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孝経(原文・読み・訳)
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孝経(English)
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孝経(読み)
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孝経(訳)
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童蒙須知
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朱子家礼(冠婚葬祭)
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詩経
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王義之孝経(臨書)
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孝経正文
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女孝経(上)
(下)
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現代子供教育の危機を救う。
(古の人は男女七歳から孝経、論語を誦した-小学より-)
孝経正文 : 古文今文 併合本
王義之孝経
詩経
国立図書館(古文孝経)
女孝経 上
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女孝経 下
孝経(こうきょう)
ー原文・書き下し文・現代語訳ー
古の人は男女五歳から孝経、論語を誦した
『孝経』(こうきょう)は、中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。
日本では古くから『孝経』が重視された。美努岡万墓誌(728年ごろ)に古文孝経をもとにした文章が使われている。
また、胆沢城から発見された『孝経』の漆紙文書は奈良時代中期・後半のものとされる。
養老令には学生が『論語』と『孝経』を学ぶべきことを述べている。
開宗明義
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天子
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諸侯
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卿大夫
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士
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庶人
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三才
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孝治
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聖治
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父母生績
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紀孝行
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五刑
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廣要道
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廣至徳
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應感
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廣揚名
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閨門
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諌諍
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事君
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喪親
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あとがき
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開宗明義(かいそうめいぎ)
原文
仲尼間居。曾子侍坐。子曰。參先王有至徳要道。以順天下。民用和睦。上下無怨。女知之乎。曾子避席曰。參不敏。何足以知之。子曰。夫孝徳之本也。教之所由生也。復坐。吾語女。身體髪膚。受之父母。不敢毀傷。孝之始也。立身行道。揚名於後世。以顕父母。孝之終也。夫孝。始於事親。中於事君。終於立身。大雅云。無念爾祖。聿修厥徳。
書き下し文
仲尼(ちゅうじ)閑居(かんきょ)す、曾子(そうし)侍(じ)す。 子曰く、 先王(せんわう)に至徳要道(しとくえうどう)有り、以て天下を順(じゅん)にし、民用(もっ)て和睦(わぼく)す、上下(じょうか)怨み(うら)無し。 汝(なんじ)之(こ)れを知るや、と。 曾子(そうし)、席(せき)を避(さ)けて曰く、 参(しん)、敏(びん)ならず、何ぞ以て之れを知るに足らん、と。 子曰く、 夫れ孝は、徳の本(もと)なり、教(おし)への由(よっ)て生ずる所なり。 復(かへ)り坐れ、吾れ汝に語(つ)げん。 身體髪膚(しんたいはっぷ)、之れを父母に受く、敢(あへ)て毀傷(きしょう)せざるは、孝の始なり。 身を立て道を行なひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕す、孝の終なり。 夫れ孝は、親(しん)に事(つか)ふるに始まり、君に事(つか)ふるに中(ちゅう)し、身(み)を立つるに終(をは)る。 大雅(たいが)に云ふ、 爾(なんじ)の祖(そ)を念(おも)ふ無からんや、厥(そ)の徳(とく)を聿(の)べ修(をさ)む、と。
現代語訳・抄訳
独座する孔子の側に曾子が来て侍座(じざ)した。 孔子が言った。 先王に至徳要道有り、無為自然にして天下を安んじ、民は相親しみて和睦す、上下共に怨みを生ずる無し。 お前はこれを知るか、と。 曾子は席を退き、慎んで答えて言った。 私は明敏ではありません。 どうしてその真意を知るに足りましょうか、と。 孔子が言った。 孝とは徳の本であり、教えに由りて生育されるものである。 戻って座るがよい、お前にその真意を教えよう。 そもそも我が身体、髪、皮膚、ありとあらゆるものは、父母より受けたるものである。 これを一時の惑いに失うこと無く、その生を尽くして全うするは、孝の始めである。 身を修めて道を行ない、名を後世に揚げて敬せらるに至る、このようにして父母を顕し先祖を讃えるに至らしめるは、孝の成就である。 孝というものは親に事(つか)えるに始まり、君に事(つか)えて全うし、身を立てて終える。 故に詩経の大雅にはこう詠われている。 汝の祖先の道を尊ぶべし、その徳を継ぎて修め帰す、と。
天子(てんし)
原文
愛親者。不敢悪於人。敬親者。不敢慢於人。愛敬。盡於事親。而徳教加於百姓。刑於四海。蓋天子之孝也。甫刑云。一人有慶。兆民賴之。
書き下し文
子曰く、 親を愛する者は、敢へて人を悪(にく)まず。 親を敬する者は、敢へて人を慢(あなど)らず。 愛敬、親に事(つか)ふるに尽きて、而して徳教、百姓に加はり、四海に刑(のり)す、蓋し天子の孝なり。 甫刑(ほけい)に曰く、 一人慶(よろこ)び有らば、兆民(ちょうみん)之を賴(こう)ぶる、と。
現代語訳・抄訳
孔子が言った。 親を愛する者は、人を悪(にく)むことは無く、親を敬する者は、人を侮ることは無い。 愛敬を親に事(つか)えるに尽すの心を以て、全てに推し広げる、さすれば徳教は天下万民へと自然にして満ち溢れ、世々これを則として背くこと無し。 これを天子の孝という。 故に書経の呂刑にはこう述べられている。 一人慶(よろこ)び有らば、天下万民これを幸むる、と。
諸侯(しょこう)
原文
居上不驕。高而不危。制節謹度。満而不溢。高而不危。所以長守貴也。満而不溢。所以長守富也。富貴不離其身。然後能保其社稷。而和其民人。蓋諸侯之孝也。詩云。戦戦兢兢。如臨深淵。如履薄氷。
書き下し文
上に在て驕らざれば、高くして危からず。 節を制し度(ど)を謹(つつし)めば、満ちて溢(あ)ふれず。 高くして危からざるは、長く貴きを守る所以なり。 満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。 富貴其の身を離れず、然る後に能(よ)く其の社稷(しゃしょく)を保ち、而して其の民人(みんじん)を和す、蓋し諸侯の孝なり。 詩に云ふ、 戦戦兢兢、深き淵に臨むが如く、薄氷を履(ふ)むが如し、と。
現代語訳・抄訳
