国立国会図書館 書籍 (小学一・二巻)、 (三・四巻)、 (五巻)、 (六巻)、 現代子供教育の危機を救う ー温故知新ー序 題辞 (内篇→) 立教 明倫 敬身 稽古 (外篇→) 嘉言 善行 あとがき小學序 ★★ 【読み】 ○内則に曰く、凡そ子を生まば、諸母と可者とに擇び、必ず其の寬裕・慈惠・溫良・恭敬、愼みて言寡なき者を求めて、子の師爲らしむ。諸母は衆妾なり。可者は傅御の屬なり。子師は敎示を以て善道する者。 ○司馬溫公曰く、子始めて生まるれば、乳母は必ず良家婦人の稍溫謹なる者を擇び求む。乳母良からざれば惟家法を敗亂するのみに非ず、兼て飼う所の子の性行も亦之の類にせしむ。 子能く食を食えば、右手を以[もち]うることを敎う。能く言えば、男は唯し、女は兪せしむ。兪は然りなり。 ○溫公曰く、子能く言わば、之に自名及び萬福安置を唱喏するを敎ゆ。稍知有れば則ち之に敎うるに恭敬尊長を以てす。尊卑長幼を識らざる者有れば、則ち嚴に之を訶禁し註して曰く、古は胎敎有り。况や已に生じ、子始めて生まれ未だ知ること有らざれば、固より舉ぐるに禮を以てす。况や已に知有れば、と。孔子曰く、幼成は天性の若く、習慣は自然の如し、と。顏氏家訓に曰く、婦を敎うるに初來、兒を敎うるに嬰孩、と。故に其の始めを謹むに在るは、此れ其の理なり。夫れ子の初生の若き、之に尊卑長幼の禮を知らざれば、遂に父母を侮詈し、兄姊を敺擊するに至らしむ。父母訶禁するを知らず、反って笑いて之を奬て彼旣に未だ辨せずとし、好惡を禮の當然と謂う。其の旣に長ずるに及び、習已に成り、性は乃ち怒にして、之を禁ずるも復た制する可からず。是に於て父は其の子を嫉み、子は其の父を怨み、殘忍悖逆至らざる所無し。此れ蓋し父母の深く遠慮を識ること無く、微を防ぎ漸を杜ぐこと能わず、小滋に溺し、其の惡を養成する故なり。 男は革を鞶[はん]にし、女は絲を鞶にせしむ。鞶は小嚢、盛帨巾なる者。男は韋を用い、女は繒帛を用う。 六年にして之に數と方との名を敎う。 數は一十百千萬を謂う。方名は東西南北を謂う。 ○溫公曰く、始めに字を書くを習う、と。 七年にして男女席を同じくせず、食を共にせず。其の別を蚤[はや]くするなり。 ○溫公曰く、始めて孝經・論語を誦み、次に諸經に及ぶ、と。 八年にして門戶を出入し、及び席に卽きて飮食するに、必ず長者に後れしむ。始めて之に讓を敎ゆ。示すに廉恥を以てす。 九年にして之に日を數うることを敎う。朔望と六甲なり。○溫公曰く、始めて之の爲に講解して義理を曉らしむ、と。 十年にして出でて外傳に就き、外に居宿し、外傳は敎學の師なり。十年以後は學ぶこと有りて敎うること無し。書計を學ぶ。書は六書を謂う。計は九數を謂う。 衣は襦袴を帛にせず。帛を用いて襦袴を爲らず。太だ溫にて陰氣を傷ればなり。 禮は初めに帥[したが]い、帥は循なり。禮を行う動作は皆先日爲す所に遵い習う。 朝夕幼儀を學び、朝より夕に至るまで、幼少の長者を奉事するの儀を學ぶを言う。 簡諒を請い肄[なら]う。肄は習なり。簡は書の篇數なり。諒は言語信實なり。請い肄うは長者に請いて之を習い學うなり。溫公曰く、是より以往、以て博く群書を觀る可し。然るに必ず其の精要なる者を擇びて之を誦む。 禮記の如きは則ち學記・大學・中庸・樂記の類なり。其の異端の聖賢の書に非ざるは、傅は宜しく之を禁ずべし。妄りに觀て、以て其の志を惑亂せしむること勿かれ。書を觀て皆通じ、始めて文辭を學ぶ可し、と。 十有三年にして樂を學び詩を誦し勺を舞う。樂は六樂の器を謂う。勺は籥なり。籥を舞うは文の舞なり。 成童にして象を舞い射御を學ぶ。 成童は十五以上。象を舞うは武の舞なり。干戈を用うるの小舞を謂うなり。射は五射を謂う。御は五御を謂う。 二十にして冠し、始めて禮を學ぶ。以て裘帛を衣る可し。大夏を舞い、冠は冠を加うるなり。禮は五禮を謂う。二十は成人血氣强盛、衣裘を衣る可し。大夏は禹の樂。樂の文武備わる者なり。惇く孝弟を行い、博く學びて敎えず、内にして出さず。廣博に學問して師と爲りて人に敎う可からず。其の德を蘊蓄して、内に在りて言を出して人の爲に謀慮す可からず。 三十にして室有り、始めて男の事を理[おさ]む。博く學びて方無く、友に孫[したが]い志を視る。室は妻に猶[おな]じ。男の事は田を受けて政役に給すなり。方は常に猶じ。此に至りて學ぶに、常無し。志の好む所に在り。 四十にして始めて仕え、物を方[くら]べて謀を出し慮を發す。道合えば則ち服從し、不可なれば則ち去る。物は事に猶じ。物を方べて謀を出せば、則ち謀は物に過ぎず。物を方べて慮を發すれば、則ち慮は物に過ぎず。 五十にして命ぜられて大夫と爲り、官政を服す。一官の政を統るなり。 七十にして事を致す。其の事を君に致して老を告ぐ。 女子は、○溫公曰く、 女子六歳にして始めて女工の小なる者を習う。 七歳にして孝經・論語を誦し、 九歳にして孝經・論語及び列女傳・女誡の類を講解して、略々大意を曉る、と。 註に曰く、古の賢女、圖史を觀て以て自ら鑑みざること無し、と。曹大家の徒の如き、皆精しく經術に通じ論議明正なり。 今人或は女子を敎うるに歌詩を作り俗樂を執るを以てす。殊に宜しき所に非ざるなり。○伊川程先生曰く、先夫人侯氏、 七,八歳の時古詩を誦す。曰く、女子は夜出でず。夜出れば明燭を秉る、と。是より日暮れれば則ち復た房閤を出でず。旣に長なりて文を好みて詞章を爲らず。世の婦女の文章筆札を以て人に傅うる者を見れば、則ち深く以て非と爲す。 ○安定胡先生曰く、鄭衛の音は淫を導く。以て女子に敎う。宜しき所に非ざるなり、と。 十年にして出でず。恆に内に居るなり。 姆、婉娩聽從を敎う。姆は女師なり。婉は言語を謂う。娩は容貌を謂う。溫公曰く、柔順の貌、と。 麻枲[まし]を執り、絲繭を治め、紝・組・紃を織り、女の事を學びて以て衣服に共す。紝は繒帛を謂う。組・紃は倶に絛なり。薄く闊きを組と爲し、繩に似るを紃と爲す。○溫公曰く、蚕桑・織績・裁縫及び飮膳を爲る、惟正に是れ婦人の職のみにあらず、兼て之をして衣食來る所の艱難を知り、敢て恣に奢麗を爲さざらしめんことを欲す。纂組華巧の物に至ては、亦必ずしも習わざるなり、と。祭祀に觀、酒漿・籩豆・葅醢[そかい]を納むるを、禮相[たす]けて奠[てん]を助く。當に女の時に及びて知るべし。納は酒漿・籩豆・葅醢の等を神座に置くを謂う。禮相けて奠を助くは、禮を以て長者の事を相けて、其の饋奠を助けるを謂う。 十有五年にして筓す。筓は今の簪なり。此は年に應じて嫁を許す者を謂う。女子嫁を許して筓し、之に字す。未だ嫁を許さざれば、則ち二十にして筓す。 二十にして嫁す。故有れば、二十三年にして嫁す。故は父母の喪を謂う。聘すれば則ち妻と爲し、奔れば則ち妾と爲す。聘は問うなり。妻の言は齊なり。禮を以て問わるれば、則ち夫と敵體するを得。妾の言は接なり。君子に接見するを得て、之と敵體するを得ざるを言うなり。 立教3 ○曲禮に曰く、幼子には常に視[しめ]すに誑くこと毋かれ。小にして未だ知ること有らず。常に示すに正事を以てす。宜しく示すに欺誑を以てすべからず。立つには必ず方を正しくし、傾き聽かず。立つに必ず正しく一方に向い、頭を傾けて左右に屬聽するを得ず。其の自ら端正なるを習うなり。 立教4 ○學記に曰く、古の敎うる者は家に塾有り、黨に庠有り、術に序有り、國に學有り。術は讀みて遂と爲す。門の側の堂を之を塾と謂う。古は二十五家を閭と爲す。閭は一巷を共にす。巷の首に門有り。門の邊に塾有り。里中の老いて道德有る者、左右の師と爲りて两塾に坐す。民家に在る時、朝夕出入して恆に敎を塾に受く。五百家を黨と爲し、萬二千五百家を遂と爲す。遂は遠郊の外に在り。國は天子の都する所及び諸侯の國中を謂う。 立教5 ○孟子曰く、人の道有る、食に飽き衣を暖にし、居を逸して敎無ければ、則ち禽獸に近し。人の道有るは、其の皆秉彛の性有るを言うなり。聖人之を憂うる有りて契をして司徒と爲らしめ、敎うるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。聖人は堯・舜を謂う。契は臣の名。司徒は官名。倫は序なり。敎うるに人倫を以てすは、亦其の固有の者に因りて、之を導くのみ。書に曰く、天有典を叙つ。我が五典を勑して五つながら惇くせよ、と。此れ之を謂うなり。 立教6 ○舜、契に命じて曰く、百姓親しまざるは、五品遜[したが]わざればなり。舜は虞帝の名。五品は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友を謂う。遜は順なり。汝司徒と作り、敬みて五敎を敷き寬に在れ、と。五敎は父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有りを謂う。此の五敎を敷き、敬を以て主と爲して、寬を以て之を濟う。夔[き]に命じて曰く、汝に典樂を命ず。冑子[ちゅうし]に敎えよ。直にして温、寬にして栗、剛にして虐すること無く、簡にして傲ること無からしめよ。夔は舜の臣の名。冑は長なり。冑子は天子以下卿大夫に至るまでの嫡子を謂う。直の失は太だ嚴、故に温ならしむ。寬の失は緩慢、故に栗ならしむ。剛の失は虐に入る、簡の失は傲に入る、故に之に敎えて以て其の失を防ぐ。詩は志を言い、歌は言を永くし、聲は永に依り、律は聲を和す。八音克く諧[かな]いて倫を相奪うこと無ければ、神人以て和せん、と。聲は五聲を謂う。宮・商・角・徴・羽。律は六律・六呂を謂う。黄鐘・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射を六律と爲し、大呂・應鐘・南呂・林鐘・仲呂・夾鐘を六呂と爲す。八音は金・石・絲・竹・匏・土・革・木を謂う。金は鐘鎛なり。石は磬なり。絲は琴瑟なり。竹は管簫なり。匏は笙なり。土は塤なり。革は鼗皷なり。木は柷敔なり。詩は志を言いて以て之を導き、歌は其の義を詠みて以て其の言を長くす。五聲は長言に依り附きて之を爲す。其の聲未だ和せざれば、乃ち律呂を用いて之を調え和して、節奏に應ぜしむ。八音能く諧理して錯奪せざれば、則ち神人咸[みな]和す。 立教7 ○周禮に、大司徒、郷の三物を以て萬民を敎えて、之を賓興す。物は事に猶[おな]じ。興は舉に猶じ。三事の敎成れば、郷の大夫、其の賢者能者を舉げて、飮酒の禮を以て之を賓客とす。旣にして則ち其の書を王に獻ず。一に曰く、六德。知・仁・聖・義・忠・和。知は事に明なるを謂う。仁は人を愛して以て物に及ぶを謂う。聖は通じて先ず識るを謂う。義は能く時の宜しきを斷ずるを謂う。忠は言、中心を以てするを謂う。和は剛ならず柔ならざるを謂う。二に曰く、六行。孝・友・睦・婣・任・恤。孝は善く父母に事うるを謂う。友は兄弟に善きを謂う。睦は九族に親しきを謂う。婣は外親に親しきを謂う。任は友道に信なるを謂う。恤は憂貧を振うを謂う。三に曰く、六藝。禮・樂・射・御・書・數。禮は五禮を謂う。吉・凶・賓・軍・嘉なり。樂は六樂を謂う。雲門・大咸・大詔・大夏・大濩・大武なり。射は五射を謂う。一に曰く、白矢。矢、侯を貫き、過ぎて其の鏃の白きを見わすなり。二に曰、參連。前に一矢を放ち、後の三矢連續して去るなり。三に曰く、剡注。羽頭高く鏃低れて去る、剡剡然たるを謂うなり。四に曰く、襄尺。臣と君と射るに君と並び立たず、君に一尺を襄りて退くを謂うなり。五に曰く、井儀。四矢侯を貫いて井の容儀の如くなるを謂うなり。御は五御を謂う。一に曰く、嗚和鸞。和は式に在り、鸞は衡に在り。車に升れば則ち馬動く。馬動けば則ち鸞鳴る。鸞鳴けば則ち和應す。二に曰く、遂水曲。車を御して水勢の屈曲に隨い遂きて、水に墜ちざるを謂うなり。三に曰く、過君表。毛詩傳に、褐纏旃を以て門と爲し、裘纏質を以て褹と爲し、間に握を容れ、驅けて入り擊てば則ち入るを得ざるを云うが若きを謂う。君表は卽ち褐纏旃なり。四に曰く、舞交衢。衢は道なり。車を御して交道に在り、車旋して舞節に應ずるを謂う。五に曰く、逐禽左。驅逆の車を御し、禽獸を逆驅して、左を人君に當て、以て之を射さしむるを謂うなり。書は六書を謂う。一に曰く、象形。日月の類を謂う。日月形體に象りて之を爲す。二に曰く、會意。武信の類を謂う。人の言を信と爲す。戈を止めるを武と爲す。人意を會合するなり。三に曰く、轉注。考老の類を謂う。類を建て首を一にし、文意相受け、左右相注す。四に曰く、處事。上下の類を謂う。人、一の上に在るを上と爲し、人、一の下に在るを下と爲す。各々其の事を處き、其の宜しきを得る有り。故に處事と曰う。五に曰く、假借。令長の類を謂う。一字两用なり。六に曰く、諧聲。形聲一なるを謂うなり。江河の類の如き、皆水を以て形と爲し、工可を以て聲と爲す。數は九數を謂う。一に曰く、方田以て田疇の界域を御む。二に曰く、粟布以て交質の變易を御む。三に曰く、衰分以て貴賤の廩稅を御む。四に曰く、少廣以て積羃の方圓を御む。五に曰く、商功以て功程の積實を御む。六に曰く、均輸以て遠近の勞費を御む。七に曰く、盈肭以て隱雜互見を御む。八に曰く、方程以て錯揉正負を御む。九に曰く、勾股、高深廣遠を御む。郷の八刑を以て萬民を糾す。糾は割察なり。郷中八種の過を察し取りて、其の罪を斷割するを謂うなり。一に曰く、不孝の刑。二に曰く、不睦の刑。三に曰く、不婣の刑。四に曰く、不弟の刑。不弟は師長を敬わざるを謂う。五に曰く、不任の刑。六に曰く、不恤の刑。七に曰く、造言の刑。訛言は衆を惑わす。八に曰く、亂民の刑。名を亂して改め作り、左道を執り、以て政を亂すなり。 立教8 ○王制に曰く、樂正、四術を崇び四敎を立つ。樂正は樂官の長。國子の敎を掌る。崇は高なり。其の術を高尙にして以て敎を作すなり。四術は詩・書・禮・樂。四敎は春・夏・秋・冬。先王の詩・書・禮・樂に順いて以て士を造[な]す。順は依なり。造は成なり。此の四術に依りて敎え、以て是の士を成すなり。春秋は敎うるに禮樂を以てし、冬夏は敎うるに詩書を以てす。春夏は陽なり。詩樂は聲。聲も亦陽なり。秋冬は陰なり。書禮は事。事も亦陰なり。 立教9 ○弟子職に曰く、先生敎を施し、弟子是れ則る。温恭にして自ら虛しくし、受くる所是れ極む。必ず其の心を虛しくして、然して後能く容るる所有り。極むるは其の本原を盡すを謂うなり。善を見ては之に從い、義を聞きては則ち服す。温柔孝弟にして驕りて力を恃むこと毋かれ。驕りて力を恃めば則ち羝羊藩に觸れる。志に虛邪無く、虛は虛僞を謂う。行は必ず正直に游居常有り。必ず有德に就く。顏色整齊にして、中心必ず式あり。式は法なり。夙に興き夜寐ね、衣帶必ず飭[ととの]え、朝は益し暮は習い、心を小にして翼翼たり。此を一にして懈らず。是を學則と謂う。 立教10 ○孔子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて餘力有れば則ち以いて文を學ぶ。謹は行を謹む。信は言に信あり。汎は廣なり。衆は衆人。親は近なり。仁は仁者を謂う。餘力は暇日と言うに猶[おな]じ。以は用なり。文は詩書六藝の文を謂う。 立教11 ○詩に興り、興は起なり。詩は、人情の邪正に因りて以て勸懲を示す。其の言曉り易くして、諷詠の間も又以て感發して人心に入る有り。故に詩に習えば、則ち其の志意油然として興起する所有りて、惡を去り善に從うこと、自ら已むこと能わず。禮に立ち、禮は恭敬辭讓を以て本と爲して、節文度數の詳なる有り。以て毫髪も僭差す可からざるなり。故に禮に習えば則ち德性堅定して、以て自ら處る所の正位を得。樂に成る。樂は五聲・六律・八音の節有りて、其の聲氣の和は天地と相應ずるに至る。故に樂に習えば則ち以て其の善心を存養する有りて、以て義精しく仁熟するに至りて、自ら道德に和順す。○伊川先生曰く、天下の英才、少なしと爲さず。只道、天下に明かならざると爲す。故に成就する所有るを得ず。且つ古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今人の如き怎生ぞ會し得ん。古人の詩に於ける、今人の歌曲の如く一般なり。閭巷草野の童稚と雖も、皆其の說を習い聞きて其の義を曉る。故に能く詩に興起す。後世は老師宿儒すら尙其の義を曉ること能わず、怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興るを得ざればなり。古禮旣に廢れて人倫明かならず。以て家を治むるに至りて皆法度無し。是れ禮に立つを得ざればなり。古人歌詠有り、以て其の情性を養い、聲音以て其の耳目を養い、舞蹈以て其の血脈を養う。今皆之れ無し。是れ樂に成るを得ざればなり。古の材を成すや易く、今の材を成すや難し、と。 立教12 ○樂記に曰く、禮樂は斯須も身を去る可からず。禮樂は是れ身を治むるの具、斯須も身を去り離るる可からざるを言う。 立教13 ○子夏曰く、賢を賢として色を易え、父母に事えて能く其の力を竭[つく]し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わり言いて信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を學ぶと謂わん。子夏は孔子の弟子。姓は卜。名は商。人の賢を賢として其の色を好むの心に易れば、善を好む誠有るなり。致は委に猶[おな]じ。其の身を委ね致すは、其の身を有せざるを謂うなり。人の以て學を爲むる所の大要は、求めて是の四の者を能くするを欲するに過ぎず。故に是の如き人は、或は以て未だ嘗て學ばずと爲すと雖も、而れども子夏は必ず以て已に學ぶと爲すなり。 明倫第二 孟子曰く、庠・序・學・校を設け爲して、以て之を敎う。皆人倫を明かにする所以なり。聖經を稽[かんが]え、賢傳を訂[はか]り、此の篇を述べ、以て蒙士を訓[おし]う。 明倫1 内則に曰く、子の父母に事うる、温公曰く、孫の祖父母に事うるも同じ、と。雞初めて鳴きて咸[みな]盥[あら]い、漱ぎ、咸は皆なり。盥は手を盥うを謂う。漱は口を漱ぐを謂う。櫛[くしけず]り、縰[かみつつみ]し、筓[かんざし]し、總[もとゆい]し、櫛は梳なり。縰は黑繒にて、髪を韜[つつ]みて之を結ぶなり。筓は横に髻中に施して以て髻を固むなり。總は綀繒を裂きて以て髪を束るなり。髦を拂い、拂は塵を振い去るを謂うなり。髦は髪を用いて之を爲る。幼時の鬌に象る。冠し纓を緌し、纓は之を頷下に結びて以て冠を固む。之を結びて餘る者は散らして下に垂る。之を緌と謂う。温公曰く、今帽子を用う、と。端し、韠[ひざかけ]し、紳し、玄端は士の服なり。庶人は深衣す。韠は蔽膝なり。韋を以て之を爲る。裳と同色。上は之を革帶に繋ぐ。紳は大帶なり。○温公曰く、今衫帶を用う、と。笏を搢[さ]し、搢は扱に猶[おな]じ。笏を紳に扱む。笏は以て事を記す所なり。左右に用を佩び、紛帨刀・礪觽燧の屬。尊者の使令に備うるなり。偪[むかばき]し、屨し、綦を著く。偪は行滕なり。綦は屨繋なり。屨頭に繋を施し以て行戒と爲す。婦の舅姑に事うるは父母に事うるが如くし、○温公曰く、孫婦も亦同じ、と。雞初めて鳴きて咸盥い、漱ぎ、櫛り、縰し、筓し、總し、衣し、紳し、○温公曰く、今冠子・背子を用う、と。左右用を佩び、纓を衿[むす]び、屨に綦をす。衿は結に猶じ。婦人の纓有るは繋屬を示すなり。以て父母舅姑の所へ適く。所に及びては、氣を下し、聲を怡[よろこ]ばし、衣の燠寒・疾痛・苛癢を問いて、敬みて之を抑え掻く。怡は悦なり。苛は疥なり。抑は按なり。掻は摩なり。○温公曰く、丈夫は唱喏し、婦人は萬福を道う。侍者に夜來安否如何と問い、侍者安しと曰えば、乃ち退く。其れ或は節を安んぜざれば則ち侍者以て告ぐ。此れ卽ち禮の晨省なり、と。顏之推曰く、父子の嚴は以て狎るる可からず、骨肉の愛は以て簡なる可からず。簡なれば則ち慈孝接せず、狎なれば則ち怠慢生ず、と。命士より以上は父子宮を異にす。此れ狎れざるの道なり。痒痛を抑え掻き、衾を懸け枕を篋にす。此れ簡ならざるの敎なり。出入すれば則ち或は先だち或は後れて、敬みて之を扶け持つ。先後は時の便に隨うなり。盥を進むるには、少者槃を奉げ、長者水を奉げて、沃盥せんと請う。盥卒れば巾を授く。槃は盥水を承る者。巾は以て手を帨う。欲する所を問いて敬みて之を進め、色を柔かにして以て之を温[う]く。父母舅姑必ず之を嘗めて後に退く。欲する所は饘酏酒醴の如し。飮食の類なり。温は藉なり。尊者に承るに必ず顏色を和にす。○温公曰く、父母舅姑起きれば、子は藥物を供え、婦は晨羞を具う、と。尊長箸を擧げて子婦乃ち各々退いて食に就く。註に曰く、藥物は乃ち身に關るの切務、人子當に親自ら檢校し調煮し供進すべし。但奴僕に委ぬ可からず。脱若し誤る有れば卽ち其禍測られず、と。晨羞は俗に點心と謂う。易に曰く、中饋に在り、と。詩に曰く、惟れ酒食、と。是れ議るなり。凡そ飮膳を烹調するは婦人の職なり。近年の婦女は驕倨にして皆肯わず。庖厨に入るに今縱い親[みずか]ら刀匕を執らずとも、當に檢校監視して、務めて淸潔ならしむべし。男女の未だ冠筓せざる者は、雞初めて鳴きて咸盥い、漱ぎ、櫛り、縰し、髦を拂い、總角し、纓を衿び、皆容臭を佩い、昧爽にして朝し、總角は髪を収めて之を結ぶ。容臭は香物なり。纓を以て之を佩う。尊者に迫りて小使に給する爲なり。昧爽は成人に後るなり。何をか食飮すと問う。已に食するが若きは則ち退く。未だ食せざるが若きは、則ち長者の具を視るを佐く。具は饌なり。 明倫2 ○凡そ内外、此れ總て子婦の外、僕隷の等を論ず。雞初めて鳴きて咸[みな]盥[あら]い、漱ぎ、衣服し、枕・簟を斂[おさ]め、室・堂及び庭を灑掃し、席を布き、各々其の事に從う。 明倫3 ○父母舅姑將に坐せんとすれば、席を奉げて何くに郷[む]かわんと請う。將に衽せんとすれば、長者席を奉げて何くに趾せんと請う。衽は臥席なり。將に衽せんとすは臥す處を更るを謂う。長者の安んずる所に順うなり。小者は牀を執りて與えて坐せしめ、御者は几を舉げ席と簟とを斂め、衾を縣け枕を篋にし、簟を斂めて之を襡[とく]にす。早旦親起きれば、侍御の人几を擧げて以て進めて之に憑かしむ。篋は篋を以て之を貯るを謂う。襡は襡を以て之を韜[つつ]むを謂う。臥すを須ちて且つ之を鋪くなり。父母舅姑の衣衾・簟席・枕几は傳せず。杖・屨は之を祗[つつし]み敬[つつし]みて敢て近づくこと勿かれ。敦牟巵匜[たいぼうしい]は餕[しゅん]するに非ざれば敢て用うること莫かれ。與[およ]び恆の食飮も、餕するに非ざれば之を敢て飮食すること莫かれ。傳は移なり。杖屨は服御の重き者。彌々須らく恭敬すべし。敢て迫り近づくこと勿かれ。敦は今の杯盂なり。牟は土釜なり。今木を以て器を爲り土釜の形に象る。巵は酒器なり。匜は酒漿を盛る器。餕は尊者の餘を食うなり。與は及なり。恆は常なり。