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『学問のすすめ 』(An Encouragement of Learning)
福沢諭吉(Fukuzawa Yukichi)
七編 (国民の職分を論ず)

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
"The heaven does not create one man above or under another man"
人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり
"A man cannot have wisdom without learning. A man without wisdom is foolish."
初編(端書はしがき)、 二編(端書・人は同等なること)、 三編(国は同等なること・一身独立して一国独立すること)、 四編(学者の職分を論ず・付録)、 五編(明治七年一月一日の詞)、 六編(国法の貴きを論ず)、 七編(国民の職分を論ず)、 八編(わが心をもって他人の身を制すべからず)、 九編(学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文)、 十編(前編のつづき、中津の旧友に贈る)、 十一編(名分をもって偽君子を生ずるの論)、 十二編(演説の法を勧むるの説・人の品行は高尚ならざるべからざるの論)、 十三編(怨望の人間に害あるを論ず)、 十四編(心事の棚卸し)、 十五編(事物を疑いて取捨を断ずること)、 十六編(手近く独立を守ること・心事と働きと相当すべきの論)、 十七編(人望論) 、、[オーデイオブック朗読] [sample朗読MP3]【#AI朗読:福沢諭吉【学問のすすめ 】初編 ~十七篇(全)】 【Learn about Keio/Yukichi Fukuzawa】【YouTube/Yukichi Fukuzawa】,
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国民の職分を論ず   [朗読]  學問ノスヽメ. 七編 [ピューア] 、 ・《青空文庫全 AI朗読全》
 第六編に国法の貴きを論じ、「国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるものなり」と言えり。今またこの役目職分の事につき、なおそのつまびらかなるを説きて六編の補遺となすこと左のごとし。
 およそ国民たる者は一人の身にして二ヵ条の勤めあり。その一の勤めは政府の下に立つ一人の民たるところにてこれを論ず、すなわち客のつもりなり。その二の勤めは国中の人民申し合わせて、一国と名づくる会社を結び、社の法を立ててこれを施し行なうことなり、すなわち主人のつもりなり。たとえばここに百人の町人ありてなんとかいう商社を結び、社中相談のうえにて社の法を立て、これを施し行なうところを見れば、百人の人はその商社の主人なり。すでにこの法を定めて、社中の人いずれもこれに従い違背せざるところを見れば、百人の人は商社の客なり。ゆえに一国はなお商社のごとく、人民はなお社中の人のごとく、一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。
 第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義をさまたぐべからず。わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず、他人の物を盗んでわが富となすべからず、人を殺すべからず、人をざんすべからず、まさしく国法を守りて彼我ひが同等の大義に従うべし。また国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。いくさを起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。
