて太子と作す。恐らくは是れ卦の義にあらず、と。先生云う、亦妨げず。只如何に用いるかを看よ。儲貳[ちょじ]に當たらば則ち儲貳と做して使う。九四は君に近ければ、便ち儲貳と作すも亦害あらず。但一に拘するを要せず。若し一事に執せば、則ち三百八十四爻は、只三百八十四件の事と作り得て、便ち休む。
致知55
易を看るには、且く時を知るを要す。凡そ六爻は人人に用有り。聖人には自ら聖人の用有り、賢人には自ら賢人の用有り、衆人には自ら衆人の用有り、學者には自ら學者の用有り、君には君の用有り、臣には臣の用有り。通ぜざる所無し。因りて問う、坤卦は是れ臣の事なり。人君に用うる處有りや否や、と。先生曰く、是れ何ぞ用無からん。厚德もて物を載せるが如き、人君安んぞ用いざる可けん、と。
致知56
易の中は只是れ反復・往來・上下を言うのみ。
致知57
易を作りしとき、天地幽明より、昆蟲草木の微物に至るまで、合わざるは無し。
致知58
今時の人は易を看るに、皆易は是れ何物なるかを識得せず、只上へ就きて穿鑿するのみ。若し念じ得て熟せずんば、與[ため]に上に就きて一德を添うるも、亦多きを覺えず、上に就きて一德を減らすも、亦少なきを覺えず。譬えば此の丌子を識らざるが如し。若し一隻の脚を減らすも、亦是れ少なきを知らず、若し一隻を添うるも、亦是多きを知らず。若し識らば則ち自ら添減し得ざらん。
致知59
游定夫伊川に陰陽測られざるを之れ神と謂うを問う。伊川曰く、賢は是れ疑い了わりて問えるや、是れ難き底[もの]を揀[えら]びて問えるや、と。
致知60
伊川易傳を以て門人に示して曰く、只說き得ること七分なれば、後人更に須く自ら體究すべし、と。
致知61
伊川先生の春秋傳序に曰く、天の民を生ずる、必ず類を出づる才、起こりて之に君長たる有り。之を治むれば爭奪息[や]み、之を導けば生養遂げ、之を敎うれば倫理明らかなり。然る後に人道立ち、天道成り、地道平かなり。二帝より上は、聖賢世々出で、時に隨いて作すこと有り。風氣の宜しきに順い、天に先んじて以て人を開かず、各々時に因りて政を立つ。三王迭[たが]いに興り、三重旣に備わるに曁[およ]び、子・丑・寅は正を建て、忠・質・文は更々[こもごも]尙ばれ、人道備わり、天運周し。聖王旣に復作らず、天下を有つ者、古の跡に倣わんと欲すと雖も、亦私意妄爲のみ。事の繆[あやま]れる、秦は建亥を以て正と爲すに至る。道の悖[あやま]れる、漢は專ら智力を以て世を持す。豈復先王の道を知らんや。夫子は周の末に當たり、以[おも]えらく聖人復作らず、天に順い時に應ずる治復有らず、と。是に於て春秋を作り、百王不易の大法と爲せり。謂う所の諸を三王に考えて繆らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑い無く、百世以て聖人を俟ちて惑わざる者なり。先儒の傳に曰く、游・夏も一辭を贊すること能ず。辭は贊するを待たず。斯に與ること能わざるを言えるのみ。斯の道や、惟顏子のみ嘗て之を聞けり。夏の時を行い、殷の輅に乘り、周の冕を服す。樂は則ち韶舞なり、と。此れ其の準的なり。後世史を以て春秋を視て、善を褒め惡を貶[けな]すと謂うのみ。經世の大法に至りては、則ち知らざるなり。春秋の大義は數十なり。其の義大なりと雖も、炳[あき]らかなること日星の如く、乃ち見易し。惟其の微辭隱義、時措の宜しきに從う者は、知り難しと爲す。或は抑え或は縦[はな]ち、或は與え或は奪い、或は進め或は退け、或は微かにし或は顯わにす。而して義理の安き、文質の中なる、寬猛の宜しき、是非の公なるを得たるは、乃ち事を制する權衡にして、道を揆[はか]る模範なり。夫れ百物を觀て、然して後に化工の神を識り、衆材を聚めて、然して後に室を作る用を知る。一事一義に於て、聖人の心を用うるを窺わんと欲せば、上智に非ずんば能わざるなり。故に春秋を學ぶ者は、必ず優游涵泳し、默識心通して、然して後に能く其の微に造[いた]るなり。後王春秋の義を知らば、則ち德は禹・湯に非ずと雖も、尙以て三代の治に法[のっと]る可し。秦よりして下、其の學傳わらず。予夫[か]の聖人の志後世に明らかならざるを悼む。故に傳を作りて以て之を明らかにし、後の人をして其の文に通じて其の義を求めしむ。其の意を得て其の用に法らば、則ち三代は復す可し。是の傳や、未だ聖人の蘊奧を極むこと能わずと雖も、學者の其の門を得て入るに庶幾[ちか]からん。
致知62
詩・書は道を載する文にして、春秋は聖人の用なり。詩・書は藥方の如く、春秋は藥を用いて病を治むるが如し。聖人の用は、全く此の書に在り。謂う所の之を行事に載することの深切著明なるに如かざる者なり。重疊して言う者有り、征伐盟會の類の如し。蓋し書を成さんと欲せば、勢い須く此の如くなるべし。事事各々異義を求む可からず。但し一字に異なること有り、或は上下の文異ならば、則ち義は須く別なるべし。
致知63
五經の春秋有るは、猶法律の斷例有るがごとし。律令は唯其の法を言うのみ。斷例に至れば、則ち始めて其の法の用を見る。
致知64
春秋を學ぶも亦善し。一句は是れ一事にして、是非は便ち此に見る。此れ亦理を窮むる要なり。然れども他經豈以て理を窮む可からざらん。但他經は其の義を論じ、春秋は其の行事に因りて、是非較[こと]に著らかなり。故に理を窮むるに要と爲す。嘗て學者に語げん、且く先ず論語・孟子を讀み、更に一經を讀みて、然して後に春秋を看よ。先ず箇の義理を識り得て、方[はじ]めて春秋を看る可し、と。春秋は何を以て準と爲す。中庸に如くは無し。中庸を知らんと欲せば、權に如くは無し。須く是れ時にして中を爲すべし。若し手足胼胝[へんてい]すると戶を閉じて出でざるとの二者の閒を以て中を取らば、便ち是れ中ならず。若し當に手足胼胝すべくんば、則ち此に於て中を爲せ。當に戶を閉じて出でざるべくんば、則ち此に於て中を爲せ。權の言爲る、秤錘の義なり。何物をか權と爲す。義なり。時なり。只是れ義に到ると說き得るのみ。義以上は更に說き難し。人の自ら看ること如何に在り。
致知65
春秋は、傳を按と爲し、經を斷と爲す。
又云う、某年二十の時に春秋を看る。黄聱隅某に如何にして看るかを問う。某答えて曰く、傳を以て經の事迹を考え、經を以て傳の眞僞を別く、と。
致知66
凡そ史を讀むには、徒[ただ]に事迹を記するを要するのみならず、須く其の治亂安危・興廢存亡の理を識るを要すべし。且く高帝紀を讀むが如き、便ち須く漢家四百年の終始治亂は當に如何なるべきかを識り得べし。是も亦學なり。
致知67
先生史を讀みて一半に到る每に、便ち卷を掩いて思量し、其の成敗を料りて、然して後卻って看る。合わざる處有れば、又更に精思す。其の閒に多く幸にして成り、不幸にして敗るる有り。今人は只成る者を見れば、便ち以て是と爲し、敗るる者は便ち以て非と爲す。成る者に煞[はなは]だ是ならざる有り、敗るる者に煞だ是なる底[もの]有るを知らざるなり。
致知68
史を讀むには、須く聖賢存する所の治亂の機、賢人君子の出處進退を見るべし。便ち是れ格物なり。
致知69
元祐中、客に伊川に見ゆる者有り。几案の閒他書無く、惟印行の唐鑑一部のみ。先生曰く、近ごろ方[はじ]めて此の書を見たり。三代以後、此の議論無し、と。
致知70
横渠先生曰く、序卦は聖人の蘊に非ずと謂う可からず。今一物を安置せんと欲するも、猶審らかに處せんことを求む。況や聖人の易に於るや。其の閒極至の精義無しと雖も、大概皆意思有り。聖人の書を觀るには、須く遍布細密なること是の如くなるべし。大匠は豈一斧を以て知る可けんや。
致知71
天官の職は、須く襟懷の洪大なるべくして、方[はじ]めて看得。蓋し其の規模至大なればなり。若し此の心を得ず、事事上に曲を致して窮究し、此の心に湊合して是の如く大ならしめんと欲せば、必ず得ること能わざるなり。釋氏の天地を錙銖とするは、至って大なりと謂う可し。然れども嘗て大なることを爲さざれば、則ち事を爲し得ず。若し之に一錢を畀[あた]えば、則ち必ず亂れん。又曰く、太宰の職は看難し。蓋し許大なる心胸の包羅無くんば、此を記し得て、復彼を忘るればなり。其の混混たる天下の事は、當に龍蛇を捕え虎豹を搏[う]つが如くなるべし。心力を用いて看ば、方めて可なり。其の他の五官は便ち看易し。一職に止まればなり。
致知72
古人能く詩を知る者は惟孟子のみ。其の意を以て志を逆[むか]えるが爲なり。夫れ詩人の志は至って平易なれば、艱險を爲して之を求むるを必とせず。今艱險を以て詩を求めば、則ち已に其の本心を喪えり。何に由りてか詩人の志を見ん。
詩人の性情は、溫厚平易老成なり。本平地上に言語を道著す。今須[しばら]く崎嶇を以て之を求めば、先ず其の心已に狭隘なり。則ち見得るに由無し。詩人の情は本樂易なり。只時事の他[かれ]の樂易の性に拂著するが爲に、故に詩を以て其の志を道[い]う。
致知73
尙書は看難し。蓋し胸臆の此の如く大なるを得難ければなり。只義を解かんと欲するのみならば、則ち難きこと無し。
致知74
書を讀むこと少なくんば、則ち由りて義を考校し得ること精しき無し。蓋し書は以て此の心を維持するなり。一時放下すれば、則ち一時德性懈ること有り。書を讀めば則ち此の心常に在り、書を讀まざれば則ち終に義理を看見[あらわ]さず。
致知75
書は須く誦を成すべし。精思するは多く夜中に在り。或は靜坐して之を得。記せずんば則ち思い起さず。但大原を通貫し得て後、書も亦記し易し。書を觀る所以の者は、己の疑いを釋[と]き、己の未だ達せざるを明らかにするなり。見る每に每[つね]に新たに益すを知らば、則ち學進まん。疑わしからざる處に於て疑い有りて、方[はじ]めて是れ進むなり。
致知76
六經は須く循環して理會すべし。義理は儘[まった]く窮まり無し。自家長じ得ること一格なるを待たば、則ち又見得ること別ならん。
致知77
中庸の文字輩[など]の如き、直[ただ]須く句句理會し過ぎ、其の言をして互いに相發明せしむべし。
致知78
春秋の書は、古に在りては有ること無し。乃ち仲尼の自ら作る所なり。惟孟子のみ能く之を知る。理明らかに義精しきに非ずんば、殆ど未だ學ぶ可からず。先儒未だ此に及ばずして之を治む。故に其の說多く鑿す。
TOP
存養1
或ひと問う、聖は學ぶ可きか、と。濂渓先生曰く、可なり、と。要有りや、と。曰く、有り、と。請問す、と。曰く、一を要と爲す。一とは無欲なり。無欲ならば則ち靜なるとき虛にして動なるとき直なり。靜なるとき虛ならば則ち明らかに、明らかなれば則ち通ず。動くとき直ならば則ち公にして、公ならば則ち溥[あまね]し。明通公溥ならば、庶からん、と。
存養2
伊川先生曰く、陽の始めて生ずるや甚だ微なり。安靜にして而して後に能く長ず。故に復の象に曰く、先王は以て至日に關を閉ず、と。
存養3
動息節宣は、以て生を養うなり。飮食衣服は、以て形を養うなり。威儀行義は、以て德を養うなり。己を推して物に及ぼすは、以て人を養うなり。
存養4
言語を愼みて以て其の德を養い、飮食を節して以て其の體を養う。事の至って近くして繋る所の至って大なる者は、言語・飮食に過ぎたるは莫し。
存養5
震驚すること百里なるも、匕鬯[ひちょう]を喪わず。大いに震懼するに臨み、能く安んじて自ら失わざる者は、惟誠敬のみ。此れ震に處する道なり。
存養6
人の其の止まるところに安んずること能わざる所以の者は、欲に動かさるればなり。欲前に牽きて其の止まるを求むるは、得可からざるなり。故に艮の道は、當に其の背に艮[とど]まるべし。見る所の者は前に在りて、背は乃ち之に背く、是れ見えざる所なり。見えざる所に止まらば、則ち欲の以て其の心を亂すこと無くして、止まること乃ち安し。其の身を獲ずとは、其の身を見ざるなり。我を忘るるを謂うなり。我無くんば則ち止まる。我無きこと能わずんば、止まる可き道無し。其の庭に行きて、其の人を見ず。庭除の閒は、至って近し。背に在らば、則ち至って近しと雖も見えず。物に交らざるを謂うなり。外は物接せず、内は欲萌さず。是の如くにして止まらば、乃ち止まる道を得、止まるに於て咎无しと爲す。
存養7
明道先生曰く、若し存養すること能わずんば、只是れ說話のみ、と。
存養8
聖賢の千言萬語は、只是れ人已に放たれし心を將[もっ]て、之を約し反復して身に入り來らしめんことを欲す。自ら能く尋ね向上し去[ゆ]かば、下學して上達せん。
存養9
李籲[りやく]問う、每常事に遇えば、卽ち能く操存の意を知る。事無き時は、如何にして存養し得熟さん、と。曰く、古の人、耳の樂に於る、目の禮に於る、左右起居、盤・盂・几・杖、銘有り戒有り。動息皆養う所有り。今皆此を廢せり。獨り理義の心を養う有るのみ。但此の涵養の意を存せよ。久しくんば則ち自ら熟せん。敬以て内を直くするは、是れ涵養の意なり、と。
存養10
呂與叔嘗て言う、思慮多くして、驅除すること能わざるを患う、と。曰く、此れ正に破屋中に寇を禦ぐが如し。東面より一人來りて未だ逐い得ざるに、西面より又一人至る。左右前後、驅逐して暇あらず。蓋し其の四面空疎なれば、盜は固より入り易く、緣りて主と作り得定まること無ければなり。又虛器の水に入るが如し。水は自然に入る。若し一器を以[もち]い、之を實[みた]すに水を以てして、之を水中に置かば、水何ぞ能く入り來らん。蓋し中に主有らば則ち實ち、實たば則ち外患入る能わず、自然に事無からん、と。
存養11
邢和叔言う、吾が曹は常に須く精力を愛養すべし。精力稍[やや]足らざれば則ち倦み、臨む所の事は皆勉強して誠意無し。賓客に接する語言にすら尙見る可し。況んや大事に臨みてをや、と。
存養12
明道先生曰く、學者は此の心を全體せよ。學未だ盡くさずと雖も、若し事物來らば、應ぜざる可からず。但分限に隨いて之に應ぜば、中らずと雖も遠からじ、と。
存養13
居處には恭しく、事を執りては敬み、人と忠なり。此は是れ徹上徹下の語なり。聖人には元より二語無し。
存養14
伊川先生曰く、學者は須く敬して此の心を守るべく、急迫にす可からず。當に栽培すること深厚にして、其の閒に涵泳すべく、然して後に以て自得す可し。但し急迫に之を求めば、只是れ私己のみにして、終に以て道に逹するに足らず、と。
存養15
明道先生曰く、思邪無し。敬せざる毋かれ。只此の二句のみ、循いて之を行わば、安得[いずく]んぞ差い有らん。差い有る者は、皆敬せず正しからざるに由る、と。
存養16
今の學者は、敬すれども見得ず、又安からざる者は、只是れ心生なればなり。亦是れ太だ敬を以ち來り事と做[な]し得て重ければなり。此れ恭しくして禮無くんば則ち勞することなり。恭とは私に恭を爲す恭なり。禮とは體に非ざる禮にして、是れ自然底の道理なり。只恭しくして自然底の道理を爲さず、故に自在ならざるなり。須く是れ恭しくして安らかなるべし。今容貌必ず端[ただ]しく、言語必ず正しき者は、是れ獨り其の身のみ善くし、人に如何と道[い]うを要[もと]むるを道うに非ず。只是れ天理合[まさ]に此の如くなるべく、本より私意無し。只是れ箇の理に循うのみ。
存養17
今義理に志して心安樂せざる者は何ぞや。此れ則ち正[まさ]に是れ一箇の之が長ずるを助くるを剩すなり。則ち心は之を操らば則ち存し、之を舍てなば則ち亡ぶと雖も、然れども之を持すること太甚[はなはだ]しくんば、便ち是れ必ず事とする有りて之を正[あらかじ]めするものなり。亦須く且く恁[かくのごと]く去[ゆ]くべし。此の如き者は只是れ德孤なればなり。德は孤ならず、必ず鄰有り。德の盛なるに到りし後、自ら窒礙無く、左右其の原[みなもと]に逢わん。
存養18
敬にして失うこと無きは、便ち是れ喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂うものなり。敬は中と謂う可からず。但し敬にして失うこと無きは、卽ち中なる所以なり。
存養19
司馬子微は嘗て坐忘論を作れり。是れ謂う所の坐馳なり。
存養20
伯淳昔長安の倉中に在りて閒坐す。長廊の柱を見、意を以て之を數う。已[お]えしとき尙疑わず。再び之を數えしに合わず。人をして一一聲言して之を數えしむるを免れず。乃ち初に數えし者と差い無し。則ち越[いよいよ]心を著[つ]けて把捉すれば、越定まらざるを知る。
存養21
人心の主と作[な]り定まらざるは、正に一箇の翻車の如し。流轉動揺して、須臾の停まること無し。感ずる所萬端なれば、若し一箇の主を做[な]さずんば、怎生[いかん]ぞ奈何にせん。張天祺昔嘗て言へり、自ら數年を約し、牀に上著してより、便ち事を思量するを得ず。事を思量せざる後、須く強いて他[か]の這[こ]の心を把[と]り來りて制縛すべし。亦須く寄寓して一箇の形象に在らしむべし、と。皆自然に非ず。君實自ら謂う、吾術を得たり。只管箇の中の字を念ず、と。此れ又中の繋縛する所と爲りしなり。且つ中は亦何の形象あらん。人有り胸中に常に兩人有るが若し。善を爲さんと欲せば、惡有りて以て之が閒を爲すが如く、不善を爲さんと欲せば、又羞惡の心有る者の若し。本二人無し。此れ正に交戰の驗なり。其の志を持し氣をして亂すこと能わざらしむるは、此れ大いに驗ある可し。之を要するに聖賢は必ず心疾に害われず。
存養22
明道先生曰く、某字を寫す時甚だ敬むは、是れ字の好きを要むるに非ず、只此のみ是れ學なればなり。
存養23
伊川先生曰く、聖人事を記[しる]さんとせず、所以に常に記し得。今人の事を忘るるは、其の事を記さんとするを以てなり。事を記すこと能わず、事を處すること精[くわ]しからざるは、皆養うことの完固ならざるに出づ、と。
存養24
明道先生澶州に在りし日、橋を脩むるに、一長梁を少[か]けり。曾て博く之を民閒に求む。後出入するに因り、林木の佳なる者を見れば、必ず計度の心を起せり。因って語りて以て學者を戒む、心に一事有つ可からず、と。
存養25
伊川先生曰く、道に入るには敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる者有らず。今の人は心を主とし定めず、心を視ること寇賊の如くにして制す可からず。是れ事心を累わすにあらずして、乃ち是れ心事を累わすなり。當に天下に一物として是れ少[か]き得合[べ]き者無きを知るべし。惡む可からざるなり、と。
存養26
人には只一箇の天理有るのみなるに、卻って存し得ること能わず。更に甚[いか]なる人と做[な]らん。
存養27
人の思慮多く、自ら寧んずること能わざるは、只是れ他[か]の心の主と做[な]り定まらざればなり。心の主と作[な]り得て定まらんことを要めば、惟是れ事に止まるのみ。人君と爲りては仁に止まるの類なり。舜の四凶を誅せしが如き、四凶已に惡を作せば、舜從いて之を誅せり。舜何ぞ與らん。人の事に止まらざるは、只是れ他の事を攬[と]り、物をして各々物に付せしむること能わざればなり。物各々物に付するは、則ち是れ物を役するなり。物の役する所と爲るは、則ち是れ物に役せらるるなり。物有れば必ず則有り。須く是れ事に止まるべし。
存養28
人を動かすこと能わざるは、只是れ誠至らざればなり。事に於て厭倦するは、皆是れ誠無き處なり。
存養29
靜かなる後に萬物を見れば、自然に皆春意有り。
存養30
孔子仁を言うに、只門を出でては大賓を見るが如く、民を使うには大祭を承[う]くるが如しと說くのみ。其の氣象を看れば、便ち須く心廣く體胖かに、動容周旋禮に中りて自然なるべし。惟愼獨のみ便ち是れ之を守る法なり。聖人は己を脩むるに敬を以てし、以て百姓を安んず。篤恭にして天下平かなり。惟上下恭敬に一ならば、則ち天地自ら位し、萬物自ら育われ、氣和せざること無し。四靈何ぞ至らざること有らん。此れ信を體し順を達する道にして、聰明睿知皆是より出づ。此を以て天に事え帝を饗するなり。
存養31
存養の熟せし後、泰然として行い將[も]て去[ゆ]かば、便ち進むこと有らん。
存養32
屋漏に愧じざれば、則ち心安らかに體舒[の]ぶ。
存養33
心は腔子の裏に在るを要す。只外面に些かの隙罅[げきか]有らば、便ち走らん。
存養34
人心常に活きんことを要めば、則ち周流して窮まり無く、一隅に滯らじ。
存養35
明道先生曰く、天地位を設けて易其の中に行わるるは、只是れ敬なればなり。敬なれば則ち閒斷無し、と。
存養36
敬せざること毋ければ、以て上帝に對す可し。
存養37
敬は百邪に勝つ。
存養38
敬にして以て内を直くし、義にして以て外を方[ただ]しくするは、仁なり。若し敬を以て内を直くせば、則ち便ち直からず。必ず事有りて正[あらかじ]めすること勿くんば、則ち直し。
存養39
涵養すれば、吾一なり。
存養40
子川の上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きかな。晝夜を舍かず、と。漢より以來、儒者は皆此の義を識らず。此れ聖人の心、純にして亦已まざるを見[しめ]すなり。純にして亦已まざるは、天の德なり。天の德有らば、便ち王道を語る可し。其の要は只愼獨に在り。
存養41
躬を有[たも]たず、利ろしき攸無し。己を立てざれば、後に好事に向かうと雖も、猶物に化し得ず、天下萬物を以て己を撓[たわ]むると爲す。己立ちて後、自ら能く天下萬物を了當し得ん。
