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NHK100分de名著[荘子]、
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「荘子」第一部、
第二部、
国立国会図書(荘子内篇)
(荘子外篇)
(荘子雑篇)
電子図書
荘子(斉物論篇) 1~36
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斉物論第二(1)
南郭子綦隱几而坐,仰天而噓,嗒焉似喪其耦。顏成子游立侍乎前,曰:「何居乎。形固可使如槁木,而心固可使如死灰乎。今之隱几者,非昔之隱几者也。」子綦曰:「偃,不亦善乎而問之也!今者吾喪我,汝知之乎?女聞人籟而未聞地籟,女聞地籟而未聞天籟夫!」
南郭子綦(ナンカクシキ)、几(キ・つくえ)に隠(よ)りて坐(ザ)し、天を仰いで嘘(いき)つけり。荅焉(トウエン)として其の?(からだ)を喪(わす)るるに似たり。顔成子游(ガンセイシユウ)、前に立侍(リツジ)し、曰わく、何居(なん)ぞや、形(からだ)は固(もと)より槁木(コウボク)のごとくならしむべく、心は固より死灰(シカイ)のごとくならしむべきか。今の几(つくえ)に隠(よ)る者は、昔(さき)の几に隠(よ)る者に非(あら)ざるなり」と。
子?曰わく、偃(エン)よ、亦(ま)た善からずや、而(なんじ)のこれを問えること。今者(いまは)、吾れ我れを喪(わす)れたり、汝(なんじ)これを知れるか。汝は人籟(ジンライ)を聞くも、未(いま)だ地籟(チライ)を聞かざらん。汝は地籟を聞くも、未だ天籟(テンライ)をきかざらんかな」と。
南郭子綦(ナンカクシキ)が机にじっと隠(よ)りかかって、天を仰いでゆったりと大きく息をついた。うつろな心に身も世も忘れたかのようである。弟子の顔成子游(ガンセイシユウ)がその前に立ってひかえていたが、質問してこう言った「いかがなされましたか、肉体はもちろん枯れ木のようにすることができるし、心はもちろん『死(つめた)き灰』 ─ 火の消え失せた灰のようにすることができるというのはこのことなのでしょうか。今日の机にもたれたお姿は、今までのお姿とは違って格別でございますが」と。
子?は答えた、「偃(エン)よ、よい質問だ。鋭い観察ができているよ。今の場合は、私は自分の存在を忘れたのだ。お前にはそれがわかるかな。お前は人籟(ジンライ)を聞いているとしても、まだ地籟(チライ)を聞いたとはいえない、地籟を聞いたとしても、まだ天籟(テンライ)を聞いたことはないであろう」と。
斉物論第二(2)
子游曰:「敢問其方。」子綦曰:「夫大塊噫氣,其名為風。是唯无作,作則萬竅怒呺。而獨不聞之翏翏乎。山林之畏佳,大木百圍之竅穴,似鼻,似口,似耳,似枅,似圈,似臼,似洼者,似污者;激者,謞者,叱者,吸者,叫者,譹者,宎者,咬者,前者唱于而隨者唱喁。泠風則小和,飄風則大和,厲風濟則眾竅為虛。而獨不見之調調、之刁刁乎?」
子游(シユウ)曰わく、「敢(あ)えて其の方(ことわり)を問う」と。 子?曰わく、夫(そ)れ、大塊(タイカイ)の噫気(アイキ・おくび)は其の名を風と為(な)す。是れ唯(ただ)作(おこ)ることなきのみ。作れば則ち萬竅怒?(バンキョウドゴウ)す。而(なんじ)は独り之の??(リュウリュウ)たるを聞かざるか。山林の畏隹(ワイサイ)たる、大木百囲の竅穴(キョウケツ)は、鼻の似(ごと)きもの、口の似(ごと)きもの、耳の似(ごと)きもの、枅(ますがた)の似(ごと)きもの、圈(さかずき)の似(ごと)きもの、臼の似(ごと)きもの、?(ア・ふかきくぼみ)の似(ごと)きもの、汚(オ・ひろきくぼみ)の似(ごと)きものあり。激(しぶき)の者(おと)あり、?(さけ)ぶ者(おと)あり、叱(しか)る者(おと)あり、吸う者(おと)あり、叫ぶ者(おと)あり、?(なきさけ)ぶ者(おと)あり、?(くぐも)れる者(おと)あり、咬(か)む者(おと)あり。前なる者は于(ウ・ふうっ)と唱え、而して隨(したがう・あとなる)者は?(ギョウ・ごうっ)と唱う。?風(レイフウ)は則ち小和し、飄風(ヒョウフウ)は則ち大和す。厲風(レイフウ)済(や)めば則ち衆竅(シュウキョウ)も虚と為(な)る。而(なんじ)独り之(こ)の調調(チョウチョウ)たると之の??(チョウチョウ)たるを見ざるかと。
子游が言った、「ぜひともそのことについてお教えください」と。 子綦は答えて言った、「そもそも大地のあくびで吐き出された息、それを風という。この風は、吹き起こらなければそれまでだが、一たび吹き起これば、すべての穴という穴が激しく音をたてはじめる。お前は、その音を聞いたことがないか。山の木立がざわめき揺れて、百囲(かか)えもある大木の穴は、鼻の穴のような、口のような、耳の穴のような、枅(ますがた)のような、杯(さかずき)のような、臼(うす)のような、深く狭い窪地(くぼち)のような、広い窪地のような形のものに風が吹きあたれば、水のいわばしる音、高々とさけぶ音、するどい声で叱りつけるような音、吸い込むような音、金切り声で叫ぶような音、泣きさけぶような音、こもった音、咬(とおぼえ)する音がして、前のものが于(ううっ)とうなると、後のものは?(ごうっ)とこたえる。そよ風のときには小さく和(こた)え、つむじ風が舞いあがるときには大きく和(こた)える。そして大風一過して天地がもとの清寂に帰ると、もろもろの穴はひっそりと静まりかえる。お前はあの、風の中の樹々が、ざわざわ、ゆらゆらと揺れ動くさまを見たことがないか」と。
斉物論第二(3)
子游曰:「地籟則眾竅是已,人籟則比竹是已。敢問天籟。」子綦曰:「夫吹萬不同,而使其自已1也,咸其自取,怒者其誰邪!」
子游曰わく、地籟(チライ)は則ち衆竅(シュウキョウ)これのみ。人籟(ジンライ)は則ち比竹これのみ。敢えて天籟(テンライ)を問う」と。 子綦(シキ)曰わく、夫(そ)れ吹くこと万(よろず)にして同じからざれども、而(しか)も其れをして己(おのれ)に自(したが)わしむ。咸(ことごと)く其れ自(み)ずから取るなり。怒(おと)たてしむる者は、其れ誰ぞや」と。
子游が言った、「地籟(地のふえ)とは、もろもろの穴のこと、人籟(人のふえ)とは竹管のことですね。恐縮ですがおうかがいします、天籟(天のふえ)とは何かをお教えください」と。 子?が答えた、「全ての穴や竹管など、音をたてるものはさまざまで同じではないが、それぞれに自分の音を出しているのだ。すべて自己自身の原理によって響きとなる。背後において響きとならしめる何者かが存在するであろうか」と。
斉物論第二(4)
大 知 閑 閑 , 小 知 閒 閒 。 大 言 炎 炎 , 小 言 詹 詹 。 其 寐 也 魂 交 , 其 覺 也 形 開 。 與 接 爲 搆, 日 以 心 鬪 。 縵 者 、 窖 者 、 密 者 。 小 恐 惴 惴 , 大 恐 縵 縵 。 其 發 若 機 ? , 其 司 是 非 之 謂 也 ; 其 留 如 詛 盟 , 其 守 勝 之 謂 也 ; 其 殺 若 秋 冬 , 以 言 其 日 消 也 ; 其 溺 之 所 爲 之 ,不 可 使 復 之 也 ; 其 厭 也 如 緘 , 以 言 其 老 洫 也 ; 近 死 之 心 , 莫 使 復 陽 也 。
大知は閑閑(カンカン)たり、小知は間間(カンカン)たり。大言は炎炎(タンタン=淡淡)たり、小言は詹詹(センセン)たり。其の寝(い)ぬるや魂交わり、其の覚(さ)むるや形開き、与(とも)に接(まじわ)りて構(コウ)を為し、日々に心を以て闘わしむ。縵(マン)なる者あり、窖(コウ)なる者あり、密なる者あり。小恐は惴惴(ズイズイ)たり , 大恐は縵縵(マンマン)たり。其の発すること機?(キカツ)の若(ごと)しとは、其の是非を司(あげつ)らうものの謂いなり。其の留まること詛盟(ソメイ)の如しとは、其の勝ちを守るの謂いなり。其その殺(サイ)すること秋冬の若しとは、以て其の日々に消ゆるを言うなり。其の溺るるの之(ゆ)くを爲(な)す所は、これを復(かえ)らしむべからざるなり。其の厭(ふさ)がること緘(カン)の如しとは、以て其の老洫(ロウキョク)なるを言うなり。死に近づける心は、復(ま)た陽(よみが)えらしむる莫(な)きなり。
大知のあるものは、ゆったりとして落ち着いているが、小知のものはこせこせとして、こまごまと穿鑿(せんさく)する。偉大なことばは、あっさりと淡泊であるが、つまらぬことばは、いたずらに口数が多く煩わしい。その寝ているときは魂が外界と交わって夢にうなされ、その目覚めているときは肉体が外界に開かれ身体の感覚がはたらいて心が乱され、落ち着きがなくなる。そのため相互に他と交渉しあってトラブルを惹き起こし、日ごとに心の闘争をくりかえす。
無頓着なものがあり、深刻なものがあり、こせこせと細かいものがある。小事をおそれるものは、たえずびくびくしているが、真に大きなおそれをもつものは、かえっておおらかで余裕があるように見える。
その発動が石弓のひきがねを引くようにすばやいというのは、凡人が是非を立てて争うさまをいったものである。その頑固さが神の詛盟(ちかい)をまもるときのようだというのは、その勝利の立場を守り通そうとすることをいったものである。その殺(しぼ)み枯れるさまが秋や冬のようだというのは、凡人が日ごとに衰えていくことをいったものである。このようにして凡人は、いよいよ深みに溺れてゆき、死に近づいた精神は、もとのように蘇(よみが)えらせることは不可能なのだ。
斉物論第二(5)
喜 怒 哀 樂 ,慮 嘆 變 ? , 姚 佚 ? 態 , 樂 出 ? , 蒸 成 菌 。 日 夜 相 代 乎 前 , 而 莫 知 其 所 萌 。 已 乎 , 已 乎 ! 旦 暮 得 此 , 其 所 由 以 生 乎 ! 非 彼 無 我 , 非 我 無 所 取 。 是 亦 近 矣 , 而 不 知 其 所 為 使 。 若 有 真 宰 , 而 特 不 得 其 ? 。 可 行 已 信 , 而 不 見 其 形 , 有 情 而 無 形 。 百 骸 、 九 竅 、 六 藏 、 ? 而 存 焉 , 吾 誰 與 為 親 ? 汝 皆 ? 之 乎 ? 其 有 私 焉 ? 如 是 皆 有 為 臣 妾 乎 ? 其 臣 妾 不 足 以 相 治 乎 ? 其 遞 相 為 君 臣 乎 , 其 有 真 君 存 焉 ! 如 求 得 其 情 與 不 得 , 無 益 損 乎 其 真 。
喜怒哀楽(キドアイラク)あり、慮嘆変?(リョタンヘンシュウ)あり、姚佚啓態(ヨウイツケイタイ)あり。楽(ガク)は虚(キョ)より出(い)で、蒸(ジョウ)は菌を成すがごとく、日夜前に相代わりて、其の萌(きざ)す所を知る莫(な)し。已みなん、已みなん、旦暮(たんぼ)に此れを得るは、其の由(よ)りて以て生ずる所か。彼に非ざれば我なく、我に非ざれば取る所なし。是れ亦近し。而(しか)も其の使(せし)めらるる所を知らず。真宰(シンサイ)有るが若(ごと)くにして、而(しか)も特(ひと)り其の朕(あと)を得ず。行なう可(べ)きは已(はなは)だ信(まこと)なれども、而(しか)も其の形を見ず。情(まこと)は有れども形なし。百骸(ガイ)・九竅(キョウ)・六藏、 ?(そなわ)りて存す。吾れ誰と与(とも)にか親(しん)を為さんや。汝(なんじ)皆これを説(よろこ)ばんか、其れ私すること有るか、是(か)くの如(ごと)くんば、皆臣妾(シンショウ)と為すことあるか。其臣妾は以て相治むるに足らざるか。其れ遞(たが)いに君臣と相為るか。其れ真君(シンクン)の存する有るか。求めて其の情を得ると得ざるとの如きは、其の真に益損(エキソン)することなし。
或いは喜び或いは怒り、或いは哀しみ或いは楽しみ、或いはまだ訪れぬ未来を取り越し苦労し、或いは返らぬ過去に愚痴にをこぼす。移り気と執念(シュウネン)深さ、浮き浮きしたりだらけたり、あけすけにしたり、わざとらしく取りつくろったり。その巨木の万竅(バンキョウ)にも似た人間心理の種々相は、あたかも笛の音が虚(うつ)ろな管(くだ)から鳴り響き、菌(きのこ)が蒸せた湿気から生まれるように、昼となく夜となくわが眼前に入れかわり立ちかわり生滅するが、しかもそれが何にもとづいて生起するのか、その原因は知る由もない。さてさて、もどかしいかぎりよ。人間の旦(あ)け暮(く)れの生活は、このような心の万籟を内容として営まれるものにほかならず、人間が生きるとは、じつは喜び怒り哀しみ楽しむことにほかならないのである。人間の心の万籟を万籟として成り立たせるものがあるだろうか。