 人民もしこの趣意を忘れて、政府の処置につきわが意にかなわずとてほしいままに議論を起こし、あるいは条約を破らんとし、あるいはいくさを起こさんとし、はなはだしきは一騎先駆け、自刃を携えて飛び出すなどの挙動に及ぶことあらば、国のまつりごとは一日も保つべからず。これを譬えばかの百人の商社兼ねて申し合せのうえ、社中の人物十人を選んで会社の支配人と定め置き、その支配人の処置につき、残り九十人の者どもわが意にかなわずとて銘々に商法を議し、支配人は酒を売らんとすれば九十人の者は牡丹餅ぼたもちを仕入れんとし、その評議区々にて、はなはだしきは一了簡をもって私に牡丹餅の取引きを始め、商社の法に背きて他人と争論に及ぶなどのことあらば、会社の商売は一日も行なわるべからず。ついにその商社の分散するに至らば、その損亡そんもうは商社百人一様の引受けなるべし。愚もまたはなはだしきものと言うべし。ゆえに国法は不正不便なりといえども、その不正不便を口実に設けてこれを破るの理なし。もし事実において不正不便の箇条あらば、一国の支配人たる政府に説き勧めて静かにその法を改めしむべし。政府もしわが説に従わずんば、かつ力を尽くしかつ堪忍して時節を待つべきなり。
 第二 主人の身分をもって論ずれば、一国の人民はすなわち政府なり。そのゆえは一国中の人民悉皆しっかい政をなすべきものにあらざれば、政府なるものを設けてこれに国政を任せ、人民の名代として事務を取り扱わしむべしとの約束を定めたればなり。ゆえに人民は家元なり、また主人なり。政府は名代人なり、また支配人なり。譬えば商社百人のうちより選ばれたる十人の支配人は政府にて、残り九十人の社中は人民なるがごとし。この九十人の社中は自分にて事務を取り扱うことなしといえども、おのが代人として十人の者へ事を任せたるゆえ、己れの身分を尋ぬればこれを商社の主人と言わざるを得ず。またかの十人の支配人は現在の事を取り扱うといえども、もと社中の頼みを受けその意に従いて事をなすべしと約束したる者なれば、その実は私にあらず、商社の公務を勤むる者なり。いま世間にて政府に関わることを公務と言い公用と言うも、その字のよって来たるところを尋ぬれば、政府の事は役人の私事にあらず、国民の名代となりて一国を支配する公の事務という義なり。
 右の次第をもって、政府たるものは人民の委任を引き受け、その約束に従いて一国の人をして貴賤きせん上下の別なくいずれもその権義を逞しゅうせしめざるべからず、法を正しゅうし罰を厳にして一点の私曲あるべからず。今ここに一群の賊徒来たりて人の家に乱入するとき、政府これを見てこれを制することあたわざれば政府もその賊の徒党と言いて可なり。政府もし国法の趣意を達すること能わずして人民に損亡を蒙らしむることあらば、そのたかの多少を論ぜずその事の新旧を問わず、必ずこれをつぐなわざるべからず。譬えば役人の不行届きにて国内の人か、または外国人へ損亡をかけ、三万円の償金を払うことあらん。政府にはもとより金のあるべき理なければ、その償金の出ずるところはかならず人民なり。この三万円を日本国中およそ三千万人の人口に割り付くれば、一人前十文ずつに当たる。役人の不行届き十度を重ぬれば、人民の出金一人前百文に当たり、家内五人の家なれば五百文なり。田舎の小百姓に五百文の銭あれば、妻子打ち寄り、山家相応の馳走を設けて一夕の愉快を尽くすべきはずなるに、ただ役人の不行届きのみにより、全日本国中無辜むこの小民をしてその無上の歓楽を失わしむるは実に気の毒の至りならずや。人民の身としてはかかる馬鹿らしき金を出だすべき理なきに似たれども、如何いかんせん、その人民は国の家元主人にて、最初より政府へこの国を任せて事務を取り扱わしむるの約束をなし、損得ともに家元にて引き受くべきはずのものなれば、ただ金を失いしときのみに当たりて、役人の不調法をかれこれと議論すべからず。ゆえに人民たる者は平生よりよく心を用い、政府の処置を見て不安心と思うことあらば、深切にこれを告げ、遠慮なく穏やかに論ずべきなり。