上の位に在りて驕ることが無ければ、如何なる高位に在ろうとも危いことは無く、礼節を持して仁政を施せば、如何に満ちようとも溢れることは無い。 高位にして危き無きは、長く貴きを守る所以であり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以である。 人君が謙徳によりて貴きを守り、仁政によりて富を守らば、国家安泰にして人民安んず。 これを諸侯の孝という。 故に詩経の小旻篇にはこのように詠われている。 戦戦兢兢として深き淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し、と。
卿大夫(けいたいふ)
原文
非先王之法服。不敢服。非先王之法言。不敢道。非先王之德行。不敢行。是故。非法不言。非道不行。口無擇言。身無擇行。言滿天下。無口過。行滿天下。無怨惡。三者備矣。然後能保其録位。而守其宗廟。蓋卿大夫之孝也。詩云。夙夜匪懈。以事一人。
書き下し文
先王の法服(ほうふく)に非ざれば敢へて服せず、先王の法言に非ざれば敢へて道(い)はず、先王の徳行に非ざれば敢へて行はず。 是の故に法に非ざれば言はず、道に非ざれば行はず。 口に択言無く、身に択行(たくこう)無し。 言、天下に満ちて口過(こうか)無く、行、天下に満ちて怨悪(えんお)無し。 三者備へて、然る後に能(よ)く其の禄位(ろくい)を保ち、而して其の宗廟(そうびょう)を守る、蓋し卿大夫(けいたいふ)の孝なり。 詩に云ふ、 夙夜(しゅくや)を懈(おこ)たら匪(ず)、以て一人(いちにん)に事(つか)ふ、と。
現代語訳・抄訳
礼儀に適いたる衣服に非ざれば敢えて服せず、礼儀に適いたる言葉に非ざれば敢えて言わず、徳行に根ざしたる行いに非ざれば敢えて行なわず。 この故に曖昧な言葉を発さず、妄りに為さずしてその為すべき所を定む。 言葉を発すれば天下に満ちて人々はこれを是とし、実行すれば天下に満ちて人々はこれを嘉す。 言行一致し表裏相応じ、民これを受けて喜ばざる無く、故によくその禄位を保ち、その宗廟を継ぎて絶やすこと無し。 これを卿大夫の孝という。 故に詩経の蒸民篇にはこのように詠われている。 常に己を修めて倦むこと無し、以て一人に事(つか)ふ、と。
士(し)
原文
資於事父以事母。而愛同。資於事父以事君。而敬同。故母取其愛。而君取其敬。兼之者父也。故以孝事君則忠。以敬事長則順。忠順不失。以事其上。然後能保其爵録。而守其祭祀。蓋士之孝也。詩云。夙興夜寐。無忝爾所生。
書き下し文
父に事(つか)ふるに資(と)りて以て母に事(つか)ふ、而して愛同じ。 父に事(つか)ふるに資(と)りて以て君に事(つか)ふ、而して敬同じ。 故に母に其の愛を取り、而して君に其の敬を取る、之を兼ねる者は父なり。 故に孝を以て君に事(つか)ふれば則ち忠、敬を以て長に事(つか)ふれば則ち順。 忠順失はず、以て其の上に事(つか)ふ、然る後に能く其の禄位を保ち、而して其の祭祀を守る、蓋し士の孝なり。 詩に云ふ、 夙(つと)に興き夜(よわ)に寐(い)ぬ、爾(なんじ)の所生を忝(はづか)しむること無かれ、と。
現代語訳・抄訳
父に事(つか)えるの心を以て母に事(つか)える、そこに生ずる愛は同じ。 父に事(つか)えるの心を以て君に事(つか)える、そこに生ずる敬もまた同じ。 故に母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。 そして愛敬を兼ねるは父である。 故に親に事(つか)えるの孝を以て君に事(つか)えれば忠であり、敬を以て年長に事(つか)えれば順となる。 忠順を失わずして上に事(つか)えるの道を全うす。 故によく禄位を保ち、その先祖の道を継いで失うこと無し。 これを士の孝という。 故に詩経の小宛篇にはこのように詠われている。 朝早く起きて夜更けに寝る、汝の先祖を恥かしむること無かれ、と。
庶人(しょじん)
原文
用天之道。因地之利。謹身節用。以養父母。此庶人之孝也。故自天子以下至於庶人。孝無終始。而患不及者。未之有也。
書き下し文
天の道を用ひ、地の利に因り、身を謹み用を節し、以て父母を養ふ、此れ庶人の孝なり。 故に天子より以下、庶人に至るまで、孝の終始無く、而して患ひ及ばざる者は、未だ之れ有らざるなり。
現代語訳・抄訳
天道は四時違えず、故に人はこれに則りこれを用いる。 地勢の豊饒に各々利あり、故に人はこれに則りこれに因る。 四時に違えず、地勢に適いて農事に勤め、身体万全にして節倹に努む。 このようにして父母を養うを得るは、庶民の孝である。 これら上は天子から下は庶民に至るまで、孝の道を全うせずして患いの及ばざる者を、私は未だかつて聞いたことがない。
三才(さんさい)
原文
曾子曰。甚哉。孝之大也。子曰。夫孝。天之經也。地之義也。民之行也。天地之經。而民是則之。則天之明。因地之利。以順天下。是以其教不肅而成。其政不嚴而治。先王見教之可以化民也。是故先之以博愛。而民莫遺其親。陳之以德義。而民興行。先之以敬讓。而民不爭。道之以禮樂。而民和睦。示之以好惡。而民知禁。詩云。赫赫師尹。民具爾瞻。
書き下し文