存養42
伊川先生曰く、學者は心慮紛亂し、寧靜能わざるを患う。此れ則ち天下の公病なり。學者は只箇の心を立つるを要す。此の上頭に儘[まった]く商量有り、と。
存養43
邪を閑[ふせ]げば則ち誠自ら存す。是れ外面より一箇の誠を捉え將[も]て來りて存著するにあらず。今人は外面不善に役役とし、不善中に於て箇の善を尋ね來りて存著す。此の如くんば則ち豈善に入る理有らん。只是れ邪を閑げば則ち誠自ら存するなり。故に孟子性善を言うに皆内より出づるは、只誠ならば便ち存するが爲なり。邪を閑ぐに更に甚[いか]なる工夫を著[つ]けん。但惟[ただ]是れ容貌を動かし、思慮を整うれば、則ち自然に敬を生ず。敬は只是れ一を主とするなり。一を主とせば、則ち旣に東に之かず、又西に之かず。是の如くんば、則ち只是れ中なり。旣に此に之かず、又彼に之かず。是の如くんば、則ち只是れ内なり。此を存せば則ち自然に天理明らかなり。學者は須く是れ敬にして以て内を直くするを將[もっ]て此の意を涵養すべし。内を直くするは是れ本なり。
尹彦明曰く、敬甚[なん]の形影ありや。只身心を収斂せよ。便ち是れ主一。且つ人神祠の中に到りて敬を致す時、其の心を収斂して、更に毫髪の事を著け得ざるが如き、主一に非らずして何ぞや。
存養44
邪を閑[ふせ]がば則ち固より一なり。然れども一を主とせば則ち邪を閑ぐと言うを消[もち]いず。一を以て見難しと爲し、工夫を下す可からず、如何というもの有り。一とは他無し。只是れ整齊嚴肅ならば、則ち心便ち一なり。一ならば則ち自ら是れ非僻の干[おか]す無し。此の意[こころ]は但涵養すること之を久しくせば、則ち天理自然に明らかなり。
存養45
未だ感せざる時、何[いずく]か寓する所なるを知ると言うもの有り。曰く、操[と]れば則ち存し、舍[お]けば則ち亡ぶ。出入に時無く、其の郷を知ること莫し。更に怎生[いかん]ぞ寓する所を尋ねん。只是れ操ること有るのみ。之を操る道は、敬以て内を直くすることなり。
存養46
敬なれば則ち自ら虛靜なり。虛靜を把り敬と喚び做[な]す可からず。
存養47
學者の先務は、固より心志に在り。然れども聞見知思を屛去せんと欲すと謂うもの有らば、則ち是れ聖を絶ち智を棄つるなり。思慮を屛去せんと欲して、其の紛亂を患うるもの有らば、則ち須く坐禪入定すべし。如し明鑑此に在らば、萬物畢[ことごと]く照らさる。是れ鑑の常なり。之をして照らさざらしむを爲し難し。人心は萬物に交感せざること能わず。之をして思慮せざらしむるを爲し難し。若し此を免れんと欲せば、惟是れ心に主有るのみ。如何なるを主と爲す。敬ならんのみ。主有らば則ち虛なり。虛とは邪の入ること能わざるを謂う。主無くんば則ち實なり。實とは物來りて之を奪うを謂う。大凡人心は二つに用う可からず。一事に用いば、則ち他の事の更に入ること能わざる者は、事之が主爲るなり。事之が主と爲るも、尙思慮紛擾の患え無し。若し敬を主とせば、又焉んぞ此の患え有らん。敬と謂う所の者は、一を主とするを之れ敬と謂う。一と謂う所の者は、適くこと無きを之れ一と謂う。且くは一を主とする義を涵泳せんことを欲す。一ならずんば則ち二三なり。敢て欺かず、敢て慢らず、尙[ねが]わくは屋漏に愧じざるに至りては、皆是れ敬の事なり。
存養48
嚴威儼恪は、敬の道に非ず。但し敬を致すには、須く此より入るべし。
存養49
舜は孳孳[しし]として善を爲せり。若し未だ物に接せざるときは、如何にして善を爲す。只是れ敬を主とせば、便ち是れ善を爲すなり。此を以て之を觀るに、聖人の道は、是れ但に嘿然として言無きのみにあらず。
存養50
問う、人の燕居するとき、形體は怠惰にして、心は慢らざる者、可なるや否や、と。曰く、安んぞ箕踞[ききょ]して心の慢らざる者有らん。昔呂與叔六月の中に緱氏に來る。閒居中に、某嘗て之を窺うに、必ず其の儼然として危坐するを見たり。敦篤と謂う可し。學者は須く恭敬なるべし。但し拘迫ならしむ可からず。拘迫せば則ち久しくし難し、と。
存養51
思慮多しと雖も、果たして正に出でなば、亦害無きや否や。曰く、且く宗廟に在りては則ち敬を主とし、朝廷にては莊を主とし、軍旅にては嚴を主とするが如き、此れ是なり。如し發するに時を以てせず、紛然として度無くんば、正と雖も亦邪なり、と。
存養52
蘇季明問う、喜怒哀樂の未だ發せざる前に中を求むるは、可なるや否や、と。曰く、不可なり。旣に喜怒哀樂の未だ發せざる前に於て之を求めんと思うは、又卻って是れ思うなり。旣に思えば卽ち是れ已に發するなり。
思うと喜怒哀樂とは一般なり。纔かに發せば便ち之を和と謂う、之を中と謂う可からず、と。又問う、呂學士は當に喜怒哀樂の未だ發せざる前に求むべしと言いしが、如何、と。曰く、若し喜怒哀樂の未だ發せざる前に存養すと言わば、則ち可なり。若し中を喜怒哀樂の未だ發せざる前に求むと言わば、則ち不可なり、と。又問う、學者は喜怒哀樂の發せし時に於て、固より當に勉強して裁抑すべし。未だ發せざる前に於ては、當に如何に功を用うべき、と。曰く、喜怒哀樂の未だ發せざる前に於ては、更に怎生ぞ求めん。只平日涵養せば便ち是なり。涵養すること久しくんば、則ち喜怒哀樂は發して自ら節に中る、と。曰く、中なる時に當たりては、耳に聞ゆる無く目に見ゆる無きや否や、と。曰く、耳に聞ゆる無く目に見ゆる無しと雖も、然れども見聞の理在りて、始めて得。賢且く說け、靜なる時は如何、と。曰く、之を物無しと謂わば則ち不可なり。然れども自ら知覺する處有り、と。曰く、旣に知覺有れば、卻って是れ動なり。怎生ぞ靜と言わん。人復は其れ天地の心を見るを說くに、皆以て至靜能く天地の心を見ると謂うは、非なり。復の卦の下面の一畫は、便ち是れ動なり。安んぞ之を靜と謂うを得ん、と。或ひと曰く、是れ動上に於て靜を求むること莫きや否や、と。曰く、固より是なり。然れども最も難し。釋氏は多く定を言い、聖人は便ち止を言う。人君と爲りては仁に止まり、人臣と爲りては敬に止まるが如きの類、是れなり。易の艮は止の義を言えり。曰く、其の止に艮まるとは、其の所に止まるなり、と。人多く止まること能わず。蓋し人には萬物皆備り、事に遇う時、各其の心の重んずる所の者に因り更互して出づ。纔かに這の事重しと見得ば、便ち這の事の出づる有り。若し能く物各々物に付さば、便ち自ら出て來らず、と。或ひと曰く、先生は喜怒哀樂の未だ發せざる前に於て、動の字を下すや、靜の字を下すや、と。曰く、之を靜と謂わば則ち可なり。然れども靜中には須く物有るべくして始めて得。這裏[ここ]は便ち是れ難き處なり。學者は且く先ず敬を理會し得るに若くは莫し。能く敬ならば則ち此を知らん、と。或ひと曰く、敬は何を以て功を用うるや、と。曰く、一を主とするに若くは莫し、と。季明曰く、昞嘗[つね]に思慮の定まらざるを患う。或は一事を思いて未だ了わらざるに、他事麻の如く又生ず。如何、と。曰く、不可なり。此れ誠ならざる本なり。須く是れ習うべし。習いて能く專一なる時便ち好し。思慮すると事に應ずるとに拘らず、皆一を求むるを要す、と。
存養53
人は夢寐の閒に於て、亦以て自家學ぶ所の淺深を卜う可し。如し夢寐に顚倒せば、卽ち是れ心志定まらず、操存固からざるなり。
存養54
問う、人心繋著する所の事果たして善ならば、夜夢に之を見て、害あらざること莫きや否や、と。曰く、是れ善事なりと雖も、心は亦是れ動くなり。凡そ事の朕兆有りて夢に入る者は、卻って害無し。此を捨てなば皆是れ妄動なり。人心は須く定まるを要すべく、他[かれ]をして思う時に方[まさ]に思わしめば、乃ち是なり。今の人は都て心に由る、と。曰く、心は誰か之を使う、と。曰く、心を以て心を使わば則ち可なり。人心自ら由らば、便ち放たれ去く、と。
存養55
其の志を持して、其の氣を暴[そこな]うこと無かれとは、内外交々[こもごも]相養うなり。
存養56
問う、辭氣を出すは、是れ言語上に於て工夫を用うること莫きや否や、と。曰く、須く是れ中を養うべく、自然に言語は理に順わん。若し是れ言語を愼みて妄りに發せざらしむは、此れ卻って力を著く可し。
存養57
先生繹に謂いて曰く、吾氣を受くること甚だ薄く、三十にして浸[ようや]く盛んなり。四十五十にして而る後完し。今生くること七十二年なり。其の筋骨を盛年に校[くら]ぶるに損すること無し、と。繹曰く、先生豈[まこと]に氣を受くることの薄きを以てして、厚く生を保つを爲せるや、と。夫子默然たり。曰く、吾生を忘れ欲に徇[したが]うを以て深き恥と爲す、と。
存養58
大率把捉し定まらざるは、皆是れ不仁なればなり。
存養59
伊川先生曰く、知を致すは養う所に在り。知を養うは寡欲の二字に過ぎたるは莫し、と。
存養60
心の定まる者は、其の言重くして以て舒[の]ぶ。定まらざる者は、其の言輕くして以て疾[はや]し。
存養61
明道先生曰く、人には四百四病有りて、皆自家に由らず。則ち是れ心は須く自家に由らしむべし、と。
存養62
謝顯道明道先生に扶溝に從う。一日之に謂いて曰く、爾輩此に在りて相從うに、只是れ顥の言語を學ぶのみ。故に其の學は心口相應ぜず。盍[なん]ぞ若[かくのごと]く之を行わざる、と。請問す。曰く、且く靜坐せよ。伊川は人の靜坐するを見る每に、便ち其の善く學ぶを嘆ぜり。
存養63
横渠先生曰く、始學の要は、當に三月違わざると、日月に至ると、内外賓主の辨を知り、心意をして勉勉循循として已むこと能わざらしむべし。此を過ぐれば幾[ほとん]ど我に在る者に非ず、と。
存養64
心は淸き時少なく、亂るる時常に多し。其の淸き時、視は明らかに聽は聰[と]く、四體は羈束を待たずして自然に恭謹なり。其の亂るる時は是に反す。此の如きは何ぞや。蓋し心を用うること未だ熟せず、客慮多くして常心少なければなり。習俗の心未だ去らずして、實心未だ完からざればなり。
存養65
人は又剛なるを得るを要す。太だ柔ならば則ち立たざるに入る。亦人の生まれながらにして喜怒無き者有り、則ち又剛なるを得るを要す。剛ならば則ち守り得定まりて囘[よこしま]ならず、道に進むこと勇敢なり。載は則ち他人に比べ、自ら是れ勇なる處多し。
存養66
戲謔は惟[ただ]に事を害すのみならず、志も亦氣の流す所と爲る。戲謔せざるは、亦是れ氣を持する一端なり。
存養67
心を正す始めは、當に己の心を以て嚴師と爲すべし。凡そ動作する所は、則ち懼るる所を知らん。此の如きこと一二年にして、守り得て牢固ならば、則ち自然に心正しからん。
存養68
定まりて然して後に始めて光明有り。若し常に移易して定まらずんば、何ぞ光明を求めん。易は大抵艮を以て止と爲す。止まれば乃ち光明あり。故に大學は定まるよりして能く慮るに至る。人心多くば則ち光明あるに由無し。
存養69
動靜其の時を失わずんば、其の道光明なり。學者は必ず其の動靜を時とせば、則ち其の道乃ち蔽昧せずして明白なり。今の人學に從うこと久しきも、進長を見ざるは、正に動靜を識ること莫きを以てなり。他人の擾擾たる、己に關する事に非ざるを見て、脩むる所も亦廢す。聖學より之を觀るに、冥冥悠悠たり。是を以て身を終う、之を光明なりと謂いて可ならんや。
存養70
敦篤虛靜なるは、仁の本なり。輕妄ならざるは、則ち是れ敦厚なり。繋閡昬塞する所無きは、則ち是れ虛靜なり。此は以て頓悟し難し。苟も之を知らば、須く道に久しく實[まこと]に之を體すべくして、方[はじ]めて其の味を知る。夫の仁も亦之に熟するに在るのみ。
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克己1
濂渓先生曰く、君子は乾乾として誠に息まず。然れども必ず忿[いかり]を懲らし慾を窒ぎ、善に遷り過を改めて、而して後に至る。乾の用は其れ是を善しとす。損益の大なる是に過ぐるは莫し。聖人の旨深きかな、と。吉・凶・悔・吝は動より生ず。噫、吉は一なるのみ。動は愼まざる可けんや。
克己2
濂渓先生曰く、孟子曰く、心を養うは寡欲より善きは莫し、と。予謂[おも]えらく、心を養うは寡なくして存するに止まらず。蓋し寡なくして以て無に至るなり。無なれば則ち誠立ち明通ず。誠立つは賢なり。明通ずるは聖なり、と。
克己3
伊川先生曰く、顏淵克己復禮の目を問う。夫子曰く、禮に非ざれば視る勿かれ、禮に非ざれば聽く勿かれ、禮に非ざれば言う勿かれ、禮に非ざれば動く勿かれ、と。四つの者は身の用なり。中に由りて外に應ず。外より制するは其の中を養う所以なり。顏淵斯の語を事とせんと請いしは、聖人に進む所以なり。後の聖人を學ぶ者は、宜しく膺[むね]に服して失う勿かるべし。因りて箴して以て自ら警む。視箴に曰く、心は本虛にして、物に應ずれども迹無し。之を操[と]るに要有り、視之が則と爲る。蔽前に交われば、其の中則ち遷る。之を外に制して、以て其の内を安んず。己に克ち禮に復らば、久しくして誠なり。聽箴に曰く、人に秉彝[へいい]有るは、天性に本づく。知誘い物化し、遂に其の正しきを亡う。卓たる彼の先覺、止まるを知りて定まること有り。邪を閑[ふせ]ぎ誠を存し、禮に非ずんば聽く勿し。言箴に曰く、人心の動は、言に因りて以て宜[の]ぶ。發するとき躁妄を禁ぜば、内斯[ここ]に靜專なり。矧[いわ]んや是れ樞機にして、戎を興し好しみを出だす。吉凶榮辱、惟れ其の召す所なるをや。易きに傷[やぶ]れば則ち誕[みだ]りにして、煩に傷れば則ち支なり。己肆[ほしいまま]なれば物忤[さか]い、出づるとき悖れば來るとき違う。法に非ずんば道[い]わず、欽まんかな訓辭。動箴に曰く、哲人は幾を知り、之を思に誠にす。志士は行を厲[はげ]み、之を爲[い]に守る。理に順えば則ち裕かにして、欲に從えば惟れ危し。造次も克く念[おも]い、戰兢として自ら持す。習性と成れば、聖賢と歸を同じくす。
克己4
復の初九に曰く、遠からずして復る。悔に祗[いた]ること無し。元吉なり、と。傳に曰く、陽は、君子の道なり。故に復を善に反る義と爲す。初は、復の最も先なる者なり。是れ遠からずして復るなり。失いて而る後に復ること有り。失わずんば則ち何の復ることか之れ有らん。惟之を失うこと遠からずして復らば、則ち悔に至らじ。大いに善くして吉なり。顏子に形顯する過無く、夫子其の庶幾[ちかき]を謂うは、乃ち悔に祗る無きなり。過旣に未だ形[あらわ]れずして改む、何の悔か之れ有らん。旣に未だ勉めずして中り、欲する所矩を踰えざること能わざるは、是れ過有るなり。然れども其れ明にして剛なり。故に一たび不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず。旣に知れば未だ嘗て遽[にわか]に改めずんばあらず。故に悔に至らず。乃ち遠からずして復るなり。學問の道は他無し。惟其れ不善を知らば、則ち速やかに改めて以て善に從わんのみ、と。
克己5
晉の上九、其の角に晉[すす]む。維れ邑を伐つに用いば、厲しかれども吉にして咎無し。貞なるには吝なり。傳に曰く、人の自ら治むる、剛極まれば則ち道を守ること愈々固く、進むこと極まれば則ち善に遷ること愈々速やかなり。上九の如き者、之を以て自ら治めば、則ち厲に傷ると雖も、吉にして且つ咎無し。嚴厲は安和の道に非ざるも、自ら治むるに於ては則ち功有り。自ら治むるに功有りと雖も、然れども中和の德に非ず。故に貞正の道に於て吝す可しと爲す、と。
克己6
損とは、過ぎたるを損じて中に就き、浮末を損じて本實に就くなり。天下の害は、末の勝つに由らざる無し。峻宇雕牆は、宮室に本づき、酒池肉林は、飮食に本づき、淫酷殘忍は、刑罰に本づき、兵を窮め武を黷[けが]すは、征討に本づく。凡そ人欲の過ぎたる者は、皆奉養に本づく。其の流れの遠きときは、則ち害を爲す。先王の其の本を制[さだ]むるは、天理なり。後人の末に流るるは、人欲なり。損の義は、人欲を損じて以て天理に復るのみ。
克己7
夬[かい]の九五に曰く、莧陸[けんりく]なり、夬[さ]るべきを夬る、中行に咎无し、と。象に曰く、中行において咎无しとは、中未だ光[おお]いならざるなり、と。傳に曰く、夫れ人は心正しく意誠ならば、乃ち能く中正の道を極めて充實光輝す。五心に比する所有り、義の不可なるを以てして之を決せば、外に行いて、其の中正の義を失わず、以て咎无かる可しと雖も、然れども中道に於て未だ光大を爲すを得ざらん。蓋し人心一たび欲する所有らば、則ち道を離れん。夫子此[ここ]に於て、人に示す意深し。
克己8
說ぶに方[あた]りて止まるは、節の義なり。
克己9
節の九二は、不正の節なり。剛・中・正を以て節と爲すは、忿[いかり]を懲らし欲を窒[ふさ]ぎ、過ぎたるを損じ餘り有るを抑うるが如き、是れなり。不正の節は、嗇の用を節し、懦の行を節するが如き、是れなり。
克己10
人にして克・伐・怨・欲無きは、惟仁者のみ之を能くす。之れ有れども能く其の情を制して行われざらしむるは、斯れ亦能くし難し。之を仁と謂わば、則ち未だ可ならざるなり。此れ原憲の問いに、夫子答うるに其の難きと爲すを知るも、其の仁爲るを知らざるを以てす。此れ聖人開示することの深きなり。
克己11
明道先生曰く、義理と客氣とは常に相勝つ。只消長の分數の多少を看て、君子・小人の別を爲す。義理の得る所漸く多くば、則ち自然に客氣の消散し得て漸く少なきを知り得。消え盡きし者は是れ大賢なり、と。
克己12
或人謂う、人は和柔寬緩を知らざること莫し。然れども事に臨めば則ち反って暴厲に至る、と。曰く、只是れ志氣に勝たず、氣反って其の心を動かせばなり、と。
克己13
人の思慮を祛[はら]うこと能わざるは、只是れ吝なればなり。吝なるが故に浩然の氣無し。
克己14
怒を治むるは難しと爲す。懼れを治むるも亦難し。己に克たば以て怒りを治む可く、理を明らかにせば以て懼れを治む可し。
克己15
堯夫他山の石は以て玉を攻[おさ]む可きを解く。玉は溫潤の物なり。若し兩塊の玉を將[も]ち來りて相磨さば、必ず磨し成らず。須く是れ他箇の麤礪なる物を得べくして、方[はじ]めて磨し得出だす。譬えば君子の小人と處るが如し。小人の侵陵するところと爲らば、則ち脩省畏避し、心を動かし性を忍び、增益豫防す。此の如くんば便ち道理出で來る。
克己16
目は尖れる物を畏る。此の事は放過することを得ず。便ち與[ため]に克ち下せ。室中に尖れる物を率置するに、須く理を以て他[かれ]に勝つべし。尖れるもの必ず人を刺さざるなり。何の畏るることか之れ有らん。
克己17
明道先生曰く、上を責め下を責めて、中自ら己を恕するもの、豈職分に任[た]う可けんや、と。
克己18
己を舍[お]きて人に從うは、最も難き事と爲す。己とは我の有する所にして、痛く之を舍くと雖も、猶己を守る者の固くして、人に從う者の輕きを懼る。
克己19
九德は最も好し。
克己20
飢うれば食し渴すれば飮み、冬には裘し夏には葛す。若し些かの私吝の心を致さば、便ち是れ天職を廢するなり。
克己21
獵は、自ら謂う、今此の好み無し、と。周茂叔曰く、何ぞ言うことの易きや。但此の心潛隱して未だ發せざるのみ。一日萌動せば、復前の如くならん。後十二年、見るに因りて、果たして未だしきを知れり。
云う、明道先生年十六七の時、田獵を好む。十二年暮に歸りて田野の閒に在りて田獵する者を見て覺えず喜心有り。
克己22
伊川先生曰く、大抵人は身有れば、便ち自私の理有り。宜[うべ]なり其の道と一なり難きは、と。
克己23
己を罪し躬を責むるは無かる可からず。然れども亦當に長く留めて心胸に在らしめ悔を爲すべからず。
克己24
欲する所は必ずしも沈溺せず。只向かう所有れば便ち是れ欲なり。
克己25
明道先生曰く、子路も亦百世の師なり。
人之に告ぐるに過有るを以てすれば則ち喜ぶ。
克己26
人の語言の緊急なるは、是れ氣の定まらざること莫きや否や。曰く、此れ亦當に習うべし。習いて自然に緩なるに到りし時、便ち是れ氣質の變れるなり。學は氣質の變るに至りて、方に是れ功有るなり、と。
克己27
問う、怒りを遷さず過を貳びせずとは、何ぞや。語録に甲を怒りしとき乙に移さざるの說有るは、是れなるや否や、と。伊川先生曰く、是れなり、と。曰く、此の若くんば則ち甚だ易し。何ぞ顏子を待ちて而る後に能くせん、と。曰く、只說き得て粗なるを被れば、諸君便ち易きを道[い]うも、此は是れ最も難きこと莫からんや。須く是れ何に因りて怒りを遷さざるかを理會し得べし。舜の四凶を誅するが如き、怒りは四凶に在り。舜何ぞ與らん。蓋し是の人に怒る可き事有るに因りて之を怒る。聖人の心には本より怒り無し。譬えば明鏡の如し。好き物來る時は便ち是れ好きものなるを見[しめ]し、惡しき物來る時は便ち是れ惡しきものなるを見す。鏡に何ぞ嘗て好惡有らん。世の人に固より室に怒りて市に色するもの有り。且つ一人を怒るが如き、那[か]の人に對して話を說くに、能く怒色すること無きや否や。能く一人を怒りて別人を怒らざる者有り。能く忍び得ること此の如くんば、已に是れ煞[はなは]だ義理を知れるなり。聖人の如きは物に因りて未だ嘗て怒り有らず。此れ是れ甚だ難きこと莫からんや。君子は物を役し、小人は物に役せらる。今喜ぶ可く怒る可き事を見れば、自家一分を著けて他[かれ]に陪奉す。此れ亦勞せり。聖人の心は止水の如し、と。
