20世紀のスーパーサウンズ
(英詩と英文学、万 葉 集 、初期ギリシャ哲学、マザーグースの歌、漢詩、映画探検)
ビートルズ(YouTube) 、
The Beatles(YouTube) 、
ビートルズをはじめて聴いたときの驚きは今でも忘れられない。あれは筆者が高校生だったときだ。
それまで音楽といえば、クラシックを別にすれば、美空ひばりや三橋美智也の歌う歌謡曲が主体だった。日本の歌謡曲というものは、民謡や浪花節と同類で、節回しだけで聞かせるところが今でもある。そこが単調に聞こえる。当時青年だった筆者にとっては、歌というものはそんなものなんだと思われる一方、そこに飽き足らないものを感じてもいた。
ポール・アンカやニール・セダカらのアメリカンポップスは、日本の歌謡曲には得られない面白みがあって、一時期よく聞いたものだった。
ところがビートルズの歌は、それまで聞いたどんな歌とも違っていた。まずびっくりしたのはハーモニーが美しいということだった。日本の歌謡曲にはハーモニーの要素は全くないし、アメリカンポップスにもハーモニーを意識させるものはほとんどなかった。
ビートルズの曲はハーモニーと並んで、リズム感も抜群だった。エルヴィス・プレスリーを聞いたものの耳にも、そのリズム感は圧倒的だった。
こんなわけで、筆者は青年期の入り口でビートルズに魅せられてしまい、以後彼らの音に耳を洗われながら今日まで生きてきた。
ところでビートルズの音楽には、音の魅力もさることながら、言葉にも人をとらえる迫力がある。歌詞をよく分析すると、言葉自身にリズム性があるほか、意味する内容も魅力的だ。筆者はそこにマザーグースの世界に通ずるものを読み取ったりする。
このサイトでは、そんなビートルズの歌を取り上げ、その魅力の秘密に迫ってみたいと思う。
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ボブ・ディラン(YouTube) 、
Bob Dylan(YouTube) 、
ボブ・ディランは1960年代以降に活躍したアメリカのミュージシャン。フォークソング調のプロテストソングが60年代の若者の気風と溶け込み、世界中の支持を受けた。その後ロックを取り入れ、多彩な音楽を展開した。ここでは、彼の代表的な作品について、管理人による日本語訳と簡単な解説を付した。 |
ジョン・レノン(YouTube) 、
John Lennon(YouTube) 、
エルトン・ジョン(YouTube) 、
Elton John(YouTube) 、
エルトン・ジョンは1970年代初期に大活躍したイギリスのミュージシャン。筆者のような団塊の世代に属する人間にとっては、なつかしいアーチストだ。
バーニー・トーピンの歌詞に自分でメロディをつけ、それをピアノのパフォーマンスにあわせて歌った。その歌声はビートルズとは異なった独特の魅力を持ち、同世代の若者たちに圧倒的に支持された。
その後も活躍を続け、21世紀に入っても健在だが、基本的には20世紀のミュージシャンだ。 |
エルトン・ジョン(YouTube) 、
Simon & Garfunkel(YouTube) 、
カーペンターズ(YouTube) 、
Carpenters(YouTube) 、
エルヴィス・プレスリー(YouTube) 、
Elvis Presley(YouTube) 、
エルヴィス・プレスリーは、アメリカン。ポップスのスーパースターとして、またロックの巨人として、伝説的な存在だ。そんなエルヴィス・プレスリーが歌った歌について、管理人が歌詞を日本語に訳してみた。 |
ウディ・ガスリー(YouTube) 、
Woody Guthrie(YouTube) 、
ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)をアメリカの国民詩人と定義したのは日本人である村上春樹だ。(国民詩人としてのウディ・ガスリー:意味がなければスイングはない)
当のアメリカ人は、ウディ・ガスリーをプロテストソングのチャンピオンとして、またアメリカン・フォークソングの父としてとらえているようだ。1950年代以降に出現したアメリカのフォークシンガーたちは、ほとんど例外なくウディ・ガスリーに影響されている。アメリカン・フォークソングがややもすればプロテストソングと同義語のように言われるのも、ウディの影響があまりにも大きいことの結果だ。
