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種類 | 友愛団体(秘密結社、非公開団体) |
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目的 | 会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くする |
本部 | 各地域の各ロッジ 事実上の総本部(イングランド・連合グランドロッジ) イギリス イングランドロンドン |
ウェブサイト | 事実上の総本部(イングランド・連合グランドロッジ) United Grand Lodge of England UGLE (英語) |
会員同士の親睦を目的とした友愛団体であり秘密結社 |
フリーメイソン(英: Freemasonry)は、16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社。
現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに[5]、200万人は米国のグランドロッジに所属している[6]。
「フリーメイソン」とは厳密には各個人会員の事を指しており、団体名としては英: Freemasonry(フリーメイソンリー)、仏: Franc-maçonnerie(フランマソヌリ)、伊: Massoneria(マッソネリア)、独: Freimaurerei(フライマウレライ)、露: Масонство(マソンストヴォ)である。以下、英語的な発音である「フリーメイソンリー」と記載するが、「フラン・マソン」や「マッソン結社」なども使われている[7][8]。なお本項目は「フリーメイソン」と表記しているが、日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している[9]。
この友愛結社(組合)は、管轄上、独立したグランドロッジもしくは一部が東方社(オリエント、大東社系)の形で組織され、それぞれが下部組織(下位のロッジ)から成る自身の管区を管轄している。これらの多様なグランドロッジは、それぞれが認め合い、あるいは拒否したりして、境界を形成する[* 2]。また、フリーメイソンリーの主要な支部には、関連した付属団体が存在するが、それらはそれぞれが独立した組織である。フリーメイソンリーは秘密結社[10]または「semi-secret」(半分秘密の)[11][12]団体と表現する場合があるが、いかなる団体であれ団体内部の秘密というものがあり、そうした視点においてフリーメイソンリーは広く知られた公開結社なのであるというフリーメイソンリー側の意見もある[13]。「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」と脅かして口伝で秘技を伝えた実務的メイソンの時代は400年間続いた[14]。
西洋史に深いかかわりをもつ。帝国郵便を担うトゥルン・ウント・タクシス家出身の皇帝特別主席代理は全員がフリーメーソンであった。
フリーメイソンリーは「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念がある[15]。
起源とフリーメイソンリーについては対外的な資料が少ないため、諸説存在する。レギウス・マニュスクリプトとして知られるある詩人は、およそ1390年頃と疑われる、としており、これは諸説あるメイソン起源説の中では、もっとも早くに上るものである。[16] 16世紀には、スコットランドにメイソンのロッジ(Masonic Lodge)が存在していた、とする証拠もある。[17] 例えば、スコットランドのキルウィーニングのロッジには、16世紀後半の記録があり、それは1599年にあった第二シュワー法に言及している。[18] イングランドにおいては、17世紀中盤にはロッジが存在していたことを示す明白な書証がある。[19] 最初のグランドロッジである英国グランドロッジ(GLE、グランドロッジ・オブ・イングランド)は1717年6月24日に設立され、この日に、4つの既存のロンドンのロッジが合同で晩餐をしている。 こうして統括機関は素早く拡張され、殆どの英国のロッジが結合した。 しかし、少数のロッジは、GLEが企図した例えば第三位階の創設のような幾つかの近代化に憤然として、1751年7月17日にこれに対抗したグランドロッジを形成し、彼らはそれを古代英国グランドロッジと称した。[20] この「近代」(GLE)と「古代」の二つのグランドロッジは、1813年9月25日に英連邦グランドロッジ(UGLE)に統合されるまで、互いに覇を競った。 アイルランド・グランドロッジとスコットランド・グランドロッジは、それぞれ1725年と1736年に形成された。 フリーメイソンリーは、1730年代までには古代、近代共に北米の英植民地に進出し[* 3]、多様な州グランドロッジを組織した。 独立戦争後、米国のグランドロッジは独立し、それぞれの州に根を下ろした。 何人かは、ジョージ・ワシントンを初代グランドマスターとして、これらを股にかけた合衆国グランドロッジの組織を構想したが、多くのグランドロッジが統合によって、自分達の権威が低下するのを望まなかったため、このアイディアは短命に終わった。[21]
古代であれ近代であれ、ロッジを運営するにあたって行なっているメイソンリーとしての活動内容に差はなかったのだが、こうした部門はF.& A.M.(Free and Accepted Masons)だったり、A.F.& A.M.(Antient Free and Accepted Masons)だったりと、そのネーミングに名残を見出し得た。
ヨーロッパの最も古い管区であるフランス大東社(GOdF)は、1733年に設立された。 しかしながら、大東社は至高の存在(メイソンでは、複数の宗教の会員がいることから各員が神と信じるものを最大公約数をとってこう表現する)への尊崇義務を会員規定から撤廃し、英語圏メイソンとの確執を引き起こし、両社は1877年頃、公式の関係を断絶した[22]。 こうした中で、グランドロッジ・ナショナーレ・フランセーズ(GLNF)が、一般に英連邦メイソンとの友好関係を保ち、世界と調和した唯一のグランドロッジとなった。 こうした経緯故に、しばしばフリーメイソンリーは相互に親善関係にない二つの系統から構成されるといわれている。
ラテン系の地域においては、一説によると大東社系スタイルの大陸型メイソンが優勢を占めていたとされるが、英連邦メイソンと友好関係にあるグランドロッジも存在し、それは英メイソンと友愛関係を仲良く分かち合っている。 世界の他の地域においては、マイナーなバリエーションも存在するが、フリーメイソンリーの大部分は、英連邦メイソンのスタイルに近似の傾向にある。
石工組合としての実務的メイソンリーが前身として中世に存在した、とする説もある。こうした職人団体としてのフリーメイソンリーは近代になって衰えたが、イギリスでは建築に関係のない貴族、紳士、知識人がフリーメイソンリーに加入し始めた(思索的メイソンリー。「思弁的-」とも)。それと共に、フリーメイソンリーは職人団体から、友愛団体に変貌したとするのである。
または、実務的メイソンリーとの直接の関係はなく、その組織を参考に、貴族たちが別個に作ったのが、思索的メイソンリーであるともいう。中世ヨーロッパでは、建築はあらゆる分野の技術に精通する必要がある「王者の技術」とされ、建築学や職人の社会的地位は高かった。また、技術の伝承についても厳しい掟が設けられた。その神秘性から、実務的メイソンリーが貴族などに注目され、薔薇十字団の正体ではないかと期待する者もあった。もっとも、これについては実務的メイソンリーはあくまでも石工団体であり、期待は裏切られた結果に終わったようである。
石工団体を元にした名残りとして、石工の道具であった直角定規とコンパス(Square and Compasses)がシンボルマークとして描かれ、内部の階位制度には「徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方(棟梁とも訳す。Master Mason)」の呼称が残っており、集会においては、元は石工の作業着であるエプロンを着用する。なお、ピラミッドに目の「プロビデンスの目」をシンボルとするのはフリーメイソンだけではなく、啓蒙時代のヨーロッパにおいて啓蒙思想の立場をとる団体が好んで使用したシンボルであり、フランス人権宣言の上部にシンボルが描かれているのも、基本となる考え方が啓蒙時代の哲学的、政治学的諸原理に由来するためである。
友愛団体に変貌したフリーメイソンリーは、イギリスから、商業や文化のネットワークを介して、ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ大陸、さらには西欧諸国従属下にあるアフリカやアジアの植民地にまで広まった[* 4]。民間人を対象とする国際的な互助組織がない時代だったので、会員であれば相互に助け合うというフリーメイソンリーは、困難を抱えた人間にとって非常にありがたかった。ウィーンのロッジに加入していたモーツァルトは、同じロッジのフリーメイソンに借金の無心をした記録が残っている。 フリーメイソンリーが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げるヨーロッパ系フリーメイソンリーは、特定の宗教を否定することから、自由思想としてカトリック教会などの宗教権力からは敵視された。とりわけフランス革命の当事者たちの多くがフリーメイソンであったため、しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。ナチス・ドイツの時代にはマルクス主義や自由主義とともに民族の統一を阻む抹殺されるべき教説[23]として扱われ、弾圧を受けた。独立戦争にかかわった多くの会員がいたアメリカにおいても白眼視される傾向があった。ちなみにニューヨークの自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物という側面もあり、台座の銘板にはその経緯とメイソンリーの定規・コンパス・Gの紋章がきざまれている[24]。
フリーメイソンリーの入会儀式は秘密とされたが、そのために、かえってさまざまな好奇心をかきたてた。トルストイの『戦争と平和』では1810年代のロシアのフリーメイソンの会合が描写されている。またモーツァルトの『魔笛』にフリーメイソンリーの入会儀式の影響を指摘する意見もある。
1936年ベルリンオリンピック。客席にヒトラー総統旗(ヒトラーの個人的紋章旗 )が掲げられている。独裁者ヒトラーはオリンピックをユダヤとフリーメイソンが発案したと考えていた[27]。ヒトラーは最初のうち開催を嫌がったが、側近から政権を高らかに謳うことができると説得され開催する気になった。イツ中にフリーメイソンの居場所などどこにもないと声明を発表したのは1933年である[28]。
カトリックとの対立関係は長く、1738年に時のローマ教皇クレメンス12世がフリーメイソンの破門を教書で宣告した(ただし、直接対立したのは前述のフランス大東社系が中心)。もっとも、カトリックの影響力低下もあり、もとよりイギリスなどプロテスタント(あるいはイギリス国教会)諸国では破門の影響はほとんどなかった。一方カトリックの少なくないフランスでは、両者の対立はカトリックによる一方的な圧力に留まらず、逆に政教分離を主張したフリーメイソンリーなどの影響で、公立学校から聖職者が追放される事態も起こった。1983年に破門は一応解除されたが、カトリックは公的にフリーメイソンを危険視する姿勢を崩していない。しかし、カトリック信徒でフリーメイソンリーに入会する者は少なくないという。
フリーメイソンに関する歴史やテンプル騎士団との関係については、M.ベイジェント、R.リー『テンプル騎士団とフリーメーソン』(林和彦訳、三交社刊)に詳説されている。
元フリーメイソンであった創始者による新宗教も多く、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスならびに二代目大管長ブリガム・ヤング(加入はブリガム・ヤングが先)、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)の創始者チャールズ・テイズ・ラッセル、クリスチャン・サイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディらがいる。
日本グランドロッジのグランドセクレタリー[29]であり2002年にグランドマスターを務めた[30][31]フィリップ・A・アンブローズによるとボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなどはフリーメイソンリーからの派生であるという[32]。高須克弥が名誉会員に名を連ねる「と学会」[33]の運営委員でフリーメイソンに関する書籍を著している皆神龍太郎(『トンデモフリーメイソン伝説の真相』『検証 陰謀論はどこまで真実か』等)によると、「フリーメイソンは何をしているのか」という問いはロータリークラブやライオンズクラブが何をしているのかという問いと同様であり、ボーイスカウトを思い浮かべてもよく、ボランティア活動も一生懸命で、フリーメイソンはロッジ内で商売や政治の話はできないので陰謀を巡らせるような組織でもないそうである[34]。
フリーメイソンリーとは「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体であり、ボーイスカウト、ロータリークラブ、ライオンズクラブ等の社会奉仕団体のような慈善活動も行うが、慈善活動が全てというわけではない[13][35]。
ロータリークラブの創始者であるポール・P・ハリスはフリーメイソンであったが[* 5]、社会奉仕と慈善活動に専念する公開結社として、ロータリークラブを設立したといわれている。愛知県江南市のロータリークラブの話では、フリーメイソンリーからロータリークラブになった経緯としては、ポール・ハリスはフリーメイソンリーのように閉鎖的な秘密結社より開かれた組織を求めたのであろうということであり、ロータリークラブ側(RIA)は組織としてのフリーメイソンリーとの関わりは否定しているということである[36]。フリーメイソンの高須克弥(高須クリニック院長)の話ではフリーメイソンリーがロータリークラブと同様の組織であるかというと、全く違うようである[37]。元国際ロータリー会長レイモンド・ヘイバンズ(Raymond M. Havens)らもフリーメイソンである[38]。
ライオンズクラブでは、ライオンズクラブ国際協会の創設者メルビン・ジョーンズ[39]はフリーメイソンである[40]。
ボーイスカウトとフリーメイソンリーの関係において、ボーイスカウト創設者の英国陸軍少将ロバート・ベーデン=パウエルは妻オレブによるとフリーメイソンではなく[42]、娘のベティも父ロバートはメイソンのメンバーではないという[43]。
ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった[42]。ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり[42]、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である[44]。
「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」のように、ボーイスカウトたちによって作られたロバート・ベーデン=パウエルにちなんだフリーメイソンリーのロッジもあり[42]、「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」は、1929年、豪ビクトリア州知事でビクトリアグランドロッジのグランドマスターを務める[45]フリーメイソンのサマーズ男爵らの会議によりボーイスカウトのフリーメイソンロッジが計画され、設立された[46]。サマーズ男爵はボーイスカウトの理事長、副チーフ・スカウトを経て、1941年のロバート・ベーデン=パウエルの死後、ロバートを引き継いでチーフ・スカウトになった。「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」はロバート・ベーデン=パウエルの名が付けられた最初のロッジであり[42]、また存命人物の名がロッジに付けられることは異例であった[46]。ロバートはこのロッジのために「With best wishes for the success of the Lodge in its good work. Baden-Powell of Gilwell, 12th May 1931」と銘記した[42][46]。
スカウトの名を冠するフリーメイソンリーのロッジ「スカウトロッジ」もある[47][48]。
ロバート・ベーデン=パウエルはノーベル文学賞作家ラドヤード・キップリングと友人であった[42][49]。1916年、ロバートは低年齢のスカウトへの教えに適した物語が必要と思い、キップリングの著書『ジャングル・ブック』(1894年)をカブ・スカウト(ウルフ・カブ)のハンドブックのメインテーマに使いたいとキップリングに頼んだ[49]。キップリングは承諾した[49]。キップリングは1886年にメイソンリーに入会し1889年にメイソンリーを辞め、1909年に再びメイソンリーに参加し、1910年に名誉会員を務め、1922年に「Builders of the Silent Cities Lodge No. 12」の設立に関与し、その後生涯にわたりその設立したロッジの会員であった[50][51]。
