NHKテレビ 「100分de名著」 【枕草子 清少納言】を 放送 、好評 テキスト (どうして春は「あけぼの」?) (観察力と批判力が大事。あとはミーハー的好奇心!) 。.。.
  
【温故知新】【枕草子】 【徒然草(上)】 【徒然草(中)】 【徒然草(下)】 【方丈記】 【歎異抄】
[堺本1] [堺本1評釈][堺本2] [堺本2評釈][概要] 『堺本評釈』 『三巻本』 『伝烏丸光広』 『能因本』 『春曙抄』本文
[100分de名著] YouTube [山口先生]山口仲美先生ブログ(爆笑ニッポンTV動画)(YouTube) [枕草子全段], [枕草子概要], 国立国会図書 枕草子(寛永年間出版) 1~5巻中学古文講座[1], [2]NHKこころを読む(1-6/13),

(清少納言)  Makura no soshi (Sei Shonagon)
清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

(100分de名著ヨリ)
 1~49、  50~99、  100~149、  150~199、  200~245、  250~299、  300~、   (貴重図書) 

[古文・原文] 1 第一段春は曙【朗読】【朗読】[YouTube]中学古文[1], [2], [3]
春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎわ)すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜(よる)。月の頃はさらなり、闇(やみ)もなほ、螢(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして、山の端(やまのは)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた、言ふべきにあらず。
冬は早朝(つとめて)。雪の降(ふ)りたるは、言ふべきにもあらず。霜(しも)のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も白き灰がちになりて、わろし。

[現代語訳]
春は曙(の時間帯が良い)。ようやく辺りが白んでゆく、山の上にある空がほのかに明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている。
夏は夜。月のある夜は勿論ですが、月のない闇夜でもやはり、蛍が多く飛び交っているのは良いものだ。また、一つか二つ、蛍がほのかに光って飛んでいくのも情趣がある。雨など降るのもしみじみとする。
秋は夕暮れ。夕日が差して、山の端に太陽が近づく頃、カラスがねぐらに帰ろうとして、三つ四つ二つと飛び急いでいる姿も情趣がある。まして、雁などが連なって、とても小さく見えるまで飛んでいく姿は、非常にしみじみとした情感を誘う。日が落ちてからの風の音、虫の声などは、もう言うまでもなく良いものだ。
冬は早朝。雪が降っている情景は言うまでもない。霜が真っ白に下りているのも、またそうでなくても、とても寒い朝に、火などを急いで起こして、炭を持って御殿を渡るのも、冬の朝にとても似合っていてふさわしい。昼になって、気温が上がって暖かくなると、炭櫃・火桶の火も白く灰をかぶってしまって、これは良くない。


[古文・原文] 2 第二段 ころは【朗読】
頃は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一、二月。すべて、をりにつけつつ、一年ながら、をかし。


[現代語訳]
時期は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一月、二月、結局はすべて、その時々に応じて、一年中にわたってみんな情趣があるものである。


[古文・原文] 3 第三段 正月一日は【朗読】
正月一日は、まいて空の景色もうらうらと珍しう、霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、異(こと)にをかし。
七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見んとて、里人は、車きよげにしたてて見に行く。中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、僅(はつか)に見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづか)、女官などの行き違ひたるこそ、をかしけれ。
いかばかりなる人、九重(ここのえ)をならすらんなど、思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人が顔のきぬもあらはれ、誠に黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見ぐるしく、馬のあがり騒ぎなどもいと恐しう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
八日、人のよろこびして走らする車の音、異(こと)に聞こえて、をかし。

[現代語訳]
正月一日は、空の景色も珍しいほどにうららかで、一面に霞が出ているのに、世間にいる人たちはみんな、衣装・外見・化粧で特別に美しくして、主君も自分も末永くとお祝いしているのは、いつもと違った様子で面白い。
七日、雪の間で若菜を摘んできて、青々とした若菜を普段はそんなものを近くで見ることもない御殿の中で見て騒いでいるのが、とても面白い。白馬を見ようとして、里に住んでいる一般の女たちは、車を綺麗に飾り立てて宮中にやってくる。待賢門の敷居を通過する時、車が揺れて乗っている人たちの頭がぶつかり、飾り櫛も落ちて気をつけていないと櫛が折れたりもして、みんなで笑う光景もまた趣きがある。建春門の左衛門府のあたりに殿上人などが大勢立っていて、舎人の弓を取り上げて馬を驚かせて笑う様子を、車の中から少し覗き見ると、奥の宣陽門の向こうに立蔀が見えて、そこを主殿司や女官などが行ったり来たりしているのも面白い。
いったいどのような幸運な人が、宮中の中で権勢を振るっていられるのだろうかと思っていたが、宮中でもこうして見ているのはごく狭い範囲であり、舎人の顔が肌理もあらわになっているが、本当に黒くて白粉(おしろい)が足りない所は、雪がまだらに消え残っている感じで見苦しく、馬が跳ねて騒いでいる姿も非常に恐ろしく見えるので、車の奥に入ってしまい外が良く見えない。
8日、昇進した人々が喜んで挨拶回りに走らせている車の音、いつもとは違った弾んだ感じがあって趣きがある。

[古文・原文]
十五日、節供(せっく)まゐり据ゑ、粥(かゆ)の木ひき隱して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心づかひしたる景色も、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いと栄々(はえばえ)し。ねたしと思ひたるもことわりなり。
新しう通ふ婿の君などの、内裏(うち)へ参るほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奧の方にたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、『あなかま』と、招き制すれども、女はた、知らず顏にて、おほどかにて居給へり。
『ここなる物、取り侍らむ』など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り、笑ふ。男君も、にくからずうち笑みたるに、ことに驚かず、顔少し赤みて居たるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人を呪ひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日は皆乱れて、かしこまりなし。
除目(じもく)の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文(もうしぶみ)持てありく。四位、五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々は真似をし笑へど、いかでか知らむ。『よきに奏し給へ、啓し給へ』など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。

[現代語訳]
十五日は、望粥を添えた祝膳を主人に準備して、その粥の木を隠し持ったその家の古い女房や若い女房が隙を伺っているのに対して、木で打たれまいと注意して、常に自分の後ろに気をつけている様子もとても面白いのだが、どのようにして隙を見つけたのだろうか、上手く打ち当てた時には、みんなそれがおかしくて笑い出し、とても賑やかな風景である。打たれて悔しいと思うのは道理である。
新たに家に通ってくるようになった婿君などが、内裏へ参内の支度をしているのももどかしく、その家で影響力のある女房が、物陰から除いて隙を伺っている感じで、奥のほうで行ったり来たりしているのを、婿君の前に侍っている女房が状況を心得て笑っているのを、『静かに』と手真似で制止するのだけれど、女のほうは何も知らない顔をして、おっとりした感じで座っていらっしゃる。
『ここにある者を頂きましょう』などと言いながら、走って近づいていって女君を木で打ってから逃げると、みんな笑っている。婿君も悪くはない感じで微笑んでいるが、女君も驚いた風ではなく、顔を少し赤らめて恥ずかしそうに座っているのは、面白い。また女房同士でお互いに打ち合ったり、男の人を打ったりもするようである。どういうつもりなのだろうか、打たれて泣いたり腹を立てたり、打った人を呪ったり、不吉な言葉を話す女房もいたりするのがおかしい。宮中で身分の高い高貴な人たちの間でも、今日は無礼講で砕けており、畏まった様子もない。
春の除目(人事)の頃、宮中の様子はとても趣きがある。雪が降ったり氷が張っていたりするのに、人々は申文を持ってあちこちを行ったり来たりする。位階が四位や五位の若くて気力のある人たちは、とても頼もしげな姿をしている。老いて髪の毛が白くなっている人が、女房に取次ぎを頼んだり、また女房の局に立ち寄ったりして、自分が有能で賢い人間なのだと、自分の主観だけで話して聞かせているのを、同じ局の女房たちは真似をして笑っているのだが、本人はそんなことは知らないのである。『どうかよろしくお伝え下さい。帝にも中宮様にも』などと頭を下げて頼んでも、官位を得られた人は良いが、手に入れられなかった人は非常に哀れなものである。

[古文・原文]
三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、今咲きはじむる、柳などいとをかしきこそ更なれ。それもまだ、まゆにこもりたるはをかし。広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。
おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。桜の直衣(なほし)に、出袿(いだしうちき)して、客人(まろうど)にもあれ、御兄の君達にても、そこ近く居て物などうち言ひたる、いとをかし。
四月、祭のころ、いとをかし。上達部、殿上人も、袍(うへのきぬ)の濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲(しらがさね)など同じ様に、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も霧も隔てぬ空の景色の、何となくすずろにをかしきに、少し曇りたる夕つ方、夜など、忍びたる郭公(ほととぎす)の、遠く、そら耳かとおぼゆばかりたどたどしきを聞きつけたらむは、何ごこちかせむ。
祭近くなりて、青朽葉(あおくちば)、二藍(ふたあい)の物どもおし巻きて、紙などにけしきばかりおし包みて、行き違ひ持て歩くこそ、をかしけれ。末濃(すそご)、村濃(むらご)なども、常よりはをかしく見ゆ。童女(わらわべ)の、頭ばかりを洗ひつくろひて、形(なり)は皆ほころび絶え、乱れかかりたるもあるが、屐子(けいし)、沓(くつ)などに『緒すげさせ、裏をさせ』など持て騒ぎて、いつしかその日にならなむと、急ぎ押し歩くも、いとをかしや。
怪しう踊りて歩く者どもの、装束きしたてつれば、いみじく定者(じょうじゃ)などいふ法師のやうに、ねりさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどほどにつけて、親・叔母の女、姉などの供し、つくろひて率て歩くもをかし。
蔵人(くらうど)思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾ならぬは、わろき。

[現代語訳]
三月三日はうららかに日が照っている。桃の花も今咲き始めたが、柳の姿の風情などは更にいうまでもない。それもまだ、芽が出るか出ないかという時期に味わいがある。葉が開ききってしまうと、情趣がなくなってしまう。
美しく咲いた桜を長く手で折って、大きな花瓶に挿しているのは、非常に趣深いものである。桜重ねの直衣に、出袿を掛けた恰好でいると、お客人でもご兄弟の方々でも、その近くに座っていて話をしているのはとても風情がある。
四月の賀茂の祭の頃は、とてもしみじみとした情趣がある。上達部も殿上人も、袍の色が濃いか薄いかという違いがあるだけで、白襲をまとってみんな似たような様子で、いかにも涼しげで魅力的である。木々の葉はまだすっかり茂りきってはおらず、若々しい木の葉の青さが広がっている。霞や霧が立ち篭めていない晴れた空の景色には、何となく気持ちを浮き立たせるような趣きがある。そんな日の少し曇った夕方、夜などに、遠慮がちに鳴くほととぎすが、遠くで聞き間違いの空耳だろうかと思えるほどに弱々しく小さな声で鳴いたのを聞きつける時は、いったいどんな気持ちになるだろうか(なんとも言えない素敵な気持ちになるだろう)。
祭りが近くなって、青朽葉や二藍の着物地をくるくると巻いて紙にほんの少し包んだのを持って、忙しそうに行き来するのは、この時期らしい風情がある。末濃や村濃の染物も、いつもより趣きがあるように見える。小さな女の子で、頭だけは綺麗に洗って手入れをして、服装は普段着のままで、綻びの所は大きく裂けてしまって、ボロになりかかった着物を着ている子もいるが、『下駄に鼻緒をつけさせて、靴の裏を打たせて』などと騒いで、早くお祭りの日にならないかなと、急いで押し合いながら歩いている様子もしみじみとした風情を漂わせている。
普段は粗末な恰好をしている子供でも、祭りの日には晴れ着を着ると、もうあの定者という僧侶のようにその周囲を練り歩いている、親は(迷子にでもならないかと)どんなに心配だろう。その子の親や叔母、姉などがついて、子供の身なりを整えながら歩いているのも面白いものだ。
蔵人になりたいと思っている人で、今すぐにはなれない人が、祭りの当日、行列で蔵人のような青色の服を着用したのは、そのまま脱がせないでいさせて上げたいと思ってしまう。その服装が綾(きちんとした織物)でないのは、みっともないものだが。


[古文・原文] 4 第四段 同じ事なれども【朗読】
同じことなれども、聞き耳異なるもの。
法師の言葉。男の言葉。女の言葉。下衆の言葉にはかならず文字余りたり。


[現代語訳]
同じ内容なのだが、聞いた感じが異なるもの。
法師(禁欲的な坊さん)の言葉。男の言葉と女の言葉。下衆の言葉には必ず余計な言葉が付け加わっている。


[古文・原文] 5 第五段 思はん子を【朗読】
思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(しょうじんもの)のいとあしきをうち食ひ、い寝る(いぬる)をも。若きは、物もゆかしからむ。女などのある所をも、などか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも、安からずいふ。まいて験者(げんじゃ)などは、いと苦しげなめり。
困(こう)じてうち眠(ねぶ)れば、『ねぶりをのみして』など、もどかる。いと所狭く、いかに思ゆらむ。
これは昔のことなめり。今様(いまよう)は、いと安げなり。

[現代語訳]
可愛く思っている子供を法師にするのは、心苦しく悲しいものだ。人々が坊さんのことをただ木の切れ端か何かのように取るに足りない存在だと思っていることも、とても可哀想である。精進料理の粗末な食事をして、居眠りしただけでもうるさく叱られる。若いうちは、色々なことをもっと知りたいだろう。女のいるような場所も、まるで忌み嫌うようにして全く覗かないなんて。そんなちょっとしたことでも、うるさく言われてしまう。まして山野で過酷な修行をしている験者などになると、非常に苦しいだけのように見えてしまう。
疲れてしまって居眠りをすると、『居眠りばかりして』などと文句を言われる。自分の居場所もないように肩身が狭く感じて、どんなに辛く思っていただろう。
しかし、こんな坊さんの実態はもう昔のことのようだ。今の様子を見ると、坊さんでもとても気楽にやっているみたいだ。


[古文・原文] 6 第六段 大進生昌が家に【朗読】
大進生昌(だいじんなりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足(よつあし)になして、それより御輿(みこし)は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣の居ねば、入りなむと思ひて、頭(かしら)つきわろき人もいたくもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びろうげ)の車などは、門小さければ、障りてえ入らねば、例の、筵道(えんどう)敷きておるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせん。殿上人、地下なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
御前(おまへ)に参りて、ありつるやう啓すれば、(宮)『ここにても、人は見るまじうやは。などかは、さしもうち解けたる』と、笑はせ給ふ。(清少納言)『されどそれは、目(め)馴れにて侍れば、よくしたてて侍らむにしもこそ、驚く人も侍らめ。さても、かばかりの家に車入らぬ門やはある。見えば笑はん』など言ふほどしも、(生昌)『これ、まゐらせ給へ』とて、御硯(おんすずり)などさし入る。