この喜怒哀楽、慮嘆変?(リョタンヘンシュウ)等の心的現象を除いては具体的な自己はどこにも存在しないのであり、自己が存在しなければ、喜びも怒りも哀しみも楽しみも、現れようがないのである。このような自己の本質と自己の現象形態の相関性に刮目する時、初めて人間存在の実相に近づくことができるであろう。しかし、喜怒哀楽はそれ自体が生の具体的内容であり、人間存在の現実であるとしても、人間の心を、その外もしくは上から支配する絶対者=真宰(シンサイ)が存在するといえるだろうか。それれが「はたらき」そのものとして存在し得ても、人間の感覚や知覚では、その実体を捉えることはできない。真宰(シンサイ)とは、自然すなわち天ということにほかならない。
このことは人間の体(からだ)について考えてみても同じであろう。人間の体には百の骨節と、九つの竅(あな)と、六つの臓腑とが備わっているが、そのどの部分を特に親しみ愛して全体の支配者とすることができようか。お前はそれらのすべてを愛するというのであろうか、それともそのうちのどれか一つを特に愛するというのであろうか。身体の有機的な全体は一つの自然であるから、そこには人間の愛憎親疎の情を挿(さしはさ)む余地は全くないであろう。ところで身体の一部分が全体の支配者であり得ぬとすれば、身体の一切の構成部分は、支配者なしの臣妾、すなわち被支配者だけということになるのであろうか。しかし臣妾だけで統率者がなければ、互いにうまく治めてゆくことができぬというのであろうか。身体の各部分が交互に君となり臣となって治めてゆくというのであろうか。それともどこかに真君すなわち真の支配者ともいうべきものが存在しているというのであろうか。そんなことはどうでもいい問題であろう。我々がその相互関係、因果関係の実相を把握し得なくとも、別に何の不都合も起こらない。一切は結構うまく治まってゆくのである。
人間の精神と肉体の営みの背景には、その営みを支配する絶対者が存在するかのごとくであるが、しかしその絶対者は、「はたらき」そのもの、変化それ自体であり、その真宰とは、自然(天)ということにほかならないのである。人はこの「自然」を自然として受け取る時にのみ真の自己となることができる。自然の世界の万籟をそのまま天籟として聞くように、人間の生の営みの一切を、ただ天(自然)として受け取る時に、人はその人間的な一切のものから超越することができるのである。
斉物論第二(6)
一 受 其 成 形 , 不 亡 以 待 盡 。 與 物 相 刃 相 靡 , 其 行 盡 如 馳 , 而 莫 之 能 止 , 不 亦 悲 乎 ! 終 身 役 役 而 不 見 其 成 功 , ? 然 疲 役 而 不 知 其 所 歸 , 可 不 哀 邪 ! 人 謂 之 不 死 , 奚 益 !其 形 化 , 其 心 與 之 然 , 可 不 謂 大 哀 乎 ? 人 之 生 也 , 固 若 是 芒 乎 ? 其 我 獨 芒 , 而 人 亦 有 不 芒 者 乎 ?
一たび其の成形(セイケイ)を受くれば、亡(ほろ)ぼさずして以て尽くるを待たん。物と相い刃(さから)い相い靡(そこな)い、其の行き尽くすこと馳(は)するが如(ごと)にくして、これを能(よ)く止(とど)むるなし。亦(また)悲しからずや。修身役役(エキエキ)として其の成功を見ず。?然(デツゼン)として疲役(ヒエキ)して、其の帰(キ)するところを知らず。哀(かな)しまざるべけんや。
人は之を死せずと謂うも、奚(なん)の益かあらん。其の形(かたち)化して其の心も之と然り。大哀(タイアイ)と謂わざるべけんや。人の生くるや、固(もと)より是(か)くの若(ごと)く芒(くら)きか。其れ我れ独(ひと)り芒(くら)くして、人も亦(また)芒(くら)からざる者あるか。
人は一たび自然としての生をこの世に受けて人間となった以上、この自然としての生を、自然としてそのまま受け取り、これを亡(うしな)うことなく、命の果てる日を待つほかないであろう。しかるに世俗の人間は、徒らに外界の事物に引きずられ、他と争い傷つけあって、自己を耗(す)りへらして、その人生を早馬のように走りぬけ、これをとどめるすべを知らないのは、なんと悲しいことか。
その生涯をあくせくと労苦のうちにすごしながら、しかもその成功を見ることもなく、ぐったりと疲労しきって、落ち着く所を知らない有様である。哀(あわ)れというほかないではないか。
人はそれでもなお、「俺は生きている」というかもしれないが、これほど無意味な人生がまたとあろうか。その肉体がうつろい衰えて、心もそれと同時に萎(しぼ)んでしまったのである。これを大きな哀(かな)しみといわずにいられるであろうか。
人の生涯というものは、もともとこのように愚かなものなのか。それとも自分だけが愚かで、世人のうちには愚かではない者もいるのだろうか。
斉物論第二(7)
夫 隨 其 成 心 而 師 之 , 誰 獨 且 無 師 乎 ? 奚 必 知 代 而 心 自 取 者 有 之 ? 愚 者 與 有 焉 ! 未 成 乎 心 而 有 是 非 , 是 今 日 適 越 而 昔 至 也 。 是 以 無 有 為 有 。 無 有 為 有 , 雖 有 神 禹 且 不 能 知, 吾 獨 且 奈 何 哉 !
夫(そ)れ其の成心(セイシン)に随(したが)いて之を師とすれば、誰か独り且(は)た師無からんや。奚(なん)ぞ必ずしも代(か)わるを知りて、心に自ら取る者のみこれ有らんや。愚者も与(とも)にこれ有り。未(いま)だ心に成らずして是非を有するは、是(こ)れ今日越に適(ゆ)きて、昔(きのう)至れりとするなり。是れ無有(ムユウ)を以て有と為(な)すなり。無有を有と為さば、神禹(シンウ)有りと雖(いえど)も、且(まさ)に知ること能(あた)わず。吾れ独り且(は)た奈何(いかん)せんや。
もし、自分に自然にそなわている心に従い、これをわが師とするならば、だれもがそれぞれに師を持つことになるだろう。何も、天地宇宙の生成変化の理法を悟って、自(み)ずから正しい判断を為し得る賢者だけが所有しているのではなく、この心の師は、愚者にもおのずから具わっているのである。
ところが、すべての人間が自己の内に本来もつところの心に従わず、いたずらに(己れを是とし、他を非とする)是非の論議によって問題を解決しようとする限り、その本末を顛倒した愚かさは、たとえば数千里隔たった南の越の国に、「今日旅立って、昨日に到着した」という詭弁をもてあそぶことになる。このような有り得べからざることを有り得ると主張する愚かさに対しては、あの神の如き知恵を持つという古(いにしえ)の帝王、禹(ウ)の聡明さをもってしても、施すすべがないのである。ましてこの私にそれをどうすることができようか。
斉物論第二(8)
夫 言 非 吹 也 , 言 者 有 言 。 其 所 言 者 特 未 定 也 。 果 有 言 邪 ? 其 未 嘗 有 言 邪 ? 其 以 為 異 於 ? 音 , 亦 有 辯 乎 ? 其 無 辯 乎 ? 道 惡 乎 隱 而 有 眞 僞 ? 言 惡 乎 隱 而 有 是 非 ? 道 惡 乎 往 而 不 存 ? 言 惡 乎 存 而 不 可 ? 道 隱 於 小 成 , 言 隱 於 榮 華 。 故 有 儒 墨 之 是 非 , 以 是 其 所 非 而 非 其 所 是 。 欲 是 其 所 非 而 非 其 所 是 , 則 莫 若 以 明 。
夫(そ)れ言(ゲン)は吹(スイ)には非(あら)ざるなり。言う者には言(ことば)あり。其(そ)の言う所の者、独(ひと)り未(いま)だ定まらざれば、果たして言ありや、其れ未だ嘗(かつ)て言あらざるか。其れ以(もっ)て?(コウ)の音(ね)に異なれりと為(な)すも、亦(また)弁(ベン・けじめ)ありや、其れ弁無きや。 道は悪(なに)に隠(よ)りて真偽あるか、言は悪(なに)に隠(よ)りて是非有るか。道は悪くにか往(ゆ)きて存せざる、言は悪くにか存して不可なる。道は小成に隠(よ)り、言は栄華に隠(よ)る。
故(ゆえ)に儒墨(ジュボク)の是非有り。以て其の非とする所を是として、其の是とする所を非とす。其の非とする所を是として、其の是とする所を非とせんと欲するは、則(すなわ)ち明(メイ)を以てするに若(し)くは莫(な)し。
さて、ことばというものは、口から吹き出す単なる音ではない。ものを言った場合には言葉の意味がある。その言った言葉の意味がまだあいまいでさだかでないなら、はたしてものを言ったことになるのか、それとも何も言わなかったことになるのか。たとえ単なる雛鳥(ひなどり)のさえずりとは違うといったところで、はたして区別がつくかつかないか。
(本来、真でも偽でもない)道に、何故真と偽との区別が生ずるのか。(本来是も非もない)言語に、何故是と非の対立が生ずるのか。道はあらゆる場所に存在するし、ことばはどんな場合でもそのすべてが「可」である。道は小さな成功を求める心によって真偽の対立を生み、ことばは虚栄とはなやかな修飾によって是非の対立を生んだ。
だからこそ、そこに儒家と墨家の是非の対立が生まれる。こうして相手の非とするところを是とし、相手の是とするところを非とするようになる。相手の非とするところを是とし、相手の是とするところを非とすることを望むのは、真の明智(明明白白の理)に立脚する立場には及びもつかないのである。
斉物論第二(9)
物 無 非 彼 , 物 無 非 是 。 自 彼 則 不 見 , 自 知 則 知 之 。 故 曰 : 彼 出 於 是 , 是 亦 因 彼 。 彼 是 方 生 之 ? 也 。 雖 然 , 方 生 方 死 , 方 死 方 生 ; 方 可 方 不 可 , 方 不 可 方 可 ; 因 是 因 非, 因 非 因 是 。 是 以 聖 人 不 由 , 而 照 之 于 天 , 亦 因 是 也 。 是 亦 彼 也 , 彼 亦 是 也 。 彼 亦 一 是 非 , 此 亦 一 是 非 , 果 且 有 彼 是 乎 哉 ? 果 且 無 彼 是 乎 哉 ? 彼 是 莫 得 其 偶 , 謂 之 道 樞 。 樞 始 得 其 環 中 , 以 應 無 窮 。 是 亦 一 無 窮 , 非 亦 一 無 窮 也 。 故 曰 莫 若 以 明 。
物は彼れに非らざるは無く、物は是(こ)れに非ざるはなし。彼よりすれば則ち見えざるも、自(み)ずから知れば則ち之を知る。故に曰く、「彼は是より出で、是れも亦た彼に因る」と。彼と是れと方(なら)び生ずるの説なり。然りと雖(いえど)も、方(なら)び生じ方(なら)び死し、方(なら)び死し方(なら)び生ず。方(なら)び可にして方(なら)び不可、方(なら)び不可にして方(なら)び可なり。是(ゼ)に因(よ)り非(ヒ)に因(よ)り、非に因り是に因る。是(ここ)を以て聖人は、由らずして之を天に照(て)らす。亦是(ゼ)に因るなり。是(こ)れもまた彼なり、彼もまた是れなり、彼もまた一是非(いちゼヒ)、此れもまた一是非なり。果して且(そ)も彼是ありや、、果して且(そ)も彼是なきや。彼と是と其の偶を得る莫(な)き、之を道樞(ドウスウ)と謂ふ。樞(スウ・とぼそ)にして始めて其の環中を得て、以て無窮に應ず。是(ゼ)もまた一無窮、非(ヒ)もまた一無窮なり。故に曰く明を以てするに若(し)くは莫し」と。
物は彼(かれ)でないものはないし、また物は此(これ)でないものもない。己れを「これ」とよび、他を「かれ」とよぶ時、他を「かれ」とよぶその己れもまた、他者の立場からみれば一つの「かれ」であるから、一切存在は皆「これ」であるとも「かれ」であるともいえる。人間の判断はとかく一方的なもので、「彼れ」の立場からは蔽(おお)われて見えない道理も、「是れ」の立場からは明らかに知り得るものであるから、「彼れ」という概念は己れを「是れ」とするところから生じたものであり、「是れ」という概念は、「彼れ」という対立者をもととして生じたものである。つまり「彼れ」と「是れ」というものは、相並んで生ずるということであり、たがいに依存しあっているのである。論理学者、恵施(ケイシ)の主張がこれである。