旦夕の常食なり。 明倫4 ○父母舅姑の所に在りて之に命ずること有れば、應唯し敬みて對[こた]う。進退周旋愼齊にし、升降出入揖遊す。齊は莊なり。揖は抑なり。遊は揚なり。敢て噦・噫・嚏・咳・欠・伸・跛・倚・睇視せず、敢て唾洟せず。寒くとも敢て襲[かさ]ねず、癢くとも敢て掻かず、敬事有らざれば、敢て袒裼[たんせき]せず、渉らざれば撅[かか]けず。睇は傾き視るなり。襲は衣を重ねるを謂う。撅は衣を掲げるなり。水を渉るに因らざれば、敢て衣を掲げず。褻の衣衾は裏を見わさず。父母の唾洟は見わさず。裏を見わすは其の穢る可き爲なり。唾洟は輒ち之を刷去す。冠帶垢つけば灰を和して漱がんと請い、衣裳垢つけば灰を和して澣[あら]わんと請う。和は漬なり。手に漱と曰い、足に澣と曰う。衣裳綻び裂くれば箴に紉[じん]して補い綴らんと請う。綻は解に猶[おな]じ。少の長に事え、賤の貴に事うる、共[みな]時に帥[したが]う。共は皆に猶じ。帥は循なり。時は是なり。禮は皆此の如きを言う。 明倫5 ○曲禮に曰く、凡そ人の子爲るの禮は、冬は温かにして夏は淸しくし、昏に定めて晨に省みる。定は其の牀衽を安んずるなり。省は其の安否如何と問う。○温公曰く、父母舅姑將に寢ねんとすれば、則ち安置して退く。丈夫は唱喏し、婦人は安置を道う。此れ卽ち禮の昏定なり、と。出づれば必ず告げ、反れば必ず面す。告と面は同じ。反るに面すと言うは、外より來る。宜しく親の顏色安否を知るべし。遊ぶ所必ず常有り、習う所必ず業有り。親の意、之を知るを欲するに緣る。恆の言に老を稱せず。敬を廣むるなり。老は是れ尊稱。老を稱すれば是れ自ら尊し。 明倫6 ○禮記に曰く、孝子の深愛有る者は必ず和氣有り。和氣有る者は必ず愉色有り。愉色有る者は必ず婉容有り。愛は心に根ざす。故に其の外に發見すること此の如し。孝子は玉を執るが如く、盈るを捧ぐるが如く、洞洞屬屬然として勝えざるが如く、將に之を失わんとするが如し。洞洞は質愨の貌。屬屬は專一の貌。上に愛を言い、此に敬を言う。故に曰く、愛敬親に事うるに盡す、と。嚴威儼恪は親に事うる所以に非ざるなり。嚴は嚴肅を謂う。威は威重を謂う。儼は儼正を謂う。恪は恪敬を謂う。四の者の容貌は親に事うるの體に非ず。親に事うるは當に和順卑柔にすべし。 明倫7 ○曲禮に曰く、凡そ人の子爲る者は、居るに奥を主たらず。室中は西南の隅、之を奥と謂う。奥は尊者の居る所。敢て尊處に當らざるなり。坐するに席に中せず。一席四人、席端を上と爲す。惟上す可からざるに非ず、亦中す可からず。或は曰く、共に坐すれば則ち席端を上と爲す。獨り坐すれば則ち席中を尊と爲す。故に卑者坐するに中に居るを得ざるなり。行くに道に中せず。尊者は正路に當りて行く。卑者は故に得ざるなり。男女各々路あり。路各々中有り。立つに門に中せず。門中に闑有り。两旁に棖有り。門に中するは棖闑の中を謂う。尊者の行く所なり。○温公曰く、賓客有れば敢て正廳に坐せず。書院無ければ則ち廳の傍側に坐す。升降は東階に由らず。馬を上下するに廳に當らず。凡そ事は敢て自ら其の父に擬せず、と。食饗に槩を爲さず。槩は量なり。賓客を待つに、饌具の限量の多少を制せざるなり。祭祀に尸と爲らず。尸は尊者の處に代わる。其の子の道を失う爲なり。然れば則ち尸は父無き者を卜筮す。聲無きに聽き、形無きに視る。恆に親の將に敎使すること有らんとするが若く然り。高きに登らず、深きに臨まず。苟も訾[そし]らず、苟も笑わず。其の危辱に近づく爲なり。人の情は毀訾せらるるを欲せず、笑わるるを欲せず。 明倫8 ○孔子曰く、父母在れば遠く遊ばず。遊べば必ず方有り。遠く遊べば則ち親を去ること遠くして、日爲たるや久し。定省曠くして音問疎なり。惟己の親を思いて置かざるにあらず、亦親の我を念いて忘れざらんことを恐る。遊べば必ず方有りは、已に告げて甲に詣ると云うが如き、則ち敢て更に乙に詣ることをせず、親の必ず己の在る所を知りて憂い無く、己を召せば則ち必ず至りて失う無からんことを欲すなり。子能く父母の心を以て心と爲れば則ち孝なり。 明倫9 ○曲禮に曰く、父母存すれば、友に許すに死を以てせず。親を忘るる爲なり。死は相衛るを謂う。仇讎を報ゆるに非ざるなり。 明倫10 ○禮記に曰く、父母在れば敢て其の身を有せず、敢て其の財を私せず。民に上下有るを示すなり。有は猶專のごとし。身及び財は、皆當に父母に統ぶべし。父母在れば饋[や]り獻[や]るに車馬に及ばず。民に敢て專らにせざるを示すなり。車馬は物の重き者なり。 明倫11 ○内則に曰く、子婦の孝なる者、敬する者は、父母・舅姑の命、逆うこと勿かれ、怠ること勿かれ。其の孝敬の愛を恃みて、或は則ち違解す。之に飮食するが若き、耆まずと雖も必ず嘗めて待つ。尊者飮食を以て己に與うれば、己耆まずと雖も必ず且く之を嘗めて、尊者後命じて己をして之を去らしむるを待ちて後之を去るを言う。之に衣服を加うれば、欲せずと雖も必ず服して待つ。後命を待ちて之を藏して去る。之に事を加えて人之に代れば、己欲せずと雖も姑く之に與えて、姑く之を使[せ]しめて後之を復す。姑は且なり。尊者人をして己に代わらしむれば、己其の己の業を妨ぐるを欲せずと雖も、且く己に代る者に與えて之を爲し、其の休解するを待ちて後復す。事業を己の身に本づけ、懟怨を勞事に遠ざくるなり。 明倫12 ○子婦に私の貨無く、私の畜無く、私の器無し。敢て私に假さず、敢て私に與えず。家事は尊を統ぶるなり。○温公曰く、俸禄及び田宅の入る所、盡く之を父母舅姑に歸し、用うるに當りては則ち請いて之を用う。婦或は之に飮食・衣服・布帛・佩帨・茝蘭を賜えば、則ち受けて諸を舅姑に獻ず。舅姑之を受ければ、則ち喜びて新めて賜を受くるが如くす。或は之に賜うは私親・兄弟を謂う。之を反し賜うが若きは則ち辭す。命を得ざれば更に賜を受けたるが如くにして、藏して以て乏しきを待つ。命を得ざるは、許されざるなり。乏しきを待つは、舅姑の乏しきを待つなり。婦の私親・兄弟有りて將に之に與えんとするが若きは、則ち必ず復た其の故を請い、賜いて而る后に之を與う。温公曰く、夫れ人子の身は父母の身なり。身且つ敢て自ら有せず、况や敢て私財を有せんや、と。父子財を異にして互いに相假借するが若きは、則ち是れ子富みて父母貧しき者、父母飢えて子飽く者有り。賈誼の、父に耰鉏を借して慮り德色有り、母箕箒を取り、立ちて誶語すと謂う所、不孝不義孰れか此より甚しからん。 明倫13 ○曲禮に曰く、父召せば諾すること無く、先生召せば諾すること無く、唯して起つ。應辭。唯は諾より恭し。諾と稱すれば則ち寬緩驕慢に似る。 明倫14 ○士相見禮に曰く、凡そ大人と言えば、始めは面を視、中は抱を視、卒りには面を視る。改むること毋かれ。衆に皆是の若くす。面を視るは、其の顏色、言を傳う可きか未だしきかを觀るを謂うなり。抱を視るは、其の之を思うを容れて且つ敬を爲すなり。卒りには面を視るは、其の己の言を納むるか否かを察するなり。改むること毋かれは、答應の間、當に容體を正しくして以て待ち、自ら變動すること毋かるべきを謂う。解惰に嫌いあればなり。衆は同じく此に在る者を謂う。父の若きは則ち目を遊ばしむ。面より上ること毋かれ。帶より下ること毋かれ。言わざるが若きに立てば、則ち足を視る。坐すれば則ち膝を視る。子の父に於ける、孝を主として敬を主とせず。視る所廣し。言わざれば則ち其の行起を伺うのみ。 明倫15 ○禮記に曰く、父命じて呼べば唯して諾せず。手に業を執れば則ち之を投げ、食口に在れば則ち之を吐き、走りて趨せず。敬を主とするなり。命じて呼ぶは、父の命に呼ばるるを爲す。急に父の命に趨る、故に業を投げ食を吐く。趨は疾く趨るなり。急に走り往きて疾く趨るに暇あらざるなり。親老いては出づるに方を易えず、復るに時を過さず。以て父母を憂えしむ可からざるなり。方を易れば、其の己の處る所を信ぜざると爲すなり。復は反なり。親癠[や]めば色容盛んならず。此れ孝子の疏節なり。癠は病なり。疏節は未だ至孝と爲るに足らざるを言うなり。父没して父の書を讀むこと能わず。手澤存して爾り。母没して杯圏飮むこと能わず。口澤の氣存して爾り。孝子親の器物を見て、哀惻して用うるに忍びざるなり。圏は木を屈して之を爲る。巵匜[しい]の屬を謂うなり。 明倫16 ○内則に曰く、父母に婢子若しくは庶子・庶孫、甚だ之を愛する有れば、父母没すと雖も、身を没[お]うるまで之を敬して衰えず。子に二妾有り、父母一人を愛し、子一人を愛すれば、衣服・飮食より、執事より、敢て父母の愛する所に視[なぞら]うること毋かれ。父母没すと雖も衰えず。由は自なり。 明倫17 ○子甚だ其の妻を宜しくすとも、父母說びざれば出だす。子其の妻を宜しくせずとも、父母是れ善く我に事うると曰えば、子夫婦の禮を行い、身を没するまで衰えず。宜は善に猶[おな]じ。 明倫18 ○曾子曰く、孝子の老を養うや、其の心を樂しましめ、其の志に違わず。其の耳目を樂しましめ、其の寢處を安んじ、其の飮食を以て之を忠養す。之を養す、此の如きは其の親に近き爲なり。之を忠養すと言うは、或は僞るに嫌あればなり。是の故に父母の愛する所は亦之を愛し、父母の敬する所は亦之を敬す。犬馬に至るまで盡く然り。而るを况や人に於てをや。上は其の親に近き者を言い、此は親の愛敬する所の者を言う。 明倫19 ○内則に曰く、舅没すれば則ち姑老す。家事を長婦に傳うるを謂う。冡婦祭祀・賓客する所、事每に必ず姑に請う。婦は傳を受くと雖も、猶敢て專らにせざるがごとし。介婦は冡婦に請う。介婦は衆婦なり。舅姑冡婦を使わば怠たる毋かれ。勤勞有りと雖も、敢て解き倦まず。友[あえ]て介婦に無禮せず。舅姑介婦に使わしむるが若き、冡婦に敵耦すること毋かれ。勤勞有りと雖も、敢て相絞訐せず。今按ずるに、下文の三句も亦是れなり。敢て竝び行かず、敢て竝び命ぜず、敢て竝び坐せず。冡婦に下るなり。竝び命ずるは、敢て冡婦と並ぶに敎令の命有らざるなり。凡そ婦は私室に適けと命ぜざれば敢て退かず。婦は舅姑に侍する者なり。婦將に事有らんとすれば、大小必ず舅姑に請う。敢て專らに行わず。 明倫20 ○適子・庶子は祗[つつし]みて宗子・宗婦に事う。貴富と雖も、敢て貴富を以て宗子の家に入らず、車徒衆しと雖も外に舍き、寡約を以て入る。祗は敬なり。入るは宗子の家に入るを謂う。敢て貴富を以て父母・宗族に加えず。加は猶高のごとし。 明倫21 ○曾子曰く、父母之を愛すれば喜びて忘れず。父母之を惡めば懼れて怨む無し。父母過有れば諫めて逆わず。怨む無しは、父母の心を怨む無きを謂う。逆わずは、順いて之を諫むるなり。 明倫22 ○内則に曰く、父母過有れば、氣を下し色を怡ばし、聲を柔らかにして以て諫む。諫めて入れざるが若き、敬を起し孝を起す。說べば則ち復た諫む。子の父母に事うる、隱す有りて犯す無し。復は猶更のごとし。說びざるも、其の罪を郷黨州閭に得ん與[よ]り、寧ろ孰諫す。孰諫は、殷勤純熟にして諫むるを謂う。顏を犯して諫め、父母をして悦ばざらしむは、其の罪輕し。畏懼して諫めず、父母をして罪を郷黨州閭に得せしむるは、其の罪重し。二者の間、寧ろ熟諫す可し。父母怒り說ばずして之を撻ち血を流すとも、敢て疾み怨みず、敬を起し孝を起す。 明倫23 ○曲禮に曰く、子の親に事うるや、三諫して聽かざれば則ち號泣して之に隨う。至親は去ること無し。志は之を感動するに在り。 明倫24 ○父母疾有れば冠者は櫛[くしけ]らず、行くに翔[かけ]らず、憂いて容を爲さず。言惰ならず、憂いて私好に在らず。琴瑟御せず、憂いて樂に在らず。肉を食いて味を變ずるに至らず、酒を飮みて貌を變ずるに至らず、憂いて味に在らず。笑いて矧[しん]に至らず、怒りて詈るに至らず。憂い心に在りて變じ難きなり。齒の本を矧と曰う。大いに笑えば則ち見わる。疾止めば故に復る。自ら常の若し。○温公曰く、凡そ父母舅姑疾有れば、子色容に滿たず、戯笑せず、宴遊せず。餘事を捨て置き、全く醫を迎え、方を檢し、藥を合すを以て務と爲す。疾已めば初に復る、と。顏氏家訓に曰く、父母疾有れば、子醫を拜して以て藥を求む。蓋し醫は親の存亡の繋る所以、豈傲忽す可けんや、と。 明倫25 ○君疾有りて藥を飮めば、臣先ず之を嘗む。親疾有りて藥を飮めば、子先ず之を嘗む。嘗は其の堪る所を度る。醫は三世ならざれば其の藥を服せず。物を謹みて齊すればなり。 明倫26 ○孔子曰く、父在れば其の志を觀、父没すれば其の行いを觀る。三年父の道に改むること無くして、孝と謂う可し。父在れば、子自ら專らするを得ずして、志は則ち知る可し。父没して、然して後其の行いを見る可し。故に此を觀て以て其の人の善惡を知るに足る。然るに又必ず能く三年父の道を改むること無ければ、乃ち其の孝を見る。然らざれば則ち行う所善と雖も、亦孝爲るに足らず。三年改むること無き者は、孝子の心忍びざる所有る故なり。然れども亦當に改むべき所在りて以て未だ改めざる可き者を謂うのみ。 明倫27 ○内則に曰く、父母没すと雖も將に善を爲さんとすれば、父母の令名を貽[のこ]さんことを思いて必ず果す。將に不善を爲さんとすれば、父母の羞辱を貽さんことを思いて必ず果さず。貽は遺なり。果は决なり。親没して思慕して忘れざれば、則ち必ず能く善に從うに勇にして、惡を爲すを憚るを謂う。 明倫28 ○祭義に曰く、霜露旣に降れば、君子之を履みて必ず悽愴の心有り。其の寒きを之れ謂うに非ざるなり。春雨露旣に濡えば、君子之を履みて必ず怵惕の心有り。將に之を見んとするが如し。霜露旣に降るは、禮說秋に有り。此に秋の字無し。蓋し脱するのみ。其の寒きを之れ謂うに非ざるは、悽愴及び怵惕は皆時に感じて親を念う爲なるを謂う。 明倫29 ○祭統に曰く、夫れ祭りは、必ず夫婦之を親[みずか]らす。外内の官を備うる所以なり。官備われば則ち具え備わる。具は共する所の衆物を謂う。 明倫30 ○君子の祭りや、必ず身親[みずか]ら之に莅[のぞ]む。故有れば則ち人を使しめて可なり。莅は臨なり。 明倫31 ○祭義に曰く、内に致齊し外に散齊す。齊の日は其の居處を思い、其の笑語を思い、其の志意を思い、其の樂しむ所を思い、其の耆む所を思う。齊すること三日にして、乃ち其の爲に齊する所の者を見る。致齊は此の五の者を思うなり。散齊は七日、御せず、樂せず、弔せざるのみ。嗜む所は素欲する所の飮食なり。爲に齊する所の者を見るは、之を思うの熟なり。其の爲に齊する所の親を見るが若きなり。祭の日、室に入れば僾然として必ず其の位に見ること有り。僾然は微見の貌。親の神位に在るを見るが如し。周還して戶を出づれば、肅然として必ず其の容聲を聞くこと有り。饌を薦める時を謂うなり。肅然として親の舉動容止の聲を聞くが如し。戶を出でて聽けば、愾然として必ず其の歎息の聲を聞くこと有り。祭を設けて旣に畢り、孝子戶を出でて聽けば、愾然として嘆息の聲を聞くこと有るが如し。是の故に先王の孝や、色目に忘れず、聲耳に絶えず、心志嗜欲心に忘れず。愛を致[きわ]むれば則ち存し、愨[かく]を致むれば則ち著わる。著存して心に忘れず。夫れ安んぞ敬せざるを得んや。致は極なり。親を愛するの心を極むれば、則ち親の存するが若し。端愨にして親を敬うの心を極むれば、則ち親の顯著なるが若し。 明倫32 ○曲禮に曰く、君子貧なりと雖も祭器を粥[う]らず、寒しと雖も祭服を衣ず、宮室を爲るに丘木を斬らず。鬼神を敬うを廣むるなり。粥は賣なり。丘は壟なり。 明倫33 ○王制に曰く、大夫は祭器を假らず。祭器未だ成らずんば燕器を造らず。造は爲なり。 明倫34 ○孔子、曾子に謂いて曰く、身體髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の始なり。身體は其の大を言う。髪膚は其の細を言う。聖人孝の始を論じ、身を愛するを以て先と爲す。身を立て道を行い、名を後世に揚げて、以て父母を顯わすは、孝の終 わりなり。國人、幸なるかな子有りて此の如しと稱願す。孝と謂う所なり。夫れ孝は親に事うるに始まり、君に事うるに中ばし、身を立つるに終 わる。親を愛する者は敢て人を惡まず、親を敬う者は敢て人を慢らず。愛敬親に事うるに盡して德敎百姓に加わり、四海に刑[のっと]る。此れ天子の孝なり。人を惡み慢れば、則ち人も亦之を惡み慢る。此の如くなれば、辱しめ將に親に及ばんとす。上に在りて驕らざれば、高くして危からず、節を制し度を謹めば、滿ちて溢れず。然して後に能く其の社稷を保ちて其の民人を和す。此れ諸侯の孝なり。高くして危き者は驕るを以てなり。滿ちて溢れる者は奢るを以てなり。節を制するは、財用の節を制するなり。度を謹むは、法度を越えざるなり。先王の法服に非ざれば敢て服せず、先王の法言に非ざれば敢て道わず、先王の德行に非ざれば敢て行わず。然して後に能く其の宗廟を保つ。此れ卿大夫の孝なり。孝を以て君に事うれば則ち忠、敬を以て長に事うれば則ち順。忠順失わずして以て其の上に事う。然して後に能く其の祭祀を守る。此れ士の孝なり。天の道を用い、地の利に因り、身を謹み用を節して以て父母を養う。此れ庶人の孝なり。春は耕し、秋は穫り、高きは黍稷に宜しく、下きは稻麥に宜し。身を謹めば則ち過無くして兵刑を犯さず、用を節すれば則ち乏しからずして以て甘旨を共う。此の二の者を能くして養道盡く。故に天子より庶人に至るまで、孝に終始無くして、患及ばざる者は、未だ之れ有らざるなり。 明倫35 ○孔子曰く、父母之を生む、續ぐこと焉[これ]より大なるは莫し。君親之に臨む、厚きこと焉より重きは莫し。是の故に其の親を愛せずして他人を愛する、之を悖德と謂う。其の親を敬せずして他人を敬す、之を悖禮と謂う。悖は亂なり。苟も其の親を恭愛すること能わざれば、他人を恭愛すと雖も、猶悖るるを免がれざるがごとし。以て孝は德の本なるを明かにす。 明倫36 ○孝子の親に事うる、居には則ち其の敬みを致し、夔夔として齊慄す。養には則ち其の樂しみを致し、親の志を樂しむ。病には則ち其の憂いを致し、喪には則ち其の哀しみを致し、祭には則ち其の嚴しきを致す。嚴は恭に猶[おな]じ。五者備わりて然して後能く親に事う。親に事うる者は、上に居りて驕らず、下と爲りて亂れず、醜に在りて爭わず。亂は上の禁令を干し犯すを謂う。醜は類なり。己の等夷を謂う。上に居りて驕れば則ち亡ぶ。下と爲りて亂るれば則ち刑せらる。醜に在りて爭えば則ち兵せらる。爭いて已まず。必ず兵刃を以て相加う。此の三の者除かざれば、日に三牲の養を用うと雖も、猶不孝と爲す。三牲は牛羊豕の大牢。三の者を除かざれば、憂い將に親に及ばんとす。日に大牢の養を用うと雖も、庸[なん]ぞ孝と爲さんや。 明倫37 ○孟子曰く、世俗に不孝と謂う所の者五あり。其の四支を惰りて父母の養を顧みざる、一の不孝なり。博奕し、酒を飮むを好み、父母の養を顧みざる、二の不孝なり。貨財を好み、妻子に私して、父母の養を顧みざる、三の不孝なり。耳目の欲を從[ほしいまま]にして、以て父母の戮[りく]を爲す、四の不孝なり。勇を好み闘狠[とうこん]して、以て父母を危くする、五の不孝なり。戮は辱なり。狠は忿戾なり。 明倫38 ○曾子曰く、身は父母の遺體なり。父母の遺體を行う、敢て敬せざらんや。居處莊ならざるは孝に非ざるなり。君に事えて忠ならざるは孝に非ざるなり。官に莅[のぞ]みて敬まざるは孝に非ざるなり。朋友信ならざるは孝に非ざるなり。戰陳勇無きは孝に非ざるなり。五の者遂げざれば、烖[わざわい]親に及ぶ。敢て敬まざらんや。遂は成なり。 明倫39 ○孔子曰く、五刑の屬三千にして、罪不孝より大なるは莫し。異罪同罰合わせて三千條なり。 右、父子の親を明かにす。 明倫40 禮記に曰く、將に公の所に適かんとすれば、宿に齊戒し、外寢に居りて沐浴す。史、象笏を進む。思・對・命を書す。思は思念して將に以て君に告げんとする所の者なり。對は以て君に對する所の者なり。命は受くる所の君命なり。之を笏に書すは失忘の爲なり。旣に服し容觀・玉聲を習いて乃ち出づ。旣に服すは、朝服を著て已に竟るなり。容觀を習うは之を觀る者有る爲、玉聲を習うは之を聽く者有る爲なり。 明倫41 ○曲禮に曰く、凡そ君の爲に使いする者は、已に命を受けては君言家に宿[とど]めず。君の使いを急にするなり。言は、問う所を故有りて言うなり。君言至れば、則ち主人出でて君言の辱きを拜す。使者歸れば、則ち必ず拜して門外に送る。君命を敬うなり。出は門を出づるなり。此は國君の事を其の臣に問うを謂う。人をして君の所に使わすが若きは、則ち必ず朝服して之を命ず。使者反れば、則ち必ず堂を下りて命を受く。臣の其の君に告げ請う所有るを謂う。去るに下り送らず、反りて下り迎うは、君命を尊ぶなり。門を出でざるは、己の使い、君の使いより卑ければなり。 明倫42 ○論語に曰く、君召して擯せしめば、色勃如たり、足躩如[かくじょ]たり。擯は主國の君、出でて賓に接せられる所の者。勃は色を變ずる貌。躩は盤辟の貌。皆君命を敬うなり。與に立つ所に揖[ゆう]して手を左右にすれば、衣の前後襜如[せんじょ]たり。與に立つ所は同じく擯と爲る者を謂うなり。擯は命數の半を用い、皆西に向きて立ち、次を以て命を傳う。左の人を揖すれば、則ち其の手を左にす。右の人を揖すれば、則ち其の手を右にす。襜は整う貌。趨り進めば翼如たり。疾く趨りて進み、拱を張るに端好にして鳥の翼を舒るが如し。賓退けば必ず復命して曰く、賓顧みず、と。君の敬を紓うるなり。 明倫43 ○公門に入れば鞠躬[きくきゅう]如たり。容れられざるが如し。鞠躬は身を曲むるなり。公門高大、入るに容れられざるが如きは、敬みの至りなり。立ちて門に中せず、行きて閾を履まず。門に中するは門に中するなり。詳かに此の篇第七條に見ゆ。閾は門限なり。禮に、士大夫君門を出入すれば、闑の右に由り閾を踐まず、と。立ちて門に中すれば則ち尊に當る。行きて閾を履めば則ち恪[つつし]まず。位を過ぎれば色勃如たり。足躩如たり。其の言足らざる者に似たり。位は君の虛位。門屛の間、人君宁立の處を謂う。宁と謂う所なり。君在らずと雖も、之を過ぎれば必ず敬む。敢て虛位を以て之を慢らず。足らざるに似るは敢て肆にせざるを言うなり。齊を攝[かか]げて堂に升れば鞠躬如たり。氣を屛[おさ]めて息せざる者に似る。攝は摳なり。齊は衣の下の縫めなり。禮に、將に堂を升らんとして兩手衣を摳りて地を去る尺ならしむ、と。之を躡みて傾跌して容を失わんことを恐る。息は鼻息の出入する者。至尊に近づき氣の容肅むなり。出でて一等を降れば顏色を逞[はな]ちて怡怡如たり。階を没して趨る、翼如たり。其の位に復れば踧踖[しゅくせき]如たり。等は階の級なり。逞は放なり。漸く尊ぶ所に遠ざかり、氣を舒え顏を解く。怡怡は和悦なり。階を没するは、階を下り盡すなり。趨は走りて位に就くなり。俗本に、趍り進むに作る、と。陸氏釋文に云う、古本に進の字無し、と。