[現代語訳]
大進生昌の家に、宮中から中宮がおでましになるので、東の門を四足門に改築して、その門から中宮のお乗りになった御輿がお入りになる。女房たちの乗った車も、まだ警護の者たちの陣屋が設営されていないから、北の門から入れるだろうと思っていた。髪の毛の状態が良くない女房もあまり髪をつくろっていなかったが、それは建物の近くまで車で寄せて降りられると簡単に思っていたからだが、大きな檳榔毛(びろうげ)の車などは門が小さくて中に入ることができず、いつものように地面に筵道(えんどう)を敷いて降りなければならなくなった、これはとても腹立たしいことだが、どうしようもないことでもある。殿上人だけではなく地下の庶民たちもが、陣屋の近くでこちらを見ているのも非常に不快である。
中宮の御前に参上して事の次第をお伝えすると、『この(のんびりした)邸宅であっても、人が珍しい貴人を見ないということなどあるでしょうか。どうして、そんなに周りに対して気を緩めていたのですか』とお笑いになられた。(清少納言)『けれどもそれは、あの者たちはお互い見慣れた関係の者たちですから、私たちがしっかりと化粧をして身なりを整えていれば、かえって驚かせてしまったでしょう。しかし、これほどの大きなお屋敷に車が入らない小さな門があろうとは。生昌殿の顔が見えれば笑ってあげましょう』などと言っていると、(生昌がやってきて)『これを中宮様に差し上げて下さい』と言って、使っている硯などを御簾の中に差し入れてきた。

[古文・原文]
(清少納言)『いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くは造りて住み給ひける』と言へば、笑ひて、『家のほど、身のほどに合はせて侍るなり』と答ふ。『されど、門の限りを高う造る人もありけるは』と言へば、『あな恐ろし』と驚きて、『それは于定國(うていこく)がことにこそ侍るなれ。古き進士(しんじ)などに侍らずば、承り知るべきにも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られ侍る』と言ふ。
『その御道も、かしこからざめり。筵道(えんどう)敷きたれど、皆おち入り騒ぎつるは』と言へば、『雨の降り侍りつれば、さも侍りつらむ。よしよし、また仰せられかくる事もぞ侍る。罷(まか)り立ちなん』とて、去ぬ(いぬ)。(宮)『何事ぞ。生昌がいみじうおぢつるは』と問はせ給ふ。『あらず。車の入り侍らざりつること言ひ侍りつる』と申して、おりたり。

[現代語訳]
(清少納言)『まぁ、あなたのお屋敷はとても造りが悪いのですね。どうして、あの門をそんなに小さく造って住んでいられるのですか』と言うと、生昌は笑って、『家の構えは、自分の身の程に合わせて造っているのでございます』と答えた。『けれども、門だけを立派に造るという人もいたではないですか』と言うと、『あぁ、恐ろしい方だ』と驚いて、『それは外国の于定國のことでございましょう。古い進士(中国王朝の科挙の合格者)でもなければ、そんなことを聞いても何のことだか分からないですよ。たまたま私はこの道に関心を持っていたものですから、この程度にはなんとか分かるのですが』と言った。
『その道とおっしゃられる道も、余り優れたものではなさそうですね。筵道の敷物をしても、みんながデコボコとした道に落ち込んで騒いでいましたから』と言うと、『雨が降っていたのですから、確かにそのようになってしまうでしょうね。分かりました分かりました、また色々と突っ込まれてしまいそうですから、この辺で失礼させて頂きます』と言って、去ってしまった。中宮が『何を言ったのですか。生昌がとても恐れ入っていたようですが』とお聞きになられた。『大したことはありません。車が門に入らなかったという文句をただ言っただけですよ』と申し上げて、清少納言は部屋に下がった。

[古文・原文]
同じ局に住む若き人々などして、よろづの事も知らず、ねぶたければ皆寝ぬ(いぬ)。東の対(たい)の西の廂(ひさし)、北かけてあるに、北の障子に懸金(かけがね)もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りてあけてけり。あやしく涸(か)ればみさわぎたる声にて、(生昌)『候はむ(さぶらわん)はいかに、候はむはいかに』と、数多(あまた)たびいふ声にぞ、驚きて見れば、几帳(きちょう)の後に立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。いみじうをかし。更にかやうの好き好きしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、無下(むげ)に心にまかするなめりと思ふも、いとをかし。
傍ら(かたわら)なる人をおし起こして、(清少納言)『かれ見給へ。かかる見えぬもののあめるは』と言へば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。(清少納言)『あれは誰そ。けそうに』と言へば、(生昌)『あらず、家主(いえあるじ)と局主(つぼねあるじ)と定め申すべき事の侍るなり』と言へば、『門の事をこそ聞えつれ、障子開け給へ、とやは聞えつる』と言へば、『なほその事も申さむ。そこに侍はむはいかに。そこに侍はむはいかに』と言へば、(女房)『いと見苦しきこと。更にえおはせじ』とて笑ふめれば、『若き人おはしけり』とて、引き立てて去ぬる(いぬる)後に、笑ふこといみじう。あけむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかなりとは誰か言はむと、げにぞをかしき。

[現代語訳]
同じ局に住んでいる若い女房たちと一緒に、何も状況が分からなくなり、眠たくて堪らなくなったのでみんな眠り込んでしまった。私たちの局は、東の対の屋の西の廂の間であり、北側の部屋に続いていたが、その間にある襖には鍵もなかった。そういった状況を気にしてなかったのだが、家主の生昌は勝手を知っていて、私たちの眠り込んでいる局につながる襖を開けてしまったのだった。妙にしわがれた騒がしい声で、『そちらに伺ってもよろしいでしょうか。そちらに伺ってもよろしいでしょうか』と何度も声を掛けてくる、ふと目を覚まして見ると、几帳の後ろに立てた燈台の光が、向こう側を明るく照らしている。障子を15cm(五寸)ほどだけ開けて、生昌は声を掛けているのだ。これは非常に面白い。こんな好色めいた行為など、生昌は全くしない人物なのだが、中宮様が自分の家にやってこられたというので、気が大きくなって失礼なことまでしてしまうのだろうと思うのだが、これは非常におかしくて滑稽な様子だ。
近くで寝ていた女房たちを揺すって起こして、『あちらをご覧なさい。あんな見慣れない人がこちらを覗いているようですよ』と言うと、女房は頭をもたげてそちらを見て、大声で笑う。『あれは誰なの。懸想しているのかしら』と言うと、『いえ、違います。この家の主人としてここの局の主人であるあなたとご相談したいことがあったのです』と生昌は答えた。『先ほど門のことについて申し上げましたが、襖をお開けになって下さいなんて言いましたか』と清少納言が言うと、『いえ、実はそのことについても申し上げたいことがあります。そちらに伺ってもよろしいでしょうか、そちらに伺ってもよろしいでしょうか』と言う。近くにいる女房が、『こんなに見苦しい恰好をしているのに。入ってきたらダメですよ』と言って笑うと、『若い女性がいらっしゃったのですね』と言って、襖を閉めて生昌は立ち去った、その後に女房たちは大笑いした。襖をせっかく開けたのだから、そのまま部屋に入ってくればいいのに、わざわざ入ってもいいですかなどとお伺いを立てれば、女の側がさあさあどうぞなどと言えるわけもないじゃない、本当に野暮な振る舞いがおかしい。

[古文・原文]
つとめて、御前に参りて啓すれば、『さる事も聞えざりつるものを。昨夜(よべ)のことに愛でて行きたりけるなり。あはれ、彼をはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ』とて、笑はせ給ふ。
姫宮の御方の童女(わらわべ)の装束つかうまつるべきよし、仰せらるるに、(生昌)『この袙(あこめ)の上襲(うわおそい)は、何色にか、つかうまつらすべき』と申すを、また笑ふもことわりなり。
(生昌)『姫宮の御前の物は、例のやうにては、悪気(にくげ)に候はむ。ちうせい折敷(おしき)に、ちうせい高杯(たかつき)などこそ、よくはべらめ』と申すを、(清少納言)『さてこそは、上襲(うわおそい)着たらむ童女も、参りよからめ』と言ふを、(宮)『なほ、例の人のやうに、これかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを』と、いとほしがらせたまふも、をかし。

[現代語訳]
翌朝、中宮の御前に参上して、生昌の深夜の来訪についてお伝えしたが、『そのような好色なお噂を全く聞かない方なのに。昨夜のあなたとのやり取りに感心して局まで押しかけたのでしょう。可哀想に、彼を強い口調でやり込めたのでしょうね』とおっしゃってお笑いになられた。
姫宮の側に仕えている女の子の着物を新調するようにと中宮からのお言いつけがあったのだが、生昌は『お言いつけのあったこの袙(あこめ)の上っ張りはどのような色にしたらよろしいでしょうか』と言って、更に女房たちから(女性の装束にまつわる感性・言語感覚の乏しさ)を笑われることになった。
『姫宮の御膳の食器は、大人と同じいつものものでは使いにくいでしょう。ちゅうせい折敷とちゅうせい高杯のほうが使いやすいと思います』と申し上げたが、清少納言が『そういう御膳で召し上がる姫君であれば、上っ張りを着た童女もお仕えしやすいでしょうね』と皮肉を言うと、中宮が『これ普通の人のように、生昌を笑いものにするのは良くないことですよ。彼はとても生真面目なお方なのですから』と言って気の毒に思っておられる。そのご様子も、見ていて面白いものである。

[古文・原文]
中間なるをりに、『大進、まづもの聞えむ、とあり』と言ふを聞こし召して、『また、なでふこと言ひて笑はれむとならん』と仰せらるるも、またをかし。『行きて聞け』と、のたまはすれば、わざと出でたれば、『一夜の門のこと、中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、「いかでさるべからむをりに、心のどかに対面して申しうけたまはらむ」となむ、申されつる』とて、また異事(ことこと)もなし。
一夜のことや言はむと、心ときめきしつれど、『今静かに、御局(おつぼね)にさぶらはむ』とて去ぬれば、帰り参りたるに、『さて、何事ぞ』と、のたまはすれば、申しつる事を、さなむと啓すれば、『わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむ時も言へかし』とて笑へば、『おのが心地に賢しと思ふ人のほめたる、嬉しとや思ふと、告げ聞かするならむ』とのたまはする御気色(おんけしき)も、いとめでたし。

[現代語訳]
用事をしている時に、『大進が、どうしても清少納言様に申し上げたいことがあるとおっしゃっていらっしゃっています』と言う取次役の女房の声をお聞きになって、中宮が『また、どのようなことをおっしゃって清少納言に笑われようというのだろうか』とおっしゃるのも、またおかしい。『行って用件を聞いてきなさい』とおっしゃるので、わざわざ用事を中断して行くと、『あの一夜の門のお話ですがあの話を兄の中納言に語ったところ、とても感心してしまって、「どうにかして然るべき機会を設けて、穏やかな気持ちで清少納言様と対面してお話をしたり聞いたりしたいものだ」と兄が申していました』という用件で、それ以外の用件があるわけでもない。
あの時の深夜の夜這いめいた訪問のことも言うのだろうかと、気持ちがときめいたりもしていたのだが、『今は静かに帰ります。またゆっくりとお部屋のほうに伺わせて貰います』と言って去ったので、中宮の御前に帰った。『どんな話だったの』と聞いてこられたので、生昌の申し上げた内容をお伝えすると、女房たちは『わざわざ正式な申し入れをして、清少納言様を呼び出すほどの用件ではないじゃないですか。御前にいない時とかお部屋にいる時とかを見計らって言えばいいのに』と笑ったが、中宮は『自分が普段から賢いと思っている兄が清少納言のことを褒めたので、これは清少納言も嬉しがるに違いないと思って、わざわざそのことを告げにやってきたのでしょう』とおっしゃる。その中宮のご様子は、生昌への優しい配慮も伺われてとても素晴らしいものであった。


[古文・原文] 7 第七段 上に候ふ御猫は【朗読】
上に侍ふ御猫は、かうぶり得て命婦(みょうぶ)のおとどとて、いみじうをかしければ、寵(かしづ)かせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、『あな、まさなや、入り給へ』と呼ぶに、日のさし入りたるに、眠りてゐたるを、おどすとて、『翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ』と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑ひて、御簾の内に入りぬ。
朝餉(あさがれひ)の御間に上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫を御懐に入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆(くろうど・ただたか)、なりなか、参りたれば、『この翁丸、打ち調じて、犬島へつかはせ、只今』と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、『乳母かへてむ、いとうしろめたし』と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、瀧口(たきぐち)などして、追ひつかはしつ。
『あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。三月三日、頭の弁の柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜、腰にさしなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ』など、あはれがる。

[現代語訳]
帝が寵愛している猫は、五位の位階を与えられて『命婦のおもと』と呼ばれていた。とても可愛らしいので、帝もいつも撫でて可愛がっておられるが、その猫が部屋の端のほうで寝ているので、お世話係の馬の命婦が、『あぁ、ダメですよ。部屋に入りなさい』と呼んでいる。日が差している暖かい場所で眠っている猫を、少しおどかしてやろうという気持ちで、『翁丸(犬の名前)、どこにいるの。行儀の悪い命婦のおもとに食いついてやりなさい』と言ったのだが、本気で噛めと言われていると勘違いした馬鹿者が走りかかっていったので、命婦のおもとは恐れて御簾の中に入ってしまった。
御朝食の間に帝がいらっしゃった時で、この様子を見て非常に驚きになられた。猫をお懐にお入れになって、蔵人(警護の役人)をお呼び出しになられた。蔵人の忠隆となりなかが帝の御前に参上すると、『この翁丸の犬を、打ち据えて罰し、犬島に流刑にしてしまえ、今すぐにそうせよ』とおっしゃるので、みんなが集まって翁丸を捕まえるために騒がしくなった。帝は馬の命婦も強く叱責して、『猫の世話係の乳母を変えよう。このままだと安心できない』とおっしゃるので、恐れた馬の命婦は御前に顔も出すことができない。犬はみんなで狩りをして捕まえたが、瀧口の武士などによって追い立てられた。
『可哀想に、翁丸はあんなに威張ってこの辺をのし歩いていたのに。三月三日の時には、頭の弁が柳で頭を飾らせ、桃の花を首に掛けて、桜を腰に差したりもして練り歩いていたが、こんな酷い目に遭うなんて思ってもいなかっただろう』などと、清少納言は犬を哀れんでいた。