しかしながら、この「あれ」と「これ」の相対性は、天地間のあらゆる価値判断についてもいえるのであって、生と死、可と不可、是(ゼ)と非(ヒ)の対立も、じつは互いに相い因(よ)り、相俟(ま)って成立する相即的な概念であり、一切の矛盾と対立の姿こそ、そのまま存在の世界の実相なのである。万物は生じては滅び、滅びては生ずるこの方生方死(ホウセイホウシ)、方死方生(ホウシホウセイ)の変化の流れのみが絶対であって、これを「生」とよび「死」とわかつのは、人間の偏見的分別にすぎない、同様にまた、すべての存在は、それを可(カ)とみる立場からすれば可でないものはなく、それを不可(フカ)とみる立場からすれば不可でないものはないが、この方可不可、方不可方可の実在の世界を、あるいは可としあるいは不可とするのは、全く人間の心知の妄執にほかならないのである。
だから、実在の真相を看破する聖人は、このような万物の差別と対立の諸相に心知の分別を加えることなく、あるがままの万物の姿をそのまま自然として観照し、これを絶対的な一の世界に止揚するのである。聖人もまた是(ゼ)による。しかし、其の是はもはや因非因是の是、すなわち非と対立する相対の是ではなくして、一切の対立と矛盾をそのまま包み越える絶対の是なのである。そこでは、是(こ)れもまた同時に彼れであり、彼れもまた同時に是れである。そこでは、彼のなかにも是と非が一つになって含まれ、此れのなかにも是と非が一つになって含まれる。このような一切の差別と対立を超えた絶対の世界においては、もはや彼是の対立などどこにもあり得ない。そして、このような彼れと是れとが互いに自己と対立するものを失い尽くした境地を、道枢(ドウスウ)─ 実在の真相というのである。枢(とぼそ)とは扉(とびら)の回転軸のことであるが、この枢(とぼそ)がそれを受けとめるまるい環(わ)の中心にぴったり嵌(は)まって、扉が自由に開閉するように、道の枢もまた一切の対立と矛盾を超えた絶対の一に立脚して、千変万化する現象の世界に自由自在に応ずるのである。そしてこのような道枢(ドウスウ)の境地においては、是もまた一つの窮まりなき真理を含み、非もまた一つの窮まりなき真理を含む、そこではもはや、「此」と「彼」、「是」と「非」など一切の対立は、その相対性の根源において一つとなるのである。「明(メイ)を以てする」とは、このような環中(カンチュウ)の道枢(ドウスウ)、すなわち万物斉同の実在の真相を観照する叡智を自己のものとすることにほかならないのである。
斉物論第二(10)
以 指 ? 指 之 非 指 , 不 若 以 非 指 ? 指 之 非 指 也 ; 以 馬 ? 馬 之 非 馬 , 不 若 以 非 馬 ? 馬 之 非 馬 也 。天 地 一 指 也 , 萬 物 一 馬 也 。
指を以て指の指に非ざるを喩(さと)すは、指に非ざるを以て指の指に非ざるを喩すに若(し)かざるなり、馬を以て馬の馬に非ざるを喩すは、馬に非ざるを以て馬の馬に非ざるを喩すに若かざるなり。天地は一指なり、萬物は一馬なり。
詭弁学派のうちには、まず指という個物の存在を認めたあとで、指が指でないことを論証しようとするものがある。しかしそれは、最初から指という個物を越えた一般者から出発して、そのあとで指が指でないことを論証するのには及ばない。
また、まず馬という個物の存在を認めたあとで、馬が馬でないことを論証しようとするものがある。しかしそれは、最初から馬という個物を越えた一般者から出発して、そのあとで馬が馬でないことを論証するのには及ばない。
無差別の道枢の立場からみれば、天地は一本の指であるともいえるし、万物は一頭の馬であるともいえるのである。
斉物論第二(11)
可 乎 可 。 不 可 乎 不 可。 道 行 之 而 成 , 物 謂 之 而 然 。 惡 乎 然 ? 然 於 然 。惡 乎 不 然 ? 不 然 於 不 然 。物 固 有 所 然 , 物 固 有 所 可 。無 物 不 然 , 無 物 不 可 。
可を可とし、不可を不可とす。道は之(これ)を行きて成り、物は之を謂いて然りとす。悪(いず)くにか然りとするや、然るを然りとす。悪くにか然らずとするや、然らざるを然らずとす。物は固(もと)より然りとする所あり。物は固より可とする所あり。物として然らざるは無く、物として可ならざるは無し。
世俗の人間は、本来一つである万物を可と不可に分かち、その可を可とし、その不可を不可として固執するが、(一体、このような可と不可の区別は何によって生ずるのであろうか) それは人間の習慣的な思考と価値的な偏見にもとづくのであって、恰も道路が本来何もない野原に人の往来(ゆきき)とともにでき上がり、また、本来何の名前も持たない事物が、人間生活の便宜のために、これこれだと名づけられるのと同じであろう。(世間の人びとがそういっているからという理由で、習慣的にそのやり方を認めているにすぎないのだ)
しかし彼らはいったい何を根拠に、あるものを「然り」とし、また「然らず」と断定するのか。彼らはただ世間の常識と習慣に従って、世間の人間が然りとするものを自己もまた然りとし、世間の人間が然らずとすることを自己もまた然らずとしているにすぎない。彼らの断定は決して絶対的なものではないのである。ところで、絶対的な立場、すなわち万物が一馬であり、天地が一指である究竟的一の世界では、可もなく不可もなく、然もなく不然もないから、一切は可でもあり不可でもあり、然でもあり不然でもある。そこでは、すべての「然り」が「然り」として肯定されるだけでなく、「然り」を否定する「然らず」もまた今一たび否定されて、「然らざるはなし」と肯定されるのである。この大いなる一切肯定の世界が、道樞(ドウスウ)すなわち実在の世界にほかならない。
斉物論第二(12)
故 為 是 舉 莛 與 楹。 厲 與 西 施。 恢 詭 譎 怪。 道 通 為 一 。 其 分 也。 成 也。 其 成 也。 毀 也 。 凡 物 無 成 與 毀。 復 通 為 一 。唯 達 者 知 通 為 一。 為 是 不 用 而 寓 諸 庸 。 庸 也 者。 用 也。 用 也 者。 通 也。通 也 者。 得 也。 適 得 而 幾 矣 。 因 是 已。 已 而 不 知 其 然 謂 之 道 。
故に是(こ)れが為(ため)に、莛(テイ・うつばり)と楹(エイ・はしら)、厲(ライ・かったい)と西施(セイシ)とを挙ぐれば、恢詭譎怪(カイキキッカイ)なるも、道は通じて一たり。其の分かるるは成るなり。其の成るは毀(そこな)わるるなり。凡(およ)そ物は、成ると毀(そこな)わるると無く、復(ま)た通じて一たり。唯(た)だ達者(タッシャ)のみ通じて一たることを知り、是れが為に用いずして諸(これ)を庸(ヨウ)に寓(グウ)す。庸なる者は用なり、通なる者は得なり。適(たま)たま得て、幾(ちか)し。是(ゼ)に因(よ)る已(のみ)。已(のみ)にして其の然るを知らず、これを道と謂(い)う。
一切存在は、物として然らざるはなく、物として可ならざるはない。その例として、横にわたす梁(はり)と縦に立つ「柱」、癩病患者と絶世の美女「西施」とを対照して示すと、とても奇怪ないぶかしい対照ではあるが、真実の道(一切の差別と対立がそのまま一つである実在の世界)においては、縦もまた横であり、美もまた醜と斉しく一つのものである。
この道の立場からみれば、分散し消滅することは、そのまま生成することであり、生成することは、そのまま死滅することでもある。すべてのものは、生成と死滅との差別なく、すべて一つである。ただ道に達した者だけが、すべてが通じて一であることを知る。だから達人は分別の知恵を用いないで、すべてを自然のはたらきのままにまかせるのである。庸(ヨウ)とは用の意味であり、自然の作用ということである。自然の作用とは、すべてを通じて一である道のはたらきである。すべてに通じて一であるものを知るとは、道を体得(自得)することにほかならない。この道を体得した瞬間に、たちまち究極の境地に近づくことができるのである。
究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是(ゼ)に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因(よ)り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従っているという意識さえもなくなること、この境地をこそ道というのである。
斉物論第二(13)
勞 神 明 為 一 , 而 不 知 其 同 也 , 謂 之 「 朝 三 」 。 何 謂 「 朝 三 」 ? 曰 : 狙 公 賦 ? 曰,「 朝 三 而 莫 四 。 」 衆 狙 皆 怒 。 曰 : 「 然 則 朝 四 而 莫 三 。 」 衆 狙 皆 悅 。 名 實 未 虧 而 喜 怒 為 用 , 亦 因 是 也 。 是 以 聖 人 和 之 以 是 非 而 休 乎 天 鈞 , 是 之 謂 兩 行 。
神明(シンメイ)を労して一(いつ)にせんと為(つとめ)めて、而(しか)も其(そ)の同じきことを知らざるなり。之(これ)を朝三(チョウサン)と謂(い)う。何をか朝三と謂う。曰(い)わく、狙公(ソコウ)、?(とちのみ)を賦(わか)ちあたえて、「朝は三にして、莫(くれ=暮)には四にせん」と曰(い)いしに、衆狙(シュウソ・あまたのさる)は皆怒(いか)れり。「然らば則ち、朝は四にして莫(くれ)には三にせん」と曰(い)いしに、衆狙は皆悦(よろこ)べり。名実未(いま)だ虧(か)けざるに、而も喜怒は用を為す。亦(また)是(ゼ)に因(よ)らんのみ。
是(ここ)を以て聖人は、之を和するに是非を以てして天鈞(テンキン)に休(いこ)う。是(こ)れを両行(リョウコウ)と謂う。
世俗の人間は徒らに精神を苦しめて是非の論争に憂き身をやつし、万物の差別と対立が言論心知によって統一されるかのごとく錯覚して、本来一つである実在の真相を悟らないが、彼らのこのような愚かさこそ、「朝三(チョウサン)」と呼ぶのである。それでは「朝三」とは何か。
昔ある所に狙公(ソコウ)、すなわち猿回(まわ)しの親方がいて、多くの猿を飼っていたが、ある朝、彼は猿どもに餌(えさ)として?(とち)の実(み)を分けてやりながら、こういった。
「朝は三つずつ、夕方には四つずつやろう」 すると猿どもは歯をむいていきり立った。そこで猿回しの親方がさらに、
「それならば、朝は四つずつ、夕方には三つずつにしよう」 といったところ、多くの猿どもはキャッキャッと喜んだ。
結局同じ内容の、異なった表現にすぎず、いくら名(ことば)を変えてみたところで実質には何の変化もないのであるが、猿どもは勝手に喜怒の情を用いて騒ぎ立てている。世俗の学者先生たちの愚かさが、この浅はかな猿どもとどれほど違うというのであろう。
彼らの狂態も、是非の相対を超えた絶対の是(ゼ)、すなわち万物斉同の実在の真相に大悟すれば、静かなる正気にその精神を安らげることができるのだ。
だから聖人は、是非の価値的偏見を是(ゼ)もなく非(ヒ)もない実在の一に調和し、心知の分別を放下して「天鈞(テンキン)」すなわち絶対的一の世界に安住する。そこでは、一切万物の矛盾と対立の相(すがた)は、矛盾と対立のまま、「両(ふた)つながら行(おこ)なわる」、同時に存在し得るから、この境地をまた「両行」ともよぶのである。
斉物論第二(14)
古 之 人 , 其 知 有 所 至 矣 。 惡 乎 至 ? 有 以 為 未 始 有 物 者 , 至 矣 , 盡 矣 , 不 可 以 加 矣 ! 其 次 , 以 為 有 物 矣 , 而 未 始 有 封 也 。 其 次 , 以 為 有 封 焉 , 而 未 始 有 是 非 也 。 是 非 之 彰 也 , 道 之 所 以 虧 也 , 道 之 所 以 虧 , 愛 之 所 以 成 。 果 且 有 成 與 虧 乎 哉 ? 果 且 無 成 與 虧 乎 哉 ?