今之に從う。位に復りて踧踖たるは、敬の餘なり。 明倫44 ○禮記に曰く、君車馬を賜えば乗りて以て拜し、衣服を賜えば服して以て拜す。君の惠を敬うなり。賜う所を乗服し、往きて君の所に至る。賜わりて君未だ命有らざれば、敢て卽ち乗服せず。卿大夫の賜を天子に受くる者、歸を必ず其の君に致し、命有りて乃ち之を乗服するを謂う。或は曰く、君の賜句絶す。車馬の若きは則ち乗りて以て賜を拜す。衣服の若きは則ち服して以て賜を拜すなり。君未だ命有らざれば、敢て卽ち乗服せざる者は、賜を經るに非ざれば、車馬衣服有りと雖も、敢て輒[たやす]く乗服せざるを謂うなり。後世の三品應に紫を服すべしと雖も、五品應に緋を服すべしと雖も、必ず君に賜いて後服すが若し。 明倫45 ○曲禮に曰く、果を君前に賜えば、其の核有る者は其の核を懷にす。君の賜を敬いて敢て褻れざるなり。木實を果と曰う。核は當に棄つべし。君の賜を重んず、故に之を懷にして棄てざるなり。 明倫46 ○君に御食するに、君餘を賜えば、器の漑する者は寫さず。其の餘は皆寫す。君の器を汙辱するを重んずるなり。漑は陶梓の器、滌潔す可き者を謂う。漑せざるは萑竹の器を謂う。寫は己の器中に傳えて乃ち之を食すなり。勸め侑るを御と曰う。 明倫47 ○論語に曰く、君食を賜えば必ず席を正して先ず之を嘗む。君腥を賜えば必ず熟して之を薦む。君生を賜えば必ず之を畜う。食は或は餕餘爲らんことを恐る。故に以て薦めず。席を正して先ず嘗むるは、君に對するが如くするなり。先ず嘗むると言えば、則ち餘は當に以て頒ち賜うべし。腥は生肉なり。熟して之を祖考に薦むるは君の賜を榮とするなり。之を畜う者は君の惠を仁にし、故無ければ敢て殺さざるなり。 明倫48 ○君に侍食するに、君祭れば先ず飯す。君祭れば則ち己祭らずして先ず飯するは、君の爲に食を嘗むるが若く然り。敢て客の禮に當らざるなり。 明倫49 ○疾みて君之を視れば、東首し、朝服を加え、紳を拖[ひ]く。疾む者は常に北牖の下に處る。君來て疾を視るを爲さば、暫時南牖の下に遷り向きて東首し、君をして以て南面して己を視るを得せしむ。病臥衣を著け帶を束ること能わざれば、又褻服を以て君を見る可からず。故に朝服を身に加え、又大帶を上に引くなり。 明倫50 ○君命じて召せば、駕を俟たずして行く。急に君命に趨り、行き出でて駕車之に隨う。 明倫51 ○吉月には、必ず朝服して朝す。吉月は月朔なり。孔子魯に在りて致仕の時此の如し。 明倫52 ○孔子曰く、君子の君に事うる、進みては忠を盡さんことを思い、退きては過を補わんことを思い、其の美を將順し、其の惡を匡救す。故に上下能く相親しむ。 明倫53 ○君、臣を使うに禮を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。 明倫54 ○大臣は道を以て君に事え、不可なれば則ち止む。 明倫55 ○子路君に事うるを問う。子曰く、欺くこと勿かれ。而して之を犯せ、と。 明倫56 ○鄙夫は與に君に事う可けんや。其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患え、旣に之を得れば、之を失わんことを患う。苟も之を失わんことを患えば、至らざる所無し。 明倫57 ○孟子曰く、難きを君に責むる、之を恭と謂い、善を陳べ邪を閉ずる、之を敬と謂い、吾君能わずとす、之を賊と謂う。 明倫58 ○官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去る。言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る。 明倫59 ○王蠋曰く、忠臣は二君に事えず、列女は二夫を更[か]えず。 右、君臣の義を明かにす。 明倫60 曲禮に曰く、男女行媒有るに非ざれば、名を相知らず。媒往來し、昏姻の言を傳うる有りて、乃ち姓名を相知る。幣を受くるに非ざれば交わらず、親しまず。別を重んじ、禮有りて乃ち相纏固す。幣は聘の玄纁束帛を謂うなり。故に日月は以て君に告げ、婦を取るの年月日時を書して以て國君に告ぐるなり。周禮に、凡そ判妻入子を取る者は、媒氏之を書して以て君に告ぐ、と。此を謂うなり。齊戒して以て鬼神に告げ、昏禮に、凡そ女を受くるの禮は皆廟に於て神席を爲して以て鬼神に告ぐ、と。此を謂うなり。酒食を爲りて以て郷黨・僚友を召くは、以て其の別を厚くするなり。賓客を會す。厚は重んじ愼むなり。妻を取るに同姓を取らず。故に妾を買うに其の姓を知らざれば、則ち之を卜す。其の禽獸に近き爲なり。妾は賤し。或は時に媵に非ずして之を取る。賤しき者は世に本繋無し。卜するは吉凶を卜す。旣に其の姓を知らざれば、但卜して吉なれば則ち之を取る。 明倫61 ○士昏禮に曰く、父子に醮[しょう]し、子は婿なり。之に命じて曰く、往きて爾の相を迎え、我が宗事を承け、相は助なり。宗事は宗廟の事。勖[つと]め帥いて以て敬み、先姒に之れ嗣げ。若は則ち常有れ、と。勖は勉なり。若は女に猶[おな]じ。勉めて婦を帥いて道くに敬を以てす。其れ先姒に之れ嗣ぐと爲さば、女の行は則ち當に常有るべし。深く之を戒む。詩に云う、大姒徽音を嗣ぐ、と。子曰く、諾。唯堪えざらんことを恐る。敢て命を忘れず、と。父女を送り、之に命じて曰く、之を戒め之を敬して夙夜命に違うこと無かれ、と。夙は早くに起きるなり。早くに起き夜臥す。命は舅姑の戒命なり。母衿を施し帨[ぜい]を結びて曰く、之を勉め之を敬して夙夜宮事に違うこと無かれ、と。帨は佩巾なり。庶母門内に及びて鞶を施し、之を申[かさ]ぬるに父母の命を以てし、之に命じて曰く、敬み恭しく聽け。爾の父母の言を宗び夙夜愆[あやま]つこと無かれ。諸を衿鞶に視よ、と。庶母は父母の妾なり。鞶は鞶囊なり。以て帨巾を盛る所なり。申は重なり。宗は尊なり。愆は過なり。諸は之なり。之を衿鞶に示るは、皆戒めを託して之を識らしむるなり。 明倫62 ○禮記に曰く、夫れ昏禮は萬世の始なり。異姓に取るは遠きに附き、別を厚くする所以なり。異姓に取るは、相疏遠なるに依り附く所以の道、分別を厚重するの義は、相褻るるを欲せざる故なり。幣は必ず誠に、辭に不腆無し。誠は信なり。腆は猶善のごとし。之を告ぐるに直信を以てす。直は猶正のごとし。二の者は婦に正直信を敎うる所以なり。信は人を事[た]つるなり。信は婦の德なり。事は猶立のごとし。或は曰く、婦人は人に事うる者なり。人に事うるには必ず信を以てす。故に信を體して以て德と爲す。壹たび之と齊しくし、身の終えるまで改めず。故に夫死して嫁せず。齊は牢を共にして食い、尊卑を同じくするを謂うなり。男子親迎して男女に先だつは、剛柔の義なり。天は地に先だち、君は臣に先だつ。其の義一なり。先は倡い導くを謂うなり。摯を執りて以て相見ゆるは、敬みて別を章かにするなり。敢て相褻れざるを言うなり。摯は奠る所の鴈なり。章は明なり。男女別有りて、然して後父子親しむ。父子親しみて、然して後義生ず。義生じて、然して後禮作る。禮作りて、然して後萬物安し。人倫別有れば、則ち氣性醇[あつ]きを言うなり。別無く義無きは禽獸の道なり。麀を聚にするの類を亂すを言うなり。 明倫63 ○婦を取るの家、三日樂を舉げざるは、親を嗣ぐを思えばなり。世變を重んずるなり。 明倫64 ○昏禮に賀せざるは、人の序なり。序は猶代のごとし。 明倫65 ○内則に曰く、禮は夫婦を謹むに始まる。宮室を爲り外内を辨ち、男子外に居り女子内に居る。宮を深くし門を固くして閽寺之を守り、男は入らず女は出でず。閽は、中門の禁を掌り守る者なり。寺は、内入の禁令を掌る者なり。男女椸枷[いか]を同じくせず、敢て夫の楎椸[きい]に縣けず、敢て夫の篋笥[きょうし]に藏せず、敢て湢浴を共にせず。竿、之を椸と謂う。楎は杙なり。植なるを楎と曰い、横なるを椸と曰う。湢は浴室なり。夫在らざれば、枕を篋に斂め、簟席を襡[とく]にし器して之を藏す。敢て褻れざるなり。少の長に事え賤の貴に事うる、咸之の如くす。咸は皆なり。婢妾と雖も衣服・飮食は必ず長者に後る。人貴賤、禮無くんばある可からず。妻在らざれば妾御するに、敢て夕に當ること莫し。女君の御日を辟くるなり。 明倫66 ○男は内を言わず、女は外を言わず。事業の次序を謂う。祭に非ず喪に非ざれば器を相授けず。祭は嚴に、喪は遽にし、嫌とせざるなり。其の相授くるには、則ち女は受くるに篚[ひ]を以てす。其れ篚無ければ則ち皆坐して之を奠[お]きて后之を取る。奠は地に停むなり。外内井を共にせず、湢浴を共にせず、寢席通ぜず、乞假[きっか]を通ぜず、男女衣裳を通ぜず、男子内に入りては嘯かず指さず。嘯は讀みて叱と爲す。夜行くに燭を以てす。燭無ければ則ち止む。女子門を出づれば必ず其の面を擁い蔽う。夜行くに燭を以てす。燭無ければ則ち止む。道路は、男子は右に由り、女子は左に由る。地道は右を尊ぶ。 明倫67 ○孔子曰く、婦人は人に伏するなり。是の故に專制するの義無し。三從の道有り。家に在りては父に從い、人に適きては夫に從い、夫死しては子に從う。敢て自ら遂ぐる所無し。敎令閨門を出ださず、事饋食の間に在るのみ。是の故に女は日を閨門の内に及ぶ。百里にして喪に犇らず。事擅[みだり]に爲すこと無く、行い獨り成すこと無し。叅り知りて而して後動き、驗す可くして而して後言う。晝は庭に遊ばず、夜は行くに火を以てす。婦の德を正しくする所以なり。女に五の取らざる有り。逆家の子は取らず、亂家の子は取らず、世々刑人有るは取らず、世々惡疾有るは取らず、父を喪いし長子は取らず。逆家の子は、其の德に逆う爲なり。亂家の子は、其の人倫を亂す爲なり。世々刑人有る者は、其の人に棄らるる爲なり。世々惡疾有る者は、其の天に棄らるる爲なり。父を喪いし長子は、命を受く所無き爲なり。婦に七の去る有り。父母に順ならざれば去る、子無きは去る、淫すれば去る、妬めば去る、惡疾有れば去る、多言なれば去る、竊盗すれば去る。父母に順ならずは、其の德に逆う爲なり。子無きは、其の世を絶つ爲なり。淫は、其の族を亂す爲なり。妬は、其の家を亂す爲なり。惡疾有るは、其の與に粢盛を共す可からざる爲なり。多言は、其の親を離るる爲なり。盗竊は、其の義に反く爲なり。三の去らざる有り。取る所有りて歸す所無きは去らず、與に三年の喪を更[ふ]れば去らず、前に貧賤にして後に富貴なれば去らず。凡そ此れ聖人の男女の際を順にし、婚姻の始めを重んずる所以なり。 明倫68 ○曲禮に曰く、寡婦の子は、見わるること有るに非ざれば、與に友と爲らず。嫌を避くるなり。見わるること有るは、奇才有るを謂う。卓然として衆人の知る所なり。 右、夫婦の別を明かにす。 明倫69 孟子曰く、孩提の童も其の親を愛することを知らざるは無し。其の長ずるに及ぶや、其の兄を敬することを知らざるは無し。孩提は、孩笑を知りて提抱す可き者なり。 明倫70 ○徐かに行きて長者に後る、之を弟と謂う。疾く行きて長者に先だつ、之を不弟と謂う。 明倫71 ○曲禮に曰く、父の執を見ては、之に進めと謂わざれば敢て進まず、之に退けと謂わざれば敢て退かず。問わざれば敢て對えず。父の同志を見るに、父に事うる如くす。 明倫72 ○年長ずること以て倍すれば、則ち之に父とし事う。十年以て長ずれば、則ち之に兄とし事う。五年以て長ずれば、則ち之に肩して隨う。年長ずるに以て倍するは、年二十の四十に於るを謂う。肩隨は、之と與に並び行きて差々[やや]退くなり。 明倫73 ○長者に謀るに、必ず几杖を操りて之に從う。操は執り持つなり。几は以て己を扶く可く、杖は以て身を策す可し。倶に尊者を養う物なり。從は就に猶[おな]じ。長者問うに辭讓せずして對えるは禮に非ざるなり。當に不敏を謝するは、曾子の爲の若くなるべし。 明倫74 ○先生に從いては、路を越えて人と言わず。尊は二つにせざるなり。先生は年德倶に高く、又幼者を敎え道くなり。先生に道に遭えば、趨りて進み、正しく立ちて手を拱す。敎使すること有る爲なり。先生之と言えば則ち對う。之と言わざれば則ち趨りて退く。其の己と並び行くを欲せざる爲なり。長者に從いて丘陵に上れば、則ち必ず長者の視る所に郷[む]かう。遠く視て察せず。問う所有る爲なり。 明倫75 ○長者之と提携すれば、則ち兩手もて長者の手を奉ぐ。提携は牽き行くを謂う。手を奉るは、尊者を扶持するを習うなり。負い劔み咡を辟けて之に詔ぐれば、則ち口を掩いて對う。負は之を背に置くを謂う。劔は之を旁に挾みて劔を帶るが如きを謂うなり。口旁を咡と曰う。咡を辟けて之を詔ぐるは、頭を傾けて與に語るを謂うなり。口を掩いて對うるは、其の尊者に郷[む]かいて氣を屛[おさ]むるを習うなり。 明倫76 ○凡そ長者の爲に糞[はら]うの禮は、必ず帚を箕上に加え、席前を掃うを糞と曰う。此れ初め執りて往の時を謂うなり。帚を箕上に加え、兩手にて箕を奉るを得て恭するなり。弟子職に曰く、箕を執りて擖を膺にし、厥の中に帚有り。袂を以て拘えて退き、其の塵を長者に及さず。掃う時を謂うなり。袂は衣袖の末なり。袂を以て帚の前を擁い、掃きて之を却行す。箕を以て自らに郷[む]かえて之を扱[おさ]む。扱は讀みて吸と曰う。糞を収むる時を謂うなり。箕は棄物を去るなり。以て尊者に郷えば則ち恭しからず。 明倫77 ○將に席に卽かんとすれば、容怍わること無かれ。卽は就くなり。怍は顏色變わるなり。席に就きて宜しく莊なるべく、變動するを得ず。兩手に衣を摳[かか]げ、齊を去ること尺にす。摳は提挈なり。齊は裳の下の緝を謂うなり。亦席に就く時を謂う。兩手を以て裳の前に當て、裳を提げ下緝をして地を去ること一尺ならしむ。衣長く足を轉し之を躡み履まんことを恐る。衣撥すること毋かれ、足蹶にすること毋かれ。撥は揚なり。蹶は行くこと遽かなる貌。先生の書策・琴瑟前に在れば、坐して之を遷し、戒めて越ゆること勿かれ。敬を廣むるなり。前に在るは、行く前に當るを謂う。坐も亦跪なり。遷は移なり。越は踰なり。坐しては必ず安くし、爾の顏を執れ。凡そ坐は自ら揺動するを好む。故に戒むるに安坐を以てす。執は守に猶[おな]じ。久しく坐すれば異を好む。長者及ばざれば儳言すること毋かれ。說文に云う、儳は互にして齊からざるなり。儳言は、長者の先に儳して言うなり。爾の容を正しくし、聽くに必ず恭しくせよ。正は矜莊を謂うなり。先生の言を聽くに宜しく敬むべし。勦說[そうせつ]すること毋かれ。勦は擥に猶じ。人の說を取りて以て己の說と爲すを謂う。雷同すること毋かれ。雷の聲を發する、物同ぜざる無し。人の言は當に己に由るべく、當に然りとすべからず。孟子曰く、是非の心無きは人に非ざるなり、と。必ず古昔に則り先王を稱せ。則は法なり。言えば必ず依り據る有り。 明倫78 ○先生に侍坐し、先生問うこと終われば則ち對う。敢て尊者の言を錯亂せず。業を請えば則ち起ち、益を請えば則ち起つ。師を尊び道を重んずるなり。今衣を摳げて前で請うが若きなり。業は篇巻を謂うなり。益は說を受けて了らず、師更に明かに說かんことを欲するを謂うなり。 明倫79 ○尊客の前にては、狗を叱せず、風して之を去るが若きを嫌わん。食を讓りて唾せず。穢惡有るを嫌わん。君子に侍坐するに、君子欠し伸し、杖屨[じょうく]を撰[と]り、日の蚤莫を視れば、侍坐する者は出でんことを請う。君子倦怠有るを以てなり。志疲るれば則ち欠し、體疲るれば則ち伸す。撰は猶持のごとし。 明倫80 ○君子に侍坐するに、君子問うこと端を更むれば、則ち起ちて對う。席を離れて對うるは、異事を敬むなり。 明倫81 ○君子に侍坐するに、告ぐる者有りて、少間復[もう]すこと有るを願うと曰うが若き、則ち左右に屛[しりぞ]きて待つ。復は白なり。少しく空閑を得て白す所の有らんことを欲するを言うなり。屛は退なり。 明倫82 ○長者に侍飮するに、酒進めば則ち起ちて拜して尊所に受く。長者辭すれば少者席に反りて飮む。席を降りて拜して受くるは敬なり。燕飮の禮に、尊に嚮わば、長者辭して少者の起つを止む。故に復た其の席に反り還る、と。長者舉げて未だ釂[つく]さざれば、少者敢て飮まず。敢て尊者に先んじてせず。舉は猶飮のごとし。爵を盡すを釂と曰う。燕禮に曰く、公爵を卒りて而して後飮む、と。 明倫83 ○長者賜えば、少者・賤者敢て辭せず。敢て亢禮せず。賤者は僮僕の屬なり。 明倫84 ○長者に御同しては、貳と雖も辭せず。御は待を謂うなり。御同は長者に待食し、饌具之と同じきを謂うなり。貳は重殽の膳を謂うなり。此の饌、本長者の爲に設く。之を辭せば長者の嫌を爲す。偶坐も辭せず。盛饌は己の爲ならず。 明倫85 ○君子に侍し、顧望せずして對うるは禮に非ざるなり。禮は謙を尙ぶ。顧望せざるは、子路卒爾として對うるが若し。 明倫86 ○少儀に曰く、尊長己に於て等を踰ゆれば、敢て其の年を問わず。等を踰ゆは、父兄の黨なり。年を問えば、則ち恭敬の心全しからず。燕見には命を將[おこな]わず。私燕にして見るに、擯者をして其の命を將い傳えしめず。敢て賓主の禮を用いて來らず。則ち子弟の若く然り。道に遇いて見れば則ち面す。隱るる可ければ則ち隱る。敢て煩動せず。之く所を請わず。往く所を問わず。侍坐するに、使[せし]めざれば琴瑟を執らず、地に畫せず、手に容すること無く、翣[そう]せず。尊長或は琴を彈し指畫せしむれば、則ち之を爲して可なり。手に容すること無しは、手を弄せざるなり。翣は扇なり。熱きと雖も亦敢て扇を揺さず。此れ皆端愨、敬を爲す所以なり。寢ぬれば則ち坐して命を將う。坐は跪なり。命は辭を傳うる所有り。尊者臥して侍者辭を傳うるが若き、當に跪きて前むべく、以て立つ可からず。尊者に臨むを恐る。射に侍すれば則ち矢を約し、矢は箭なり。凡そ射は必ず耦を計り、先ず箭を設けて中庭に在り、上耦前にて一を取り、次に下耦又進みて一を取る。是の如く更いに進み、各々四箭を得て堂に升り、三を要に挿して手に一を執る。卑者の射に侍するが若きは、則ち敢て更いに拾し進みて取らず。但一時に四矢を幷せ取る。故に矢を約すと云う。投に侍すれば則ち矢を擁す。投は投壷なり。擁は抱なり。矢は投壷の箭なり。尊者は四矢を地に委ね、一一取りて以て投ぐ。卑者は敢て地に委ねず。悉く之を執る。勝てば則ち洗いて以て請う。敵射及び投壷の竟るが若きは、司射酌を命じて、勝つ者の弟子酒を酌み、勝たざる者之を飮む。卑者の勝つことを得るが若きは、則ち敢て直に酌まず。當に前にて爵を洗いて觴を行わんと請うべし。 明倫87 ○王制に曰く、父の齒には隨い行き、兄の齒には鴈行し、朋友には相踰えず。敬を廣むるなり。塗中に於るを謂う。輕任は幷せ重任は分つ。頒白の者は提挈[ていけい]せず。皆以て少者に與るを謂う。君子の耆老は徒行せず、庶人の耆老は徒食せず。徒は猶空のごとし。車無くして行き、肉無くして食うを謂う。 明倫88 ○論語に曰く、郷人の飮酒に杖者出づれば斯に出づ。杖者は老人なり。六十にして郷に杖つく。未だ出でざれば敢て先だたず。旣に出でれば敢て後れず。 右、長幼の序を明かにす。 明倫89 曾子曰く、君子は文を以て友を會し、友を以て仁を輔く。學を講じて以て友を會すれば、則ち道益々明かに、善を責めて以て仁を輔くれば、則ち德日に進む。 明倫90 ○孔子曰く、朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡たり。切切は懇到なり。偲偲は詳勉なり。怡怡は和說なり。 明倫91 ○孟子曰く、善を責むるは朋友の道なり。 明倫92 ○子貢友を問う。孔子曰く、忠告して善く之を道き、可ならざれば則ち止む。自ら辱しむること無かれ、と。友は以て仁を輔くる所なり。故に其の心を盡して以て之に告げ、其の說を善くして以て之を道く。然るに義を以て合う者なり。故に可ならざれば則ち止む。以て數々して疏まるるが若きは、則ち自ら辱しむるなり。 明倫93 ○孔子曰く、是の邦に居りては其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。賢は事を以て言い、仁は志を以て言う。事えて之を友とすれば、則ち禀畏切磋する所有りて、以て其の德を成すなり。 明倫94 ○益する者三友、損する者三友。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とすれば、益す。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とすれば、損なり。直を友とすれば則ち其の過を聞き、諒を友とすれば則ち誠に進み、多聞を友とすれば則ち明に進む。便は習熟なり。便辟は威儀に習いて直ならざるを謂う。善柔は媚說に工にして誠ならざるを謂う。便佞は口語に習いて聞見の實無きを謂う。三の者の損益、正に相反するなり。 明倫95 ○孟子曰く、長を挾[さしはさ]まず、貴を挾まず、兄弟を挾まずして友とす。友は其の德を友とするなり。以て挾むこと有る可からず。挾は兼ね有して之を恃むの稱。兄弟を挾むは、己に兄弟の屬有るを恃むを言う。 明倫96 ○曲禮に曰く、君子は人の歡を盡さず、人の忠を竭さず。以て交りを全くするなり。 明倫97 ○凡そ客と入る者は、門每に客に讓る。賓に下るなり。客寢門に至れば、主人請いて入り席を爲[し]きて、寢門は内門なり。爲は敷に猶[おな]じ。然して後出でて客を迎う。客固辭す。辭して先ず入らざるなり。主人客を肅[すす]めて入る。肅は進なり。先だって之を道く。主人は門に入りて右し、客は門に入りて左す。右は其の右に就き、左は其の左に就く。主人は東階に就き、客は西階に就く。客の降等の若きは則ち主人の階に就く。降は下なり。敢て其の階に由らず。卑は尊に統ぶ。敢て自ら專らにせず。主人固辭して、然して後客復た西階に就く。主人客と登るを讓る。主人先ず登り客之に從う。級を拾[わた]りて足を聚め、拾は當に渉に爲すべし。聲の誤りなり。級は等なり。等を渉るに足を聚むるは、前足一等を躡み、後足之に從いて倂すを謂う。歩を連ねて以て上る。歩を連ねるは、足相隨いて相過ぎざるを謂う。蹉跌せんことを重んずるなり。東階に上るには則ち右の足を先にし、西階に上るには則ち左の足を先にす。相郷[む]かうに近し。敬なり。 明倫98 ○大夫士相見ゆるに、貴賤敵せずと雖も、主人客を敬えば、則ち先ず客を拜す。客主人を敬えば、則ち先ず主人を拜す。賢を尊ぶなり。 明倫99 ○主人問わざれば、客先ず舉げず。客は外より來る。宜しく其の安否及び爲に來る所を問うべし。故に客は以て先ず問う可からず。 右、朋友の交わりを明かにす。 明倫100 孔子曰く、君子の親に事うるや孝。故に忠、君に移す可し。兄に事うるや弟。故に順、長に移す可し。長は卿士大夫を謂う。凡そ己の上に在る者なり。家に居りて理む。故に治、官に移す可し。