 人民はすでに一国の家元にて、国を護るための入用を払うはもとよりその職分なれば、この入用を出だすにつきけっして不平の顔色をあらわすべからず。国を護るためには役人の給料なかるべからず、海陸の軍費なかるべからず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり、その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前の頭に割り付けてなにほどなるや。日本にて歳入の高を全国の人口に割り付けなば、一人前に一円か二円なるべし。一年の間にわずか一、二円の金を払うて政府の保護を被り、夜盗押込みの患いもなく、ひとり旅行に山賊の恐れもなくして、安穏にこの世を渡るは大なる便利ならずや。およそ世の中に割合よき商売ありといえども、運上を払うて政府の保護を買うほど安きものはなかるべし。世上の有様を見るに、普請に金を費やす者あり、美服美食に力を尽くす者あり、はなはだしきは酒色のために銭を棄てて身代を傾くる者もあり、これらの費えをもって運上の高に比較しなば、もとより同日の話にあらず、不筋の金なればこそ一銭をも惜しむべけれども、道理において出だすべきはずのみならず、これを出だして安きものを買うべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払うべきなり。
 右のごとく人民も政府もおのおのその分限を尽くして互いにり合うときは申し分もなきことなれども、あるいは然らずして政府なるものその分限を越えて暴政を行なうことあり。ここに至りて人民の分としてなすべき挙動はただ三ヵ条あるのみ。すなわち節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守りて身を棄つるか、この三ヵ条なり。
 第一 節を屈して政府に従うははなはだよろしからず。人たる者は天の正道に従うをもって職分とす。しかるにその節を屈して政府人造の悪法に従うは、人たるの職分を破るものと言うべし。かつひとたび節を屈して不正の法に従うときは、後世子孫に悪例をのこして天下一般の弊風をかもしなすべし。古来日本にても愚民の上に暴政府ありて、政府虚威を逞しゅうすれば人民はこれに震い恐れ、あるいは政府の処置を見て現に無理とは思いながら、事の理非を明らかに述べなば必ずその怒りに触れ、後日に至りて暗に役人らにくるしめらるることあらんを恐れて言うべきことをも言うものなし。その後日の恐れとは俗にいわゆる犬の糞でかたきなるものにて、人民はひたすらこの犬の糞をはばかり、いかなる無理にても政府の命には従うべきものと心得て、世上一般の気風をなし、ついに今日の浅ましき有様に陥りたるなり。すなわちこれ人民の節を屈してわざわいを後世に残したる一例と言うべし。
 第二 力をもって政府に敵対するはもとより一人の能くするところにあらず、必ず徒党を結ばざるべからず。すなわちこれ内乱のいくさなり。けっしてこれを上策というべからず。すでに師を起こして政府に敵するときは、事の理非曲直はしばらく論ぜずして、ただ力の強弱のみを比較せざるべからず。しかるに古今内乱の歴史を見れば、人民の力はつねに政府よりも弱きものなり。また内乱を起こせば、従来その国に行なわれたる政治の仕組みをひとたびくつがえすはもとより論をたず。しかるにそのもとの政府なるもの、たといいかなる悪政府にても、おのずからまた善政良法あるにあらざれば政府の名をもって若干の年月を渡るべき理なし。
 ゆえに一朝の妄動にてこれを倒すも、暴をもって暴に代え、愚をもって愚に代うるのみ。また内乱の源を尋ぬれば、もと人の不人情をにくみて起こしたるものなり。しかるにおよそ人間世界に内乱ほど不人情なるものはなし。世間朋友の交わりを破るはもちろん、はなはだしきは親子相殺し兄弟相敵し、家を焼き人をほふり、その悪事至らざるところなし。かかる恐ろしき有様にて人の心はますます残忍に陥り、ほとんど禽獣きんじゅうとも言うべき挙動をなしながら、かえって旧の政府よりもよき政を行ない寛大なる法を施して天下の人情を厚きに導かんと欲するか。不都合なる考えと言うべし。
 第三 正理を守りて身を棄つるとは、天の道理を信じて疑わず、いかなる暴政の下に居ていかなる苛酷の法に窘しめらるるも、その苦痛を忍びてわが志をくじくことなく、一寸の兵器を携えず片手の力を用いず、ただ正理を唱えて政府に迫ることなり。以上三策のうち、この第三策をもって上策の上とすべし。理をもって政府に迫れば、その時その国にある善政良法はこれがため少しも害を被ることなし。その正論あるいは用いられざることあるも、理のあるところはこの論によりてすでに明らかなれば、天然の人心これに服せざることなし。ゆえに今年に行なわれざればまた明年を期すべし。かつまた力をもって敵対するものは一を得んとして百を害するのうれいあれども、理を唱えて政府に迫るものはただ除くべきの害を除くのみにて他に事を生ずることなし。