古(いにしえ)の人は、其の知に至(きわ)まれる所有り。悪(いずく)にか到(きわ)まれる。以て未(いま)だ始めより物有らずと為す者有り。至れり尽くせり。以て加(くわ)うべからず。其の次は以て物有りと為す、しかも未だ始めより封(ホウ・かぎること)有らざるなり。其の次は以て封(ホウ・かぎること)有りと為す、しかも始めより是非(ゼヒ)有らざるなり。是非の影(あら)わるるや、道の虧(か)くる所以(ゆえん)なり。道の虧(か)くる所以(ゆえん)は愛の成(な)る所以(ゆえん)なり。果たして且(そ)も成ると虧(か)くると有りや、果たして且(そ)も成ると虧(か)くると無きや。
昔の絶対者は、最上の知恵を所有していた(到達した境地があった)。最上の知恵(到達した境地)とは何か。「はじめからいっさいの物は存在しない」とする「無」の立場であって、彼は「天鈞」としての道、「両行」としての実在とそのまま一つになって、これが道だと意識し判別することさえもなかった。この渾沌と一体になった境地、知を忘れた境地こそ、至高最上の境地なのであり、もはやつけ加えるべき何ものもない。
これに次ぐ境地は、物は存在すると考えるが、その物には、他と区別される境界がないとするものである。最上の境地、すなわち体験そのものの世界が、一歩人間の認識の世界に引き寄せられると、そこに「物有り」という判断が成立し、道の実在性が意識されるに至る。しかしこの段階ではまだ道の実在性は意識されながらも、その意識された道は、なお雑然たる異質的連続、すなわち渾沌であって、そこにはまだなんらの「封」すなわち、境界ないしは秩序も発見されない。いわゆる道と一つである自己が意識されている境地であって、これは最上の境地ではないが、それに次ぐ境地といえよう。
さらに第三の境地は、境界があるとは考えるが、是と非との区別、価値の区別はまったくないとするものである。「封有りと為す」、渾沌は次第にその境界秩序を認識の世界の中に明らかにし、道は本来自ずからの中に渾沌と包んでいた万物の形として現れる。すなわち、一が多となり、絶対が相対の諸相として展開する境地である。ここでは、道の「一」は万象の「多」に分たれ、心知を絶した実在の世界は、人間の認識世界の埒(ラチ)内に位置づけられるが、「しかも未だ是非あらず」、何(いず)れを是、何(いず)れを非とする価値判断はまだ施されていないのである。そして、この境地は、第一の「未だ始めより物有らざる」境地、第二の「未だ始めより封(ホウ)有らざる」境地には及ばないが、それでもなお、道の純粋性は僅かに保たれているということができる。
ところが、「是非の影(あら)わるるや道の虧(そこな)わるる所以」、是非の価値判断が確立されると、道の完全さがそこなわれることになる。「道の虧(そこな)わるる所以は、愛の成る所以」、道の完全さがそこなわれるところには、人間の愛憎好悪(コウオ)の妄執が簇(むらが)り生ずる。
ところで、いま道の完全さがそこなわれるといったが、はたして道には完全と毀損(キソン)ということがあるのだろうか。それとも道には完全も毀損もないのであろうか。
このように考えてみる時、真実在としての道は、本来「成」もなく「毀」もない絶対の一なのである
斉物論第二(15)
有 成 與 虧 , 故 昭 氏 之 鼓 琴 也 ; 無 成 與 虧 , 故 昭 氏 之 不 鼓 琴 也 。 昭 文 之 鼓 琴 也 , 師 曠 之 枝 策 也 , 惠 子 之 據 梧 也 , 三 子 之 知 幾 乎。 皆 其 盛 者 也 , 故 載 之 末 年 。 唯 其 好 之 也 ,以 異 於 彼 , 其 好 之 也 , 欲 以 明 之 。 彼 非 所 明 而 明 之 , 故 以 堅 白 之 昧 終 。而 其 子 又 以 文 之 綸 終 , 終 身 無 成 。 若 是 而 可 謂 成 乎 , 雖 我 亦 成 也 , 若 是 而 不 可 謂 成 乎 , 物 與 我 無 成 也 。
成ると虧(か)くると無きは、故(もと)より昭氏(ショウシ)の琴(こと)を鼓せざるなり。昭文(ショウブン)の琴を鼓するや、師曠(シコウ)の策(サク・ことじ)を枝(ほどこ)すや、恵子の梧(ゴ・つくえ)に拠(よ)るや、三子の知は幾(つく)せり。皆、其の盛んなる者なり。故(ゆえ)に之(これ)を末年に載す。唯(た)だ其の之を好むや、以て彼れに異なる。其の之を好むや、以て之を明らかにせんと欲す。彼れ明らかにする所に非ざるに、而(しか)も之を明らかにせんとす。故に堅白(ケンパク)の昧(マイ・くらき)を以て終わりる。而して其の子また文の綸(論・あげつらい)を以て終わり、身を終うるまで成ること無し。是(か)くの若(ごと)くにして成ると謂うべきか、我と雖(いえど)も亦た成るなり。是(か)くの若(ごと)くにして成ると謂うべからざるか、物と我と(与・ともに)成る無きなり。
昔の琴の名手である昭文が琴をかきならせば、そこには確かに妙なるメロディーが成立する。しかし彼の手に成立するメロディーの背後には、彼の手に成立しない無限のメロディーが存在し、彼のメロディーはその無限なるメロディーの一つにすぎないのである。彼がいかに努力しようとも、彼の手には常にかきならし切れない無限のメロディーが残されている。彼の手は一つのメロディーを「成す」ことによって無限のメロディーを「虧(うしな)」っているのであり、この意味において、彼の「成」は同時に「虧」であるともいえる。だから、すべてのメロディーをすべてのメロディーとして成り立たしめるためには、メロディーなきメロディー(無声の声)を聴くほかはない。メロディーなきメロディーとは、琴をかきならさぬということである。─ 「成(セイ)と虧(キ)と無きは故(もと)より昭氏の琴を鼓(コ)せざればなり」
このことは同じく昔の音楽家である師曠(シコウ)、論理学者である恵施(ケイシ)についてもいえよう。昭文が琴をかきならし、師曠が瑟(シツ・琴の一種)の調べをととのえ、恵施が几にもたれて詭弁をふるうさまは、いずれも人知の極至であって、これらは確かに人間の作為の偉大さを示すものであり、さればこそまた、物の本にも書き記されて後の世まで伝えられるのである。─ 「故に之を末(のち)の年(よ)に載(しる)す」
しかし、なるほど彼らは道を好み芸を愛する者ではあるが、「彼」すなわち真に道を好む絶対者とは同じくない。というのは、彼らは道を好みながら、その道を人間の作為(知と巧)で究め明らかにしようとするが、道とは本来人間の知巧を超えたものであり、人間の作為では明らかにすることのできないものであるから、彼らは、不可能を可能とする誤謬の上に立っているのである。─ 「明らかにする所に非ずして之を明らかにする」ここに、彼らの倒錯がある。
だから、恵子のように「堅白同異(ケンパクドウイ)」の弁などという愚にもつかない議論を、倦(あ)きもせず死ぬまで繰り返すのであって、たんに彼のみか、その論理学を受け継いだ彼の子もまたついに道を悟ることなく、その生涯を空しく終っているのである。要するに彼らのいとなみは、その偉大さにも拘わらず、至高至大の道の前では殆んど無にもひとしい。だから、若(も)し、この無にもひとしい昭文と師曠と恵子の三人のいとなみが「成」─ 道を究めたもの ─ といえるなら、我々凡俗と雖もまた「成」といえるであろうし、逆にまた、もしこの三人の偉大ないとなみでさえ「成」といえないとすれば、いかなる物、いかなる人間にも「成」ということはあり得ないのである。
斉物論第二(16)
是 故 滑 疑 之 耀 , 聖 人 之 所 圖 也 。 為 是 不 用 而 寓 諸 庸, 此 之 謂 「 以 明 」 。
是の故に滑疑(コツギ)の耀(かがや)きは、聖人の図(はか)る所なり。是(こ)れが為(ため)に用いずして諸(これ)を庸(ヨウ)に寓(グウ)す。此れを之(こ)れ明を以てすと謂う。
だからこそ聖人(絶対者)は、人間のあらゆる作為を放下して、暗く定かならぬ耀(ひか)り、すなわち「不明の明」を、自己の知恵とすることを図るのである。不明の明とは、人間の価値的偏見を捨てて生きたる渾沌としての道を渾沌として生かすことであり、是非の分別を用いずに万物の庸(ヨウ)、すなわち一切存在の自然性に随順することにほかならない。そしてこの滑疑の耀(不明の明)こそ真の明智であって、はじめに「明(メイ)を以てするに若(し)くは莫(な)し」といった意味も、この真の明智を自己のものとすることにほかならないのである。
斉物論第二(17)
今 且 有 言 於 此。 不 知 其 與 是 類 乎 ? 其 與 是 不 類 乎 ? 類 與 不 類 , 相 與 爲 類 , 則 與 彼 無 以 異 矣 。 雖 然 , 請 嘗 言 之。
今且(しば)らく此(ここ)に言えること有り。其の是(こ)れと類(たぐい)するや、其の是(こ)れと類(たぐい)せざるやを知らず。類すると類せざると、相(あ)い与(とも)に類を為せば、則ち彼れと以て異なること無し。然りと雖も、請(こ)う、嘗(こころ)みに之を言わん。
絶対の一としての道には是もなく非もないと言った。しかしこの言(主張)は、いったい「是れ」すなわち世間の是非の議論と同じ種類のものであろうか、それとも異なった種類のものであろうか。
「道に是非なし」という主張は、確かに「是非あり」とする世俗の議論とは異なっている。しかし、また「道に是非なし」という主張も一つの議論である限り、それが一つの議論であるという点では、「是非あり」とする世俗の議論と異ならないのである。
結局、この主張が世俗の議論と同類のものであるにせよ、異類のものであるにせよ、問題を言論心知の世界で解決しようとする限り、同じ穴のむじなとならざるを得ないのであって、彼すなわち世俗の議論と何の変わりもないことになる。道とは本来言論心知などでは捉えることのできないもの、体験するよりほか仕様のないものであるから、絶対者はただ体験のみを至上として、生きたる渾沌と遊ぶほかないのである。けれども、我々が何かを説明する場合、言語を媒介とすることなしには不可能であるから、この言語の限界性を十分念頭におきながら、今少しく道と言 ─ 実在と認識の関係について考えてみよう。
斉物論第二(18)
有 始 也 者 , 有 未 始 有 始 也 者 , 有 未 始 有 夫 未 始 有 始 也 者 ; 有 有 也 者 , 有 無 也 者 , 有 未 始 有 無 也 者 , 有 未 始 有 夫 未 始 有 無 也 者 。 俄 而 有 無 矣 , 而 未 知 有 無 之 果 孰 有 孰 無 也 。 今 我 則 已 有 謂 矣 , 而 未 知 吾 所 謂 之 其 果 有 謂 乎 ? 其 果 無 謂 乎?