[古文・原文]
『御膳(おもの)のをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしうこそあれ』など言ひて、三、四日になりぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人(みかわやうど)なるもの走り来て、『あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰りまゐりたるとて、調じ給ふ』と言ふ。 心憂(う)のことや、翁丸なり。『忠隆(ただたか)、実房(さねふさ)なんど打つ』と言へば、制しに遣るほどに、辛うして鳴きやみ、『死にければ陣の外に引き捨てつ』と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、『翁丸か。このころ、かかる犬やはありく』と言ふに、『翁丸』と言へど、聞きも入れず。 『それ』とも言ひ、『あらず』とも口々申せば、(宮)『右近ぞ見知りたる。呼べ』とて、召せば、参りたり。『これは翁丸か』と見せさせ給ふ。(右近)『似ては侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また「翁丸か」とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、「打ち殺して捨て侍りぬ」とこそ申しつれ。二人して打たむには、侍りなむや』など申せば、心憂(う)がらせ給ふ。
[現代語訳]
『中宮のお食事の時に、翁丸は必ず余った御飯を貰おうとしてやってきていたのに、居なくなってしまうと淋しいものだ』などと言って、3~4日経った昼頃、犬が激しく鳴く声が聞こえるので、どうして犬がこんなに長く鳴くのだろうと思っていると、近くの犬たちが様子を見るために駆け寄っていく。御厠人の女たちも走ってきて、『まぁ、大変なことです。蔵人二人が犬を打ちのめしております。死んでしまいます。流罪にした犬が帰ってきたということで懲罰しているのです。』と伝える。
心が憂鬱になってしまう、やはりあの犬は翁丸だったのだ。『忠隆、実房などが犬を打ちのめしている』と言うので、制止させるために使いの女を送った。やっと犬の鳴き声がやんだが、『死んでしまったので、御門の外に放り捨ててしまいました。』と言う。可哀想なことをしてしまったと思っている夕方の頃、酷く体が腫れあがって、惨めな格好をした犬が、よろよろとして歩いている。『翁丸だろうか。最近、このような犬が歩いていただろうか。』というと、誰かが『翁丸!』と呼びかけたけれど見向きもしない。
『翁丸よ』という女房もいれば、『あれは違うわよ』という女房もいるが、中宮が『右近なら翁丸を知っている。呼びなさい』というので、呼び出すと右近が参上した。『これは翁丸だろうか』とその犬をお見せになられた。『似てはございますが、この犬はあまりにも外見がみすぼらしすぎるようです。また「翁丸」と呼びかければ喜んでやってくるはずなのですが、この犬は呼んでも全くやって来ません。やはり違う犬でしょう。先ほどの翁丸は「打ち殺して死骸は門の外に投げ捨てた」ということでした。二人で打ったのであれば生きていないでしょう。』と申し上げたので、中宮は何と酷い事をしたものかとお心を傷められた。

[古文・原文]
暗うなりて、もの食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる。つとめて、御梳櫛(おけずりぐし)、御手水(ごちょうず)などまゐりて、御鏡もたせさせ給ひて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとに居たるを見やりて、
(清少納言)『あはれ昨日、翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらん。いかにわびしき心地しけむ』と、うち言ふに、この居たる犬のふるひわななきて、涙をただ落しに落とすに、いとあさまし。さは、翁丸にこそはありけれ。昨夜は隠れ忍びてあるなりけりと、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、『さは翁丸か』と言ふに、ひれ伏して、いみじう鳴く。御前にも、いみじうおち笑はせ給ふ。
右近内侍(うこんのないし)召して、(宮)『かくなむ』と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞し召して、渡りおはしましたり。(帝)『あさましう、犬などもかかる心あるものなりけり』と笑はせ給ふ。上の女房なども聞きて参り集りて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。(清少納言)『なほこの顔などの腫れたる、ものの手をせさせばや』と言へば、(女房)『終にこれを言ひあらはしつること』など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所(だいばんどころ)の方より、『まことにや侍らむ。かれ見侍らむ』と言ひたれば、『あなゆゆし、さる者なし』と言はすれば、『さりとも、見つくる折もはべらむ。さのみも、え隠させ給はじ』と言ふ。
さて畏り許されて、もとのやうになりにき。猶あはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ、人に言はれて泣きなどはすれ。

[現代語訳]
暗くなって、その犬に御飯を食べさせようとしたけど食べないので、これはやはり違う犬だったのだという事にしてしまった。翌朝、中宮がお髪を櫛でけずったり顔を洗ったりして身支度をしている時、私に鏡をお持たせになって御覧になるので、お側に付いていたが、昨夜の犬が柱のところに居るのを見て、
(清少納言)『可哀想に、昨日は翁丸を酷く打ったものよ。死んでしまったというが、本当に可哀想なことをしたものだ。今度はどんな身に生まれ変わったのだろうか。打たれてどんなにつらい気持ちだったのだろう。』と言うと、そこに蹲っていた犬が身体をぶるぶると震わせて、涙を落としたので本当に驚いてしまった。さては、やはり翁丸だったのだ。昨夜は自分のことを隠して耐えていたのだと思うと、その哀れさに加えて、人間のような(自分の素性を隠す)深い考えがあることが面白く感じられた。鏡を下に置いて、『それなら、お前は翁丸か。』と言うと、地面にひれ伏して、激しく鳴く。中宮も、その反応を見られてお笑いになる。
右近内侍をお呼び出しになられて、『このような感じである。』とおっしゃられると、女房たちも騒いで笑ったが、その騒動を聞かれた帝までも中宮の部屋にいらっしゃった。(帝)『あきれたことに、犬でもこのような心があるものなんだね』とお笑いになった。帝にお仕えしている女房たちもその話を聞いて集まってきたが、名前を呼ぶと今度は活発に動いている。(清少納言)『まだ顔が腫れ上がっているから、何とか手当をして上げたいものだわ』と言うと、女房たちは『ついにあなたは翁丸の正体を見破ったわね』と言って笑っている。蔵人の忠隆も話を聞きつけて、裏の台盤所のほうから、『その犬が翁丸であるという話は本当でしょうか。どれちょっと見せて下さい。』と申してきたので、『あぁ、とんでもない。そんな犬はいません。』と取次の者に言わせたが、忠隆は『そんなことをおっしゃっても、私がその犬を見つけてしまう時もあるでしょう。隠そうとしても、隠しきれるものではありませんよ。』と脅すように言ってくる。
そして翁丸は帝から許されて、元のように暮らせることになったのだった。犬である翁丸がみんなから哀れに思われて、体を震わせながら鳴いていた様子は、この上なく面白くて心が揺り動かされてしまった。人間であれば、人から哀れに思われたり同情の言葉を掛けられたりして、泣いてしまうこともあるのだが(まさか犬までそういった人に似た感情を持っているなどとは思ってもいなかった。)


[古文・原文] 8 第八段 正月一日、三月三日は【朗読】
正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は、曇り暮らしたる。七月七日は、曇り暮らして、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。
九月九日は、暁方(あかつきがた)より雨少し降りて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもせば降り落ちぬべく見えたるも、をかし。

[現代語訳]
正月一日、三月三日は本当にうららかな日だった。五月五日は一日中曇ったままの日を過ごした。七月七日は、昼間は曇っていたが夕方になると晴れてきて、夜は月の光が明るくて、沢山の数の星を見ることができた。
九月九日は、明け方から雨が少し降って、菊の花に露がびっしりと降りて、菊に着せている綿も酷く濡れており、花の移り香がいっそう強くなっていた。夜の雨も早朝には止んだけれど、まだ曇っていてややもすると、また雨が落ちてきそうな感じの天気は風情があるものだ。


[古文・原文] 9 第九段 よろこび奏するこそ【朗読】
よろこび奏するこそ、をかしけれ。後(うしろ)をまかせて、御前の方に向ひてたてるを。拝し舞踏しさわぐよ。

[現代語訳]
昇進の喜びを天皇に奏上する姿には、きりりとした風情がある。後ろに長く裾を引きながら、帝の御前に向かって立っている姿は魅力的だ。帝に拝礼して喜びを表す動作をしているのは素晴らしい。


[古文・原文] 10 第十段 今内裏の東(ひむがし)をば【朗読】
今内裏(いまだいり)の東をば、北の陣といふ。楢(なら)の木の遙に高きを、『幾尋(いくひろ)あらん』など言ふ。権中将、『もとより打ち切りて、定澄僧都(じょうちょうそうづ)の枝扇にせばや』とのたまひしを、山階寺(やましなでら)の別当になりてよろこび申す日、近衛司にてこの君の出で給へるに、高き屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゆしく高し。出でぬる後に、(清少納言)『など、その枝扇はもたせ給はぬ』といへば、(中将)『もの忘れせぬ』と笑ひ給ふ。
『定澄僧都に袿(うちぎ)なし、すくせ君に袙(あこめ)なし』と言いけむ人こそ、をかしけれ。

[現代語訳]
今内裏の東の門を、北の陣と呼んでいる。楢の木が高く立っているが、『どのくらいの広さがあるのだろうか』などと言っている。権中将が『根元からこの木を切って、定澄僧都の枝扇にすればどうか』とおっしゃった。定澄僧都は山科寺の別当に任命されて朝廷にお礼を申し上げに行く日、近衛府の代表として権中将も出席していたが、僧都は高い下駄を履いていたので、いつもより更に背が高く見えた。僧都が退出してから、清少納言が『どうして先日言っていた枝扇を持たせて上げなかったのですか。』と言うと、『よく忘れずにいたな。』と権中将はお笑いになった。
『定澄僧都に袿なし、すくせ君に袙なし』とは誰が言った言葉なのだろうか、非常に趣深いものだ。


[古文・原文] 11 第十一段~第二十段  山は 市は 峯は【朗読】
山は小倉山。鹿背山(かせやま)。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。五幡山(いつはたやま)。かへる山。後瀬(のちせ)の山。朝倉山、よそに見るぞをかしき。おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出でらるるなるべし。三輪の山、をかし。手向山(たむけやま)。待兼山(まちかねやま)。玉坂山。耳成山。

[現代語訳]
山といえば、小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。かたさり山というのは、遠慮する山という意味なのだがいったいどんな山なのだろうかと考えるのも面白い。五幡山。かへる山。後瀬の山。朝倉山は、昔の恋人も今は他人だという歌の舞台であり興味深い。おほひれ山も趣がある。臨時の祭の舞人のことが思い出されるからだろうか。三輪の山も情趣がある。手向山。待兼山。玉坂山。耳成山。


[古文・原文] 12
市は辰(たつ)の市。里の市。海石榴(つば)市、大和に数多ある中に、長谷寺にまうづる人のかならずそこに泊まるは、観音の御縁のあるにやと、心異(こと)なり。をふさの市。飾磨(しかま)の市。飛鳥の市。

[現代語訳]
市といえば、辰の市。里の市。海石榴(つば)市といえば、大和国に多くある市の中でも、長谷寺に参詣する人が必ず泊まる市であり、観音様の御縁があるからなのかと思うと軽々しくは扱えない。をふさの市。飾磨の市。飛鳥の市。


[古文・原文] 13
峰は、ゆづる葉の峰。阿弥陀の峰。弥高(いやたか)の峰。

[現代語訳]
峰といえば、ゆづる葉の峰。阿弥陀の峰。弥高の峰。


[古文・原文] 14
原は瓶(みか)の原。朝(あした)の原。園原。

[現代語訳]
広い原といえば、瓶(みか)の原。朝(あした)の原。園原。


[古文・原文] 15
淵は、かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむと、をかし。な入りその淵、誰にいかなる人の教へけむ。青色の淵こそ、をかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。隠れの淵。いな淵。

[現代語訳]
淵は、かしこ淵というのは、どのような淵の深い底を見て、そのような名前を付けたのだろうかと思うと面白い。な入りその淵は、誰にどんな人がその名を教えたのだろうか。青色の淵という名前も情趣がある。蔵人などが青色の服を着られそうな感じもする。隠れの淵。いな淵。


[古文・原文] 16
海は水うみ。与謝の海。かはふちの海。

[現代語訳]
海といえば、水うみ。与謝の海。かはふちの海。


[古文・原文] 17
山陵(みささぎ)はうぐひすの陵(みささぎ)。柏木の陵。あめの陵。

[現代語訳]
山陵といえば、うぐひすの陵。柏木の陵。あめの陵。


[古文・原文] 18
渡りはしかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。

[現代語訳]
渡りといえば、しかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。


[古文・原文] 19
たちはたまつくり。

[現代語訳]
たちはたまつくり。


[古文・原文] 20
家は近衛の御門(みかど)。二条。みかゐ。一条もよし。染殿(そめどの)の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。

[現代語訳]
家といえば、近衛の御門(みかど)。二条。みかゐ。一条院も立派だ。染殿(そめどの)の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。


[古文・原文] 21 第二十一段
[其一]清涼殿の丑寅 (うしとら)の隅の【朗読】  [其二]古今の草子【朗読】
清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長足長などをぞ、描きたる。上の御局(みつぼね)の戸を、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
高欄(こうらん)のもとに、青き瓶(かめ)の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外(と)まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣(なおし)の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫(かたもんのさしぬき)、白き御衣(おんぞ)ども、上に濃き綾のいとあざやかなるを出だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど申し給ふ。
御簾の内に、女房、桜の唐衣(からぎぬ)どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤山吹など色々このましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御簾より押し出でたるほど、昼の御座(ひのおまし)の方には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警ひちなど、『をし』と言ふ声聞ゆるも、うらうらとのどかなる日の景色など、いみじうをかしきに、果の御盤(ごばん)取りたる蔵人参りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。御供に、庇より大納言殿御送りに参り給ひて、ありつる花のもとに帰り居給へり。
宮の御前の、御几帳押しやりて、長押(なげし)のもとに出でさせ給へるなど、何となくただめでたきを、さぶらふ人も思ふことなき心地するに、『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山の』といふ言を、いとゆるるかにうち出だし給へる、いとをかしう覚ゆるにぞ、げに、千年もあらまほしき御有様なるや。

[現代語訳]
清涼殿の東北の隅で、北側との隔てになっている障子は、荒海の絵で、恐ろしい姿をした生き物である手長・足長などの絵が描いてある。上の御局の戸はいつも開け放しているので、いつもその不気味な絵が見えるのを、ああ嫌だ(気持ち悪い絵だ)などと言って笑っていた。
高欄の所に、青くて大きな瓶(かめ)を置いて、立派に咲いた桜の五尺ほどの枝を沢山差しているので、高欄の外に溢れるくらいに咲き誇っている。そんな日の昼頃、大納言様が桜がさねの着慣れた少しくたびれた直衣に、濃い紫の固紋の指貫をお召になっている。下着は白を重ねて、一番上に濃い紅の綾を着ており、その鮮やかな色を直衣の上から見せて参上した。ちょうど帝がこちらにおいでになっていたので、御局の戸口の前の狭い板敷にお座りになって、何かお話になっておられた。
御局の御簾の内には、女房たちが桜がさねの唐衣をゆったりと着て、藤がさね、山吹がさねなどの色鮮やかな衣裳を揃えて、大勢の女房が北の廊下の小半蔀の御簾から袖口など出している。昼の御座のほうには、御膳を運んで配膳している蔵人たちの足音が高らかに聞こえる。周囲を静かにさせるための『を、し』という警ひつの声なども聞こえてくるが、それがうららかでのどかな春の景色と調和して、何とも言えず趣深いものである。最後の食器を運び終えた蔵人がこちらへと参上して、御用意ができましたと奏上するので、帝は中の戸を通って昼の御前にいらっしゃった。帝のお供をしている大納言様は庇の間を通ってお送り申し上げ、先ほどの桜の差してある瓶の所に戻ってお座りになった。
中宮様が御几帳を押しやって、御簾のお近くまでいらっしゃっているご様子は、この上なく素晴らしいので、お仕えしている女房たちも何とも言えない良い気持ちになるが、『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山の』という古歌を、大納言様がゆっくりとした調子でお歌い出しになられた。この歌が非常にしみじみとした趣きを感じさせてくれたのだが、本当に、千年もこのままでいて欲しいと思わせられるような中宮様の素敵なご様子である。