曾子曰く、 甚だしき哉(かな)、孝の大なることや、と。 子曰く、 夫れ孝は、天の経なり、地の義なり、民の行なり。 天地の経にして、民、是に之れ則る。 天の明に則り、地の利に因り、以て天下を順(じゅん)にす。 是を以て其の教、粛(しゅく)ならずして成り、其の政、厳ならずして治む。 先王の教の以て民を化す可(べ)きことを見るなり。 是の故に之に先んずるに博愛を以てし、而して民、其の親を遺(わす)ること莫し。 之を陳(の)ぶるに徳義を以てし、而して民、行を興す。 之に先んずるに敬譲を以てし、而して民、争はず。 之を導くに禮楽を以てし、而して民、和睦す。 之を示すに好悪(こうお)を以てし、而して民、禁を知る。 詩に云ふ、 赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)る、と。
現代語訳・抄訳
曾子が言った。 なんと甚だしきものでしょうか、孝の偉大なることは、と。 孔子が言った。 孝というものは、天道に適い、地義に宜しく、民をして善に帰せしむるものである。 天地の常道にして、民はこれに則りこれを行なう。 天道四時明らかに、地勢豊穣これ則り、故に天下は自然にしてこれ治まる。 故にその教化は粛ならずして成り、その政事は厳ならずして治まるのである。 先王が自然にして民を化するを得たる所以はここにある。 必ず博愛の心を以て先と為すが故に、自然と人々にその親を敬愛して忘れざる心が生じ、必ず徳義を以てこれを為すが故に、自然と人々に行善の心が生じ、必ず敬譲の心を以て先と為すが故に、自然と人々は譲って争い生ぜず、これを導くに礼楽を以て為すが故に、自然と人々は和睦して相親しみ、これを示すに善悪邪正を明らかにするが故に、自然と人々は禁不禁の境を知りて堅くこれを守るようになる。 故に詩経の節南山にはこのように詠われている。 赫赫(かくかく)たる大師の尹氏よ、民は汝の姿を臨み見ている、と。
孝治(こうち)
原文
子曰。昔者。明王之以孝治天下也。不敢遺小國之臣。而況於公侯伯子男乎。故得萬國之歡心。以事其先王。治國者。不敢侮於鰥寡。而況於士民乎。故得百姓之歡心。以事其先君。治家者。不敢失於臣妾。而況於妻子乎。故得人之歡心。以事其親。夫然。故生則親安之。祭則鬼享之。是以天下和平。災害不生。禍亂不作。故明王之以孝治天下也。如此。詩云。有覺德行。四國順之。
書き下し文
子曰く、 昔者(せきしゃ)、明王の孝を以て天下を治むるや、敢へて小国の臣を遺(わす)れず、而(しか)るを況や公侯伯子男(こうこうはくしだん)に於いてをや。 故に萬国の懽(よろこ)ぶ心を得て、以て其の先王に事(つか)ふ。 国を治むる者は、敢へて鰥寡(かんか)を侮らず、而(しか)るを況や士民に於いてをや。 故に百姓(ひゃくせい)の懽(よろこ)ぶ心を得て、以て其の先君に事(つか)ふ。 家を治むる者は、敢へて臣妾(しんしょう)を失はず、而(しか)るを況や妻子に於いてをや。 故に人の懽(よろこ)ぶ心を得て、以て其の親に事(つか)ふ。 夫れ然り。 故に生くれば則ち親(しん)之に安んじ、祭らば則ち鬼(き)之を享(う)く。 是を以て天下和平、災害生ぜず、禍乱作(おこ)らず。 故に明王の孝を以て天下を治むるや、此の如し。 詩に云ふ、 覚(おほい)なる徳行有れば、四国之に順(したが)ふ、と。
現代語訳・抄訳
孔子が言った。 古代の明王の孝を以て天下を治むるや、爵位ある者に対してはもとより、小国の臣下に対しても礼を遺(わす)れず、故に万国の嘉する心を得て、以てその先王に事(つか)えるを得た。 国を治むる者は、国用を勤める者はもとより、決して孤独で身寄り無き者を侮らず、故に天下万民の嘉する心を得て、以てその先君に事(つか)えるを得た。 家を治むる者は、妻子に対してはもとより、決して使用人に対しても親しみを失わず、故に家人の嘉する心を得て、以てその親に事(つか)えるを得た。 これは当然の帰結である。 故に生ずれば祖宗これに安んじ、祭らば鬼神これを享(う)けて守らざるなく、これを以て天下は和平を得て、災害生ぜず、禍乱も起らず、明王の天下を治むること、孝を以てなすが故に、万事がこの通りであったのである。 故に詩経の抑(よく)篇にはこのように詠われている。 覚(おほい)なる徳行有れば、四方の国々自ずから順(したが)ふ、と。
聖治(せいち)
原文
曾子曰。敢問聖人之德。無以加於孝乎。子曰。天地之性。人為貴。人之行。莫大於孝。孝莫大於嚴父。嚴父莫大於配天。則周公其人也。昔者。周公郊祀后稷以配天。宗祀文王於明堂。以配上帝。是以四海之内。各以其職來助祭。夫聖人之德。又何以加於孝乎。故親生之膝下。以養父母日嚴。聖人因嚴以教敬。因親以教愛。聖人之教。不肅而成。其政不嚴而治。其所因者本也。
書き下し文
曾子曰く、 敢へて問ふ、聖人の徳、其れ以て孝に加ふること無からんか、と。 子曰く、 天地の性、人を貴しと為し、人の行、孝より大なるは莫し。 孝は父を厳(とうと)ぶより大なるは莫く、父を厳(とうと)ぶは天に配するより大なるは莫し。 則ち周公は其の人なり。 昔者(せきしゃ)、周公、后稷(こうしょく)を郊祀(こうし)して、以て天に配し、文王を明堂に宗祀(そうし)して、以て上帝に配す。 是を以て四海の内、各(おのおの)其の職を以ち来たりて祭り助く。 夫れ聖人の徳、又た何を以て孝に加へんや。 故に親しみ之を膝下(しっか)に生じ、以て父母を養ひ、日(ひび)に厳(とうと)し。 聖人、厳(げん)に因りて以て敬を教へ、親(しん)に因りて愛を教ふ。 聖人の教へ、粛(しゅく)ならずして成り、其の政(せい)、厳ならずして治まる。 其の因る所の者、本なればなり。