始めというもの有り。未だ始めより始めも有らずというものあり。未だ始めより、夫(か)の未だ始めより始めも有らず、も有らずというもの有り。有(ユウ)というもの有り。無(ム)というもの有り。未だ始めより無も有らずというもの有り。未だ始めより、夫(か)の未だ始めより無も有らず、も有らずというもの有り。俄かにして有無あり。而(しか)も未だ有無の果たして孰(いず)れか有にして孰(いず)れか無なるを知らざるなり。今我れ則ち已(すで)に謂(い)えること有り。而(しか)も未だ吾が謂(い)う所の其れ果たして謂えること有りや、其れ果たして謂えること無きやを知らざるなり。
万物には、その「はじめ」があるはずである。「はじめ」があるとするならば、さらにその前の「まだはじめがなかった時」があるはずである。さらにはその「『まだはじめがなかった時』がなかった時」があるはずである。
また、「有」があるからには、まだ有がなかった状態、すなわち「無」があるはずである。さらにその前に「まだ無がなかった状態」があるはずである。さらにはその「『まだ無がなかった状態』がなかった状態」があるはずである。
このようにして、ことばによって有無の根源をたずねようとすると、それははてしなくつづき、けっきょくその根源をつきとめることはできない。
それにもかかわらず、現実世界では、われわれは確実な根源を知らないままに、いきなり有とか無ということを口にするのである。このような不確実な有無のとらえ方では、その有無の、どちらが有で、どちらが無であるのか、わからない。
ところで、私は、「有 ─ 無」の概念について説明してきたが、それが何かを言い表したことになるのか、何事をも言い表したことにならないのか、わからない。
(何事をも言い表したことにはならないのである)
斉物論第二(19)
天 下 莫 大 於 秋 豪 之 末 , 而 大 山 為 小 ; 莫 壽 於 殤 子 , 而 彭 祖 為 夭 。 天 地 與 我 並 生 , 而 萬 物 與 我 為 一 。
天下に、秋豪(=秋毫 シュウゴウ)の末より大なるは莫(な)く、而して泰山も小なりと為す。殤子(ショウシ)より寿(ジュ)なるは莫(な)く、而して彭祖(ホウソ)も夭(ヨウ)と為す。天地も我れと並び生じて、万物も我れと一(いつ)たり。
道とは大小長短など一切の対立と矛盾を斉(ひと)しくする「天鈞(テンキン)」、すなわち絶対の一にほかならないから、そこでは極小もまた極大であり、瞬間もまた永遠である。
そこでは、常識が小さいものの極致とする、あの秋の動物の毛 ─ 秋の動物の毛は冬にそなえて細く密生するのであるが ─ その細い秋の動物の毛の先端ほど大きいものはなく、常識が大きなものの極致とする巨大な泰山(タイザン)ほど小さいものはないのである。
そこでは幼くして死んだ子供もこの上なく長寿であり、八百歳を生きたという彭祖(ホウソ)の長寿も短い命にすぎない。
悠久なる天地も一瞬の我が生命とひとしく、万物の多も我が存在と一つである。
道とは、このような、あらゆる時間がそこでは一つであり、あらゆる空間がそこでは同じである絶対の一にほかならない。
斉物論第二(20)
既 已 為 一 矣 , 且 得 有 言 乎 ? 既 已 謂 之 一 矣 , 且 得 無 言 乎 ? 一 與 言 為 二 , 二 與 一 為 三 。 自 此 以 往 , 巧 ? 不 能 得 , 而 況 其 凡 乎 ! 故 自 無 適 有 , 以 至 於 三 ,而 況 自 有 適 有 乎 ! 無 適 焉 , 因 是 已 !
既に已(すで)に一たり、且(は)た言(ゲン)有るを得んや。既に已(すで)に之を一と謂(い)う、且(は)た言(ゲン)無きを得んや。一と言と、二と為(な)り、二と一と、三と為る。此(こ)れ自(よ)り以往(イオウ)は、巧歴(コウレキ)も得る能(あた)わず。而(しか)るを況(いわ)んや其の凡(ボン)なるものをや。故に無より有に適きて以て三に至る。而(しか)るを況(いわ)んや有より有に適(ゆ)くをや。適(ゆ)くこと無し。是(ゼ)に因(よ)らんのみ。
道が一切の対立と矛盾を超克する絶対の一であるとすれば、果たしてこれを「一である」と判断し論定することはいかにして可能であるか。そこでは、一という言(概念)をさえ挿(さしはさ)む余地はないはずである。
しかし、それを「一である」と判断し論定するからには、そこには一という言(概念)がその論理的前提として肯定されなければならない。
ところで一という言(概念)は、その内容として一とよばれる概念実体(道)を摂取するから、既に道を一と判断するからには、一という概念そのもの(言)と、一という概念の内容として摂取される実質(いわゆる一)との二元の対立を生ずるわけであり、この二元の対立を抽象して考えると、ここに二という数が成立するのである。
ところでこの二という数字に、真の一すなわち判断以前の純粋体験としての実在そのものを加えれば、ここにさらに三という数が成立する。 未だ始めより物有らざる 「無」としての道は、人間の判断を加えられることによって一となり二となり、さらに三となるのであり、それから先の、三から千となり万となり億となる個別の世界の無限の展開は、「巧歴」すなわち、いかにすぐれた天文学的計算の名人でも計算し尽くすことはできない。まして、数学の天才ならぬ我々凡人においてはなおさらだろう。
道が言によってその実在性を確立されただけでも、渾沌の一は三になるとすれば、個別から個別へ進む存在世界の知的把握が、収拾することのできない混乱として分裂することはいうまでもあるまい。
だから絶対者は、この混乱と分裂のなかに身を置くことなく、せいぜい 物有りとするも未だ始めより封(ホウ)あらざる 渾沌の世界に踏み止まって、「是(ゼ)」すなわち絶対の一である実在そのものと冥合し、ただひたすら道の自然に随順してゆくのである。
斉物論第二(21)
夫 道 未 始 有 封 。 言 未 始 有 常 。 為 是 而 有 畛 也 。 請 言 其 畛 。 有 左 有 右 。 有 倫 有 義 。 有 分 有 辯 。 有 競 有 爭 。 此 之 謂 八 德 。
夫(そ)れ道は、未だ始めより封(ホウ・くぎること)有らず、言は、未だ始めより常(つね・さだまれるなかみ)有らず。是(こ)れが為(ため)にして畛(シン・くぎらるること)あり。請(こ)う其の畛(シン・くぎり)を言わん。左あり右あり、倫(あげつらうこと)有り義(ギ・はかること)有り。分(ブン・わかつこと)有り辯(辨 ベン・さだむること)有り、競(キョウ・きそうこと)有り争(ソウ・あらそうこと)有り。此(こ)れを之(こ)れ八徳(ハットク)と謂う。
道とは、本来何の境界秩序もない渾沌であった。また道に対する言も、本来それだけでは何ら一定の内容をもたない純粋形式にしかすぎない。ところが、この渾沌としての道が、言の内容として摂取される。実在が概念的認識の世界にもたらされると、そこに道の「畛」すなわち境界秩序が成立する。今、参考までにその境界秩序をあげてみよう。
まず成立するのは、右と左という秩序づけ、すなわち対偶の観念である。次に成立するのは論議すなわち両者に関する比較討論であり、次には、この両者の弁別と価値づけであり、次には、価値づけられたもの相互の対立と闘争である。
この「左と右」「論と議」「分と辯」「競と争」を八徳という。
斉物論第二(22)
六 合 之 外 。 聖 人 存 而 不 論 。 六 合 之 ? 。聖 人 論 而 不 議 。 春 秋 經 世 。 先 王 之 志 。 聖 人 議 而 不 辯 。 故 分 也 者 。 有 不 分 也 。 辯 也 者 。 有 不 辯 也 。 曰 何 也 。 聖 人 懷 之 。 ? 人 辯 之 以 相 示 也 。 故 曰 。 辯 也 者 。 有 不 見 也 。
六合(リクゴウ・せかい)の外は聖人は存(あ)りとするも論ぜず、六合の内は聖人は論ずるも議せず。春秋は世を経(おさ)めし先王の志(シ)なるが、聖人は議するも弁ぜず。故に分かつとは分かたざること有るなり。弁ずるとは、弁ぜざること有るなり。曰わく、何ぞや。聖人は之を懐(いだ)き、衆人は之を弁じて以て相い示すなり。故に曰わく、「弁ずるとは、見(しめ)さざること有るなり」と。
ところで、聖人すなわち絶対者は、心知の分別を放下して絶対の一に逍遙する存在であるから、この宇宙を超絶する神秘な世界に関しては、たといその神秘が存在するとしても、その存在するに任せ、それについて論を立てることはしない。この宇宙の中の出来事に関しては、普遍的な問題は論議するが、細かい問題は詮索しない。また、『春秋』という書物は、世を治めた昔の王者の歴史的記録であるが、聖人はそのなかに記された具体的な事実は細かく論議するが、その事実に対する独断的な価値づけは行わないのである。
(しかるに、世俗の人間は、自己の分別を絶対のものであるかのごとく錯覚して、何かといえば直ぐに安易な価値批判を喚(わめ)きたてるが、それは、彼らの分別と称するものが、真の分別でないことに気づかないからである)
真の分別とは、分別することのない分別である。分別することのない分別とは何か。それは一切の差別と対立を、差別と対立のまま自己のふところに抱きとる智恵にほかならない。すなわち、「聖人は懐(いだ)く」のである。
これに反して、衆人は自己の分別をこれ見よがしに振りまわす。
だから、「いかに細かく分析して論じようとも、他人に真理をあますところなく示すことは不可能である」というのである。
斉物論第二(23)
夫 大 道 不 稱 。 大 辯 不 言 。 大 仁 不 仁 。 大 廉 不 ? 。 大 勇 不 ? 。 道 昭 而 不 道 。 言 辯 而 不 及 。 仁 常 而 不 成 。 廉 清 而 不 信 。 勇 ? 而 不 成 。 五 者 ? 而 幾 向 方 矣 。
夫(そ)れ、大道は称せず、大弁は言わず、大仁は仁ならず、大廉(タイレン)は?(ケン=謙)ならず、大勇は?(そこな)わず。道は昭(あきら)かなれば而(すなわ)ち道ならず、言は弁ずれば而ち及ばず、仁は常なれば而ち成(あまね=周)からず、廉(レン)は清ければ而ち信(まこと)ならず、勇は?(そこな)えば而ち成らず。五者は?(ガン・まどか)なるに而(しか)も方(ホウ・かどある)に向かうに幾(ちか)し。
大道すなわち真の実在には、名づけるべきことばがなく、真の偉大な弁舌は、無言のままのものである。真の仁愛は仁としてはあらわれず、真の廉譲は謙譲の徳を示さず(自己を卑下せず)、真の勇猛は人を害(そこな)うことのないものである。
だから道が明示されれば、その道はもはや真の道ではなく、ことばも弁じたてれば、いよいよ真実に遠ざかり、仁愛が特定の対象に固定されれば、もはや普遍性を失い、清廉も潔癖すぎるとごまかしが生じ、勇気も暴力化すれば真の勇気ではなくなる。