1907年に英国で発足したボーイスカウトが米国に設立されたのは1910年である。アメリカのボーイスカウト(BSA)設立は英国のあるボーイスカウト少年の善行に由来する[52]。BSA設立発起人(incorporator)となる米国人実業家ウィリアム・ディクソン・ボイスが1909年に英国ロンドンに滞在中、濃霧で道に迷ってしまい、ある少年がボイスを助けた[53][54]。その少年はボーイスカウトであり、ボイスがお礼のチップを用意しても、少年は人に親切にすることはスカウトの義務であると説明しチップを受け取らなかった[53][54]。少年に感激したボイスは、ロバート・ベーデン=パウエルに会い米国にボーイスカウトを設立することを提案し、アーネスト・トンプソン・シートン、ダニエル・カーター・ビアード(ダンおじさん)、ジェームス・E・ウェストの3人の協力のもと、1910年2月8日にBSAを設立した[54][55]。ロバート・ベーデン=パウエルと彼ら4人の設立者のうち(BSA設立前または設立後に)フリーメイソンであったことが確認されているのはウィリアム・ディクソン・ボイス[41][56]、ダニエル・カーター・ビアード[41][57][58]、ジェームス・E・ウェスト[41]の3人である。BSAの設立発起人となったボイスの他3人は設立時の役員に就任した。またダニエル・カーター・ビアードが組織していたSons of Daniel Boone(後にBoy Pioneers of America)は、BSAが設立されるとBSAに合併した[53][58]。ボイスが1915年に設立したLone Scouts of Americaは1924年にBSAに合併した[53]。
ボーイスカウトにより「ダンおじさん」(Uncle Dan)として親しまれるダニエル・カーター・ビアードはフリーメイソンリーとボーイスカウトとの関係を最初に築いたフリーメイソンであるという[59][60][61][62]。またBSAへの貢献によりメソニック・ロッジの会員すなわちフリーメイソンにメダルが贈られる「ダニエル・カーター・ビアード・メソニック・スカウター・アワード」があり、これはフリーメイソンリーによる栄誉としてBSAの承認を得て創設された賞である[59]。
BSA設立発起人ウィリアム・ディクソン・ボイスの他、BSA設立時の14人の役員[53]のうち(BSA設立前または設立後に)フリーメイソンであったことが確認されているのは、名誉会長のウィリアム・タフト[63][64]、名誉副会長兼チーフスカウト市民のセオドア・ルーズベルト[64][65][66]、副会長のミルトン・A・マクレー[67]、同じく副会長のベンジャミン・L・デュラニー(Benjamin L. Dulaney、1857年生)[68]、ナショナルスカウトコミッショナーのダニエル・カーター・ビアード(ダンおじさん)、チーフスカウトエグゼクティブのジェームス・E・ウェストなど。その他、チャールズ・イーストマンやグリフィス・オグデン・エリスらフリーメイソンと確認されている人物[58][69]が設立に関与した。
第二次世界大戦後の日本においてボーイスカウトは日本のフリーメイソンリー復興に大きな役割を果たし、またフリーメイソンリー側では米国のメイソンたちが日本のボーイスカウトを支援する約束をした[70]。1947年、連合国軍占領下の日本におけるボーイスカウト活動再開を許可した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーはフリーメイソンであった[70]。マッカーサーは1949年9月から1951年4月の帰国までボーイスカウト日本連盟の名誉総長を務めた[71]。ボーイスカウト日本連盟の前身である少年団日本連盟初代総裁の後藤新平はフリーメイソンであり[72]、戦後のボーイスカウト復興に取り組んだボーイスカウトの幹部村山有と三島通陽も後にフリーメイソンリーに入会した[70]。
日本のフリーメイソンリーはボーイスカウト団体を支援している[73]。
日本のフリーメイソンリーの恒例行事「メソニック子ども祭り」にはボーイスカウトが参加する[74][75]。
フリーメイソン日本グランド・ロッジの公式ホームページによれば、「会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くしようとする団体」であるとされているが、具体的な活動内容は非公開である。対外的には学校設営や、慈善団体への資金援助などのチャリティ活動を行っており、日本では5月に子ども祭り(メソニック子ども祭り)、8月にバーベキューが催され、これには会員以外の一般人も参加可能であるという。その他行事として「昼食会」「野外活動」「遠足」「チャリティ・コンサート」などがある[76]。社会福祉として孤児院、ホームレス、レイプ被害者、眼球バンク、火傷した子供、盲導犬等に関わる活動を支援している[73]。
会員同士の親睦を深め合うことも活動の一環であり、集会後の食事会も正式な活動である。初期のロッジは、レストランやパブ、居酒屋、宿泊施設が多かった。
フリーメイソンリーは、原則として国や州を単位とする、グランド・ロッジ(Grand Lodge(英語版))と呼ばれる本部があるものの、全体を統制する総本部はない。ただし、最初にグランド・ロッジの成立した、イングランドのグランド・ロッジによる認証が本流であるとする認識から、これを「正規派」「正統派」と称し、同グランド・ロッジが認証しないロッジは非正規な存在と見なされることが多い。以下の「#会員数」「#入会条件」も、正規派とされるフリーメイソンリーの例である。
グランド・ロッジはプロビンシャル・グランド・ロッジ(Provincial Grand Lodge)やディストリクトグランドロッジ(District Grand Lodge)と呼ばれる県・地域支部、および直轄に管理されるロッジで構成され、県・地域支部はロッジと呼ばれる支部から構成される。ただし、活動規模の小さい国や地域では、グランドロッジは県・地域支部を置かず、ロッジを直接管理している場合もある。日本においては一般財団法人日本メイスン財団(公益法人制度改革に伴い、厚生労働省所管の公益法人であった財団法人「東京メソニック協会」から2012年4月1日改組)と任意団体「日本グランド・ロッジ」傘下のロッジ群の2形態で構成され、日本メイスン財団所有の建物に日本グランド・ロッジが入居し、各ロッジの福祉関連事業は財団の事業予算で支援されている。また、イングランド系、スコットランド系、フィリピン系、アメリカ・マサチューセッツ州の系統、アメリカ・ワシントン州のプリンス・ホール系(黒人系)ロッジが日本グランド・ロッジとは別系統で存在する。それらの殆どは在日米軍基地内にある軍事ロッジ(軍人により設営されるロッジ)である。
ロッジは他のロッジから認証されることで、フリーメイソンのネットワークに加入できる。あるロッジの振る舞いがフリーメイソンリーとして不適切であった場合、他のロッジはそのロッジへの認証を取り消すことで排除する。正式名称が Free and Accepted(承認された) Masons であるのはそのためである。
会員は"Brother"(兄弟)と互いに呼びあう。会員は秘密の符牒(ふちょう)や握手法で「兄弟」かどうかを見分け、「兄弟」はいざという時は助け合うことになっている。欧米には有力者の会員も多いため、さまざまな場面で有利に働くことがあるという(人脈が出来る)。ただし、ロッジには外の問題を持ち込まない決まりになっているとされる。また、符牒や握手法は秘密の建前ながら、現実には暴露本などで有名になりすぎたため、欧米ではむやみに使いたがる非会員も少なからず存在する。そのため、実際に会員を見分ける必要がある時は会員証を提示させるか、それができない状況ならば、さらに込み入った質問(test question、検分質問)を行っているという[79]。
また、ヨーロッパのフリーメイソンには準会員に相当する存在として、"serving brother"(奉仕する兄弟)が設けられている。これは、初期にレストランなどを利用してロッジの会合を開いていたことに端を発する。店主や給仕などにも守秘義務を課す必要があったため、必要最小限の参入儀礼を執り行い、準会員相当の資格を与えた上で、実務的な内容の誓約を取り交わすことにしたのである。専用のロッジが一般的になると、今度は門外門衛(門番)に有給で「奉仕する兄弟」を雇用する事例が増えた。門外門衛は職務上儀式に参加できないため不人気であり、会員のみでは人手不足になりがちだからである。また、貴族を会員に迎え入れた場合、その従者を徒弟か、あるいは「奉仕する兄弟」にしたり、軍事ロッジで雑務を行う下級兵士を「奉仕する兄弟」にした例もある。アメリカでは準会員の制度は無いが、施設の維持管理などは、信頼の置ける非会員を有給で雇う例が少なくない[80]。
会員数については上述したが、非公開的な結社である為、異説もあり、日本グランド・ロッジによれば、世界に上述の半数の約300万人とされている。また、2011年に『ウォール・ストリート・ジャーナル』が報じたところによると、2000年代半ばに200万人を切り、現在は140万人になっている[77]。『朝日新聞』に明らかにしたところによれば、日本での会員数は約2000人で、多くは在日米軍関係者。日本人は300人程度という[10]。その為海外からの日本グランド・ロッジに対する認識はいわゆる「軍事ロッジ(または「ミリタリー・ロッジ」)」であるという。日本人における会員第一号は、西周。米軍関係者は国外への異動も多くその実数は変動する。また、日本国内には、フィリピン系ライジングサン、黒人系プリンスホール等のロッジ、及び会員も別途存在する為、正確な会員数は不明。日本のロッジでは英語と日本語、またはそのいずれか一方が使用されている[81]。
入会資格として何らかの真摯(しんし)な信仰を要求しており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(以上アブラハムの宗教)の信徒はもちろん、仏教徒[82]などであっても入会できる。無神論者は入会できない(例えば日本のあるロッジではそのようである[35]。しかしながらメキシコの大統領プルタルコ・エリアス・カリェスのように無神論者で共産主義者のフリーメイソン[68]もいるようである。#フランス大東社とフランスでの動向も参照。)。たとえ信仰する宗教があったとしても、社会的地位の確立していない宗教(例として新宗教各派)である場合は入会できない。ただし、特定の宗教を信仰していなくても、神(あるいはそれに類する創造者)の存在を信じるものであれば、入会資格はある[35]。これらの信仰を総称して、「至高の存在への尊崇と信仰」と呼ぶ。
そのほかの入会資格として、成年男子で[35]、世間での評判が良く、高い道徳的品性の持ち主であり、健全な心に恵まれ、定職と一定の収入があり[35]、家族がいるならばきちんと養っていること[35](独身者も入会できる[83])、身体障害者でないことが求められる。ただし、二度の世界大戦で傷痍軍人が激増し、社会活動する身体障害者は珍しくなくなった。そのため、現在は身体障害者排除の規定は廃止されていないが、ロッジの裁量で入会を認めることができるようになっている[84]。国立ロッジNo. 3の入会条件からも、各国・各ロッジごとに差異があることが伺われる[35]。京都メソニック・ロッジNo.5では「関西圏内に12ヶ月以上居住していること」という条件があった[85]。
ロッジ会員の投票で全会一致の承認を得た上で、さらに身辺調査を行い最終的に決定する。また、入会時には4万円から6万円程度の一時金が必要である。この他、年会費として6千円前後。アメリカでは、入会金450ドル、年会費300ドル[77]。そしていざ入会する際には儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる。そのため事前にコーチが付いてレクチャーも行われる(なお、階級昇進においても儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる)。入会を拒否された場合でも、一定期間を置いて再申請は可能。 儀式の中にはソロモン神殿の築家棟梁ヒラム・アビフの伝承等をメイソンの理念に絡めた演劇を行うものが存在する。
日本グランド・ロッジでは、月に1度無料説明会を行っている[86]。1970年代には会員数が5000人規模[32]に達したが、その後減り続け、2000人規模まで落ち込んだ。2006年、『ダ・ヴィンチ・コード』が映画化され、これを観た入会志望者が増加。無料説明会を開くようになった。しかし、2008年に広報担当の渡辺一弘と北村安忠が朝日新聞の取材に応じた際の渡辺の説明によると、「人脈作りを期待したり、秘密結社という想像を膨らませたりして入って、期待と違うとやめていく人が多い」ということであった[10]。
アメリカでは、会員数減少に歯止めを掛けるため、説明会の広告を出し、集団儀式を主催して数百人単位での新規入会を行うようになった。しかし、『Freemasons For Dummies』の著者クリストファー・ホダップ(2005年の初版当時三十二階級メイソン)によると、「高齢団員による絶望的なグループ」、「請求書の支払いやまずい食事、誰がユニフォームにアイロンをかけるか、といったことに関する長時間の会議」などを目の当たりにして、新人の多くは2度と姿を見せなかった。ただし、こうした努力の結果、会員数減少に歯止めは掛かっているという[77]。
また、メイソンの食事会・集会・ロッジにおける政治活動も禁じられており、宗教や政治問題を持ち込んではならないとしている(中立性を保つこと、差別の排除、全人類の兄弟愛の実現等のため)[35]。
自分が会員であることを隠す必要はなく、会員であることを公言している人もいる。ただし、自分以外の会員について、その者が存命中に会員であることを公表することは禁じられている。入会勧誘は内規で禁じており、公募はしていない(実際には、前出のように無料説明会も開いているのだが、直接の勧誘はしない建前)。入会には2人の推薦者(保証人)が必要とされる。推薦者となる2人のフリーメイソンの友人・知人がいない者は、ロッジを訪問し、多くの会員たちと交流する中で推薦人を見つけることもできるようである[35]。入会の前に多数のメイソンリー会員と知り合うことは重要なことのようである[87]。
外部の取材については、かつては厳しく制限していたが、近年は「フリーメイソンズ・ホール」に「The Library and Museum of Freemasonry」を併設して、蔵書を閲覧できるようにしたり所蔵品を紹介するツアーを実施している。また定期的にグランドマスターの就任式を公開したり、テレビカメラの前で会員が儀式劇を再現するなど少しずつ情報公開に方向転換している[88][77]。ちなみに、日本グランド・ロッジの儀式見学を許された初めての取材者は赤間剛である[89]。これはあくまで外部取材についての話で、ジャーナリストの会員はこれ以前から少なからず存在する。
女性は入会することができないが、外郭団体として第3階級マスター・メイソン(親方。#階級参照)の妻、母、姉妹だけが入会できるイースタン・スター(東方の星の結社)(The International Order of Easten Star)が存在する。こうした外郭団体は、女性を対象とするものでも会員(もちろん男性)がお目付役兼サポーターとして付けられている[90]。また、一部のロッジでは、女性のフリーメイソンリー会員を認めているところもあるが(例えばGrande Loge féminine de FranceやGrande Loge mixte de France)、多くのロッジでは伝統などを理由にこれを認めておらず、排除している。ちなみに女性会員の場合でも呼び方は「シスター」ではなく「ブラザー」である。
子供から入会できる外郭団体としては、男子はディモレー結社(デモレー)、女子は国際ヨブの娘たち、少女のための虹の国際結社(虹の少女たち)などがあり、ボーイスカウトやガールスカウトに類似する活動を行っている。ディモレー結社や虹の少女たちは、親が非会員でも入会できる[91]。
イングランドのロッジが認証していない「非正規」ロッジと、フリーメイソン以外の秘密結社の区別は、しばしばあいまいである。
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ラ・マルセイエーズ (ベルリオーズ編曲版) - フリーメイソンのルージェ・ド・リール大尉が1792年に作詞作曲した『ラ・マルセイエーズ』。1795年にフランス国歌。 |
「非正規」派のグランド・ロッジとして有力なのは、フランスの「フランス大東社」(GODF)である。ただし、当初は英米系と相互承認関係にあった。同ロッジは従来のフランス・グランド・ロッジから独立した勢力を統合し、1773年10月22日発足した。仏大東社は、英米系のロッジと違い、組織として政治活動に加わる者も少なくなかった(フランス革命では、フリーメイソン思想のかかわりが指摘される反面、関係者が多数処刑されている。また、ロッジとしてはむしろアンシャン・レジームの立場で、革命は彼等の予想外の出来事だったとする研究もある[94]。従って、政治活動に加わっていても、組織だって革命に与したかどうかは議論がある)。
フランスでフリーメイソンリーが政治的影響を強めるのは19世紀後半、第三共和制期に入ってからである。政治活動を禁じた「正規派」と異なり、仏大東社は圧力団体としても機能した。