現代語訳・抄訳
曾子が言った。 敢えて問いますが、聖人の徳というものは、少しも孝に加えるところがないのでしょうか、と。 孔子が言った。 天地の生ずるところ、人を貴しと為し、人の行なうところ、孝より大なるはなし。 孝は父を尊び敬するより大なるはなく、父を尊ぶは天に配するより大なるはなし。 周公旦はその大なるを為した人である。 昔、周公旦は祖宗である后稷(こうしょく)を郊祀(こうし)して天に配し、父たる文王を明堂に宗祀(そうし)して、以て上帝に配した。 これを以て諸侯は、各々職分を務めて善く治め、祭祀の助けとしたのである。 これ孝治の至りにして天に通じ、故に聖人の徳といえども加えるところなし。 故に生まるれば親しみを以て父母を養い、日々に尊びて敬すれば、これを孝という。 聖人は厳によりて敬を教え、親(しん)によりて愛を教える。 聖人の政教たるや、厳粛ならずして自ずから通ずるは、その因るところの者、本なるが故なのである。
[父母生績]
原文
父子之道。天性也。君臣之義也。父母生之。續莫大焉。君親臨之。厚莫重焉。故不愛其親。而愛他人者。謂之悖德。不敬其親。而敬他人者。謂之悖禮。以順則。逆民無則焉。不在於善。而皆在於凶德。雖得之。君子不貴也。君子則不然。言斯可道。行斯可樂。德義可尊。作事可法。容止可觀。進退可度。以臨其民。是以其民畏而愛之。則而象之。故能成其德教。而行其政令。詩云。淑人君子。其儀不忒。
書き下し文
父子の道は、天性なり、君臣の義なり。 父母之を生ず、継ぐこと焉(これ)より大なるは莫し。 君親之に臨む、厚きこと焉(これ)より重きは莫し。 故に其の親を愛せずして、他人を愛する、之を悖徳と謂ふ。 其の親を敬せずして、他人を敬する、之を悖禮と謂ふ。 順を以(もち)ふれば則(のっと)り、逆なれば民則(のっと)ること無し。 善に在らず、而して皆な凶徳に在り、之を得ると雖も、君子は貴ばざるなり。 君子は則ち然らず、言は斯(こ)れ道(い)ふ可く、行は斯(こ)れ楽しむ可し。 徳義尊ぶ可し、作事(さくじ)法(のっと)る可し、容止(ようし)観る可し、進退度(ど)す可し。 以て其の民に臨む、是を以て其の民畏れて之を愛す、則(のっと)りて而して之に象(かた)どる。 故に能く其の徳教を成して、而して其の政令を行ふ。 詩に云ふ、 淑人(しゅくじん)君子、其の儀忒(たが)はず、と。
現代語訳・抄訳
父子の道は自然にして来たるところであり、その関わりは君臣の義に同じ。 父母ありて我れ生ず、その志を継いで子孫連綿に至らしめるや、これより大なるはなし。 敬親(けいしん)の道を以てこれに臨む、その厚恩たるや、これより重きはなし。 故にその親を愛せずして他人を愛する、これを悖徳といい、その親を敬せずして他人を敬する、これを悖礼という。 その行うところ順を以てすれば民は自然にしてこれに従い、逆を以てすれば民の従うこと自然ならず。 自然ならざれば善に在らず、たとえ治めるを得るも皆な凶徳にして、故に君子は貴ぶことなし。 君子は自ずから然るところを貴びて形迹生ぜず、言は道(い)うべくして道(い)い、行は行うべくして行い楽しむのみ。 その徳義を尊び、事を興すに違(たが)うことなく、その身を以て手本となし、その進退挙措の通ぜざるなし。 これを以て民に臨めば、人々畏敬して親愛し、その為すところに則りて習わざるはなし。 故に普くその徳教に感化され、その政令に従いて通ぜざるなし。 故に詩経の鳲鳩(しきゅう)篇にはこのように詠われている。 淑人(しゅくじん)君子、其の儀忒(たが)はず、と。
紀孝行(きこうこう)
原文
孝子之事親也。居則致其敬。養則致其樂。病則致其憂。喪則致其哀。祭則致其嚴。五者備矣。然後能事其親。事親者,居上不驕。為下不亂。在醜不爭。居上而驕則亡。為下而亂則刑。在醜而爭則兵。三者不除。雖日用三牲之養。猶為不孝也。
書き下し文
孝子の親に事(つか)ふるや、居らば則ち其の敬に致り、養はば則ち其の楽(がく)に致り、病まば則ち其の憂(ゆう)に致り、喪(そう)さば則ち其の哀(あい)に致り、祭(さい)せば則ち其の厳に致る。 五者、備はり、然る後に能く其の親に事(つか)ふ。 親に事ふる者は、上(かみ)に居て驕らず、下(しも)に為(な)りて乱れず、醜(たぐ)ひに在りて争はず。 上(かみ)に居て驕らば則ち亡び、下(しも)に為(な)りて乱るれば則ち刑せられ、醜(たぐ)ひに在りて争はば則ち兵せらる。 三者、除かざれば、日(ひび)に三牲(さんせい)の養ひを用ふと雖も、猶ほ不孝と為すなり。
現代語訳・抄訳
