一代で巨万の富を築いた成功への秘訣3つのルール  
…いま「理系の大金持ち」がスゴすぎる

スチーブジョブズの3つの教え①情熱を持て②行動に移せ③未来を信じろ
スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
映画「スティーブ・ジョブズ 1995~失われたインタビュー~ 」特別映像
amazon創業者ジェフ・ベゾス氏の教え3つのルール①情熱を持て②後悔は行動しなかった事で生まれる③顧客と徹底的に向き合う
Jeff Bezos(ジェフ・ベゾス)スピーチ We are our choices - 全ては選択の積み重ね
マイクロソフト・ビル・ゲイツの成功の秘訣3つのルール①学びの姿勢は終わらない② 日々ワクワクする事を仕事に③失敗と成功の共有
ビル・ゲイツ ハーバード大学卒業講演① ビル・ゲイツ ハーバード大学卒業講演②
投資の神が語る人生と投資の3つのルール || ウォーレン・バフェット ①自分に投資しよう② 事実と理論に従う③お金を超越する仕事を見つけよう
松下幸之助の教え3つのルール①君は尊い存在である②ありがたさを理解すること③ 自己認識を怠らない事
組織の上に立つには ‖ ビルゲイツとウォーレン・バフェットが語る
(人前で話すことになれることです.人の長所を引き出せるのは重要です,才能IQは一切関係ありません。(ウオーレンパフェット)
組織の上にいきたいのなら戦略企画力・統率力。思考力を磨け(ビルゲイツ))。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190621-00065336-gendaibiz-bus_all&p=1

一代で巨万の富を築いた…いま「理系の大金持ち」がスゴすぎる

6/21(金) 7:31配信 現代ビジネス  理系出身者は技術者か専門職になる。そんな認識は時代遅れだ。経営者として成功している人は少なくない。文系経営者とは異なる手腕で成り上がった彼らは、何が凄いのか。本人が赤裸々に明かす。 これから給料が「下がる仕事」「上がる仕事」結果一覧 . 時代は完全に変わった  昭和後期から平成にかけてビジネスはIT技術とともに発展してきた。オフィスにコンピュータが入り、個人がパソコンを駆使するようになり、さらにスマホによって仕事をすることも可能になった。  新時代、令和に入っても、AIやIoT、フィンテックなど、IT技術はますます重要になっていく。  IT黎明期から最前線を走り、今や押しも押されもせぬ大金持ちになった実業家がいる。  業務システム開発会社、オービック会長の野田順弘氏(80歳)。新天皇が初めて国賓として招いたトランプ米大統領が安倍晋三総理とゴルフをしたゴルフ場「茂原カントリー倶楽部」のオーナーとして一躍注目を浴びた。  野田氏は叩き上げの経営者である。奈良県立榛原高校(現・榛生昇陽高校)を卒業後、近鉄に入社。働きながら、関西大学の夜間に入学し、'61年に卒業した。だが、社内でこの大卒資格は評価されなかった。  そこで野田氏は奮起して、西ドイツ製の会計機を販売する小さな商社に転職。'68年に独立して、「大阪ビジネスカンパニー」を設立する。これが後のオービックだ。  以後、一貫して、オフィス向けコンピュータやソフトを販売するITビジネスを続け、この10年で株価を10倍にしてみせた。野田氏は創業者として株を保有しているため、その資産価値は2959億円を超える。  「野田会長の経営の特徴は、IT企業らしからぬ『家族経営』です。IT業界では技術者の転職が日常茶飯事ですが、オービックは中途採用をせずに、自前で技術者を育成する方針を掲げています。  秋にはファミリー運動会を開催し、会長自らが社員たちに積極的に話しかける社風です。  野田会長の趣味はゴルフと競馬。(トランプ大統領とのゴルフにも同席した)青木功氏とは友人関係で、茂原カントリー倶楽部には青木氏専用の部屋があります。また、夫妻で馬主になっていて、野田会長は『ダノン』、妻のみづきさんは『ミッキー』が冠名となっている競走馬を所有しています」(全国紙経済部デスク)  日本の経営者の顔ぶれに変化が生じている。これまでは有名大学の経済学部や法学部出身の人間が企業のトップに立つことが多かった。文系的な思考で組織を運営すればある程度、経営がうまくいったからだ。  だが時代は変わった。技術の進化によって、テクノロジーを理解しない文系経営者ではあっという間に時代に取り残される。逆に、理系出身者が技術者や専門職にとどまらず、経営の舞台に進出して成功を収めている。