1877年9月13日、仏大東社は憲章を改訂して「至高の存在への尊崇と信仰」の義務規定を撤廃し、「良心の自由と人間性の確立」を新たな基本理念と定めた。これを基本理念の逸脱と見なした英系ロッジは、仏大東社の認証を取り消した。ただし、「正規派」メイソンの片桐三郎によれば、1867年、仏大東社がアメリカ・ルイジアナ州に設立したスコティッシュ・ライト評議会(上位階級授与のための組織、後述)が、同州のグランド・ロッジに管轄権を要求したため、米国系ロッジはこれを不服とするルイジアナ州のグランド・ロッジの要請に基づき、仏大東社の認証を取り消した事件があった。片桐によれば、英米系との対立はこの事件がきっかけであり、憲章改訂はだめ押しに過ぎなかったとしている[95]。その結果、仏大東社は「無神論者」のレッテルを貼られたが、これは信仰の自由・信仰しない自由を共に認めたものであり、信仰そのものの否定ではない。さらに、その後共産主義者の入会も認め、Arthur Groussier、フレッド・ツェラーなどグランドマスターになった者もいる。
また、フランスのロッジに女性会員(仏大東社自体は認めていない[* 6])やアフリカ系(黒人系)会員を認めたことも、「正規派」による非難の理由とされた。すなわち、当時の「正規派」が人種差別思想を多分に持っていたことを意味する。
現在でも、フランスでは仏大東社系のフリーメイソンリーが最大勢力である[* 7]。政治的には、19世紀末から20世紀初めに、カトリックとの対立の所産でもある政教分離推進に強い影響力を持った。そのため、1904年にはフランスはローマ教皇庁との国交断絶に至った(現在は国交回復)。その後影響力を低下させたが、1936年の総選挙で人民戦線が勝利した背景にも、仏大東社の仲介があったという。戦後も、民族自決の立場からフランス植民地だったアルジェリア独立を支持するなど、仏大東社は政治的発言を行っている(特定の支持政党はないが、おおむね社会党に近いとされる)。
仏大東社は、ベルギー大東社などとCLIPSASを設立している。「正規派」に比べて少数ではあるが、欧州や中南米を中心に約8万人がこれに属しているという。なお、「大東社」を名乗っているロッジがすべて仏大東社系ではない。「正規派」で大東社を称するロッジも多いのである。
フランス大東社の本部内にあるフリーメイソン博物館「Musée de la Franc-Maçonnerie」。最初フランス大東社が1889年に博物陳列室として設立した。2000年にフランスの公式博物館になった。
フランス大東社の著名なロッジ「九姉妹神」(La loge des "Neuf Sœurs")のコイン裏面。表面は九姉妹神ロッジのメイソンで米国の政治家ベンジャミン・フランクリン[96]。
女性・男性混成のフリーメイソンリー団体「人権」(Le Droit Humain)の建造物。パリのジュール・ブルトン通りにある。
過去に「非正規」派として知られていたのが、アメリカの黒人メイソン、プリンス・ホール(Prince Hall)によるグランド・ロッジ、「アフリカ・ロッジ」である。1784年9月20日、ボストンで設立された。こちらも1787年に一度イングランドのグランド・ロッジから承認を受けていた。しかし、活動が休眠状態となり、納付金滞納を理由に1813年に認証を取り消された。
1827年、活動を再開し納付金支払いを英グランド・ロッジに願い出たが、英側はこれを無視した。やむなく、同年6月28日、独自のグランド・ロッジ設立を宣言。仏大東社との大きな違いは、黒人によるロッジは、従来の英米系ロッジと全く変わることのない憲章を奉じていたことである。そのため、最初の納付金滞納はともかく、その後支払いを願い出ても相手にせず、英米系ロッジが黒人のグランド・ロッジを無視し続けたことは、英米系ロッジによる人種差別思想の表れといえた。
黒人によるロッジは独自に勢力を拡大し、米国とカナダを中心に、日本にもロッジを設けている。「正規派」が黒人によるロッジを再承認するようになったのは、1980年代も後半になってからである。1994年には、イングランド・グランド・ロッジとの相互承認を回復した[97]。
プリンス・ホールの息子でアフリカン・ロッジで活動したプリムス[98]が設立に参加した教会「African Meeting House」(アメリカ合衆国国家歴史登録財)。ここにプリムス主催の学校があった。
米シアトルのプリンス・ホール・メソニック・テンプル。ワシントン・ アンド・ジュリスディクションのプリンスホール・グランドロッジ[99]。
米ボルチモアにあるプリンス・ホール・メイソンリーの所有物件「Eutaw Place Temple」。もとはドイツ人ユダヤ教徒のシナゴーグ。
アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されているマサチューセッツ州のプリンス・ホール墓地。メイソンのエプロンを着用して戦没将兵追悼記念日に集うメイソンたち[100]。
反メイソンリー(あるいは反メイソンリーと呼ばれる者達)は、「フリーメイソンに対する対抗勢力(opposition to Freemasonry)」と定義されてきた。[101][102] しかしながら、こうした反メイソンの性向は必ずしも共通しているわけではない。反メイソンリーは、多様なメイソンに敵対的な集団による、幅広い様々な批判から成っており、多くの暴露や告発が、18世紀以来行われてきた。1826年以来起きた「モーガン批判」のような政治的な反駁は、一定期間にわたる反メイソン運動を生みだし、それは未だに使われることがある。[103]
フリーメイソンリーは宗教に挑戦する信条を形成するとされることがあり、あるいはそれ自体が異端団体であり批判を招くこともある。[104]
多様な宗派の構成員達が批判説を唱えるが、とりわけクリスチャンの宗派はメイソンに対し高姿勢で接し、信者達に会員になることを禁止したり反対したりしてきた。
フリーメイソンリー批判において、最も歴史の長い宗派は、ローマ・カトリック教会である。教会の教理に真っ向から矛盾する自然主義的な理神論を唱えていることから、カトリック教会によるメイソン批判がなされてきた。[105]こうして、数名の教皇達の回勅が、フリーメイソンリーに反対して発布された。その最初のものは、教皇はクレメンス12世の1738年4月28日の回勅であり、最後のものはレオ13世の1890年10月15日の使徒的書簡である[106]。1917年発布の教会法は、特にフリーメイソンリーに入会する者は必然的に破門になると明白に謳っている。また、同年の教会法ではメイソン的と思われる書籍が禁止されている。 1983年になると、教会は新しい教会法を発布した。それは、前の教会法のように、メイソンの団体を秘密結社であると名指しでは批判をしていないが、以下のように記している。 「反教会的な陰謀を持つ結社に参加する者は、即座に処罰を被る。そのような結社を助長したり、入会したりする者は、聖務禁止の罰を被る。」 ここでメイソンという表記がなくなっていることから、第二バチカン公会議によりリベラル化した教会においては、カトリック信者のメイソンリーへの参加禁止の態度が変化したのではないか、という考えを、カトリックの側でもまたメイソンの側でも引き起こすことになる。[107] しかしながら、ヨーゼフ・ラッツィンガー(後のベネディクト16世)は、枢機卿在任時に教理省長官として、メイソンの組織に対して公に以下のように宣言している。
「メイソン組織に対する教会の否定的な判決は、彼らが教会とは相容れない教義を持つようになって以来、変わることなく残っている。それゆえ、そこに参加する者達は、除外された状態であり続ける。メイソン組織に登録される信者は、大罪の状態にあり、聖体拝領に与ってはいけない。」
それゆえカトリックの考え方によると、メイソンのロッジへの参加はいまだに破門に該当する行為であり続けるということになる。一方、フリーメイソンリーはカトリックとの友好関係の構築に反対しているわけではない。英連邦グランドロッジとそれに連なるロッジ群は、教会の主張を否定して「フリーメイソンは宗教ではなく、宗教の代理でもない」としている。[108]
カトリックの訴えとは対照的に、プロテスタントの側からの批判は、フリーメイソンが神秘主義、オカルト主義、悪魔主義であるとする見地に根ざしているようである。[109]たとえば、メイソンの学者アルバート・パイクは、しばしばプロテスタントによって、メイソンの権威的な立場にいる者として扱われる[110]。しかし、パイクは博識ではあるが、公的な情報だけに依拠するなら、議論の対象になっているようフリーメイソンリーのスポークスマンではなく、さらにはこうした批判は、19世紀の合衆国で孤立していた南部のフリーメイソンリーに対する姿勢と無理解に基づいているとフリーメイソンリーによって主張されている。[111] 自由メソジスト教会の創始者であるB.T.ロバーツは、フリーメイソンリーに対する19世紀中盤における反対者であった。ロバーツは道徳的見地から、この組織に反対し、言及している。 「ロッジの神は、聖書の神にあらず」 ロバーツはフリーメイソンリーを神秘主義か代替宗教(宗教にとってかわろうとするもの)とし、自分の教会において、フリーメイソンの大臣を支持することがないよう推奨した。秘密結社からの自由は、自由メソジスト教会の「自由」の由来の一つでもあった。[112]
フリーメイソンリーの創始以来、多くの英国国教会の主教は、メイソンになってしまい、大主教ジオフリー・フィッシャーもそのような一人であった[113]。過去において、英国国教会では国教会の教えとメイソンの実践に矛盾が生まれるとする者は少数だった。しかしながら過去何十年かにおいては、特に教会の福音的勝利のために、国教会でフリーメイソンリーに対する議論が話題に上ることもあった。現カンタベリー大主教であるローワン・ウィリアムズ博士は、メイソンの儀式に対するいくつかの懸念を持っていることを明らかにし、一方で国教会での内や外でのメイソンの犯罪行為を耐え難いとしている。一方で、2003年には、英国のメイソンリーに対して、自身がモンマス主教であった時に、キリスト教とメイソンの信条は相容れないとし、自分の管区内における上級職へのメイソンの任用を妨げたことについて、謝罪の必要性を感じているという。[114]
1933年、ギリシャ正教会は、フリーメイソンであることは背教行為の構成要件となると声明し、したがってそのような者は、痛悔し、メイソンリーを抜けるまで領聖できないとした。これは正教会の終始不変の見解とされている。フリーメイソンリーに対する正教会の論評は、「フリーメイソンリーはそれが神秘主義や秘密主義、あるいは理神論を信奉する秘密結社である限りにおいて、キリスト教とあらゆる点において、共存することができない。」とするカトリック教会やプロテスタントの従来の主張を支持している[115]。正規のフリーメイソンリーは、伝統としてこれらの主張に対して、しばしば英連邦グランドロッジに連なるロッジ群の「メイソンは宗教でなく、宗教に代わるものでもない」とする以上の反論はしていない[116]。近年では、しかしながら、こうした姿勢は変化しつつあり、多くのメイソンのウェブサイトや出版物が、これらの批判に反論している。
一部にメイソンをメシア僭称者とする批判もあるものの、多くのイスラム教徒の反メイソン議論は、反ユダヤ主義や反シオニズムとリンクしている。[117][118] 反メイソンのムスリムによると、メイソンは、全世界のユダヤ人の利益を促進し、エルサレムに黄金のドームを破壊してのソロモン神殿の再建を推し進めるものである。[119] また、ハマースによる1988年の抵抗運動の定義第28章の記述によると、メイソンやロータリークラブやライオンズクラブその他の謀略グループは、シオニズムの利益を図り、その指示に従っている[120]。 イスラム教徒が多数を占めている多くの国々では、管区を伴ってのメイソンリー設立は許されていないが、トルコやモロッコのような国では、グランドロッジが設置されており[121]、マレーシア[122]やレバノン[123]のような国では、他国のグランドロッジ傘下の支部グランドロッジが存在する。
パキスタンにおいては、1972年に当時の首相ブットーがフリーメイソンリーを追放し、そのすべての印刷物を差し押さえている[124]。イラクは、第一次大戦後、英国の委任統治領となり、その前後には英連邦メイソン(UGLE)も進出したが、1958年のイラク革命によって、関係は逆転し、立憲君主制は廃止され、アブドルカリーム・カーシムによって、共和政が宣言された。そして、ロッジにおける会合の許可証は廃止され、その後の法律ではさらに進んで、あらゆる形での会合の禁止が導入された。 その姿勢は、その後サッダーム・フセインの下で強化され、「フリーメイソンリーを含むシオニストの方針を推進する者や、シオニスト組織に関係する者」は誰であれ死刑が定められた。[125](ただし、ブットはその後クーデターで、フセインも米軍のイラクの自由作戦で共に拘束され、処刑されている。)
英連邦系(UGLE)のフリーメイソンリーは会員の政治及び宗教に関する議論を禁じているが、有力者が会員として存在し、また世界的な組織である以上、国際政治に無縁な組織として活動を続けることは難しいという意見もある。たとえば1981年には、すでにフリーメイソンのロッジとしての承認を取り消されていたイタリアのロッジ「P2」が、承認取り消し後にも元会長で極右政党幹部のリーチオ・ジェッリや、アンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィらの元メンバーがその後も「P2」として活動し、イタリア共産党を除く政財界やマフィア、バチカンとの間を結び付けていた。そして、国際的に反共勢力の援助を行い、さらに国内ではクーデターを企図したことが明るみに出た事件があった(P2事件)。その結果、P2の関係者で、他のロッジのメンバーとなっていた者はフリーメイソンリーを追放された。
このように、有力者が会員として存在している以上、フリーメイソンの理念に反した形で、個々のロッジの次元を超えて政治的、社会的活動や陰謀を行うものの存在がないとはいえない。
過去には、第一次世界大戦中に「イングランド・グランド・ロッジ」は、敵国となったドイツ、オーストリア、ハンガリー、トルコ(オスマン帝国)出身者の会員すべてを追放し、戦後もしばらく解除されなかったことがあった。戦後、フランスとドイツのフリーメイソンリーが両者の親善を協議したものの、戦争犯罪については意見が折り合わなかった。このように、フランス系は元より、政治と距離を置く正規派(英米系)においても、政治の影響は避けられなかった。
階級 | 名称 | 和訳名称[* 8] | 区分1 | 区分2 |
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1 | Entered Apprentice | 徒弟 | Blue Lodge (ブルー・ロッジ、青ロッジ) |
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2 | Fellow Craft | 職人 | ||
3 | Master Mason | 親方 |
フリーメイソンリーの階級はこれだけである。ただし、実務的メイソンリーの組織では「徒弟」(エンタードアプレンティス)、「職人」(フェロークラフト)の2階級のみで、親方(マスターメイソン)は職人の代表者という位置付けであり、階級ではなかった。また、徒弟のさらに下に、ロッジに加入していない下働きの石工も存在した。親方が階級として分化したのは18世紀に入ってから、思索的メイソンリーによるものである。1717年のグランド・ロッジの成立から、遅くとも1730年には導入され、次第に定着していった[129]。これは、他の職業のギルドが、早くから3階級に分かれていた影響もあったといわれる。
実務的メイソンリーでは、徒弟から職人への進級は最低7年を必要とし、さらに技能試験に合格する必要があった[130]。しかし、現在の思索的メイソンリーでは、石工の実務を修行するわけではないため、親方への昇級は3-4か月で可能である[128]。
一般的にフリーメイソンリーの上位階級として知られているのは、関連組織のスコティッシュ・ライト(スコッチ儀礼)、ヨーク・ライト(ヨーク儀礼)が用意した階級[* 9]である。スコティッシュ・ライトは30階級、ヨーク・ライトは9階級の上位階級を用意している。かつてのオリエンタル・ライト・メンフィス(メンフィス東方儀礼)では、94もの上位階級を設けていた(後に30階級に削減)。
1737年3月21日、フランス・パリで、騎士のアンドリュー・M・ラムゼイがフリーメイソンリーの目標は世界を一大共和国となすことで、起源は石工組合ではなく十字軍であると主張した演説を行った。上位階級が記録されているのはこれ以降のことであり、ラムゼイの演説をきっかけに創設された可能性が高い。また、ラムゼイは暗にテンプル騎士団とのかかわりもほのめかしたという。なお、陰謀論でフリーメイソンリーが「ワン・ワールド」を目指す組織とされることがあるのは、ラムゼイのこの発言が原因と思われる。「ワン・ワールド」思想についてはフリーメイソンリー側も否定していないが、組織的に特定政府の転覆を図ることはないとしている[88]。
この結果、一時は千を超す階級が乱立し、また基本階級のロッジに対する優位権を主張して対立するなど、混乱を引き起こした。さらに上位階級はパテントとして階級授与者が独自の判断で第三者に階級を授与する権利を与える方式だったので、基本階級を経ず、ロッジに足を踏み入れたことのない上位階級者さえ現れた。