[古文・原文]
陪膳(はいぜん)つかうまつる人の、男(をのこ)どもなど召すほどもなく、わたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と、仰せらるるに、目は空にて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほとど継ぎ目も放ちつべし。白き色紙(しきし)おしたたみて、「これに、ただ今覚えん古き事、一つづつ書け」と仰せらるる。
外(と)に居給へるに、(清少納言)「これは、いかが」と申せば、(伊周)「疾う書きて参らせ給へ。男は言(こと)加へ侍ふべきにもあらず」とて、さし入れ給へり。御硯とりおろして、「とくとく、ただ思ひまはさで、難波津(なにわづ)も何も、ふと覚えん言を」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面(おもて)さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。
春の歌、花の心など、さ言ふ言ふも、上臈(じょうろう)二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、
年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし
という言を、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じくらべて、(宮)「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と、仰せらるるついでに、「円融院の御時に、草子に『歌一つ書け』と仰せられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のあしさよさ、歌のをりにあはざらむも知らじ』と仰せらるれば、わびて皆書きけるなかに、ただ今の関白殿、三位の中将と聞えける時、

[現代語訳]
お食事の配膳をする係の者が、食膳を下げる男たち(蔵人)を呼ぶ間もなく、帝がもうここにいらっしゃった。中宮定子が「お硯の墨をすりなさい」とおっしゃられたが、私の目は宙に泳いでしまって、ただいらっしゃった帝のお姿ばかり拝見しているので、墨ばさみと墨の継ぎ目をあやうく取り外してしまいそうになった。中宮は白い色紙を折り畳んで、「この色紙に今思い浮かぶ古い昔の歌を、一つずつ書いてみなさい」とおっしゃった。
御簾の外にいる大納言様に、「これはどうしたらよろしいでしょうか」と申すと、伊周大納言は「早く歌を書いて差し上げなさい。男が意見を申し上げる状況でもありませんので」と言って、色紙をこちらに戻してきた。中宮はお硯を突きつけるようにして、「早く早く書いて。何も深く思い悩まずに、難波津でも何でもいいですから、思いついた歌を」と強く要求なさってくるので、どうしたことか臆病になってしまって、もう顔が真っ赤になってしまって頭もパニックになってしまった。
あれこれ迷いつつも、春の歌だとか花(桜)に心を寄せた歌だとかを、上臈の女房たちが二つ三つと書いたが、「ここに」と中宮から色紙を差し出されたので、
年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし
という歌を、「君をし見れば」と書き換えてみた。中宮は歌を御覧になって色々と比べて、「私はただお前たち女房の、歌を思いつくかどうかの機知を知りたかっただけなのですよ」とおっしゃられる。そのついでに、「円融院の御代に、帝が草子を差し出されて、『これに歌を一つずつ書け』とおっしゃられたので、とても書きにくく思って、何も書かずに辞退してしまう家臣が多かったが、帝が『全く筆の上手いだとか下手だとかは関係ないし、歌が季節に合っていなくても構わないのだから(気楽に思いつく歌を書きなさい)』と言われるので、みんなが困りながらも書いた歌の中で、今の関白様がまだ三位の中将であった時のことですが、

[古文・原文]
潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが
といふ歌の末を、『頼むはやわが』と書き給へりけるをなむ、いみじうめでさせ給ひける」など、仰せらるるにも、すずろに汗あゆる心地ぞする。若からむ人は、さもえ書くまじき事のさまにや、などぞ、覚ゆる。例いとよく書く人も、あぢきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。

*[其二]古今の草子【朗読】
古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、(宮)「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、げによう申し出でられぬは、いかなるぞ。宰相の君ぞ、十ばかり、それも、おぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、ただ覚えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやは、けにくく、仰せ事を映え(はえ)なうもてなすべき」と、わび口をしがるも、をかし。
知ると申す人なきをば、やがて皆詠み続けて、夾算(きょうさん)せさせ給ふを、「これは知りたることぞかし。など、かく拙くはあるぞ」と、言ひ嘆く。中にも、古今あまた書き写しなどする人は、皆も覚えぬべきことぞかし。

[現代語訳]
潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが
という恋の歌の終わりを、『頼むはやわが(帝のご恩寵を頼りにしています)』と書き直したのを、帝は非常にお褒めになられたのでした」などとおっしゃられているが、私のほうは冷や汗が出てくるような心地がした。年の若い女房であれば、このように歌を書くことはできなかっただろうと思われる。いつもは綺麗な文字を書く人も、あの場では緊張してしまって、文字を書き損じてしまった人などもいる。
中宮は古今和歌集の本を自分の前にお置きになられて、歌の上の句をおっしゃられては「この歌の下の句は何と言うのか」とご質問になるのだが、いつも昼夜を問わずしっかり覚えているはずの歌が、上手く下の句を思い出せず申し上げられないのはどうしたことか。宰相の君は10個くらいはお答えになられたが、それでも十分に沢山の歌を覚えているとまでは言えない有様だ。まして5つ6つ程度であれば恥ずかしくて、ただ私は歌を全く覚えておりませんと申し上げたほうが良いような気もするが、「それではあんまりだ。ご質問にしっかりと向き合うべきなのに」と言って、みんなが歌を思い出せない自分の不甲斐なさを口惜しがっている姿もおかしいものだ。
下の句を知っている人がいない歌は、そもまま下の句まで読み続けて、中宮は目印となる夾算(きょうさん)を挟まれるが、私たちは「この歌は知っている歌だったのに。どうして、こんなに上手く答えられないのだろうか」などと言って嘆いている。中でも、古今和歌集を沢山何度も書き写している人などは、全部の歌を覚えていそうなものなのだが。

[古文・原文]
「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一条の左の大臣殿(おほいとの)の御女(おむすめ)におはしけると、誰かは知りたてまつらざらん。まだ姫君と聞えける時、父大臣(おとど)の教へ聞え給ひけることは、『一には、御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人より異(こと)に弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌廿巻(にじゅっかん)を、皆うかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞え給ひけると、きこしめしおきて、
御物忌(おんものいみ)なりける日、古今を持てわたらせ給ひて、御几帳(みきちょう)をひき隔てさせ給ひければ、女御、例ならずあやしと、おぼしけるに、草子をひろげさせ給ひて、『その月、何のをり、その人の詠みたる歌は、いかに』と、問ひきこえさせ給ふを、かうなりけり、と心得たまふも、をかしきものの、ひがおぼえをもし、忘れたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わりなう思し乱れぬべし。
その方におぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石(ごいし)して数置かせ給ふとて、強ひ聞えさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。

[現代語訳]
中宮定子は「村上帝の御世に、宣耀殿の女御と申し上げるお方がいましたが、このお方が小一条の左大臣殿の姫君であるということは誰もが存じ上げていることでした。まだ入内(じゅだい)しておらず姫君であった時に、父である大臣が姫に教え申し上げたことは、『まず第一に、習字(筆書き)を習いなさい。第二は、琴の琴を、人よりも特別に上手に弾けるように努力しなさい。そして、古今和歌集の歌を二十巻全部覚えてしまって、それをあなたの学問にしなさい』ということでしたが、これを帝はお聞きになられていて、
帝は物忌の日に古今集をお持ちになって女御の部屋にいらっしゃり、(自分の姿が見えないように)几帳を立ててからお座りになられた。女御たちはいつもとは違う態度を怪しく思ったが、帝は古今集の草子をお開きになられて、『何の月、何の時に、誰それが詠んだ歌はどんなものか』とご質問になるので、和歌の教養を試すつもりなのかと心得て、その試みを面白いなあとは思うのだが、歌を間違って覚えていたり忘れていたりしたら大変なこと(恥辱)になってしまうので、不安に思っていた。
帝は歌の方面の教養がある女房を、2~3人呼び寄せられて、碁石を用いて二人の勝ち負けの数を数えさせようとした。帝が女御に強く参加するようにお求めになっているご様子は、どんなにか優雅で面白そうな感じだったのでしょう。

[古文・原文]
御前に(おまえ)侍ひけむ人さへこそ、羨しけれ。せめて申させ給へば、賢しう、やがて末まではあらねども、すべてつゆ違ふ事なかりけり。いかでなほ、少し僻事(ひがごと)見付けてを止まむと、ねたきまでに思しめしけるに、十巻にもなりぬ。『更に不用なりけり』とて、御草子に夾算(きょうさん)さして、大殿籠りぬるも、まためでたしかし。
いと久しうありて起きさせ給へるに、なほこの事、勝ち負けなくてやませ給はむ、いとわろし、とて、下の十巻を、明日にならば、異をぞ見給ひ合はする、とて、『今日定めてむ』と、大殿油(おおとのなぶら)まゐりて、夜更くるまでなむ、読ませ給ひける。されど、終に負け聞えさせ給はずなりにけり。
『上渡らせ給ひて、かかること』など、殿に申しに奉られたりければ、いみじう思し騒ぎて、御誦経(みずきょう)など、数多(あまた)せさせ給ひて、そなたに向ひてなむ、念じ暮し給ひける。好き好きしう、あはれなることなり」など、語り出でさせ給ふを、上も聞しめしめでさせ給ふ。
「我は、三巻四巻をだにえ見果てじ」と仰せらる。「昔は、えせ者なども皆をかしうこそありけれ。このころは、かやうなる事やは聞ゆる」など、御前に侍ふ人々、上の女房こなた許されたるなど参りて、口々言ひ出でなどしたる程は、誠に、つゆ思ふ事なく、めでたくぞ覚ゆる。

[現代語訳]
その村上帝の御世に御前に侍っていただけの女房たちまで、羨ましく思われてしまいます。帝がその女御に何とか和歌の質問に答えさせようとすれば、女御は自分を賢く見せようとして最後まで歌を詠み続けることはありませんでしたが、質問に対しては全く間違えるということも無かったのです(それほどの和歌の教養を備えた女御がいたのです)。帝はどうにかして少しでも間違いを見つけてから終わりにしようと思ったのですが、妬ましいほどに女御が正解を出し続けたので、遂に古今集は10巻にまで進んでしまいました。帝は『これ以上はもう答えなくて良い』とおっしゃって、古今集の草子にしおり(夾算)を挟んで、お二人でお休みになられたのですが、これも素晴らしいことでした。
帝は長い時間が経ってからお起きになられましたが、やはりこの歌合わせの勝負を勝ち負けのない引き分けで終わらせてしまうのは、どうにも良くない(プライドが許さない)ということで、明日になってしまうと女御たちが古今集の下の十巻の内容を別の参考書でチェックするかもしれないとお思いになって、『今日のうちに勝負を決めよう』とおっしゃって、灯火(明かり)を持ってこさせて夜が更けるまで、お読み続けになられたのでした。しかし、遂に女御は帝に負けることは無かったのでした。
『帝がお部屋にいらっしゃって、これこれこういう状況になっているのです』と、女御が父の大臣のお屋敷に使者を遣わしたので、父は非常に勝負の行く末を心配してしまい、何度も御誦経のお使いを寺に出したりもして、宮中に向かって娘が上手くやれますようにと念じて暮らしていた。父親までこういった和歌の風流の道を好き好んでおられるのは、本当に素晴らしい情趣を感じさせられます」などと、昔語りをなされると、帝も話を聞いて感心されている。
「私は3~4巻でさえ読み続けることができない」とおっしゃられる。「昔は、身分の低い者でも風流の道を楽しめる者が多くいたのです。最近はこういった話は聞かないですが」などと、中宮の女房たちと帝の女房たちで、中宮への拝謁が許されている人なども混じって、口々に感想を言い合ったりした。その時のご様子は、本当に全く余計な思惑がなくて、素晴らしいもののように感じられた。


[古文・原文] 22 第二十二段 生ひ先なく【朗読】
生ひ先なく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせく、あなづらはしく思ひやられて、猶、さりぬべからむ人の女(むすめ)などは、さしまじらはせ、世の有様も見せならはさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにて暫時(しばし)もあらせばや、とこそ覚ゆれ。
宮仕へする人をば、あはあはしう、わろきことに言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。げに、そも、またさる事ぞかし。かけまくも畏き御前をはじめ奉りて、上達部(かんだちめ)、殿上人、五位、四位は更にもいはず、見ぬ人は少なくこそあらめ。

[現代語訳]
前途に大した望みがなくて、ただ一途に夫を愛するなどして、偽物の小さな幸福に浸っていたいというような人は、その心持ちが我慢ができないし軽蔑すべき人のように思われてしまうが、やはり然るべき身分のある人物の娘などは、宮中に出仕させて、この世の中の現実(宮中や権力の仕組み)を広く見させてそれに馴れさせたいと思うし、暫くの間であっても、典侍(ないしのすけ)のような地位に就かせたいと思うものだ。
宮仕えしている女を、非難すべき、悪いことであるかのように言ったり思ったりする男などは、本当に憎たらしい。だが、そういった考え方にも最もだと思えるところはある。申し上げるのも畏れ多い帝をはじめとされて、上達部、殿上人、五位、四位などの人は改めて申し上げるまでもないが、高位の貴族たちに仕えている女房を見ないということはまずないのである。

[古文・原文]
女房の従者、その里より来る者、長女(をさめ)、御厠人(みかはやうど)の従者、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらむ。それも、ある限りは、しか、さぞあらむ。
上などいひて、かしづき据ゑたらむに、心にくからず覚えむ、理(ことわり)なれど、また内裏(うち)のすけなどいひて、をりをり内裏へ参り、祭の使などに出でたるも、面立たし(おもだたし)からずやはある。さて、籠りゐぬる人は、まいてめでたし。受領(ずりょう)の五節(ごせち)出だすをりなど、いとひなび、言ひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどは、せじかし。心にくきものなり。

[現代語訳]
女房の従者、その里から付いてくる者、長女、御厠人といった付き人、たびしかわらといった卑しい者まで、いつ女房たちがそれらの者の目線を恥じてその姿を見せないことなどがあっただろうか。男の方たちであれば、それほど卑しい者の前に姿は見せないかもしれない。しかし、男性であっても宮仕えをする限りは、女房と同じようなもので下賤の者に見られることになる。
宮仕えした女房を上などと呼んで、かしずいて丁重にお仕えする場合には、その女房の前歴を悪いように思ってしまうのは、もっともなことでもある。だが、上の女性(北の方)は内裏の典侍などと呼ばれて、折に触れて内裏に参ったり、賀茂の祭りのお使いに出たりするのも、晴れがましくて名誉なことではないか。そして、そういった高い地位にありながら家庭に籠っているという人(一途に夫に仕えている人)は、非常に素晴らしいものだ。夫が受領として五節の舞姫を差し出す時など、(そういった宮中の内情に通じた北の方・上であれば)、田舎臭い物言いをしたり、常識的なことを知らずに人に質問したりなどの恥ずかしいことはせずに済むだろう。立派な尊敬される女性である。