起業と倒産を繰り返して  今回紹介するのは、そんな理系出身の大金持ちたちの素顔である。  社員の平均年収2088万円――。日本屈指の高給を誇るセンサー機器大手のキーエンスを率いる滝崎武光氏(73歳)も異形の経営者だ。  中小企業診断士の立石茂生氏はかつてキーエンスの営業マンとして活躍した。そのときに見た滝崎氏の素顔をこう話す。  「滝崎さんの最終学歴は尼崎工業高校卒で、理系です。ちなみに、ダウンタウンの松本人志さんも同じ学校です。  私が'87年に入社したとき、滝崎さんは42歳。すでに頭髪は真っ白でした。20代後半までに2度の起業と倒産をしていると聞かされ、『なるほど、苦労されているのだな』と妙に納得したことを覚えています。  経営については、すべて『理詰め』で行う人物でした。今でこそキーエンスはファブレス経営(商品の企画・開発のみを行い、生産は外注する)でセンサーを作る企業として有名です。  しかし、滝崎さんはセンサーにこだわっているというより、付加価値の高い商品を追求しているだけ。結果的にセンサーなどの電子機器が主力になったけど、それ以外の商品でもよかったはずです」  立石氏は、キーエンス時代に滝崎氏がこんな話をしたことが印象に残っているという。  「私が学生だった頃、山に遊びに行くことがありました。すると同じ商品でも、頂上付近だと、街中よりも明らかに高い値段で売られています。では、高いから売れないかというと、相当数売れるわけです。  つまり、地上から山頂まで輸送したということに、お客様は付加価値を認めて購入されるわけです」  徹底して利益を追求する姿勢は、理系ならではと言える。滅多にメディアに登場しない滝崎氏だが、『日経ビジネス』の取材にこう語っている。  「工業高校に入り、生徒会やら自治会の会長になり、尼崎市で女学校を入れて5つの学校で連合会を作りました。女学校に遊びに行きたいだけだったのかもしれません(笑)。  そのうち学生運動が盛んになり、京都大学の学生とかに勉強会に呼ばれたりしました。  ああいうことやるのは文系の人ばかり。文系は論理的じゃないですよね。思想の問題は、最終的には好き嫌いになる。私は(数字で勝負できる)事業をやる方がいいかなと」('03年10月27日号)
希望的観測を排除する  滝崎氏が指摘するように、文系の経営者は部下の好き嫌いで、事業を判断する傾向がある。時に周囲からは非情に見えようとも、数字を根拠にした経営センスが7年連続となる過去最高益を叩き出しているのである。  「世の中から見れば大金持ちなのでしょうが、滝崎さんは金持ちオーラがゼロの人でした。唯一、社長らしいことと言えば、会社に専用の駐車スペースがあったことくらい。  車は国産車で、出張でもファーストクラスやグリーン車は使いません。滝崎さんがよく言っていたのは、『商品を通して世の中を変えたい』ということ。その目標に向かって一人で考え抜いて経営にあたっているのです」(前出・立石氏)  経営者は孤独だ。自ら起業したオーナー社長ならなおさらだ。そんな心情を吐露するのは、ゲーム大手スクウェア・エニックス名誉会長の福嶋康博氏(71歳)である。  「'04年に55歳で代表を離れました。まだ若いのになぜ現役を退くのかと散々言われましたが、一言で言えば、事業をやっていても楽しくなかったからです。  私は20代から事業をやり続けてきました。最初に起業したのは公共住宅の空室情報を載せた情報誌で、次にゲーム会社、エニックスを設立。  上場まで果たしましたが、経営者として会社の3年後、5年後を考えると不安でしょうがなかったんです。  