書に、惟れ孝に、兄弟に友に、克く政に施すと云う。是の故に、行、内に成りて、名、後世に立つ。 明倫101 ○天子に爭う臣七人有れば、無道なりと雖も其の天下を失わず。天下は至大、萬機は至重。故に必ず能く爭う者七人有りて、然して後能く失うこと無し。諸侯に爭う臣五人有れば、無道なりと雖も其の國を失わず。大夫に爭う臣三人有れば、無道なりと雖も其の家を失わず。士に爭う友有れば、則ち身令名を離れず。士は臣無し。故に友を以て爭う。父に爭う子有れば、則ち身不義に陷らず。上下に通じて言う。故に不義に當りては、則ち子は以て父に爭わざる可からず。臣は以て君に爭わざる可からず。 明倫102 ○禮記に曰く、親に事えては隱すこと有りて犯すこと無し。左右し就き養いて方無し。勤を服して死に至る。致喪三年。隱すは、親意を傷らんことを恐れ、情盡さざること有るを謂う。犯すこと無きは、顏を犯して諫めず。論語に曰く、父母に事えて幾かに諫む、と。左右するは、之を扶持するを謂う。方は常に猶[おな]じ。子は則ち然り。常人無し。勤は勞辱の事。致は戚容其の服を稱うを謂うなり。凡そ此れ恩を以て制を爲す。君に事うるに犯すこと有りて隱すこと無し。左右し就き養いて方有り。勤を服して死に至る。方喪三年。隱すこと無しは、君臣義を尙ぶ。情を盡して以て諫むと雖も可なり。方有るは、官を侵す可からざるなり。方喪は、父に事うるに資る。凡そ此れ義を以て制を爲す。師に事うるに犯すこと無く隱すこと無く、左右し就き養いて方無し。勤を服して死に至る。心喪三年。犯すこと無く隱すこと無しは、情を盡すと雖も猶微にして婉なり。心喪は戚容父の如くして服無し。凡そ此れ恩義の間を以て制を爲す。 明倫103 ○欒共子[らんきょうし]曰く、民は三に生く。之に事うるに一の如くす。父之を生み、師之を敎え、君之を食[やしな]う。父に非ざれば生まれず、食に非ざれば長とならず、敎に非ざれば知らず。生けるの族なり。故に壹に之に事え、唯其の在る所にして則ち死を致す。君父に在れば君父の爲にし、師在れば師の爲にす。生けるに報ゆるに死を以てし、賜に報ゆるに力を以てす。人の道なり。 明倫104 ○晏子曰く、君令して臣共し、父慈にして子孝に、兄愛して弟敬し、夫和して妻柔し、姑慈にして婦聽なるは、禮なり。君令して違わず、臣共して貳ならず、父慈にして敎え、子孝にして箴[いまし]め、箴は諫なり。兄愛して友に、弟敬して順に、夫和して義に、妻柔にして正しく、姑慈にして從い、婦聽にして婉なるは、從は自ら專らにせざるなり。婉は順なり。禮の善物なり。 明倫105 ○曾子曰く、親戚說びざれば敢て外に交わらず。近き者親しまざれば敢て遠きを求めず。小なる者は審かならざれば敢て大を言わず。故に人の生けるや百歳の中疾病有り、老幼有り。故に君子は其の復びす可からざる者を思いて先ず施す。親戚旣に没せば、孝ならんと欲すと雖も誰か爲に孝せん。年旣に耆艾[きがい]なれば、悌たらんと欲すと雖も誰か爲に悌せん。故に孝も及ばざること有り、悌も時ならざること有りとは、其れ此を之れ謂うか。 明倫106 ○官は宦の成るに怠り、病は少しく愈ゆるに加わり、禍は懈惰に生じ、孝は妻子に衰う。此の四者を察して終わりを愼むこと始めの如くす。詩に曰う、初め有らざること靡[な]く、克く終 わり有ること鮮し、と。 明倫107 ○荀子曰く、人に三の不祥有り。幼にして長に事うることを肯[したが]わず、賤にして貴に事うるを肯わず、不肖にして賢に事うるを肯わず。是れ人の三の不祥なり。 明倫108 ○無用の辯、不急の察は、棄てて治めず。夫の君臣の義、父子の親、夫婦の別の若きは、則ち日に切磋して舍てざるなり。 右、通論なり。 敬身第三 孔子曰く、君子は敬まざること無し。身を敬むを大なりと爲す。身は親の枝なり。敢て敬まざらんや。其の身を敬むこと能わざるは、是れ其の親を傷[そこな]うなり。其の親を傷うは、是れ其の本を傷うなり。其の本を傷えば、枝從いて亡ぶ、と。聖模を仰ぎ、賢範を景[した]い、此の篇を述べ、以て蒙士を訓[おし]う。 敬身1 丹書に曰く、敬、怠に勝つ者は吉。怠、敬に勝つ者は滅ぶ。義、欲に勝つ者は從い、欲、義に勝つ者は凶。 敬身2 ○曲禮に曰く、敬まざること毋かれ。禮は敬を主とす。儼として思うが若くせよ。儼は矜莊の貌。人の坐して思う貌は、必ず儼然たり。辭を安定にせよ。言語を審かにす。民を安んぜんかな。上の三句、以て民を安んず可し。敖りは長ず可からず、欲は從[ほしいまま]にす可からず、志は滿たす可からず、樂は極む可からず。四の者は慢遊の道なり。桀紂の自ら禍する所以なり。賢者は狎れて之を敬い、畏れて之を愛す。狎は習なり、近なり。附きて之に近づき、其の行く所を習う。相褻れ慢り易し。故に戒めて相敬わしむ。心服するを畏と曰う。旣に畏るる所有りて、必ず當に其の德義を愛すべし。之を疎んず可からず。愛して其の惡きを知り、憎みて其の善を知る。凡そ人と交わり、己の心の愛憎を以て人の善悪を誣ゆ可からざるを謂う。積みて能く散じ、己に蓄積有りて、貧窮の者を見れば、則ち當に能く散らして、以て之を賙わすべきを謂う。安きに安んじて能く遷る。己今此の安きに安んじ、後害有らんことを圖れば、則ち當に能く遷るべし。財に臨みては、苟も得ること毋かれ。廉を傷る爲なり。難に臨みては、苟も免るること毋かれ。義を傷る爲なり。狠[あらそ]いては、勝たんことを求むること毋かれ。分ちては、多からんことを求むること毋かれ。平を傷る爲なり。狠は鬩なり。爭い訟るを謂うなり。疑わしき事は質[な]すこと毋かれ。質は成なり。彼己倶に疑えば、則ち己之を成言するを得ること無し。直して有りとすること勿かれ。彼疑いて己疑わざるは、仍[なお]須く謙退して師友の說く所と稱して以て之を正すべし。己此の義有りと爲ること勿かれ。 敬身3 ○孔子曰く、禮に非ざれば視ること勿かれ、禮に非ざれば聽くこと勿かれ、禮に非ざれば言うこと勿かれ、禮に非ざれば動くこと勿かれ。非禮は己の私なり。勿は禁止の辭なり。 敬身4 ○門を出づるに大賓を見るが如くし、民を使うに大祭を承くるが如くす。敬以て己を持つ。己の欲せざる所を人に施すこと勿かれ。恕以て物に及ぼす。 敬身5 ○居處恭しく、事を執るに敬み、人の與[ため]に忠。夷狄に之くと雖も棄つ可からざるなり。恭は容を主とし、敬は事を主とす。恭は外に見われ、敬は中に主たり。夷狄に之くも棄つ可からずは、其の固く守りて失うこと勿からんことを勉む。 敬身6 ○言、忠信にして、行、篤敬ならば、蠻貊の邦と雖も行われん。言、忠信ならず、行、篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。己を盡すを之れ忠と謂い、實を以てするを之れ信と謂う。篤は厚なり。篤敬は厚くして敬むなり。蠻は南蠻、貊は北狄なり。二千五百家を州と爲し、二十五家を里と爲す。 敬身7 ○君子に九の思い有り。視に明を思い、聽に聦を思い、色に温を思い、貌に恭を思い、言に忠を思い、事に敬を思い、疑に問わんことを思い、忿に難を思い、得るを見ては義を思う。視るは、蔽う所無ければ則ち明かにて、見えざる無し。聽くは、壅う所無ければ則ち聦にて、聞かざる無し。色は面に見わる者。貌は身を舉げて言う。問うを思えば則ち疑いを蓄えず。難を思えば則ち忿りを必ず懲す。義を思えば則ち得ること苟もせず。 敬身8 ○曾子曰く、君子道に貴ぶ所の者三あり。容貌を動かして斯に暴慢に遠く、顏色を正して斯に信に近く、辭氣を出して斯に鄙倍に遠し。貴は猶重のごとし。容貌は一身を舉げて言う。暴は粗厲なり。慢は放肆なり。信は實なり。顏色を正して信に近ければ、則ち色莊に非ざるなり。辭は言語、氣は聲氣なり。鄙は几陋なり。倍は背と同じ。理に背くを謂うなり。道在らざる所無しと雖も、然れども君子重んずる所の者は此の三の者に在るのみを言う。蓋し皆身を脩むるの驗、政を爲むるの本、莊敬誠實涵養の素有る者に非ざれば能わざるなり。 敬身9 ○曲禮に曰く、禮は節を踰えず、侵し侮らず、好しみ狎れず。禮は尊卑の等級を辨ずる所以なり。故に節度を踰越せず。禮は敬を主とし、自ら卑くして人を尊ぶ。故に人に侵犯侮慢することを得ず。習近して敬を加えざれば、則ち是れ好み狎るる。身を脩め言を踐む。之を善行と謂う。踐は履なり。履みて之を行うを言う。 敬身10 ○樂記に曰く、君子は姦聲・亂色、聦明に留めず。淫樂・慝禮、心術に接せず。惰慢・邪辟の氣、身體に設けず。耳目鼻口、心知百體をして皆順正に由らしめ、以て其の義を行う。聦明に留めずは、耳目に停めざるを謂うなり。術は猶道のごとし。心術に接せずは、心念を存せざるを謂うなり。 敬身11 ○孔子曰く、君子、食、飽かんことを求むること無く、居、安からんことを求むること無く、事に敏にして言に愼み、有道に就きて正す。學を好むと謂う可きのみ。安飽を求めず、方に學に事とすること有り。此を以て心と爲すに暇あらざるなり。事に敏にするは、敢て怠らざるなり。言に愼むは、敢て忽にせざるなり。有道は、此の道を知りて能く之を體する者を謂う。道は則ち事物當然の理、人の共に由る所の者なり。正は其の是非を正すを謂う。 敬身12 ○管敬仲曰く、威を畏るること疾の如くなるは、民の上なり。威を畏るること、疾病を畏るるが如くなるは、此れ民の上行なり。懷[おもい]に從うこと流るるが如くなるは、民の下なり。心の思う所に從うこと水の流行するが如くなるは、此れ民の下行なり。懐を見て威を思うは、民之中なり。威は畏なり。懷う可きを見て則ち畏るる可きを思うは、此れ民の中行なり。 右、心術の要を明かにす。 敬身13 冠義に曰く、凡そ人の人爲る所以の者は禮義なり。禮義の始は容體を正しくし、顏色を齊え、辭令を順にするに在り。人の禮を爲むるに、此の三の者を以て始と爲すを言う。容體正しく、顏色齊い、辭令順にして、而して後に禮義備わり、以て君臣を正しくし、父子に親しみ、長幼を和す。三始旣に備わりて、乃ち以て三行を求む可きを言うなり。君臣正しく、父子親しみ、長幼和して、而して後に禮義立つ。立は猶成のごとし。 敬身14 ○曲禮に曰く、側聽[そくてい]すること毋かれ。人の私を探るに嫌なればなり。側聽は、耳を垣に屬くなり。噭應[きょうおう]すること毋かれ。淫視すること毋かれ。怠荒すること毋かれ。遊びて倨ること毋かれ。立ちて跛すること毋かれ。坐して箕すること毋かれ。寢て伏すこと毋かれ。髪を斂めて髢[たい]すること毋かれ。冠して免[ぬ]ぐこと毋かれ。勞すとも袒すること毋かれ。暑くとも裳を褰[かか]ぐること毋かれ。皆其の不敬なるが爲なり。噭は號呼の聲なり。淫視は流動睇眄なり。怠荒は身體を放散するなり。遊は行なり。倨は慢なり。跛は偏任なり。箕は、坐して兩足を展べ狀ち、箕舌の如きを謂うなり。伏は覆なり。髢は髲なり。垂れ餘して髲の如くすること毋かれ。免は去るなり。袒は體を露すなり。褰は袪なり。 敬身15 ○城に登りて指ささず、城上に呼ばず。人を惑わす爲なり。將に舍に適かんとすれば、求め固すること毋かれ。舍に適くは、行きて人の館に就くを謂う。固は猶常のごとし。主人の物を求むるに、舊常を以てす可からず。時に或は無からんことを恐る。將に堂に上らんとすれば、聲必ず揚ぐ。内人を警むるなり。戶外に二の屨有りて、言聞ゆれば則ち入る。言聞えざれば則ち入らず。將に戶に入らんとすれば視ること必ず下す。戶に入りて扃[けい]を奉げ、視瞻回らすこと毋かれ。下を襌にするを屨と曰う。視ること必ず下すは、目を舉げて視ざるなり。回は、迴轉して廣く瞻視すること有るなり。皆人の私を干し掩わざるなり。扃は關戶の木なり。扃を奉ぐは、小しく之を啓き、兩手を以て戶の扃を置く處を奉ぐに應うを謂う。戶開けば亦開き、戶闔[と]ずれば亦闔ず。後に來るを以て先を變えず。後に入る者有らん。闔じて遂[と]ぐること勿かれ。人を拒まざるを示す。屨を踐むこと毋かれ、他人の屨を履むを屨を踐むと爲す。席を踖[ふ]むこと毋かれ。他人の席を躡むを席を踖むと爲す。衣を摳げて隅に趨[むか]う。摳は提なり。衣は裳なり。趨は猶向のごとし。隅は猶角のごとし。旣に席を踖まざれば、當に兩手にて裳の前を提げて席の下角に向い、下に從いて升りて己の位に就くべし。必ず唯諾を愼む。唯諾は應對なり。先ず舉げず、問われて乃ち應う。 敬身16 ○禮記に曰く、君子の容は舒遲なり。尊ぶ所の者を見ては齊遬[せいそく]す。謙愨の貌。遬は猶蹙蹙のごとし。足の容は重く、舉るに遲きを欲するなり。手の容は恭しく、高く且つ正しくするなり。目の容は端しく、邪睇して視ざるなり。口の容は止み、妄動せざるなり。聲の容は靜かに、噦欬せざるなり。頭の容は直く、傾顧せざるなり。氣の容は肅み、息せざる者に似る。立つ容は德に、德は得なり。立てば則ち磬折す。人物を授け己に與え、己之を受け得るの形の如くするなり。色の容は莊にす。勃如として戰色あり。 敬身17 ○曲禮に曰く、坐するには尸の如く、立つには齊するが如くす。尸は神の象。尸の如くなれば則ち其の莊を知る可し。齊は其の精誠を致すの至り。齊する如ければ、則ち肅にして靜なることを知る可し。 敬身18 ○少儀に曰く、密なるを窺わず、密は隱處なり。人の私を伺うに嫌し。旁[みだ]りに狎れず、旁は猶妄のごとし。妄りに人と狎れ習うを得ざるなり。舊故を道わず、知識の過失を言う。戲色せず、戲は弄なり。暫く變傾の非常を爲すを言うなり。拔き來ること毋かれ、報き往くこと毋かれ、拔、赴は、皆疾なり。人來往して之く所は、當に宿漸有り、卒にす可からざるなり。神を瀆すること毋かれ、瀆は慢なり。枉れるに循うこと毋かれ、前日の不正は、復た遵う可からず。未だ至らざるを測ること毋かれ、測は意度なり。衣服・成器を訾[おも]うこと毋かれ、訾は思なり。成は猶善のごとし。此を思えば則ち貧を疾む。身[みずか]ら言語を質すこと毋かれ。質は成なり。疑を聞かば則ち疑を傳う。之を成さば、誤り有らんことを恐る。 敬身19 ○論語に曰く、車中にては内顧せず、疾言せず、親指せず。内顧は回視なり。禮に曰く、顧るに轂を過ぎず、と。三の者は皆容を失い且つ人を惑わす。 敬身20 ○曲禮に曰く、凡そ視ること面より上れば則ち敖り、敖は慢なり。敖れば則ち仰ぐ。帶より下れば則ち憂い、憂えば則ち低る。傾けば則ち姦なり。頭を側だて旁視すれば、心正しからざるなり。 敬身21 ○論語に曰く、孔子郷黨に於ては恂恂如たり。言うこと能わざる者に似る。恂恂は信實温恭の貌。言うこと能わざる者に似るは、謙卑遜順、賢知を以て人に先だたざるの意なり。孔子郷黨に居て容貌詞氣此の如し。郷黨は齒を尙ぶ故なり。其れ宗廟・朝廷に在るや便便として言う。唯謹むのみ。便便は辨なり。宗廟は禮法の在る所。朝廷は政事の出る所。言は以て明辨せざる可からず。故に必ず詳問して極めて之を言う。但謹みて放にせざるのみ。朝にして下大夫と言えば、侃侃[かんかん]如たり。上大夫と言えば、誾誾如たり。此れ君未だ朝を視ざる時なり。諸侯の上大夫は卿なり。下大夫は五人なり。侃侃は剛直なり。誾誾は和悦して諍うなり。 敬身22 ○孔子食うに語らず、寢ぬるに言わず。答え述ぶるを語と曰う。自ら言うを言と曰う。聖人心を存して他ならず。食するに當りて食し、寢ぬるに當りて寢ぬ。言語其の時に非ざればなり。或は曰く、肺は氣の主と爲りて聲出づ。寢食すれば則ち氣窒りて通ぜず。語言すれば之を傷んこと恐る。亦通ず。 敬身23 ○士相見禮に曰く、君と言えば臣を使うことを言い、大人と言えば君に事うることを言い、老者と言えば弟子を使うことを言い、幼者と言えば父兄に孝弟ならんことを言い、衆と言えば忠信・慈祥を言い、官に居る者と言えば忠信を言う。臣を使うを言うは、臣を使うの禮なり。大人は卿大夫なり。君に事うるを言うは、臣君に事うるに忠を以てするなり。祥は善なり。 敬身24 ○論語に曰く、席正しからざれば坐せず。聖人の心は正しきに安んず。故に事の小なる者も、正しからざれば則ち處らず。 敬身25 ○子、齊衰者を見れば、狎るると雖も必ず變じ、冕者と瞽者とを見れば、褻ると雖も必ず貌を以てし、齊衰は喪服なり。冕は各々制有り。貴者の盛服なり。瞽は目無き者なり。狎は素親しみ狎れるを謂い、褻は燕見を謂い、貌は禮貌を謂うなり。喪に有るを哀しみ、爵有るを尊び、不成人を矜む。凶服者には之に式し、版を負う者に式す。式は車前の横木なり。敬う所有れば則ち俯して之に憑る。版を負うは、邦國の圖籍を持する者なり。此の二の者を式するは、喪有るを哀しみ、民の數を重んずるなり。周禮に、民數を王に獻ず。王拜して之を受く、と。其の重んずること此の如し。 敬身26 ○禮記に曰く、疾風・迅雷・甚雨有るが若きは、則ち必ず變じ、夜と雖も必ず興き、衣服冠して坐す。天の怒を敬む。 敬身27 ○論語に曰く、寢ぬるに尸せず、居るに容せず。尸は偃臥、死人に似るを謂うなり。惰慢の氣を身體に設けず。其の四體を舒べ布すと雖も、而して未だ嘗て肆にせざるなり。居は居家。容は容儀。容せざるは惰るに非ざるなり。但祭祀に奉じ賓客を見るが若くならざるのみ。申申夭夭、是なり。 敬身28 ○子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。燕居は間暇にして無事の時なり。申申は其の容舒ぶ。夭夭は其の色愉わし。 敬身29 ○曲禮に曰く、並び坐するに肱を横たえず、旁人を害する爲なり。立てるに授くるに跪かず、坐せるに授くるに立たず。尊者俛仰して之を受くるを煩わす爲なり。 敬身30 ○國に入りては馳せず、馳すれば善く人を躪む。里に入りては必ず式す。十室を誣いず。 敬身31 ○少儀に曰く、虛しきを執るには盈つるを執るが如くし、虛しきに入るには人有るが如くす。重く愼む。 敬身32 ○禮記に曰く、古の君子は必ず玉を佩ぶ。德に比す。右に徴・角、左に宮・羽、玉聲の中る所なり。趨るに釆薺[さいし]を以てし、釆薺は詩の篇名。趨る時に歌いて以て節を爲す。行くに肆夏を以てす。堂に登るの樂節。周還は規に中り、反り行くや宜しく圜なるべし。折還は矩に中る。曲り行くや宜しく方なるべし。進めば則ち之を揖し、退けば則ち之を揚ぐ。然して後に玉、鏘[しょう]として鳴る。之を揖するは小しく俛くを謂う。之を揚ぐるは小しく仰ぐを謂う。鏘は聲の貌なり。故に君子車に在れば則ち鸞和の聲を聞き、行けば則ち佩玉を鳴らす。是を以て非辟の心自りて入ること無し。鸞は衡に在り。和は式に在り。自は由なり。君子恆に鸞和佩玉の正聲を聞くを以てす。是を以て非類邪僻の心由りて入ること無し。 敬身33 ○射義に曰く、射る者は進退周還必ず禮に中り、内志正しく外體直くして、然して後に弓矢を持つこと審固なり。弓矢を持つこと審固にして、然して後に以て中るを言う可し。此に以て德行を觀る可し。内正しく外直きは、禮樂を習いて德行有る者なり。 右、威儀の則を明かにす。 敬身34 士冠禮、始加に祝して曰く、令月令吉日始めて元服を加う。令、吉は、皆善なり。元は首なり。爾の幼志を棄て、爾の成德に順わば、壽考まで維れ祺あり。爾の景なる福を介にせん。爾は女なり。旣に冠すれば成德と爲す。祺は祥なり。介、景は、皆大なり。冠するに因りて戒め、且つ之を勸む。女是の如くならば、則ち壽考の祥有りて、女の大なる福を大にせん。再加に曰く、吉月令辰乃ち爾に服を申ぬ。辰は子丑なり。申は重なり。爾の威儀を敬み、淑[よ]く爾の德を愼まば、眉壽萬年永く胡[はる]かなる福を受けん。胡は猶遐のごとし。遠なり。三加に曰く、歳の正を以て、月之令を以て、咸爾の服を加う。正は猶善のごとし。咸は皆なり。皆女の三服を加う。緇布冠皮弁爵弁を謂うなり。兄弟具に在り、以て厥の德を成さば、黄耇[こうこう]まで疆[かぎ]り無くして天の慶を受けん。黄は黄髪なり。耇は凍梨なり。皆壽の徴しなり。 敬身35 ○曲禮に曰く、人の子爲る者は、父母存すれば冠衣に素を純にせず。其の喪の象有る爲なり。純は緣なり。玉藻に曰く、縞冠に素紕す、と。旣祥の冠なり。深衣に曰く、父母を具われば、衣の純靑を以てす、と。孤子の當室は冠衣に釆を純にせず。喪を除[お]えると雖も哀を忘れざるなり。當室は適子なり。子の未だ三十にならざる者を謂う。三十は壯。室を有し親に代わるの端、孤と爲らざるなり。深衣に曰く、孤子は衣の純に素を以てす、と。 敬身36 ○論語に曰く、君子は紺緅[かんすう]を以て飾りとせず、紺は深靑揚赤の色。齊服なり。緅は縫色。三年の喪に以て練服を飾る者なり。飾は領の緣なり。紅紫は以て褻の服と爲さず。紅紫は間色。正しからず。且つ婦人女子の服に近し。褻の服は私居の服なり。暑に當りては袗[ひとえ]の絺綌[ちげき]なり。必ず表して之を出す。袗は單なり。葛の精しき者を絺と曰う。麤き者を綌と曰う。表して之を出すは、先ず裏衣を著け、絺綌を表にして之を外に出すを謂う。其の體を見わさざらんことを欲するなり。詩に彼の縐絺を蒙うと謂う所、是なり。 敬身37 ○喪を去りて、佩びざる所無し。君子故無ければ玉身を去らず。觽礪の屬も亦皆佩ぶるなり。 敬身38 ○孔子は羔裘玄冠して以て弔わず。羔裘は黒羊の皮を用いて之を爲る。喪は素を主とし、吉は玄を主とす。弔うに必ず服を變えるは死を哀む所以なり。 敬身39 ○禮記に曰く、童子は裘せず、帛せず、屨の絇[く]をせず。裘、帛は、温、壯氣を傷るなり。絇は屨頭の飾りなり。未だ成人ならざれば、飾りを盡さざるなり。 敬身40 ○孔子曰く、士、道に志して惡衣・惡食を恥ずる者は未だ與に議するに足らざるなり。心道を求めんと欲して、口體の奉、人に若かざるを以て恥と爲す。其の識趣の卑陋甚しきかな。何ぞ與に道を議するに足らんや。 右、衣服の制を明かにす。 敬身41 曲禮に曰く、食を共にして飽かず。謙るなり。羹飯の大器を共にするを謂う。飯を共にして手を澤せず。澤は捼莎を謂うなり。禮飯は手を以てす。食に臨みて捼莎すれば、人の穢れを爲んことを恐る。摶飯すること毋かれ、飽きんことを欲して謙らざる爲なり。放飯すること毋かれ、放飯は大飯なり。流歠[りゅうせつ]すること毋かれ、流歠は長歠なり。咜食すること毋かれ、咜は、口舌の中に聲を作す。之を薄くするを嫌わん。骨を齧むこと毋かれ、聲有りて敬まざる爲なり。魚肉を反すこと毋かれ、己口を歴るを爲して人を穢さん所を爲す。少牢禮に、尸食う所の餘肉は、皆別に肵俎に致す、と。狗に骨を投げ與うること毋かれ、其の飮食の物を賤しむ爲なり。獲を固くすること毋かれ、取りて獲らざること有れば、固す可からざるなり。飯を揚ぐること毋かれ、黍[しょ]を飯して箸を以てすること毋かれ、羹を嚃[とう]すること毋かれ、疾からんを欲するを嫌わん。揚は熱氣を去るなり。黍を飯するは當に匕を用うべし。嚃は菜を嚼にせざるを謂う。羹を絮[じょ]すること毋かれ、其の味に詳かなる爲なり。絮は猶調のごとし。