現在では、上位階級の組織はフリーメイソンリーの上位団体ではなく、関連組織として位置付けられている。そして、上位階級の授与資格者を、親方階級を得た者に限っている。しかし、オカルト色の強い階級が多数あることも影響して、陰謀論ではしばしば闇の組織として取りざたされる。また、ロッジによっては、上位階級を用意していても、内容を秘密にしているところもあるという。上位階級の昇級の詳細については非公開だが、暴露本によって公開された内容は(少なくとも一部は)事実であることを認めている[88]。たとえば、ある階級の儀式には、バチカンの教皇の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすというものがあり、教皇権や王権との対立の歴史を物語っている(『陰謀がいっぱい!』では、メイソン側は独裁者に反対し、言論・思想の自由を奪うことに反対する意思表示であって、王権そのものの否定ではないと説明している[88])。
特殊な例として、スウェーデン儀礼の上位階級(9階級)がある。スウェーデンでは、最上位階級はスウェーデン国王専用(スウェーデン・グランド・ロッジは、国王が代々グランド・マスターに就任している[131])となっており、国権とフリーメイソンリーが一体化している。しかし、「正規派」ロッジとは相互承認関係にある。
基本の3階級は、「ブルー・ロッジ(青ロッジ)」と呼ばれる。単に「ロッジ」と呼ぶ場合は、この「ブルー・ロッジ」で構成された集会所を指すことが多い。これに対し、上位階級はさらにいくつかに分けられるが、総称して「レッド・ロッジ(赤ロッジ)」と呼ぶ(狭義には、赤をシンボルカラーに持つ「ロイヤル・アーチ」階級を含んだロッジを意味する)。
階級 | 名称 | 和訳名称[* 8] | 区分1 | 区分2 | 主題 |
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4 | Secret Master | 秘密の親方 | 十全会 | Lodge of Perfection (完成のロッジ) |
ハイラム伝承 |
5 | Perfect Master | 完璧な親方 | |||
6 | Intimate Secretary | 親密な秘書 | |||
7 | Provost and Judge | 主監と判事 | |||
8 | Intendant of the Building | 建物の管理者 | |||
9 | Elected Master of Nine | 選ばれた9人の親方 | |||
10 | Illustrious Elect of Fifteen | 選ばれた輝かしい15人 | |||
11 | Sublime Elect of the Twelve, or Prince Ameth | 選ばれた至高の12人またはアメス王子 | |||
12 | Grand Master Architect | 建築の大親方 | |||
13 | Royal Arch of Enoch, or Royal Arch of Solomon | エノクまたはソロモンのロイヤル・アーチ | エノク伝承 | ||
14 | Perfect Elu, Grand elect, Perfect, and Sublime Mason | 完全なる被選抜者または完全にして崇高な石工 | ソロモン伝承 | ||
15 | Knight of the East | 東方または剣の騎士 | 薔薇十字会 | Council of the Princes of Jerusalem (エルサレムの王子の会議) |
アポクリファ(外典) |
16 | Prince of Jerusalem | エルサレムの王子 | |||
17 | Knight of the East and West | 東西の騎士 | Chapter of the Rose Croix (薔薇十字の支部) |
テンプル騎士団 | |
18 | Knight Rose Croix | 薔薇十字の騎士 | 十字軍伝承 | ||
19 | Grand Pontiff | 大司教 | Council of Kadosh (神聖会) |
王者の秘密の王子の法院 | 旧約聖書 |
20 | Grand Master of All Symbolic Lodges | 全ての象徴的ロッジの大親方 | 自由友愛理念 | ||
21 | Noachite, or Prussian Knight | ノアの末裔またはプロイセンの騎士 | プロイセン騎士伝承 | ||
22 | Knight of the Royal Axe, or Prince of Libanus | 王者の斧の騎士またはレバノンの王子 | ソロモン伝説 | ||
23 | Chief of the Tabernacle | 幕屋の長 | モーゼ伝承 | ||
24 | Prince of the Tabernacle | 幕屋の王子 | |||
25 | Knight of the Brazen Serpent | 青銅の蛇の騎士 | |||
26 | Prince of Mercy, or Scottish Trinitarian | 恩寵の王子またはスコットランドの三位一体 | 初期キリスト教 | ||
27 | Knight Commander of the Temple | 殿堂の指揮官 | 十字軍伝承 | ||
28 | Knight of the Sun, or Prince Adept | 太陽の騎士または熟達した王子 | 哲理 | ||
29 | Grand Scottish Knight of St. Andrew | 聖アンドリューのスコットランド大騎士 | テンプル騎士団伝承 | ||
30 | Knight Kadosh | カドシュの(聖なる)騎士 | |||
31 | Grand Inquisitor Commander | 大審問長官 | Consistory (法院会議) |
古代エジプト伝承 | |
32 | Sublime Prince of the Royal Secret | 王者の秘密の至高の王子 | 哲理 | ||
33 | Grand Inspector General | 最高大総監 | Supreme Council(最高法院) | 総合理念 |
英語版wikipediaのScottish Riteも参照。
片桐三郎(32階級)によれば、33階級(最高大総監)は功労者に与えられる名誉階級であるという[88]。
基本階級は必ず正規の参入儀礼を必要とするが、上位階級は4、9、12-14、18、22、28-33階級は正規の参入儀礼で、それ以外は「通達」により昇級が行われるという[132]。
33階級の上にさらに3階級を付け加えられているとする説もある[* 10]。
米ワシントンD.C.にあるスコティッシュ・ライトのメソニック・テンプル「House of the Temple」。
米ルイジアナ州にあるスコティッシュ・ライト大聖堂。
階級 | 名称 | 和訳名称[* 8] | 区分 |
---|---|---|---|
4 | Mark Master | 著名な親方 | 深奥儀礼 |
5 | Past Master | 巨匠の親方 | |
6 | Most Excellent Master | 最優秀の親方 | |
7 | Royal Arch | ロイヤル・アーチ | |
8 | Royal Master | 王者の親方 | 秘処儀礼 |
9 | Select Master | 選りすぐりの親方 | |
10 | Super Excellent Master | 超越した親方 | |
11 | Illustrious Order of the Red Cross | 赤十字の輝かしい騎士 | 騎士儀礼 |
12 | Order of the Knights of Malta (or simply Order of Malta) | マルタ騎士 | |
13 | Order of the Temple | 聖堂騎士 |
英語版wikipediaのYork Riteも参照。
深奥儀礼(Royal Arch Masonry)のグランドエンブレムになっているトリプルタウ。
第8階級と第9階級のエンブレム。左官のこて、未完成のトライアングル、剣。
騎士儀礼(Knights Templar)のシンボルになっている末広十字。
騎士儀礼のロゴ。末広十字に「IN HOC SIGNO VINCES」。
階級 | 名称 | 和訳名称[* 8] | 区分 |
---|---|---|---|
4 | Apprentice of St. Andrew | 聖アンドリューの徒弟 | 聖アンドリューのロッジ (St. Andrew's degrees) |
5 | Companion of St. Andrew | 聖アンドリューの仲間 | |
6 | Master of St. Andrew | 聖アンドリューの親方 | |
7 | Very Illustrious Brother, Knight of the East | 非常に高名な兄弟または東方の騎士 | 地方支部 (Chapter degrees) |
8 | Most Illustrious Brother, Knight of the West | もっとも輝かしい兄弟または西方の騎士 | |
9 | Enlightened Brother of St. John's Lodge | 聖ヨハネロッジの賢明な兄弟 | |
10 | Very Enlightened Brother of St. Andrew's Lodge | 聖アンドリューロッジの非常に賢明な兄弟 | |
11 | Most Enlightened Brother, Knight Commander of the Red Cross | 最も賢明な兄弟または赤十字の騎士司令官 | 大評議会の名誉学位 (Grand Council honorary degree) |
12 | Vicar of Solomon | ソロモンの代理者[* 11] |
英語版wikipediaのSwedish Riteも参照。4階級と5階級は、まとめて扱われているようである[133]。
スウェーデン儀礼のシンボルになっている聖ゲオルギウス十字。
スウェーデンのグランドロッジが所有する宮殿「Bååtska Palatset」。
フリーメイソンであるとされる著名人のリストである(国籍別、生年順)。なお、このリストはあくまで参考文献にフリーメイソンであると記されていることを示すに留まり、各々の人物が本当にフリーメイソンであると断言するものではない。
フリーメイソンであるとされる人物にも、結社に所属していたという直接の証拠が残っている者(例:モーツァルト)もいれば、資料によってはフリーメイソンであったとされる者(例:ヴェルディ)もいる[134]。中にはジョージ・ワシントンのようにフリーメイソンの礼装姿の肖像画や写真が残っている者も存在する。
また、フリーメイソンであったか否か、文献間で争いがある者もいる。たとえばワーグナーは、ある本では1841年に加入したことになっているが[135]、別の本ではそのことには触れられておらず、代わりに、1872年に入団申し込みをしたが断られたエピソードが挙げられている[136]。
会員数はアメリカが世界最大である。初期の移民は宗教闘争から逃れてきた者が多く、その中にフリーメイソンの会員が数多く含まれていたことに起因し、フリーメイソンの理念と集会はコロニーの人々をまとめる役割を持った。アメリカの建国にたずさわったベンジャミン・フランクリンやジョージ・ワシントンなど、「アメリカ建国の父」56人の内、53人が会員であった。歴代アメリカ合衆国大統領のうち、ワシントンを含めて14人が会員となっている(吉村正和『フリーメイソン』講談社)。吉村は、アメリカの本質を「道徳国家」ととらえ、フリーメイソンの理念との共通点を示唆している。フリーメイソンのアメリカ合衆国大統領は15人であったとする説もある[137]。
日本では市販の書籍で陰謀論のみが目につくが、欧米では会員である事は一種のステータスでもある。元日本グランド・ロッジの大親方(Grand Master)であるリチャード・クライプは、10年前の米国のある雑誌の調査であるとして、全米トップビジネスマン1万5千人中、1万人が会員であり、英国でも男性王族は入会が伝統になっていると述べた[88]。
インターネットの普及により世界各国フリーメイソンリーのグランドロッジ、個別のロッジ等のウェブサイトを訪問すると著名な会員名が公表されている場合がある。またフリーメイソンのウィリアム・R・デンスロウが著し、フリーメイソンのハリー・S・トルーマン第33代米国大統領が序文を寄せた書籍『10,000 Famous Freemasons / 一万人の著名なフリーメイソン』(初版: 1957年-1960年、vol.1-vol.4)は、「Phoenixmasonry Masonic Museum and Library」がインターネット上で全編を公開している。『10,000 Famous Freemasons』にその時代までの全ての著名なフリーメイソンが列挙されているわけではない。例えば1920年代にヨーロッパで時代の寵児であったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、彼を敵視していたナチス・ドイツが発行した『Die Freimaurerei Weltanschauung Organisation und Politik / フリーメイソンリー 世界観 組織と政策』(1938年、著: ディーター・シュヴァルツ、序文: ラインハルト・ハイドリヒ保安警察長官)によってフリーメイソンであることが暴露され、クーデンホーフ=カレルギーの支持者であったトルーマンが序文に参加しているにもかかわらず、『10,000 Famous Freemasons』にクーデンホーフ=カレルギーの名は記載がない。
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音楽・音声外部リンク | |
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デューク・エリントン: A列車で行こう | |
ベニー・グッドマン: シング・シング・シング | |
ナット・キング・コール: L-O-V-E |
チャップリン映画『モダン・タイムス』(1936年)のポスター。ナット・キング・コールはこの映画のテーマ曲『スマイル』をカバーした。
ナット・キング・コール『スマイル』を試聴する
ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル主演映画『風と共に去りぬ』(1939年)におけるクラーク・ゲーブル(レット・バトラー役)。
映画『風と共に去りぬ』を閲覧する(一部抜粋)
ワーナー・ブラザーズの映画『カサブランカ』(1942年)。登場人物のヴィクトル・ラズロ(左端)は反ヒトラー、反ナチスのR・クーデンホーフ=カレルギー(1922年メイソンリー入会)がモデルであるといわれている(映画『カサブランカ』、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、フリーメイソンリーも参照)。
ワーナーブラザーズ映画『Rhapsody in Blue』(1945年)に出演する"ジャズの王"ポール・ホワイトマン。
映画『Rhapsody in Blue』予告編を閲覧する
ホワイトマンの依頼でガーシュウィンの楽曲『ラプソディ・イン・ブルー』は作曲された。
楽曲『ラプソディ・イン・ブルー』1924年版を試聴する
ハリウッド・メソニック・テンプル。上部に「FREEMASONRY BUILDS ITS TEMPLES AMONG THE NATIONS AND IN THE HEARTS OF MEN」と刻まれている。
以上がメイソンであると通常考えられている大統領である(第36代のリンドン・ジョンソンは、第1階級のメイソンにしかなっていない)[186]。
大統領官邸「ホワイトハウス」。設計者のジェームズ・ホーバンはフリーメイソンである[64]。
米国通貨数種の肖像になっているジョージ・ワシントン。そのうちの1957年1ドル紙幣。裏面の図柄は米国の国璽。
メイソン同士で握手をするトルーマン大統領(左)とチャーチル英首相(右)。1945年7月18日、ポツダム会談期間中のドイツにて。
メイソンのエプロンを着け5人の士(姓名は不明[202])と並ぶトルーマン。1950年2月22日、ジョージ・ワシントン・メソニック・ナショナルメモリアルにて。
マンハッタンのメソニック・ホール。ビルにはニューヨーク・グランドロッジと複数のロッジが入っている。ニューヨーク・グランドロッジ傘下の「セント・ジョンズ・ロッジ」(St. John's Lodge)にはジョージ・ワシントンが大統領就任に使用した聖書(George Washington Inaugural Bible)が保管されている。
ファイ・ベータ・カッパ・ソサエティのシンボルのカギ(ΦΒΚ)。このソサエティ(ΦΒΚ)は成績良好学生をメンバーとして結集した米国で最も栄誉ある友愛団体。1776年に結成され、オリジナルメンバーの10人がフリーメイソンに入会した[203]。ウィリアム・タフト大統領とセオドア・ルーズベルト大統領は、ΦΒΚメンバーでフリーメイソン。