克己28
人の視は最も先なり。禮に非ずして視ば、則ち謂う所の目を開けば便ち錯[あやま]るなり。次は聽、次は言、次は動にして、先後の序有り。人能く己に克たば、則ち心廣く體胖かにして、仰いでも愧じず、俯しても怍じず。其の樂しみは知る可し。息むこと有らば則ち餒[う]ゆ。
克己29
聖人は己が感を責むるや多きに處り、人の應を責むるや少きに處る。
克己30
謝子伊川先生と別るること一年。往きて之を見る。伊川曰く、相別るること一年、甚[いか]なる工夫を做[な]し得たるか、と。謝曰く、也[また]只箇の矜の字を去りしのみ、と。曰く、何の故ぞ、と。曰く、子細に檢點し得來れば、病痛は盡く這の裏に在り。若し這箇[しゃこ]の罪過を按伏し得ば、方[はじ]めて向進する處有らん、と。伊川點頭す。因りて坐に在りて志を同じくする者に語げて曰く、此の人の學を爲す、切に問い近く思う者なり、と。
克己31
思叔僕夫を詬詈[こうり]す。伊川曰く、何ぞ心を動かし性を忍びざる、と。思叔慙じ謝す。
克己32
賢を見ては便ち齋[ひと]しからんことを思ふ。すること有る者は亦是の若し。不賢を見ては内に自ら省みる。蓋し己に在らざる莫し。
克己33
横渠先生曰く、湛一は、氣の本にして、攻取は、氣の欲なり。口腹の飮食に於る、鼻舌の臭味に於る、皆攻取の性なり。德を知る者は屬厭するのみ。嗜欲を以て其の心を累わさず。小を以て大を害し、末もて本を喪わざるのみ、と。
克己34
纖惡も必ず除かれなば、善斯に性と成らん。惡を察して未だ盡くさずんば、善と雖も必ず粗ならん。
克己35
不仁を惡む、故に不善は未だ嘗て知らずんばあらず。徒[いたずら]に仁を好むのみにして不仁を惡まずんば、則ち習えども察[あき]らかならず、行えども著[あらわ]れず。是の故に徒善は未だ必ずしも義を盡くさず、徒是は未だ必ずしも仁を盡くさず。仁を好みて不仁を惡み、然して後に仁義の道を盡くす。
克己36
己を責むる者は、當に天下國家皆非なる理無きを知るべし。故に學びて人を尤めざるに至れば、學の至りなり。
克己37
心を道に潛め、忽忽に他の慮の引き去るところと爲る者有り。此れ氣なり。舊習纏繞し、未だ脱灑すること能わずんば、畢竟益無し。但舊習を樂しむのみ。古人は朋友と琴瑟・簡編とを得て、常に心をして此に在らしめんと欲せり。惟聖人は朋友の益を取ること多しと爲すを知る。故に朋友の來るを得るを樂しむ。
克己38
輕を矯め惰を警む。
克己39
仁の成り難きは久し。人人其の好む所に失するなり。蓋し人人に利欲の心有りて、學と正に相背馳す。故に學者は欲を寡なくせんことを要す。
克己40
君子は必ずしも他人の言を避けて、以て太[はなは]だ柔太だ弱なるを爲さず。瞻視[せんし]に至りても亦節有り。視に上下有り。視高ければ則ち氣高く、視下ければ則ち心柔かなり。故に國君を視る者は、紳帶の中を離れず。學者は先ず須く其の客氣を去るべし。其の人と爲り剛行ならば、終に肯て進まじ。堂堂乎たり張や、與に竝びて仁を爲し難し。蓋し目は人の常に用うる所にして、且つ心常に之に託す。視の上下もて、且く之を試みん。己の敬傲は、必ず視に見[あらわ]る。其の視を下さんと欲する所以の者は、其の心を柔かにせんと欲するなり。其の心を柔かにせば、則ち言を聽くこと敬にして且つ信あらん。人の朋友有るは、燕安の爲ならず、其の仁を輔佐する所以なり。今の朋友は、其の善柔なるものを擇びて以て相與し、肩を拍[たた]き袂を執りて、以て氣合すと爲す。一言合わずんば、怒氣相加う。朋友の際、其の相下りて倦まざるを欲す。故に朋友の閒に於て、其の敬を主とする者、日に相親與し、效を得ること最も速やかなり。仲尼嘗て曰く、吾其の位に居り、先生と竝び行くを見る。益を求むる者に非ず、速やかに成るを欲する者なり、と。則ち學者は先ず須く溫柔なるべし。溫柔ならば則ち以て學に進む可し。詩に曰く、溫溫たる恭人は、維れ德の基なり、と。蓋し其の益する所多ければなり。
克己41
世學の講ぜられざる、男女幼きときより便ち驕惰もて壞[くず]れ、長ずるに到りて益々凶狠[きょうこん]なり。只未だ嘗て子弟の事を爲さざるが爲なり。則ち其の親に於て已に物我有りて、肯て屈下せず。病根常に在り。又居る所に隨いて長じ、死に至るまで只舊に依る。子弟と爲りては、則ち灑埽應對に安んずること能わず、朋友に在りては、則ち朋友に下ること能わず。官長有れば、則ち官長に下ること能わず、宰相と爲りては、則ち天下の賢に下ること能わず。甚だしきは則ち私意に徇い、義理都て喪うに至る。他[また]只病根を去らず、居る所接する所に隨いて長ずるが爲なり。人は須く一に事事に病を消し了わるべく、則ち義理常に勝たん。
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家道1
伊川先生曰く、弟子の職、力餘り有らば則ち文を學ぶ。其の職を脩めずして文を學ぶは、己の爲にする學に非ざるなり、と。
家道2
孟子曰く、親に事うるに、曾子の若くせば、可なり、と。未だ嘗て曾子の孝を以て餘り有りと爲さざるなり。蓋し子の身の能く爲す所の者は、皆當に爲すべき所なればなり。
家道3
母の蠱[こと]を幹[ただ]すに、貞にす可からず。子の母に於る、當に柔巽[じゅうそん]を以て之を輔導し、義を得しむべし。順ならずして蠱を敗るを致さば、則ち子の罪なり。從容として將順せば、豈道無からんや。若し己が剛陽の道を伸ばし、遽然[きょぜん]として矯拂[きょうふつ]せば、則ち恩を傷[やぶ]り、害する所大ならん。亦安んぞ能く入らん。己を屈し意を下し、巽順もて相承[う]け、之をして身正しく事治らしむるに在るのみ。剛陽の臣の、柔弱の君に事うる、義亦相近し。
家道4
蠱の九三は、陽を以て剛に處りて中ならず。剛の過ぎたるなり。故に小しく悔有り。然れども巽の體に在れば順無しと爲さず。順は、親に事うるの本なり。又居ること正を得たり。故に大いなる咎无し。然れども小しく悔有れば、已に善く親に事うるものに非ず。
家道5
倫理を正しくし、恩義を篤くするは、家人の道なり。
家道6
人の家に處る、骨肉父子の閒に在りては、大率情を以て禮に勝ち、恩を以て義を奪う。惟剛立の人は、則ち能く私愛を以て其の正理を失わず。故に家人の卦は、大要剛を以て善と爲す。
家道7
家人の上九の爻辭は、家を治むるには當に威嚴有るべきを謂えり。而して夫子又復戒めて云う、當に先ず其の身を嚴にすべし、と。威嚴先ず己に行われずんば、則ち人怨みて服せざらん。
家道8
歸妹の九二は、其の幽貞を守り、未だ夫婦常正の道を失わず。世人は媟狎[せっこう]を以て常と爲す。故に貞靜を以て常を變ずと爲し、乃ち常久の道たるを知らざるなり。
家道9
世人多く壻を擇ぶに愼みて、婦を擇ぶに忽かなり。其の實、壻は見易く、婦は知り難し。繋る所甚だ重し。豈忽かにす可けんや。
家道10
人父母無くんば、生日に當に倍[ますます]悲痛すべし。更に安んぞ酒を置き樂を張り、以て樂しみを爲すに忍びんや。具慶の者の若きは可なり。
家道11
問う、行状に云う、性を盡くし命に至るは、必ず孝弟に本づく、と。識らず、孝弟は何を以て能く性を盡くし命に至るや、と。曰く、後人は便ち性命を將[もっ]て別に一般の事と作[な]し說けり。性命孝弟は、只是れ一統の事なり。孝弟の中に就きて、便ち性を盡くし命に至る可し。灑埽應對と性を盡くし命に至るとの如き、亦是れ一統の事にして、本末も有る無く、精粗も有る無し。卻って後來の人の性命を言う者に、別に一般の高遠と作し說かる。故に孝弟を擧げしは、是れ人の切近なる者に於て之を言いしなり。然れども今時孝弟の人無きに非ざるも、性を盡くし命に至ること能わざる者は、之に由れども知らざればなり、と。
家道12
問う、第五倫は其の子の疾を視ること、兄の子の疾と同じからず。自ら之を私と謂えり。如何、と。曰く、安寢すると安寢せざるとを待たず。只起きざると十たび起きるとは、便ち是れ私なり。父子の愛は本より是れ公なり。才[わず]かに些かの心を著けて做さば、便ち是れ私なり、と。
後漢第五倫傳に、或ひと倫に問いて曰く、公に私有りや、と。對えて曰く、吾が兄の子嘗て病めり。一夜十起し、退いて安く寢ぬ。吾が子疾有り。省視せずと雖も竟に夕眠らず。是の若き者は、豈私無しと謂う可けんや、と。又問う、己の子を視るに兄の子と閒有りや否や、と。曰く、聖人は法を立てて、兄弟の子は猶子のごとしと曰えり。是れ之を視ること猶子のごときを欲するなり、と。又問う、天性には自ら輕重有り。疑うらくは閒有るが若く然り、と。曰く、只今人私心を以て看るが爲なり。孔子曰く、父子の道は天性なり、と。此は只孝の上に就きて說くのみ。故に父子は天性なりと言えり。君臣・兄弟・賓主・朋友の類の若き、亦豈是れ天性にあらざらんや。只今人小看卻し、其の本の由りて來る所を推さざるが爲の故のみ。己の子と兄の子と爭う所幾何[いくばく]ぞ。是れ同じく父より出づる者なり。只兄弟形を異にするが爲に、故に兄弟を以て手足と爲す。人多く形を異にするを以て、故に己の子に親しむこと、兄弟の子に異なり。甚だ是ならざるなり。又問う、孔子は公冶長の南容に及ばざるを以て、故に兄の子を以て南容に妻[めあわ]し、己の子を以て公冶長に妻せり。何ぞや、と。曰く、此れ亦己の私心を以て聖人を看るなり。凡そ人の嫌を避くる者は、皆内足らざるなり。聖人は自ら至公なり。何ぞ更に嫌を避けん。凡そ女を嫁すには各々其の才を量りて配を求む。或は兄の子甚だしくは美ならざるとき、必ず其の相稱[かな]える者を擇びて之が配と爲し、己の子美なるとき、必ず其の才の美なる者を擇びて之が配と爲す。豈更に嫌を避けんや。孔子の事の若き、或は是れ年相若かず、或は時に先後有らんこと、皆知る可からず。孔子を以て嫌を避くると爲さば、則ち大いに是ならず。嫌を避くる事の如き、賢者すら且つ爲さず。況んや聖人をや、と。
家道13
問う、孀婦[そうふ]は理に於て取[めと]る可からざるに似たり。如何、と。曰く、然り。凡そ取るは以て身に配するなり。若し節を失いし者を取りて以て身に配せば、是れ己節を失うなり、と。又問う、或は孤孀の貧窮して託する無き者有り。再嫁す可きや否や、と。曰く、只是れ後世は寒餓して死するを怕[おそ]る。故に是の說有り。然れども餓死するは事極めて小にして、節を失うは事極めて大なり、と。
家道14
牀に病臥するに、之を庸醫に委ぬるは、之を不慈不孝に比す。親に事うる者は、亦醫を知らざる可からず。
家道15
程子父を葬るとき、周恭叔をして客を主[つかさど]らしむ。客酒を欲す。恭叔以て告ぐ。先生曰く、人を惡に陷ること勿かれ、と。
家道16
乳婢を買うは、多く已むを得ざるなり。或は自ら乳すること能わざれば、必ず人にせしむ。然れども己の子を食[やしな]いて人の子を殺すは、道に非ず。必ず已むを得ずんば、二子の乳を用いて三子を食え。他の虞に備うるに足らん。或は乳母病み且つ死すとも、則ち害を爲さず。又己の子の爲に人の子を殺さず。但費す所有るのみ。若し不幸にして其の子を誤るを致さば、害孰れか大ならん。
家道17
先公太中、諱は珦[きょう]、字は伯溫。前後五たび任子を得て、以て諸父の子孫に均しくせり。孤女を嫁遣するには、必ず其の力を盡くす。得る所の俸錢は、分かちて親戚の貧しき者に贍[た]せり。伯母劉氏寡居せしとき、公の奉養甚だ至れり。其の女の夫死せしとき、公は從女兄を迎えて以て歸る。其の子を敎養すること、子姪[してつ]に均し。旣にして女兄の女又寡なり。公は女兄の悲思するを懼れ、又甥女を取りて以て歸り之を嫁せしむ。時に小官にして祿薄く、己に克ち義を爲すは、人以て難しと爲す。公は慈恕にして剛斷なり。平居幼賤と處るに、惟其の意を傷ること有らんことを恐る。義理を犯すに至りては、則ち假さざるなり。左右使令の人は、日として飢飽寒燠を察せざること無し。侯氏を娶る。侯夫人の舅姑に事うる、孝謹を以て稱せられ、先公と相待つこと賓客の如し。先公其の内助に賴り、禮敬尤も至れり。而して夫人は謙順もて自ら牧し、小事と雖も未だ嘗て專らにせず、必ず稟[つ]げて後に行えり。仁恕寬厚にして、諸庶を撫愛すること、己出に異ならず。從叔幼にして孤なり。夫人存視すること、常に己の子に均し。家を治むるに法有り、嚴にせずして整う。奴婢を笞扑するを喜ばず、小臧獲を視ること兒女の如し。諸子或は呵責を加うれば、必ず之を戒めて曰く、貴賤は殊なりと雖も、人は則ち一なり。汝是の如く大なる時、能く此の事を爲せるや否や、と。先公凡そ怒る所有るときは、必ず之が爲に寬解せるも、唯諸兒に過有るときは、則ち掩わず。常に曰く、子の不肖なる所以の者は、母其の過を蔽いて父知らざるに由るなり、と。夫人は男子六人なりしも、存する所は惟二のみ。其の慈愛は至れりと謂う可し。然れども之を敎うる道に於て、少しも假せず。纔かに數歳のとき、行きて或は踣[たう]る。家人走り前[すす]みて扶抱し、其の驚啼せんことを恐る。夫人未だ嘗て呵責せずんばあらず。曰く、汝若し安徐たらば、寧んぞ踣るるに至らん、と。飮食するときは常に之を坐側に置く。食を嘗め羹を絮[ととの]うれば、皆叱り之を止む。曰く、幼きとき欲に稱[かな]えんことを求めば、長じたるとき當に如何なるべき、と。使令の輩と雖も、惡言を以て之を罵るを得ず。故に頤兄弟は平生、飮食衣服に於て擇ぶ所無く、惡言もて人を罵ること能わず。性の然るに非ざるなり。敎の然らしむるなり。人と爭忿せば、直なりと雖も右とせず。曰く、其の屈すること能わざるを患え、其の伸ぶること能わざるを患えず、と。稍長ずるに及び、常に善き師友に從いて遊ばしむ。貧に居ると雖も、或は客を延[まね]かんと欲せば、則ち喜びて之が具を爲せり。夫人七八歳の時、古詩を誦するに曰く、女子は夜には出でず、夜出づるには明燭を秉る、と、是より日暮るるときは則ち復房閤を出でず。旣に長じ、文を好めども辭章を爲[つく]らず。世の婦女の文章筆札を以て人に傳うる者を見れば、則ち深く以て非と爲せり。
家道18
横渠先生嘗て曰く、親に事え祭を奉ずるは、豈人をして之を爲さしむ可けんや、と。
家道19
舜の親に事うる、悦ばれざる者有るは、父は頑母は嚚[ぎん]にして、人情に近からざる爲なり。中人の性の若き、其の愛惡に略[ほぼ]理を害うこと無くんば、姑く必ず之に順え。親の故舊にして、喜ぶ所の者は、須く極力招致して以て其の親を悦ばしむべし。凡そ父母賓客の奉に於ては、必ず極力營辨し、亦家の有無を計らざれ。然れども養を爲すには又須く其の勉強勞苦を知らざらしむべし。苟も其の爲して易からざるを見しめば、則ち亦安からじ。
家道20
斯干の詩に言う、兄と弟と、式[そ]れ相好くせよ、相猶[に]ること無かれ、と。兄弟は宜しく相好くすべく、厮[あい]學ぶを要せざるを言う。猶は、似るなり。人情として大抵患えは之を施[し]きて報いられずんば則ち輟[や]むに在り。故に恩は終わること能わず。相學ぶを要せず。己之を施くのみ。
家道21
人にして周南・召南を爲[まな]ばずんば、其れ猶正しく牆に面して立つがごとし。常に深く此の言を思うに、誠に是なり。此に從いて行わずんば、甚だ事を隔著し、前に向きて推し去[ゆ]かざらん。蓋し至って親しく至って近きこと、此より甚だしきは莫し。故に須く此に從いて始むべし。
家道22
婢僕の始めて至りし者は、本勉勉たる敬心を懷く。若し到る所の提掇[ていてつ]更に謹めば、則ち加[ますます]謹み、慢れば則ち其の本心を棄て、便ち習いて以て性と成る。故に仕うる者は治まれる朝に入れば則ち德日に進み、亂れし朝に入れば則ち德日に退く。只上に在る者に學ぶ可き有りや學ぶ可き無きやを觀るのみ。
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出処1
伊川先生曰く、賢者は下に在るとき、豈自ら進めて以て君に求む可けんや。苟も自ら之を求めば、必ず能く信用せらるるの理無からん。古人の必ず人君の敬を致し禮を盡くすを待ちて而る後に往く所以の者は、自ら尊大を爲さんと欲するに非ず。蓋し其の德を尊び道を樂しむ心是の如くならざれば、與にすること有るに足らざるなり、と。
出処2
君子の時を需[ま]つや、安靜もて自ら守る。志須[ま]つこと有りと雖も、恬然として將に身を終わらんとするが若きは、乃ち能く常を用うるなり。進まずと雖も志動く者は、其の常に安んずること能わざるなり。
出処3
比は吉なり。原[たず]ね筮[はか]りて元・永・貞ならば、咎无し。傳に曰く、人の相親比するに、必ず其の道有り。苟も其の道に非ずんば、則ち悔咎有らん。故に必ず其の比す可き者を推原占決して之に比せ。比する所、元・永・貞を得ば、則ち咎无し。元とは君長の道有るを謂い、永とは以て常久なる可きを謂い、貞とは正道を得るを謂う。上の下に比する、必ず此の三つの者有り、下の上に從う、必ず此の三つの者を求めば、則ち咎无し、と。
出処4
履の初九に曰く、素履す。往くに咎无し、と。傳に曰く、夫れ人自ら貧賤の素に安んずること能わざれば、則ち其の進むや、乃ち貪躁して動き、貧賤を去らんことを求むるのみ。すること有るを欲するに非ざるなり。旣に其の進むことを得ば、驕溢すること必せり。故に往かば則ち咎有り。賢者は則ち安んじて其の素を履む。其の處るや樂しみ、其の進むや將にすること有らんとす。故に其の進むことを得ば、則ちすること有りて不善無し。若し貴きを欲する心と、道を行う心と、中に交わり戰わば、豈能く安んじて其の素を履まんや。
出処5
大人の否の時に於る、其の正節を守り、小人の羣類に雜亂せられざれば、身は否なりと雖も道は之れ亨る。故に曰く、大人は否なれども亨る、と。道を以てせずして身亨れば、乃ち道は否なり。
出処6
人の隨う所、正を得ば則ち邪に遠ざかり、非に從えば則ち是を失う。兩つながら從う理無し。隨の六二は、苟も初に係らば則ち五を失う。故に象に曰く、兼ね與せられず、と。人の正に從うに當に專一なるべきを戒むる所以なり。
出処7
君子の賁[かざ]る所は、世俗の羞ずる所なり。世俗の貴ぶ所は、君子の賤しむ所なり。故に曰く、其の趾[あし]を賁り、車を舍てて徒す、と。
出処8
蠱の上九に曰く、王侯に事えず、其の事を高尙にす、と。象に曰く、王侯に事えざるは、志則る可きなり、と。傳に曰く、士の自ら高尙にするは、亦一道に非ず。道德を懷抱し、時に偶わずして、高潔もて自ら守る者有り。止足の道を知り、退きて自ら保んずる者有り。能を量り分を度り、知らるるを求めざるに安んずる者有り。淸介もて自ら守り、天下の事を屑[いさぎよ]しとせず、獨り其の身を潔くする者有り。處る所得失小大の殊なり有りと雖も、皆自ら其の事を高尙にする者なり。象に謂う所の志則る可き者は、進退道に合う者なり、と。
出処9
遯は陰の始めて長ずるなり。君子は微を知れば、固より當に深く戒むべし。而して聖人の意は、未だ便ち遽に已まざるなり。故に時と行く、小なれば貞しきに利ろしの敎有り。聖賢の天下に於る、道の將に廢れんとするを知ると雖も、豈肯て其の亂るるを坐視して救わざらん。必ず區區として力を未だ極まらざる閒に致し、此の衰えたるを強め、彼の進むを艱[はば]み、其の蹔[しばら]く安らかなるを圖らん。苟も之をすることを得ば、孔・孟のすることを屑[いさぎよ]しとする所なり。王允・謝安の漢・晉に於る、是れなり。
出処10
明夷の初九は、事未だ顯れずして處ること甚だ艱なり。幾を見る明に非ずんば能わざるなり。是の如くんば、則ち世俗孰か疑怪せざらん。然れども君子は世俗の怪しまるるを以てして、其の行くを遲疑せず。若し衆人の盡く識るを俟たば、則ち傷已に及んで去る能わず。
出処11
晉の初六は、下に在りて始めて進む。豈遽に能く深く上に信ぜられんや。苟も上未だ信ぜられずんば、則ち當に中を安らかにして自ら守り、雍容寬裕にして、上の信ずるを求むるに急なること無かるべし。苟も信ぜられんことを欲する心切なるとき、汲汲として以て其の守を失うに非ざれば、則ち悻悻として以て義を傷らん。故に曰く、晉如たり摧如たり、貞しければ吉なり。孚とせらるること罔けれども、裕かなれば咎无し、と。然れども聖人は又後の人の寬裕の義に達せず、位に居る者の職を廢し守りを失いて以て裕かと爲すを恐る。故に特に初六裕かなれば則ち咎无しと云う者は、始めて進み、未だ命を受け職任に當たらざる故なり。若し官守有りて、上に信じられずして其の職を失わば、一日として居る可からざるなり。然れども事は一概に非ず、久速は唯時のままなり。亦之が兆を爲す者有る容[べ]し。
出処12
正しからずして合せば、未だ久しくして離れざる者有らざるなり。合するに正道を以てせば、自ら終わりまで睽[そむ]く理無し。故に賢者は理に順いて安らかに行い、智者は幾を知りて固く守る。
出処13
君子困窮の時に當たり、旣に其の防慮の道を盡くせども、免るるを得ざるは、則ち命なり。當に其の命を推致し、以て其の志を遂ぐべし。命の當に然るべきを知らば、則ち窮塞禍患、以て其の心を動かさず、吾が義を行うのみ。苟も命を知らずんば、則ち險難に恐懼し、窮戹[きゅうやく]に隕穫して、守る所亡われん。安んぞ能く其の善を爲す志を遂げんや。
出処14