加うるに鹽梅を以てするを謂う。齒を刺すこと毋かれ、其の口を弄び敬まざる爲なり。醢[かい]を歠[すす]ること毋かれ。亦味に詳なるに嫌しければなり。醢は肉醬なり。醬は宜しく鹹すべし。歠は其の淡き爲故なり。客羹を絮せば、主人亨ること能わずと辭す。客醢を歠れば、主人辭するに窶[く]を以てす。主人の賓を優にするの辭なり。亨は煮なり。窶は貧なり。濡肉は齒にて决[た]ち、濡は濕なり。决は猶斷のごとし。乾肉は齒にて决たず。堅し。宜しく手を用うべし。炙を嘬[さい]すること毋かれ。其の貪る爲なり。嘬は一舉して臠を盡すを謂う。 敬身42 ○少儀に曰く、燕に君子に侍食すれば、則ち先ず飯して後に已む。先ず飯するは君子に先だちて飯す。食を嘗むるが若く、然り。君子食い罷りて後に已む。食を勸むるが若く、然り。放飯すること毋かれ。流歠[りゅうせつ]すること毋かれ。小飯にして之を亟[すみ]やかにし、小飯は小口にして飯す。噦り噎うに備うるなり。凾は疾なり。疾やかに之を咽む。問わるるに備うるなり。數々噍[か]むに、數數之を噍むを謂う。口の容を爲すこと毋かれ。口容は口を弄するなり。 敬身43 ○論語に曰く、食は精を厭わず、膾は細を厭わず。食は飯なり。精は鑿なり。牛羊と魚との腥聶して之を切り膾を爲る。食精なれば則ち能く人を養う。膾麤ければ則ち能く人を害す。厭わざるは、是を以て善と爲し、必ず是の如きを求むると謂うに非ざるを言うなり。食饐して餲し、魚餒[だい]して肉敗れたるは食わず。色惡しきは食わず。臭惡しきは食わず。飪[じん]を失いたるは食わず。時ならざるは食わず。饐は、飯の熱濕に傷らるるなり。餲は味變わるなり。魚爛したるを餒と曰う。肉腐りたるを敗と曰う。色惡しく臭惡しは、未だ敗れずして色臭變わるなり。飪は、烹調生熟の節なり。時ならざるは、五谷成らず、果實未だ熟さざるの類。此の數の者は皆人を傷るに足る。故に食わず。割くこと正しからざれば食わず。其の醬を得ざれば食わず。肉を割きて方正ならざる者は食わず。造次も正しきに離れざるなり。漢の陸續の母は肉を切るに未だ嘗て方ならずんばあらず。葱を斷つに寸を以て度と爲す。蓋し此の意を得るなり。肉を食うに醬を用う。各々宜しき所有り、得ずんば則ち食わざるは、其の備わらざるを惡みてなり。此の二の者は人に害無し。但味を嗜むを以て苟も食わざるのみ。肉多しと雖も食の氣に勝たしめず。惟酒は量無し。亂るるに及ばず。食は穀を以て主と爲す。肉をして食の氣に勝たしめず。酒は以て人の爲に歡を合す。故に量を爲さず。但醉を以て節と爲して亂るるに及ばざるのみ。沽酒・市脯は食わず。沽、市は、皆買なり。精潔ならず、或は人を傷んことを恐る。康子の藥を嘗めざると同意なり。薑を撤せずして食う。薑は神明を通して穢惡を去る。故に徹せず。多く食わず。可く適きて止む。貪る心無きなり。 敬身44 ○禮記に曰く、君故無ければ牛を殺さず、大夫故無ければ羊を殺さず、士故無ければ犬豕[けんし]を殺さず。故は祭祀の屬を謂う。君子は庖厨を遠ざけ、凡そ血氣有るの類は身[みずか]ら踐[ころ]さざるなり。踐は當に翦に爲るべし。聲の誤りなり。此は尋常を謂う。祭祀の事の若きは、則ち身自ら之を爲す。 敬身45 ○樂記に曰く、豕[し]を豢[やしな]い酒を爲るは、以て禍を爲すには非ず。而れども獄訟益々繁きは、則ち酒の流れの禍を生ずればなり。穀を以て犬豕を食わしむるを豢と曰う。爲は作なり。豕を豢い酒を爲るは、本以て祀を享し賢を養いて、小人之を飮み善酗して以て獄訟を致すを言う。是の故に先王因りて酒禮を爲り、一獻の禮に賓主百拜す。終日酒を飮みて醉を得ず。此れ先王の酒の禍に備うる所以なり。一獻は士酒を飮むの禮。百拜は以て多きに喩う。 敬身46 ○孟子曰く、飮食の人は則ち人之を賤しむ。其の小を養いて、以て大を失うが爲なり。小は口腹。大は心志なり。 右、飮食の節を明かにす。 稽古第四 孟子性善を道う。言えば必ず堯・舜を稱す。其の言に曰く、舜は法を天下に爲して後世に傳う可し。我猶未だ郷人爲るを免れず。是れ則ち憂う可し。之を憂えば如何すべき。舜の如くせんのみ、と。往行を摭[と]り、前言を實にし、此の篇を述べて讀む者をして興起する所有らしむ。 稽古1 太任は文王の母、摯の任氏の中女なり。任は姓。文王は周君。摯は國名。王季娶りて以て妃と爲す。太任の性端一誠莊にして、惟れ德を之れ行う。王季は周君。文王の父。其の文王を娠むに及びて目惡色を視ず、耳淫聲を聽かず、口敖言を出ださず。娠は振動。懷妊の意。文王を生みて明聖なり。太任之に敎うるに一を以て百を識る。卒に周宗と爲る。君子、太任は胎敎を能く爲すと謂う。宗は德有り功有りて、百世遷らざるの廟と爲すを謂う。 稽古2 ○孟軻の母、其の舍墓に近し。孟子の少なるや、嬉戲墓間の事を爲し踊躍築埋す。孟母曰く、此れ以て子を居く所に非ざるなり、と。乃ち去りて市に舍す。其の嬉戲賈衒[こげん]を爲す。孟母曰く、此れ以て子を居く所に非ざるなり、と。乃ち徙[うつ]りて學宮の旁に舍す。其の嬉戲乃ち爼豆を設け揖讓進退す。孟母曰く、此れ眞に以て子を居く可し、と。遂に之に居る。孟子の幼なる時、東家に豬を殺す何か爲ると問う。母曰く、汝に啖[くら]わしめんと欲す、と。旣にして悔いて曰く、吾古は胎敎有りと聞く。今適[まさ]に知る有りて之を欺く。是れ之に不信を敎う、と。乃ち豬肉を買いて以て之に食わしむ。旣に長じて學に就き、遂に大儒と成る。 稽古3 ○孔子嘗て獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。鯉は孔子の子。字は伯魚。曰く、詩を學びたるか、と。對えて曰く、未だし、と。詩を學ばざれば以て言うこと無し、と。鯉退きて詩を學ぶ。事理通達して心氣和平す。故に能く言う。他日又獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、禮を學びたるか、と。對えて曰く、未だし、と。禮を學ばざれば以て立つこと無し、と。鯉退きて禮を學ぶ。品節詳明にして、德性堅定す。故に能く立つ。 稽古4 ○孔子、伯魚に謂いて曰く、女周南・召南を爲[まな]びたるか、と。人にして周南・召南を爲ばざれば、其れ猶正に牆に面して立つがごときか、と。爲は學に猶[おな]じ。周南召南は詩の首篇の名。言う所は皆身を脩め家を齊うる事。正に牆に面して立つは、其の至近の地に卽き、已に見る所無く、行く可からざるを謂うなり。 右、立教なり。 稽古5 虞舜は父頑に、母嚚に、象傲る。克く諧[かな]うるに孝を以てし、烝烝たり。乂[おさ]めて姦に格らざらしむ。虞は氏。舜は名。父は瞽叟。心、德義の經に則らざるを頑と爲す。母は瞽叟の後妻。舜の繼母なり。口、忠信の言を道わざるを嚚と爲す。象は舜の後母の弟。傲は慢で友ならず、並に惡を言う。諧は和。烝は進なり。能く至孝を以て頑嚚昏傲を諧和し、進に進みて善を以て自ら治めて姦惡に至らざらしむるを言う。史記に云う、舜の父瞽叟は盲にて、舜の母死す。瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲る。瞽叟は後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及び、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順い事うる。日に以て篤く謹みて懈る有るに匪ず。 稽古6 ○萬章問いて曰く、舜田に往きて旻天に號泣す。何爲れぞ其れ號泣するや、と。孟子曰く、怨み慕うなり。我力を竭して田を耕し子爲るの職を共するのみ。父母の我を愛せざるは、我に於て何ぞや、と。旻天に號泣すは、天を呼びて泣くなり。怨み慕うは、己の其の親に得られざるを怨みて思い慕うなり。我に於て何ぞやは、自ら己に何の罪有るかを知らざるを責むるのみ。父母を怨むに非ざるなり。帝其の子の九男二女をして百官・牛羊・倉廩を備えて、以て舜に畎畝の中に事えしむ。天下の士之に就く者多し。帝將に天下を胥[ひき]いて之に遷さんとす。父母に順ならざるが爲に、窮人の歸する所無きが如し。帝は堯なり。胥は相視るなり。之を遷すは、移して以て之に與うるなり。窮人の歸する所無きが如しは、其の怨慕迫切の甚しきを言うなり。天下の士之を悅ぶは人の欲する所なり。而して以て憂いを解くに足らず。好色は人の欲する所なり。帝の二女を妻として、而して以て憂いを解くに足らず。富は人の欲する所なり。富天下を有して而して以て憂いを解くに足らず。貴は人の欲する所なり。貴きこと天子と爲りて、而して以て憂いを解くに足らず。人之を悅ぶこと、好色・富貴あるも、以て憂いを解くに足る者無し。惟父母に順にして以て憂いを解く可し。人少なれば則ち父母を慕い、好色を知れば則ち少艾[しょうかい]を慕い、妻子有れば則ち妻子を慕い、仕うれば則ち君を慕い、君に得られざれば則ち中に熱す。艾は美好なり。得られずは、意を失うなり。中に熱するは、躁急にして心熱するなり。大孝は身を終 うるまで父母を慕う。五十にして慕う者は予大舜に於て之を見る、と。 稽古7 ○楊子曰く、父母に事えて自ら足らざるを知る者は其れ舜か。得て久しくす可からずとは、親に事うるの謂なり。孝子は日を愛[お]しむ。 稽古8 ○文王の世子爲るや、王季に朝すること日に三たび。雞初めて鳴きて衣服して寢門の外に至り、内豎の御者問いて曰く、今日の安否如何、と。内豎曰く、安し、と。文王乃ち喜ぶ。内豎は小臣。内外の命を通ずるを掌る。日中に及びて又至りても亦之の如し。莫に及びて又至りても亦之の如し。莫は夕なり。其れ節に安んぜざること有れば、則ち内豎以て文王に告ぐ。文王色憂えて、行くに正しく履むこと能わず。節の謂いは居處、故事の履蹈の地なり。王季膳に復りて、然して後に亦初めに復る。食上れば必ず寒暖の節を在視し、食下れば膳する所を問い、膳宰に命じて曰く、原[ふたた]びすること有る末[な]かれ、と。應えて曰く、諾、と。然して後に退く。在は察なり。末は猶勿のごとし。原は再なり。再び進むる所有る勿かれは、其の飪を失い、臭味の惡からん爲なり。退は其の寢に反るなり。 稽古9 ○文王疾有れば、武王冠帶を說かずして養う。文王一たび飯すれば亦一たび飯す。文王再び飯すれば亦再び飯す。氣力は箴藥の勝る所を知らんことを欲す。 稽古10 ○子曰く、武王・周公は其れ達孝なるかな。夫れ孝とは善く人の志を繼ぎ、善く人の事を述ぶる者なり。武王・周公は文王の子。達は通なり。天下通共の孝を言うなり。其の位に踐[のぼ]り、其の禮を行い、其の樂を奏し、其の尊ぶ所を敬い、其の親しむ所を愛す。死に事うること生に事うるが如く、亡に事うること存に事うるが如し。孝の至りなり。踐は升なり。其は先王なり。尊ぶ所、親しむ所は、先王の祖考・子孫・臣庶なり。始めて死する、之を死と謂う。旣に葬せば則ち反て亡と曰う。皆先王を指すなり。此れ皆志を繼ぎ事を述ぶるの意なり。 稽古11 ○淮南子に曰く、周公の文王に事うるや、行い、專制すること無く、事、己に由ること無く、身、衣に勝えざるが若く、言、口より出でざるが若し。文王に奉持すること有れば、洞洞屬屬として將に勝えざらんとするが如く、之を失わんことを恐るるが如し。子たるを能くすと謂う可し。 稽古12 ○孟子曰く、曾子、曾晳を養うに必ず酒肉有り。將に徹せんとして必ず與うる所を請う。餘り有るかと問えば必ず有りと曰う。曾子は孔子の弟子。名は參。曾皙は曾子の父。名は點。徹は去るなり。有りと曰うは、親の意、更に人に與えんと欲するを恐るるなり。曾晳死す。曾元、曾子を養うに必ず酒肉有り。將に徹せんとして與うる所を請わず。餘り有るかと問わば亡しと曰う。將に以て復た進めんとするなり。此れ口體を養うと謂う所の者なり。曾元は曾子の子。曾子の若きは則ち志を養うと謂う可し。親に事うるに曾子の若き者は可なり。志を養うは、父母の志を承け順いて、之を傷るに忍びざるなり。 稽古13 ○孔子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母・昆弟の言を間[そし]らず。閔子騫は孔子の弟子。名は損。父母昆弟、其の孝友を稱し、人異詞無し。 稽古14 ○老萊子二親に孝奉す。行年七十にして嬰兒の戲を作し、身に五色斑斕[はんらん]の衣を著る。嘗て水を取りて堂に上り、詐りて跌[つまず]き仆れて地に臥し、小兒の啼を爲し、雛を親の側に弄す。親の喜ばんことを欲するなり。 稽古15 ○樂正子春、堂より下りて其の足を傷う。數月出でず。猶憂色有り。門弟子曰く、夫子の足瘳[い]ゆ。數月出でず。猶憂色有るは何ぞや、と。樂正子春曰く、善いかな爾の問の如きや。善いかな爾の問の如きや。吾諸を曾子に聞き、子春は曾參の弟子。曾子諸を夫子に聞く。曰く、天の生ずる所、地の養う所、人より大爲るは無し。父母全くして之を生む。子全くして之を歸すは孝と謂う可し。其の體を虧[か]かず、其の身を辱しめざるは、全くすと謂う可し。故に君子は頃歩[きほ]にして敢て孝を忘れず。頃は當に跬に爲るべし。一たび足を舉ぐるを跬と爲す。再び足を舉ぐるを歩と爲す。今予孝の道を忘る。予是を以て憂色有るなり、と。一たび足を擧げて敢て父母を忘れず。是の故に道にして徑[こみち]せず、舟にして游がず。敢て先父母の遺體を以て殆きに行かず。壹たび言を出して敢て父母を忘れず。是の故に惡言口に出さず、忿言身に反らず、其の身を辱しめず、其の親を羞しめずして、孝と謂う可し。人、忿怒の言無きこと能わず。當に其の直に由るべし。直なれば則ち人服し、敢て忿言を以て來らざるなり。 稽古16 ○伯兪過有り、其の母之を笞つに泣く。其の母曰く、他日子を笞つに未だ嘗て泣かず、今泣くは何ぞや、と。對えて曰く、兪罪を得て笞たるれば常に痛む。今母の力、痛らしむる能わず。是を以て泣く、と。故に曰く、父母之を怒るに、意を作[おこ]さず、色に見わさず、深く其の罪を受けて哀憐す可からしむるは、上なり。父母之を怒るに、意を作さず、色に見わさざるは、其の次なり。父母之を怒るに、意を作し、色に見わすは、下なり。 稽古17 ○公明宣、曾子に學び三年書を讀まず。曾子曰く、宣、而[なんじ]參の門に居ること三年、學ばざるは何ぞや、と。公明宣曰く、安んぞ敢て學ばざらんや。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば叱咤の聲未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を說び、學びて未だ能くせず。宣、夫子の賓客に應ずるを見るに、恭儉にして懈惰せず。宣、之を說び、學びて未だ能くせず。宣、夫子の朝廷に居るを見るに、嚴に下に臨みて毀い傷らず。宣、之を說び、學びて未だ能わず。宣、此の三の者を說び、學びて未だ能わず。宣、安んぞ敢て學ばずして夫子の門に居らんや、と。 稽古18 ○少連・大連善く喪に居る。三日怠らず、三月解[おこた]らず、期に悲哀し、三年に憂う。怠は惰なり。解は倦なり。期は周年なり。東夷の子なり。其の夷狄に生まれて自ら禮を知るを言うなり。 稽古19 ○高子皐の親の喪を執るや、泣血三年、未だ嘗て齒を見わさず。君子以て難しと爲す。子皐は孔子の弟子。名は柴。泣血は、泣きて聲無く、血出るが如きを言う。未だ嘗て齒を見わさずは、笑いの微きを言う。 稽古20 ○顏丁、善く喪に居る。始めて死すれば、皇皇焉として、求むること有りて得ざるが如し。旣に殯すれば、望望焉として從うこと有りて及ばざるが如し。旣に葬れば、慨然として及ばざるが如し。其れ反りて息す。顏丁は魯人。從は隨なり。慨は憊なり。 稽古21 ○曾子疾有り、門弟子を召して曰く、予が足を啓け。予が手を啓け。啓は開なり。曾子以て身體髪膚を父母に受け、父母旣に全くして之を生む。子當に全くして之を歸すべしと爲す。故に平日保ち守りて敢て毀い傷らず。此に至りて將に死せんとす。故に弟子をして其の衾を開かせて之を視せしめ、其の歸すの全きを見わす。詩に云う、戰戰兢兢として深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し、と。今にして而して後、吾免るることを知るかな、小子、と。詩は小旻の篇。旣に其の歸す所の全きを以て門人に示して、又其の之を全くする所以の難きを言うこと此の如し。免は、旣に死して、然して後に毀い傷ることを免るるを得るを謂う。小子は門人なり。之を呼ぶは、其の言を記さしむるためなり。 稽古22 ○箕子は紂の親戚なり。箕は國。子は爵。紂は商王、帝辛。紂始めて象箸を爲る。箕子歎じて曰く、彼象箸を爲る、必ず玉桮を爲らん。玉桮を爲らば則ち必ず遠方珍怪の物を思いて之を御[もち]いん。輿馬・宮室の漸、此より始まり振[すく]う可からず、と。紂淫泆を爲す。箕子諫む。紂聽かずして之を囚う。人或は曰く、以て去る可し、と。箕子曰く、人の臣と爲り諫め聽かれずして去るは、是れ君の惡を彰かにして自ら民に說ばるるなり。吾爲すに忍びず、と。乃ち髪を被り佯狂して奴と爲り、遂に隱れて琴を皷して以て自ら悲しむ。故に之を傳えて箕子操と曰う。王子比干も亦紂の親戚なり。箕子の諫めて聽かれずして奴と爲るを見て則ち曰く、君過ち有りて死を以て爭わずんば、則ち百姓何の辜[つみ]かある、と。乃ち直言して紂を諫む。紂怒りて曰く、吾聖人の心に七の竅有りと聞く、信[まこと]に諸有るか、と。乃ち遂に王子比干を殺し、刳[さ]きて其の心を視る。微子曰く、父子は骨肉有りて臣主は義を以て屬す。微子、名は啓、帝乙の子。紂の庶兄。故に父過ち有り、子三諫して聽かれざれば、則ち隨いて之に號[さけ]ぶ。人臣三諫して聽かれざれば、則ち其の義以て去る可し、と。是に於て遂に行[さ]る。孔子曰く、殷に三仁有り、と。 稽古23 ○武王紂を伐つ。伯夷・叔齊馬を叩[ひか]えて諫む。左右之を兵せんと欲す。伯夷・叔齊は孤竹君の子。兵は之を殺すを謂うなり。太公曰く、此れ義人なり。扶けて之を去る。武王已に殷の亂を平げ天下周を宗として、伯夷・叔齊之を恥じ、義、周の粟を食わず、首陽山に隱る。薇を釆りて之を食ふ。遂に餓して死す。 稽古24 ○衛の靈公、夫人と夜坐し、車聲轔轔として闕に至りて止み、闕を過ぎて復た聲有るを聞き、轔は車の聲。公、夫人に問いて曰く、此れ誰と謂うを知るか、と。夫人曰く、此れ蘧伯玉なり、と。伯玉、名は瑗。孔子衛に居りて其の家を主とす。公曰く、何を以て之を知る、と。夫人曰く、妾、禮に、公門を下り路馬に式すは、敬を廣むる所以なりと聞く、と。路馬は君の路車。駕する所の馬なり。夫れ忠臣と孝子とは、昭昭の爲に節を信[の]べず、冥冥の爲に行を惰らず。蘧伯玉は、衛の賢大夫なり。仁にして智有り。上に事うるに敬む。此れ其の人必ず闇昧を以て禮を廢せず。是を以て之を知る。公人をして之を視せしむ。果して伯玉なり。 稽古25 ○趙襄子、智伯を殺し、其の頭に漆して以て飮器と爲す。二人は皆晉の大夫。智伯の臣豫讓、之が爲に仇を報いんことを欲し、乃ち詐りて刑人と爲り、匕首を挾みて襄子の宮中に入り、廁を塗る。左右之を殺さんと欲す。襄子曰く、智伯死し、後無くして此の人爲に仇を報いんと欲す。眞の義士なり。吾謹みて之を避けんのみ、と。讓又身を漆して癩と爲り、炭を呑みて啞と爲り、市に行乞す。其の妻も識らざるなり。其の友之を識り、之が爲に泣きて曰く、子の才を以て趙孟に臣とし事うれば必ず近幸を得ん。子乃ち爲さんと欲する所を爲さば、顧うに易からざらんや。何ぞ乃ち自ら苦しむこと此の如きや、と。讓曰く、質を委き臣と爲りて之を殺さんことを求む、是れ二心なり。吾が此を爲す所以は、將に以て天下後世の人の臣と爲りて、二心を懐く者を愧しめんとするなり。後に又橋下に伏して襄子を殺さんと欲す。襄子之を殺す。 稽古26 ○王孫賈、齊の閔王に事う。王出でて走る。賈、王の處を失う。其の母曰く、女朝に去きて晩に來れば、則ち吾門に倚りて望み、女莫に出でて還らざれば、則ち吾閭に倚りて望む。女今王に事え、王出で走るも、女其の處を知らず。女尙何ぞ歸るや、と。王孫賈乃ち市中に入りて曰く、淖齒齊の國を亂り閔王を殺せり。我と齒を誅せんと欲する者は右を袒せよ、と。市人之に從う者四百人、與に淖齒を誅し、刺して之を殺す。 稽古27 ○臼季使して冀を過ぎ、臼季は胥臣の字。冀は晉の邑。冀の缺[けつ]の耨[くさぎり]て、其の妻の之に饁[よう]するに、敬みて相待つこと賓の如くなるを見て、之と歸り、諸を文公に言いて、文公は晉君。名は重耳。曰く、敬は德を之れ聚むるなり。能く敬めば、必ず德有り。德は以て民を治む。君之を用いんことを請う。臣、門を出づるに賓の如く、事を承るに祭の如くなるは、仁の則なりと聞く、と。文公以て下軍大夫と爲す。 稽古28 ○公父文伯の母は、季康子の從祖叔母なり。文伯は魯の大夫、公父歜。母は敬姜なり。康子は魯の正卿。名は肥。康子往くに、門を■(門に爲)[ひら]きて之と言い、皆閾[よく]を踰えず。■(門に爲)は闢なり。閾は門限なり。仲尼之を聞きて、以て男女を別つの禮と爲す。 稽古29 ○衛の共姜は、衛の世子共伯の妻なり。共伯蚤く死す。共姜義を守る。父母奪いて之を嫁せんと欲す。共姜許さず。柏舟の詩を作りて、死を以て自ら誓う。 稽古30 ○蔡人の妻は宋人の女なり。旣に嫁して夫惡疾有り。其の母將に之を改め嫁せんとす。女曰く、夫の不幸は乃ち妾の不幸なり。奈何ぞ之を去らん。人に適くの道、壹たび之と醮[しょう]すれば、身を終うるまで改めず。不幸にして惡疾に遇う。彼に大故無く、又妾を遣らず。何を以て去ることを得ん、と。終に聽かず。酌して酧酢無きを醮と曰う。昏禮賛者三たび婿婦に酳して、自ら酢う。婿婦與に之れ酧せざるなり。 稽古31 ○萬章問いて曰く、象は日に舜を殺すを以て事と爲す。立ちて天子と爲りて、則ち之を放つは何ぞや、と。孟子曰く、之を封ずるなり。或ひと曰く、放つ、と。萬章は孟子の弟子。放は猶置のごとし。何ぞ誅せざると問うなり。孟子は、舜は實に之を封じて、或者は誤ちて以て放つと爲すと言うなり。仁人の弟に於るや怒を藏さず、怨を宿[とど]めず。之を親愛するのみ、と。怒を藏すは、其の怒を藏し匿すを謂う。怨を宿むは、其の怨を留め蓄うるを謂う。 稽古32 ○伯夷・叔齊は孤竹君の二子なり。父叔齊を立てんと欲す。父卒するに及びて、叔齊、伯夷に讓る。伯夷曰く、父の命なり、と。遂に逃げ去る。叔齊も亦立つを肯[したが]わずして之を逃る。國人其の中子を立つ。 稽古33 ○虞・芮[ぜい]の君、相與に田を爭い、久しくして平がず。乃ち相謂いて曰く、西伯は仁人なり。盍[なん]ぞ往きて質さざらん、と。乃ち相與に周に朝す。其の境に入れば、則ち耕す者は畔を讓り、行く者は路を讓る。其の邑に入れば、男女路を異にし、班白は提挈せず。