第3代トーマス・ジェファーソンはメイソンであるともないとも言われ[68]、メイソンでないという考えが有力である[186]。第16代エイブラハム・リンカーンはメイソンではない[209]。第40代ロナルド・レーガンは、メイソンではないが、スコティッシュライトの名誉会員であった[210]。 第41代ジョージ・H・W・ブッシュ、第43代ジョージ・W・ブッシュの父子は、これまでのところメイソンではない[205][208]。ブッシュ父子のメイソンリー入会を記録している正規ロッジ(regular lodge)はない[204]。第42代ビル・クリントンはメイソンリーの外郭団体デモレーのメンバーであり、これまでのところメイソンではないようである[208][211]。第44代バラク・オバマは、2009年11月時点では、メイソンではない[212]。
大統領がメイソンでなくとも副大統領がメイソンである政権、どちらもメイソンでない政権、どちらもメイソンである政権がある[187]。
ハワイ諸島の発見者ジェームズ・クックはメイソンであったと常々言われている[68]。クックが「Lodge of Industry No 186」に入会したメイソンであるという主張があるが、そのロッジはクックが死去してからおよそ9年後に認可された[214]。
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ベートーヴェン交響曲第9番 - ベルリン・フィル公式YouTube。交響曲第9番の第4楽章(主題: 歓喜の歌)抜粋。管弦楽のフガートから著名な合唱部分(1:30-)へ。 |
ブラームス『埋葬の歌』を試聴する (hr交響楽団公式YouTube)
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リゴレット・パラフレーズ - スカラ座公式YouTube。 発想 "con somma passione" (最高に豊富な情熱で)の部分は5:52から聴かれる。 |
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北 김정은, 코트에 손 반만 끼어넣는 이유는 (北 金正恩、コートに手を半分入れる理由とは) - ソウル新聞は、金正恩が右手を懐に入れる写真の掲載とともに、その仕草はナポレオン1世の真似であるという指摘を報じた(2013年3月22日)。 | |
金正恩とデニス・ロッドマン - デニス・ロッドマンが北朝鮮訪問時の写真9枚。ウォール・ストリート・ジャーナル(2013年3月1日)。 |
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国; DPRK)最高指導者金正恩は、彼の右手を懐に入れる仕草がナポレオン1世の真似とも言われ(順天郷大学教授呉允盛の説)、その仕草はフリーメイソンの特徴であるが金正恩はメイソンではないであろう、彼がメイソンならば彼の国家の国際関係はもっと安定しているはずであろう、など噂されている[374]。南朝鮮(大韓民国; ROK)では2011年、ナポレオンが懐に手を入れるのはフリーメイソンリーの会員同士の合図であると文化放送が特集した[375]。
金正恩は子供の頃からバスケットボールというスポーツが大好きである[376]。このスポーツを1891年に考案したジェームズ・ネイスミスは1894年にフリーメイソンリーに入会した[362]。スイス留学時代の金正恩はNBAのヨーロッパ遠征試合を観戦するために公立中学校の午後の授業を抜け出して北朝鮮大使館に車を出させて親友と2人で日帰りでスイスベルンからフランスパリへ行った[376]。公立中学校の休み時間はいつもバスケットボールで遊び、自宅にバスケットボールの漫画が沢山あり、学校でよくバスケットボール漫画の絵を描いていた[376]。礒崎・澤田『LIVE講義北朝鮮入門』は当時韓国で人気のあった日本の漫画『SLAM DUNK』(1990年-1996年)のハングル版を金正恩も読んでいたものと推測している[376]。2000年までのスイス留学時代の金正恩は未成年であるため未だフリーメイソンリーに入会できない。
最高指導者となって以降も金正恩第一書記が最も熱中するスポーツのバスケットボールに対する思い入れが見られ、2013年の動向においては、外務省をバスケットボール後援機関として指定した[377]。
元NBA選手デニス・ロッドマンは、1861年設立ロッジの米ニュージャージー州「アカシア・ロッジ」(Acacia Lodge)が明かしたところによると、フリーメイソンである[183]。2013年2月28日北朝鮮平壌にて、フリーメイソンのデニス・ロッドマンは金正恩と2人でバスケットボールを観戦後、金正恩に言った[378]。
ロッドマンは2013年9月に、「友人の金第一書記に会いに行く」ために再び北朝鮮を訪問した[380]。ロッドマンは2013年12月には北朝鮮で北朝鮮バスケットチームの指導をする予定であり、2014年1月にはバスケット交流試合のために北朝鮮に行く予定であり、フリーメイソン仲間で元NBAチームメイトのピッペンが交流試合メンバーに入っている[381]。
共産主義者を受け入れるフリーメイソンリーのロッジは、フランス大東社(GODF)系などである。
ロッジP2はイタリアに本拠を置いていた団体。メンバーはイタリアの政府や軍関係者、警察関係者内の反共産主義者を中心としていたが、南アメリカの軍事独裁政権との関係が深く、その活動内容がフリーメイソン内から非難され1976年に破門された。しかしその後も元代表のリーチオ・ジェッリらが極右組織と組んで活動し、1980年にはメンバーがボローニャ駅爆破テロ事件を引き起こした。元イタリア王国王太子のヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイアやシルヴィオ・ベルルスコーニ首相、バチカンの金融スキャンダルを引き起こし暗殺されたアンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィもメンバーであった。
デモレーは、14世紀のテンプル騎士団の最後の総長であり、フリーメイソンリーのメンバーであったジャック・ド・モレー(Jacques DeMolay)の優れた騎士道精神にちなんで名づけられた団体。
デモレーは12歳から21歳の若者のための人格育成を目指している組織である。日本における現在の活動地域は東京のみ。場所は東京メソニック協会。
ウォルト・ディズニーはデモレーのメンバーである[204]。陰謀を疑う人々らがウォルト・ディズニーを第33階級のフリーメイソンと主張しているが、その主張に根拠は無い[204]。ジョン・スタインベックはデモレーのメンバーであり[211]フリーメイソンでもあった[170]。
シュライン(Shriners)は1870年に作られたフリーメイソンの内組織[382]。元々、メイソン間の親睦や娯楽を目的に作られた団体で、恵まれない子どもに小児科病院(シュライン小児病院 Shriners Hospitals for Children)を運営することにあった。著名人の入会者にはコメディアンのハロルド・ロイド[383]やケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースなどがいる。全てのシュライン会員がメイソンだが、全てのメイソンがシュライン会員ということではない[384]。
音楽・音声外部リンク | |
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楽曲を試聴する | |
モーツァルト: 無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが K. 619 - YouTube(ClassicalExperience: concertclassic.com)。 | |
モーツァルト: フリーメーソンのための音楽全集 - オンライン音楽図書館 "Naxos Music Library"。 | |
シベリウス: フリーメーソンの儀式音楽 Op. 113 (1927年原典版) - オンライン音楽図書館 "Naxos Music Library"。 | |
Musiques Rituelles Maçonniques Du XVIIIe Siècle(18世紀フリーメイソンの音楽集) - フランソワ・ジルースト「大洪水」、ベートーヴェン「行進曲 変ロ長調」WoO. 29(このアルバムにおける題名は「Marche maçonnique」)、「奉献歌(Opferlied)」WoO.126、モーツァルト等の作品を収録。このアルバム『18世紀フリーメイソンの音楽集』はフランス・グランドロッジ(GLDF)の後援で制作された。フランス・グランドロッジのグランドマスターピエール・シモンがこのアルバムに寄せたメッセージがライナーノーツに付属する。 |
映像外部リンク | |
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United Grand Lodge of England: UGLEchannel, on YouTube. | |
Freemasonry - The Journey of Your Life Part 1, 2, 3, by a freemason Julian Rees, on YouTube Lewis Masonic Channel. |
Part of a series on |
Freemasonry |
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Freemasonry or Masonry consists of fraternal organisations that trace their origins to the local fraternities of stonemasons, which from the end of the fourteenth century regulated the qualifications of stonemasons and their interaction with authorities and clients. The degrees of freemasonry retain the three grades of medieval craft guilds, those of Apprentice, Journeyman or fellow (now called Fellowcraft), and Master Mason. These are the degrees offered by Craft (or Blue Lodge) Freemasonry. Members of these organisations are known as Freemasons or Masons. There are additional degrees, which vary with locality and jurisdiction, and are usually administered by different bodies than the craft degrees.
The basic, local organisational unit of Freemasonry is the Lodge. The Lodges are usually supervised and governed at the regional level (usually coterminous with either a state, province, or national border) by a Grand Lodge or Grand Orient. There is no international, world-wide Grand Lodge that supervises all of Freemasonry; each Grand Lodge is independent, and they do not necessarily recognise each other as being legitimate.
Modern Freemasonry broadly consists of two main recognition groups. Regular Freemasonry insists that a volume of scripture is open in a working lodge, that every member profess belief in a Deity, that no women are admitted, and that the discussion of religion and politics is banned. Continental Freemasonry is now the general term for the "liberal" jurisdictions who have removed some, or all, of these restrictions.
The Masonic Lodge is the basic organisational unit of Freemasonry. The Lodge meets regularly to conduct the usual formal business of any small organisation (pay bills, organise social and charitable events, elect new members, etc.). In addition to business, the meeting may perform a ceremony to confer a Masonic degree[1] or receive a lecture, which is usually on some aspect of Masonic history or ritual.[2] At the conclusion of the meeting, the Lodge might adjourn for a formal dinner, or festive board, sometimes involving toasting and song.[3]
The bulk of Masonic ritual consists of degree ceremonies. Candidates for Freemasonry are progressively initiated into Freemasonry, first in the degree of Entered Apprentice. Some time later, in a separate ceremony, they will be passed to the degree of Fellowcraft, and finally they will be raised to the degree of Master Mason. In all of these ceremonies, the candidate is entrusted with passwords, signs and grips peculiar to his new rank.[4] Another ceremony is the annual installation of the Master and officers of the Lodge.[1] In some jurisdictions Installed Master is valued as a separate rank, with its own secrets to distinguish its members.[5] In other jurisdictions, the grade is not recognised, and no inner ceremony conveys new secrets during the installation of a new Master of the Lodge.[6]
Most Lodges have some sort of social calendar, allowing Masons and their partners to meet in a less ritualised environment.[7] Often coupled with these events is the obligation placed on every Mason to contribute to charity. This occurs at both Lodge and Grand Lodge level. Masonic charities contribute to many fields from education to disaster relief.[8][9]
These private local Lodges form the backbone of Freemasonry, and a Freemason will necessarily have been initiated into one of these. There also exist specialist Lodges where Masons meet to celebrate anything from sport to Masonic research. The rank of Master Mason also entitles a Freemason to explore Masonry further through other degrees, administered separately from the Craft, or "Blue Lodge" degrees described here, but having a similar format to their meetings.[10]