孝子の親に事(つか)えるや、父母居らばこれを敬し、父母を養えばその心に叶い、父母病めばこれを憂い、父母死さばこれを哀しみ、父母を祭祀せば厳にして安んず。 故にこの五者を備えてはじめて、その親に事えるという。 親に事える者は、上に在りて驕ることなく、下に在りて乱すことなく、衆と在りて争い生ぜず、必ず和して皆な親しむ。 もし上に在りて驕らば亡び、下に在りて乱(らん)せば刑せられ、衆と在りて争えば終には禍その身に及ぶ。 故にこの三者を除かざれば、日々に三牲の養いを以てその親に尽くすと雖も、不孝という。
五刑(ごけい)
原文
五刑之屬三千。而罪莫大於不孝。要君者。無上。非聖人者。無法。非孝者。無親。此大亂之道也。
書き下し文
五刑の属、三千、而して罪は不孝より大なるは莫し。 君に要(もと)むる者は、上を無(な)みし、聖人を非(そし)る者は、法を無(な)みし、孝を非(そし)る者は、親を無(な)みす。 これ大乱の道なり。
現代語訳・抄訳
古代に入れ墨の刑より死罪に至るまで五刑あり、その罰の種類は三千あれども、罪の大なること不孝に過ぎたるは無し。 私欲を専らにして主君に求める者は節操あらずして順逆違い、心に反(かえ)らずして聖人を誹る者は道心あらずして天理に悖り、愛敬存せずして孝子を誹る者は孝道あらずして人情に悖る。 これを大乱の道という。
廣要道(こうようどう)
原文
教民親愛。莫善於孝。教民禮順。莫善於弟。移風易俗。莫善於樂。安上治民。莫善於禮。禮者敬而已矣。故敬其父。則子悅。敬其兄。則弟悅。敬其君。則臣悅。敬一人。而千萬人悅。所敬者寡。而悅者衆。此之謂要道。
書き下し文
民に親愛を教ふるは、孝より善きは莫く、民に禮順を教ふるは、弟(てい)より善きは莫く、風(ふう)を移し俗を易(か)ふるは、楽(がく)より善きは莫く、上(かみ)を安んじ民を治むるは、禮より善きは莫し。 禮とは敬のみ。 故に其の父を敬さば、則ち子悦び、其の兄を敬さば、則ち弟悦び、其の君を敬さば、則ち臣悦ぶ。 一人を敬して、千萬人悦ぶ、敬する所の者は寡(すくな)くして、而して悦ぶ者の衆(おほ)き、此れを之れ要道と謂ふ。
現代語訳・抄訳
民に親愛を教えるには孝の道より善きはなく、民に礼順を教えるには弟(てい)の道より善きはなく、風俗を正へと帰するには楽(がく)の道より善きはなく、君を安んじ民を治めるには礼(れい)の道より善きはなし。 礼の本は敬あるのみ。 故にその父を敬うは子の喜びとなり、その兄を敬うは弟の喜びとなり、その君を敬うは臣の喜びとなる。 一人を敬して人々これを嘉す、その敬うところ少なくして悦ぶところの者多き、これを要道という。
廣至徳(こうしとく)
原文
君子之教以孝也。非家至而日見之也。教以孝。所以敬天下之為人父者也。教以弟。所以敬天下之為人兄者也。教以臣。所以敬天下之為人君者也。詩云。愷悌君子。民之父母。非至德。其孰能順民如此其大者乎。
書き下し文
君子の教ふるに孝を以てするや、家ごとに至りて日(ひ)びに之を見るに非ざるなり。 教ふるに孝を以てするは、天下の人の父為(た)る者を敬ふ所以なり。 教ふるに弟(てい)を以てするは、天下の人の兄為(た)る者を敬ふ所以なり。 教ふるに臣を以てするは、天下の人の君為(た)る者を敬ふ所以なり。 詩に云ふ、 愷悌(がいてい)の君子は、民の父母なり、と。 至徳に非ずんば、其れ孰(たれ)れか能く民を順すること、此の如く其れ大なる者あらんや。
現代語訳・抄訳
君子の人々を教化するに孝を以てするや、家々を訪れてこれに教えるには非ずして自らの身を以てこれに示すのである。 教えるに孝の道を以てするは、天下の人がその父を敬うに至る所以であり、教えるに弟(てい)の道を以てするは、天下の人がその兄を敬うに至る所以であり、教えるに臣の道を以てするは、天下の人がその君を敬うに至る所以である。 故に詩経の大雅泂酌(けいしゃく)篇にはこのように詠われている。 愷悌(がいてい)の君子は、民の父母なり、と。 至徳に非ずんば、どうして民を和順せしむることの、かくのごとくに大なる者があるだろうか。
應感(おうかん)
原文
昔者明王。事父孝。故事天明。事母孝。故事地察。長幼順。故上下治。天地明察。神明彰矣。故雖天子。必有尊也。言有父也。必有先也。言有兄也。宗廟致敬。不忘親也。修身謹行。恐辱先也。宗廟致敬。鬼神著矣。孝弟之至。通於神明。光於四海。無所不通。詩云。自西自東。自南自北。無思不服。
書き下し文
昔者(せきしゃ)明王、父に事(つか)へて孝、故に天に事(つか)へて明。 母に事(つか)へて孝、故に地に事(つか)へて察(さつ)。 長幼順なり、故に上下治まり、天地に明察なれば、神明(しんめい)彰(あら)はる。 故に天子と雖も必ず尊ぶ有り、父有るを言ふなり、必ず先んずる有り、兄有るを言ふなり。 宗廟を敬するに致るは、親(しん)を忘れざるなり、身を修め行を謹むは、先(せん)を辱(はづか)しむるを恐るなり。 宗廟を敬するに致らば、鬼神著(あら)はる。 孝弟(こうてい)の至り、神明に通じ、四海(しかい)に光(あきら)かなり、通ぜざる所無し。 詩に云ふ、 西よりし東よりし、南よりし北よりし、思ふて服せざる無し、と。
現代語訳・抄訳