寒士の妻、弱國の臣は、各々其の正に安んずるのみ。苟も勢を擇びて從わば、則ち惡の大なる者にして、世に容れらじ。
出処15
井の九三、渫治[せっち]すれども食らわれざるは、乃ち人才智有れども用いられず、行うを得ざるを以て憂惻と爲すなり。蓋し剛にして中ならず、故に施爲に切なり。之を用うれば則ち行い、之を舍つれば則ち藏する者に異なる。
出処16
革の六二、中正なれば則ち偏蔽無く、文明なれば則ち事理を盡くし、上に應ずれば則ち權勢を得、體順なれば則ち違悖[いはい]無し。時は可なり、位は得たり、才は足れり。革に處する至善なる者なり。必ず上下の信を待つ、故に已む日乃ち之を革む。二の才德の如きは、當に進みて其の道を行うべし。則ち吉にして咎无し。進まざれば則ち爲す可き時を失い、咎有りと爲す。
出処17
鼎の實有るは、乃ち人の才業有るなり。當に趨向する所を愼むべし。往く所を愼まずんば、則ち亦非義に陷らん。故に曰く、鼎に實有るときは、之く所を愼む、と。
出処18
士の高位に處るときは、則ち拯[すく]うこと有りて隨うこと無く、下位に在るときは、則ち當に拯うべき有り、當に隨うべき有り。之を拯い得ざること有りて而る後に隨う。
出処19
君子は思い其の位を出でず。位とは、處る所の分なり。萬事各々其の所有りて、其の所を得ば、則ち止まりて安らかなり。當に行くべくして止まり、當に速やかにすべくして久しくし、或は過ぎ或は及ばざるが若き、皆其の位を出づるなり。況や分を踰え據るに非ざるものをや。
出処20
人の止まるや、久終するに難し。故に節或は晩に移り、守或は終わりに失われ、事或は久しきに廢せらる。人の同じく患うる所なり。艮の上九は、終わるに敦厚にして、道の至善に止まる。故に曰く、艮まるに敦くして吉なり、と。
出処21
中孚の初九に曰く、虞[はか]れば吉なり、と。象に曰く、志未だ變わらざるなり、と。傳に曰く、信の始めに當たり、志未だ從う所有らず。而して信ずる所を虞度せば、則ち其の正しきを得。是を以て吉なり。志從う所有らば、則ち是れ變動なり。之を虞るも其の正しきを得じ。
出処22
賢者は惟義を知るのみ。命は其の中に在り。中人以下は、乃ち命を以て義を處す。之を求むるに道有り、之を得るに命有りとは、是れ求むるも得るに益無きなりと言うが如し。命の求む可からざるを知る、故に自ら處するに求めざるを以てす。賢者の若きは、則ち之を求むるに道を以てし、之を得るに義を以てして、必ずしも命を言わず。
出処23
人の患難に於る、只一個の處置有るのみ。人謀を盡くせし後、卻って須く泰然として之を處すべし。人有り一事に遇えば、則ち心心念念肯て捨てず。畢竟何の益かあらん。若し處置し了わりて放下するを會ざれば、便ち是れ義を無[な]みし命を無みするなり。
出処24
門人、太學に居りて歸り郷擧に應ぜんと欲する者有り。其の故を問う。曰く、蔡の人は戴記を習うこと尠[すく]なし。科を決するの利あり、と。先生曰く、汝の是の心は、已に堯舜の道に入る可からず。夫の子貢の高識、曷[なん]ぞ嘗て貨利に規規たらんや。特[ただ]豐約の閒に於て、情を畱[とど]むること無きこと能わざるのみ。且つ貧富には命有り。彼乃ち情を其の閒に畱め、多[まさ]に其の道を信ぜざるを見[しめ]す。故に聖人は之を命を受けずと謂えり。道に志有る者は、要[かなら]ず當に此の心を去るべく、而る後に與に語る可きなり、と。
出処25
人苟も朝に道を聞かば夕に死すとも可なりの志有らば、則ち肯て一日も安からざる所に安んぜじ。何ぞ止[ただ]に一日のみならん。須臾も能わじ。曾子の簀を易えしが如き、須く此の如くなるを要すべく、乃ち安らかなり。人此の若くなること能わざる者は、只實理を見ざるが爲なり。實理とは、實[まこと]に是を見得、實に非を見得ることなり。凡そ實理は、之を心に得ば自ら別なり。耳に聞き口に道う若き者は、心實に見ず。若し見得ば、必ず肯て安からざる所に安んぜじ。人の一身、儘[まま]肯て爲さざる所有るも、他事に至るに及んでは、又然らず。士の若きは、之を殺さんといいて穿窬[せんゆ]を爲さしめんとすと雖も、必ず爲さず。其の他の事は未だ必ずしも然らず。卷を執る者の如きに至りては、禮義を說くを知らざる莫し。又王公大人の如き、皆能く軒冕は外物なりと言う。其の利害に臨むに及んでは、則ち義理に就くを知らずして、卻って富貴に就く。此の如き者は、只是れ說き得るのみにして、實に見ず。其の水火を蹈むに及んでは、則ち人皆之を避く。是れ實に見得しなり。須く是れ不善を見ては湯を探るが如き心有るべし。則ち自然に別なり。昔曾經[かつ]て虎に傷[やぶ]れし者あり。他人虎を語れば、則ち三尺の童子と雖も、皆虎の畏る可きを知るも、終に曾經て傷れし者の神色懾懼[しょうく]し、至誠に之を畏るるに似[し]かず。是れ實に見得しなり。之を心に得る、是れ德有りと謂い、勉強を待たず。然れども學者は則ち須く勉強すべし。古人に軀を捐[す]て命を隕[おと]す者有り。若し實に見得ずんば、則ち烏んぞ能く此の如くならん。須く是れ實に生は義より重からず、生は死より安からざるを見得べし。故に身を殺して仁を成すこと有り。只是れ一個の是を成就するのみ。
出処26
孟子舜・跖の分を辨ずるは、只義・利の閒に在り。閒と言うは相去ること甚だ遠からず、爭う所は毫末のみなるを謂う。義と利とは只是れ個の公と私となり。纔かに義を出づれば、便ち利を以て言う。只那[か]の計較は、便ち是れ利害有るが爲なり。若し利害無くんば、何ぞ計較を用いん。利害とは天下の常情なり。人は皆利に趨[おもむ]きて害を避くるを知る。聖人は則ち更に利害を論ぜず、惟義として當に爲すべきか當に爲すべからざるかを看るのみ。便ち是れ命其の中に在るなり。
出処27
大凡儒者は未だ敢て深く道に造[いた]るを望まず。且く只存する所正しく、善惡を分別し、廉恥を識るを得んのみ。此等の如き人多くんば、亦須く漸く好かるべし。
出処28
趙景平問う、子は利を言うこと罕[まれ]なり。謂う所の利とは何の利ぞ、と。曰く、獨り財利の利のみならず、凡そ利心有れば、便ち可ならず。一事を作[な]すが如き、須く自家穏便の處を尋ぬべし、皆利心なり。聖人は義を以て利と爲す。義として安らかなる處、便ち利と爲す。釋氏の學の如き、皆利に本づく、故に便ち是ならず、と。
出処29
問う、邢七は久しく先生に從えども、想うに都て知識無く、後來極めて狼狽せん、と。先生曰く、之を全く知無しと謂わば、則ち可ならず。只是れ義理利欲の心に勝つこと能わざれば、便ち此の如きに至る、と。
出処30
謝湜[しゃしょく]蜀より京師に之くとき、洛に過[よ]ぎりて程子に見ゆ。子曰く、爾將に何に之かんとする、と。曰く、將に敎官に試せんとす、と。子答えず。湜曰く、如何、と。子曰く、吾嘗て婢を買ひ、之を試みんと欲せり。其の母怒りて許さず。曰く、吾が女[むすめ]は試む可き者に非ざるなり、と。今爾人の師と爲るを求めて、之に試す。必ず此の媼[おう]の笑いと爲らん、と。湜遂に行かず。
出処31
先生講筵に在りしとき、曾て俸を請わず。諸公遂に戶部に牒[ちょう]し、俸錢を支せざるを問う。戶部前任の歴子を索[もと]む。先生云う、某草萊より起こり前任の歴子無し、と。
舊例に初めて京官に入るに、時に下状を用いて給料錢の歴を出だす。先生請わず。其の意に謂う、朝廷我を起こすこと、便ち當に廩人粟を繼ぎ、庖人肉を繼ぐがごとし、と。遂に戶部をして自ら爲に劵歴を出さしむ。又妻の爲に封を求めず。范純甫其の故を問う。先生曰く、某當時草萊より起こり、三辭して然して後に命を受く。豈今日乃ち妻の爲に封を求むる理有らんや、と。問う、今人の恩例を陳乞[ちんこつ]するは、義として當に然るべきや否や。人は皆以て本分と爲し、害と爲さず、と。先生曰く、只而今[じこん]の士大夫は個の乞の字を道[い]い得て慣るるが爲に、卻って動不動に又是れ乞うなり、と。因りて問う、父祖を封ずるを陳乞するは如何、と。先生曰く、此は事體又別なり、と。再三益[ま]さんことを請う。但云う、其の說甚だ長ければ、別の時を待ちて說かん、と。
出処32
漢のとき賢良を策するに、猶是れ人之を擧ぐ。公孫弘の如き者は、猶強いて之を起こし、乃ち對に就けり。後世の賢良の如きに至りては、乃ち自ら擧げられんことを求むのみ。若し果たして我が心只廷對のみを望むは、直ちに天下の事を言わんと欲すればなりと曰うもの有らば、則ち亦尙ぶ可きのみ。若し富貴を志すときは、則ち志を得ば便ち驕縱にして、志を失わば則ち便ち放曠と悲愁とのみ。
出処33
伊川先生曰く、人多く某人をして擧業を習わしめずと說く。某何ぞ嘗て人をして擧業を習わしめざらん。人若し擧業を習わずして、及第するを望まば、卻って是れ天理を責めて人事を修めざるなり。但擧業は旣に以て及第す可くんば卽ち已む。若し更に上面に去[ゆ]いて力を盡くし必得の道を求めば、是れ惑いなり、と。
出処34
問う、家貧しく親老ゆ。擧に應じ仕を求むるに、得失の累い有るを免れず。何を修めば以て此を免る可き、と。伊川先生曰く、此は只是れ志氣に勝たざるなり。若し志勝たば、自ら此の累い無からん。家貧しく親老いしときは、須く用[もっ]て祿仕すべし。然れども之を得ると得ざるとは、命有りと爲す、と。曰く、己に在りては固より可なり。親の爲にするは奈何にせん、と。曰く、己の爲にすると親の爲にするとは、也[また]只是れ一事なり。若し得ずんば、其れ命を如何にせん。孔子曰く、命を知らずんば、以て君子爲ること無し、と。人苟も命を知らずんば、患難を見ては必ず避け、得喪に遇いては必ず動き、利を見ては必ず趨[はし]らん。其れ何を以て君子爲らん、と。
出処35
或ひと科擧の事業は、人の功を奪うと謂うも、是れ然らず。且つ一月の中、十日擧業を爲さば、餘日は學を爲す可きに足る。然れども人此に志さざれば、必ず彼に志す。故に科擧の事は、功を妨ぐるを患えず、惟志を奪うを患うるのみ。
出処36
横渠先生曰く、世祿の榮は、王者の功有るを録し、德有るを尊び、之を愛し之を厚くして、恩遇の窮まらざるを示す所以なり。人の後爲る者の宜しく職を樂しみ功を勸めて、以て事任に服勤し、廉を長じ利を遠ざけて、以て世風を似述すべき所なり。而るに近代の公卿子孫は、方且[まさ]に下りて布衣に比し、聲病を工[たくみ]にし、有司に售[う]り、仕を求むるは義に非ざるを知らずして、反りて理に循うを羞じて能無しと爲し、蔭襲の榮爲るを知らずして、反りて虛名を以て善く繼ぐと爲す。誠に何の心ぞや。
出処37
其の力に資[よ]りて其の有を利とせずんば、則ち能く人の勢いを忘れん。
出処38
人多く貧賤に安んずるを言う。其の實は只是れ計窮まり力屈し、才短くして營畫すること能わざるのみ。若し稍[やや]動き得ば、恐らくは未だ肯て之に安んぜじ。須く是れ誠に義理の利欲より樂しきを知るべし。乃ち能くせん。
出処39
天下の事、大患は只是れ人の非笑するを畏るるのみ。車馬を養わず、麄を食し、惡しきを衣、貧賤に居れば、皆人の非笑するを恐る。當に生くべくんば則ち生き、當に死すべくんば則ち死し、今日の萬鐘は、明日之を棄て、今日富貴にして、明日飢餓するも、亦卹[うれ]えず、惟義在る所のみなるを知らざるなり。
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治体1
濂渓先生曰く、天下を治むるに本有りとは、身の謂なり。天下を治むるに則有りとは、家の謂なり。本は必ず端[ただ]しくす。本を端しくするは、心を誠にするのみ。則は必ず善くす。則を善くするは、親を和するのみ。家の難くして天下の易きは、家は親にして天下は疏なればなり。家人の離るるは、必ず婦人に起こる。故に睽[けい]は家人に次ぐ。二女同居して志同じく行われざるを以てなり。堯二女を嬀汭[きぜい]に釐[おさ]め降せし所以は、舜禪[ゆず]る可きや、吾玆に試みんとせしなり。是れ天下を治むるには家を觀、家を治むるには身を觀るのみ。身の端しきは、心誠なる謂なり。心を誠にするは、其の不善の動を復すのみ。不善の動は、妄なり。妄復せば則ち妄无し。妄无ければ則ち誠なり。故に无妄は復に次ぐ。而して曰く、先王は以て茂[さか]んに時に對して萬物を育す、と。深きかな。
治体2
明道先生嘗て神宗に言いて曰く、天理の正しきを得、人倫の至りを極むる者は、堯舜の道なり。其の私心を用い、仁義の偏に依る者は、霸者の事なり。王道は砥の如く、人情に本づき、禮義に出で、大路を履みて行く若く、復囘曲無し。霸者は曲徑の中に崎嶇[きく]反側して、卒[つい]に與に堯舜の道に入る可からず。故に心を誠にして王たらんとせば、則ち王たり。之を假りて霸たらんとせば、則ち霸たり。二つの者は其の道同じからず。其初めを審らかにするに在るのみ。易に謂う所の差[たが]うこと毫釐[ごうり]の若くなるも、繆[あやま]るに千里を以てする者なり。其の初めは審らかにせざる可からず。惟陛下、先聖の言を稽[かんが]え、人事の理を察し、堯舜の道の己に備わるを知り、身に反りて之を誠にし、之を推して以て四海に及さば、則ち萬世の幸甚ならん、と。
治体3
伊川先生曰く、當世の務め、尤も先にする所の者三つ有り。一に志を立つるを曰い、二に任を責むるを曰い、三に賢を求むるを曰う。今嘉謀を納[い]れ、善算を陳[の]ぶと雖も、君の志先ず立つに非ずんば、其れ能く聽きて之を用いんや。君之を用いんと欲するも、任を宰輔に責むるに非ずんば、其れ孰か承けて之を行わん。君相心を協[あ]わすも、賢者職に任ずるに非ずんば、其れ能く天下に施[し]かんや。此の三つの者は本なり。事を制する者は用なり。三つの者の中、復志を立つるを以て本と爲す。謂う所の志を立つとは、至誠もて心を一にし、道を以て自ら任じ、聖人の訓[おしえ]を以て必ず信ず可しと爲し、先王の治を必ず行う可しと爲し、近規に狃滯[じゅうたい]せず、衆口に遷惑されず、必ず天下を三代の世の如くなるに致すを期するなり、と。
治体4
比の九五に曰く、比を顯らかにす。王は用[もっ]て三驅して、前禽を失う、と。傳に曰く、人君天下に比する道は、當に其の比の道を顯明にすべきのみ。意を誠にして以て物を待ち、己を恕して以て人に及ぼし、政を發しては仁を施き、天下をして其の惠澤を蒙らしむが如き、是れ人君天下に親比する道なり。是の如くんば、天下孰か上に親比せざらん。若し乃ち其の小仁を暴[さら]し、道に違いて譽れを干[もと]め、以て天下の比を求めんと欲せば、其の道亦已[はなは]だ狹し。其れ能く天下の比を得んや。王者其の比の道を顯明にせば、天下自然に來り比せん。來る者は之を撫するも、固より煦煦[くく]然として比を物に求めず。田の三驅に、禽の去る者は從[はな]ちて追わず、來る者は則ち之を取るが若し。此れ王道の大にして、其の民の皞皞として之を爲すを知ること莫き所以の者なり。惟に人君の天下に比する道此の如くなるのみならず、大率人の相比する、然らざること莫し。臣の君に於るを以て之を言うに、其の忠誠を竭[つく]し、其の才力を致すは、乃ち其の君に比する道を顯らかにするなり。之を用うると否とは、君に在るのみ。阿諛逢迎して、其の己に比するを求む可からず。朋友に在りても亦然り。身を脩め意を誠にして以て之を待て。己に親しむと否とは、人に在るのみ。言を巧[たくみ]にし色を令[よ]くし、曲從苟合[こうごう]して、以て人の己に比するを求む可からず。郷黨親戚に於る、衆人に於る、皆然らざること莫し。三驅に前禽を失う義なり、と。
治体5
古の時は、公卿大夫より下、位各々其の德に稱[かな]う。身を終うるまで之に居るは、其の分を得ればなり。位未だ德に稱わずんば、則ち君擧げて之を進む。士は其の學を脩め、學至りて君之を求む。皆己に預ること有るに非ざるなり。農工商賈は、其の事を勤めて亨[う]くる所限り有り。故に皆定志有りて、天下の心は一にす可し。後世は庶士より公卿に至るまで、日に尊榮を志し、農工商賈、日に富侈を志す。億兆の心、交[こもごも]利に騖せ、天下紛然たり。之を如何ぞ其れ一にす可けんや。其の亂れざるを欲するも難し。
治体6
泰の九二に曰く、荒を包み馮河を用う、と。傳に曰く、人情安肆なるときは、則ち政舒緩にして、法度は廢弛し、庶事は節無し。之を治むる道は、必ず荒穢[こうわい]を包含する量有らば、則ち其の施爲、寬裕詳密、弊革り事理[おさ]まりて、人之に安んぜん。若し含弘の度無く、忿疾の心有らば、則ち深遠の慮無く、暴擾の患有り、深弊未だ去らざるに、近患已に生ぜん。故に荒を包むに在り。古より泰治の世は、必ず漸く衰替に至る。蓋し安逸に狃習[じゅうしゅう]し、因循して然るに由る。剛斷の君、英烈の輔に非ざるよりは、挺特奮發して以て其の弊を革むること能わざるなり。故に馮河を用うと曰う。或は疑わん、上に荒を包むと云うは、則ち是れ包含寬容なるなり。此に馮河を用うと云うは、則ち是れ奮發改革にして、相反するに似たり、と。含容の量を以て、剛果の用を施[し]くは、乃ち聖賢の爲[い]なるを知らざるなり、と。
治体7
觀は、盥[てあらい]して薦めず、孚有りて顒若[ぎょうじゃく]たり。傳に曰く、君子上に居りて、天下の表儀爲るとき、必ず其の莊敬を極むること、始めて盥する初の如くし、誠意をして少しく散ずること、旣に薦めし後の如くならしむこと勿くんば、則ち天下其の孚誠を盡くさざること莫く、顒然として之を瞻仰せん、と。
治体8
凡そ天下より一國に至るまで、一家より萬事に至るまで、和合せざる所以の者は、皆閒有るに由るなり。閒無くんば則ち合せん。以て天地の生、萬物の成に至るまで、皆合して後に能く遂ぐ。凡そ未だ合せざる者は、皆閒有るが爲なり。君臣・父子・親戚・朋友の閒に、離貳怨隙有るが若きは、蓋し讒邪其の閒に閒すればなり。其の閒隔を去りて之を合せば、則ち和し且つ治まらざること無し。噬嗑[ぜいこう]は、天下を治むる大用なり。
治体9
大畜の六五に曰く、豕の牙あるものを豶[ふん]す。吉なり、と。傳に曰く、物に總攝有り、事に機會有り。聖人其の要を操[と]り得ば、則ち億兆の心を視ること猶一心のごとし。之を道[みちび]けば斯[ここ]に行き、之を止むれば則ち戢[おさ]まる。故に勞せずして治まる。其の用は豕の牙を豶するが若し。豕は剛躁の物なり。若し其の牙を強制せば、則ち力を用うること勞せども止むること能わず。若し其の勢を豶去せば、則ち牙存すと雖も剛躁は自ら止まん。君子は豕を豶する義に法り、天下の惡の力を以て制す可からざるを知る。則ち其の機を察し、其の要を持し、其の本原を塞絶す。故に刑法の嚴峻なるを假らずして惡自ら止む。且く盗を止むるが如し。民には欲心有りて、利を見れば則ち動く。苟も敎を知らずして、饑寒に迫らるれば、刑殺日に施くと雖も、其れ能く億兆利欲の心に勝たんや。聖人は則ち之を止むる所以の道を知る。威刑を尙ばずして、政敎を脩め、之をして農桑の業有りて、廉恥の道を知らしむれば、之を賞すと雖も竊[ぬす]まじ、と。
治体10
解は西南に利ろし。往く所无きとき、其れ來り復らば、吉なり。往く攸有るとき、夙にせば、吉なり。傳に曰く、西南は坤の方なり。坤の體は廣大平易なり。天下の難の方に解くるに當たり、人始めて艱苦を離る。復び煩苛巖急を以て之を治む可からず。當に濟[すく]うに寬大簡易を以てすべく、乃ち其の宜しきなり。旣に其の難を解きて安平無事なり。是れ往く所无きなり。則ち當に治道を脩復し、紀綱を正し、法度を明らかにし、進んで先代明王の治に復すべし。是れ來り復るなり。正理に反るを謂うなり。古より聖王難を救い亂を定むるに、其の始め未だ遽に爲すに暇あらざるなり。旣に安定すれば、則ち久しくす可く繼ぐ可き治を爲す。漢より以下、亂旣に除かるれば、則ち復爲すこと有らず、姑く時に隨いて維持するのみ。故に善治を成すこと能わず。蓋し來復の義を知らざるなり。往く攸有るとき、夙にせば、吉なりとは、尙當に解くべき事有るとき、則ち早く之を爲[おさ]めば、乃ち吉なるを謂うなり。當に解くべくして未だ盡くさざる者は、早く去らずんば、則ち將に復盛んにならんとす。事の復生る者は、早く爲めずんば、則ち將に漸く大ならんとす。故に夙にせば則ち吉なり、と。
治体11
夫れ物有れば必ず則有り。父は慈に止まり、子は孝に止まり、君は仁に止まり、臣は敬に止まる。萬物庶事、各々其の所有らざる莫し。其の所を得れば則ち安く、其の所を失えば則ち悖る。聖人能く天下をして順治せしむる所以は、能く物の爲に則を作るに非ざるなり。惟之を止むるに各々其の所に於てするのみ。
治体12
兌は、說びて能く貞し。是を以て上は天理に順い、下は人心に應ず。說道の至正至善なる者なり。夫の道に違いて以て百姓の譽れを干[もと]むる若き者は、苟も說ぶ道なり。道に違えば天に順ならず、譽れを干むるは人に應ずるに非ず。苟も一時の說を取るのみ。君子の正道に非ず。君子の道は、其の民に說ばるる、天地の施しの如し。之を心に感じて、說服して斁[いと]うこと無し。
治体13
天下の事は、進まずんば則ち退き、一定する理無し。濟の終わりは、進まずして止まるも、常には止まることは無し。衰亂至らん。蓋し其の道已に窮極せるなり。聖人は此に至らば奈何せん。曰く、唯聖人のみ能く其の變を未だ窮せざるに通じ、極に至らしめずと爲す。堯・舜是れなり。故に終わり有れども亂無し、と。