There is very little consistency in Freemasonry. Because each Masonic jurisdiction is independent, each sets its own procedures. The wording of the ritual, the number of officers present, the layout of the meeting room, etc. varies from jurisdiction to jurisdiction.[10][11]
The officers of the Lodge are elected or appointed annually. Every Masonic Lodge has a Master, two Wardens, a secretary and a treasurer. There is also a Tyler, or outer guard, who is always present outside the door of a working Lodge. Other offices vary between jurisdictions.[10]
Each Masonic Lodge exists and operates according to a set of ancient principles known as the Landmarks of Freemasonry. These principles have thus far eluded any universally accepted definition.[12]
Candidates for Freemasonry will have met most active members of the Lodge they are joining before they are initiated. The process varies between jurisdictions, but the candidate will typically have been introduced by a friend at a Lodge social function, or at some form of open evening in the Lodge. In modern times, interested people often track down a local Lodge through the Internet. The onus is on candidates to ask to join; while candidates may be encouraged to ask, they are never invited. Once the initial inquiry is made, an interview usually follows to determine the candidate's suitability. If the candidate decides to proceed from here, the Lodge ballots on the application before he (or she, depending on the Masonic Jurisdiction) can be accepted.[13]
The absolute minimum requirement of any body of Freemasons is that the candidate must be free, and considered to be of good character.[14] There is usually an age requirement, varying greatly between Grand Lodges, and (in some jurisdictions) capable of being overridden by a dispensation from the Grand Lodge. The underlying assumption is that the candidate should be a mature adult.[13]
In addition, most Grand Lodges require the candidate to declare a belief in a Supreme Being. In a few cases, the candidate may be required to be of a specific religion. The form of Freemasonry most common in Scandinavia (known as the Swedish Rite), for example, accepts only Christians.[15] At the other end of the spectrum, "Liberal" or Continental Freemasonry, exemplified by the Grand Orient de France, does not require a declaration of belief in any deity, and accepts atheists (a cause of discord with the rest of Freemasonry).[16][17]
During the ceremony of initiation, the candidate is expected to swear (usually on a volume of sacred text appropriate to his personal religious faith) to fulfil certain obligations as a Mason. In the course of three degrees, new masons will promise to keep the secrets of their degree from lower degrees and outsiders, and to support a fellow Mason in distress (as far as practicality and the law permit).[10] There is instruction as to the duties of a Freemason, but on the whole, Freemasons are left to explore the craft in the manner they find most satisfying. Some will further explore the ritual and symbolism of the craft, others will focus their involvement on the social side of the Lodge, while still others will concentrate on the charitable functions of the lodge.[18][19]
Grand Lodges and Grand Orients are independent and sovereign bodies that govern Masonry in a given country, state, or geographical area (termed a jurisdiction). There is no single overarching governing body that presides over worldwide Freemasonry; connections between different jurisdictions depend solely on mutual recognition.[20][21]
Freemasonry, as it exists in various forms all over the world, has a membership estimated by the United Grand Lodge of England at around six million worldwide.[1] The fraternity is administratively organised into independent Grand Lodges (or sometimes Grand Orients), each of which governs its own Masonic jurisdiction, which consists of subordinate (or constituent) Lodges. The largest single jurisdiction, in terms of membership, is the United Grand Lodge of England (with a membership estimated at around a quarter million). The Grand Lodge of Scotland and Grand Lodge of Ireland (taken together) have approximately 150,000 members.[1] In the United States total membership is just under two million.[22]
Relations between Grand Lodges are determined by the concept of Recognition. Each Grand Lodge maintains a list of other Grand Lodges that it recognises.[23] When two Grand Lodges recognise and are in Masonic communication with each other, they are said to be in amity, and the brethren of each may visit each other's Lodges and interact Masonically. When two Grand Lodges are not in amity, inter-visitation is not allowed. There are many reasons why one Grand Lodge will withhold or withdraw recognition from another, but the two most common are Exclusive Jurisdiction and Regularity.[24]
Exclusive Jurisdiction is a concept whereby only one Grand Lodge will be recognised in any geographical area. If two Grand Lodges claim jurisdiction over the same area, the other Grand Lodges will have to choose between them, and they may not all decide to recognise the same one. (In 1849, for example, the Grand Lodge of New York split into two rival factions, each claiming to be the legitimate Grand Lodge. Other Grand Lodges had to choose between them until the schism was healed.[25]) Exclusive Jurisdiction can be waived when the two over-lapping Grand Lodges are themselves in Amity and agree to share jurisdiction (for example, since the Grand Lodge of Connecticut is in Amity with the Prince Hall Grand Lodge of Connecticut, the principle of Exclusive Jurisdiction does not apply, and other Grand Lodges may recognise both).[26]
Regularity is a concept based on adherence to Masonic Landmarks, the basic membership requirements, tenets and rituals of the craft. Each Grand Lodge sets its own definition of what these landmarks are, and thus what is Regular and what is Irregular (and the definitions do not necessarily agree between Grand Lodges). Essentially, every Grand Lodge will hold that its landmarks (its requirements, tenets and rituals) are Regular, and judge other Grand Lodges based on those. If the differences are significant, one Grand Lodge may declare the other "Irregular" and withdraw or withhold recognition.[27][28]
The most commonly shared rules for Recognition (based on Regularity) are those given by the United Grand Lodge of England in 1929:
Blue Lodge Freemasonry offers only three traditional degrees, and in most jurisdictions, the rank of past or installed master. Master Masons are also able to extend their Masonic experience by taking further degrees, in appendant bodies approved by their own Grand Lodge.[30]
The Ancient and Accepted Scottish Rite is a system of 33 degrees (including the three Blue Lodge degrees) administered by a local or national Supreme Council. This system is popular in North America and in Continental Europe. The York Rite, with a similar range, administers three orders of Masonry, namely the Royal Arch, Cryptic Masonry and Knights Templar.[31]
In Britain, separate bodies administer each order. Freemasons are encouraged to join the Holy Royal Arch, which is linked to Mark Masonry in Scotland and Ireland, but separate in England. Templar and Cryptic Masonry also exist.[32]
In the Nordic countries the Swedish Rite is dominant; a variation of it is also used in parts of Germany.