古の明王は、その父に事(つか)えて孝、故に天に事えて明、その母に事えて孝、故に地に事えて察、長幼その順を尊びて上下乱れず、天地に明察なるが故に神明に達す。 故に天子と雖も尊ぶ所あり、これその父あるをいう。 必ず先んずる所あり、これその兄あるをいう。 宗廟を敬するに至るは、その親しみを忘れぬが故であり、身を修め行を謹むは、先祖を尊びてその名を貶めるを恐れるが故である。 宗廟を敬して誠なれば、先祖御霊(みたま)に自ずから通ず。 孝弟(こうてい)の至りは神明に通じ、天下四方に普く広がり、通ぜざる所無し。 故に詩経の大雅・文王有声篇にはこのように詠われている。 四方皆な来たりてその徳に感ず、心より服せざるは無し、と。
廣揚名(こうようめい)
原文
君子之事親孝。故忠可移於君。事兄弟。故順可移於長。居家理。故治可移於官。是以行成於内。而名立於後世矣。
書き下し文
君子の親に事(つか)ふるや孝なり、故に忠を君に移す可し。 兄に事(つか)へて弟(てい)なり、故に順(じゅん)を長に移す可し。 家に居りて理(おさ)む、故に治を官に移す可し。 是を以て行(ぎょう)、内(うち)に成りて、而して名、後世に立つ。
現代語訳・抄訳
君子のその親に事(つか)えるや必ず孝、故に君に事えるや必ず忠、その兄に事えるや必ず弟(てい)、故に長者に事えるや必ず順(じゅん)、家に居らば家人自ずから和し、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行(ぎょう)を自ら修めて世に示す、故に後世、その名を尊びて敬わざるは無し。
孝経[閨門]
原文
閨門之内。具禮已乎。嚴親嚴兄。妻子臣妾。猶百姓徒役也。
書き下し文
閨門(けいもん)の内、禮を具(そな)へたるかな、親(しん)を厳(たっと)び兄(けい)を厳ぶ、妻子臣妾(しんしょう)は、百姓(ひゃくせい)徒役(とえき)の猶(ごと)きなり。
現代語訳・抄訳
家に在りても礼を失せず、親を貴ぶは君に事(つか)えるの基となり、兄を尊ぶは長に事(つか)えるの基となる。 妻子は国にあっては役人のごとく、臣妾(しんしょう)は国あっては人夫のごとし。
諌諍(かんそう)
原文
曾子曰。若夫慈愛恭敬。安親揚名。參聞命矣。敢問從父之命。可謂孝乎。子曰。是何言與。是何言與。言之不通也。昔者。天子有争臣七人。雖無道。不失其天下。諸侯有争臣五人。雖無道。不失其国。大夫有争臣三人。雖無道。不失其家。士有争友。則身不離於令名。父有争子。則身不陷於不義。故當不義。則子不可以弗争於父。臣不可以弗争於君。故當不義。則争之。從父之命。焉得為孝乎。
書き下し文
曾子曰く、 夫(か)の慈愛恭敬(きょうけい)、親(しん)を安んじ名を揚ぐるが若きは、参(しん)、命を聞けり。 敢へて問ふ、父の命に従ふを、孝と謂ふ可きや、と。 子曰く、 是れ何の言ぞや、是れ何の言ぞや、言の通ぜざるなり。 昔者(せきしゃ)、天子に争臣七人有らば、無道なりと雖も、其の天下を失はず。 諸侯に争臣五人有らば、無道なりと雖も、其の国を失はず。 大夫に争臣三人有らば、無道なりと雖も、其の家を失はず。 士に争友(そうゆう)有らば、則ち身(み)は令名(れいめい)を離れず。 父に争子(そうし)有らば、則ち身は不義に陥らず。[3] 故に不義に当らば、則ち子は以て父に争はずんばある可からず、臣は以て君に争はずんばある可からず。 故に不義に当らば、則ち之を争ふ、父の命に従ふのみならば、焉(いづく)んぞ孝と為すを得んや、と。
現代語訳・抄訳
曾子が言った。 慈愛を存し恭敬を持し、親の心を安んぜしめ、身を立てて祖宗の名を称揚(しょうよう)す、かくのごとき者を孝という、と私は聞いております。 敢えて問いますが、父の命に従うことを孝というべきでありましょうか、と。 孔子が言った。 何の言ぞや、何の言ぞや、道理に通ぜざる言葉よ。 昔から、天子に争臣が七人居れば、無道であってもその天下を失うことはなく、諸侯に争臣が五人居れば、無道であってもその国を失うことはなく、大夫に争臣が三人居れば、無道であってもその家を失うことはなく、士に争友(そうゆう)が居れば、身はその名声に背くことはなく、父に争子が居れば、身は不義に陥ることはない、という。 故に不義に当たれば、子は父に争うべきであるし、臣下は主君に争うべきである。 不義に当りてこれを争う、父の命に従うのみならば、どうして孝となせようか、と。
事君(じくん)
原文
君子之事上也。進思盡忠。退思補過。将順其美。匡救其悪。故上下能相親也。詩云。心乎愛矣。遐不謂矣。中心藏之。何日忘之。
書き下し文
君子の上(かみ)に事(つか)ふるや、進んでは忠を尽くさんことを思ひ、退きては過ちを補はんことを思ふ。 其の美を将順(しょうじゅん)し、其の悪を匡救(きょうきゅう)す、故に上下能く相ひ親しむなり。 詩に云はく、 愛を心にすれば、遐(とほ)しと謂はず、中心之を蔵(ぞう)す、何(いづ)れの日か之を忘れん、と。
現代語訳・抄訳