治体14
民の爲に君を立つるは、之を養う所以なり。民を養う道は、其の力を愛[おし]むに在り。民力足れば則ち生養遂げ、生養遂ぐれば則ち敎化行われて風俗は美なり。故に政を爲すには民力を以て重しと爲す。春秋は凡そ民力を用うるときは必ず書す。其の興作する所、時ならずして義を害えば、固より罪と爲す。時にして且つ義なりと雖も必ず書するは、民を勞するを重事と爲すを見[しめ]すなり。後の人君此の義を知らば、則ち民の力を用うるに愼重なるを知らん。然れども民の力を用うること大にして書せざる者有り。敎を爲す意深し。僖公の泮宮[はんきゅう]を脩し、閟宮[ひっきゅう]を復せしは、民の力を用いざるに非ず。然り而して書せざるは、二つの者は古に復り廢れるを興す大事にして、國を爲[おさ]むる先務なればなり。是の如くにして民の力を用うるは、乃ち當に用うべき所なり。人君此の義を知らば、政を爲す先後輕重を知らん。
治体15
身を治め家を齊うるより、以て天下を平かにするに至るまでは、治の道なり。治綱を建立し、百職を分正し、天の時に順いて以て事を制するより、制を創[はじ]め度を立てて天下の事を盡くすに至るまでは、治の法なり。聖人の天下を治むる道は、唯此の二端のみ。
治体16
明道先生曰く、先王の世は、道を以て天下を治む。後世は只是れ法を以て天下を把持するのみ、と。
治体17
政を爲すには須く紀綱文章有るを要すべし。有司を先にし、郷官の法を讀み、價を平にし、權量を謹むは、皆闕く可からざるなり。人は各々其の親に親しみて、然して後に獨り其の親に親しむのみならざるを能くす。仲弓曰く、焉んぞ賢才を知りて之を擧げん、と。子曰く、爾の知る所を擧げなば、爾の知らざる所、人其れ諸を舍かんや、と。便ち仲弓と聖人との心を用うる大小を見る。此の義を推さば、則ち一心以て邦を喪う可く、一心以て邦を興す可し。只公私の閒に在るのみ。
治体18
治道には、亦本によりて言うもの有り、亦事によりて言うもの有り。本によりて言わば、惟是れ君心の非を格すことなり。心を正して以て朝廷を正し、朝廷を正して以て百官を正す。若し事によりて言うに、救わざれば則ち已む。若し須く之を救うべくんば、必ず須く變ずべし。大いに變ぜば則ち大いに益あり、小しく變ぜば則ち小しく益あらん。
治体19
唐の天下を有つ、治平なりと號せらると雖も、然れども亦夷狄の風有り。三綱は正しからず、君臣・父子・夫婦無し。其の原は太宗に始まる。故に其の後世子弟は皆せしむ可からず。君君たらざれば、臣臣たらず。故に藩鎭は賓せず、權臣は跋扈し、陵夷して五代の亂有り。漢の治は唐に過ぎたり。漢は大綱正しく、唐は萬目擧がる。本朝は大綱正しきも、萬目亦未だ盡くは擧がらず。
治体20
人を敎うる者は、其の善心を養いて惡自ら消ゆ。民を治むる者は、之を敬讓に導きて爭い自ら息む。
治体21
明道先生曰く、必ず關雎・麟趾の意有りて、然して後に以て周官の法度を行う可し、と。
治体22
君仁ならば仁ならざる莫く、君義ならば義ならざる莫し。天下の治亂は、人君の仁不仁に繋るのみ。是を離れて非ならば、則ち其の心に生じて、必ず其の政に害あり。豈之を外に作[な]すを待たんや。昔者、孟子三たび齊王に見ゆるも事を言わず。門人之を疑う。孟子曰く、我先ず其の邪心を攻む、と。心旣に正しくして、然して後に天下の事、從って理[おさ]む可きなり。夫れ政事の失、人を用うる非は、知ある者能く之を更[あらた]め、直[なお]き者能く之を諫む。然れども非心存せば、則ち一事の失は、救いて之を正さんも、後の失は、將に救うに勝[た]えざらんとす。其の非心を格[ただ]して、正しからざること無からしむるは、大人に非ずして、其れ孰か之を能くせん。
治体23
横渠先生曰く、千乘の國を道[みちび]くに、禮樂・刑政に及ばずして、用を節し人を愛し、民を使うに時を以てすと云う。言うこころは、能く是の如くんば、則ち法行われ、是の如くなること能わずんば、則ち法徒らにも行われず。禮樂・刑政も、亦制數のみ。
治体24
法立ちて能く守れば、則ち德は久しかる可く、業は大いなる可し。鄭聲佞人は、能く邦を爲[おさ]むる者をして其の守る所を喪わしむ。故に放ちて之を遠ざく。
治体25
横渠先生の范巽之[はんそんし]に答うる書に曰く、朝廷は道學・政術を以て二事と爲す。此れ正に古より憂う可き者なり。巽之は孔孟の作[おこ]る可しと謂う。將[はた]其の得る所を推して諸を天下に施くか。將其の爲さざる所を以てして強いて之を天下に施くか。大都[およそ]君相は天下に父母たるを以て王道と爲す。父母の心を百姓に推すこと能わず、之を王道と謂いて、可ならんや。謂う所の父母の心は、徒に言に見るるのみに非ず、必ず須く四海の民を視ること己の子の如くなるべし。設使[もし]四海の内をして皆己の子爲らしめば、則ち講治の術は、必ず秦漢の少恩と爲らず、必ず五伯の假名と爲らざらん。巽之朝廷の爲に言え、人は與に適[せ]むるに足らず、政は與に閒[そし]るに足らず。能く吾が君をして天下の人を愛すること赤子の如くならしめば、則ち治德必ず日に新に、人の進む者必ず良士にして、帝王の道は、必ずしも途を改めずして成り、學と政とは心を殊にせずして得ん、と。
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治法1
濂渓先生曰く、古の聖王、禮法を制[さだ]め、敎化を脩むるに、三綱正しく、九疇敍[つい]で、百姓大いに和ぎ、萬物咸[みな]若[したが]う。乃ち樂を作りて以て八風の氣を宣べ、以て天下の情を平かにす。故に樂聲は淡にして傷[やぶ]らず、和らぎて淫[おぼ]れず。其の耳に入り、其の心を感ぜしむるに、淡にして且つ和らがざること莫し。淡なれば則ち欲心平かに、和らげば則ち躁心釋[と]く。優柔平中は、德の盛んなり。天下化中は、治の至りなり。是を道天地に配すと謂い、古の極なり。後世、禮法は脩まらず、政刑は苛紊[かびん]にして、欲を縱[ほしいまま]にし度を敗[やぶ]り、下民困苦す。古樂は聽くに足らずと謂い、代[かわるがわる]聲に變え、妖淫愁怨にして、欲を導き悲を增し、自ら止むること能わず。故に君を賊い父を棄て、生を輕んじ倫を敗りて、禁[た]う可からざる者有り。鳴呼、樂は古は以て心を平かにし、今は以て欲を助け、古は以て化を宣べ、今は以て怨みを長ず。古の禮に復らず、今の樂を變えずして、治を致さんと欲するは、遠きかな、と。
治法2
明道先生、朝に言いて曰く、天下を治むるには、風俗を正し賢才を得るを以て本と爲す。宜しく先ず近侍の賢儒及び百執事に禮命し、心を悉[つく]して推訪せしむべし。德業充備し師表爲[た]るに足る者有らん。其の次には、志を篤くし學を好み材良く行脩まる者有らん。延聘敦遣して、京師に萃[あつ]め、朝夕相與に正學を講明せしめよ。其の道は必ず人倫に本づき、物理を明らかにす。其の敎は小學の灑埽應對より以往、其の孝弟忠信を脩め、禮樂に周旋するにいたるまで、其の誘掖激勵し漸摩成就する所以の道は、皆節序有り。其の要は善を擇んで身を脩め、天下を化成するに至るに在り。郷人よりして聖人に至る可き道なり。其の學行皆是に中る者を成德と爲す。材識明達し善に進む可き者を取り、日に其の業を受けしむ。其の學の明らかに德の尊き者を擇びて、太學の師と爲し、次は以て天下の學に分敎せしめん。士を擇びて學に入らしむるには、縣より之を州に升[のぼ]せ、州より太學に賓興し、太學は聚めて之を敎え、歳ごとに其の賢者能者を朝に論ぜよ。凡そ士を選ぶ法は、皆性行端潔に、家に居て孝悌に、廉恥禮遜有りて、學業に通明し、治道に曉達する者を以てす。
治法3
明道先生、十事を論ず。一に曰く師傅、二に曰く六官、三に曰く經界、四に曰く郷黨、五に曰く貢士、六に曰く兵役、七に曰く民食、八に曰く四民、九に曰く山澤、
虞衡の職を脩む。十に曰く分數。
冠婚喪祭車服器用の等差。其の言に曰く、古今と無く、治亂と無く、如し生民の理に窮むること有らば、則ち聖王の法改む可し。後世能く其の道を盡くさば則ち大いに治り、或は其の偏を用いば則ち小しく康んず。此れ歴代彰灼著明の效[しるし]なり。苟も或は徒に古に泥むを知りて之を今に施くこと能わず、姑く名に徇わんと欲して遂に其の實を廢せば、此れ則ち陋儒の見にして、何ぞ以て治道を論ずるに足らん。然れども儻[も]し今人の情は皆已に古に異なり、先王の迹は今に復す可からずと謂い、便に目前に趣き、高遠を努めざれば、則ち亦恐らくは大いにすること有るの論に非ずして、未だ以て當今の極弊を濟うに足らざるなり、と。
治法4
伊川先生上疏して曰く、三代の時、人君には必ず師・傅・保の官有り。師は之を道きて敎訓し、傅は之が德義を傅し、保は、其の身體を保んず。後世は事を作すに本無く、治を求むるを知るも君を正すを知らず、過を規[ただ]すを知るも德を養うを知らず。德義を傅する道、固より已に疎なり。身體を保んずる法、復聞く無し。臣以爲[おも]えらく、德義を傅す者は、見聞の非を防ぎ、嗜好の過ぎたるを節するに在り。身體を保んずる者は、起居の宜しきに適[かな]い、畏愼の心を存するに在り。今旣に保傅の官を設けざれば、則ち此の責は皆經筵に在り。欲乞[ねが]わくは、皇帝宮中に在るときは、言動服食、皆經筵官をして之を知らしめよ。翦桐の戲有らば、則ち事に隨いて箴規し、持養の方に違わば、則ち時に應じて諫止せん、と。
遺書に云う、某嘗て說を進めて、人主をして一日の中に、賢士大夫に親しむの時多く、宦官宮人に親しむの時少なからしめんと欲す。氣質を涵養し、德性を薰陶する所以なり。
治法5
伊川先生三學の條制を看詳して云う、舊制公私の試補は、蓋し虛月無し。學校は禮義の相先んずる地なるに、月ごとに之をして爭わしむるは、殊に敎養の道に非ず。請う試を改めて課と爲せ。未だ至らざる所有らば、則ち學官召して之を敎え、更に高下を考定せざれ。尊賢堂を制して、以て天下道徳の士を延[まね]き、及び待賓・吏師の齋を置き、士人の行檢を檢察する等の法を立てよ。又云う、元豐より後、利誘の法を設け、國學の解額を增して五百人に至る。來る者は奔湊[ほんそう]し、父母の養を捨て、骨肉の愛を忘れ、道路に往來し、他土に旅寓す。人心は日に偸[うす]く、士風は日に薄し。今、一百人を量り留め、餘の四百人は、分かちて州郡の解額窄[せま]き處に在らしめんと欲す。自然に士人各々郷土に安んじ、其の孝愛の心を養い、其の奔趨流浪の志を息[や]め、風俗も亦當に稍[やや]厚かるべし、と。又云う、三舍升補の法は、皆文を案[かんが]え跡を責む。有司の事にして、庠序にて材を育て秀を掄[えら]ぶ道に非ず。蓋し朝廷の法を授くる、必ず下に達し、長官は法を守りてすること有るを得ず。是を以て事は下に成りて、下は以て其の上を制するを得。此れ後世の治まらざる所以なり。或は曰わん、長貳に人を得ば則ち善し。或は其の人に非ざれば、防閑の詳密にして、循守す可きに若かず、と。殊に先王の法を制するに、人を待ちて行わるるを知らざるなり。未だ人を得ざる法を立つるを聞かず。苟も長貳人に非ずして、敎育の道を知らず、徒らに虛文密法を守るのみならば、果たして以て人材を成すに足らんや、と。
治法6
明道先生行状に云う、先生澤州晉城の令爲りしとき、民事を以て邑に至る者あらば、必ず之に告ぐるに孝悌忠信、入りては父兄に事うる所以、出でては長上に事うる所以を以てす。郷村の遠近を度りて伍保を爲し、之をして力役には相助け、患難には相恤[うれ]えて、姦僞の容るる所無からしむ。凡そ孤煢殘廢[こけいざんぱい]なる者は、之を親戚郷黨に責め、所を失うこと無からしむ。行旅の其の塗に出づる者は、疾病皆養う所有り。諸郷には皆校有り、暇時に親[みずか]ら至り、父老を召して之と語る。兒童讀む所の書は、親ら爲に句讀を正す。敎うる者善からざれば、則ち爲に易置し、子弟の秀れし者を擇び、聚めて之を敎う。郷民社會を爲[つく]るときは、爲に科條を立て、善惡を旌別[せいべつ]し、勸むること有り恥ずること有らしむ、と。
治法7
萃[すい]、王、廟を有するに假[いた]る。傳に曰く、羣生は至って衆[おお]きも、其の歸仰を一にす可し。人心は其の郷を知ること莫きも、能く其の誠敬を致す。鬼神は度る可からざるも、能く其の來格を致す。天下、人心を萃合し、衆志を總攝する道は一に非ず。其の至大なるは宗廟に過ぐるは莫し。故に王者天下を萃[あつ]むる道、廟有るに至れば、則ち萃道の至りなり。祭祀の報は、人心に本づく。聖人は禮を制[さだ]めて以て其の德を成すのみ。故に豺獺[さいだつ]能く祭るは、其の性然るなり、と。
治法8
古は戍役[じゅえき]、再期して還る。今年の春莫に行き、明年の夏に代わる者至る。復留りて秋に備え、十一月を過ぐるに至りて歸る。又明年の仲春に次に戍[まも]る者を遣わす。每[つね]に秋と冬初とには、兩番の戍者皆疆圉[きょうぎょ]に在り。乃ち今の防秋なり。
治法9
聖人は一事として天の時に順わざること無し。故に至日には關を閉ず。
治法10
韓信の多多益々辨ずるは、只是れ分數明らかなればなり。
治法11
伊川先生曰く、人を管轄するにも亦須く法有るべし。徒に嚴しきは事を濟[な]さず。今千人を帥るに、能く千人をして時に依り節に及びて飯を得て喫[くら]わしむ。只此の如き者も亦能く幾人か有る。嘗て謂えらく、軍中夜驚くに、亞夫は堅く臥して起きざりき。起きざるは善し。然れども猶夜驚くは、何ぞや。亦是れ未だ善を盡くさざるなり、と。
治法12
天下の人心を官攝し、宗族を收め、風俗を厚くし、人をして本を忘れざらしむは、須く是れ譜系を明らかにし、世族を收め、宗子法を立つべし。
一年に一年の工夫有り。
治法13
宗子法壞[やぶ]るるときは、則ち人自ら來處を知らず、以て四方に流轉し、往往に親未だ絶えざるに相識らざるに至る。今且く試みに一二の巨公の家を以て之を行わんに、其の術拘守し得得[べ]きを要す。須く是れ且く唐の時廟院を立つるが如くすべし。仍りて祖業を分割するを得ず、一人をして之を主[つかさど]らしむ。
治法14
凡そ人は家法として、須く月ごとに一會を爲して以て族を合すべし。古人に花樹韋家宗會の法有り、取る可きなり。族人の遠く來ること有る每に、亦一たび之を爲す。吉凶嫁娶の類は、更に須く相與に禮を爲し、骨肉の意をして常に相通ぜしむべし。骨肉の日に疎き者は、只相見ずして、情相接せざるが爲のみ。
治法15
冠婚喪祭は禮の大なる者なるに、今人は都て理會せず。豺獺は皆本に報ゆるを知るに、今の士大夫の家は多く此を忽[ゆるがせ]にす。奉養に厚くして先祖に薄きは甚だ不可なり。某嘗て六禮を脩む。大略、家ごとに必ず廟有り、
庶人は影堂を立つ。廟に必ず主有り、
高祖より以上は卽ち當に祧すべし。又云う、今の人影を以て祭る。或は一髭髪相似ざれば、則ち祭る所已に是れ別人、大いに便ならず。月朔には必ず新を薦め、
薦めて後方に食す。時祭は仲月を用い、
高祖に止まる。旁親の後無き者は之を別位に祭る。冬至には始祖を祭り、
冬至は陽の始めなり。始祖は厥の初めて民を生ずるの祖なり。主無きは廟中の正位に於て一位を設け、考妣を合わせて之を享す。立春には先祖を祭り、
立春は生物の始めなり。先祖は始祖よりして下、高祖よりして上、一人に非ざるなり。亦主無きは、兩位を設けて考妣に分享す。季秋には禰[でい]を祭る。
季秋は物を成すの時なり。忌日には主を遷して正寢に祭る。凡そ死に事うる禮は、當に生きたるに奉ずる者より厚くすべし。人家能く此等の事數件を存し得ば、幼者と雖も漸く禮義を知らしむ可し。
治法16
其の宅兆を卜するは、其の地の美惡を卜するなり。地、美なれば則ち其の神靈安らかにして、其の子孫盛んなり。然らば則ち曷[なに]をか地の美なる者と謂う。土色の光潤にして、草木の茂盛するは、乃ち其の驗なり。而るに拘忌する者は、惑いて以て地の方位を擇び、日の吉凶を決す。甚だしき者は、先に奉ずるを以て計と爲さず、專ら後を利するを以て慮と爲す。尤も孝子安厝[あんそ]の用心に非ず。惟五患なる者は愼まざるを得ず。須く異日道路と爲らず、城郭と爲らず、溝池と爲らず、貴勢の奪う所と爲らず、耕犂の及ぶ所と爲らざらしむべし。
一本に、所謂五患とは、城郭、溝渠、道路、村落を避く、井窰[いよう]を遠ざくとなり、と。
治法17
正叔云う、某の家は喪を治むるに、浮圖を用いず。洛に在しとき、亦一二の人家之に化する有り、と。
治法18
今は宗子無し。故に朝廷に世臣無し。若し宗子法を立てなば、則ち人、祖を尊び本を重んずるを知る。人旣に本を重んずれば、則ち朝廷の勢い自ら尊し。古は、子弟は父兄に從い、今は、父兄は子弟に從う。本を知らざるに由るなり。且く漢の高祖、沛を下さんと欲する時の如き、只是れ帛書を以て沛の父老に與えしのみなるに、其の父兄便ち能く子弟を率いて之に從えり。又相如の蜀に使いせしが如き、又書を遺りて父老に責め、然して後に子弟皆其の命を聽きて之に從う。只一箇の尊卑上下の分有りて、然して後に順從して亂れざるなり。若し法の以て之を聯屬すること無くんば、安んぞ可ならん。且つ宗子法を立つるも、亦是れ天理なり。譬えば木の如し。必ず根より直上する一幹有り、亦必ず旁枝有り。又水の如し。遠しと雖も必ず正源有り、亦必ず分派する處有るは、自然の勢いなり。然れども又旁枝の達して幹と爲る者有り。故に曰く、古天子國を建つるに、諸侯は宗を奪うと云う。
治法19
邢和叔、明道先生の事を敍べて云う、堯舜三代帝王の治、博大悠遠にして、上下は天地と流れを同じくする所以の者、先生固より已に默して之を識る。禮樂制度の文爲を興造するに至り、下は師を行[や]り兵を用うる戰陣の法に至るまで、講所ぜざる所無くして、皆其の極に造[いた]る。之を外にしては、夷狄の情状、山川道路の險易、邊鄙の防戍、城寨・斥候・控帶の要、究知せざること靡[な]し。其の吏事の操決、文法の簿書は、又皆精密詳練なり。先生の若きは、通儒全才と謂う可し、と。
治法20
介甫言う、律は是れ八分の書なり、と。是れ他[かれ]見得たるなり。
治法21
横渠先生曰く、兵謀師律は、聖人已むを得ずして之を用う。其の術は三王の方策・歴代の簡書に見ゆ。惟志士・仁人は、能く其の遠き者大いなる者を識り、素より求め預め備えて、敢て忽忘せざるを爲す、と。
治法22
肉辟は、今の世の死刑の中に於て之を取らば、亦民の死を寬[ゆる]くするに足る。此を過ぎては當に其の之を散らすことの久しきを念[おも]うべし。
治法23
呂與叔、横渠先生行状を撰して云う、先生慨然として三代の治に意有り。人を治むる先務を論ずるに、未だ始めより經界を以て急と爲さずんばあらず。嘗て曰く、仁政は必ず經界より始まる。貧富均しからず、敎養に法無くんば、治を言わんと欲すと雖も、皆苟もするのみ。世の行い難きを病[うれ]うる者は、未だ始より亟[すみ]やかに富人の田を奪うを以て辭と爲さずんばあらず。然れども玆の法の行わるる、之を悦ぶ者衆し。苟も之に處するに術有り、期するに數年を以てせば、一人も刑せずして復す可し。病うる所の者は、特[ただ]上の人の未だ行わざるのみ、と。乃ち言いて曰く、縱[たと]い之を天下に行うこと能わざるも、猶之を一郷に驗す可し。方に學者と古の法を議し、共に田一方を買い、畫して數井と爲し、上は公家の賦役を失わず、退きては其の私を以て經界を正し、宅里を分かち、斂法を立て、儲蓄[ちょちく]を廣め、學校を興し、禮俗を成し、葘[わざわい]を救い患えを恤[あわれ]み、本を敦くし末を抑えば、以て先王の遺法を推し、當今の行う可きを明らかにするに足る。此れ皆志有れども未だ就[な]らず、と。
治法24
横渠先生、雲巖の令爲りしとき、政事は大抵本を敦くし俗を善くするを以て先と爲す。每[つね]に月吉を以て酒食を具え、郷人の高年なるものを召して縣庭に會せしめ、親しく爲に勸酬して、人をして老を養い長に事うる義を知らしむ。因りて民の疾苦を問い、及び子弟を訓戒する所以の意を告ぐ。
治法25
横渠先生曰く、古は東宮有り、西宮有り、南宮有り、北宮有り。宮を異にして財を同じくす。此の禮も亦行わる可し。古人は遠きを慮る。目下相疎きに似ると雖も、其の實此の如くんば、乃ち能く久しく相親しまん。蓋し數十百口の家は、自ら是れ飮食衣服一を得るを爲し難し。又宮を異にすれば、乃ち子の其の私を伸ぶるを得容[べ]し。子の私するを避くる所以なり。子其の父に私せざれば、則ち子爲るを成さず。古の人曲[つぶさ]に人情を盡くせば、必ずや宮を同じくす。叔父・伯父有らば、則ち子爲る者何を以て獨り其の父に厚からん。父爲る者又烏んぞ得て之に當たらん。父子宮を異にするは、命士爲るより以上、愈々貴ければ則ち愈々嚴し。故に宮を異にするは、猶今の世に逐位有るがごとし。居を異にするが如きに非ざるなり、と。
治法26
天下を治むるに、井地に由らざれば、終に由りて平を得ること無し。周の道は只是れ均平なり。
治法27
井田は卒に封建に歸せば、乃ち定まる。
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政事1