Freemasonry describes itself as a "'beautiful system of morality, veiled in allegory and illustrated by symbols".[33] The symbolism is mainly, but not exclusively, drawn from the manual tools of stonemasons – the square and compasses, the level and plumb rule, the trowel, among others. A moral lesson is attached to each of these tools, although the assignment is by no means consistent. The meaning of the symbolism is taught and explored through ritual.[10]
All Freemasons begin their journey in the "craft" by being progressively initiated, passed and raised into the three degrees of Craft, or Blue Lodge Masonry. During these three rituals, the candidate is progressively taught the meanings of the Lodge symbols, and entrusted with grips, signs and words to signify to other Masons that he has been so initiated. The initiations are part allegory and part lecture, and revolve around the construction of the Temple of Solomon, and the artistry and death of his chief architect, Hiram Abiff. The degrees are those of Entered apprentice, Fellowcraft and Master Mason. While many different versions of these rituals exist, with at least two different lodge layouts and versions of the Hiram myth, each version is recognisable to any Freemason from any jurisdiction.[10]
In some jurisdictions the main themes of each degree are illustrated by tracing boards. These painted depictions of Masonic themes are exhibited in the lodge according to which degree is being worked, and are explained to the candidate to illustrate the legend and symbolism of each degree.[34]
The idea of Masonic brotherhood probably descends from a 16th-century legal definition of a brother as one who has taken an oath of mutual support to another. Accordingly, Masons swear at each degree to keep the contents of that degree secret, and to support and protect their brethren unless they have broken the law.[35] In most Lodges the oath or obligation is taken on a Volume of Sacred Law, whichever book of divine revelation is appropriate to the religious beliefs of the individual brother (usually the Bible in the Anglo-American tradition). In Progressive continental Freemasonry, books other than scripture are permissible, a cause of rupture between Grand Lodges.[36]
Since the middle of the 19th century, Masonic historians have sought the origins of the movement in a series of similar documents known as the Old Charges, dating from the Regius Poem in about 1425[37] to the beginning of the 18th century. Alluding to the membership of a lodge of operative masons, they relate a mythologised history of the craft, the duties of its grades, and the manner in which oaths of fidelity are to be taken on joining.[38] The fifteenth century also sees the first evidence of ceremonial regalia.[39]
There is no clear mechanism by which these local trade organisations became today's Masonic Lodges, but the earliest rituals and passwords known, from operative lodges around the turn of the 17th–18th centuries, show continuity with the rituals developed in the later 18th century by accepted or speculative Masons, as those members who did not practice the physical craft came to be known.[40] The minutes of the Lodge of Edinburgh (Mary's Chapel) No. 1 in Scotland show a continuity from an operative lodge in 1598 to a modern speculative Lodge.[41] It is reputed to be the oldest Masonic Lodge in the world.[42]
The first Grand Lodge, the Grand Lodge of London and Westminster (later called the Grand Lodge of England (GLE)), was founded on 24 June 1717, when four existing London Lodges met for a joint dinner. Many English Lodges joined the new regulatory body, which itself entered a period of self-publicity and expansion. However, many Lodges could not endorse changes which some Lodges of the GLE made to the ritual (they came to be known as the Moderns), and a few of these formed a rival Grand Lodge on 17 July 1751, which they called the "Antient Grand Lodge of England." These two Grand Lodges vied for supremacy until the Moderns promised to return to the ancient ritual. They united on 27 December 1813 to form the United Grand Lodge of England (UGLE).[43][44]
The Grand Lodge of Ireland and the Grand Lodge of Scotland were formed in 1725 and 1736 respectively, although neither persuaded all of the existing lodges in their countries to join for many years.[45][46]
The earliest known American lodges were in Pennsylvania. The Collector for the port of Pennsylvania, John Moore, wrote of attending lodges there in 1715, two years before the formation of the first Grand Lodge in London. The Premier Grand Lodge of England appointed a Provincial Grand Master for North America in 1731, based in Pennsylvania.[47] Other lodges in the colony obtained authorisations from the later Antient Grand Lodge of England, the Grand Lodge of Scotland, and the Grand Lodge of Ireland, which was particularly well represented in the travelling lodges of the British Army.[48][49] Many lodges came into existence with no warrant from any Grand Lodge, applying and paying for their authorisation only after they were confident of their own survival.[50]
After the American Revolution, independent U.S. Grand Lodges formed themselves within each state. Some thought was briefly given to organising an overarching "Grand Lodge of the United States," with George Washington (who was a member of a Virginian lodge) as the first Grand Master, but the idea was short-lived. The various state Grand Lodges did not wish to diminish their own authority by agreeing to such a body.[51]
Prince Hall Freemasonry exists because of the refusal of early American lodges to admit African-Americans. In 1775, an African-American named Prince Hall,[52] along with fourteen other African-Americans, was initiated into a British military lodge with a warrant from the Grand Lodge of Ireland, having failed to obtain admission from the other lodges in Boston. When the military Lodge left North America, those fifteen men were given the authority to meet as a Lodge, but not to initiate Masons. In 1784, these individuals obtained a Warrant from the Premier Grand Lodge of England (GLE) and formed African Lodge, Number 459. When the UGLE was formed in 1813, all U.S.-based Lodges were stricken from their rolls – due largely to the War of 1812. Thus, separated from both UGLE and any concordantly recognised U.S. Grand Lodge, African Lodge re-titled itself as the African Lodge, Number 1 – and became a de facto "Grand Lodge" (this Lodge is not to be confused with the various Grand Lodges on the Continent of Africa). As with the rest of U.S. Freemasonry, Prince Hall Freemasonry soon grew and organised on a Grand Lodge system for each state.[53]
Widespread segregation in 19th- and early 20th-century North America made it difficult for African-Americans to join Lodges outside of Prince Hall jurisdictions – and impossible for inter-jurisdiction recognition between the parallel U.S. Masonic authorities. By the 1980s, such discrimination was a thing of the past, and today most U.S. Grand Lodges recognise their Prince Hall counterparts, and the authorities of both traditions are working towards full recognition.[54] The United Grand Lodge of England has no problem with recognising Prince Hall Grand Lodges.[55] While celebrating their heritage as lodges of black Americans, Prince Hall is open to all men regardless of race or religion.[56]
English Freemasonry spread to France in the 1720s, first as lodges of expatriates and exiled Jacobites, and then as distinctively French lodges which still follow the ritual of the Moderns. From France and England, Freemasonry spread to most of Continental Europe during the course of the 18th century. The Grande Loge de France formed under the Grand Mastership of the Duke of Clermont, who exercised only nominal authority. His successor, the Duke of Orléans, reconstituted the central body as the Grand Orient de France in 1773. Briefly eclipsed during the French Revolution, French Freemasonry continued to grow in the next century.[57]
The ritual form on which the Grand Orient of France was based was abolished in England in the events leading to the formation of the United Grand Lodge of England in 1813. However the two jurisdictions continued in amity (mutual recognition) until events of the 1860s and 1870s drove a seemingly permanent wedge between them. In 1868 the Supreme Council of the Ancient and Accepted Scottish Rite of the State of Louisiana appeared in the jurisdiction of the Grand Lodge of Louisiana, recognised by the Grand Orient de France, but regarded by the older body as an invasion of their jurisdiction. The new Scottish rite body admitted blacks, and the resolution of the Grand Orient the following year that neither colour, race, nor religion could disqualify a man from Masonry prompted the Grand Lodge to withdraw recognition, and it persuaded other American Grand Lodges to do the same.[58]
A dispute during the Lausanne Congress of Supreme Councils of 1875 prompted the Grand Orient de France to commission a report by a Protestant pastor which concluded that, as Freemasonry was not a religion, it should not require a religious belief. The new constitutions read, "Its principles are absolute liberty of conscience and human solidarity", the existence of God and the immortality of the soul being struck out. It is possible that the immediate objections of the United Grand Lodge of England were at least partly motivated by the political tension between France and Britain at the time. The result was the withdrawal of recognition of the Grand Orient of France by the United Grand Lodge of England, a situation that continues today.[17]
Not all French lodges agreed with the new wording. In 1894, lodges favouring the compulsory recognition of the Great Architect of the Universe formed the Grande Loge de France.[59] In 1913, the United Grand Lodge of England recognised a new Grand Lodge of Regular Freemasons, a Grand Lodge that follows a similar rite to Anglo-American Freemasonry with a mandatory belief in a deity.[60]
There are now three strands of Freemasonry in France, which extend into the rest of Continental Europe:-
The term Continental Freemasonry was used in Mackey's 1873 Encyclopedia of Freemasonry to "designate the Lodges on the Continent of Europe which retain many usages which have either been abandoned by, or never were observed in, the Lodges of England, Ireland, and Scotland, as well as the United States of America".[64] Today, it is frequently used to refer to only the Liberal jurisdictions typified by the Grand Orient de France.[65]
The majority of Freemasonry considers the Liberal (Continental) strand to be Irregular, and thus withhold recognition. For the Continental lodges, however, having a different approach to Freemasonry was not a reason for severing masonic ties. In 1961, an umbrella organisation, Centre de Liaison et d'Information des Puissances maçonniques Signataires de l'Appel de Strasbourg (CLIPSAS) was set up, which today provides a forum for most of these Grand Lodges and Grand Orients worldwide. Included in the list of over 70 Grand Lodges and Grand Orients are representatives of all three of the above categories, including mixed and women's organisations. The United Grand Lodge of England does not communicate with any of these jurisdictions, and expects its allies to follow suit. This creates the distinction between Anglo-American and Continental Freemasonry.[66][67]
The status of women in the old guilds and corporations of mediaeval masons remains uncertain. The principle of "femme sole" allowed a widow to continue the trade of her husband, but its application had wide local variations, ranging from full membership of a trade body to limited trade by deputation to approved members of that body.[68] In masonry, the small available evidence points to the less empowered end of the scale.[69]
At the dawn of the Grand Lodge era, during the 1720s, James Anderson composed the first printed constitutions for Freemasons, the basis for most subsequent constitutions, which specifically excluded women from Freemasonry.[70] As Freemasonry spread, continental masons began to include their ladies in Lodges of Adoption, which worked three degrees with the same names as the men's but different content. The French officially abandoned the experiment in the early 19th century.[71][72] Later organisations with a similar aim emerged in the United States, but distinguished the names of the degrees from those of male masonry.[73]
Maria Deraismes was initiated into Freemasonry in 1882, then resigned to allow her lodge to rejoin their Grand Lodge. Having failed to achieve acceptance from any masonic governing body, she and Georges Martin started a mixed masonic lodge that actually worked masonic ritual.[74] Annie Besant spread the phenomenon to the English speaking world.[75] Disagreements over ritual led to the formation of exclusively female bodies of Freemasons in England, which spread to other countries. Meanwhile, the French had re-invented Adoption as an all-female lodge in 1901, only to cast it aside again in 1935. The lodges, however, continued to meet, which gave rise, in 1959, to a body of women practising continental Freemasonry.[72]
In general, Continental Freemasonry is sympathetic to Freemasonry amongst women, dating from the 1890s when French lodges assisted the emergent co-masonic movement by promoting enough of their members to the 33rd degree of the Ancient and Accepted Scottish Rite to allow them, in 1899, to form their own grand council, recognised by the other Continental Grand Councils of that Rite.[76] The United Grand Lodge of England issued a statement in 1999 recognising the two women's grand lodges there to be regular in all but the participants. While they were not, therefore, recognised as regular, they were part of Freemasonry "in general".[1][77] The attitude of most regular Anglo-American grand lodges remains that women Freemasons are not legitimate Masons.[78]
Anti-Masonry (alternatively called Anti-Freemasonry) has been defined as "opposition to Freemasonry",[79][80] but there is no homogeneous anti-Masonic movement. Anti-Masonry consists of widely differing criticisms from diverse (and often incompatible) groups who are hostile to Freemasonry in some form. Critics have included religious groups, political groups, and conspiracy theorists.