ウディ・ガスリーは生まれつき反抗的な人間だったわけではない。むしろ気の弱い、従順な子供だった。父親と離婚した母親がハンチントン病と云う難病にかかり、自分の感情をコントロールできなかったために、息子のウディに理不尽な暴力を加えた。ウディはそんな母親に対して、愛情と恐れの入り混じった感情で接せざるをえなかった。いずれにせよ彼は不幸な子供として人生をスタートしたのだったが、だからといって、皮肉れたりとか、反抗的であったことはない。
ウディ・ガスリーをプロテストに結びつけたものは、彼の内的な性格と云うよりは、外的な事情だった。
ウディが17歳の時に、アメリカは大恐慌に突入した。だから彼の青年期は、暗い時代環境のなかで過ぎた。そんな暗い時代を、多感なウディは不安そうに生きた。
1935年、ウディが23歳の時に、ウディの暮らしていたオクラホマがダストボウルと呼ばれる強烈な砂嵐に見舞われた。砂嵐はオクラホマじゅうの農園を砂で覆い尽くした。続いてイナゴの大群が襲ってきて、わずかに残った農作物をすべて食い荒らしていった。
ウディの周辺で暮らしていた人々は、ことごとく家や農場を売り払って、新しい天地を求め、カリフォルニアへと移住していった。だがそんな彼らを待っていたのは、非常に過酷な運命だった。ジョン・スタインベックが「怒りの葡萄」のなかで描いたのとまったく同じ運命が、ウディの知り合いたちに襲いかかってきたのだった。
ウディも、カリフォルニアに旅立つ人々に随伴して、故郷のオクラホマを捨てた。だがウディは別に、金や生活に困っていたわけではなかった。故郷を捨ててカリフォルニアを目指す人々を見ていると、自分もまたそうしなければ申し訳ないような衝動に駆られただけなのだった。
オクラホマを出発した時、ウディにはすでに妻子がいた。しかしウディがその妻子の生活を本気になって心配した形跡はない。捨てられた妻子は自分たちの力だけで生きていかなければならなかった。
ウディは生前、あまり多くのレコーディングを行ってはいない。その中で今でも聞かれている代表作は、「ダストボウル・バラッズ」と題したLPだ。収められた12曲のいずれもが、オクラホマを襲ったダストボウルのすさまじさと、それに翻弄される人々の嘆きを歌っている。その歌詞とメロディとが、おのずからプロテストソングとしての内実を感じさせるのだ。
このLPは、アメリカの音楽市場では長らく無視され続けてきたが、一部のミュージシャンからは熱狂的に支持されてきた。ボブ・ディランもその一人だ。
ウディ・ガスリーほど評価の別れるミュージシャンはいないだろう。進歩的な人々からはアメリカの良心として敬愛される一方、保守的な人々からはアカの屑としてさげすまれる。実際ウディは、アメリカ共産党の一員として自負していたのであるが、正統派の共産党員の目からすれば、ふしだらな生活に沈殿するだらしのない日和見主義者にすぎなかった。
1940年代後半になると、ウディにも母親と同じハンチントン病の兆候が現れはじめ、1950年代なかば以降は、入退院を繰り返しながら次第に廃人となっていった。そして1967年、46歳の時に死んだ。
ここではLP「ダストボウル・バラッズ」に収められた12曲について、歌詞の日本語訳と原文を掲載する。併せて、This land is your land など、彼の名に結びついた曲をいくつか紹介したい。
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ウディ・ガスリー(YouTube) 、
Musical(YouTube) 、
ブロードウェーのミュージカルやアメリカのミュージカル映画をから大ヒットした歌の数々を取り上げ、管理人による歌詞の日本語訳と解説を載せ、あわせて原文を掲載した。 |
アメリカン・ポップス(YouTube) 、
american pops(YouTube) 、