伊川先生疏を上[たてまつ]りて曰く、夫れ鐘は、怒りて之を擊てば則ち武にして、悲しみて之を擊てば則ち哀なり。誠意の感じて入れるなり。人に告ぐるも亦是の如し。古人齋戒して君に告ぐる所以なり。臣前後兩[ふたた]び進講するを得たるも、未だ嘗て敢て宿齋預戒し、思いを潛め誠を存して、上の心を感動せしむるを覬[ねが]わずんばあらざりき。若使[もし]職事に營營とし、其の思慮を紛紛にし、上の前に至るを待ちて、然して後に其の辭說を善くし、徒に頰舌[きょうぜつ]を以て人を感ぜしめば、亦淺からずや、と。
政事2
伊川人の奏藁を示せしに答うる書に云う、公の意を觀るに、專ら亂を畏るるを以て主と爲す。頤は公の民を愛するを以て先と爲し、力めて百姓の飢えて且[まさ]に死せんとするを言ひ、朝廷に哀憐を丐[こ]わんことを欲す。因りて將に寇亂を爲さんとするを懼れしめば可なり。惟に君に告ぐる體の當に是の如くなるべきならず、事勢も亦宜しく爾[しか]るべし。公は方に財を求めて以て人を活さんとす。之に祈[もと]むるに仁愛を以てせば、則ち當に財を輕んじて民を重んずべし。之を懼れしむるに利害を以てせば、則ち將に財を恃み以て自ら保たんとす。古の時、邱民を得れば則ち天下を得たり。後世は兵を以て民を制し、財を以て衆を聚む。財を聚むる者は能く守るとし、民を保んずる者は迂なりとす。惟當に誠意を以て感動せしめ、其の忍びざる心有らんことを覬[ねが]うべきのみ、と。
政事3
明道邑を爲[おさ]む。民の事に及んでは、衆人の謂う所の法の拘する所の者多し。然れども之を爲すに未だ嘗て大いには法に戾らず、衆も亦甚だ駭[おどろ]かず。之を其の志を伸ぶるを得と謂わば、則ち可ならず。小補を求めば、則ち今の政を爲す者に過ぐること遠し。人之を異[あや]しむと雖も、指して狂と爲すに至らず。之を狂と謂うに至らば、則ち大いに駭かん。誠を盡くして之を爲し、容れられずして而る後に去らば、又何の嫌かあらん、と。
政事4
明道先生曰く、一命の士、苟も心を物を愛するに存せば、人に於て必ず濟う所有らん、と。
政事5
伊川先生曰く、君子は天水違行の象を觀て、人情に爭訟の道有るを知る。故に凡そ作す所の事は、必ず其の始めを謀る。訟端を事の始めに絶たば、則ち訟は由りて生ずること無し。始めを謀る義廣きかな。交結を愼み契劵を明らかにするが若き類、是れなり、と。
政事6
師の九二は、師の主爲り。專を恃めば則ち下爲るの道を失い、專ならざれば則ち成功の理無し。故に中を得るを吉と爲す。凡そ師の道、威和竝び至らば、則ち吉なり。
政事7
世儒に魯の周公を祀るに天子の禮樂を以てせしを論ずるもの有り。以爲えらく、周公能く人臣の爲す能わざる功を爲せば、則ち人臣の用うるを得ざる禮樂を用う可し、と。是れ人臣の道を知らざるなり。夫れ周公の位に居れば、則ち周公の事を爲す。其の位に由りて能く爲す者は、皆當に爲すべき所なり。周公は乃ち其の職を盡くせるのみ。
政事8
大有の九三に曰く、公用[もっ]て天子に享す。小人は克[あた]わず、と。傳に曰く、三は大有の時に當たり、諸侯の位に居り、其の富盛を有す。必ず用て天子に享通すとは、其の有を以て天子の有と爲すを謂うなり。乃ち人臣の常義なり。若し小人之に處らば、則ち其の富有を專らにして以て私と爲し、己を公にし上に奉ずる道を知らず。故に曰く、小人は克くせず、と。
政事9
人心の從う所は、親愛する所の者多し。常人の情、之を愛せば則ち其の是なるを見、之を惡まば則ち其の非なるを見る。故に妻孥の言は、失うと雖も從うこと多く、憎む所の言は、善しと雖も惡しと爲す。苟も親愛を以て之に隨わば、則ち是れ私情の與する所なり。豈正理に合わんや。故に隨の初九に、門を出でて交わらば、則ち功有りという。
政事10
隨の九五の象に曰く、嘉[よき]に孚ありて、吉なりとは、位正中すればなり、と。傳に曰く、隨は中を得るを以て善と爲す。隨の防ぐ所の者は過ぐることなり。蓋し心に說隨する所あらば、則ち其の過ぐるを知らざらん、と。
政事11
坎の六四に曰く、樽酒簋貳[そんしゅきじ]、缶[ほとぎ]を用う。約を納るるに牖[よう]よりす。終に咎无し、と。傳に曰く、此れ言うこころは、人臣の忠信善道を以て、君心に結ぶに、必ず其の明らかなる所の處よりせば、乃ち能く入るるとなり。人心には蔽う所有り、通ずる所有り。通ずる者は明らかなる處なり。當に其の明らかなる處に就きて之に告ぐべく、信を求むること則ち易からん。故に曰、約を納るるに牖よりす、と。能く是の如くんば、則ち艱險の時と雖も、終に咎无きを得ん。且く君心の荒樂に蔽わるるが如き、唯其の蔽や故なるのみ。力めて其の荒樂の非を詆ると雖も、其の省みざるを如何にせん。必ず蔽われざる所の事に於て、推して之に及ばば、則ち能く其の心を悟らしめん。古より能く其の君を諫めし者、未だ其の明らかなる所に因らざる者有らず。故に訐直強勁[けっちょくきょうけい]なる者は、率[おおむ]ね多く忤[さからい]を取り、溫厚明辨なる者は、其の說多く行わる。唯に君に告ぐる者此の如くなるのみに非ず、敎を爲す者も亦然り。夫れ敎は必ず人の長ずる所に就く。長ずる所とは、心の明らかにする所なり。其の心の明らかにする所に從いて入り、然して後に其の餘に推及す。孟子謂う所の德を成し財を達するもの、是れなり、と。
政事12
恆の初六に曰く、恆に浚[ふか]し。貞ならば凶なり、と。象に曰く、恆に浚きことの凶なるは、始めに求むること深ければなり、と。傳に曰く、初六は下に居りて、四は正應を爲す。四は剛を以て高きに居り、又二三の隔つ所と爲り、初に應ずる志、常に異なり。而るに初は乃ち求望すること深し。是れ常を知りて變を知らざるなり。世の故素を責望して、悔咎[かいきゅう]に至る者は、皆恆に浚き者なり、と。
政事13
遯の九三に曰く、係がれし遯なり。疾有りて厲[あや]うし。臣妾を養うは、吉なり、と。傳に曰く、係戀の私恩は、小人女子を懷[なつ]くる道なり。故に以て臣妾を畜養せば則ち吉なり。然れども君子の小人を待つ、亦是の如くならざるなり。
政事14
睽[けい]の象に曰く、君子は以て同じくして異なり、と。傳に曰く、聖賢の世に處する、人理の常に在りては、大いに同じからざること莫し。世俗の同じき所の者に於ては、則ち時有りて獨り異なり。大いに同じきこと能わざる者は、常を亂し理に拂[もと]る人なり。獨り異なること能わざる者は、俗に隨い非に習う人なり。要は同じくして能く異なるに在るのみ、と。
政事15
睽の初九。睽の時に當たりては、德を同じくする者相與すと雖も、然れども小人の乖異する者至って衆[おお]し。若し之を棄絶せば、天下を盡して以て君子に仇せしむるに幾からずや。此の如くんば則ち含弘の義を失い、凶咎の道を致さん。又安んぞ能く不善を化して之をして合わせしめんや。故に必ず惡人を見ば、則ち咎无し。古の聖王、能く姦凶を化して善良と爲し、仇敵を革めて臣民と爲す所以の者は、絶たざるに由るなり。
政事16
睽の九二。睽の時に當たりては、君心未だ合わず。賢臣下に在り、力を竭し誠を盡くして、之をして信じ合せしむるを期するのみ。至誠にして以て之を感動し、力を盡くして以て之を扶持し、義理を明らかにして以て其の知を致し、蔽惑を杜[とざ]して以て其の意を誠にす。是の如く宛轉して以て其の合うを求むるなり。遇は道を枉げて逢迎するに非ざるなり。巷は邪僻して徑に由るに非ざるなり。故に象に曰く、主に巷に遇う。未だ道を失わざるなり、と。
政事17
損の九二に曰く、損らさずして之を益す、と。傳に曰く、自ら其の剛貞を損せずんば、則ち能く其の上を益す。乃ち之を益すなり。若し其の剛貞を失いて柔說を用いば、適[まさ]に以て之を損するに足るのみ。世の愚者には、邪心無しと雖も、惟力を竭して上に順うことのみ忠と爲すを知る者有り。蓋し損らさずして之を益す義を知らざるなり、と。
政事18
益の初九に曰く、用[もっ]て大作を爲すに利ろし。元[おお]いに吉にして咎无し、と。象に曰く、元いに吉にして咎无きは、下厚事せざればなり、と。傳に曰く、下に在る者は本より當に厚事を處すべからず。厚事とは、重大の事なり。上に在るものの任ずる所と爲るを以て、所以に大事に當たりては、必ず能く大事を濟[な]して、元いに吉なるを致す。乃ち咎无しと爲す。能く元いに吉なるを致さば、則ち上に在る者、之を任ずるに人を知ると爲し、己は之に當たりて任に勝[た]うと爲す。然らずんば、則ち上下皆咎有り、と。
政事19
革むるも甚だしき益無くんば、猶悔ゆ可し。況や反って害あるをや。古人の改作を重んずる所以なり。
政事20
漸の九三に曰く、寇を禦ぐに利ろし、と。傳に曰く、君子の小人と比するや、自ら守るに正を以てす。豈惟君子自ら其の己を完くするのみならんや。亦小人をして非義に陷らざるを得しむ。是れ順道を以て相保ち、其の惡を禦止するなり、と。
政事21
旅の初六に曰く、旅の瑣瑣たるは、斯れ其の災いを取る所なり、と。傳に曰く、志卑しき人は、旣に旅困に處れば、鄙猥瑣細、至らざる所無し。乃ち其の悔辱を致し、災咎を取る所以なり、と。
政事22
旅に在りて過剛もて自ら高しとするは、困災を致すの道なり。
政事23
兌の上六に曰く、引きて兌[よろこ]ぶ、と。象に曰く、未だ光らざるなり、と。傳に曰く、說[よろこび]旣に極るに、又引きて之を長ぜしむ。之を說ぶ心已まずと雖も、事理已に過ぎ、實は說ぶ所無し。事の盛んなるときは、則ち光輝有り。旣に極まるに強いて之を引き長ぜしむ、其の意味無きこと甚だし。豈光有らんや、と。
政事24
中孚の象に曰く、君子は以て獄を議して死を緩くす、と。傳に曰く、君子の獄を議するに於る、其の忠を盡くすのみ。死を決するに於る、其の惻を極むるのみ。天下の事には、其の忠を盡くさざる所無し。而して獄を議して死を緩くするは、最も其の大なる者なり。
政事25
事は時有りて當に過ぐべし。宜しきに從う所以なり。然れども豈甚だしく過ぐ可けんや。恭に過ぎ哀に過ぎ儉に過ぐるが如き、大いに過ぐるは則ち不可なり。小しく過ぐるを宜しきに順うと爲す所以なり。能く宜しきに順うは、大いに吉なる所以なり。
政事26
小人を防ぐの道は、己を正すを先と爲す。
政事27
周公は至公にして私ならず、進退するに道を以てし、利欲の蔽無し。其の己を處するや、虁虁[きき]然として恭畏の心を存し、其の誠を存するや、蕩蕩然として顧慮の意無し。危疑の地に在りと雖も、其の聖を失わざる所以なり。詩に曰く、公は碩膚を孫[ゆず]り、赤舄[せきせき]几几たり、と。
政事28
採察求訪は、使臣の大いなる務めなり。
政事29
明道先生、吳師禮と介甫[かいふ]の學の錯[あやま]れる處を談ぜしとき、師禮に謂いて曰く、我が爲に盡く諸を介甫に達せよ。我も亦未だ敢て自ら以て是と爲さず。如し說有らば、願わくば往復せん。此れ天下の公理にして、彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らざるとき、則ち必ず我に益有らん、と。
政事30
天祺は司竹に在りしとき、常に一卒長を愛用せり。將に代わらんとするに及び、自ら其の人の筍皮を盗むを見、遂に之を治めて少しも貸[ゆる]すこと無し。罪已に正さるれば、之を待つこと復初めの如く、略[いささ]かも意に介せず。其の德量此の如し。
政事31
因りて口將に言わんとして囁嚅[しょうじゅ]するを論じて云う、若し合[まさ]に口を開くべき時ならば、他の頭を要むとも、也[また]須く口を開くべし。
荊何の樊於期に於るが如し。須く是れ其の言を聽くや厲なるべし、と。
政事32
須く是れ事上に就きて學ぶべし。蠱は民を振[すく]い德を育[やしな]う。然れども知る所有りて後、方に能く此の如し。何ぞ必ずしも書を讀みて、然して後に學と爲さん。
政事33
先生一學者の忙迫なるを見て、其の故を問う。曰く、幾處の人事を了えんと欲す、と。曰く、某は人事に周旋するを欲せざる者に非ざるも、曷[なん]ぞ嘗て賢の似[ごと]く急迫ならん、と。
政事34
安定の門人は、往往古を稽[かんが]え民を愛するを知る。則ち政を爲すに於て何か有らん。
政事35
門人曰える有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げずんば、則ち心に於て安んぜざる所有り。之を告げて人受けずんば、則ち奈何、と。曰く、之と處りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして未だ言わざる前に在らしむるを要めば、則ち言出でて人信ぜん、と。又曰く、善を責むるの道、誠餘り有りて言足らざらしむを要せば、則ち人に於て益有りて、我に在る者、自ら辱しむること無し、と。
政事36
職事は以て巧に免[のが]る可からず。
政事37
是の邦に居て、其の大夫を非[そし]らず。此の理最も好し。
政事38
克く小物を勤むるは、最も難し。
政事39
大任に當たらんと欲せば、須く是れ篤實なるべし。
政事40
凡そ人の爲に言う者、理勝てば則ち事明らかにして、氣忿[いか]]れば則ち怫[いかり]を招く。
政事41
今の時に居て、今の法令に安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を爲すを論ずるに、爲さざれば則ち已む。如し復之を爲さば、須く今の法度内に於て、其の當を處し得べく、方に義に合うと爲す。若し更改するを須[ま]ちて而る後に爲さば、則ち何の義か之れ有らん。
政事42
今の監司は、多く州縣と一體ならず。監司は專ら伺察せんと欲し、州縣は專ら掩蔽せんと欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮[およ]ばざる所有らん。敎う可き者は之を敎え、督[ただ]す可き者は之を督せ。聽かざるに至り、其の甚だしき者を擇びて一二を去り、以て衆を警むるに足らしめば、可なり。
政事43
伊川先生曰く、人は事の多きを惡む。或人は之を憫[いた]む。世事多しと雖も、盡く是れ人事なり。人事は人をして做[な]さしめずんば、更に誰をか責めて做さしめん、と。
政事44
感慨して身を殺すは易く、從容として義に就くは難し。
政事45
人或は先生に勸むるに禮を加えて貴に近[ちかづ]くを以てす。先生曰く、何ぞ責めらるるに禮を盡くすを以てせずして、之を責むるに禮を加うるを以てする。禮盡きなば則ち已む。豈加うること有らんや、と。
政事46
或ひと問う、簿は令を佐[たす]くる者なり。簿の爲さんと欲する所、令或は從わずんば、奈何、と。曰く、當に誠意を以て之を動すべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を爭うのみ。令は是れ邑の長なり。若し能く父兄に事うる道を以て之に事えば、過は則ち己に歸し、善は則ち唯令に歸せざるを恐れん。此の誠意を積まば、豈人を動かし得ざること有らんや。
政事47
問う、人の議論に於る、多く己を直[なお]しとせんと欲し、含容の氣無し。是れ氣の平かならざるや否や、と。曰く、固より是れ氣の平かならざるなり。亦是れ量狹し。人の量は識に隨いて長ずるも、亦人の識高くして量長ぜざる者有り。是れ識、實は未だ至らざるなり。大凡別の事は、人都て強い得。惟識量は強う可からず。今人には斗筲[とそう]の量有り、釜斛[ふこく]の量有り、鐘鼎の量有り、江河の量有り。江河の量は亦大なり。然れども涯有り。涯有れば亦時有りて滿つ。惟天地の量は則ち滿つること無し。故に聖人は、天地の量なり。聖人の量は道なり。常人の量有るは天資なり。天資に量有れば、須く限り有るべし。大抵六尺の軀、力量只此の如し。滿ちざるを欲すと雖も、得可からざるなり。鄧艾の如き、三公に位せしは、年七十にして處し得て甚だ好し。蜀を下すに因りて功有るに及び、便ち動ぜり。謝安は謝玄の苻堅を破りしを聞きしとき、客に對して碁を圍む。報至れども喜ばず。歸るに及び屐齒[げきし]を折る。強いること終に得ざりしなり。更に人大いに醉いし後益々恭謹なる者の如き、只益々恭謹なるは、便ち是れ動けるなり。放肆なる者と同じからずと雖も、其の酒の動かす所と爲るは、一なり。又貴公子の位益々高ければ、益々卑謙なるが如き、只卑謙なるは便ち是れ動けるなり。驕傲なる者と同じからずと雖も、其の位の動かす所と爲るは、一なり。然れども惟道を知る者のみ、量は自然に宏大にして、勉強を待たずして成る。今の人見る所卑下なる者有るは、他無し、亦是れ識量足らざればなり、と。
政事48
人纔かに公を爲すに意有らば、便ち是れ私心なり。昔人有りて選を典[つかさど]る。其の子弟磨勘に係りしとき、皆理[おさ]むるを爲さず。此れ乃ち是れ私心なり。人多く古時は直にして嫌を避けざるを用い得たるも、後世は此を用い得ずと言う。自ら是れ人無きなり。豈是れ時無きならんや。
因りて少師擧を典り、明道才を薦むる事を言えり。
政事49
君實嘗て先生に問いて云う、一人を給事中に除せんと欲す。誰かす可き者ぞ、と。先生曰く、初め若し泛[ひろ]く人才を論ぜば、卻って可なり。今旣に此の如し。頤に其の人有りと雖も、何ぞ言う可けん、と。君實曰く、公の口より出でて光の耳に入る、又何の害あらん、と。先生終に言わず。
政事50
先生云う、韓持國の義に服する、最も得可からず。一日、頤は持國・范夷叟と舟を潁昌の西湖に泛[うか]べぬ。須臾にして客將云う、一官員有りて書を上[たてまつ]り、大資に謁見せんとす、と。頤將[はた]甚[いか]なる急切なる公事か有ると爲すに、乃ち是れ己を知らんことを求めしなり。頤云う、大資は位に居るとき、卻って人を求めず、乃ち人をして倒[かえ]って來り己を求めしむ。是れ甚なる道理ぞ、と。夷叟云う、只正叔の太[はなは]だ執すと爲すのみ。薦章を求むるは、常の事なり、と。頤云う、然らず。只曾て求めざる者には與えず、來り求むる者には之を與うること有りしが爲に、遂に人を致すこと此の如し、と。持國便ち服す。
政事51
先生因りて言う、今日職に供[そな]わるに、只第一件は便ち他[か]の底[もの]を做[な]し得ず。吏人轉運司に申する状に押[おう]するとき、頤は曾て簽[せん]せず。國子監は自ら臺省に係り、臺省は朝廷の官に係る。外司に事有らば、合[まさ]に申状を行うべし。豈臺省より倒[かえ]って外司に申する理有らんや。只從前の人、只利害を計較するのみにして、事體を計較せざるが爲に、直[ただ]恁地[かくのごとき]を得。須く聖人の名を正さんと欲する處を看、名の正しからざる時は、便ち禮樂興らざるに至ると道[い]うを見得べし。是れ自然に住[とど]まり得ざるなり、と。
政事52
学者は世務に通ぜざる可からず。天下の事は譬えば一家の如し。我爲すに非ずんば則ち彼爲し、甲爲すに非ずんば則ち乙爲す。
政事53
人は遠慮無くんば、必ず近憂有り。思慮は當に事の外に在るべし。
政事54
聖人の人を責むるや常に緩し。便ち只事の正しきを欲するのみにして、人の過惡を顯わす意無きを見る。
政事55
伊川先生云う、今の守令は、惟民の產を制する一事のみ爲すを得ず。其の他は法度中に在りて、甚だ爲す可き者有り。人の爲さざるを患うるのみ、と。
政事56
明道先生の縣と作[な]りしとき、凡そ坐す處には、皆民を視ること傷むが如しの四字を書す。常に曰く、顥は常に此の四字に愧ず、と。
政事57
伊川は人の前輩の短を論ずるを見る每に、則ち曰く、汝輩且くは他[か]の長處を取れ、と。
政事58
劉安禮云う、王荊公の政を執る、法を議し令を改む。言者之を攻むること甚だ力[つと]む。明道先生嘗て旨を被り中堂に赴きて事を議す。荊公方に言者を怒り、色を厲しくして之を待つ。先生徐[おもむろ]に曰く、天下の事は、一家の私議に非ず。願わくは公氣を平にして以て聽け、と。荊公之が爲に媿屈[ぎくつ]す。
政事59
劉安禮民に臨むを問う。明道先生曰く、民をして各々其の情を輸[いた]すを得しむ、と。吏を御するを問う。曰く、己を正しくして以て物を格す、と。
政事60
横渠先生曰く、凡そ人上爲るは則ち易く、下爲るは則ち難し。然れども下爲ること能わずんば、亦下を使うこと能わず。其の情僞を盡くさざればなり。大抵人を使うに、常に其の前に在りて、己嘗て之を爲さば、則ち能く人を使わん、と。
政事61
坎は維れ心亨る。故に行くに尙ぶこと有り。外は險を積むと雖も、苟[も]し之に處り心亨りて疑わずんば、則ち難しと雖も必ず濟[わた]りて、往きて功有らん。今水萬仞の山より望むに、下らんと要せば卽ち下り、復凝滯の前に在る無し。惟義理有るを知るのみならば、則ち復何をか囘避せん。心の通ずる所以なり。
政事62
人の己を行うこと能わざる所以の者は、其の難き所の者に於ては則ち惰り、其の俗に異なる者には、易しと雖も羞縮すればなり。惟心弘くんば、則ち人の非笑を顧ず、趨く所は義理のみ。天下を視るに、能く其の道を移すこと莫し。然れども之を爲すに、人亦未だ必ずしも怪しまず。正[まさ]に己に在る者、義理勝たざるを以てなり。惰と羞縮との病、消えなば則ち長ずること有り、消えずんば則ち病常に在り。意思齷齪[あくそく]たらば、事を作すに由無し。在古氣節の士、死を冒して以てすること有るは、義に於て未だ必ずしも中らず。然れども志概有る者に非ずんば能くすること莫し。況や吾は義理に於て已に明らかなれば、何爲[なんす]れぞ爲さざらん、と。
政事63
