[温故知新]、、 武士道(新渡戸稲造)茶の本(岡倉天心)代表的日本人(内村鑑三)学問のすすめ(福沢諭吉)自助論(Smiles)

『代表的日本人』ー内村鑑三(Uchimura Kanzo)
Japan and The Japanese

「日本を代表する5人の志士の物語」 Representative Men of Japan

明治期。外国にて日本人が英語で著した歴史的名著の3冊。
①武士の7か条を含む全17章からなる日本人の心の根底にあるメンタリティを紐解いた新渡戸稲造の「武士道」。
②「茶」という世界共通言語を媒介に、アジアと西洋の文化、道徳、習慣、芸術、建築にいたるまでの違いを比較し解説した岡倉天心の「茶の本」。
③そして、内村鑑三の「代表的日本人」。
日本版自助論としても評される 「代表的日本人」 は道徳、献身、自己鍛錬、自己犠牲、継続する信念に拠って 現代の日本を形作る礎となる概念を体現した5人の志士を紹介した名著である。
刊行から100年。朽ち果てることのない名作、完全現代語新訳を朗読で蘇る。

内容抜粋 志士の言葉

【西郷隆盛――新日本の創設者】

「天の道を行うものは、世のなかすべてが非難しても卑下せず、世のなかすべてが口をそろえて褒め称えてもおごりはしない」
「天を相手にして、人を相手にするな。何ごとも天のために行え。人をとがめず、己の誠の足りないところを探せ」
「人は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗する。八分どおりうまく行きながら、最後の二分で失敗する人が多いのはなぜか。それは、成功が見えてくるにつれて、自分を愛する心が育ってくるからである。警戒心が去り、安楽を求める気持ちが戻ってきて仕事が煩わしくなり、そして失敗する」
「機会には2つの種類がある。求めずして来る機会と、自ら作り出す機会である。世のなかで機会と呼ばれるのは往々にして求めずして来る機会である。しかし真の機会は、理に従って行い、時勢に従って動くことによって生まれる。重要な局面では、機会は自分の手で作り出さねばならない」
「どんなに手段や制度を論じても、それを行う人がいなければ何もならない。人がまずあって、その後に手段が来る。人こそが一番の宝であり、われわれは皆そんな人間になれるよう心がけなくてはならない」


【上杉鷹山――封建君主】

「わが領民の悲惨な状況を目にし、絶望的な気持ちになっているとき、ふと見ると、目の前の火鉢の炭火が消えかかっている。そっと取り上げて優しく辛抱強く息を吹きかけていたら、首尾よく炭火がまた燃え出し、実にうれしく思った。『同じようにして、私に託された領地と領民をよみがえらせることができないだろうか』そう自分に言い聞かせたら、再び希望が湧いてきたのだ」
「赤子は自分の知識を持っていない。しかし母たる者は、その子が必要としているものを悟って世話をする。それは母親に真心があるからだ。真心は愛を生み、愛は知恵を生む。真心があればできないことはない。母が子に対するように、役人も民に接しなければならない。民を愛する心さえあれば、自分に知恵がないことを嘆く必要はない」

【二宮尊徳――農民聖者】

「きゅうりを植えたらきゅうり以外のものが取れると思ってはいけない。人は自ら植えたものを刈り取るのだ」
「誠実さだけが不幸を幸福に変えることができる。技術や策略は何の役にも立たない」 「1個の人間は宇宙にあってけし粒のような存在だが、誠実な心があれば天地をも動かすことができる」
「なすべきことは、結果に関係なくなさねばならない」
「一度にひとつのことに専念すること。ひとつの手本さえあれば、いずれ時が来たときに、国中を救うのに役立つ」

【中江藤樹――村の先生】

「私は2つの務めのどちらを取るべきか慎重に検討いたしました。わが殿は、俸禄《ほうろく》さえお出しになれば、私のような者はいくらでもお召し抱えになれます。しかるに私の老母は私以外に頼る者がございません」
「誰しも悪名《あくみょう》を嫌い、名声を喜ぶ。小善――小さな善行は、繰り返さない限り、評判にはならないので、小さな人間は小善を顧みない。しかし君子は日々自分を訪れる小善をおろそかにしない。大善《だいぜん》も、これに出会えば行うが、自ら求めたりはしない。大善は数が少なく、小善は数が多い。大善は名声をもたらし、小善は徳をもたらす。世の人は名声を好むがゆえに大善を求める。しかし、名声のために行うのであれば、大善といえども小さくなってしまう。君子はたくさんの小善から徳を生み出す人である。実に、徳にまさる善行はない。徳こそはあらゆる大善の源である。」
「 来世を大切に思われるお気持ちはよく分かります。しかしたとえ来世がどんなに大切であっても、この世はもっと大切だということにお気づきいただきたいのです。この世で迷うのなら、来世でも永遠に迷い続けることになります。……このように不確かな、明日をも知れぬ人生においては、何よりも大切なのは、自分の胸の内にある仏様をいつも拝み敬うことなのです。」

【日蓮上人――仏教僧】

「お聞きなさい。雲の上で時鳥《ほととぎす》の声がします。時を知る時鳥は、田植えせよと教えてくれているのです。ならばすぐ苗を植え、実りの時に後悔せずにすむようにしようではありませんか。今こそ法華経を植えるとき。私こそはそのために仏に遣わされた者なのです。」
「今は末法の世が始まったばかりである。邪法のもたらす害毒は非常に強く、折伏《しゃくぶく》は欠かせない。危篤の病人に薬が必要なように、無慈悲に見えてこれが慈悲なのだ」
「法華経のために死ぬことができるのなら、わが命も惜しくはない」

目次

タイトル/訳者序文
『日本および日本人』序文
改訂版はしがき

【西郷隆盛――新日本の創設者】
第1章 1868年 日本の維新革命
第2章 生い立ちと教育、そして天の声
第3章 維新において西郷が果たした役割
第4章 朝鮮の議
第5章 逆賊・西郷
第6章 その生活と人生観

【上杉鷹山――封建君主】
第1章 封建制度
第2章 人物とその業績
第3章 行政改革
第4章 産業改革
第5章 社会とモラルの改革
第6章 その人となり

【二宮尊徳――農民聖者】
第1章 19世紀初頭の日本の農業
第2章 少年時代
第3章 腕試し
第4章 個人的な人助け
第5章 公共の事業

【中江藤樹――村の先生】
第1章 維新前の日本における教育
第2章 少年時代と目覚め
第3章 母親崇拝
第4章 近江聖人
第5章 内省の人

【日蓮上人――仏教僧】
第1章 日本の仏教
第2章 誕生そして出家
第3章 闇の内外《うちそと》
第4章 宣言
第5章 孤独な戦い
第6章 法難と流罪《るざい》
第7章 最後の日々
第8章 人物評価

内村鑑三 (Kanzo Uchimura)

万延2年(1861年)高崎藩士である父の元、東京に生まれる。キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者として有名。
札幌農学校時代に新渡戸稲造、宮部金吾らと勉学を共にし、卒業後は米国に留学。明治23年(1890年)に渡米先より帰国。第一高等中学校嘱託教員となるが、翌年、教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され免職。以後は著述家として活躍。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。数々の著作を遺す。主な著書に『基督信徒のなぐさめ』 、『日本及び日本人』(後の『代表的日本人』)、 『余は如何にして基督信徒となりし乎』などがある。