[古文・原文] 23 第二十三段 すさまじきもの【朗読】  除目に司得ぬ人の家【朗読】
すさまじきもの 昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。三、四月の紅梅の衣(きぬ)。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋(うぶや)。火おこさぬ炭櫃(すびつ)、地火炉(じかろ)。博士のうち続き女子生ませたる。方違へ(かたたがえ)に行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ。
人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをも、さこそ思ふらめ。されどそれは、ゆかしき事どもをも書き集め、世にある事などをも聞けば、いとよし。人の許に、わざと清げに書きてやりつる文の返事(かへりごと)、今は持て来ぬらむかし、あやしう遅きと、待つほどに、ありつる文、立文(たてぶみ)をも結びたるをも、いときたなげに取りなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは「御物忌とて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしくすさまじ。
また、かならず来(く)べき人の許に、車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり」と、人々出でて見るに、車宿(やどり)さらに引き入れて、轅(ながえ)ほうと打ちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日は、他へおはしますとて、渡り給はず」など、うち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。

[現代語訳]
興醒めなもの(時節外れ・場違いで面白くないもの) 昼に吠える犬。春の網代。三~四月の紅梅の着物。牛が死んでしまった牛飼。赤ちゃんが死んだ産屋。火が起こらない炭櫃や地火炉。博士が続けて女の子を作った場合。方違えで行ったのに、ご馳走を出さない家。まして節分の時などにご馳走がないのはとても興醒めだ。
地方から送ってきた手紙に、何も贈り物がついていないこと。京から送った手紙でも、相手はそう思うだろう(贈り物がなければがっかりするだろう)。だが京からの手紙であれば、知りたい新たな事柄などが書き集めてあり、世の中で流行っている事・時勢なども知ることができるのだから、それでも良い。人の所に念入りに綺麗に書いてから持たせた手紙の返事、もう持って帰ってきても良い頃だが、なぜこんなに遅いのかといらいらして待っていると、さっき持たせた手紙を立文でも結び文でもそのまま持ち歩いていたので、ぐしゃぐしゃに汚くなっている、紙の地が毛羽立って、封印のための墨の線も消えてしまって、「相手はいらっしゃいませんでした」とか「物忌でしたので受け取って頂けませんでした」とか言って帰ってきたのは、とても情けなくて(せっかく綺麗に書いて送ろうとした手紙も汚れて台無しになって)興醒めである。
また、必ず来る予定になっている人の所に、お迎えの車を回して待っていると、車が帰ってきた音がするので、「来たようだ」と人々が近くにまで出て見ると、車は車庫にすぐに入ってしまって、轅を下に下ろしてしまったので、「どうしたのですか」と質問すると、「今日はよそにいらっしゃる予定がありますということで、いらっしゃいません」などと言いおいて、牛だけ車から外して引っ張っていってしまう。

[古文・原文]
また、家のうちなる男君の、来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、はづかしと思ひゐたるも、いとあいなし。ちごの乳母(めのと)の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「疾く来(とくこ)」と言ひ遣りたるに、「今宵はえ参るまじ」とて、返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜少し更けて、忍びやかに門叩けば、胸少し潰れて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすもすさまじといふはおろかなり。
験者(げんじゃ)の物怪(もののけ)調ずとて、いみじうしたり顔に独鈷(とこ)や数珠(ずず)など持たせ、せみの声しぼり出だして誦み(よみ)居たれど、いささかさりげもなく、護法もつかねば、集り居、念じたるに、男も女も怪しと思ふに、時のかはるまで誦み極(ごう)じて、「更につかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」と、うち言ひて、額より上さまにさくり上げ、欠伸己うちして、寄り臥しぬる。いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起して、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。

[現代語訳]
また、家に居着いた婿殿が通ってこなくなるというのも、とてもつまらないものだ。身分があって宮仕えをしているしっかりした女に、その婿殿を取られてしまって、これは敵わないなと思ってしまうのも、何とも不甲斐ないものだ。赤ちゃんの乳母がほんの少しの間だけと言って外出した後に、何とか赤子を宥めて、「早く帰ってきて下さい」と言って使者をやったところ、「今夜は行くことができません」という返事を寄越してきたのは、がっかりするというだけではなく、とても憎らしくてもうどうしようもない。女を待っている男が、このような目に遭ったらどのように思うだろうか。約束した男を待っている家で、夜が少し更けてから、周囲を憚るように門を叩いている音がするので、嬉しくて少し胸が痛くなる感じがして、召使いを行かせて名前を聞かせると、違うどうでも良い男がわざわざ名乗ってやって来たのは、何度がっかりしてイライラしたと言っても仕方がないほどである。
験者が物怪を調伏しようとして、とても自信満々な顔をして、独鈷や数珠などを持たせて、甲高い声を絞り出すように陀羅尼を唱えていたが、少しも物怪が調伏させられるような様子もなく、護法の童子も現れた感じがないので、一家の男も女も集まって祈っていたのだが、みんながようやくおかしいと思い始めた頃、験者は決まった時間が過ぎるまで経典を読み続けて疲れきって、「どうも物怪が憑かない。立ちなさい」と言って、数珠を取り返して、「ああ、全く効き目がない」と言い捨てて、額から上に頭を擦り上げ、何と自分から大きな欠伸をして、寄りかかって寝てしまったのはあまりに興醒めだ。とても眠たいと思っている時に、大したことのない人が揺り起こしてきて話しかけてくるのは、とても面白くないし不愉快だ。

[古文・原文] 除目に司得ぬ人の家【朗読】
除目(じもく)に官(つかさ)得ぬ人の家。今年はかならずと聞きて、はやうありし者どもの外々(ほかほか)なりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集り来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、物詣でする供に、我も我もと参り仕うまつり、物食ひ酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門叩く音もせず、「怪しう」など、耳立てて聞けば、前駆(さき)追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出で給ひぬ。
もの聞きに、宵より寒がりわななき居りける下衆男、いと物憂げに歩み来るを、をる者どもは、え問ひにだに問はず、外より来たる者などぞ、「殿は何にかならせ給ひたる」など問ふに、答へ(いらえ)には、「何の前司にこそは」などぞ、必ず答ふる(いらうる)。まことに頼みける者は、いと歎かしと思へり。翌朝(つとめて)になりて、隙なくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ(いぬ)。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎ歩きたるも、いとほしう、すさまじげなり。
よろしう詠みたりと思ふ歌を、人の許に遣りたるに、返しせぬ。懸想人(けそうびと)は、いかがせむ。それだに、をりをかしうなどある返事せぬは、心劣りす。また、騒がしう、時めきたる所に、うち古めきたる人の、おのがつれづれと暇多かるならひに、昔覚えて異なる事なき歌詠みておこせたる。

[現代語訳]
除目(人事)で官職を得られなかった家。今年こそは必ず任官できると聞いていて、以前仕えていた者たちで、その後にそれぞれどこか他に勤めていたとか、片田舎の地に引っ込んでいるとかいう人たちがみんな集まってきて、出入りする車の轅も途切れなく見えている。本人が祈願のために社寺に参詣するそのお供に、我も我もと付いていき、物を食べて酒を飲んで騒いでいたが、除目が終わる明け方まで門を叩く音がせず、「おかしい」と思って耳をそばだてて聞くと、往来には先払いする声など幾つも聞こえて、上達部などもみんな宮中から退出してしまわれた。
任官の知らせを聞くために、宵のうちから寒さに震えながら御所に行っていた下衆男が、ひどく落ち込んだ様子で帰ってくるので、そこにいた連中は質問することもできない。よそからやって来ていた者などが、「御主人は何の役職に就かれたのですか」などと聞くと、それに答えて、「どこどこの前司です」などと必ず答えてくるものだ。本当に任官を楽しみにしていた者は、とても嘆かわしい事態だと思っている。翌朝は、あれだけ沢山詰めかけていた者たちが、(この家の主人は何の官職も得られなかったのだと分かり)一人、二人と去っていってしまうのだ。古くから主人に仕えている人で、離れることもできない人は、来年、国司に欠員がでる国々を指折り数えて、のろのろと歩き回っているのも、可哀想であり、何とも情けない様子である。
良い感じで詠めたなと思う歌を、人の所に送ったのに、返事が返ってこない。女を思っている男の場合は、返事が返ってこないとどうだろうか。それでも、良い時節に詠んで送った歌に返事をして来ないのは、その相手の印象が悪くなってしまう。また騒がしく人が出入りしている、今、権勢を握っている人の所に、古めかしい老人が、自分がやる事もなくて暇な時間が多いからということで、昔風の何の新しさもない歌を詠んで送ってくるのは興醒めである。


[古文・原文]
物のをりの扇、いみじくと思ひて、心ありと知りたる人に取らせたるに、その日になりて、思はずなる絵など描きて得たる。産養(うぶやしない)、馬の餞(はなむけ)などの使に、禄取らせぬ。はかなき薬玉(くすだま)、卯槌(うづち)など持てありく者などにも、なほ必ず取らすべし。思ひかけぬことに得たるをば、いと興ありと思ふべし。これは必ずさるべき使と思ひ、心ときめきして行きたるは、ことにすさまじきぞかし。
婿取りして、四、五年まで、産屋の騒ぎせぬ所も、いとすさまじ。大人なる子どもあまた、ようせずは孫なども這ひありきぬべき、人の親どち、昼寝したる。傍なる子どもの心地にも、親の昼寝したるほどは、寄り所なくすさまじうぞあるかし。師走のつごもりの夜、寝起きてあぶる湯は、腹だたしうさへぞ覚ゆる。師走の晦日(つごもり)の長雨。「一日ばかりの精進解斎(しょうじんげさい)」とやいふらむ。


[現代語訳]
何かの行事がある時のための扇を、素晴らしいものをと思って、扇を作るのが上手だと知っている人に扇を頼んだのだが、その日になってみると、思いもかけないつまらない絵を描いて送ってくるのは残念だ。産養や旅の餞別などを持ってきた使いの者に、心づけ(お小遣い)を上げないというのもがっかりだ。大したものではない薬玉や卯槌のようなものを、配って歩いている者なども、やはり必ず心づけを渡すべきなのだ。思いがけず心づけを得ることができた使いは、大変素晴らしいと思うことだろう。これは必ず心づけが貰えると思って、心をときめかせて使いに行ったのに、実際は貰えなかったというのは非常にがっかりしてしまうものだ。
婿を迎えたにも関わらず、4~5年立っても産屋が賑わわない家(子供が産まれない家)も、非常にがっかりさせられる。もう成人した子供が沢山いて、もしかすれば孫が這って歩いていてもおかしくない世代の親が昼寝をしている。側にいる子供の気持ちからしても、親が昼寝をしている間は関わることもできずにつまらないものだ。12月の大晦日の夜、今まで寝ていた所を起きだして、すぐに浴びるお風呂の湯は、腹立たしいと思ってしまう。12月の大晦日の長雨。「後一日だけだった精進潔斎(後一日なのに精進を我慢できなかった)」というようなものである。


[古文・原文] 24 第二十四段 たゆまるるもの【朗読】
たゆまるるもの
精進の日の行ひ。遠きいそぎ。寺に久しく籠りたる。

[現代語訳]
怠けがちなもの。
精進の日のお勤め。遠い予定のための準備。お寺に長く籠って修行すること。


[古文・原文] 25 第二十五段 人にあなづらるるもの【朗読】
人にあなづらるるもの
築土(ついじ)の崩れ。あまり心よしと人に知られぬる人。

[現代語訳]
人に侮られるもの。
築地塀の崩れている状態。他人からあまりにお人好しな人(何も言い返さない人)だと思われている人。


[古文・原文] 26 第二十六段 にくきもの【朗読】  忍びて来る人【朗読】
にくきもの
急ぐことあるをりに来て、長言(ながごと)する客人(まろうど)。あなづりやすき人ならば、「後に」とても、追ひやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくく、むつかし。硯に髮の入りて、すられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんじゃ)もとむるに、例ある所になくて、外に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうして待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このころ物怪にあづかりて極じ(ごうじ)にけるにや、居るままにすなはち、ねぶり声なる、いとにくし。
なでふことなき人の、笑がちにて、ものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃(すびつ)などに、手のうらうち返しうち返しおしのべなどして、あぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶のはたに足をさへもたげて、物言ふままに押しすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、居むとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎちらして、塵はき捨て、居も定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前、巻き入れても居るべし。かかることは、いふかひなき者の際にやと思へど、少しよろしき者の、式部大夫(しきぶのたいふ))などいひしが、せしなり。


[現代語訳]
にくらしいもの。 急な用事がある時にやって来て、長話をするお客。軽々しく扱える人であれば、「また後でね」とか言って追い返してしまうこともできるが、気を遣わなければならない高位の貴族であれば、やはり簡単には追い返せないので、にくたらしく思ってしまう。硯の中に髪の毛が入っているのに、そのまま擦ってしまった時。墨の中に石が混じっていて、きしきしという不快な音が立った時。
急な病人がでたので験者を呼ぼうとしたのに、いつも居る所に居なくて、それ以外の場所を探し歩いている間、非常に待ち遠しく思ってしまう。長く待ち続けてやっと験者がやって来て、喜びながら病気平癒の加持祈祷をさせようとするのだが、最近は物怪の調伏の仕事が多くて疲れきっているのだろうか、祈り始めるや否やもう眠たそうな声になっているのは、(こんないい加減な験者をずっと待っていたのかと思うと)とても憎たらしい。
大したこともない人が、顔に笑みを浮かべて、得意気にものを言っている様子。(寒さに耐え切れないのだろうか)火鉢の火や囲炉裏に、手のひらを何度も何度もひっくり返したり擦りあわせたりしながら、炙っている者。いつ若々しい人が、そのようなことをしただろうか。(常識を知らずに)年老いた者に限って、火鉢の端に足まで載せて、話しながらその足を擦り合わせたりなどしている。そういった非礼な老人は、人の家にやって来た時にも、自分の座ろうとする所を扇でばたばたと扇ぎちらしてゴミを払いのけようとする。扇をばたばたとさせながら座る場所がなかなか決まらず、遂には狩衣の垂れた部分をひざ下に巻き込んだまま座ってしまったりする。このような礼儀知らずの情けない行為は、身分が低い下賤の者だけがすると思っていたのだが、ある程度高い身分である式部大夫などといった人が実際にしたことで憎らしい。