その目的とするところは政府の不正を止むるの趣意なるがゆえに、政府の処置、正に帰すれば議論もまたともにやむべし。また力をもって政府に敵すれば、政府は必ず怒りの気を生じ、みずからその悪を顧みずしてかえってますます暴威を張り、その非を遂げんとするの勢いに至るべしといえども、静かに正理を唱うる者に対しては、たとい暴政府といえどもその役人もまた同国の人類なれば、正者の理を守りて身を棄つるを見て必ず同情相憐れむの心を生ずべし。すでに他を憐れむの心を生ずれば、おのずからあやまちを悔い、おのずから胆を落として、必ず改心するに至るべし。
 かくのごとく世をうれいて身を苦しめあるいは命を落とすものを、西洋の語にてマルチルドムという。失うところのものはただ一人の身なれども、その功能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱のいくさよりもはるかにまされり。古来日本にて討死うちじにせし者も多く切腹せし者も多し、いずれも忠臣義士とて評判は高しといえども、その身を棄てたる所以を尋ぬるに、多くは両主政権を争うの師に関係する者か、または主人の敵討かたきうちなどによりて花々しく一命をなげうちたる者のみ。その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。おのが主人のためと言い己が主人に申し訳なしとて、ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは不文不明の世の常なれども、いま文明の大義をもってこれを論ずれば、これらの人はいまだ命の棄てどころを知らざる者と言うべし。元来、文明とは、人の智徳を進め、人々にんにんみずからその身を支配して世間相交わり、相害することもなく害せらるることもなく、おのおのその権義を達して一般の安全繁盛を致すを言うなり。さればかのいくさにもせよ敵討ちにもせよ、はたしてこの文明の趣意にかない、この師に勝ちてこの敵を滅ぼし、この敵討ちを遂げてこの主人の面目を立つれば、必ずこの世は文明に赴き、商売も行なわれ工業も起こりて、一般の安全繁盛を致すべしとの目的あらば、討死も敵討ちももっとものようなれども、事柄においてけっしてその目的あるべからず。
 かつかの忠臣義士にもそれほどの見込みはあるまじ。ただ因果ずくにて旦那へ申し訳までのことなるべし。旦那へ申し訳にて命を棄てたる者を忠臣義士と言わば、今日も世間にその人は多きものなり。権助が主人の使いに行き、一両の金を落として途方に暮れ、旦那へ申し訳なしとて思案を定め、並木の枝にふんどしを掛けて首をくくるの例は世に珍しからず。今この義僕がみずから死を決する時の心をんで、その情実を察すれば、また憐れむべきにあらずや。使いに出でていまだ帰らず、身まず死す。長く英雄をして涙をえりに満たしむべし。主人の委託を受けてみずから任じたる一両の金を失い、君臣の分を尽くすに一死をもってするは、古今の忠臣義士に対してごうも恥ずることなし。その誠忠は日月とともにかがやき、その功名は天地とともに永かるべきはずなるに、世人みな薄情にしてこの権助を軽蔑し、碑の銘を作りてその功業を称する者もなく、宮殿を建てて祭る者もなきはなんぞや。人みな言わん、「権助の死はわずかに一両のためにしてその事の次第はなはだ些細なり」と。然りといえども事の軽重は金高の大小、人数の多少をもって論ずべからず、世の文明に益あると否とによりてその軽重を定むべきものなり。しかるに今かの忠臣義士が一万の敵を殺して討死するも、この権助が一両の金を失うて首を縊るも、その死をもって文明を益することなきに至りてはまさしく同様のわけにて、いずれを軽しとしいずれを重しとすべからざれば、義士も権助もともに命の棄てどころを知らざる者と言いて可なり。これらの挙動をもってマルチルドムと称すべからず。余輩の聞くところにて、人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉宗五郎 さくらそうごろうあるのみ。ただし宗五郎の伝は俗間に伝わる草紙の類のみにて、いまだそのつまびらかなる正史を得ず。もし得ることあらば他日これを記してその功徳を表し、もって世人の亀鑑きかんに供すべし。

引用文献


江守孝三(Emori Kozo)