常に一番を目指していないと気が済まないので、気持ちの休まるときがない。それで、社長を辞めました。  今、AIや5G(次世代通信システム)など、時代は大きく変貌しているのに、この分野で世界の先端企業と戦える日本企業はほとんどないことを懸念しています。  1位を狙える分野はいくらでもあるし、大きなチャンスなのに、なぜ日本の企業が本気でやらないのか不思議で仕方ありません。もし僕が現役でいれば、全精力をつぎ込んで新しいビジネスをやっている。  だったらやればいいと思われるかもしれませんが、また一番を目指して常に気が休まらない生活に戻ることになる。それだけは絶対にイヤなんです」  一代で世界的ゲーム会社を築き上げた福嶋氏の経営哲学は興味深い。徹底して未来予測を行い、「日本一」になる事業企画を考える、というのだ。  「大学は日本大学理工学部建築学科です。構造計算が専門でしたが、この分野で日本一になれるとも思いませんでした。  そこで公共住宅の情報誌を始めたんです。これなら先例がないから日本一になれると思ったし、結果的に日本一の売り上げにはなりました。  その後、'82年にゲーム会社、エニックスを立ち上げました。実は、そのとき、私はコンピュータゲームをしたことすらなかったのです。ただ、パソコンの将来性を体感し、将来は絶対に伸びると確信しました。確信したら行動は早いかもしれません。  パソコンゲームを作っていたら、任天堂がファミコンを出して100万台売れていると新聞で見た。パソコンゲームは数万本売れればヒットの世界。ファミコンのほうが有望だと思って、すぐに任天堂にゲームを作らせてほしいと提案しに行ったのです。  事業を始める際、3年後、5年後にどうなっているか、事業予測を徹底的に行う。ただし、どれだけ綿密な計画を立てても、予想外のことは起こります。  損失が許容範囲を超えたらスパッと手を切る。希望的観測を絶対しないことです。これまで意識したことはありませんでしたが、これは理系的な発想かもしれませんね」
「着ている服はユニクロ」  保有する資産の時価総額は自社の株式だけで1229億円。人生で幸せを感じるときを聞くと、意外な答えが帰ってきた。  「幸せな時間? ビジネスをしているときの不安はなくなったけど、それで幸せになったとも思えません。来世はどんな人生がいいか聞かれることがありますが、少なくとも福嶋康博の人生をもう一度やりたいとは思いません。  気が休まるときがないというのは、何も楽しくありませんでしたから。次に生まれ変われるなら、もっと楽天的に、人生を楽しく過ごせる人になりたい」  福嶋氏は私財を投じてカンボジアで貧困支援に関わったり、国内の貧困問題を改善しようとボランティア団体の支援先を模索したりしている。  ユーグレナ社長の出雲充氏(39歳)は、もともと貧困問題を解決しようと起業し、成功を収めつつある。出雲氏は高校時代から国連職員になりたくて、東京大学文Ⅲに合格したが、入学後、理系の農学部に転じた。  「東大に入ってから、はじめて海外旅行に行ったのが、バングラデシュでした。そこで難民の現実を見て、貧困に対する問題意識が固まり、帰国後は発展途上国の貧困を解決するために『栄養オタク』に。農学部に移り、そこで出会ったのがミドリムシでした」  ミドリムシは「虫」ではなく、「藻」だ。人間が必要とする栄養素のほぼすべてを含むばかりか、二酸化炭素の排出削減やバイオ燃料の原材料としても注目を集める。ユーグレナは独自技術で大量培養を成功させた。  同社は'14年にマザーズから東証1部に指定替えとなり、出雲氏の保有する資産の時価総額は104億円を数える。  「そうは言っても含み益ですからね。上場したからといって、生活はまったく変わりません。逆にみなさん、現状の生活に満足していないのでしょうか? 車を2台買ったところで2台同時に運転できるわけでもないし、豪邸を建てたら掃除が大変です。  着ているジャケットはユニクロですし、時計はもらいもの。おカネを使うにはセンスが必要ですが、私にはミドリムシにしかセンスがないのでこれで十分です。  