[古文・原文]
また酒飲みてあめき、口を探り、鬚(ひげ)あるものはそれを撫で、盃(さかづき)、異人(ことひと)に取らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。「また飲め」と言ふなるべし、身ぶるひをし、頭ふり、口わきをさへ引き垂れて、童(わらはべ)の「こう殿に参りて」など謠ふ(うたう)やうにする。それはしも、誠によき人のし給ひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
物うらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵のこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じそしり、また僅かに聞き得たる事をば、わがもとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるも、いとにくし。
もの聞かむと思ふほどに泣くちご。烏の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。

 *忍びて来る人【朗読】
忍びて来る人、見知りて吠ゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また忍び来る所に、長烏帽子(ながえぼうし)して、さすがに人に見えじと惑ひ入るほどに、ものにつきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾(いよす)など掛けたるに、うちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。
帽額(もこう)の簾(す)は、ましてこはしのうち置かるる音、いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、更に鳴らず。遣戸(やりど)を、荒くたてあくるも、いとあやし。少しもたぐるやうにして開くるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子なども、こほめかしうほとめくこそ、しるけれ。
ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名乗りて、顔のほどに飛びありく。羽風さへ、その身のほどにあるこそ、いとにくけれ。

[現代語訳]
また、酒を飲んで喚きたて、指で口の中をいじくり、鬚を生やしている人はそれを撫で回す、それで盃を他の人と渡そうとしている様子はとても憎らしく見える。「もう一杯、飲め」と言っているのだろうか、身体を揺すり頭を振って、唇を下に引き垂らして、子供たちが「国の守様の御館に伺って」を謡う時のような顔つきをしている。そういった無礼を、本当に高貴な身分のお方がしているのを見たので、本当に情けなくて嫌なものだと思った。
人のことを羨んで、自分については泣き言ばかりを言い、人の噂話ばかりをして、些細なことも詳しく知りたがり、話を聞きたいという顔をして、教えて上げないことを恨んで文句を言い、また少しばかり聞きかじったことを、自分が初めから知っていることのように、他の人に得意げな感じで語っているのも、とても憎たらしい。
人の話を聞こうとしている時に、泣き始める赤子。烏が群れになってあちこちを飛び回り、騒がしく羽音を立てて鳴いている様子。
人目を忍んで会いに来る男のことを覚えていて、吠えかかる犬。人に知られては大変なことになる場所で、やっとのことで共寝できた男が、いびきをかいていること。また人目を忍んで通っている女の所に、長烏帽子をかぶってくる男、人に見られないようにと苦労しながら屋敷の中に入ると、その長烏帽子が物に突き当たってしまい、がさがさと音を立ててしまったこと。伊予簾などが掛けてあるのに、それを潜って入ろうとして、サラサラという音を鳴らしたことも、(男の気が効かない様子が)とても憎らしい。
まして帽額(もこう)の簾の場合には、小さい端の部分が床に落ちてコトリと音を立てていることが明らかになってしまう。そういう時には、静かに簾を引き上げてから入れば、音は鳴らないものだ。板戸を手荒い感じで開けるのも、とても嫌なものだ。少し持ち上げるようにして開ければ、音など鳴りはしないのに。開け方が悪いので、障子戸などもゴトゴトと音を立ててしまい、周りに男が来ていることが丸分かりになるのだ。
眠たいと思って床に臥している時に、蚊が細い声で鳴きながら、顔の辺りを飛び回っていること。蚊は小さな身体なのに、羽風をしっかりと送ってくることが、とても憎らしいのだ。

[古文・原文]
きしめく車に乗りて歩く者、耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。また、物語するに、さし出でして、我ひとり才まくる者。すべてさし出では、童も大人もいとにくし。あからさまに来たる子ども、童を見入れ、らうたがりて、をかしき物取らせなどするに、ならひて、常に来つつ居入りて、調度うち散らしぬる、いとにくし。
家にても宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起しに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に、引きゆるがしたる、いとにくし。今まゐりの、さし越えて、物知り顔に教へやうなる事言ひ、後ろ見たる、いとにくし。
わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひ出でなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。まして、さしあたりたらむこそ、思ひやらるれ。されど、なかなか、さしもあらぬなどもありかし。
はなひて誦文(じゅもん)する。おほかた、人の家の男主(おとこしゅう)ならでは、高くはなひたる、いとにくし。蚤(のみ)もいとにくし。衣の下に躍りありきて、もたぐるやうにする。犬の、諸声(もろこえ)に長々と鳴きあげたる、まがまがしくさへにくし。
あけて出で入る所、たてぬ人、いとにくし。

[現代語訳]
ギシギシと軋むような車を乗り回す人。耳が聞こえないのだろうかと、とても憎らしい。自分がそんなうるさい車に乗った時には、その車の主人まで憎たらしく感じてしまう。また人が話をしている時に、出しゃばってきて、一人で自信満々に話の先を言ってくる人。差し出がましいでしゃばりな者は、子供でも大人でも憎らしいものだ。少しやってきた子供たちを可愛がって上げて、欲しいものを上げたりしたのだが、それに慣れてきて味をしめ、いつもやってきては家に居座り、調度品を散らかしていくのはとても腹立たしい。
自分の家でも宮仕えする職場でも、会いたくないと思っている人がやって来た時、眠ったふりをしていると、自分の使っている女が起こしにやってきて、主人は寝坊だなと思っているような顔をして、手荒く体を揺さぶってくるのはとても憎たらしい。新参の女房が古参の女房を差し置いて、物知り顔で人に物事を教えるようなことを言い、何かと後輩の女房の面倒を見ようとするのも、非常に憎らしい。
自分の知っている親しい男が、前に付き合っていた女のことを話し出して、褒めたりするのも、それが随分と昔のことであっても、やはり憎たらしいものだ。ましてそれが今も付き合いのある女であれば、もっと腹が立つだろうとその女の心中を思いやることができる。しかし、他の女のことを話されても、あまり腹が立たないこともあるのだ。
くしゃみをして呪文を唱える人。大体、一家の男主人以外の人が、周囲に憚らずに大きなくしゃみをしたのは、とても不快である。蚤(のみ)というのも、ひどく憎らしい。着物の下を飛び回って、着物を持ち上がるようにしてくる不快さ。犬が何匹も声を揃えて長々しく鳴いている、不吉な感じがして憎らしいものだ。
開けて出入りする場所の戸を閉めない人、非常に腹が立つ。


[古文・原文] 27 第二十七段 心ときめきするもの【朗読】
心ときめきするもの
雀の子飼(こがい)。ちご遊ばする所の前わたる。よき薫物(たきもの)たきて、一人臥したる。唐鏡(からかがみ)の少し暗き見たる。よき男の、車とどめて、案内し問はせたる。
頭洗ひ、化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。殊に見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。

[現代語訳]
心をどきどきとさせるもの
雀の子を飼うこと。赤ん坊を遊ばせている所の前を通る。高級な薫物を焚いて、一人で横になっている時。中国製の鏡の少し暗くなっているところを覗き込んだ時。高貴そうな男が、家の前に車を止めて、使いの者に何かを聞かせにやった時。
髪を洗って化粧をして、しっかりと良い香りが焚き染められてついた着物を着た時。その時には特別に見ている人がいない所でも、心がとても浮き立って楽しくなる。約束した男を待っている夜、雨の音や風が建物を揺らがすような音さえも、もう男が来たのだろうかと思って(驚き嬉しくて)胸がドキドキするものである。


[古文・原文] 28 第二十八段 過ぎにしかた恋しきもの 【朗読】
過ぎにしかた恋しきもの
枯れたる葵(あおい)。雛遊びの調度。二藍(ふたあい)、葡萄染(えびぞめ)などのさいでの、押しへされて、草子(そうし)の中などにありける、見つけたる。また、折からあはれなりし人の文、雨など降り徒然なる日、さがし出でたる。去年(こぞ)のかはほり。

[現代語訳]
過去のことで恋しかったもの
祭りに使っていた枯れた葵。雛遊びの時に使った道具類。二藍や葡萄染めなどの切れ地が、押しつぶされて、本の中に挟まっているのを見つけた時。また、ふとした時に、かつて好きだと思っていた人の手紙(和歌)を、雨などが降っていて手持ち無沙汰な日に、たまたま探し出した時。去年使っていた夏扇。


[古文・原文] 29 第二十九段 心ゆくもの【朗読】
心ゆくもの よく描いたる女絵(おんなえ)の、言葉をかしう付けて多かる。物見の帰さ(かえさ)に、乗りこぼれて、男(をのこ)どもいと多く、牛よくやる者の、車走らせたる。白く清げなる陸奥紙(みちのくがみ)に、いといと細う、書くべくはあらぬ筆して、文書きたる。うるはしき糸の練りたる、あはせ繰りたる。てうばみに、てう多く打ち出でたる。ものよく言ふ陰陽師して、川原に出でて、呪詛の祓へしたる。夜、寝起きて飲む水。
徒然なるをりに、いとあまり睦ましうもあらぬまらうと(客人)の来て、世の中の物語、この頃ある事のをかしきもにくきも怪しきも、これかれにかかりて、公私(おほやけ・わたくし)おぼつかなからず、聞きよきほどに語りたる、いと心ゆくここちす。
社寺などに詣でて、物申さするに、寺は法師、社(やしろ)は禰宜(ねぎ)などの、くらからずさはやかに、思ふほどにも過ぎて、滞らず聞きよう申したる。

[現代語訳]
満足するもの 上手く描いている女絵で、気の利いた注釈の言葉が多く付けられているもの。見物の帰りがけに、車から衣裳を出して、車添いの大勢の家来の男たちが従って、牛の取り扱いに慣れた従者が、牛車を速く走らせている様子。真っ白で清らかな陸奥紙に、非常に細い文字で、ほとんど文字が書けないくらいの細筆で手紙を書けた時。綺麗な練糸を、二筋合わせて繰ったもの。てうばみに、調目を多く打ち出した時。よく喋る陰陽師を雇って川原にでて、呪詛のお祓いをしてもらった時。夜に目覚めた時に飲む水。
することもなくて退屈な時に、それほど親しくもないお客さんがやって来て、世の中の雑談をしていく。最近起こった面白い話でも、イライラする話でも、奇妙な話でも、あれこれと話し続けて、宮中の公の話題でも個人的な話題でも、とても情報が豊富であり、こちらが聞きやすいように配慮して話してくれるのは、本当に気持ちが良いものである。
社寺にお参りして、お願い事をお祈りしてもらう時に、寺なら法師、神社なら禰宜といった人たちが、予想していた以上に分かりやすくはっきりと淀みなく、こちらの願意(願っている事柄)を申してくれた時。


[古文・原文] 30 第三十段 びろうげは【朗読】
檳榔毛(びろうげ)はのどかにやりたる。急ぎたるは、わろく見ゆ。
網代(あじろ)は走らせたる。人の門の前などより渡りたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、誰ならんと思ふこそ、をかしけれ。ゆるゆると久しく行くは、いとわろし。

[現代語訳]
檳榔毛(びろうげ)の高級な車は、ゆっくりと走らせたほうが重々しく見える。急いで走らせてしまうと、軽々しいものに見えてしまう。
網代(あじろ)の車は走らせたほうが良い。家の門の前を通っていった車が、ゆっくり眺める間もなく通り過ぎてしまい、お供の従者たちの姿だけが見える。それでいったい今の車は誰の車なのかしらと思うのが面白いのである。そこで時間をかけてゆっくりゆっくりと通り過ぎるなんていうのは、あまりに風情がないのである。


[古文・原文] 31 第三十一段 説経の講師は【朗読】
説経(せきょう)の講師は顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊さも覚ゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむと覚ゆ。このことは、とどむべし。少し齢(とし)などのよろしきほどは、かやうの罪得がたのことは、かき出でけめ。今は罪いと恐ろし。
また、尊きこと、道心多かりとて、説経すといふ所ごとに、最初に行きゐるこそ、なほ、この罪の心には、いとさしもあらで、と見ゆれ。 蔵人(くろうど)など、昔は御前などいふわざもせず、その年ばかりは内裏(うち)わたりなどには、影も見えざりける。今はさしもあらざめる。蔵人の五位とて、それをしもぞ、忙しう使へど、なほ、名残つれづれにて、心一つは暇(いとま)ある心地すべかめれば、さやうの所にぞ、一度二度も聞きそめつれば、常にまでまほしうなりて、夏などのいと暑きにも、帷子(かたびら)いとあざやかにて、薄二藍(うすふたあい)、青鈍(あをにび)の指貫(さしぬき)など、踏み散らしてゐためり。烏帽子(えぼし)に物忌付けたるは、さるべき日なれど、功徳(くどく)のかたには障らずと見えむ、とにや。
その事する聖(ひじり)と物語し、車立つることなどをさへぞ見入れ、ことについたるけしきなる。久しう会はざりつる人のまうで逢ひたる、珍しがりて近うゐより、物言ひうなづき、をかしき事など語り出でて、扇広うひろげて、口にあてて笑ひ、よく装束したる数珠かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講(はっこう)、経供養(きょうくよう)せしこと、とありしこと、かかりしこと、言ひくらべゐたるほどに、この説経の事は聞きも入れず。なにかは、常に聞くことなれば、耳馴れて、珍しうもあらぬにこそは。

[現代語訳]
説経の講師は顔が良いほうがよい。講師の顔に見とれて見守っていればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたみも分かるというものである。よそ見していると、聞いたことをすぐに忘れてしまうので、顔の悪い講師の説法を聞くと、説法をちゃんと聞けずに罪を犯してしまうような気分になるのだ。こんなことは、書かないでおくべきなのだが。私ももう少し年が若ければ、こんな罪を犯しそうなことでも平気で書いただろうけど。(年を重ねて死も意識してくる)今では、仏法に背く罪は恐ろしいものだ。
また、説法はありがたいものだ。しかし、自分は信仰心が強いのだといって説法をする所に最初に急いで出かけていって座っているような人は、やはり罪深い私のような者の気持ちからすると、そこまでしなくても良いのではないかと思ってしまうのである。 蔵人の役目を降りた人は、昔はもう行幸の先駆けなどもせずに、退官したその年には見栄えが悪いといって、宮中には影も形も見せないものだった。しかし、今ではそうでもないようで、蔵人の五位といえば、逆にそうした者を忙しく召し使うのだけれど、やはり、昔の激務を思えば手持ち無沙汰であり、その気持ちは今は暇だなあと感じてしまう。だから、説経をしている所に、一度二度と行ってしまうと、いつもそこに行きたくなって、非常に暑い夏でも、洒落たかたびらを透かせて、薄二藍や指貫などを派手にはいて座っている連中も多いのである。そういった人たちが烏帽子をかぶって物忌の札を付けているのは、家に篭って謹慎すべき日なのだが、仏法の功徳を積むためだから仕方ないという風に見せかけているのである。
説経する僧侶と世間話をしたり、女性の聴聞客が庭に車を立てることにも口出ししたり、そこが自分の場所であるかのような顔つきである。長く会っていなかった人と再会すると、懐かしく思って座り込んで話し、話しては頷き、面白い話などをし始めて、扇を広くひろげて口に当てて笑い、立派に装飾してある数珠を手でもてあそび、手繰って、あちらこちらを見回している。庭に立てた車の良し悪しを論評したり、ほめたりけなしたり、またどこそこで誰かの主宰した八講や経供養の話をして、こんなことがあったあんなことがあったと、言い比べていると、本題の説経の内容などはまるで耳に入らない。それがどうしたという感じで、いつも聞いている説経だから、耳に慣れてしまって何も聞くべき珍しい話がないということなのだろう。