君子の主君に事(つか)えるや、進んでは忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う。 その嘉(よみ)すべきところがあれば受けてこれに従い、その改むべきところがあれば未然に補いて増益す、故に上下和して親しまざるはなし。 故に詩経の隰桑(しっそう)篇にはこのように詠われている。 愛を心にすれば、遠近親疎の隔て無く、中心に蔵(ぞう)して忘ること無し、と。
喪親(そうしん)
原文
孝子之喪親也。哭不偯。禮不容。言不文。服美不安。聞樂不樂。食甘不旨。此哀戚之情也。三日而食。教民無以死傷生。毀不滅性。此聖人之政也。喪不過三年。示民有終也。為之棺槨衣衾。而擧之。陳其簠簋。而哀戚之。擗踊哭泣。哀以送之。卜其宅兆。而安措之。為之宗廟。以鬼享之。春秋祭祀。以時思之。生事愛敬。死事哀戚。生民之本盡矣。死生之儀備矣。孝子之事親終矣。
書き下し文
孝子の親(しん)に喪するや、哭偯(こくい)せず、礼(かたち)容(つくろ)はず、言(こと)文(かざ)らず、美を服せども安(やす)からず、楽を聞けども楽しからず、甘きを食(くら)へども旨からず。 此れ哀戚(あいせき)の情なり。 三日(さんじつ)にして食し、民に死を以て生を傷(やぶ)ること無く、毀(そこな)ふれども性を滅せざることを教ふ。 此れ聖人の政なり。 喪、三年に過ぎざるは、民に終はり有ることを示すなり。 之が棺槨(かんかく)衣衾(いきん)を為(つく)りて、而して之を挙ぐ、其の簠簋(ほき)を陳(つら)ね、而して之を哀戚(あいせき)し、擗踊(へきよう)哭泣(こくきゅう)し、哀しんで以て之を送り、其の宅兆(たくちょう)を卜(ぼく)して、而して之を安措(あんそ)し、之が宗廟(そうびょう)を為(つく)りて、鬼(き)を以て之を享(まつ)り、春秋に祭祀して、時を以て之を思ふ。 生けば事(つか)へて愛敬し、死せば事(つか)へて哀戚(あいせき)す。 生民(せいみん)の本(もと)、尽くせり、死生の義、備はれり、孝子(こうし)の親(しん)に事(つか)ふること終はれり。
現代語訳・抄訳
孝なる者のその親の喪に服するや、哀しむこと声を失い、喪に勝(た)えずして進退及ばず、言葉を発すれば清音あらず、美服を着るも安らかならず、音楽を聞くも楽しからず、甘きを食すも味を感ぜざるは、これ哀戚(あいせき)の情である。 喪に服して三日にして食するの決まりを設け、親しき者の死によってその生を損なわせず、身はやせ細るともその性命を滅せざるように教えるは、聖人の政(まつりごと)である。 喪に服すること、三年を以て最長の期間とするは、民に喪に服することの終わりあるを示すためである。 死者の為に柩(ひつぎ)を設け、死装束を作り、心を尽してこれを挙げ、供え物を捧げて勧めるも、応答あらざるを以ての故に、その死をまた感じて哀戚(あいせき)し、胸を叩き地を踏んで声をあげて泣き、哀しんで柩と共に逝くを送り、その柩の置くべきところを卜(ぼく)して安置し、宗廟(そうびょう)をおこして鬼(き)を以てこれを祭り、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。 生あらばこれに事(つか)えて愛敬を尽くし、死せばこれに事(つか)えて哀戚(あいせき)已(や)まず。 生きる者の本分を尽くし、死生の義を備えて已(や)むこと無し、こうであって初めて孝たるの道は、その親に事(つか)えるの全きを得るのである。
孝経(終)
引用文献
あとがき
古の人は男女五歳から孝経、論語を誦した
孝経(こうきょう)は、中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。
日本では古くから『孝経』が重視された。美努岡万墓誌(728年ごろ)に古文孝経をもとにした文章が使われている。 また、胆沢城から発見された『孝経』の漆紙文書は奈良時代中期・後半のものとされる。養老令には学生が『論語』と『孝経』を学ぶべきことを述べている。
古文と今文
秦の始皇帝の焚書にあったが、漢の初めに顔貫、顔貞父子によって世に出たものを、漢代通用の隷書体であったことから「今文孝経」といい、全18章。 武帝の末魯共王が孔子の書院の壁から得たと称される、漆書蝌蚪の古文字によるものを「古文孝経」といい、これは「今文」の18章のほかに閏門章があり、「今文」の庶人章を2章に分け、聖治章を3章に分け、全22章。古文孝経は梁代に散佚し、隋代に再発見されたが、隋代のものは偽書の疑いが高いとされる。 唐の玄宗が、今文派と古文派の両派から討論させたが決着がつかず、玄宗みずから注釈し(御注孝経・開元始注本)両派の争いを収めようとした。宋の邢昺の疏がある。
日本語訳
近年刊行では、加地伸行
訳注・解説『孝経』(講談社学術文庫)が読み易い。
また、岩波文庫に武内義雄・坂本良太郎訳注の『孝経・曾子』がある。
外部リンク
『孝経』全文 (中英文版)
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【孝経】 江守孝三 (emori kozo)