姤の初六、羸豕[るいし]蹢躅[てきちょく]に孚あり。豕は羸[よわ]き時に方[あた]りては、力未だ動くこと能わず。然れども至誠は蹢躅に在り、伸ぶるを得ば則ち伸びん。李德裕の閹宦を處置するが如き、徒に其の帖息威伏するを知るのみにして、志の逞[たくま]しくするを忘れざるを忽[ゆるがせ]にせり。照察少しく至らざれば、則ち其の幾を失えり。
政事64
人の小童を敎うる、亦益を取る可し。己を絆ぎて出入せざらしむるは、一の益なり。人に授くること數數[しばしば]すれば、己も亦此の文義を了す。二の益なり。之に對するに必ず衣冠を正し、瞻視[せんし]を尊[たか]くす。三の益なり。常に己に因りて人の才を壞[やぶ]るを以て憂えと爲さば、則ち敢て惰らず。四の益なり。
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教学1
濂渓先生曰く、剛の善なるは、義と爲り、直と爲り、斷と爲り、嚴毅と爲り、幹固と爲る。惡なるは、猛と爲り、隘と爲り、強梁と爲る。柔の善なるは、慈と爲り、順と爲り、巽[そん]と爲る。惡なるは、懦弱と爲り、無斷と爲り、邪佞と爲る。惟中とは、和なり。節に中るなり。天下の達道なり。聖人の事なり。故に聖人の敎を立つる、人をして自ら其の惡を易え、自ら其の中に至らしむるのみ、と。
教学2
伊川先生曰く、古人子を生みては、能く食し能く言うよりして之を敎う。大學の法は、豫めするを以て先と爲す。人の幼なるや、知思未だ主とする所有らざれば、便ち當に格言至論を以て日に前に陳ぬべし。未だ曉知せずと雖も、且く當に熏聒[くんかつ]し、耳に盈ち腹に充たしむべし。久しくして自ら安習し、固より之を有するが若くならん。他說を以て之を惑わすと雖も、入ること能わざるなり。若し之を爲すに豫めせずんば、稍[やや]長ずるに及び、私意偏好は内に生じ、衆口辯言は外より鑠[しゃく]して、其の純完ならんことを欲すとも、得可からざるなり、と。
教学3
觀の上九に曰く、其の生を觀る、君子ならば咎无し、と。象に曰く、其の生を觀るは、志未だ平かならざるなり、と。傳に曰く、君子は位に在らずと雖も、然れども人其の德を觀て、用[もっ]て儀法と爲すを以て、故に當に自ら愼省すべし。其の生ずる所を觀て、常に君子たるを失わずんば、則ち人望む所を失わずして之に化せん。位に在らざる故を以て、安然として意を放ち事とする所無かる可からず、と。
教学4
聖人の道は天の如く然り。衆人の識と甚だ殊邈[しゅばく]す。門人弟子は旣に親炙して、而る後に益々其の高遠なるを知る。旣に以て及ぶ可からざる若くんば、則ち趨望の心怠らん。故に聖人の敎うる、常に俯して之に就く。上に事え喪に臨み、敢て勉めずんばあらざるは、君子の常行にして、酒に困[くるし]められざるは、尤も其れ近し。而して己を以て之に處らしむる者は、獨り夫の資の下なる者をして、勉思企及せしむるのみならず、才の高き者も、亦敢て近きを易[あなど]らざらしむ。
教学5
明道先生曰く、子弟の輕俊を憂うる者は、只敎うるに經學念書を以てせよ。文字を作らしむを得ず。子弟の凡百の玩好は、皆志を奪う。書札に至りては、儒者の事に於て最も近し。然れども一向に好著せば、亦自ら志を喪わん。王・虞・顏・柳の輩の如き、誠に好人爲るは則ち之有り。曾見[かつ]て書を善くする者の道を知ること有りしや否や。平生の精力一に此に用いば、惟に徒に時日を廢するのみに非ず、道に於て便ち妨ぐる處有らん。志を喪うを知るに足る、と。
教学6
胡安定は湖州に在りしとき、知道齋を置けり。學者に道者を明らかにせんと欲する者有らば、之を中に講ぜしむ。治民・治兵・水利・算術の類の如し。嘗て言う、劉彝は善く水利を治む、と。後累[しきり]に政を爲すに、皆水利を興して功有り。
教学7
凡そ言を立つるには意思を涵蓄し、德を知る者をして厭[あ]き、德無き者をして惑わしめざらんことを欲す。
教学8
人を敎うるに未だ意趣を見ずんば、必ず學ぶを樂しまず。且く之に歌舞を敎えんことを欲す。古詩三百篇の如きは、皆古人之を作れり。關雎の類の如き、家を正す始めなり。故に之を郷人に用い、之を邦國に用い、日に人をして之を聞かしむ。此等の詩は、其の言簡奧なれば、今の人には未だ曉[さと]り易からず。別に詩を作り、略童子に敎うる灑掃・應對・長に事うる節を言い、朝夕之を歌わしめんと欲す。當に助有るべきに似たり。
教学9
子厚、禮を以て學者に敎うるは最も善し。學者をして先ず據守する所有らしむ。
教学10
學者に語るに見未だ到らざる所の理を以てせば、惟に聞く所深徹せざるのみならず、反って理を將[もっ]て低く看ん。
教学11
舞射に便ち人の誠を見る。古、人を敎うる、之をして己を成さしむるに非ざる莫し。灑掃・應對の上より、便ち聖人の事に到る可し。
教学12
幼子には常に誑[あざむ]くこと毋きを視[しめ]すより以上は、便ち是れ敎うるに聖人の事を以てするなり。
教学13
先ず傳え後に倦む。君子は人を敎うるに序有り。先に傳うるに小さき者近き者を以てし、而して後に敎うるに大なる者遠き者を以てす。是れ先に傳うるに近小を以てして、後には敎うるに遠大を以てせざるに非ず。
教学14
伊川先生曰く、書を說くは必ず古意に非ず。轉[うた]た人をして薄からしむ。學者は須く是れ心を潛め慮を積みて、優游涵養し、之をして自得せしむべし。今一日にして說き盡くすは、只是れ敎え得て薄ければなり。漢の時に帷を下して講誦すと說くが如きに至りても、猶未だ必ずしも書を說かず、と。
教学15
古は八歳にして小學に入り、十五にして大學に入る。其の才の敎う可き者を擇びて之を聚め、不肖なる者は之を農畝に復[かえ]す。蓋し士・農は業を易えざればなり。旣に學に入れば則ち農を治めず、然して後に士・農判[わか]る。學に在るときの養は、士大夫の子の若きは、則ち養無きを慮らず。庶人の子と雖も、旣に學に入れば則ち亦必ず養有り。古の士は、十五にして學に入るより、四十にして方[はじ]めて仕うるに至るまで、中閒に自ら二十五年の學有り。又利の趨く可き無くんば、則ち志す所知る可し。須く去[ゆ]いて善に趨くべく、便ち此によりて德を成さん。後の人は童稚の閒より、已に汲汲として利に趨く意有り。何に由りてか善に向かうを得ん。故に古人は必ず四十にして仕えしめ、然して後に志定まる。只衣食を營[もと]むるのみならば、卻って害無し。惟利祿の誘いのみ最も人を害う。
人養ありて方に志を學に定む。
教学16
天下には多少の才有り。只道の天下に明らかならざる爲に、故に成就する所有るを得ず。且つ古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今人の如き、怎生[いかん]ぞ會し得ん。古人の詩に於る、今人の歌曲の如く一般なり。閭巷の童稚と雖も、皆其の說を習聞して、其の義を曉[さと]る。故に能く詩に興起す。後世は老師宿儒も、尙其の義を曉ること能わず。怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興るを得ざるなり。古禮旣に廢れ、人倫明らかならず。以て家を治むるに至るまで、皆法度無し。是れ禮に立つを得ざるなり。古人は歌詠以て其の性情を養い、聲音以て其の耳目を養い、舞蹈以て其の血脈を養うこと有り。今は皆之れ無し。是れ樂に成るを得ざるなり。古の材を成すや易く、今の材を成すや難し。
教学17
孔子の人を敎うるに、憤せずんば啓せず、悱せずんば發せず。蓋し憤悱を待たずして發せば、則ち之を知ること固からず。憤悱を待ちて而して後に發せば、則ち沛然たらん。學者は須く是れ深く之を思うべし。思いて得ず、然して後に他[かれ]の爲に說かば、便ち好し。初めて學ぶ者には、須く是れ且く他の爲に說くべし。然らずんば、獨り他曉[さと]らざるのみならず、亦人の問うを好む心を止めん。
教学18
横渠先生曰く、恭敬撙節[そんせつ]し、退讓して以て禮を明らかにするは、仁の至りなり、道を愛する極なり。己勉めて明らかにせずんば、則ち人從[よ]りて倡[みちび]かるること無く、道從りて弘まること無く、敎從りて成ること無し、と。
教学19
學記に曰く、進めて其の安きを顧みず、人をして其の誠に由らざらしめ、人を敎うるに其の材を盡くさず、と。人未だ安からざるに、又之を進め、未だ之を喩[さと]らざるに、又之に告げなば、徒に人をして此の節目を生ぜしむるのみ。材を盡くさず、安きを顧みず、誠に由らざるは、皆是れ之を施すこと妄なればなり。人を敎うるは至って難し。必ず人の材を盡くさば、乃ち人を誤らず。及ぶ可き處を觀て、然して後に之を告げよ。聖人の明は、直[ただ]庖丁の牛を解くに、皆其の隙を知り、刃の餘地に投ぜられて、全牛無きが若し。人の材は以てすること有るに足る。但其の誠に由らざるを以て、則ち其の材を盡くさず。若し勉率して之を爲すと曰わば、則ち豈誠に由ること有らんや。
教学20
古の小兒は、便ち能く事を敬む。長者之と提攜せば、則ち兩手もて長者の手を奉ず。之に問わば、口を掩いて對[こた]う。蓋し稍[やや]事を敬せずんば、便ち忠信ならず。故に小兒に敎うるには、且く安詳恭敬を先にす。
教学21
孟子曰く、人は與に適[とが]むるに足らざるなり。政は與に閒[そし]るに足らざるなり。唯大人のみ能く君心の非を格すと爲す、と。惟に君心のみに非ず、朋游・學者の際に至るまで、彼は議論の異同するありと雖も、未だ深く較ぶるを欲せず。惟其の心を整理し、之を正しきに歸せしむるのみ。豈小補ならんや。
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警戒1
濂渓先生曰く、仲由は過を聞くを喜び、令名窮まること無し。今の人は過有るも、人の規[ただ]すを喜ばざること、疾を護りて醫を忌むが如し。寧ろ其の身を滅すも悟ること無し。噫、と。
警戒2
伊川先生曰く、德善日に積まば、則ち福祿日に臻[いた]り、德、祿を踰えなば、則ち盛んなりと雖も滿つるに非ず。古より隆盛、未だ道を失わずして喪敗せし者有らざるなり、と。
警戒3
人の豫樂に於る、心之を悦ぶ。故に遲遲たり。遂に耽戀して已むこと能わざるに至る。豫の六二は、中正を以て自ら守り、其の介[かた]きこと石の如し。其の去ることの速やかなる、日を終うるを俟たず。故に貞正にして吉なり。豫に處ること、安んじ且つ久しうす可からず。久しうせば則ち溺る。二の如きは、幾を見て作[た]つ者と謂う可し。蓋し中正なるが故に其の守ること堅くして、能く之を辨ずること早く、之を去ること速やかなり。
警戒4
人君危亡を致す道は一に非ず。而して豫を以て多しとす。
警戒5
聖人の戒めを爲す、必ず方に盛んなる時に於てす。其の盛んなるに方[あた]りて戒むるを知らず、故に安富に狃[な]れては則ち驕侈生じ、舒肆[じょし]を樂しみては則ち綱紀壞[やぶ]れ、禍亂を忘れては則ち釁孼[きんげつ]萌ゆ。是れ浸淫を以て、亂の至るを知らざるなり。
警戒6
復の六三は、陰躁を以て動の極に處る。復の頻數[ひんさく]して固きこと能わざる者なり。復は安固を貴ぶに、頻りに復り頻りに失うは、復るに安んぜざるなり。善に復りて屢々失うは、危の道なり。聖人は善に遷る道を開き、其の復るを與[ゆる]して其の屢々失うを危しとす。故に厲[あや]うけれども咎无しと云う。頻りに失うを以て其の復るを戒む可からず。頻りに失わば則ち危しと爲すも、屢々復れば何をか咎めん。過は失に在りて復に在らざるなり。
劉質夫曰く、頻りに復して已まざれば、遂に復るに迷うに至る、と。
警戒7
睽極れば則ち咈戾[ふつれい]にして合い難く、剛極まれば則ち躁暴にして詳[よ]からず、明極まれば則ち過察にして疑い多し。睽の上九には、六三の正應有りて、實は孤ならず。而るに其の才性此の如し。自ら睽孤たるなり。人、親黨有りと雖も、自ら疑猜すること多く、妄りに乖離を生ぜば、骨肉親黨の閒に處ると雖も、常に孤獨なるが如し。
警戒8
解の六三に曰く、負うに且つ乘る。寇の至るを致す。貞しけれども吝[いや]し、と。傳に曰く、小人にして盛位を竊まば、勉めて正しき事を爲すと雖も、氣質卑下なれば、本より上に在る物に非ず。終に吝しむ可し、と。若し能く大いに正しきときは、則ち如何、と。曰く、大いに正しきは陰柔の能くする所に非ざるなり。若し之を能くせば、則ち是れ化して君子と爲れるなり、と。
警戒9
益の上九に曰く、之を益すこと莫し。之を擊つもの或らん、と。傳に曰く、理は天下の至公にして、利は衆人の同じく欲する所なり。苟も其の心を公にし、其の正理を失わずんば、則ち衆と利を同じくせん。人を侵すこと無くんば、人亦之を與にするを欲せん。若し利を好むに切にして、自私に蔽われ、自ら益するを求めて以て人を損せば、則ち人も亦之と力[つと]めて爭う。故に肯て之を益する莫くして、之を擊奪する者有らん、と。
警戒10
艮の九三に曰く、其限[こしぼね]に艮[とど]まり、其の夤[せぼね]を列[さ]く。厲[あや]うきこと心を熏[や]く、と。傳に曰く、夫れ止の道は宜しきを得るを貴ぶ。行止するに時を以てすること能わずして、一に定まる。其の堅強なること此の如くんば、則ち世に處りて乖戾し、物と睽絶す。其の危うきこと甚だし。人の固く一隅に止まりて、擧世宜しきを與にする者莫くんば、則ち艱蹇[かんけん]忿畏、其の内を焚撓[ふんどう]せん。豈安裕の理有らんや。厲うきこと心を熏くとは、不安の勢い、其の中を熏爍するを謂う。
警戒11
大率說を以て動くとき、安んぞ正を失わざる者有らん。
警戒12
男女には尊卑の序有り、夫婦には倡隨の理有り。此れ常理なり。若し情に徇[したが]い欲を肆[ほしいまま]にして、唯說ぶことにのみ是れ動き、男は欲に牽かれて其の剛を失い、婦は說ぶに狃れて其の順を忘れなば、則ち凶にして利ろしき所無からん。
警戒13
舜の聖と雖も、且つ巧言令色を畏る。說の人を惑わす、入り易くして懼る可きこと此の如し。
警戒14
水を治むるは、天下の大任なり。其の至公の心、能く己を舍てて人に從い、天下の議を盡くすに非ずんば、則ち其の功を成すこと能わず。豈命に方[さか]い族を圯[やぶ]る者の能くする所ならんや。鯀は九年にして功成らずと雖も、然れども其の治むる所は、固より他人の及ぶ所に非ざるなり。惟其の功に敘有り、故に其の自ら任ずるころ益々強く、咈戾して類を圯ること益々甚だしく、公議隔たりて人心離れたり。是れ其の惡益々顯われて、功卒に成る可からざりしなり。
警戒15
君子は敬して以て内を直くす。微生高の枉ぐる所は小なりと雖も、直を害するは則ち大なり。
警戒16
人は慾有らば則ち剛無し。剛ならば則ち慾に屈せず。
警戒17
人の過つや、各々其の類に於てす。君子は常に厚きに失し、小人は常に薄きに失す。君子は愛に過り、小人は忍に傷る。
警戒18
明道先生曰く、富貴もて人に驕るは、固より善からず。學問もて人に驕るも、害亦細ならず、と。
警戒19
人、事を料るを以て明と爲さば、便ち駸駸[しんしん]として詐を逆[むか]え不信を億[おも]うに入り去[ゆ]かん。
警戒20
人は外物もて身を奉ずる者に於て、事事に好きを要む。只自家の一箇の身と心と有るに、卻って好きを要めず。苟も外面の物の好きを得し時は、卻って自家の身と心と、卻って已に先ず好からざるを知道せざるなり。
警戒21
人の天理に於て昏き者は、是れ只嗜欲の他[かれ]を亂著するが爲なり。莊子言う、其の嗜欲深き者は、其の天機淺し、と。此の言は卻って最も是なり。
警戒22
伊川先生曰く、機事を閱[けみ]すること久しければ、機心必ず生ず。蓋し其の閱する時に方[あた]りて、心必ず喜べばなり。旣に喜べば則ち種子を種下するが如し、と。
警戒23
疑病ある者は、未だ事の至ること有らざる時に、先ず疑端の心に在る有り。事を周羅する者は、先ず事を周する端の心に在る有り。皆病なり。
警戒24
事の大小を較ぶれば、其の弊は尺を枉げて尋を直くする病と爲る。
警戒25
小人・小丈夫は、合[まさ]に他[かれ]を小とすべからず。本是れ惡ならざるなり。
警戒26
天下に公なる事と雖も、若し私意を用いて之を爲さば、便ち是れ私なり。
警戒27
官に做[な]るは、人の志を奪う。
警戒28
驕は是れ氣の盈てるなり、吝は是れ氣の歉[か]くるなり。人若し吝なる時は、財の上に於ても亦足らず、事の上に於ても亦足らず。凡そ百事皆足らずんば、必ず歉歉の色有るなり。
警戒29
未だ道を知らざる者は醉人の如し。其の醉いし時に方[あた]りては、至らざる所無し。其の醒むるに及んでや、愧恥せざる莫し。人の未だ學を知らざる者は、自ら視て以て缺[けつ]無しと爲すも、旣に學を知るに及び、反って前日爲す所を思わば、則ち駭[おどろ]き且つ懼れん。
警戒30
邢七云う、一日に三たび點檢す、と。明道先生曰く、哀しむ可きかな。其の餘の時は甚[いか]なる事か理會する、と。蓋し三省の說に倣[なら]いて錯[あやま]れるなり。曾て功を用いざりしを見る可し。又多く人を逐いて面上に一般の話を說く。明道之を責む。邢曰く、說く可き無し、と。明道曰く、說く可き無くんば、便ち說かざるを得ざらんや、と。
警戒31
横渠先生曰く、學者禮義を捨てなば、則ち飽食すること終日にして、猷爲[ゆうい]する所無く、下民と致[むね]を一にす。事とする所は衣食の閒、燕遊の樂しみを踰えざるのみ、と。
警戒32
鄭・衛の音は悲哀にして、人の意思をして畱連[りゅうれん]せしむ。又怠惰の意を生ぜしめ、從りて驕淫の心を致す。珍玩奇貨と雖も、其の始めて人を惑わすや、亦是の如く切ならず。從りて無限の嗜好を生ず。故に孔子曰く、必ず之を放て、と。亦是れ聖人經歴し過ぎたるなり。但聖人は能く物を移す所と爲らざるのみ。
警戒33
孟子の經に反るを言う、特に郷原の後に於てする者は、郷原は大なる者先に立たず、心中初めより作すこと無く、惟是れ左右に看、人情に順いて、違うを欲せず、一生此の如くなるを以てなり。
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異端1
明道先生曰く、楊・墨の害は、申・韓よりも甚だしく、佛・老の害は、楊・墨よりも甚だし。楊氏の爲我は義に疑わしく、墨氏の兼愛は仁に疑わし。申・韓は則ち淺陋にして見易し。故に孟子只楊・墨のみを闢くは、其の世を惑わすこと甚だしきが爲なり。佛・老は其の言理に近く、又楊・墨の比に非ず。此れ害を爲すこと尤も甚だしき所以なり。楊・墨の害、亦孟子之を闢くを經たり。所以に廓如たり、と。
異端2
伊川先生曰く、儒者は心を正道に潛め、差い有る容[べ]からず。其の始は甚だ微なるも、其の終わりは則ち救う可からず。師や過ぎたり、商や及ばずという如き、聖人の中道に於て、師は只是れ厚きに過ぐること些かにして、商は只是れ及ばざること些かなるのみ。然り而して厚きは則ち漸く兼愛に至り、及ばざるは則ち便ち爲我が至る。其の過不及は同じく儒者より出で、其の末は遂に楊・墨に至る。楊・墨の如きに至りても、亦未だ父を無[なみ]し君を無するに至らず。孟子之を推せば、便ち此に至る。蓋し其の差い必ず是[ここ]に至るなり、と。
異端3
明道先生曰く、道の外に物無く、物の外に道無し。是れ天地の閒、適[ゆ]くとして道に非ざるは無きなり。父子に卽[つ]きて父子は親む所に在り、君臣に卽きて君臣は嚴にする所に在り。以て夫婦爲り、幼長爲り、朋友爲るに至るまで、爲る所として道に非ざるは無し。此れ道の須臾も離る可からざる所以なり。然らば則ち人倫を毀[こぼ]ち、四大を去る者、其の道に分かるや遠し。故に君子の天下に於るや、適無きなり、莫無きなり。義に之れ與比[くみ]す。若し適有り莫有らば、則ち道に於て閒有りと爲す。天地の全きに非ざるなり。彼の釋氏の學は、敬以て内を直くするに於ては、則ち之れ有り。義以て外を方にするは、則ち未だ之れ有らざるなり。故に滯固なる者は枯槁[ここう]に入り、疏通なる者は恣肆[しし]に歸す。此れ佛の敎の隘爲る所以なり。吾が道は則ち然らず、性に率うのみ。斯の理や、聖人易に於て備[つぶさ]に之を言えり。
又云う、佛に一箇の覺の理有り。以て敬以て内を直くす可し。然れども義以て外を方にするもの無し。其の内を直くする者は、之を要するに其の本亦是ならず、と。
異端4
釋氏は本より死生を怖れて利の爲にす。豈是れ公道ならんや。唯上達を務むるのみにして下學無し。然らば則ち其の上達の處、豈是れ有らんや。元より相連屬せずして、但閒斷有るのみ。道に非ざるなり。孟子曰く、其の心を盡くす者は、其の性を知る、と。彼の謂う所の心を識り性を見ること、是れなり。心を存し性を養う一段の事の若き、則ち無し。彼固より曰く、家を出で獨り善くす、と。便ち道體に於て自ら足らず。或ひと曰く、釋氏地獄の類は、皆是れ下根の人の爲に、此の怖れを設け、善を爲さしむ、と。先生曰く、至誠は天地を貫くに、人尙化せざる有り。豈僞敎を立てて人の化す可きこと有らんや、と。
異端5