其の朝に入れば、士は大夫と爲るを讓り、大夫は卿と爲るを讓る。二國の君感じて相謂いて曰く、我等は小人なり。以て君子の庭を履む可からず、と。乃ち相讓りて、其の爭う所の田を以て間田と爲して退く。天下之を聞きて、歸する者四十餘國あり。 稽古34 ○曾子曰く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有りて無きが若く、實にて虛きが若く、犯して校らず。昔、吾が友嘗て事を斯に從う。友は顏淵を指すなり。 稽古35 ○孔子曰く、晏平仲善く人と交わる。久しくして之を敬う。晏平仲は齊の大夫。名は嬰。 右、明倫なり。 稽古36 孟子曰く、伯夷は目に惡色を視ず、耳に惡聲を聽かず。 稽古37 ○子游は武城の宰爲り。子曰く、女人を得たるか、と。曰く、澹臺滅明なる者有り。行くに徑に由らず、公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らず、と。子遊は孔子の弟子。姓は言。名は偃。武城は魯の下邑。澹臺は姓。滅明は名。字は子羽。徑は路の小にして捷き者。公事は飮射讀法の類の如し。 稽古38 ○高柴、孔子を見てより、足は影を履まず、啓蟄は殺さず、方長は折らず。高柴は卽ち高子皐なり。影を履まずは、敢て孔子の影を履まざるを謂う。敬の至りなり。啓蟄は、蟲獸胎卵の時。長は草木の發生するを謂うなり。折は毀い折るなり。衛の輒[ちょう]の難に、出づれば門閉ず。或ひと曰く、此に徑有り、と。子羔曰く、吾之を聞く、君子は徑よりせず、と。曰く、此に竇[とう]有り、と。子羔曰く、吾之を聞く、君子は竇よりせず、と。間[しばら]く有りて使者至り、門啓きて出づ。 稽古39 ○南容白圭を三復す。南容は孔子の弟子。名は适。白圭は大雅。抑の篇の辭に曰く、白圭の玷たるは、尙磨く可し。斯の言の玷たるは、爲む可からず、と。南容一日に此の語を三復す。蓋し言を愼むに意有るなり。孔子、其の兄の子を以て之に妻す。妻は、女を以て之の妻と爲すなり。 稽古40 ○子路、宿して諾すること無し。子路は、孔子の弟子。姓は仲。名は由。宿は豫なり。時に臨み故多からんことを恐る。故に豫め諾せず。 稽古41 ○孔子曰く、敝[やぶ]れたる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由や。敝は壞なり。縕は枲著なり。袍は衣の著有る者なり。蓋し衣の賤しき者。狐貉は獸の名。其の皮を以て裘を爲る。衣の貴き者。立つは竝び立つなり。恥は其の如からざるを愧じるなり。其の貧富を以て其の心を動かさざるを言うなり。 稽古42 ○鄭の子藏、宋に出犇す。聚鷸冠[しゅういつかん]を好む。鄭は國の名。子藏は鄭文公の子。宋は國の名。鷸は鳥の名。鷸の羽を聚めて以て冠に爲る。鄭伯聞きて之を惡み、盗をして之を殺さしむ。君子曰く、服の衷[かな]わざるは身の災いなり。詩に曰く、彼の子其の服に稱[かな]わず、と。子藏の服稱わざるかな、と。衷は猶適のごとし。詩は曹風候人の篇。 稽古43 ○公父文伯朝より退き、其の母に朝す。其の母方に績げり。文伯曰く、歜の家を以てして主猶績ぐか、と。其の母歎じて曰く、魯は其れ亡びんか。僮子をして官に備わしむ。而[なんじ]未だ之を聞かざるや。居れ、吾女に語げん。夫れ民勞すれば則ち思う。思えば則ち善心生ず。逸すれば則ち淫す。淫すれば則ち善を忘る。善を忘るれば則ち惡心生ず。沃土の民は材ならず。淫すればなり。瘠土の民は義に嚮[む]かわざること莫し。勞すればなり。是の故に王后は親から玄紞[げんたん]を織り、公侯の夫人は加うるに紘・綖を以てし、卿の内子は大帶を爲り、命婦は祭服を成し、列士の妻は之に加うるに朝服を以てす。庶士より以下は皆其の夫に衣す。社にして事を賦り、烝にして功を獻り、男女績を效[いた]し、愆[あやま]てば則ち辟有り。古の制なり。玄は黒色。紞は冠の前後に垂るる者。紘は纓の緌無き者。下に從して上りて結ばず。綖は冕上の覆う者。内子は卿の適妻なり。大帶は緇帶なり。命婦は大夫の妻なり。列士は元士なり。庶士は下士なり。社は春分。社に祭るなり。事は農桑の屬なり。冬の祭を烝と曰う。烝にして五穀布帛の功を獻るなり。吾、而の朝夕我を脩めて必ず先人を廢すること無かれと曰わんことを冀うに、爾今胡[なん]ぞ自ら安んぜずと曰う。是を以て君の官を承く。余、穆伯の嗣を絶たんことを懼る、と。 稽古44 ○孔子曰く、賢なるかな回や。一簞の食、一瓢の飮、陋巷に在り。人其の憂いに堪えず。回や其の樂を改めず。賢なるかな囘や。囘は孔子の弟子。姓は顏。字は子淵。簞は竹器。食は飯なり。瓢は瓠なり。貧窶を以て其の心を累わして、而して其の樂しむ所を改めざるを言うなり。 右、敬身なり。 稽古45 衛の莊公、齊の東宮得臣の妹を娶る。莊姜と曰う。美にして子無し。又陳に娶る。厲嬀と曰う。孝伯を生む。早く死す。其の娣戴嬀、桓公を生む。莊姜以て己の子と爲す。衛は國の名。莊公は衛の君。齊は國の名。東宮は太子。得臣は齊の太子の名。姜は齊の姓。娣は女弟の嫁に從う者。嬀は陳の姓。厲、戴は皆謚なり。桓公、名は完。公子州吁[しゅうく]は嬖人[へいじん]の子なり。寵有りて兵を好む。公禁ぜず。莊姜之を惡む。嬖は親幸なり。石碏諫めて曰く、臣、子を愛し之に敎うるに義方を以てし、邪に納れず。驕奢淫泆は自りて邪なる所なり。四の者の來るは寵祿過ぐればなりと聞く。石碏は衛の大夫。方は道なり。夫れ寵して驕らず、驕りて能く降し、降して憾[うら]みず、憾みて能く眕する者は鮮し。憾は恨。眕は重なり。其の身を降せば則ち必ず恨む。恨めば則ち亂を思いて、自ら安んじ自ら重んずること能わず。且つ夫れ賤の貴を妨げ、少の長を陵ぎ、遠の親を間[へだ]て、新の舊を間て、小の大に加え、淫の義を破るは、六逆と謂う所なり。君義に、臣行い、父慈に、子孝に、兄愛し、弟敬すは、六順と謂う所なり。臣は君の義を行う。順を去りて逆を效うは禍を速[まね]く所以なり。人に君たる者は將に禍は是れ務めて去らんとす。而るに之を速くは不可なること無からんや、と。 稽古46 ○劉康公、成肅公、晉侯に會して秦を伐つ。成子脤[しん]を社に受けて敬しまず。脤は、社に宜するの肉。盛るに脤器を以てす。故に脤と曰う。宜は、兵を出して社を祭るの名。劉子曰く、吾之を聞く、民は天地の中を受けて以て生まる。謂う所の命なり。是を以て動作・禮義・威儀の則有り、以て命を定む。能くする者は之を養いて以て福し、能くせざる者は敗りて以て禍を取る、と。是の故に君子は禮を勤め、小人は力を盡す。禮を勤むるには敬を致すに如くは莫し。力を盡すには篤を敦くするに如くは莫し。敬は神を養うに在り。篤は業を守るに在り。國の大事は祀と戎とに在り。祀に膰[はん]を執ること有り、戎に脤を受くること有るは、神の大節なり。膰は祭の肉。神に交わるの大節なり。今成子惰る。其の命を棄つ。其れ反らざらんか、と。 稽古47 ○衛侯楚に在り、北宮文子、令尹圍の威儀を見て、文子、名は括。圍は楚の公子の名。衛侯に言いて曰く、令尹は其れ將に免れざらんとす。詩に云う、威儀を敬み愼む、維れ民の則、と。令尹威儀無し。民則ること無し。民の則らざる所を以て民の上に在り。以て終うる可からず、と。公曰く、善いかな。何を威儀と謂う、と。對えて曰く、威有りて畏る可き、之を威と謂う。儀有りて象る可き、之を儀と謂う。君に君の威儀有れば、其の臣畏れて之を愛し、則りて之を象る。故に能く其の國家を有[たも]ち、令聞世に長し。臣に臣の威儀有れば、其の下畏れて之を愛す。故に能く其の官職を守り、族を保ち、家に宜し。是より以下皆是の如し。是を以て上下能く相固し。衛の詩に曰く、威儀棣棣たり、選う可からず、と。棣棣は富みて閑うなり。選は數なり。君臣・上下・父子・兄弟・内外・大小、皆威儀有るを言うなり。周の詩に曰く、朋友攸[もっ]て攝[たす]く、攝くるに威儀を以てす、と。攸は所なり。攝は依なり。朋友の道は、必ず相敎訓するに威儀を以てするを言うなり。故に君子位に在りて畏る可く、施舍愛す可く、進退度とす可く、周旋則る可く、容止觀る可く、作事法る可く、德行象る可く、聲氣樂しむ可く、動作文有り、言語章有り、以て其の下に臨む。之を威儀有りと謂う、と。 右、通論なり。 小學内篇終。 小學外篇 嘉言78 ○范益謙の座右の戒に曰く、 一に朝廷の利害、邊報の差除を言わず。 二に州縣官員の長短得失を言わず。 三に衆人作す所の過惡を言わず。 四に仕進官職、時に趨き勢いに附くことを言わず。 五に財利の多少、貧を厭い富を求むることを言わず。 六に淫媟戲慢、女色を評論することを言わず。 七に人の物を求め覓[もと]め、酒食を干め索むることを言わず。 又曰く、 人書信を附かば、開拆沈滯す可からず。 人の私書を發き人の信物を拆く。甚しき者は、結て仇怨と爲る。余人の附ける所の書物を得ては、至親卑幼の者と雖も、亦未だ嘗て輒く留めず。必ず爲に附け至る。人の某の處に於て問訊于求するを託し、事理に順うに非ずして、己の力及ばざる者の若きに及びては、則ち至誠に辭して之を却く可し。已に之を諾するが若きは、則ち必ず須く欲する所を達すべし。聽くと聽かざるとに至りては、則ち其の人に在り。 人と並び坐しては、人の私書を窺う可からず。 凡そ賓客と對坐し、及び人家に往き、人親戚の書を得るを見るは、切に往きて觀、及び目を注ぎて偸み視る可からず。膝を屈し並び坐して、目力及ぶ可きが若きは、則ち身を斂めて退き、其の書を収むるを候ちて、方に復た進みて以て前話を續け、其の人書を几上に置くが若きは、亦取りて觀る可からず。須く其の人某に惠む所の書と云い、足下之を觀んことを請うと云うを俟ちて、方に一看す可かるべし。書中の事の若きは、大小と無く以て戲謔の語に至るまで、皆他處に於て復た說く可からず。 凡そ人の家に入りては、人の文字を看る可からず。 凡そ人の家に入り、几案の上及び書攀の内に於て、人家の書簡及び記事の冊子、錢穀の文暦を飜看す可からず。人文字を將て己をして看せしむるが若きは、切に背後に於て觀る可からず。皆無德の一端なり。 凡そ人の物を借りては、損壞し還さざる可からず。 凡そ一物を借るに、上は書冊に至り下は器用に至るまで苟も己むを得る者は、則ち須く借るべからず。己むを獲ざるが若きは、則ち須く愛護すること己の物に過ぎ、看用纔に畢らば卽時歸還すべし。切に借るを以て名と爲し、意は没納に在り、及び愛惜を加えず、損壞有るに至る可からず。大率豪氣なる者は己の物に於て多く自愛せず。人の物を借るが若き、豈亦此の如くなる可けんや。此れ豪氣を用うる所に非ず。乃ち無德の一端なり。 凡そ飮食喫しては、揀擇[れんたく]し去取す可からず。 凡そ飮食は、蒸餅は皮を去り、饅頭は蔕を去り、肉は脂皮を去るの類。皆成人の爲る所に非ず。乃ち癡騃無知のみ。生硬臭惡と己の宿疾を犯すとの物に非ざるよりは、豈食う可からざるの理有らんや。 人と同じく處りては、自ら便利を擇ぶ可からず。 凡そ人と同坐して、夏は則ち己凉處を擇み、冬は則ち己暖處を擇み、及び人と共に食いて多く取り先ず取る。皆無德の一端なり。 人の富貴を見ては、歎羨詆毀す可からず。 富貴の高下は人の共に知る所。親戚相識を見て輒く其の富貴を稱す。其の實を得るが若きは、卽ち是れ歎羨す。義命を知らざるを見る可し。實を得ざるが若きは、?ち是れ嫉疾す。心を用うることの佳ならざる、此より甚しと爲るは莫し。 凡そ此の數事之を犯す者有れば、以て意を用うるの不肖を見るに足る。心を存し身を脩むるに於て大いに害する所有り。因りて書して以て自ら警む。 嘉言79 ○胡子曰く、今の儒者、文藝を學び仕進を于むるの心を移して、以て其の放心を收めて其の身を美しくせば、則ち何ぞ古人に之れ及ぶ可からざらんや。父兄文藝を以て其の子弟に令し、朋友仕進を以て相招く。往きて返らざれば則ち心始めて荒[すさ]みて治まらず。萬事の成ること咸古先に逮[およ]ばず。 嘉言80 ○顏氏家訓に曰く、夫れ讀書學問する所以は、本心を開き、目を明かにし、行に利せんことを欲するのみ。未だ親を養うを知らざる者は、其の古人の意に先だち、顏を承け、聲を怡ばし、氣を下し、劬勞を憚らずして以て甘腝[かんなん]を致すを觀、惕然として慙懼し、起ちて之を行わんことを欲するなり。未だ君に事うることを知らざる者は、其の古人の職を守りて侵さるること無く、危を見ては命を授け、誠諫を忘れずして以て社稷を利するを觀、惻然として自ら念思し之を效わんことを欲するなり。素より驕奢なる者は、其の古人の恭儉にして用を節し、卑くして以て自ら牧[やしな]い、禮は敎の本と爲り、敬は身の基なるを觀、瞿然[くぜん]として自ら失い、容を斂め志を抑えんことを欲するなり。素より鄙吝なる者は、其の古人の義を貴び、財を輕んじ、私を少くし、慾を寡くし、盈つるを忌み、滿つるを惡み、窮せるを賙[にぎ]わし、匱しきを卹[めぐ]むを觀、赧然[たんぜん]として悔い恥じ、積みて能く散さんことを欲するなり。素より暴悍なる者は、其の古人の心を小にし、己を黜[しりぞ]け、齒弊[やぶ]れ舌存し、垢を含み疾を藏し、賢を尊び衆を容るるを觀、苶然[でつぜん]として沮喪し、衣に勝えざるが若くならんことを欲するなり。素より怯懦なる者は、其の古人の生に達し命を委[す]て、強毅正直、言を立つるに必ず信、福を求めて回らざるを觀、勃然として奮厲し、恐懼す可からざらんことを欲するなり。茲を歴て以往、百行皆然り。縱い淳なること能わざるとも、泰を去り甚を去り、之を學びて知る所、施して達せざること無し。世人書を讀むに、但能く之を言い、之を行うこと能わず。武人俗吏の共に嗤詆[ちてい]する所は、良[まこと]に是に由るのみ。又數十卷の書を讀むこと有れば、便ち自ら高大にし、長者を陵忽し、同列を輕慢す。人之を疾むこと讎敵の如く、之を惡むこと鴟梟[しきょう]の如し。此の如きは學を以て益を求むも、今反て自ら損す。學無きに如かざるなり。 嘉言81 ○伊川先生曰く、大學は孔氏の遺書にして、初學德に入るの門なり。今に於て古人の學を爲むる次第を見る可きは、獨り此の篇の存するに頼[よ]る。而して其の他は則ち未だ論孟の如き者有らず。故に學者は必ず是に由りて學ばば、則ち其の差わざるに庶からん。 嘉言82 > ○凡そ語孟を看るには、且く須く熟讀玩味し、聖人の言語を將て己に切にすべし。只一場の話說とのみ作す可からず。此の二書を看得て己に切ならば、身を終うるまで儘[きわ]めて多し。 嘉言83 ○論語を讀む者は、但弟子の問う處を將て便ち己の問いと作し、聖人の答うる處を將て便ち今日の耳聞と作さば、自然に得ること有らん。能く論・孟の中に於て深く求め玩味し、將[も]ち來て涵養し成るが若きは、甚だ氣質を生ぜん。 嘉言84 ○横渠先生曰く、中庸の文字軰は直[ただ]須く句句理會し過ぎ、其の言を互に相發明せしむべし。 嘉言85 ○六經は須く循環して理會すべし。儘[きわ]めて窮まり無し。自家一格を長じ得るを待ちて、則ち又見得て別ならん。 ★★ 嘉言86 ○呂舍人曰く、大抵後生學を爲むるには、先ず須く學を爲むる所以の者は何事ぞと理會すべし。一行一住、一語一默、須く盡く道理に合わんことを要すべし。學業は則ち須く是れ嚴に課程を立つべし。一日も放慢す可からず。每日須く一般の經書、一般の子書を讀むべし。多くを須[もち]いず。只精熟せしめんことを要す。須く靜室に危坐し讀取すること二三百遍すべし。字字句句須く分明ならんことを要すべし。又每日須く前の三五授を連ねて、通讀すること五七十遍すべし。須く誦を成さしむべし。一字も放過す可からざるなり。史書は每日須く一卷或は半卷以上を讀取して、始めて功を見るべし。須く是れ人に從いて授讀し、疑難の處は便ち質し問い、古聖賢の心を用うるを求め、力を竭して之に從うべし。夫れ指引するは師の功なり。行いて至らざること有りて從容として規戒するは、朋友の任なり。意を决して往くは、則ち須く己の力を用うべし。他人を仰ぎ難し。 嘉言87 ○呂氏童蒙訓に曰く、今日一事を記し、明日一事を記し、久しければ則ち自然に貫穿す。今日一理を辨じ、明日一理を辨じ、久しければ則ち自然に浹洽す。今日一難事を行い、明日一難事を行い、久しければ則ち自然に堅固す。渙然として冰釋け、怡然として理順う。久しくして之を自得す。偶然に非ざるなり。 嘉言88 ○前軰嘗て說く、後生才性人に過ぐる者は、畏るるに足らず。惟書を讀み尋ね思い推し究むる者を畏る可しと爲すのみ、と。又云う、書を讀むは只尋ね思うを怕る、と。蓋し義理の精深なる、惟尋ね思い意を用いて、以て之を得可しと爲す。鹵莾[ろもう]にして煩を厭う者は、决して成る有るの理無し。 嘉言89 ○顏氏家訓に曰く、人の典籍を借らば、皆須く愛護し、先ず缺壞[けっかい]有らば、就きて爲に補治すべし。此れ亦士大夫百行の一なり。濟陽の江祿は、書を讀みて未だ竟らざれば、急速有りと雖も、必ず卷束整齊を待ちて、然して後に起つことを得。故に損敗無し。人其の求め假るを厭わず。或は几案に狼籍し、部秩に分散すること有らば、多く童幼婢妾に點汚せられ、風雨蟲鼠に毀傷せらるるを爲し、實に德を累すと爲す。吾每に聖人の書を讀み、未だ嘗て肅敬して之に對せずんばあらず。其の故紙に五經の詞義及び聖賢の姓名有らば、敢て他に用いざるなり。 嘉言90 ○明道先生曰く、君子人を敎うるに序有り。先とし傳うるに小なる者近き者を以てして、而して後に敎うるに大なる者遠き者を以てす。是れ先ず傳うるに近小を以て、而して後敎うるに遠大を以てせざるに非ざるなり。 嘉言91 ○明道先生曰く、道の明かならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして辨え難し。昔の人を惑わすや、其の迷暗に乗る。今の人に入るや、其の高明に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂いて、以て物を開き務を成すに足らず。言は周徧ならざること無しと爲して、實は則ち倫理を外にす。深きを窮め微なるを極めて以て堯・舜の道に入る可からず。天下の學淺陋固滯に非ざれば、則ち必ず此に入る。道の明かならざるにより、邪誕妖妄の說競い起り、生民の耳目を塗り、天下を汙濁に溺らす。高才明智と雖も見聞に膠[こう]して、醉生夢死して自ら覺らざるなり。是れ皆正路の蓁蕪、聖門の蔽塞なり。之を闢きて、而して後に以て道に入る可し。 右、敬身を廣む。 善行第六 善行1 呂滎公、名は希哲、字は原明、申國正獻公の長子なり。正獻公は家に居りて簡重寡默、事物を以て心を經せずして、申國夫人は性嚴にして法度有り。甚だ公を愛すと雖も、然れども公を敎えて事事規矩を循い蹈む。甫めて十歳、祁寒暑雨にも侍立して、終日之に坐を命ぜざれば敢て坐せざるなり。日に必ず冠帶して以て長者を見る。平居甚だ熱しと雖も、父母長者の側に在りて、巾襪[きんべつ]・縛袴[てんこ]・衣服を去るを得ず。唯謹む。行歩出入するに茶肆酒肆に入るを得ること無し。市井里巷の語、鄭・衛の音、未だ嘗て一たびも耳に經せず。不正の書、非禮の色、未だ嘗て一たびも目に接えず。正獻公頴州に通判たり。歐陽公適々州の事に知たり。焦先生千之伯强、文忠公の所に客たり。嚴毅方正なり。正獻公之を招き延べて諸子を敎えしむ。諸生少しく過差有れば、先生端坐し召して與に相對し、日を終え夕を竟えて之と語らず。諸生恐懼畏伏す。先生方に略々詞色を降す。時に公方に十餘歳、内は則ち正獻公と申國夫人と敎訓すること此の如く之れ嚴に、外は則ち焦先生化導すること此の如く之れ篤し。故に公の德器成就し、大いに衆人と異なれり。公嘗て言う、人生内に賢父兄無く、外に嚴師友無くして、能く成る有る者は少し、と。 善行2 ○呂滎公張夫人は待制、諱は昷之の幼女なり。最も鐘愛す。然るに居常、微細の事に至るまで、之を敎うるに必ず法度有り。飮食の類の如きは、飯羹は更に益すことを許し、魚肉は更に進めざるなり。時に張公已に待制河北都轉運使爲り。夫人呂氏に嫁するに及びて、夫人の母は申國夫人の姊なり。一日來て女を視る。舎の後に鍋釜の類有るを見て大いに樂まず。申國夫人に謂いて曰く、豈小兒軰をして私[ひそか]に飮食を作り家法を壞[やぶ]らしむ可けんや、と。其の嚴や此の如し。 善行3 ○唐の陽城、國子司業と爲り、諸生を引きて之に告げて曰く、凡そ學ぶは忠と孝とを爲むるを學ぶ所以なり。諸生久しく親を省みざる者有るか、と。明日城に謁して還り養う者二十軰、三年歸り侍せざる者有り、之を斥く。 善行4 ○安定先生胡瑗、字は翼之。隋唐以來仕進文辭を尙びて、經業を遺[わす]れ、苟も祿利に趨るを患う。蘇・湖二州の敎授と爲るに及びて、條約を嚴にし、身を以て之に先だち、大暑と雖も必ず公服して終日以て諸生を見て、師弟子の禮を嚴にす。經を解き要義有るに至りては、懇懇として諸生の爲に、其の己を治めて而る後に人を治むる所以の者を言う。學徒千數、日月に刮り劘る。文章を爲るには、皆經義に傳[よ]りて必ず理の勝るを以てす。其の師說を信じ敦く行實を尙ぶ。後に大學と爲る。四方之に歸し、庠舎容るること能わず。其れ湖學に在りて經義齋・治事齋を置く。經義齋は疏通にして器局有る者を擇びて之を居く。治事齋は人各々一事を治め又一事を兼ぬ。民を治め兵を治め水利筭數の類の如し。其れ大學に在りても亦然り。其の弟子散りて四方に在り、其の人の賢愚に隨いて皆循循として雅飭[がちょく]す。其の言談・舉止、之に遇いて問わずして先生の弟子爲るを知る可し。其の學者相語りて先生と稱すれば、問わずして胡公爲るを知る可し。 善行5 ○明道先生朝に言いて曰く、天下を治むるは風俗を正し、賢才を得るを以て本と爲す。宜しく先ず近侍の賢儒及び百執事に禮命し、心を悉[つく]して推訪すべし。德業充ち備わり師表と爲るに足る有る者、其の次は、志を篤し學を好み材良にして行脩まる有る者は、延聘・敦遣して京師に萃[あつ]め、朝夕相與に正學を講明せしめ、其の道は必ず人倫に本づき、物理に明かにし、其の敎は小學の灑掃應對より以往、其の孝悌・忠信・周旋・禮樂を脩め、其の誘掖・激勵、漸摩して之を成就する所以の道、皆節序有り。其の要は善を擇び、身を脩め、天下を化成するに至るに在り。郷人よりして聖人に至る可きの道なり。其の學行皆是に中る者を成德と爲し、材識明達にして善に進む可き者を取りて、日に其の業を受けしむ。其の學明かに德尊き者を擇びて、大學の師と爲す。次は以て分けて天下の學に敎う。士を擇びて學に入るる。縣より之を州に升げ、州より大學に賓とし興け、大學に聚めて之を敎え、歳ごとに其の賢者・能者を朝に論ず。凡そ士を選ぶの法は、皆性行端潔、家に居りて孝悌、廉恥禮讓有り、學業に通明に、治道に曉達なる者を以てす。 善行6 ○伊川先生學制を看詳す。