[古文・原文]
さはあらで、講師居てしばしあるほどに、前駆(さき)すこし追はする車とどめておるる人、蝉の羽よりも軽げなる直衣(なほし)、指貫、生絹(すずし)のひとへなど著たるも、狩衣(かりぎぬ)の姿なるもさやうにて、若う細やかなる、三、四人ばかり、侍の者またさばかりして入れば、はじめ居たる人々も、少しうち身じろきくつろい、高座のもと近き柱もとに据ゑつれば、かすかに数珠押しもみなどして聞きゐたるを、講師もはえばえしく思ゆる(おぼゆる)なるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたなり。
聴聞(ちょうもん)すなど倒れ騒ぎ、額(ぬか)づくほどにもなくて、よきほどに立ち出づとて、車どもの方など見おこせて、我どち言ふ事も、何事ならむと覚ゆ。見知りたる人は、をかしと思ふ、見知らぬは、誰ならん、それにやなど思ひやり、目をつけて見送らるるこそ、をかしけれ。
「そこに説経しつ、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりて言はれたる、あまりなり。などかは、無下にさしのぞかではあらむ。あやしからむ女だに、いみじう聞くめるものを。さればとて、はじめつ方は、徒歩(かち)ありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などして、なまめき化粧じてこそは、あめりしか。それも、物詣で(ものもうで)などをぞせし。説経などには、殊に多く聞えざりき。この頃、その折さし出でけむ人、命長くて見ましかば、いかばかり、そしり誹謗せまし。

[現代語訳]
そういった人たちとは違って、講師が講座に上って話し始めてから暫く経った頃に、前駆の声が聞こえた車を先に止めて、降りてきた人を見れば、蝉の羽より軽そうな直衣、指貫、生絹の単などを着た人がいて、狩衣姿の人も同じような軽快な感じである。若くてほっそりとした貴公子が3~4人ほど、それに同じくらいの人数のお供を連れて、彼らが会場に入ってきたので、最初に座っていた人も少し遠慮して身体をずらして席を空け、一行の人々に講座にほど近い柱の所に座らせた。高貴な彼らが少し数珠を押し揉むようにして説経の話を聞いているので、講師も晴がましい気持ちになったのだろうか、どうにかして後世に語り継がれるような素晴らしい説法をしようとして熱が入り始めた。
説法を聴聞する時に、押したりこけたりの大騒ぎをするわけではなく、額をこすりつけてお参りするといった大げさな様子もない、ちょうど良い頃合に立ち去ろうとして、庭に立てた車のほうを見ながら、彼らが話し合っているのも、何を話しているのだろうかと興味を引かれる。彼らを知っている人は素晴らしいと思うし、知らない人も誰だろう、あの人なのだろうかと想像する。貴公子たちの帰る姿をみんなが見つめてそれぞれに見送っている姿は、面白いものだ。
「どこそこで説経があった、八講が開かれた」などと人々が話して伝えていると、「あの人はいましたか」「あの人はどうされたのでしょうか」などと、決まった言葉がいつも交わされているのは、あんまり良いものでもない。かといって、全くそういったありがたい説法の場に赴かないというのは問題だろう。身分の低い女でさえも、説法を熱心に聞くことがあるのだから。だが、以前は徒歩で説法の場へと出かける人はいなかった。稀に、壺装束の身なりをして綺麗にお化粧をした女性の姿はあったが。それらの女性もほとんどは、お寺参りの人たちであった。昔は、説経などに出かけていく女の人はほとんどいなかったのだ。女性が説法にやってくるという最近の風潮を、昔の時代に生きて説法に時々顔出ししていた男が、長生きして説法を聞く女性の姿を見たならば、どんなに強く非難することだろうか。


[古文・原文] 32
菩提といふ寺に、結縁(けちえん)の八講せしに詣でたるに、人のもとより「疾く帰り給ひね(とくかえりたまいね)。いとさうざうし」と言ひたれば、蓮の葉のうらに、
もとめてもかかる蓮の露をおきて憂き世にまたは帰るものかは
と書きてやりつ。誠に、いと尊くあはれなれば、やがてとまりぬべくぞ覚ゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。

[現代語訳]
菩提という寺で、結縁の八講が催されたので参詣したところ、ある人から「速くお帰りください。あなたがいないととてもつまらない」という手紙を送って寄越してきたので、蓮の葉っぱの裏に、
そんなに求められても、このような素晴らしい蓮の露(仏道の功徳)を放ったらかしにしたまま、憂鬱な俗世などにまた帰ろうと思えるものか。
と書いて送り返した。本当に、非常に尊い説法で感動したので、そのまま出家したいような気持ちになり、故事で家路を忘れたという湘中老師(そうちゅうろうし)のように、私の帰りを待っている家人のもどかしい気持ちを忘れてしまいそうになった。


[古文・原文] 32 第三十二段 小白河といふ所は【朗読】  後に来る車の【朗読】

小白河(こしらかわ)といふ所は、小一条の大将殿の御家ぞかし、そこにて上達部(かんだちめ)、結縁の八講し給ふ。世の中の人、いみじうめでたきことにて、「遅からむ車などは立つべきやうもなし」と言へば、露と共に起きて、げにぞ、暇なかりける轅(ながえ)の上にまたさし重ねて、三つばかりまでは、少し物も聞ゆべし。
六月十余日にて、暑きこと世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、いと涼しき心地する。左右の大臣(おとど)たちをおき奉りては、おはせぬ上達部なし。二藍の指貫(さしぬき)、直衣(なほし)、浅黄(あさぎ)の帷子(かたびら)どもぞ透かし給へる。少し大人び給へるは、青鈍(あおにび)の指貫、白き袴もいと涼しげなり。佐理(すけまさ)の宰相なども皆若やぎだちて、すべて尊きことの限りにもあらず、をかしき見物なり。
廂(ひさし)の簾(す)、高うまき上げて、長押(なげし)の上に、上達部は奥に向きて、長々と居給へり。その次には、殿上人(てんじょうびと)、若君達(わかきんだち)、狩装束(かりしょうぞく)、直衣などもいとをかしうて、え居も定まらず、ここかしこに立ちさまよひたるも、いとをかし。実方(さねかた)の兵衛の佐(ひょうえのすけ)、長明侍従(ちょうめいじじゅう)など、家の子にて、今すこし出で入りなれたり。まだ童なる君など、いとをかしくておはす。
少し日たくるほどに、三位(さんみ)の中将とは関白殿をぞ聞えし、香の薄物の二藍の御直衣、二藍の織物の指貫、濃蘇枋(こすほう)の御袴に、張りたる白き単のいみじうあざやかなるを着給ひて歩み入り給へる、さばかり軽び涼しげなる御中に、暑かはしげなるべけれど、いといみじうめでたしとぞ見え給ふ。朴(ほほ)、塗骨(ぬりぼね)など骨はかはれど、ただ赤き紙をおしなべてうち使ひ持給へるは、撫子のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。

[現代語訳]
小白河殿というのは、小一条の大将の邸宅のことだが、そこに上達部の人々が集まって結縁の八講を開催された。世間の人々は、とてもありがたい催しだと言って、「遅く着いた車などは、立てる場所もない」というので、朝早く露と一緒に起きて行ってみた。本当に、隙間なく並んだ車が轅の上にまた轅を重ねるといった感じで、三列目までは何とかものが聞こえる。
六月十何日かは、今までの世になかったほどの猛烈な暑さだった。池の蓮を見渡す景色だけは、とても涼しい感じがする。左右の両大臣の他には、参加しない上達部はいらっしゃらない。みんな、二藍の指貫、直衣に、薄黄色の夏の下着を透けるような感じで着こなしている。少し年長の方々は、青鈍の指貫に白い下袴を透かして着ていらっしゃるがこれも涼しげな装いである。佐理の宰相などもみんな若々しい装いをしていて、すべてありがたい法会の開催というだけではなくて、みなさんが着ておられる装束が見物となっている。
庇の間の簾を高く巻き上げて、簀子の縁よりも一段高い長押の上に置いて、上達部は奥の母屋の方を向いて、長々と列を作って座っていらっしゃる。その次の間には、殿上人や若い公達といった人たちが、狩衣や直衣などをおしゃれに着こなしているが、どこか落ち着かないのだろうか、あちらこちらをうろうろとしているのも興味深い。実方の兵衛の佐や長命侍従などは、この邸宅の家人だから、邸宅への出入りも慣れた様子である。まだ元服もしていない若君なども、とても可愛らしくいらっしゃる。
そろそろ日が上がろうとする頃、三位の中将(後の関白殿)が、二藍の直衣の下に丁子染めの帷子を着て、同じ二藍の織物の指貫をまとい、濃い蘇芳色の下袴を穿いて、張って艶のある白い単を帷子の上からまとって、ご自分の席へと歩いて入っていらっしゃった。みんなが涼しげな軽装の装束を着ている中に、こんな重苦しい恰好で来たら暑苦しく思われそうだが、とても立派な貫禄のある装いのように見えた。皆さんは、朴・塗り骨など色々な骨を使い、同じような赤い紙を張った扇を使ったり所持したりしていたが、そのみんなが赤い扇を持っている光景は、撫子の花が一面に咲き誇っている景色にとてもよく似ている。

[古文・原文]
まだ講師ものぼらぬほど、懸盤(かけばん)して、何にかあらむ、物まゐるなるべし。義懐(よしちか)の中納言の御様、常よりも勝りておはするぞ、限りなきや。色合ひの花々といみじう匂あざやかなるに、いづれともなき中の帷子を、これはまことにすべてただ直衣一つを着たるやうにて、常に車どもの方を見おこせつつ、物など言ひかけ給ふ、をかしと見ぬ人はなかりけむ。

*後に来る車の【朗読】 後にきたる車の隙(ひま)もなかりければ、池に引き寄せて立ちたるを見給ひて、実方の君に、(義懐)「消息をつきづきしう言ひつべからむ者一人」と召せば、いかなる人にかあらむ、選りて(えりて)率て(ゐて)おはしたり。「いかが言ひ遣るべき」と、近う居給ふ限り、のたまひ合はせて、やり給ふ言葉は聞えず。いみじう用意して車のもとへ歩み寄るを、かつは笑ひ給ふ。後の方に寄りて言ふめる。久しう立てれば、「歌など詠むにやあらん。兵衛の佐、返し思ひまうけよ」など笑ひて、いつしか返事聞かむと、ある限り、大人上達部まで皆そなたざまに見やり給へり。げにぞ、顕証(けしょう)の人まで見やりしもをかしかりし。
返事(かへりごと)聞きたるにや、すこし歩み来るほどに、扇をさし出でて呼びかへせば、歌などの文字言ひ過りてばかりや、かうは呼びかへさむ、久しかりつるほど、おのづからあるべきことは、直すべくもあらじものを、とぞ覚えたる。近う参りつくも心もとなく、「いかにいかに」と誰も誰も問ひ給ふ。ふとも言はず、権中納言ぞのたまひつれば、そこに参り、けしきばみ申す。
三位の中将、「疾く言へ。あまり有心(うしん)すぎてしそこなふな」とのたまふに、(使)「これも唯同じ事になむ侍る」と言ふは聞ゆ。藤大納言は、人よりけにさしのぞきて、「いかが言ひたるぞ」と、のたまふめれば、三位の中将、「いと直き木をなむ押し折りためる」と聞え給ふに、うち笑ひ給へば、皆何となくさと笑ふ声、聞えやすらむ。
中納言、「さて、呼びかへさざりつるさきは、いかが言ひつる。これや直したる定(じょう)」と問ひ給へば、(使)「久しう立ちて侍りつれど、ともかくも侍らざりつれば、『さは、帰り参りなむ』とて、帰り侍りつるに、呼びて」などぞ申す。
(義懐)「誰が車ならむ、見知りたまへりや」など、あやしがりたまひて、(義懐)「いざ、歌詠みてこの度はやらむ」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、皆居静まりて、そなたをのみ見る程に、車は、かい消つやうに失せにけり。下簾(したすだれ)など、ただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに、二藍の織物、蘇枋(すおう)の薄物の表着(うはぎ)など、、後(しり)にも摺りたる裳、やがて広げながらうち下げなどして、何人ならむ、何かは、またかたほならむことよりは、げ(実)にと聞えて、なかなかいとよし、とぞ覚ゆる。

[現代語訳]
まだ講師も高座に上らぬうちに、懸盤を運んできて、何が乗っているのだろうか、皆で何かを召し上がるようだ。義懐(よしちか)の中納言の御様子が、いつもよりご立派に見えることがこの上ない。他の方々も華やかな色合いの帷子を着て、素敵な香りを焚かれているので、どの方が優れているとも言えないが、中納言はただ直衣だけをすっきりと着こなしているような感じで、しきりに庭に立てた女車のほうを見つめながら、何か言おうとしていらっしゃる、そのお姿を素敵と思わない女性はいなかった。
後からやってきた車が、車を置く隙間もないような状態だったので、少し遠い池の側へ引き寄せて立てかけたのを御覧になって、実方様に、「弁舌が立って説明のできるような者を一人ここへ」とおっしゃった。どんな人物かははっきり知らないが、実方様がある一人を選んで連れていらっしゃった。「どんな苦情を言って送ろうか」と、近くに座っておられる方々がみんなで話し合われて、使いを出しているのだが、その苦情の中身までは聞こえてこない。使いの者が十分な用意をしてからその女車に近寄っていくのを御覧になって、おかしいといってお笑いになる。使いは車の後ろに近寄って、口上を伝えるようだ。長くそのまま立っているので、「歌でも詠むつもりなのだろうか。兵衛の佐、今から返歌について考えておけ」などと笑って、早く女車からの返事を聞きたいものだと、その場に居合わせた方々はみんな、老いた上達部まで含めて、女車のほうを見ていた。本当に、何の関わりもない人まで、そちらを見ている様子はおかしかった。
車からの返事を承ったのだろうか、使いの者が少し歩いて帰ってくると、車の中から扇を差し出して使いを呼び返すのだが、歌の言葉を間違えた時くらいしか、ここまで急いで呼び返すことはないだろう。しかし長らく待たされていたのだから、その間に考えた歌を、後からもう直しようもないだろうにと思った。使いが近くまで戻ってくるのも待ちきれない様子で、「どうだった、どんな返事だった」とみんながお聞きになる。使いの者はすぐに答えずに、お命じになった中納言の所へ行って、興奮しながら報告した。
三位の中将が、「早く申せ。あんまり勿体ぶってやり損なうなよ」とおっしゃると、使いの者が、「これもまあ、同じようなものでございます(やり損なったようなものでございます)」と答えるのが聞こえた。藤大納言が他の人よりも熱心に覗き込んで、「向こうは何と言ってきたのだ」とお聞きになるが、三位の中将が、「とてもまっすぐな木を、無理に曲げようとして折ってしまったようなものです」と申し上げると、藤大納言はお笑いになられ、それに釣られてみんながどっと笑ったが、この笑い声は女車の所まで聞こえただろうか。
中納言が、「さて、お前が呼び返される前の返事は、どんな返事だったのか。これは後で直した返事なのか」と質問されると、使いの者は、「長い間、立ったままで返事を待っていたのですが、何の返事もありませんでしたので、『それでは、帰りましょう』と言って帰りかけたところ、呼び返されまして」とお答え申し上げた。 中納言は、「誰の車なのだろうか。誰か知っていますか」などと言って不思議に思われて、「さあ、今度はこちらから歌を詠みかけてみよう」などとおっしゃっていると、講師が高座に上って、みんなが席について静まり返った。高座のほうを見ていると、その車はかき消すように去ってしまっていた。その車は、下簾などが今日下ろしたてのように新しく見えて、濃い紅の単に二藍の織物の唐衣、蘇芳の薄物の上着などが少し車の中から覗いた。車の後ろのほうにも、青摺りの裳を広げて下げたりしていて、いったいどなたが乗っておられたのだろうか。先ほどのそっけない断りの返事にしても、中途半端に気を持たせるような返事よりももっともなものに感じられ、なかなか素晴らしい返事ではないかという風に思われた。