この五つの弊害は、より完全にしようとして招いた逆効果であり、ちょうど円を描こうとして四角に近づいていくよなものである。
斉物論第二(24)
故 知 止 其 所 不 知 。 至 矣 。 孰 知 不 言 之 辯 。 不 道 之 道 。 若 有 能 知 。 此 之 謂 天 府 。 注 焉 而 不 滿 。 酌 焉 而 不 竭 。 而 不 知 其 所 由 來 。 此 之 謂 葆 光 。
故に知は其の知らざる所に止(とど)まれば、到れり。孰(たれ)か不言の弁、不動の道を知らん。若(も)し能(よ)く知るもの有らば、此れを之(こ)れ、天府と謂(い)う。焉(これ)に注(そそ)げども満たず、焉(これ)に酌(く)めども竭(つ)きず。而(しか)も其の由(よ)りて来たる所を知らず。此れを之(こ)れ葆光(ホウコウ)と謂う。
最上の智恵とは、是非の偏見によって害われず、認識の限界を知って、その限界の外に止まる智恵にほかならない。絶対の真理とは、これを知れりとするところにはもはや絶対の真理ではなくなり、これを知らずとするところに却って絶対の真理としてあらわれる逆説的存在なのだ。だからこの逆説の意味を真に理解する者があれば、彼の前には無限に豊かな生命の宝庫が開かれるであろう。「ものいわざる雄弁」、「真理を否定する真理」この言葉の意味を真に会得することのできる者があれば、彼をこそ「天府」すなわち天然自然の宝庫を心にもつ人とよぶのである。
彼の胸中には注げども満たず、酌めども竭(つ)きず、しかも何処(いずこ)から来て何処へ去ってゆくともしれない、果てしなき生命の大海原が打ち開ける。彼はその生命の大海原に限りなき自由を戯れて、一切の人間的な矮小さを超克する。そして、このような境地、つまりあらゆる人間的な思慮分別と、人間的な思慮分別に成立する万籟の響き ─ 喧々囂々たる是非の争論が本来の清寂にしずまる境地を、「葆光(ホウコウ)」というのである。葆光とは「包まれた宝(たから)の光」、すなわち絶対の智恵という意味にほかならない。
斉物論第二(25)
故 昔 者 堯 問 於 舜 曰 : 「我 欲 伐 宗 、 膾 、 胥 敖 ,南 面 而 不 釋 然 。其 故 何 也 ? 」 舜 曰 : 「夫 三 子 者,猶 存 乎 蓬 艾 之 間 。 若 不 釋 然 何 哉 ! 昔 者 十 日 並 出 , 萬 物 皆 照 ,而 況 德 之 進 乎 日 者 乎 ! 」
故に昔者(むかし)、堯(ギョウ)は舜(シュン)に問うて曰わく、「我れ宗(スウ=崇)と膾(カイ)と胥敖(ショゴウ)とを伐たんと欲(ホッ)す。南面して釋然(シャクゼン)たらず。其の故は何ぞや」と。
舜曰わく、「夫(か)の三子は、猶(な)お蓬艾(ホウガイ・よもぎう)の間に存す。若(なんじ)の釋然(シャクゼン)たらざるは何ぞや。昔者(むかし)十日(ジュウジツ)並び出(い)でて、萬物皆照らさる。而(しか)るを況(いわ)んや徳の日(ひ)よりも進(まさ)れる者をや」と。
昔、聖天子の堯が、当代随一の有徳者として聞こえた舜に質問した。
「わたしはこれから、まつろわぬ三つの国、宗(スウ=崇)と膾(カイ)と胥敖(ショゴウ)とを征伐しようと思う。しかし、やむを得ない処置とはいえ、天下の支配者となって武力を用いなければならぬ自分に、何ともいえぬ割り切れない気持ちを感じるのだ。この割り切れない気持ちはいったいどうしたわけであろう」
すると舜は答えた。
「あの三国はまだ雑草が生(お)い繁るような未開の地に住む野蕃(ヤバン)の民(まだ天子の徳の何たるかも知らない哀れむべき人間たち)です。このようなものどもに対して、うしろめたい気持ちをもたれるのは、おかしいではありませんか。(征伐などという暴力沙汰に訴える前に、どうしてもっと彼らを徳で感化することを考えないのですか)昔、十個の太陽が一度に天に現れて、一切万物はその輝きに隈(くま)なく照らし出されたという話がありますが、絶対者の徳の光は、この十個の太陽を一緒にしたよりも、もっと偉大なものです。この偉大な徳の光をもつ絶対者になることこそ、あなたは心掛くべきではありませんか」と。
斉物論第二(26)
齧 缺 問 乎 王 倪 曰 : 「 子 知 物 之 所 同 是 乎 ? 」
曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 」
「 子 知 子 之 所 不 知 邪 ? 」
曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 」
「 然 則 物 無 知 邪 ? 」
曰 : 「 吾 惡 乎 知 之 ! 雖 然 , 嘗 試 言 之 。 庸 ? 知 吾 所 謂 知 之 非 不 知 邪 ? 庸 ? 知 吾 所 謂 不 知 之 非 知 邪 ? 」
齧缺、王倪に問いて曰わく、「子は物の同(ひと)しく是(ゼ)とする所を知れるか」と。
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん」と。
「子は子の知らざる所を知れるか?」
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん」と。
「然(しか)らば則ち物は知らるること無きや?」
曰わく、「吾れ悪(いず)くんぞ之を知らん。然りと雖(いえど)も、嘗試(こころみ)に之を言わん。庸?(いず)くんぞ吾れ謂う所の知の、不知に非ざるを知らんや? 庸?(いず)くんぞ吾れ謂う所の不知の、知に非ざるを知らんや?」
齧缺(ゲッケツ)が、その師匠である王倪(オウゲイ)に質問した。
「先生は、すべての存在がひとしく是(ゼ)なりと肯定されるような根源的な真理というものをご存じでしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう」
「それでは先生は、ご自分の知らないところをご存じでしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう」
「それでは、一切は不可知でしょうか」
「わしに、どうしてそれが分かろう。けれども折角の質問だから、試しに話してみよう。いったい人間の知るということ、すなわち判断は、全く相対的なもので、これが絶対だということはあり得ない。だから、今もしわたしが何かを知っているといっても、その知っているは、じつは知らないのであるかもしれず、逆にまた、知らないといっても、その知らないは、じつは知っているのであるかもしれないのだ」
斉物論第二(27)
「且吾嘗試問乎女:民濕寢則腰疾偏死,鰌然乎哉? 木處則惴慄恂懼,猿猴然乎哉? 三者孰知正處? 民食芻豢,麋鹿食薦,?且甘帶,鴟鴉耆鼠,四者孰知正味? 猿?狙以為雌,麋與鹿交,鰌與魚游。毛?麗?,人之所美也;魚見之深入,鳥見之高飛,麋鹿見之決驟,四者孰知天下之正色哉? 自我觀之,仁義之端,是非之塗,樊然?亂,吾惡能知其辯!」
「且(か)つ吾れ嘗試(こころみ)に女(なんじ=汝)に問わん。民は湿(シツ)に寢(い)ぬれば、則ち腰疾(ヨウシツ)して偏死(ヘンシ)するも、鰌(シュウ・どじょう)は然らんや。木に処(お)れば則ち惴慄恂懼(ズイリツジュンク)するも、猿猴(エンコウ)は然らんや。三者、孰(いず)れか正処を知らん。
民は芻豢(スウカン・スウケン)を食らい、麋鹿(ビロク)は薦(セン)を食らい、?且(ショクソ・むかで)は帯(へび)を甘(うま)しとし、鴟鴉(シア)は鼠(ねずみ)を耆(この)む。四者、孰(いず)れか正味(セイミ)を知らん。
猿(エン)は?狙(ヘンソ)以て雌(めす)と為し、麋(ビ)は鹿と交わり、鰌は魚と游ぶ。毛?(モウショウ)・麗?(リキ)は、人の美とする所なり。魚は之を見れば深く入り、鳥は之を見れば高く飛び、麋鹿は之を見れば決して驟(はし)る。四者、孰(いず)れか天下の正色を知らん。
我れ自(よ)り之を観(み)れば、仁義の端(タン)、是非の塗(ト・みち=途)は、樊然(ハンゼン)として?乱(コウラン)す。吾れ惡(いず)くんぞ能(よ)く其の弁を知らん」
それに、これもためしにだが、お前に聞いてみよう。
人間は湿気の多いところで寝起きすると、腰の病気や半身不随の中気(チュウキ)などをわずらうが、鰌(どじょう)はそうではあるまい。また人間は高い木の上にいると、ふるえあがってこわがるが、猿(さる)はそうではあるまい。この三者うち、果たしてどれが本当に正しい住み処(か)を知っているのであろうか。
また人間は、牛や羊や豚などの家畜を食用にし、鹿の類は野原の草を食べ、?且(むかで)は蛇をうまいと思い、鳶(とび)や鴉(からす)は鼠に舌なめずりするが、この四者のうち、果たしてどれが本当の味を知っているのであろうか。
猿(さる)は?狙(いぬざる)と雌雄の交わりを営み、麋(ビ)という姿のよいしかは、いわゆる鹿と交わり、鰌(どじょう)は魚とたわむれるが、毛?(モウショウ)や麗?(リキ)については、人間どもは絶世の美人だと騒いでいるが、魚はその姿を見ると、水底(みなそこ)深く逃げかくれ、鳥は恐れて空高く舞いあがり、麋鹿(しか)は一目散に逃げ走るであろう。この四者のうち、果たしてどれがこの世の中の本当の美を知っているのであろうか。
わしの目から見ると、(人間の判断など決して絶対的なものではなく、絶対的だと考えるのは、独断的な偏見であることが分かろう)、世俗の人間が、やれ仁義だとか、やれ是非だとか喚きたてても、その端緒(いとぐち)や道すじは樊然(ハンゼン)すなわち、ごたごたと入り乱れて、何が仁であり、何が義であるのか、またいずれが是であり、いずれが非であるのかなど、とてもちょっとやそっとでは見わけることができないのだ。
斉物論第二(28)
齧缺曰:「子不知利害,則至人固不知利害乎?」 王倪曰:「至人神矣!大澤焚而不能熱,河漢冱而不能寒,疾雷破山、飄風振海而不能驚。若然者,乘雲氣,騎日月,而游乎四海之外,死生無變於己,而況利害之端乎!」
齧缺曰わく「子は利害を知らず。則ち至人は固(もと)より利害を知らざるか」と。
王倪曰わく「至人は神(シン)なり。大澤(ダイタク)焚(や)くるも熱する能(あた)わず、河漢(カカン)冱(こお)るも寒(こご)えしむる能わず。疾雷(シツライ)の山を破り、飄風(ヒョウフウ・つむじかぜ)の海を振(うごか)せども驚かしむる能わず。然(か)くの若(ごと)き者は雲気に乗じ、日月に騎(またが)りて、四海の外に遊び、死生も己れを変(か)うること無し。而(しか)るを況(いわ)んや利害の端(タン)をや」と。
齧缺(ゲッケツ)はさらにたずねた。
「先生は人間の価値判断など相対的なもので、何が本当の利であり、何が本当の害であるかなど、とても見きわめることはできないとおっしゃいましたが、だとすると、あの至人(シジン)すなわち絶対者もまた、利害得失など全く念頭にもないのでしょうか」
すると、王倪(オウゲイ)は答えた。