1950年台以降、アメリカのポップ・ミュージックが日本に大量に輸入され、それらが日本の若者の音楽的な感性を大いに変えていった。それまで、浪花節やせいぜい歌謡曲と言われる音楽を聞きなれていた耳には、アメリカン・ポップスは実に新鮮に聞えた。とりわけ、60年代以降は、テレビの普及に伴って、アメリカン・ポップスは日本中全国津々浦々まで普及していき、小さな子供までが口ずさむまでになった。
ここでは、そうしたアメリカン・ポップスのうち、日本人にとくに親しまれた歌を取り上げて紹介したい。 |
引用文献
English Poetry and Literature |
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シェイクスピア、シェリー、キーツをはじめ、英語圏の代表的な詩人たちについて、管理人による日本語訳に、簡単な解説をつけ、それぞれの詩の原文を併催した。
選び出した作家たちはすべて、管理人の好みに基づいたもの。ウィルフレッド・オーウェンなど、これまで日本になじみの薄かった詩人も、今後取り上げていきたいと思う。
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引用文献
万葉集を読む・・・万葉集全20巻の中から、心に残る歌を選りだして鑑賞、 作者のブログ「壺齋閑話」のうち、「万葉集を読む」をホームページ向けに編集したもの |
引用文献
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知の愛求(哲学)の祖と呼ばれるタレスとともに、西洋の哲学思想の歩みは始まった。タレスを含め古代のギリシャの哲学者たちが目指したものは、存在とはなにか、そのそもそもの始まり(アルケー)とは何かについて探求することであった。
ギリシャの哲学者たちによる思想の営みは、アリストテレスによって集大成され、存在にかかわる知の体系として纏め上げられた。それは古代・中世を通じて西洋哲学の枠組みを形作った。
デカルトは、存在に意識を対置した。哲学におけるコペルニクス的転回ともいうべきこの発想の転換は、その後の西洋哲学を意識の呪縛の中に閉じ込めてきた。今日においても、その呪縛は完全にほどけていないほどである。
ニーチェは意識の呪縛を振り払って、哲学の営みを再び存在そのものに向けさせようとした。彼の再転回は20世紀の哲学思想に甚大な影響を及ぼしたが、デカルト的な認識論の枠組みに完全にとってかわることはできていない。
本論考は、二千数百年にわたる西洋哲学の流れに足を踏み入れ、そこから様々な問題意識を読み取ろうとするものである。
表題を「知の快楽」としたのは、アリストテレスが言うように、人は知ることを喜ぶ動物であり、知ることにまさる快楽はないと考えているからなのだ
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引用文献
Mother Goose Nursery Rhymes |
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イギリスには子どものための童謡 Nursery Rhyme が古くから伝わり「マザーグースの歌」として今でも歌われています。それは子守唄であったり、なぞなぞであったり、数え歌であったり、色々な意味で、子どもたちを喜ばせる配慮に富んでいます。
ここではそんな「マザーグースの歌」から140篇余を選び、それぞれの原文と管理人(壺齋散人)による翻訳、及び簡単な解説を載せてみました。中にはメロディをつけて歌っていただきたいものもあります。
なお、挿絵はすべて作者(壺齋散人)自ら描いたものです。 |
引用文献
漢字は原則として正字体を用いた。しかし漢字の中には、筆者の使用している変換ソフトでカバーできないものもあるため、その場合には、類似の別の字で代替させた。それでもなお適当な字がない場合には、?で表示した。正確な漢字については、ブログ本館の記事に当たられることを薦める。 |
引用文献
日本映画の名作を始め、世界中の映画を探検して、それらの素晴らしさを読み解いていきます。 |
引用文献
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