There have been many disclosures and exposés dating as far back as the 18th century. These often lack context,[81] may be outdated for various reasons,[82] or could be outright hoaxes on the part of the author, as in the case of the Taxil hoax.[83]
These hoaxes and exposés have often become the basis for criticism of Masonry, often religious or political in nature or are based on suspicion of corrupt conspiracy of some form. The political opposition that arose after the "Morgan Affair" in 1826 gave rise to the term Anti-Masonry, which is still in use today, both by Masons in referring to their critics and as a self-descriptor by the critics themselves.[84]
Freemasonry has attracted criticism from theocratic states and organised religions for supposed competition with religion, or supposed heterodoxy within the fraternity itself, and has long been the target of conspiracy theories, which assert Freemasonry to be an occult and evil power.[85]
Although members of various faiths cite objections, certain Christian denominations have had high profile negative attitudes to Masonry, banning or discouraging their members from being Freemasons.
The denomination with the longest history of objection to Freemasonry is the Roman Catholic Church. The objections raised by the Roman Catholic Church are based on the allegation that Masonry teaches a naturalistic deistic religion which is in conflict with Church doctrine.[86] A number of Papal pronouncements have been issued against Freemasonry. The first was Pope Clement XII's In eminenti apostolatus, 28 April 1738; the most recent was Pope Leo XIII's Ab apostolici, 15 October 1890. The 1917 Code of Canon Law explicitly declared that joining Freemasonry entailed automatic excommunication, and banned books favouring Freemasonry.[87]
In 1983, the Church issued a new code of canon law. Unlike its predecessor, the 1983 Code of Canon Law did not explicitly name Masonic orders among the secret societies it condemns. It states: "A person who joins an association which plots against the Church is to be punished with a just penalty; one who promotes or takes office in such an association is to be punished with an interdict." This named omission of Masonic orders caused both Catholics and Freemasons to believe that the ban on Catholics becoming Freemasons may have been lifted, especially after the perceived liberalisation of Vatican II.[88] However, the matter was clarified when Cardinal Joseph Ratzinger (later Pope Benedict XVI), as the Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith, issued a Declaration on Masonic Associations, which states: "... the Church's negative judgment in regard to Masonic association remains unchanged since their principles have always been considered irreconcilable with the doctrine of the Church and therefore membership in them remains forbidden. The faithful who enroll in Masonic associations are in a state of grave sin and may not receive Holy Communion."[89] For its part, Freemasonry has never objected to Catholics joining their fraternity. Those Grand Lodges in amity with UGLE deny the Church's claims. The UGLE now states that "Freemasonry does not seek to replace a Mason's religion or provide a substitute for it."[1]
In contrast to Catholic allegations of rationalism and naturalism, Protestant objections are more likely to be based on allegations of mysticism, occultism, and even Satanism.[90] Masonic scholar Albert Pike is often quoted (in some cases misquoted) by Protestant anti-Masons as an authority for the position of Masonry on these issues.[91] However, Pike, although undoubtedly learned, was not a spokesman for Freemasonry and was also controversial among Freemasons in general. His writings represented his personal opinion only, and furthermore an opinion grounded in the attitudes and understandings of late 19th century Southern Freemasonry of the USA. Notably, his book carries in the preface a form of disclaimer from his own Grand Lodge. No one voice has ever spoken for the whole of Freemasonry.[92]
Free Methodist Church founder B.T. Roberts was a vocal opponent of Freemasonry in the mid 19th century. Roberts opposed the society on moral grounds and stated, "The god of the lodge is not the God of the Bible." Roberts believed Freemasonry was a "mystery" or "alternate" religion and encouraged his church not to support ministers who were Freemasons. Freedom from secret societies is one of the "frees" upon which the Free Methodist Church was founded.[93]
Since the founding of Freemasonry, many Bishops of the Church of England have been Freemasons, such as Archbishop Geoffrey Fisher.[94] In the past, few members of the Church of England would have seen any incongruity in concurrently adhering to Anglican Christianity and practicing Freemasonry. In recent decades, however, reservations about Freemasonry have increased within Anglicanism, perhaps due to the increasing prominence of the evangelical wing of the church. The former Archbishop of Canterbury, Dr Rowan Williams, appeared to harbour some reservations about Masonic ritual, whilst being anxious to avoid causing offence to Freemasons inside and outside the Church of England. In 2003 he felt it necessary to apologise to British Freemasons after he said that their beliefs were incompatible with Christianity and that he had barred the appointment of Freemasons to senior posts in his diocese when he was Bishop of Monmouth.[95]
In 1933, the Orthodox Church of Greece officially declared that being a Freemason constitutes an act of apostasy and thus, until he repents, the person involved with Freemasonry cannot partake of the Eucharist. This has been generally affirmed throughout the whole Eastern Orthodox Church. The Orthodox critique of Freemasonry agrees with both the Roman Catholic and Protestant versions: "Freemasonry cannot be at all compatible with Christianity as far as it is a secret organisation, acting and teaching in mystery and secret and deifying rationalism."[96]
Regular Freemasonry has traditionally not responded to these claims, beyond the often repeated statement that those Grand Lodges in amity with UGLE explicitly adhere to the principle that "Freemasonry is not a religion, nor a substitute for religion. There is no separate 'Masonic deity,' and there is no separate proper name for a deity in Freemasonry."[97]
Christian men, who were discouraged from joining the Freemasons by their Churches or who wanted a more religiocentric society, joined similar fraternal organizations, such as the Knights of Columbus for Catholic Christians, and the Loyal Orange Institution for Protestant Christians,[98][99] although these fraternal organizations have been "organized in part on the style of and use many symbols of Freemasonry".[98][99]
Many Islamic anti-Masonic arguments are closely tied to both antisemitism and Anti-Zionism, though other criticisms are made such as linking Freemasonry to al-Masih ad-Dajjal (the false Messiah).[100][101] Some Muslim anti-Masons argue that Freemasonry promotes the interests of the Jews around the world and that one of its aims is to destroy the Al-Aqsa Mosque in order to rebuild the Temple of Solomon in Jerusalem.[102] In article 28 of its Covenant, Hamas states that Freemasonry, Rotary, and other similar groups "work in the interest of Zionism and according to its instructions ..."[103]
Many countries with a significant Muslim population do not allow Masonic establishments within their jurisdictions. However, countries such as Turkey and Morocco have established Grand Lodges,[104] while in countries such as Malaysia[105][106] and Lebanon[107] there are District Grand Lodges operating under a warrant from an established Grand Lodge.
In Pakistan in 1972, Zulfiqar Ali Bhutto, then Prime Minister of Pakistan, placed a ban on Freemasonry. Lodge buildings were confiscated by the government.[108]
Masonic lodges existed in Iraq as early as 1917, when the first lodge under the United Grand Lodge of England (UGLE) was opened. Nine lodges under UGLE existed by the 1950s, and a Scottish lodge was formed in 1923. However, the position changed following the revolution, and all lodges were forced to close in 1965.[109] This position was later reinforced under Saddam Hussein; the death penalty was "prescribed" for those who "promote or acclaim Zionist principles, including freemasonry, or who associate [themselves] with Zionist organisations."[100]
In 1799, English Freemasonry almost came to a halt due to Parliamentary proclamation. In the wake of the French Revolution, the Unlawful Societies Act 1799 banned any meetings of groups that required their members to take an oath or obligation.[110] The Grand Masters of both the Moderns and the Antients Grand Lodges called on Prime Minister William Pitt (who was not a Freemason) and explained to him that Freemasonry was a supporter of the law and lawfully constituted authority and was much involved in charitable work. As a result, Freemasonry was specifically exempted from the terms of the Act, provided that each private lodge's Secretary placed with the local "Clerk of the Peace" a list of the members of his lodge once a year. This continued until 1967 when the obligation of the provision was rescinded by Parliament.[110]
Freemasonry in the United States faced political pressure following the 1826 kidnapping of William Morgan by Freemasons and subsequent disappearance. Reports of the "Morgan Affair", together with opposition to Jacksonian democracy (Andrew Jackson was a prominent Mason) helped fuel an Anti-Masonic movement, culminating in the formation of a short lived Anti-Masonic Party which fielded candidates for the Presidential elections of 1828 and 1832.[111]
In Italy, Freemasonry has become linked to a scandal concerning the Propaganda Due lodge (a.k.a. P2). This lodge was chartered by the Grande Oriente d'Italia in 1877, as a lodge for visiting Masons unable to attend their own lodges. Under Licio Gelli's leadership, in the late 1970s, P2 became involved in the financial scandals that nearly bankrupted the Vatican Bank. However, by this time the lodge was operating independently and irregularly, as the Grand Orient had revoked its charter and expelled Gelli in 1976.[112]
Conspiracy theorists have long associated Freemasonry with the New World Order and the Illuminati, and state that Freemasonry as an organisation is either bent on world domination or already secretly in control of world politics. Historically, Freemasonry has attracted criticism—and suppression—from both the politically far right (e.g., Nazi Germany)[113][114] and the far left (e.g. the former Communist states in Eastern Europe).[115]
Even in modern democracies, Freemasonry is sometimes viewed with distrust.[116] In the UK, Masons working in the justice system, such as judges and police officers, were from 1999 to 2009 required to disclose their membership.[117] While a parliamentary inquiry found that there has been no evidence of wrongdoing, it was felt that any potential loyalties Masons might have, based on their vows to support fellow Masons, should be transparent to the public.[116][117][118] The policy of requiring a declaration of masonic membership of applicants for judicial office (judges and magistrates) was ended in 2009 by Justice Secretary Jack Straw (who had initiated the requirement in the 1990s). Straw stated that the rule was considered disproportionate, since no impropriety or malpractice had been shown as a result of judges being Freemasons.[119]
Freemasonry is both successful and controversial in France; membership is rising, but reporting in the popular media is often negative.[116]
In some countries anti-Masonry is often related to antisemitism and anti-Zionism. For example, In 1980, the Iraqi legal and penal code was changed by Saddam Hussein's ruling Ba'ath Party, making it a felony to "promote or acclaim Zionist principles, including Freemasonry, or who associate [themselves] with Zionist organisations".[100] Professor Andrew Prescott of the University of Sheffield writes: "Since at least the time of the Protocols of the Elders of Zion, antisemitism has gone hand in hand with anti-masonry, so it is not surprising that allegations that 11 September was a Zionist plot have been accompanied by suggestions that the attacks were inspired by a masonic world order".[120]
The preserved records of the Reichssicherheitshauptamt (the Reich Security Main Office) show the persecution of Freemasons during the Holocaust.[121] RSHA Amt VII (Written Records) was overseen by Professor Franz Six and was responsible for "ideological" tasks, by which was meant the creation of antisemitic and anti-Masonic propaganda. While the number is not accurately known, it is estimated that between 80,000 and 200,000 Freemasons were killed under the Nazi regime.[122] Masonic concentration camp inmates were graded as political prisoners and wore an inverted red triangle.[123]
The small blue forget-me-not flower was first used by the Grand Lodge Zur Sonne, in 1926, as a Masonic emblem at the annual convention in Bremen, Germany. In 1938 a forget-me-not badge—made by the same factory as the Masonic badge—was chosen for the annual Nazi Party Winterhilfswerk, the annual charity drive of the National Socialist People's Welfare, the welfare branch of the Nazi party. This coincidence enabled Freemasons to wear the forget-me-not badge as a secret sign of membership.[124][125][126]
After World War II, the forget-me-not flower was again used as a Masonic emblem at the first Annual Convention of the United Grand Lodges of Germany in 1948.[127] The badge is now worn in the coat lapel by Freemasons around the world to remember all who suffered in the name of Freemasonry, especially those during the Nazi era.[127]
|coauthors=
(help)江守孝三(Emori Kozo)