それよりも今は来年に予定しているミドリムシから作ったバイオ燃料で飛行機を飛ばす計画が成功するか、毎日不安です。  昨年11月に横浜市にバイオジェット燃料を作る実証プラントが完成して、ようやく皆さんに現実味をもって受け止めてもらえるようになりました。東京五輪はせっかくの好機ですから、その前後でジェット機を飛ばせればと考えています」  そして、出雲氏は理系人材が今後ますます重要になると続ける。  「ベンチャー企業の社長ほど理系が向いているのではないでしょうか。これからのビジネスは、お客さんが何を求めているのか、他よりも先に発見しなければなりません。  そのためには、まずはやってみることが重要です。その意味では農学部や工学部出身の人は、様々な実験をして、成功するまで諦めないという訓練ができています。  ベンチャーに限らず、変革期にある企業でも同じような人材が必要とされているのではないでしょうか」
ロマンとそろばん  事実、日本では理系人材の不足が問題になり、企業間での取り合いが始まっている。国内の理系人材が少ないことを危惧するのは、テラスカイ社長の佐藤秀哉氏(56歳)。同社は企業向けクラウドシステムの導入を行う。  「日本は米国に比べて理系の学生が極端に少ないんです。日本では文系の大学を出て、官公庁で役人になるか、商社や金融機関などに就職するのが『鉄板』の人生設計になっています。  一方、米国ではIT企業に入るのが一番いいキャリアパス。人気企業はマイクロソフトやグーグル、フェイスブックなど。そこに入るためには理系でなければいけないので、みんな理系を目指します。  昨年、生まれ故郷の新潟県上越市で、小中学校の校長先生70人超が集まる場で講演を頼まれました。  その中で算数、数学など、理系出身の先生の数を聞いてみたら、2割程度しかいません。そうすると、子供たちを理系に誘導する機会も少ないのかなと思いました。  もう一つ、スマホを使っているかを校長先生に聞くと、それも3割しかいません。ITというのは、自分で体験してみないことには、次にどうやって使ってみようかという発想が生まれません。  校長先生がそういう状況ですから、テクノロジーに関して、生徒たちに何か新しいことを教えることはできませんよね。  政府は今後、ITエンジニアが30万人足りなくなると言っています。つまり、これからは理系に進めば食いっぱぐれない、ということ。学校も積極的に理系に進むことを奨励したほうがいいと感じています」  テラスカイは'15年にマザーズに上場し、昨年東証1部に市場を変更した。佐藤氏が保有する株の時価総額は33億円。  「かといって株を売ることもできませんしね。普通のサラリーマンに毛が生えた程度の生活をしています。上場で変わったことは、忙しくなったことくらい。普通に家で食事をしますし、昼は社員と一緒に食堂で500円ランチを食べています。  母親が商売をやっていたので、子供の頃から『社長になりたい』と思っていましたが、『金持ちになりたい』と思ったことはありません。  個人的な印象ですが、文系の社長のほうがおカネを稼ごうという意識が強いかもしれません。理系の社長は、『社会に何らかの変革をもたらしたい』と考えている人が多いように感じます。もちろん、程度の問題ですし、私も経営者ですから、理系といっても稼がなければいけません。  ただ、経営には『ロマンとそろばん』が必要だとされますが、理系のトップはロマンのほうが強いかなと感じます」
「ゼロから一を生み出す」  サイバーセキュリティ会社、FFRI社長の鵜飼裕司氏(46歳)もまたロマンを追い求めて起業した。鵜飼氏が語る。  「父が電気技師だったので、子供の頃から身の回りに機械や工具がありました。それが私の玩具だったのです。たとえば、図鑑で『イオン電池』を調べて実際に亜鉛と食塩を使って自作するとか、アルカリ電池の水溶液を舐めて舌を火傷するとか。  こういうエピソードは私だけと思っていましたが、実は『理系あるある』なんです。  周りのベンチャー経営者には理系出身の人が少なくありませんが、コンセントにハサミやピンセットを挿して感電するなど、似たような経験をしていることを後になって知りました。  