大槩以て學校は禮義相先にするの地にして、而して月に之を爭わしむは、殊て敎養の道に非ずと爲す。試を改めて課と爲し、未だ至らざる所有れば、則ち學官召して之を敎え、更に高下を考定せず。尊賢堂を制して、以て天下道德の士を延き、解額を鐫[ほ]りて以て利誘を去り、繁文を省きて以て委任を專らにし、行檢を勵して以て風敎を厚くし、及び待賓・吏師齋を置き、觀光の法を立つるを請う。是の如き者亦數十條。 善行7 ○藍田の呂氏の郷約に曰く、凡そ同約の者は、德業は相勸め、德は、善を見ては必ず行い、過を聞きては必ず改め、能く其の身を治め、能く其の家を治め、能く父兄に事え、能く子弟を敎え、能く僮僕を御し、能く長上に事え、能く親故を睦み、能く交遊を擇び、能く廉介を守り、能く施惠を廣め、能く寄託を受け、能く患難を救い、能く過失を規[ただ]し、能く人の爲に謀り、能く衆の爲に事を集し、能く闘爭を解き、能く是非を决し、能く利を與し害を除き、能く官に居りて職を舉ぐるを謂う。業は、家に居りては則ち父兄に事え、子弟を敎え、妻妾を侍し、外に在れば則ち長上に事え、朋友に接わり、後生を敎え、僮僕を御するを謂う。書を讀み、田を治め、家を營み、物を濟い、禮・樂・射・御・書・數を好むの類に至るまで、皆之を爲す可し。此の類に非ざれば、皆益無しと爲す。過失は相規し、義を犯すの過は、一に曰く、酗博闘訟。二に曰く、行止踰違。三に曰く、行、恭遜ならず。四に曰く、言、忠信ならず。五に曰く、言を造り誣い毀る。六に曰く、私を營むこと太だ甚し。脩めざるの過は、一に曰く、交わり其の人に非ず。二に曰く、游戯怠惰。三に曰く、動作儀無し。四に曰く、事に臨みて恪[つつし]まず。五に曰く、用度節ならず。禮俗もて相交わり、婚姻・喪葬・祭祀の禮・往還・書問・慶弔の節を謂う。患難には相卹[あわ]れみ、一に曰く、水火。二に曰く、盗賊。三に曰く、疾病。四に曰く、死喪。五に曰く、孤弱。六に曰く、誣枉。七に曰く、貧乏。善有れば則ち籍に書し、過有り若しくは約に違う者も亦之を書し、三たび犯して罰を行う。悛[あらた]めざる者は之を絶つ。 善行8 ○明道先生の人を敎うる、致知より知止に至り、誠意より平天下に至り、洒掃應對より窮理盡性に至り、循循として序有り。世の學者、近きを捨てて遠きに趨り、下に處りて高きを闚い、以て輕[かろがろ]しく自ら大なる所にして、卒に得ること無きを病む。 右、立敎を實にす。 善行9 江革少[わか]くして父を失い、獨り母と居る。天下亂れて盗賊並び起るに遭う。革母を負いて難を逃れ、備[つぶ]さに險阻を經、常に採り拾いて以て養を爲す。數々賊に遇い、或は刼[おびやか]して將い去らんと欲す。革輒ち涕泣して哀を求め、老母有りと言う。辭氣愿欵、人を感動するに足る者有り。賊是を以て之を犯すに忍びず、或は乃ち兵を避くるの方を指す。遂に倶に難に全きを得。下邳に轉客し貧窮なり。裸跣行傭して、以て母に供す。身に便する物畢[ことごと]く給せざること莫し。 善行10 ○薛包學を好み行いを篤くす。父後妻を娶りて包を憎み之を分ち出だす。包日夜號泣して去ること能わず。敺杖[おうじょう]せらるるに至りて、已むを得ずして舍外に廬し、旦に入りて灑掃す。父怒りて又之を逐う。乃ち里門に廬し、晨昏廢せず。積むこと歳餘、父母慚じで之を還す。後喪に服して哀に過ぐ。旣にして弟の子財を分ち居を異にせんことを求む。包止むる能わず。廼[すなわ]ち其の財を中分す。奴婢は其の老いたる者を引きて曰く、我と事を共にすること久し、若使うこと能わじ、と。田廬は其の荒頓なる者を取りて曰く、吾が少[わか]き時理むる所、意戀うる所なり、と。器物は其の朽敗する者を取りて曰く、我が素服食する所、身口安んずる所なり、と。弟の子數々其の產を破れば輒ち復た賑給す。 善行11 ○王祥、性孝なり。蚤く親を喪い、繼母朱氏慈ならず、數々之を譖す。是に由りて愛を父に失い、每に牛下を掃除せしむ。祥愈々恭謹なり。父母疾有れば、衣帶を解かず、湯藥必ず親[みずか]ら嘗む。母嘗て生魚を欲す。時に天寒にして冰凍る。祥衣を解きて將に冰を剖[さ]きて之を求めんとす。冰忽ち自ら解け、雙鯉躍り出づ。之を持して歸る。母又黄雀の炙を思う。復た雀數十飛びて其の幕に入る有り。復た以て母に供す。郷里驚嘆して、以て孝感の致す所と爲す。丹柰實を結ぶこと有り。母命じて之を守らしむ。風雨每に祥輒ち樹を抱きて泣く。其の篤孝純至なること此の如し。 善行12 ○王裒[おうほう]、字は偉元。父儀、魏の安東將軍司馬昭の司馬爲り。東關の敗に、昭、衆に問いて曰く、近日の事誰か其の咎を任ぜん、と。儀對えて曰く、責、元帥に在り、と。昭怒りて曰く、司馬、罪を孤に委せんと欲するや、と。遂に引き出して之を斬る。裒、父の非命を痛み、是に於て隱居し敎授し、三徴七辟皆就かず。墓側に廬し、旦夕常に墓所に至りて拜跪し、柏を攀[よ]じて悲號す。涕涙樹に著き、樹之が爲に枯る。詩を讀みて、哀哀たり父母、我を生みて劬勞せりに至りて、未だ嘗て三復して涕を流さずんばあらず。門人、業を受くる者、並びに蓼莪[りくが]の篇を廢す。家貧にして躬ら耕し、口を計りて田づくり、身を度りて蠶[さん]す。或は密かに之を助くる者有り。裒皆聽かず。司馬氏魏を簒うに及びて、裒身を終うるまで未だ嘗て西に向きて坐せず。以て晉に臣たらざるを示す。 善行13 ○晉の西河の人王延、親に事えて色養す。夏は則ち枕席を扇ぎ、冬は則ち身を以て被を温む。隆冬盛寒に、體常に全衣無くして、親滋味を極む。 善行14 ○柳玭[りゅうへん]曰く、崔山南、昆弟子孫の盛んなること、郷族比[たぐい]罕[まれ]なり。山南の曾祖王母長孫夫人、年高くして齒無し。祖母唐夫人、姑に事えて孝なり。旦每に櫛[くしけず]り、縰[かみつつみ]し、筓[かんざし]し、階下に拜し、卽ち堂に升りて其の姑に乳す。長孫夫人粒食せざること數年にして康寧なり。一日疾で病み、長幼咸萃まる。宣言す、以て新婦の恩に報ゆる無し。新婦に子有り孫有り、皆新婦の孝敬の如きを得えんことを願う。則ち崔の門安んぞ昌大ならざるを得んや、と。 善行15 ○南齊の庾黔婁[ゆきんろう]、孱陵[せんりょう]の令と爲り、縣に到りて未だ旬ならざるに、父易、家に在りて疾に遘う。黔婁忽ち心驚き、身を舉げて汗を流す。卽日官を棄てて家に歸る。家人悉く其の忽ち至るに驚く。時に易疾みて始めて二日。醫云う、差劇を知らんと欲せば、但糞の甜苦[てんく]を嘗めよ、と。易、泄利す。黔婁輒ち取りて之を嘗む。味轉々[うたた]甜滑、心愈々憂苦し、夕に至れば每に北辰に稽顙[けいそう]し、身を以て代らんことを求む。 善行16 ○海虞の令何子平、母の喪に官を去りて、哀毀禮に踰ゆ。哭踊する每に頓[にわか]に絶して方[わずか]に蘇る。大明の末、東土饑荒し、繼ぐに師旅を以てするに屬[あた]り、八年營み葬むることを得ず。晝夜號哭して、常に袒括の日の如し。冬は絮を衣ず、夏は淸凉に就かず。一日に米數合を以て粥と爲し、塩菜を進めず。居る所屋敗れて風日を蔽わず。兄の子伯興爲に葺理せんと欲す。子平肯ぜずして曰く、我が情事未だ申[の]びず。天地の一罪人のみ。屋何ぞ宜しく覆うべけんや、と。蔡興宗、會稽の太守と爲り、甚だ矜賞を加え、爲に塚壙を營む。 善行17 ○朱壽昌、生まれて七歳、父雍に守たり。其の母劉氏を出だして民間に嫁し、母子相知らざること五十年。壽昌四方に行きて之を求めて已まず。飮食に酒肉を御すること罕なり。人と言いては輒ち涕を流す。煕寧の初、官を棄てて秦に入り、家人と訣[わか]る。母を見ずんば復た還らずと誓う。行きて同州に次して得たり。劉氏時に年七十餘なり。雍の守錢明逸、事を以て聞し、壽昌に詔して、還りて官に就かしむ。是に繇[よ]りて天下皆其の孝を知る。壽昌再び郡の守と爲る。是に至りて、母の故を以て河中府に通判たり。其の同母弟妹を迎えて以て歸る。居ること數歳にして母卒す。涕泣して幾んど明を喪わんとす。其の弟妹を拊すること益々篤く、爲に田宅を買いて之を居く。其の宗族に於ける、尤も恩意を盡す。兄弟の孤女二人を嫁し、其の葬むること能わざる者を葬ること十餘喪なり。蓋し其の天性此の如し。 善行18 ○伊川先生の家、喪を治むるに浮屠を用いず。洛に在りて亦一二の人家之に化する有り。 善行19 ○霍光禁闥を出入すること二十餘年、小心謹愼にして未だ嘗て過有らず。人と爲り沈靜詳審にして、出入して殿門を下る每に、進止常處有り。郎僕射竊に識して之を視るに、尺寸を失わず。 善行20 ○汲黯[きゅうあん]、景帝の時、太子洗馬爲り。嚴を以て憚らる。武帝位に卽き、召して主爵都尉と爲る。數々直諫するを以て久しく位に居ることを得ず。是の時太后の弟、武安侯田蚡[でんふん]、丞相爲り。中二千石、拜謁す。蚡禮を爲さず。黯、蚡を見るに、未だ嘗て拜せずして之を揖[ゆう]す。上方に文學の儒者を招き、上曰く、吾云云たらんと欲す、と。黯對えて曰く、陛下内多欲にして外仁義を施す。柰何ぞ唐虞の治に效うを欲せんや、と。上怒りて色を變じて朝を罷む。公卿皆黯の爲に懼る。上退きて人に謂いて曰く、甚しきかな汲黯の戇[とう]なるや、と。群臣或は黯を數[せ]む。黯曰く、天子、公卿・輔弼の臣を置く。寧ろ從い諛い、意を承けて、主を不義に陷らしめんや。且つ已に其の位に在り、縱い身を愛すとも朝廷を辱しむるを奈何せん、と。黯、多病なり。病みて且[まさ]に三月に滿たんとすれば、上常に告を賜う者數たび、終に瘉えず。最後に嚴助、爲に告を請う。上曰く、汲黯は何如なる人ぞ、と。曰く、黯をして職を任じ官に居らしめば、人に瘉[こ]ゆること亡し。然るに其の少主を輔け成るを守るに至りては、自ら賁・育なりと謂うと雖も、奪うこと能わざるなり、と。上曰く、然り。古社稷の臣有り。汲黯の如きに至りては之に近し、と。大將軍靑、中に侍す。上厠に踞て之を視る。丞相弘、宴見す。上、或は時に冠せず。黯を見るが如きに至りては、冠せざれば見ざるなり。上、嘗て武帳に坐す。黯前に事を奏す。上、冠せず。黯を望見して帷中に避け、人をして其の奏を可とせしむ。其の敬禮せらるること此の如し。 善行21 ○初め魏の遼東公、翟黑子、太武に寵有り。幷州に奉使して布千疋を受け、事覺わる。黑子、著作郎高允に謀りて曰く、主上我に問わば當に以て實に告ぐべきか、爲に當に之を諱むべきか、と。允曰く、公は帷幄の寵臣なり。罪有りて實を首えば或は原[ゆる]さるるに庶からん。重ねて欺罔を爲す可からず、と。中書侍郎崔鑒・公孫質曰く、實を首うるが若きは、罪測る可からず。姑く之を諱むに如かず、と。黑子、允を怨みて曰く、君柰何ぞ人を誘いて死地に就かしむるや、と。入りて帝に見え實を以て對えず。帝怒りて之を殺す。帝、允をして太子に經を授けしむ。崔浩、史の事を以て收えらるるに及びて、太子、允に謂いて曰く、入りて至尊に見え、吾自ら卿を導きて脱せしめん。至尊問うこと有らば但吾が語に依れ、と。太子、帝に見えて言う、高允は小心愼密にして且つ微賤なり。制は崔浩に由る。其の死を赦するを請う、と。帝、允を召して問う。曰く、國書は皆浩の爲る所か、と。對えて曰く、臣と浩共に之を爲る。然るに浩の領する所の事は、多く總裁のみ。著述に至りては、臣、浩より多し、と。帝怒りて曰く、允の罪、浩より甚し。何を以て生かすを得ん、と。太子懼れて曰く、天威嚴重なり、允は小臣、迷亂して次を失うのみ。臣曏[さき]に問わば、皆浩の爲す所と云う、と。帝、允に信に東宮所の言える所の如きかと問う。對えて曰く、臣の罪族を滅するに當る。敢て虛妄せず。殿下、臣が侍講すること日久しきを以て、臣を哀れみて其の生を丐[こ]わんことを欲するのみ。實は臣に問わず、臣も亦此の言無し。敢て迷亂せず、と。帝顧みて太子に謂いて曰く、直なるかな、此れ人情の難しとする所にして、允能く之を爲す。死に臨みて辭を易えざるは、信なり。臣と爲りて君を欺かざるは、貞なり。宜しく特に其の罪を除きて、以て之を旌すべし、と。遂に之を赦す。他日太子、允を讓[せ]めて曰く、吾、卿の爲に死を脱せんと欲して卿從わざるは何ぞや、と。允曰く、臣、崔浩と實に史事を同じくす。死生榮辱、義獨り殊なる無し。誠に殿下再造の慈を荷うも、心に違いて苟も免るるは臣の願う所に非ざるなり、と。太子、容を動かして稱嘆す。允退きて人に謂いて曰く、我、東宮の指導を奉ぜざるは、黑子に負[そむ]くを恐るる故なり、と。 ○李君行先生、名は潜、虔州の人。京師に入り泗州に至りて留止す。其の子弟先ず往かんと請う。君行其の故を問う。曰く、科塲近し。先ず京師に至り、開封の戶籍に貫て應を取らんと欲す、と。君行許さず。曰く、汝は虔州の人にして開封の戶籍に貫る。君に事えんことを求めんと欲して先ず君を欺く、可ならんや。寧ろ遲緩なること數年、行く可からざるなり、と。 善行23 ○崔玄暐の母盧氏、嘗て玄暐を誡めて曰く、吾、姨兄屯田郎中辛玄馭[しんげんぎょ]を見る。曰く、兒子宦に從う者、人來りて貧乏にして存すること能わずと云う有り、此は是れ好消息。貲貨[しか]充足し衣馬輕肥と聞くが若きは、此れ惡消息。吾嘗て以て確論と爲す。比[このごろ]親表中を見るに、仕宦の者錢物を將ちて其の父母に上[たてまつ]る。父母但喜悦するを知りて、竟に此の物何くよりして來ると問わず。必ず是れ祿俸の餘資ならば誠に亦善事なり。其れ理得る所に非ざるが如きは、此れ盗賊と何の別ならん。縱い大なる咎無きも、獨り内心に愧じざらんや。玄暐敎誡を遵び奉りて、淸謹を以て稱せらる。 善行24 ○劉器之待制、初め科に登り、二りの同年と張觀參政に謁し、三人同じく身を起して敎を請う。張曰く、某官を守りてより以來、常に四字を持つ。勤・謹・和・緩、と。中間に一りの後生聲に應じて曰く、勤・謹・和は旣に命を聞く。緩の一字は某未だ聞かざる所なり、と。張色を正し氣を作して曰く、何ぞ嘗て賢に緩にして事に及ばざれと敎えん。且つ道え、世間甚事[なにごと]か忙に因りて後錯り了らざる、と。 善行25 ○伊川先生曰く、安定の門人、往往にして古を稽え民を愛することを知る。則ち政を爲すに於てや何か有らん。 善行26 ○呂榮公少きより官守の處、未だ嘗て人の舉薦を干[もと]めず。其の子舜從、官を會稽に守る。人或は其の知るを求めざる者を譏る。舜從對えて曰く、職事に勤め、其の他は敢て愼まずんばあらず。乃ち知を求むる所以なり、と。 善行27 ○漢の陳孝婦、年十六にして嫁し、未だ子有らず。其の夫行戍[こうじゅ]に當る。且[まさ]に行かんとする時、孝婦に屬して曰く、我が生死未だ知る可からず。幸に老母有り、他の兄弟の養に備わる無し。吾還らずんば汝吾が母を養うを肯ぜんや、と。婦應えて曰く、諾、と。夫果して死して還らず。婦姑を養うこと衰えず、慈愛愈々固し。紡績織紝以て家業と爲し、終に嫁する意無し。喪に居ること三年、其の父母其の少くして子無く、而して早く寡となるを哀れみ、將に取りて之を嫁せんとす。孝婦曰く、夫去る時、妾に屬するに老母を供養するを以てす。妾旣に之を許諾す。夫れ人の老母を養いて卒うること能わず、人に許すに諾を以てして信なること能わざる、將に何を以て世に立たん、と。自殺せんと欲す。其の父母懼れて敢て嫁せず。遂に其の姑を養わしむこと二十八年、姑八十餘、天年を以て終 わる。盡く其の田宅財物を賣りて以て之を葬む。終に祭祀を奉ず。淮陽の太守以聞す。使者を使わし黄金四十斤を賜い、之を復して身を終うるまで與る所無し。號して孝婦と曰う。 善行28 ○漢の鮑宣の妻桓氏、字は少君。宣嘗て少君の父に就きて學ぶ。父其の淸苦を奇とす。故に女を以て之に妻す。装送資賄甚だ盛んなり。宣悦ばず。妻に謂いて曰く、少君は富驕に生まれ、美飾に習いて、而して吾は實に貧賤なり。敢て禮に當らず、と。妻曰く、大人、先生の德を脩め約を守るを以て、故に賤妾をして侍して巾櫛を執らしむ。旣に君子に奉承す。惟命に是れ從わん、と。宣笑いて曰く、能く是の如くならば、是れ吾が志なり、と。妻乃ち悉く侍御服飾を歸し、更に短布裳を著け、宣と共に鹿車を挽きて郷里に歸り姑を拜す。禮畢わり、甕を提げ出でて汲み、婦道を脩め行う。郷邦之を稱す。 善行29 ○曹爽の從弟文叔の妻は譙郡の夏侯文寧の女、名は令女なり。文叔蚤く死す。服闋[おわ]りて自ら年少くして子無きを以て、家必ず己を嫁せんことを恐れ、乃ち髪を斷ちて信と爲す。其の後家果して之を嫁せんと欲す。令女聞きて卽ち復た刀を以て兩耳を截[き]り、居止常に爽に依る。爽誅せられ、曹氏盡く死するに及びて、令女の叔父上書して、曹氏と婚を絶ち、彊いて令女を迎えて歸る。時に文寧梁の相爲り。其の少くして義を執り、又曹氏に遺類無きを憐み、其の意阻まんことを冀い、乃ち微しく人をして之を風せしむ。令女嘆じ且つ泣きて曰く、吾も亦之を惟[おも]う、と。之に是なりと許す。家以て信なりと爲し、之を防ぐこと少しく懈る。令女是に於て竊に寢室に入り、刀を以て鼻を斷ち、被を蒙りて臥す。其の母呼びて與に語らんとす。應えず。被を發[ひら]きて之を視れば、血流れて床席に滿つ。家を舉げて驚惶し、往きて之を視て酸鼻せざる莫し。或ひと之に謂いて曰く、人の世間に生くるは、輕塵の弱草に棲むが如きのみ、何ぞ辛苦すること乃ち爾る。且つ夫の家夷滅して已に盡く。此を守りて誰が爲にせんと欲するや、と。令女曰く、仁者は盛衰を以て節を改めず、義者は存亡を以て心を易えずと聞く。曹氏前盛の時、尙終を保たんと欲す。况や今衰亡す。何ぞ之を棄つるに忍びん。禽獸の行、吾豈爲さんや、と。 善行30 ○唐の鄭義宗の妻盧氏、略々書史に渉り、舅姑に事えて甚だ婦の道を得。嘗て夜強盗數十、杖を持ちて鼓譟し、垣を踰えて入ること有り。家人悉く奔り竄る。唯姑の自ら室に在る有り。盧、白刃を冒し往きて姑の側に至り、賊の捶撃せらるるを爲して死するに幾し。賊去りて後、家人何ぞ獨り懼れざると問う。盧氏曰く、人の禽獸に異なる所以の者は、其の仁義有るを以てなり。鄰里急有るも、尙相赴き救う。况や姑に在りて委して棄つ可けんや。萬一危禍あるが若きは、豈宜しく獨り生くべけんや、と。 善行31 ○唐の奉天の竇氏の二女、草野に生長し、幼にして志操有り。永泰中に群盗數千人、其の村落を剽掠[ひょうりゃく]す。二女皆容色有り。長ずる者年十九、幼なる者年十六。巖穴の間に匿る。之を曳き出し、驅迫して以て前[すす]む。壑谷深さ數百尺なるに臨み、其の姊先だちて曰く、吾寧ろ死に就かん。義、辱しめを受けず、と。卽ち崖下に投じて死す。盗方に驚駭す。其の妹之に繼ぎて自ら投じ、足を折り面を破りて血を流す。群盗乃ち之を捨てて去る。京兆の尹第五琦、其の貞烈を嘉して之を奏す。詔して其の門閭に旌表し、永く其の家の丁役を蠲[まぬ]ぐ。 善行32 ○繆肜[ぼくゆう]少くして孤なり。兄弟四人皆財業を同じくす。各々妻を取るに及びて、諸婦遂に分異を求め、又數々闘爭の言有り。肜深く忿嘆を懷き、乃ち戶を掩い自ら撾[う]ちて曰く、繆肜、汝は身を脩め、行を謹み、聖人の法を學び、將に以て風俗を齊整せんとす。柰何ぞ其の家を正すこと能わざるや、と。弟及び諸婦之を聞き、悉く叩頭して罪を謝し、遂に更めて敦睦の行を爲せり。 善行33 ○蘇瓊[そけい]、南淸河の太守に除せらる。百姓乙普明兄弟、田を爭う有り、年を積みて斷ぜず。各々相援據して乃ち百人に至る。瓊、普明兄弟を召し、之を諭して曰く、天下に得難き者は兄弟、求め易き者は田地なり。假令田地を得とも、兄弟を失はば心如何、と。因りて涙を下す。諸々の證人泣を灑がざる莫し。普明兄弟叩頭して外にて更め思わんことを乞い、分異十年、遂に還りて同じく住む。 善行34 ○王祥の弟覽の母朱氏、祥に遇すること無道なり。覽年數歳、祥の楚撻せらるるを見て、輒ち涕泣して抱持す。成童に至りて每に其の母を諫む。其の母少しく凶虐を止む。朱屢々非理を以て祥を使えば、覽、祥と倶にす。又祥の妻を虐使すれば、覽の妻も亦趨りて之を共にす。朱、之を患えて乃ち止む。 善行35 ○晉の右僕射鄧攸[とうゆう]、永嘉の末、石勒に没し、泗水を過ぐ。攸、牛馬を以て妻子を負わしめて逃れ、又賊に遇い、其の牛馬を掠めらる。歩走して其の兒及び其弟の子綏[すい]を擔う。兩つながら全くすること能わざるを度り、乃ち其の妻に謂いて曰く、吾が弟蚤く亡び唯一息有り。理、絶つ可からず。止[た]だ應[まさ]に自ら我が兒を棄つべきのみ。幸にして存することを得ば、我後に當に子有るべし。妻泣きて之に從う。乃ち其の子を棄て之を去る。卒に以て嗣無し。時の人義として之を哀れみ、之が爲に語りて曰く、天道も知ること無し。鄧伯道をして兒無からしむ、と。弟の子綏、攸の喪に服すこと三年なり。 善行36 ○晉の咸寧中、大いに疫す。庾袞[ゆこん]の二兄倶に亡び、次兄の毗[ひ]復た危殆なり。癘氣方に熾んなり。父母諸弟皆出でて外に次す。袞獨り留りて去らず。諸父兄之を強う。乃ち曰く、袞、性、病を畏れず、と。遂に親しく自ら扶持して晝夜眠らず。其の間復た柩を撫で哀臨して輟[や]まず。此の如きこと十有餘旬、疫勢旣に歇[や]み、家人乃ち反り、毗の病差[い]ゆるを得。袞も亦恙無し。父老咸曰く、異なるかな、此の子。人の守る能わざる所を守り、人の行う能わざる所を行う。歳寒くして然して後に松柏の凋むに後るるを知る。始めて疫癘の相染むる能わざることを知る、と。 善行37 ○楊播の家世々純厚、並びに義讓に敦し。昆季相事うること父子の如き有り。椿・津、恭謙なり。兄弟旦には則ち廳堂に聚り、終日相對し未だ嘗て内に入らず。一の美味有れば、集まらざれば食わず。廳堂の間、往往幃幔もて隔障して寢息の所と爲し、時に就きて休偃し、還りて共に談笑す。椿年老い、曾て他處より醉うて歸る。津扶持して室に還り、閤前に假寢して安否を承け候う。椿・津年六十を過ぎ、並びて台鼎に登りて、津常に旦莫參問し、子姪階下に羅列す。椿、坐を命ぜざれば、津、敢て坐せず。椿每に近く出で、或は日斜にして至らざれば、津先ず飯せず、椿還りて然して後共に食う。食えば則ち津親[みずか]ら匙箸を授け、味皆先ず嘗む。椿食を命じて然して後食う。津肆州と爲り、椿京宅に在り。四時の嘉味有る每に、輒ち使の次に因りて之を附す。或は未だ寄せざるが若きは、先に口に入れず。一家の内男女百口、緦服も爨[さん]を同じくし、庭に間言無し。 善行38 ○隋の吏部尙書牛弘の弟弼、酒を好みて酗[く]す。嘗て醉うて弘の駕車の牛を射殺す。弘宅に還る。其の妻迎えて弘に謂いて曰く、叔、牛を射殺す、と。弘聞きて恠しみ問う所無く、直に答えて曰く、脯を作れ、と。坐定まる。其の妻又曰く、叔、牛を射殺す、大いに是れ異事なり、と。弘曰く、已に知る、と。顏色自若として書を讀みて輟[や]まず。 善行39 ○唐の英公李勣、貴きこと僕射爲り。其の姊病めば必ず親ら爲に火を然き粥を煮る。火其の鬚[しゅ]を焚く。姊曰く、僕妾多し。何爲れぞ自ら苦しむこと此の如き、と。勣曰く、豈人無きと爲さんや。顧[おも]うに今姊年老い勣も亦老う。