「絶対者とは、一切の人間的なるものを超克した霊妙な存在だ。大きな沢が焚(や)け焦(こが)れるほどの熱さ、黄河や漢江という大きな河が凍りつくほどの寒さにも平気であり、激しい雷が山をうちくだき、飄風(つむじかぜ)が海をゆすぶり返すほどの天変地異にもびくともしない。このような絶対者は、高く世俗を飛翔して大空の雲や霧に乗り、日月に跨(また)がって、宇宙の外に逍遙するのである。彼にとっては、死もまた生と斉(ひと)しく、すべての人間が最も恐れ悲しむ死生の変化でさえ、その心を乱すことはできない。まして区々たる利害得失の分かれ目など、初めから念頭にもないのである」
斉物論第二(29)
瞿鵲子問乎長梧子曰:「吾聞諸夫子,聖人不從事於務,不就利,不違害,不喜求,不?道;無謂有謂,有謂無謂,而遊乎塵垢之外。夫子以為孟浪之言,而我以為妙道之行也。吾子以為奚若?」
瞿鵲子(クジャクシ)、長梧子(チョウゴシ)に問いて曰わく、「吾れ諸(これ)を夫子(フウシ)に聞けり。『聖人は務めに従事せず、利に就かず、害を違(さ)けず、求めらるるを喜ばず、道に縁(よ)らず、謂う無くして謂う有り、謂う有りて謂う無く、而して塵垢(ジンコウ)の外に遊ぶ』と。夫子は以て孟浪(モウロウ)の言と為せども、我は以て妙道(ミョウドウ)の行と為すなり。吾子(ゴシ)は以て奚若(いかん)と為すや」と。
瞿鵲子、が長梧子にたずねていった。
「私は、先生(孔子のこと)に次のようなことを聞きました。
『聖人は俗事(仕事)に励むようなことはせず、利を求めようとせず、害をさけようともしない。他人が自己を求め用うるからといって喜ぶでもなく、ことさら道を意識してそれに従ってゆくでもない。沈黙していても物言わざる言葉で何かを語っており、しゃべっていてもその言葉は無心の言で、しゃべらないのと同じであり、その身は世俗のうちに在りながら、その心は遠く世俗の世界の外に逍遥している』
と。ところで、先生(孔子)は、そういった境地を否定して、とりとめのない言語の虚構だといわれるのだが、私はこれこそ霊妙な道の実践だと思う。あなたは、どう考えられるかね」
斉物論第二(30)
長梧子曰:「是?帝
所聽?也,而丘也何足以知之!且女亦大早計,見卵而求時夜,見彈而求?炙。予嘗為女妄言之,女以妄聽之。奚。旁日月,挾宇宙,為其?合,置其滑?,以隸相尊。?人役役,聖人愚?,參萬?而一成純。萬物盡然,而以是相蘊」
長梧子曰わく、「是(こ)れ?帝(コウテイ)の聴いて?(まど)いし所なり。而るを丘や何ぞ以て之を知るに足たん。且(か)つ女(なんじ)も亦(また)大(はなは)だ早計(ソウケイ)なり。卵を見て時夜(ジヤ・ときをつぐる)を求め、弾(たま)を見て?炙(キョウシャ・やきとり)を求むるとは。予(わ)れ嘗(こころみ)に女(なんじ)の為(ため)に之を妄言(モウゲン)せん。女(なんじ)、以て之を妄聴(モウチョウ)せよ。奚(いかん)。日月に旁(なら)び、宇宙を挾(わきばさ)み、其の?合(フンゴウ)を為し、其の滑?(コッコン)に置り、隸(いや)しきを以て相い尊ぶ。衆人は役役(エキエキ)たるも、聖人は愚?(グドン)、萬?に参じて、一(いつ)に純を成す。万物を尽(ことごと)く然(しか)りとして,而して是(こ)れを以て相い蘊(つつ)む」と。
すると長梧子は答えた。
「それは、あの人類最高の智者といわれる?帝でさえ、その説明を聴いてとまどうほどの意味深長なことばだよ。まして(お前の先生の)孔子ごとき人物に理解できないのは無理もない。(彼は”未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや”とうそぶく徹底した現実主義者だからね)、それにだよ、お前も早合点すぎるよ。その程度の説明で霊妙な道の実践だなどというのは、まだ鶏にもならぬ卵を見て暁を告げさせようとし、鳥を射つ弾(たま)を見て?炙(やきとり)を注文するようなものだ。
では、ひとつお前のためにでまかせを聞かせよう。お前もいいかげんに聞けばよかろう(絶対者の真の偉大さ、その真面目は言葉などでは説明し尽くせるものではないから、あくまで一つの便宜的な試みとしてだ。便宜的な試みということで真実のほどは保証できないから、お前もそのつもりで聞くがよい)。どうだね。
さて、、絶対者とは、その偉大な徳化は、あの万物を遍(あまね)く照らす太陽や月と輝きを同じうし、その偉大な包容力は、広大無辺な宇宙をも小脇に挟むほどである。彼は道(実在そのもの)とぴったり一つになり、一切の分別知を捨てて、滑(みだ)れて?(くら)き”不明の明”を自己の智恵とし、己れを奴隷の汚辱に置いて、賤しい者を尊い地位に置き価値の差別をなくし、すべての他人を尊び重んじてゆく。世俗の人間はいたずらに知を競い利を争って、馬車馬のような人生を喘(あえ)いでいるが、しかし絶対者は、是非の分別を捨て、利害得失を一つと見なし、無心忘我の境地に安らかな自己を愉楽するから、その外貌は全く愚鈍な人間のようである。彼は永劫の時間のなかに参入して時間そのものと一つとなり、その一つとなった境地で、ただひたすら自己の純粋性を全うする。彼は一切存在の対立と矛盾の相(すがた)をその対立と矛盾のまま然りとして肯定し、道と一つとなった自己の境地に万物を包摂する。(絶対者はこういった境地を自己の境地とする至高至大の人格なのだ)」
斉物論第二(31)
「予惡乎知?生之非惑邪!予惡乎知惡死之非弱喪而不知歸者邪!麗之?,艾封人之子也。晉國之始得之也,涕泣沾襟;及其至於王所,與王同筐牀,食芻豢,而後悔其泣也。予惡乎知夫死者不悔其始之?生乎?」
「予(わ)れ惡(いず)くんぞ生を説(よろこ)ぶことの惑(まど)いに非ざるを知らんや。予(わ)れ惡(いず)くんぞ死を悪(にく)むことの、弱喪(ジャクソウ)して帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。麗(リ)の?(キ)は、艾(ガイ)の封人(ホウジン)の子なり。晋国の始めて之(これ)を得るや、涕泣(テイキュウ)して襟(えり)を沾(うるお)せり。其の王の所に至り、王と筐牀(キョウショウ)を同(とも)にし、芻豢(スウカン・スウケン)を食(くら)うに及びて、而(しか)る後に其の泣きしを悔いたり。予(わ)れ悪(いず)くんぞ、夫(か)の死者も、其の始めに生を?(もと)めしを悔くざることを知らんや」と。
生を悦ぶことが”とらわれの心”ではないと、どうしていうことができようか。私には、世俗の人間の生を悦び死を憎む気持ちが理解できないのだよ。生を悦ぶというのは、人間の悲しい惑溺ではないのか。死とは人間が本来の自然に帰ることではないのか。幼少のころ郷里を離れた人間は、永い流浪の生活をするうちに故郷を忘れるが、彼らの死への憎悪こそ、この故郷喪失者の悲劇ではないのか。
麗姫(リキ)という美人は、艾(ガイ)という土地の防人(さきもり)の娘であったが、晋の国で始めて彼女を手に入れた時、麗姫は他国へ連れ去られる自己の悲しい運命を、さめざめと、襟もしとどに泣き濡れた。ところが、いよいよ晉の宮殿のなかに連れ込まれ、王と立派なベッドをともにし、甘(うま)いご馳走を食べるようになってからは、その幸福に随喜して、昔流した涙を後悔したということだ。
生と死の変化も、これと同じでないと誰が保障できよう。死者だって、死んだ当初に、もっと生きたいと泣き喚(わめ)いたおのれを後悔するかもしれないのだ。
斉物論第二(32)
「夢飲酒者,旦而哭泣;夢哭泣者,旦而田獵。方其夢也,不知其夢也。夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也,而愚者自以為覺,竊竊然知之。君乎,牧乎,固哉!丘也與女,皆夢也;予謂女夢,亦夢也。是其言也,其名為弔詭。萬世之後而一遇大聖,知其解者,是旦暮遇之也」
「夢に酒を飲む者は、旦(あした)にして哭泣(コッキュウ)し、夢に哭泣(コッキュウ)する者は、旦(あした)にして田猟(デンリョウ)す。其の夢みるに方(あた)りては、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又(ま)た其の夢を占い、覚(めざ)めて後に其の夢なるを知る。且(か)つ大覺(ダイカク)有りて、而(しか)る後に、此れ其の大夢(タイム)なるを知るなり。而(しか)るに愚者は自ずから以て覚(めざ)めたりと為し、竊竊然(セツセツゼン)として之を知れりとし、君(きみ)とし、牧(ボク)とす。固(コ・かたくな)なるかな。丘と女(なんじ)と皆夢なり。予(わ)れの女(なんじ)を夢と謂うも亦夢なり。是(こ)れ其の言や、其の名を弔詭(チョウキ)と為す。万世の後にして、一(ひと)たび大聖の、其の解(カイ)を知れる者に遇(あ)うも、是(こ)れ旦暮(タンボ)に之に遇うなり」と。
長梧子(チョウゴシ)の言葉は、なおつづく。
「夢の中で酒を飲み歓楽を尽くした者は、一夜あくれば、悲しい現実に声をあげて泣き、逆にまた悲しい夢を見て哭(な)き声を立てた者も、朝になればけろりとして楽しい狩猟にでかけてゆくこともある。夢みている最中には、夢が夢であることも分からず、夢の中でさらに夢占いをする場合さえあるが、目がさめて始めて、それが夢であったことに気がつくのだ。
(多くの人間はとらわれた人生を夢のごとく生き、夢のごとき人生のなかで、なお見果てぬ夢を追っている。しかしそれが夢であることに気づいている人間が果たして幾人あるであろうか ─ 福永光司)
夢が夢であることに気づくためには、大いなる覚醒がなければならない。大いなる覚醒、すなわち絶対の真理に刮目(カツモク)した者のみが、大いなる夢から解放されるのである。しかるに、愚かなる世俗の惑溺者たちは、自己の夢を覚めたりとし、こざかしげに知者をもって自ら任じ、己れの好む者を君として尊び、己れの憎む者を奴隷のごとく賤しむ愛憎好悪の偏見に得々としている。彼らの救いがたい頑迷さよ。孔子もお前も、みんな夢を見ているのだ。そして、「お前は夢を見ている」といっているこの私も、ともに夢を見ているのだ。
ところで、このように一切を夢なりと説く私の言葉を”弔詭”(チョウキ)すなわち、この上なく世俗と詭(ことな)った奇妙きわまる話というのである。しかし、この話の意味が分かる絶対者は、恐らく何十万年に一人出会えるか出会えないかぐらいであろう。何十万年に一人出会えたとしても、その遭遇は日常明け暮れに遭遇しているといってもいいほど、極めて稀なのだ」と。
斉物論第二(33)
「既使我與若辯矣,若勝我,我不若勝,若果是也?我果非也邪?我勝若,若不吾勝,我果是也?而果非也邪?其或是也?其或非也邪?其?是也?其?非也邪?我與若不能相知也。則人固受其?闇,吾誰使正之?使同乎若者正之?既與若同矣,惡能正之!使同乎我者正之?既同乎我矣,惡能正之!使異乎我與若者正之?既異乎我與若矣,惡能正之!使同乎我與若者正之?既同乎我與若矣,惡能正之!然則我與若與人?不能相知也,而待彼也邪?