学者は釋氏の說に於て、直[ただ]須く淫聲美色の如くにして以て之を遠ざくべし。爾[しか]らずんば、則ち駸駸然として其の中に入らん。顏淵邦を爲むるを問う。孔子旣に之に告ぐるに二帝三王の事を以てして、復戒むるに鄭聲を放ち佞人を遠ざくるを以てす。曰く、鄭聲は淫にして、佞人は殆し、と。彼の佞人は、是れ他[かれ]の一邊の佞なるのみ。然り而して己に於て則ち危きは、只是れ能く人をして移らしむ、故に危きなり。禹の言に至りては曰く、何ぞ巧言令色を畏れんや、と。巧言令色は、直畏ると言うを消[もち]うるのみ。只是れ須著[すべから]く此の如く戒愼すべきも、猶免れざるを恐る。釋氏の學は、更に常に戒むと言うを消いず。自家自ら信ずる後に到りては、便ち亂し得ること能わず。
異端6
萬物は一體なりと謂う所以の者は、皆此の理有りて、只那[か]の裏より來ると爲せばなり。生生を之れ易と謂う。生まるるときは則ち一時に生まれ、皆此の理を完うす。人は則ち能く推し、物は則ち氣昏くして推し得ず。他物は與に有らずと道[い]う可からず。人は只自私し將に自家軀殻上頭に意を起さんとするが爲に、故に道理を看得て他底[かれ]を小とす。這[こ]の身を放ち來り、都て萬物中に在りて一例に看ば、大小大に快活なり。釋氏は此を知らざるを以て、他[かれ]の身上に去[ゆ]いて意思を起こすも、那の身を奈何ともし得ず。故に卻って厭惡し、根塵を去り盡くすを得んと要す。心源定まらざるが爲に、故に枯木死灰の如くなるを得んと要す。然れども此の理沒[な]し。此の理有るを要めば、除[ただ]是れ死なり。釋氏は其の實は是れ身を愛して、放ち得ざるなり。故に說くこと許多なり。譬えば負版の蠱の如き、已に載せ起きざるに、猶自ら更に物を取りて身に在らしむ。又石を抱きて河に投ずるが如き、其の重きを以て愈々沈むも、終に石頭を放下すと道わず、惟重きを嫌うのみ。
異端7
人に導氣を語る者有り。先生に問いて曰く、君も亦術有りや、と。曰く、吾嘗て夏に葛して冬に裘し、飢うれば食いて渴すれば飮み、嗜欲を節し、心氣を定む。斯くの如きのみ、と。
異端8
佛氏は陰陽・晝夜・死生・古今を識らず。安んぞ形而上なる者を謂うこと、聖人と同じきを得んや。
異端9
釋氏の說は、若し其の說を窮めて、之を去取せんと欲せば、則ち其の說の未だ窮むること能わざるに、固より已に化して佛と爲らん。只且く迹の上に之を考うるに、其の敎を設くること是の如くんば、則ち其の心果たして如何。固より其の心を取りて、其の迹を取らざるを爲し難し。是の心有らば則ち是の迹有り。王通の心迹の判を言えるは、便ち是れ亂說なり。故に且く迹の上に於て聖人と合わざるを斷定するに若かず。其の言に合う處有らば、則ち吾が道固より已に有り。合わざる者有らば、固より取らざる所なり。是の如く立て定めば、卻って省易なり。
異端10
問う、神仙の說諸れ有りや、と。曰く、白日飛昇すと說くが若き類は、則ち無し。山林の閒に居り、形を保んじ氣を錬り、以て年を延[のば]し壽を益すと言うが若きは、則ち之れ有り。譬えば一鑪の火の如き、之を風の中に置けば則ち過ぎ易く、之を密室に置けば則ち過ぎ難し。此の理有り、と。又問う、揚子言う、聖人の仙を師とせざるは、厥の術異なればなり、と。聖人は能く此等の事を爲すや否や、と。曰く、此は是れ天地閒の一賊なり。若し造化の機を竊むに非ずんば、安んぞ能く年を延さん。聖人をして肯て爲さしめば、周・孔之を爲さん、と。
異端11
謝顯道、佛說の吾が儒と同じき處を歴擧して、伊川先生に問う。先生曰く、恁地[かくのごとく]同じき處多しと雖も、只是れ本領是ならず、一齊に差卻す、と。
異端12
横渠先生曰く、釋氏は天性を妄意して、天用を範圍するを知らず、反って六根の微を以て、天地を因緣す。明盡くすこと能わずんば、則ち天地日月を誣[し]いて幻妄と爲す。其の用を一身の小に蔽い、其の志を虛空の大に溺れしむ。此れ大を語り小を語り、流遁して中を失う所以なり。其の大に過ぐるや、六合を塵芥にし、其の小に蔽わるるや、人世を夢幻にす。之を理を窮むと謂いて、可ならんや。理を窮むるを知らずして、之を性を盡くすと謂いて、可ならんや。之を知らざる無しと謂いて、可ならんや。六合を塵芥にすとは、天地を謂いて窮まり有りとするなり。人世を夢幻にすとは、明其の從[よ]る所を究むること能わざるなり、と。
異端13
大易は有無を言わず。有無を言うは、諸子の陋なり。
異端14
浮圖は鬼を明らかにして謂う、有識の死するや、生を受けて循環し、遂に苦を厭いて免れんことを求む、と。鬼を知ると謂う可けんや。人生を以て妄見と爲す。人を知ると謂う可けんや。天人は一物なるに、輒[すなわ]ち取舍を生ず。天を知ると謂う可けんや。孔・孟謂う所の天は、彼謂う所の道なり。惑える者遊魂變を爲すを指して輪廻と爲すは、未だ之を思わざればなり。大學は當に先ず天德を知るべし。天德を知れば、則ち聖人を知り、鬼神を知る。今、浮圖、要歸を劇論するに、必ず死生流轉は道を得るに非ずんば免れずと謂う。之を道を悟ると謂いて、可ならんや。
悟れば則ち義有り命有り、死生を均しくし、天人を一にす。惟晝夜を知り、陰陽に通じ、之を體して二つ無し。其の說熾んに中國に傳わりしより、儒者未だ聖學の門牆を窺う容[べ]からざるに、已に引取するところと爲り、其の閒に淪胥して、指して大道と爲す。乃ち其の俗之を天下に達し、善惡・知愚・男女・臧獲、人人に信を著くを致せり。英才閒氣をして、生まれては則ち耳目恬習の事に溺れ、長じては則ち世儒祟尙の言を師とせしむ。遂に冥然として驅[か]らる。因りて聖人は脩めずして至る可く、大道は學ばずして知る可しと謂う。故に未だ聖人の心を識らざるに、已に必ずしも其の迹を求めずと謂い、未だ君子の志を見ざるに、已に必ずしも其の文を事とせずと謂う。此れ人倫の察らかならざる所以、庶物の明らかならざる所以、治の忽[ゆるがせ]にせらるる所以、德の亂るる所以なり。異言耳に滿つるも、上は禮の以て其の僞を防ぐこと無く、下は學の以て其の弊を稽[かんが]うること無し。古より詖淫邪遁の辭、翕然[きゅうぜん]として竝び興る。一に佛氏の門より出づる者、千五百年なり。獨立して懼れず、精一にして自ら信じ、大いに人に過ぐる才有るに非ざるよりは、何を以て正しく其の閒に立ち、之と是非を較べ、得失を計らんや。
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聖賢1
明道先生曰く、堯と舜とは更に優劣無し。湯・武に至るに及んでは便ち別なり。孟子は之を性のままにすと之に反るとを言う。古より人の此の如く說くもの無し。只孟子分別し出で來れば、便ち堯・舜は是れ生まれながらにして之を知るものにて、湯・武は是れ學んで之を能くするものなるを知り得。文王の德は則ち堯・舜に似、禹の德は湯・武に似たり。之を要するに皆是れ聖人なり。
聖賢2
仲尼は元氣なり。顏子は春生なり。孟子は秋殺を幷せて盡く見[あら]わる。仲尼は包[か]ねざる所無し。顏子は違わざること愚なるが如きの學を後世に示す。自然の和氣有り、言わずして化する者なり。孟子は則ち其の才を露[あらわ]にす。蓋し亦時然るのみ。仲尼は、天地なり。顏子は、和風慶雲なり。孟子は、泰山巖巖の氣象なり。其の言を觀ば、皆之を見る可し。仲尼は迹無く、顏子は微かに迹有り、孟子は其の迹著る。孔子は儘[まった]く是れ明快の人なり、顏子は儘く豈弟[がいてい]なり、孟子は儘く雄辯なり。
聖賢3
曾子は聖人の學を傳う。其の德は後來測る可からず。安んぞ其の聖人に至らざるを知らん。吾正しきを得て斃ると言うが如き、且く文字を理會するを休め、只他[かれ]の氣象の極めて好きを看よ。他の見る所の處に大にせられしなり。後の人は好き言語有りと雖も、只氣象の卑なるを被り、終に道に類せず。
聖賢4
經を傳うるは難しと爲す。聖人の後、纔か百年にして、之を傳うること已に差[たが]えるが如し。聖人の學は、若し子思・孟子に非ずんば、則ち息むに幾[ちか]かりしならん。道は何ぞ嘗て息まん。只是れ人之に由らざるのみ。道は亡ぶるものに非ざるなり。幽・厲由らざるなり。
聖賢5
荀子は才高ければ、其の過多く、揚雄は才短ければ、其の過少なし。
聖賢6
荀子は極めて偏駁なり。只一句の性惡、大本已に失えり。揚子は過少なしと雖も、然れども已に自ら性を識らず、更に甚[なに]の道を說かん。
聖賢7
董仲舒曰く、其の義を正しくして、其の利を謀らず。其の道を明らかにして、其の功を計らず、と。此れ董子の諸子に度越する所以なり。
聖賢8
漢儒は毛萇・董仲舒の如き、最も聖賢の意を得たり。然れども道を見ること甚だしくは分明ならず。此より下れば卽ち揚雄に至り、規模又窄狹なり。
聖賢9
林希は揚雄を謂いて祿隱と爲す。揚雄は、後の人只他[かれ]の書を著すを見るが爲に、便ち他を是と做[な]さんと須要す。怎生[いかん]ぞ是と做し得ん。
聖賢10
孔明は王佐の心有りしも、道は則ち未だ盡くさず。王者は天地の私心無きが如し。一つの不義を行いて天下を得るは、爲さず。孔明は必ず成すこと有るを求めて劉璋を取りしも、聖人は寧ろ成すこと無きのみ。此れ爲す可からざるなり。劉表の子の琮、將に曹公の幷[あわ]す所と爲らんとせしとき、取りて劉氏を興すが若きは、可なり。
聖賢11
諸葛武侯は儒者の氣象有り。
聖賢12
孔明は禮樂に庶幾[ちか]し。
聖賢13
文中子は本是れ一隱君子なり。世人往往に其の議論を得、附會して書を成す。其の閒に極めて格言有り。荀・揚の道[い]い到らざる處なり。
聖賢14
韓愈も亦近世の豪傑の士なり。原道の中の言語の如き、病有りと雖も、然れども孟子より後、能く許大の見識を將[もっ]て尋求する者、才[わずか]に此の人を見る。斷じて孟子は醇乎として醇なりと曰い、又荀と揚とは擇びて精しからず、語りて詳らかならずと曰うが如きに至りては、若し是れ他[かれ]に見得るにあらずんば、豈千餘年の後に、便ち能く斷じ得て此の如く分明ならんや。
聖賢15
學は本是れ德を脩むるなり。德有りて然して後に言有り。退之は卻って倒[さかしま]に學べり。文を學ぶに因りて日に未だ至らざる所を求め、遂に得る所有り。軻の死するや其の傳を得ずと曰うが如き、此の似[ごと]き言語は、是れ前人を蹈襲せしに非ず、又鑿空して撰び得出せしに非ず。必ず見る所有りしならん。若し見る所無くんば、傳うる所の者何事ぞと言うを知らざりしならん。
聖賢16
周茂叔は胸中灑落にして、光風霽月の如し。其の政を爲すこと、精密嚴恕にして、務めて道理を盡くせり。
聖賢17
伊川先生、明道先生の行状を撰して曰く、先生は資稟旣に異なりて、而も充養するに道有り。純粹なること精金の如く、溫潤なること良玉の如し。寬なれども制有り、和すれども流れず。忠誠は金石を貫き、孝悌は神明に通ず。其の色を視るに、其の物に接するや、春陽の溫の如く、其の言を聽くに、其の人に入るや、時雨の潤の如し。胸懷洞然として、徹視閒無し。其の蘊を測らんとせば、則ち浩乎[こうこ]として滄溟の際[はて]無きが若く、其の德を極めんとせば、美言も蓋し以て形容するに足らじ。先生己を行うに、内は敬を主として、之を行うに恕を以てす。善を見ては諸を己より出だせしが若く、欲せずんば人に施さず。廣居に居りて大道を行い、言に物有りて動に常有り。先生の學を爲す、十五六の時、汝南の周茂叔の道を論ずるを聞きしより、遂に科擧の業を厭い、慨然として道を求むる志有り。未だ其の要を知らざるに、諸家に泛濫し、老・釋に出入する者幾んど十年なり。返りて諸を六經に求め、而る後に之を得たり。庶物を明らかにして、人倫に察[つまび]らかなり。性を盡くして命に至るは、必ず孝弟に本づき、神を窮め化を知るは、禮樂に通ずるに由るを知れり。異端の是に似たる非を辯じ、百代未だ明らかならざる惑を開く。秦・漢よりして下、未だ斯の理に瑧[いた]るもの有らざるなり。孟子沒して聖學傳らずと謂い、斯文を興起するを以て己が任と爲せり。其の言に曰く、道の明らかならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は、近くして知り易く、今の害は、深くして辨じ難し。昔、人を惑わすや、其の迷暗に乘じ、今、人に入るや、其の高明に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂うも、以て物を開き務[こと]を成すに足らず。言爲は周遍ならざる無きも、實は則ち倫理を外にす。深きを窮め微かなるを極むるも、以て堯舜の道に入る可からず。天下の學、淺陋固滯するに非ざれば、則ち必ず此に入るは、道の明らかならざるによるなり。邪誕妖異の說競い起りて、生民の耳目を塗り、天下を汚濁に溺れしむ。高才明智と雖も、見聞に膠[こう]し、醉生夢死して、自覺せざるなり。是れ皆正路の蓁蕪[しんぶ]、聖門の蔽塞なり。之を闢きて而る後に以て道に入る可し、と。先生進みては將に斯の人を覺らしめんとし、退きては將に之を書に明らかにせんとす。不幸にして早世し、皆未だ及ばざるなり。其の精微を辨析して、稍[やや]世に見[あらわ]るる者は、學者の傳うる所のみ。先生の門には、學者多し。先生の言は、平易にして知り易く、賢愚皆其の益を獲ること、羣の河より飮み、各其の量を充すが如し。先生の人を敎うる、知を致すより止まるを知るに至るまで、意を誠にするより天下を平かにするに至るまで、灑掃應對より理を窮め性を盡くすに至るまで、循循として序有り。世の學者の、近きを捨てて遠きに趨り、下に處りて高きを窺うは、輕々しく自ら大として卒に得る無き所以なるを病[うれ]う。先生の物に接する、辨ずれども閒せず、感じて能く通ず。人を敎えて人從い易く、人を怒りて人怨まず。賢愚善惡咸[みな]其の心を得たり。狡僞なる者も其の誠を獻じ、暴慢なる者も其の恭を致す。風を聞く者は誠に服し、德を覿る者は心醉す。小人趨向の異なるを以て、利害を顧み、時に排斥せらると雖も、退きて其の私を省るとき、未だ先生を以て君子と爲さざるもの有らざるなり。先生の政を爲す、惡を治むるに寬を以てし、煩を處して裕かなり。法令繁密なる際に當たりては、未だ嘗て衆に從いて文に應じ責を逃るる事を爲さず。人皆拘礙[こうがい]を病うるも、先生は之を處すること綽然[しゃくぜん]たり。衆は憂えて以て甚だ難しと爲すも、先生は之を爲すこと沛然たり。倉卒に當たると雖も、聲色を動さず。監司競いて嚴急を爲す時に方[あた]り、其の先生を待つこと率ね皆寬厚なり。設施の際、賴る所有り。先生爲[つく]る所の綱條法度は、人效[なら]いて爲る可し。其の之を道[みちび]けば從い、之を動かせば和し、物を求めずして物應じ、未だ信を施かずして民信あるに至りては、則ち人及ぶ可からず、と。
聖賢18
明道先生曰く、周茂叔の窻前の草除去されず。之を問うに、云う、自家の意思と一般なり、と。
子厚、驢の鳴くを觀るも、亦謂うこと此の如し。
聖賢19
張子厚は皇子生まると聞けば、喜ぶこと甚だし。餓莩[がひょう]者を見れば、食便ち美とせず。
聖賢20
伯淳嘗て子厚と興國寺に在りて、講論すること終日なり。而して曰く、知らず舊日、曾て甚[いか]なる人有りて此の處に於て此の事を講ぜしや、と。
聖賢21
謝顕道云う、明道先生は坐すること泥塑人の如し。人に接するときは則ち渾[まった]く是れ一團の和氣なり、と。
聖賢22
侯師聖云う、朱公掞明道に汝に見ゆ。歸りて人に謂いて曰く、光庭春風の中に在りて坐ること一箇月なり、と。游・楊初めて伊川に見えしとき、伊川は瞑目して坐せり。二子侍立す。旣に覺[さ]め、顧みて謂いて曰く、賢輩尙此に在るか。日旣に晩[おそ]ければ、且く休め、と。門を出づるに及び、門外の雪深きこと一尺なり。
聖賢23
劉安禮云う、明道先生は德性充完し、粹和の氣、面背に盎[あふ]る。樂易して恕多く、終日怡悦す。立之の先生に從うこと三十年、未だ嘗て其の忿厲の容を見ず、と。
聖賢24
呂與叔明道先生の哀詞を撰して云う、先生は特立の才を負い、大學の要を知る。博文強識し、躬行力究す。倫を察し物を明らかにして、其の止まる所を極む。渙然として心釋[と]け、道體を洞見す。其の約に造[いた]るや、事變の感一ならずと雖も、應ずるに是の心を以てして窮まらざるを知る。天下の理至て衆[おお]しと雖も、之を吾が身に反りて自ら足るを知る。其の一に致るや、異端竝び立つも移すこと能わず、聖人復起るとも與[ため]に易えじ。其の養の成るや、和氣充浹[じゅうしょう]し、聲容に見[あらわ]る。然れども之を望むに崇深にして、慢る可からず。事に遇いて優に爲し、從容として迫らず。然れども誠心懇惻は、之を措[お]かざるなり。其の自ら任ずることの重きや、寧ろ聖人を學びて未だ至らざるも、一善を以て名を成すを欲せず。寧ろ一物の澤を被らざるを以て己が病と爲すも、一時の利を以て己が功と爲すを欲せず。其の自ら信ずることの篤きや、吾が志行う可くんば、苟も其の去就を潔くせず。吾が義の安んずる所は、小官と雖も屑[いさぎよ]しとせざる所有り、と。
聖賢25
呂與叔、横渠先生の行状を撰して云う、康定、兵を用いし時、先生は年十八なり。慨然として功名を以て自ら許し、書を上[たてまつ]りて范文正公に謁す。公は其の遠器なるを知り、之を成就せんと欲す。乃ち之を責めて曰く、儒者には自ずから名敎有り。何ぞ兵を事とせん、と。因りて中庸を讀むことを勸む。先生は其の書を讀み、之を愛すと雖も、猶以て未だ足らずと爲す。是に於て又諸を釋老の書に訪[と]い、累年其の說を盡究す。得る所無きを知り、反りて之を六經に求む。嘉祐の初、程伯淳・正叔を京師に見、共に道學の要を語る。先生渙然として自ら信じて曰く、吾が道自ら足る。何ぞ旁求を事とせん、と。是に於て盡く異學を棄て、淳如たり。
尹彦明云う、横渠昔京師に在り、虎皮に坐して周易を說く。聽從するもの甚だ衆し。一夕二程先生至りて易を論ず。次日横渠虎皮を撤去して曰く、吾平日諸公の爲に說く者は皆道を亂る。二程近く到る有り。易道に深明にして、吾が及ばざる所なり。汝が輩之を師とす可し、と。晩に崇文にて疾を移[い]し西のかた横渠に歸りしより、終日一室に危坐し、簡編を左右にす。俯して讀み、仰ぎて思い、得ること有らば則ち之を識す。或は中夜に起坐し、燭を取りて以て書す。其の道に志し思いを精しくすること、未だ始めより須臾も息[や]まず、亦未だ嘗て須臾も忘れざるなり。學者問うこと有らば、多く告ぐるに禮を知り性を成し、氣質を變化する道と、學は必ず聖人の如くにして而る後に已むこととを以てす。聞く者心を動かして進むこと有らざる莫し。嘗て門人に謂いて曰く、吾學びて旣に心に得しときは、則ち其の辭を脩む。辭に命じて差うこと無く、然して後に事を斷ず。事を斷じて失無ければ、吾乃ち沛然たり。義を精しくし神に入るは、豫めするのみ、と。先生は氣質剛毅、德盛んにして貌嚴し。然れども人と居るに、久しくして日に親しむ。其の家を治め物に接する、大要己を正して以て人を感ぜしむ。人未だ之を信ぜずんば、躬に反りて自ら治め、以て人に語[つ]げず。未だ諭らざるもの有りと雖も、安んじ行いて悔ゆること無し。故に識ると識らざると、風を聞きて畏れ、其の義に非ずんば、敢て一毫を以て之に及ぼさず、と。
聖賢26
横渠先生曰く、二程は十四五の時より、便ち脱然として聖人を學ばんと欲せり、と。
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近思録後序
淳熙乙未の夏、東萊の呂伯恭東陽より來り、予が寒泉精舍を過る。畱止すること旬日、相與に周子程子張子の書を讀み、其の廣大閎博にして、津涯無きが若くなるを歎じ、夫の初學者の入る所を知らざるを懼る。因りて共に大體に關し日用に切なる者を掇取[てっしゅ]し、以て此の編を爲[つく]る。總べて六百二十二條、十四卷に分つ。蓋し凡そ學者端を求め、力を用い、己を處し、人を治むる所以の要と、夫の異端を辨じ、聖賢を觀る所以の大略とは、皆粗[ほぼ]其の梗概を見わす、以爲えらく窮郷の晩進、學に志有れども、明師良友の以て之に先後すること無き者は、誠に此を得て心に玩せば、亦以て其の門を得て入るに足らん。此の如くして然る後諸を四君子の全書に求め、沈潛反覆、優柔厭飫、以て其の博きを致し、諸を約に反らば、則ち其の宗廟の美、百官の富、其の以て盡く之を得る有るに庶からん。若し煩勞を憚り、簡便に安んじ、以て足るを此に取りて可と爲さば、則ち今日此の書を簒集する所以の意には非ざるなり。五月五日、新安の朱熹謹んで識す。
近思録旣に成る。或ひと疑う、首卷陰陽變化性命の說は、大抵始學者の事に非ず、と。祖謙竊かに嘗て次緝の意を聞くに與れり。後出の晩進、義理の本原に於て、未だ驟[にわ]かに語る容[べ]からずと雖も、苟も茫然として其の梗概を識らざれば、則ち亦何ぞ底止する所あらん。之を篇端に列するは、特[ただ]之をして其の名義を知りて、嚮望[きょうぼう]する所有らしむるのみ。餘卷載する所に至りては、講學の方、日用躬行の實、具[つぶさ]に科級有り。是に循って進み、卑きより高きに升り、近きより遠きに及ばば、簒集の指[むね]を失わざるに庶幾からん。若し乃ち卑近を厭いて高遠に騖せ、等を躐[こ]え節を陵ぎ、空虛に流れ、依據する所無きに迄[いた]らば、則ち豈所謂近思という者ならんや。覽る者宜しく之を詳らかにすべし。淳熙三年四月四日、東萊の呂祖謙謹んで書す。
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(引用文献)