數々姊の爲に粥を煮んと欲すと雖も、復た得可けんや、と。 善行40 ○司馬温公、其の兄伯康と、友愛尤も篤し。伯康年將に八十にならんとするに、公之に奉ずること嚴父の如く、之を保つこと嬰兒の如し。食する每に少頃[しばらく]すれば則ち問いて曰く、餓えること無きを得るや、と。天少しく冷れば則ち其の背を拊[う]ちて曰く、衣薄きこと無きを得るや、と。 善行41 ○近世の故家、惟晁氏のみ、以道、戒を子弟に申ぶるに因りて皆法度有り。群居して相呼ぶに、外姓の尊長は必ず某姓の第幾叔若しくは兄と曰い、諸姑・尊姑の夫は必ず某姓の姑夫、某姓の尊姑夫と曰い、未だ嘗て敢て字を呼ばず。其の父黨の交游を言うに、必ず某姓の幾丈と曰い、亦未だ嘗て敢て字を呼ばず。當時の故家舊族、皆是の若きこと能わず。 善行42 ○包孝肅公、京に尹たる時、民自ら言う有あり。白金百兩を以て我に寄する者死す。其の子に予[あた]うれども、受くるを肯[したが]わず。其の子を召して之に予えんことを願う、と。尹其の子を召す。辭して曰く、亡父未だ嘗て白金を以て人に委ねざるなり、と。兩人相讓り之を久しくす。呂滎公之を聞きて曰く、世人喜[この]みて無好人の三字を言う者は、自ら賊う者と謂う可し。古人、人皆以て堯・舜と爲る可しと言う。蓋し此に觀て之を知る、と。 善行43 ○萬石君石奮、家に歸老し、宮の門闕を過ぐれば、必ず車より下りて趨り、路馬を見れば、必ず軾す。子孫小吏爲り。來り歸して謁すれば、萬石君必ず朝服して之を見て名いわず。子孫に過失有れば誚讓せず。爲に便坐し、案に對して食わず。然して後に諸子相責め、長老に因りて肉祖し固く罪を謝し、之を改むれば乃ち許す。子孫冠するに勝うる者側に在れば、燕と雖も必ず冠して申申如たり。僮僕には訢訢如たり。唯謹む。上、時に食を家に賜わば、必ず稽首俯伏して食い、上の前に在るが如し。其の喪を執るには、哀戚甚し。子孫敎に遵いて亦之の如くす。萬石君の家、孝謹を以て郡國に聞ゆ。齊・魯の諸儒質行と雖も、皆自ら以て及ばずと爲す。長子建、郎中令爲り、少子慶、内史爲り。建老いて白首にして、萬石君尙恙無し。五日の洗沐每に歸りて親に謁し、子舎に入り、竊に侍者に問い、親の中帬[ちゅうくん]厠牏[しとう]を取りて身自ら浣洒し、復た侍者に與え、敢て萬石君をして之を知らしめず、以て常と爲す。内吏慶醉うて歸り、外門に入りて車より下らず。萬石君之を聞きて食わず。慶恐れて肉袒して罪を謝す。許さず。舉宗及び兄建肉袒す。萬石君讓[せ]めて曰く、内吏は貴人なり。閭里に入れば、里中の長老皆走り匿れて、内吏車中に坐して自如たること固より當る、と。乃ち謝して慶を罷む。慶及び諸子里門に入れば、趨りて家に至る。 善行44 ○疏廣、太子の太傅爲り。上疏して骸骨を乞う。黄金二十斤を加え賜う。太子五十斤を贈る。郷里に歸り、日に家をして具を供え、酒食を設けしめ、族人・故舊・賓客を請いて、相與に娯樂し、數々其の家金の餘り尙幾斤有るかと問い、趣[うなが]し賣りて以て具を共す。居ること歳餘、廣の子孫、竊に其の昆弟老人の廣の信愛する所の者に謂いて曰く、子孫君時に及びて、頗る產業の基址を立てんことを冀う。今日に飮食し、費して且[まさ]に盡んとす。宜しく丈人の所より、君に田宅を置かんことを勸說すべし、と。老人卽ち間暇の時を以て、廣の爲に此の計を言う。廣曰く、吾豈老悖[ろうはい]して子孫を念わざらんや。顧[おも]うに自ら舊田盧有り。子孫をして力を其の中に勤めしめば、以て衣食を共するに足る。凡人と齊し。今復た之を增益して以て贏餘[えいよ]を爲すは、但子孫に怠惰を敎うるのみ。賢にして財多ければ則ち其の志を損し、愚にして財多ければ則ち其の過を益す。且つ夫れ富は衆の怨みなり。吾旣に以て子孫を敎化すること無し。其の過を益して怨みを生ずるを欲せず。又此の金は、聖主の以て老臣を惠養する所なり。故に郷黨・宗族と共に其の賜を享くるを樂しみて、以て吾が餘日を盡すも、亦可ならざらんや、と。 善行45 ○龐公未だ嘗て城府に入らず。夫妻相敬うこと賓の如し。劉表之を候[うかが]う。龐公耕を壟上に釋して、妻子前に耘[くさぎ]る。表、指して問いて曰く、先生苦しみて畎畒に居りて官祿を肯[したが]わず。後世何を以て子孫に遺さんや、と。龐公曰く、世人皆之に遺すに危きを以てす。今獨り之に遺すに安きを以てす。遺す所同じからずと雖も、未だ遺す所無しと爲さざるなり、と。表、嘆息して去る。 善行46 ○陶淵明、彭澤[ほうたく]の令と爲り、家累を以て自ら隨えず。一力を送りて其の子に給する書に曰く、汝旦夕の費、自ら給すること難きと爲す。今此の力を遣り、汝が薪水の勞を助く。此も亦人の子なり。善く之を遇す可し、と。 善行47 ○崔孝芬兄弟、孝義慈厚なり。弟孝暐等、孝芬を奉じて恭順の禮を盡す。坐食進退、孝芬命ぜざれば則ち敢てせざるなり。鶏鳴きて起き、且つ顏色を温にし、一錢尺帛も私房に入れず。吉凶須[もち]うること有れば、聚り對して分ち給す。諸婦も亦相親愛して、有無之を共にす。孝芬の叔振旣に亡びて後、孝芬等叔母李氏に承奉すること、所生に事うるが若し。旦夕温淸し、出入啓覲し、家事巨細一に以て咨い决す。兄弟出で行きて獲る有る每に、則ち尺寸以上は皆李の庫に入るる。四時分ち賚[あた]うるに、李氏自ら之を裁す。此の如きこと二十餘歳。 善行48 ○王凝、常居慄如たり。子弟も公服に非ざれば見ず。閨門の内、朝廷の若し。家を御[おさ]むるに四敎を以てす。勤・儉・恭・恕。家を正すに四禮を以てす。冠・昏・喪・祭。聖人の書及び公服禮器は假らず。垣屋・什物は必ず堅朴にす。曰く、苟も費すこと無からん、と。門巷・果木は必ず方列にす。曰く、苟も亂すること無からん、と。 善行49 ○張公藝、九世同居し、北齊・隋・唐、皆其の門に旌表す。麟德中に高宗泰山に封じ、其の宅に幸し、召して公藝を見、其の能く族を睦む所以の道を問う。公藝、紙筆以て對さんことを請う。乃ち忍の字百餘を書して以て進む。其の意、以て宗族の協[かな]わざる所以は、尊長の衣食或は均しからざる有り、卑幼の禮節或は備わらざる有るに由りて、更々[こもごも]相責望し、遂に乖爭を爲す。苟も能く相與に之を忍ばば、則ち家道雍睦すと爲す、と。 善行50 ○韓文公、董生行を作りて曰く、淮水、桐柏山より出でて東に馳せ、遥遥として千里休むこと能わず。淝水、其の側より出でて千里なること能わず、百里にして淮に入りて流る。壽州の屬縣に安豐有り。唐の貞元年の時に、縣人董生召南、隱居して義を其の中に行う。剌吏薦むること能わず、天子名聲を聞かず。爵祿門に及ばず。門外に惟吏日に來て租を徴し、更に錢を索むる有り。嗟哉、董生朝は出でて耕し、夜は歸りて古人書を讀む。盡日息むことを得ず。或は山にして樵し、或は水にして漁す。厨に入りて甘旨を具え、堂に上りて起居を問う。父母慼慼たらず、妻子咨咨たらず。嗟哉、董生孝にして且つ慈なり。人識らず、唯天翁の知る有りて、祥を生じ端を下して休期無し。家に狗の乳する有りて、出でて食を求む。鷄來りて其の兒に哺し、庭中に啄啄[たくたく]として蟲蟻を拾い、之に哺して食わざれば鳴く聲悲し。彷徨躑躅[てきちょく]して久しく去らず、翼を以て來り覆いて狗の歸るを待つ。嗟哉、董生誰か將に與に儔[ともな]わんとす。時の人は夫妻相虐げ、兄弟讎と爲り、君の祿を食みて父母をして愁えしむ。亦獨り何の心ぞ。嗟哉、董生與に儔なうこと無し。 善行51 ○唐の河東の節度使柳公綽[こうしゃく]、公卿の間に在りて最も家法有りと名づく。中門の東に小齋有り、朝謁の日に非ざるよりは、平旦每に輒ち出でて小齋に至る。諸子仲郢[ちゅうえい]、皆束帶して中門の北に晨省す。公綽私の事を决し、賓客に接わり、弟公權及び群從弟と再び會して食い、旦より莫に至るまで小齋を離れず。燭至れば則ち一人の子弟に命じて經史を執らしめて、躬ら讀むこと一過し訖[おわ]り、乃ち官に居り家を治むるの法を講議し、或は文を論じ、或は琴を聽き、人定の鐘に至りて、然して後に歸して寢ぬ。諸子復た中門の北に昏定す。凡そ二十餘年、未だ嘗て一日も變易せず。其の饑歳に遇えば、則ち諸子皆疎食す。曰く、昔吾兄弟、先君の丹州の剌吏と爲るに侍す。學業未だ成らざるを以て、肉を食うを聽かず。吾敢て忘れざるなり、と。姑姊妹姪の孤嫠[こり]なる者有れば、疎遠と雖も必ず爲に壻を擇びて之を嫁し、皆刻木の粧奩[しょうれん]、纈文[けつぶん]の絹を用いて資裝と爲す。常に必ず資裝の豐備なるを待たば、何如ぞ嫁するに時を失なわざらんと言う。公綽卒するに及びて、仲郢一に其の法に遵う。公權に事うること、公綽に事うるが如し。甚だ病むに非ざれば、公權に見ゆるに未だ嘗て束帶せずんばあらず。京兆の尹・塩鐡吏と爲る。出でて公權に通衢[つうく]に遇えば、必ず馬より下り、笏を端して、立ちて候[うかが]い、公權過ぎて乃ち馬に上る。公權莫に歸れば、必ず束帶して馬首に迎え候う。公權屢々以て言を爲すも、仲郢終に官達を以て小しくも改むること有らず。公綽の妻韓氏は相國休の曾孫、家法嚴肅儉約にして、搢紳の家の楷範爲り。柳氏に歸して三年、少長と無く、未だ嘗て其の齒を啓くを見ず。常に絹素を衣て、綾羅錦繡を用いず。歸覲する每に金碧の輿に乗らず、秪[ただ]竹兠子に乗り、二りの靑衣歩屣[ほし]して以て隨う。常に命じて苦參・黄連・熊膽を粉にし、和して丸と爲して諸子に賜い、永夜習學する每に、之を含みて以て勤苦を資[たす]く。 善行52 ○江州の陳氏、宗族七百口、食する每に廣席を設け、長幼次を以て坐して共に之を食う。畜犬百餘有り、一牢を共にして食う。一犬至らざれば、諸犬之が爲に食わず。 善行53 ○温公曰く、國朝の公卿能く先法を守り、久しくして衰えざる者は唯故李相の家のみ。子孫數世、二百餘口に至り、猶同居して爨[さん]を共にす。田園邸舍の收むる所、及び官有る者の俸祿、皆之を一庫に聚め、口を計りて日に給餉[きゅうしょう]し、婚姻喪葬に費す所、皆常數有り。子弟に分ち命じて其の事を掌らしむ。其の規模は大抵翰林學士宗諤[そうがく]の制する所に出づ。 右、明倫を實にす。 善行54 或ひと第五倫に問いて曰く、公も私有るか、と。對えて曰く、昔人、吾に千里の馬を與うる者有り。吾受けずと雖も、三公選舉する所有る每に、心忘るること能わず。而れども亦終に用いざるなり。吾が兄の子嘗て病む。一夜に十たび往き、退きて安く寢ぬ。吾が子疾有り。省み視ずと雖も、竟夕眠らず。是の若きは豈私無きと謂う可けんや、と。 善行55 ○劉寬、庫卒に居ると雖も、未だ嘗て疾言遽色せず。夫人寬を試して恚[いか]らしめんと欲し、朝會に當り裝嚴已に訖[おわ]るを伺い、侍婢をして肉羹を奉じ、翻して朝服を汚さしむ。婢遽に之を收む。寬、神色異らず。乃ち徐[おもむろ]に言いて曰く、羹、汝が手を爛[ただ]らすか、と。其の性度此の如し。 善行56 ○張湛、矜嚴にして禮を好み、動止則有り。居處幽室、必ず自ら脩整す。妻子に遇うと雖も嚴君の若し。郷黨に在るに及びては、言を詳かにし色を正しくす。三輔以て儀表と爲す。建武の初、左馮翊[さひょうよく]と爲る。平陵に告げて歸り、寺門を望みて歩む。主簿進みて曰く、明府位尊の德重し。宜しく自ら輕んずべからず、と。湛曰く、禮に公門に下り、路馬に軾す、と。孔子郷黨に於て恂恂如たり。父母の國は宜しく禮を盡すべき所なり。何ぞ輕くすと謂わんや、と。 善行57 ○楊震舉ぐる所の荊州の茂才王密、昌邑の令と爲り、謁見し、金十斤を懷にして以て震に遺る。震曰く、故人君を知る。君故人を知らざるは何ぞや、と。密曰く、莫夜知る者無し、と。震曰く、天知る、神知る、吾知る、子知る。何ぞ知ること無しと謂わんや、と。密愧じて去る。 善行58 ○茅容、等輩と雨を樹下に避く。衆皆夷踞して相對す。容、獨り危坐して愈々恭し。郭林宗、行々之を見て其の異を奇とし、遂に與に共に言い、因りて請いて寓宿す。旦日、容鷄を殺して饌を爲る。林宗己が爲に設くと謂う。旣にして其の母に供し、自ら草蔬を以て客と同じく飯す。林宗起ちて之を拜して曰く、卿、賢なるかな、と。因りて勸めて學ばしむ。卒に以て德を成す。 善行59 ○陶侃[とうかん]、廣州の刺吏爲り。州に在りて事無ければ、輒ち朝に百甓を齋外に運び、莫に齋内に運ぶ。人其の故を問う。答えて曰く、吾方に力を中原に致さんとす。過爾として優逸せば、事に堪えざらんことを恐る。其の志を勵し力を勤むること、皆此の類なり。後、荆州の刺吏と爲る。侃、性聦敏にして、吏職を勤む。恭にして禮に近づき、人倫を愛し好み、終日膝を斂めて危坐す。閫[こん]外多事、千緒萬端、遺漏有る罔し。遠近の書疏手ずから答えざること莫く、筆翰流るるが如し。未だ嘗て壅滯せず。疏遠を引接して門に停客無し。常に人に語りて曰く、大禹は聖人なるに、乃ち寸陰を惜しむ。衆人に至りては、當に分陰を惜しむべし。豈逸遊荒醉す可けんや。生きて時に益無く、死して後に聞ゆる無きは、是れ自ら棄つるなり、と。諸參佐或は談戲を以て事を廢する事は、乃ち命じて其の酒器蒱博[ほはく]の具を取り、悉く之を江に投ず。吏將は則ち鞭扑を加う。曰く、樗蒱[ちょほ]は牧猪奴の戲れのみ。老莊の浮華は先王の法言に非ず、行う可からざるなり。君子は當に其の衣冠を正し、其の威儀を攝むべし。何ぞ亂頭養望し、自ら弘達なりと謂うこと有らんや、と。 善行60 ○王勃・楊烱[ようけい]・盧照鄰・駱賓王、皆文名有り。之を四傑と謂う。裴行儉曰く、士の遠きを致すは、器識を先にして文藝を後にす。勃等文才有りと雖も、而れども浮躁淺露、豈爵祿を享くるの器ならんや。楊子は沈靜、應[まさ]に令長を得べし。餘は終を令[よ]くすることを得ば幸と爲す、と。其の後勃は南海に溺れ、照鄰は頴水に投じ、賓王は誅せられ、烱は盈川の令に終 わる。皆行儉の言の如し。 善行61 ○孔戡[こうかん]、義を爲むるに於ては嗜慾の若く、前後を顧みず。利と祿とに於ては、則ち畏避退怯の懦夫の如く然り。 善行62 ○柳公綽[りゅうこうしゃく]、外藩に居る。其の子每に境に入るに、郡邑未だ嘗て知らず。旣に至りて出入する每に、常に戟門の外に於て馬を下る。幕賓を呼びて丈と爲し、皆拜を納るるを許す。未だ嘗て笑語欵洽[かんこう]せず。 善行63 ○柳仲郢[りゅうちゅうえい]、禮を以て身を律す。居家事無ければ亦端坐して手を拱す。内齋を出づるに未だ嘗て束帶せずんばあらず。三たび大鎭と爲る。廐に良馬無く、衣に香を熏ぜず。公より退けば必ず書を讀み、手に卷を釋[お]かず。家法、官に在りて祥瑞を奏せず。僧道を度せず。贓吏[ぞうり]の法を貸さず。凡そ藩府を理むるには、貧を濟い孤を卹[めぐ]むに急にす。水旱有れば必ず期に先だちて假貸し、廩の軍食は必ず精豐にし、租を逋[に]げば必ず貰免[せいめん]し、舘傳は必ず增飾し、賓を宴し、軍を犒[ねぎら]うには必ず華盛にして、而して交代の際、食儲[しょくちょ]・帑藏[どぞう]は、必ず始めて至るより盈溢にす。境内に孤貧衣纓の家の女の筓するに及ぶ者有れば、皆爲に婿を選び、俸金を出し、資裝と爲して之を嫁す。 善行64 ○柳玭[りゅうへん]曰く、王相國涯、方に相位に居りて利權を掌る。竇氏の女歸り請いて曰く、玉工一釵[いっさい]奇巧なるを貨[う]り、七十萬錢を須[もと]む、と。王曰く、七十萬錢は我が一月の俸金のみ。豈女に於て惜しまんや。但一釵七十萬は、此れ妖物なり。必ず禍と相隨わん、と。女子復た敢て言わず。數月にして女婚姻の會より歸り、王に告げて曰く、前時の釵は馮[ふ]外郎の妻の首飾と爲る、と。乃ち馮球なり。王嘆じて曰く、馮は郎吏爲り。妻の首飾に七十萬錢なる有り、其れ久しかる可けんや、と。馮、賈相餗[かしょうそく]の門人爲り。最も密なり。賈に蒼頭、頗る威福を張る有り。馮、召して之を勖[つと]む。未だ浹旬ならずして、馮、賈に晨謁す。二りの靑衣、地黄酒を捧げて出づ。之を飮むに食頃にして終 わる。賈、爲に涕を出だし、竟に其の由を知らず。又明年、王・賈皆禍いに遘う。噫、王、珍玩奇貨を以て物の妖と爲す、信[まこと]に言を知るなり。徒に物の妖を知りて、恩權隆赫の妖、物より甚しきを知らざるや。馮は卑位を以て寶貨を貪り、已に其の家を正すこと能わず。忠を事うる所に盡して其の身を保つこと能わず。斯れ亦言うに足らず。賈の臧獲、門客を牆廡の間に害して知らず。終始富貴ならんことを欲せども、其れ得可けんや。此れ一事と雖も、戒と作る數端なり。 善行65 ○王文正公、發解・南省・廷試、皆首冠と爲る。或ひと之に戲れて曰く、狀元の三塲に試さるる、一生喫著し盡ず、と。公色を正して曰く、曾、平生の志、温飽に在らず、と。 善行66 ○范文正公、少くして大節有り。其の富貴・貧賤・毀譽・歡戚に於るや、一つも其の心を動かさず、而して慨然として天下に志有り。嘗て自ら誦じて曰く、士は當に天下の憂いに先だちて憂え、天下の樂に後れて樂しむべし、と。其の上に事え人に遇うや、一に以て自ら信じ、利害を擇びて趨捨を爲さず。其れ爲す所有れば、必ず其の方を盡して曰く、之を爲すこと我よりする者は當に是の如くすべし。其の成ると否とは我に在らざる者有り。聖賢と雖も必とすること能わず、吾豈苟もせんや、と。 善行67 ○司馬温公嘗て言う、吾、人に過ぐる者無し。但平生爲す所、未だ嘗て人に對して言う可からざる者有らざるのみ、と。 善行68 ○管寧嘗て一木榻[とう]に坐し、積むこと五十餘年、未だ嘗て箕股せず。其の榻上の膝に當る處、皆穿てり。 善行69 ○呂正獻公、少きより學を講ずるに、卽ち心を治め性を養うを以て本と爲す。嗜慾を寡くし、滋味を薄くし、疾言・遽色無く、窘歩[きんほ]無く、惰容無し。凡そ嬉笑・俚近の語、未だ嘗て諸を口に出さず。世利紛華、聲伎游宴より、以て博奕奇玩に至るに、淡然として好む所無し。 善行70 ○明道先生、終日端坐して泥塑人の如し。人に接するに至るに及びては、則ち渾[すべ]て是れ一團の和氣なり。 善行71 ○明道先生、字を作る時甚だ敬む。嘗て人に謂いて曰く、字好からんことを欲するに非ず。卽ち此は是れ學なり、と。 善行72 ○劉忠定公、温公に見えて、心を盡し己を行うの要、以て終身之を行う可き者を問う。公曰く、其れ誠か、と。劉公、之を行うに何れを先にせんと問う。公曰く、妄語せざるより始む、と。劉公初め甚だ之を易きとす。退きて自ら檃栝[いんかつ]するに及びて、日に之れ行う所と凡そ言う所と、自ら相掣肘矛盾する者多し。力めて行うこと七年にして而る後に成る。此より言行一致、表裏相に應じ、事に遇いて坦然として常に餘裕有り。 善行73 ○劉公、賓客を見るに、談論時を踰ゆるも、體、欹側[きそく]無く、肩背、竦直[しょうちょく]にして、身少しも動かさず、手足に至りても亦移さず。 善行74 ○徐積仲車、初め安定胡先生に從いて學び、心を潜めて力めて行い、復た仕進せず。其の學至誠を以て本と爲し、母に事えて至孝なり。自ら言う、初め安定先生に見えて退くに、頭容少し偏なり。安定忽ち聲を厲して云う、頭の容は直くす、と。某因りて自ら思う、獨り頭の容直のみならず、心も亦直きを要せん、と。此より敢て邪心有らず、と。卒して節孝先生と謚す。 善行75 ○文中子の服儉にして以て潔し。長物無し。綺羅錦繍、室に入れず。曰く、君子黄白に非ざれば御[もち]いず。婦人は則ち靑碧有り、と。 善行76 ○柳玭[りゅうへん]曰く、高侍郎兄弟三人倶に淸列に居る。客を速[まね]くに非ざれば、羹胾[こうし]を二つにせず。夕食は蔔[ふく]・匏[ほう]を齕[は]むのみ。 善行77 ○李文靖公、居第を封丘門の外に治む。廳事の前、僅に馬を旋らすを容れん。或ひと其れ太だ隘しと言う。公笑いて曰く、居第は當に子孫に傳うべし。此れ宰輔の廳事と爲れば誠に隘し、太祝・奉禮の廳事と爲れば、則ち已[はなは]だ寬し、と。 善行78 ○張文節公、相と爲り、自ら奉ずること河陽の掌書記の時の如し。所親或は之を規して曰く、今公俸を受くること少なからずして、自ら奉ずること此の若し。自ら信じて淸約にすと雖も、外人頗る公孫布被の譏り有り。公宜しく少しく衆に從うべし、と。公嘆じて曰く、吾が今日の俸、家を舉げて錦衣玉食すと雖も、何ぞ能わざるを患えん。顧[おも]うに、人の常情、儉より奢に入るは易く、奢より儉に入るは難し。吾が今日の俸、豈能く常に有らんや、身、豈能く常に存せんや。一旦今日に異ならば、家人奢に習うこと已に久しく、頓[とみ]に儉なること能わず、必ず所を失うに至らん。豈吾が位に居り位を去り、身存し身亡びんこと、一日の如くなるに若かんや、と。 善行79 ○温公曰く、先公郡牧判官爲りしとき、客至らば未だ嘗て酒を置かずんばあらず。或は三行、或は五行、七行に過ぎず。酒は市に沽[か]い、果は梨・栗・棗・柹に止まり、肴は脯・醢[かい]・菜羹に止まり、器は甆[じ]・漆を用う。當時の士大夫皆然り。人相非らざるなり。會すること數々にして禮勤まり、物薄くして情厚し。近日の士大夫の家、酒は内法に非ず、果は遠方の珍異に非ず、食は多品に非ず、器皿は案に滿つるに非ざれば、敢て賓友を會せず。常に數日營み聚めて、然して後に敢て書を發す。苟も或は然らずんば、人爭い之を非りて以て鄙吝と爲す。故に俗に隨いて奢靡ならざる者鮮し。嗟乎、風俗の頹弊是の如し。位に居る者禁ずること能わずと雖も、之を助くるに忍びんや。 善行80 ○温公曰く、吾が家は本寒族にして、世々淸白を以て相承く。吾が性、華靡を喜ばず、乳兒爲る時より長者加うるに金銀華美の服を以てすれば、輒ち羞赧[しゅうたん]して之を棄て去る。年二十にして科名を忝くす。聞喜の宴に獨り花を戴かず。同年曰く、君の賜は違う可からざるなり、と。乃ち一花を簪[さ]す。平生衣は寒を蔽うに取り、食は腹を充てるに取る。亦敢て垢弊を服して以て俗を矯め名を干[もと]めず。但吾が性に順うのみ。 善行81 ○汪信民、嘗て人常に菜根を咬み得ば、則ち百事做す可しと言う。胡康侯之を聞き、節を撃ちて嘆賞す。 右、敬身を實にす。 小学(終)小学(現代子供教育の危機を救う)朱子学 ー温故知新ー『小学』という書物は、宋の大儒朱晦庵の名によって伝えられているだけに、朱子学の盛行とともに。日支両国において四書とならんで広く読まれたものである。その内容は、古典乃至史書からの抜粋であり、それぞれの原点を読めばそれでよいようなものの、やはり主題を設けて要領よくまてめてある点は、さすがと思わせる。ただ、それが『小学』の名の示すように、少年・少女修養の書である以上、教訓的意味のあることは当然であろう 「内篇」は、主として修養の原則的な記述であり、「外篇」は、古人の言行である。 読物としては、後者の方が興味が多かろう。 だが、「内篇」は当時の少年・少女の修養を述べたものであり、「温故知新」、問題の多い現代の子供教育、修養に、参考になり、大いに得ることがあるものと思います。 [戻る] |