「既に我れと若(なんじ)とをして弁ぜしめんに、若(なんじ)の我れに勝ち、我れの若(なんじ)に勝たざれば、若(なんじ)は果たして是(ゼ)にして、我れは果たして非(ヒ)なるか。我れの若(なんじ)に勝ち、若(なんじ)の吾(わ)れに勝たざれば、我れは果たして是(ゼ)にして、而(なんじ)は果たして非(ヒ)なるか。
其れ或いは是(ゼ)にして其れ或いは非(ヒ)なるか。其れ?(とも)に是(ゼ)にして、其れ?(とも)に非(ヒ)なるか。我れと若(なんじ)とは相い知ること能わざるなり。
則(すなわ)ち人固(もと)より其の?闇(タンアン・くらやみ)を受けん。
吾れ誰にか之を正さしめん。若(なんじ)に同じき者をして之を正さしめんか。既に若(なんじ)と同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。我れに同じき者をして之を正さしめんか。既に我れと同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。
我れと若(なんじ)とに異なる者をして之を正さしめんか。既に我れと若(なんじ)とに異なれば、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。我れと若(なんじ)とに同じき者をして之を正さしめんか。既に我れと若(なんじ)とに同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。
然らば則ち我れと若(なんじ)と人と、?(とも)に相い知る能わざるなり。而(しか)るに彼れを待たんや
長梧子(チョウゴシ)はさらに語をついだ。
「(もう少し、この判断の相対性について分析してみよう)
もし私とお前とが、あるテーマについて、その是非を議論をしたとする。その場合に、もしお前が私に勝ち、私がお前に負けたとすれば、お前が是であり私が非であるということになるのであろうか。もし私がお前に勝ち、お前が私に負けたとすれば、私が正しくてお前が間違っているということになるのであろうか。
お前と私とのどちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っているということになるのであろうか。あるいは両方とも正しいか、もしくは両方とも間違っているということになるのであろうか。しかし、これは議論の当事者であるお前と私には決定をくだすことができない問題である。
ところで、当事者であるお前と私とに決定できないとすれば、第三者の判定を待つということになるが、第三者の立場にある人間も、真っ暗闇のわけのわからぬ事態を引き受けることになるだろう。
それでは、どのような人間に正しい判断を頼めばよいのであろうか。お前と私との是非を誰か第三者に判定させようとしても、それは不可能で、もし判定させようとする第三者が、お前と同じ意見であれば、お前と同じ意見の人間なのだから、公正な判定ができるはずがない。私と同じ意見であれば、私と同じ意見の人間なのだから、公正な判断ができるはずがない。
かといってまた、私とお前とのどちらとも意見を異にする人間に判定させれば、どちらとも意見を異にするから、やはり公正な判定ができるはずがない。逆にまた、私とお前とのどちらとも意見を同じくする人間に判定させるとしても、これは私ともお前とも同じなのだから、やはり公正な判定ができるはずがない。
とするならば、私にも、お前にも、第三者にも、是非を判定することはできないのだ。これ以上誰に判定を期待することができようか
斉物論第二(34) 是也亦無辯;然若果然也,則然之異乎不然也亦無辯。*化聲之相待,若其不相待。和之以天倪,因之以曼衍,所以窮年也。忘年忘義,振於無竟,故寓諸無竟」
「何をか之を和するに天倪(テンゲイ)を以てすと謂うや。曰わく、是(ゼ)と不是(フゼ)とあり、然(ゼン)と不然(フゼン)とあり。是(ゼ)、若(も)し果たして是(ゼ)ならば、則ち是(ゼ)の不是(フゼ)に異(こと)なること、亦(また)弁(ベン・あげつらうまでも)無からん。然(ゼン)、若(も)し果たして然(ゼン)ならば、則ち然(ゼン)の不然(フゼン)に異なること、亦(また)弁(ベン・あげつらうまでも)無からん。*化声(カセイ・よしあし、あげつらい)の相(あ)い待(ま)つことは、其の相い待たざるが若(ごと)し。之を和するに天倪(テンゲイ)を以てし、之に因(よ)るに曼衍(マンエン・かぎることなき)を以てするは、年(よわい)を窮(きわ)むる所以(ゆえん)なり。年(よわい)を忘れ、義(ギ・よしあし)を忘れて、無竟(ムキョウ・かぎりなきせかい)に振(ふ)るう(振=はばたく)。故に諸(これ)を無竟(ムキョウ・かぎりなき)に寓(グウ・いこう)す」と。
是非の対立は、その解決が言論心知の立場で求められる限り、当事者にも第三者にも不可能であって、そこでは対立はさらに対立を生み、ただ無限の喧噪が精神の果てしない消耗を強要するだけである。だからもし、人間がこのような精神の果てしない消耗を本来の安らぎに全うしようと思えば、言論心知による解決の立場を捨てて、是非の対立を天倪(テンゲイ)によって和解させるほかない。(福永光司)
「天倪(テンゲイ)とは既に述べた天鈞(テンキン)と同じ意味であるが、この天倪(テンゲイ)すなわち絶対の一によって是非の対立を和解させるとはいかなる意味か。
常識の立場では是は不是と対立し、不是は是と対立する。しかし彼らの是とするものがもし絶対の是であるならば、それは不是とは相容れないものであるから、不是とする議論は起こるはずがない。にもかかわらず、一方に是を否定する不是の立場が存在し得るということは、その是が絶対でないことを示すものではないか。また世俗の立場では「然り」はこれを否定する「然らず」と対立させられるが、彼らの「然り」とするものが絶対に「然る」のであれば、その絶対の「然り」は、「然らず」と否定する立場とは相容れないものであるから、「然らず」とする議論は起こるはずがないのである。そして「然らず」と否定される「然り」は絶対の「然り」であるとはいえなくなる。
このように、是と不是、然と不然は、その相互否定のなかで、限りない循環を空(から)回りする。(福永光司)
”化声”すなわち、この限りない循環(変化)を繰り返す是非の議論は、全く相対的なものであり、それが相対的なものである限り、その対立は”相い待たざるが若(ごと)し”、つまり初めから存在しないのと同じであるといわなければならない。
こうして歳月を忘れ(死生にとらわれず)、是非の対立を忘れ、無限の世界に逍遥することができる。これゆえにこそ、いっさいを限界のない世界、対立のない境地におくのである」と。
絶対者とは、この限りなき世界を自己の住みかとする存在 ─ 「無竟(ムキョウ)に身を寓(お)く者」 ─ にほかならない。(福永光司)
長梧子はこういって彼の長い説明を結んだ。
斉物論第二(35)
罔兩問景曰:「曩子行,今子止;曩子坐,今子起。何其無特操與?」景曰:「吾有待而然者邪?吾所待,又有待而然者邪?吾待蛇?蜩翼邪?惡識所以然!惡識所以不然!」
罔両(モウリョウ)、景に問いて曰わく、
「曩(さき)には子(シ)行き、今は子(シ)止(とど)まれり。曩(さき)には子(シ)坐(ザ)し、今は子(シ)起(た)てり。何ぞ其れ特操(トクソウ・さだまれるみさお)無きや」と。
景(かげ)の曰わく、「吾れは待(ま)つ有りて然(しか)る者か。吾が待つ所も、又(また)待(ま)つ有りて然(しか)る者か。吾れは蛇?(ダフ・へびのうろこ)・蜩翼(チョウヨク・ひぐらしのはね)を待(ま)つか。悪(いず)くんぞ然(しか)る所以(ゆえん)を識(し)らん。悪(いず)くんぞ然(しか)らざる所以(ゆえん)を識(し)らん」と。
ある時、影をふちどる 罔両(モウリョウ・うすかげ)が影に質問した。
「君は、さっきまで行(ある)いていたのに今は立ち止まり、さっきまで坐っていたのに今は起ち上がっている。どうしてそんなに主体性のない動き方をするのだ。あんまり節操がなさすぎるではないか(もっとしっかりしてくれないと、僕まで迷惑するじゃないか)」と。
すると影が答えた。
「なるほど、わしは頼るところ、つまり形(人間の肉体)につき従い、それが動くままに動いているのかもしれない。だが、わしがつき従っている形そのものも、また別に頼るところがあり、その何ものかに従って動いている動いているのではあるまいか。わしは、蛇(へび)の腹のうろこや蝉(せみ)の羽のようなはかないものを頼りにしていることになるのだろうか。
自然の変化のままに従っているわしにとっては、なぜそうなるのかも分からないし、なぜそうならないのかも分からない」と。
斉物論第二(36)
昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也。自?適志與!不知周也。俄然覺,則??然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與。周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。
昔者(むかし)、荘周(ソウシュウ)、夢(ゆめ)に胡蝶(コチョウ)と為れり。栩栩然(ククゼン)として胡蝶なり。自(みずか)ら?(たの)しみて志(こころ)に適(かな)えるかな。周たるを知らざるなり。俄然(ガゼン)として覚(さ)むれば、則(すなわ)ち??然(キョキョゼン)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為(な)れるか、胡蝶の夢に周と為(な)れるか。周と胡蝶とは、則ち必ず分(ブン・けじめ)有らん。此れを之れ物化(ブッカ)と謂(い)う。
いつのことだったか、荘周(ソウシュウ)は夢のなかで一匹の胡蝶(コチョウ)となっていた。ひらひらと飛びまわる蝶になりきって、楽しく心ゆくままに空を舞っていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。
ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく自分は荘周である。いったい、この荘周が胡蝶となった夢を見ていたのか、それとも、今までひらひらと舞っていた胡蝶が夢のなかで今、荘周となっているのであろうか。自分にはさっぱりわからない。
けれども、世間の常識では、荘周と胡蝶とでは、確かに区別があるだろう。それにもかかわらず、その区別がつかないのはなぜだろうか。
ほかでもない、これが万物の変化というものだからである。
(終)
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