友人の間でファミコンが流行り始めたときも、父が買ってくれたのはパソコンでした。『ファミコンはゲームソフトを買わなければならないが、パソコンがあれば自分でゲームを作れる』と。  小学5年生からプログラミングを始め、気づけば寝ているか食事をしている時間以外はパソコンと向き合っていました。  同時に、このへんが理系らしい一面かもしれませんが、『この能力はどうやったら社会に活きるのか』ということを考え始めたんです。テクノロジーを用いると、ゼロから一を生み出すことができる。そうすると社会の仕組みをより良く変えられるのではないか、と」  鵜飼氏は徳島大学大学院工学研究科に進み、'00年に博士号を取得。'03年に渡米し、セキュリティ会社に入社した。  「そこは世界各国のサイバーセキュリティの専門家が集結していました。たしかに技術力は高かったのですが、決して日本が及ばないレベルではなかったので、かえって自信になりましたね。  米国から4年ほど日本の情報セキュリティ業界を見て気づいたのは、研究開発という最も重要な先端分野を米国が独占して、日本は単なる販売拠点でしかないこと。『このままではまずい』と考えるようになりました。  自国でセキュリティシステムを開発していないため、もし日本がサイバー攻撃にさらされたら、誰も助けてくれない事態も考えられます。長期的には、日本のサイバーセキュリティが脆弱なために、ITだけでなく他の業界のイノベーションも止まってしまう兆候も見えていました。  そこで、日本でサイバーセキュリティの研究開発を行うFFRIの前身となる会社を立ち上げたのです」  FFRIは「純国産」のセキュリティ製品を開発し、販売。'14年にマザーズに上場した。創業者である鵜飼氏の保有資産は82億円にも上る。  「実感はほんとにありませんが、『応援していただいている方々に応えたい』という気持ちは強く持っています。私は理系の研究者出身の経営者です。経営はロジカルであるべきだと思っています。  ただ、ロジカル=理系というわけではなく、経営には理系的なロジックでは解決できない領域もあり、むしろそちらのほうが広いと感じています。  経営とは理系と文系の両方をカバーして成り立つもの。文系的な領域をもっともっと勉強していかなければいけません」
「裕福」には上限がない  もちろん、成功した理系経営者すべてが「聖人君子」であるわけはない。  アルゴリズムを用い、自動で資産を運用するロボアドバイザーを提供するウェルスナビCEOの柴山和久氏(41歳)は東京大学法学部を卒業後、財務省に入省。  パリ郊外の経営大学院INSEADで金融工学を学び、マッキンゼーに転職した。'15年にウェルスナビを創業し、現在は預かり資産1400億円を超え、急成長している。  そんな柴山氏がカネの魔力に取り込まれそうになったのは、マッキンゼー時代だった。  「マッキンゼーに勤めていたニューヨーク時代はドアマンがいる高級マンションで暮らしていました。  アメックスのプラチナカードを持ち、日米をファーストクラスで行き来したり、ホテルは最上級の部屋だったり。米国では、裕福な暮らしをしようと思えば、際限なくサービスが用意されている状態でした。  ただ、そういう生活を送っているときに、自分が求めているものと違うことに気づき、目が覚めました。妻もものすごく心配していたそうです。  ある調査では、年収が1000万円を超えると、生活の幸福度が下がるというデータもあるほどです。高級サービスを受けるために、やりたくもない仕事を続けることになれば、本末転倒です。  結局、次世代の金融インフラを構築するため、マッキンゼーを退職しました。今は家や車を持たず、生活水準を上げないように気をつけています。娘と遊んでいるときが一番幸せですね」  生活は質素で、社会をより良く変えようと経営に邁進する。令和の日本を支えるのは、理系の大金持ちかもしれない。  「週刊現代」2019年6月15日号より
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