[古文・原文]
朝座(あさざ)の講師清範(せいはん)、高座の上も光満ちたる心地して、いみじうぞあるや。暑さのわびしきに添へて、しさしたる事の、今日過ぐすまじきをうち置きて、ただ少し聞きて帰りなむとしつるに、敷並(しきなみ)に集ひたる車なれば、出づべき方もなし。
朝講(あさこう)果てなば、なほいかで出でなむと、前なる車どもに消息すれば、近く立たむがうれしさにや、「早々」と引き出であけて出だすを見給ひて、いとかしかましきまで老上達部さへ笑ひにくむをも聞き入れず、答へ(いらえ)もせで、強ひて狭がり出づれば、権中納言の、「やや、まかりぬるもよし」とて、うち笑み給へるぞめでたき。それも耳にもとまらず、暑きに惑はし出でて、人して、(清少納言)「五千人の中には入らせ給はぬやうもあらじ」と聞えかけて、帰りにき。
そのはじめより、やがて果つる日まで立てたる車のありけるに、人寄り来(く)とも見えず、すべてただあさましう絵などのやうにて過ぐしければ、ありがたくめでたく心にくく、いかなる人ならむ、いかで知らむと、問ひ尋ねけるを聞き給ひて、藤大納言などは、「何か、めでたからむ。いとにくし。ゆゆしきものにこそあなれ」と、のたまひけるこそ、をかしかりしか。
さて、その二十日あまりに、中納言、法師になり給ひにしこそ、あはれなりしか。桜など散りぬるも、なほ世の常なりや。「置くを待つ間の」とだに言ふべくもあらぬ御有様にこそ見え給ひしか。
[現代語訳]
朝座の講師清範は、高座の上が光に溢れているような高貴さで、本当に素晴らしい方である。しかし、私は猛暑に耐えられず、やりかけの仕事をそのままにして出てきたので、ほんの少しだけお話を聞いて帰ろうと思っていたのだが、車が折り重なるように集まっているので、出たくても出られない。 それなら朝講が終わってから帰ることにしようと思って、後ろの方の車に場所を交代して欲しいとお願いすると、少しでも前に車を立てられるのが嬉しいのだろう、「さあ、どうぞ」と場所を空けて車を出してくれる。その様子を見た人たちが、老いた上達部まで一緒になって、うるさいほどに騒いで笑ったり非難しているが、それには答えずに無理矢理に狭い所を車で通っていく。そこで権中納言が、「やぁ、退出するのもまた良いではないか」とおっしゃってくれて微笑みかけてくれた心遣いは素晴らしい。その言葉もしっかり聞けないまま、暑い中を混乱しながら外に出て、権中納言に使いを出して、「あなた様もまた、五千人の増上慢の群衆の中にお入りになることもおありになるでしょうから」とお答えして、そのまま帰った。
その八講の初めから終わりの日まで、庭に立てて聴聞している車があったが、人がその車に近づいてくるような様子もなく、あきれるほどに絵に描いてある車のような静かなひっそりした様子で4日間が過ぎたので、珍しくて素晴らしくて立派な信心のある人だと思って、どんな人なのだろうか何とか知りたいと思った。その車に乗っていた人が誰なのか、いろいろな人たちに尋ねて回ったことをお聞きになった藤大納言が、「どうして、素晴らしいことがあるか。とても憎たらしい奴だ。そいつは悪い奴に違いない」とおっしゃったのがおかしかった。
その八講のあった数日後の二十日過ぎに、中納言が出家して法師になられたのは、とても物悲しいことだ。桜などが散ってしまう儚さ・悲しさは、まだ世の常である(だがまさか中納言様があっけなく俗世を捨てて出家されてしまうとは)。「白露が置くのを待つ間だけの、朝顔の一時の美しさなど見ないほうがいい(儚い美しさを見ることはとても悲しくて虚しいことだ)」と昔から言われてはいるが、中納言様の一時の立派で晴れやかなお姿は、そうとばかりは言っていられないほどに素晴らしいものだった。


[古文・原文] 33 第三十三段 七月ばかりいみじう 【朗読】  ひとげのすれば【朗読】
七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころは、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。
いとつややかなる板の端近う、あざやかなる畳一枚うち敷きて、三尺の几帳、奥の方に押しやりたるぞ、あぢきなき。端にこそ立つべけれ。奥の後めたからむよ。人は出でにけるなるべし、薄色の、裏いと濃くて、表(うへ)は少しかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、頭ごめにひき着てぞ寝たる。香染め(こうぞめ)のひとへ、もしは黄生絹(きすずし)のひとへ、紅のひとへ袴の腰のいと長やかに衣(きぬ)の下より引かれたるも、まだ解けながらなめり。
そばの方に髮のうちたたなはりてゆるらかなるほど、長さ推しはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧立ちたるに、二藍(ふたあい)の指貫(さしぬき)に、あるかなきかの色したる香染めの狩衣(かりぎぬ)、白き生絹(すずし)に紅の透す(とほす)にこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎ垂れて、鬢(びん)の少しふくだみたれば、烏帽子(えぼうし)の押し入れたるけしきもしどけなく見ゆ。
朝顔の露落ちぬさきに文書かむと、道のほども心もとなく、「麻生(をふ)の下草」など、口ずさみつつ、わが方に行くに、格子のあがりたれば、御簾(みす)のそばをいささか引き上げて見るに、起きて去ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕上(まくらがみ)の方に、朴(ほぼ)に紫の紙張りたる扇、ひろごりながらあり。陸奥紙(みちのくがみ)の畳紙(たたうがみ)の細やかなるが、花か紅(くれない)か、少しにほひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。

[現代語訳]
七月の時期はとても暑いので、どこもかしこも開け放したままで夜を明かすのだが、月が出ている頃は、ふと目覚めて外を眺める、その風情が美して素晴らしい。月のない暗闇もまた良いものだ。有明の月の美しさは、今更言うまでもないだろう。
とても綺麗に磨き上げた板敷の間の端近くに、真新しい畳を一枚敷いて、三尺の几帳(机)を部屋の奥へと押しやってしまったのはどうにも味気ない。几帳は端の方にこそ立てておくべきものなのに。奥のほうが気になってしまう人なのだろうか。男の人はもう帰ってしまったようだが、女は裏はとても色が濃くて表は少し色が褪せたような薄紫色の衣、あるいは濃い紅でつやつやとした綾織の糊が効いた上着を、頭から被るようにして眠っている。下は丁子染め(ちょうじぞめ)の単(ひとえ)、あるいは黄色の生絹(すずし)の単を着て、紅の単袴(ひとえばかま)の腰紐が着物の下から長々と延びて出てきているのを見ると、まだ衣が解けたままの状態であるらしい。
衣の近くに髪が幾重にも重なってうねっているから、その髪の長さが推測される。またどこからか帰っている男なのか、朝方の一面に霧が立ち込めている中から、二藍の指貫に色があるかないか分からないほどの薄い香染めの狩衣を着て、白い生絹の単が下の衣の紅色を透かして見せて艶やかな色合いに見える。その衣裳が生憎の霧に酷く濡れて湿っているのだが、それを着こなしている。鬢の毛が少し乱れていて、上から押し入れた烏帽子のかぶり方も投げやりのように見える。
男は朝顔の露が落ちないうちに、女への手紙を書き残そうとして、帰り道も気が気ではなく、「麻生(をう)の下草」などと歌を口ずさみながら、自分の部屋のほうに行っていたが、格子が上がっているので、御簾の端を少し引き上げて中を見ると、(男が帰ったばかりといった感じの女が横になっているので)朝に起きて帰ったばかりの男の心情を想像すると面白く、露の落ちないうちに帰った男に情趣を感じて、暫く寝ている女を見ていた。
枕上のあたりに、朴(ほお)に紫色の紙を張った夏扇が、広げたままで置いてある。陸奥紙の懐紙を細かく切ったのが、花色か紅色か、暗い中では定かではないけれど、少し良い香りを漂わせて几帳のあたりに散らばっている。

[古文・原文] ひとげのすれば【朗読】
人けのすれば、衣(きぬ)の中より見るに、うち笑みて、長押(なげし)におしかかりて居ぬ。恥などすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかな、と思ふ。「こよなき名残の御朝寝(ごあさい)かな」とて、簾の内に半ば入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」と言ふ。をかしきこと、とり立てて書くべきことならねど、とかく言ひかはすけしきどもは、にくからず。
枕上なる扇、わが持ちたるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄り来るにやと、心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「疎くおぼいたること」など、うちかすめ恨みなどするに、明うなりて、人の声々し、日もさし出でぬべし。霧の絶え間見えぬべきほど、急ぎつる文もたゆみぬるこそ、後ろめたけれ。
出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたる匂ひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でて、わが起きつる所もかくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。

[現代語訳]
人の気配がするので、女がかぶって寝ていた着物の中から見てみると、男が微笑みながら長押に寄りかかって座っている。顔を見せないほど遠い関係でもないが、それほど打ち解けて親密な関係の相手でもないので、こんなだらしない姿を見られて恥ずかしい(悔しい)と女は思った。「これは名残惜しさを感じさせるような朝寝ですね」と言って、男は簾の中に半身を乗り出して入れてきたので、女は「露が置くよりも早く帰ってしまった男がもどかしいので」と答えた。面白いことや特別に書き立てるようなやり取りではないけれど、このように気さくに言い交わす様子は悪いものでもない。
男が枕の上にある扇を、自分の持っている扇で及び腰で引き寄せようとすると、女はあまりに近くに寄り過ぎではないかしらと思って、胸がドキドキしてしまい、御簾の奥の方に身体を引っ込めた。男は扇を手に取って見ながら、「よそよそしく振る舞うものですね」などと、軽く思わせぶりな恨みごとを言ったりするうちに、辺りも明るくなって人々の声がするようになり、日も昇ってくる様子だ。霧も所々で晴れてきており、男は急いで(自分の女への)手紙を書こうと思っていたのだが、こんな所で別の女と馴れ合って道草を食ってしまったのは後ろめたいことである。
女の元から帰っていった男も、いつの間に書いたのだろうか、露がついたままの萩の枝に手紙をつけて送ってきていたが、この男がいるので使いの者が手紙を渡せずにいた。丁子染めの紙に焚き染めた香の匂いが、とても情趣を感じさせる。明るくなって体裁が悪い時間になったので、男はこの女の元を立ち去っていったが、自分が訪れていた女の所も、こんな風に意外な展開になっているのか(自分以外の男が寄り道をして声を掛けているのか)と想像するのも面白い。


[古文・原文] 34 第三十四段 木の花は【朗読】
木の花は濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめて(翌朝)などは、世になう心あるさまに、をかし。花の中より黄金の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露に濡れたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公(ほととぎす)のよすがとさへ思へばにや、なほ、更に言ふべうもあらず。
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず、愛敬(あいぎょう)おくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなき物にて、詩(ふみ)にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。
楊貴妃の、帝の御使に逢ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、類あらじと覚えたり。
桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことことしき名つきたる鳥の、選りて(えりて)これにのみ居るらむ、いみじう心異なり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音の出でくるなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。
木のさまにくげなれど、樗(あうち)の花、いとをかし。かれがれに、様異(さまこと)に咲きて、かならず五月五日にあふも、をかし。

[現代語訳]
木の花は、濃くても薄くても紅梅が良い。桜は花びらが大きくて、葉の色も濃くて、細い枝に沢山の花が咲いているのが良い。藤の花は、花の房が長くて色が濃く咲いているのが非常に美しいと思う。
四月の末、五月の初めの頃に、橘の青い葉が濃い色で艷やかに茂っているが、その中に真っ白な花が咲いていて、雨の降った早朝にしっとり濡れいている様子は、この世にまたとないような美しさで素晴らしい。花の中にある実が、黄金の玉のように色鮮やかに見えている様子は、朝露に濡れた朝ぼらけ(朝方)の桜の美しさにも劣らないものである。橘の葉の中が郭公(ほととぎす)の棲家なのだと思うと、更に言いようがないほどの赴きが感じられる。
梨の花は、世間一般では価値がないものだと考えられていて、身近において観賞して愛でることはなく、手紙を結びつける枝の用途にも使われない。愛嬌(魅力)のない女の顔などを例える時に梨の花が持ち出されるが、本当にその葉の色からして淡くて風情がないように見えるが、唐土(中国)ではこの梨の花はこの上なく素晴らしいものとされていて、詩にもよく詠まれている。なので、どこかに良い所があるのだろうと思って、よく見てみると、花びらの端のほうに、綺麗な薄い紅色が心もとない感じでかすかについているようである。
楊貴妃が玄宗皇帝の使者に会った時に泣いた美しい顔を表現して、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」と詩に詠われているのは、並大抵のことではないと思うと、やはり(先進の唐土で賞賛される)梨の花の抜きん出た美しさというのは、他に類がないもののようにも思われてしまうのだ。
桐の木の花が紫色に咲いているのは、やはり趣きがあって良いが、あの葉の広がり方だけは、不格好なので気に入らない。だが、他の木々と同列に論じることのできる並の木ではない。唐土(中国)で大げさな名前がつけられた霊鳥(鳳凰)が、選り好みしてこの桐の木だけに止まるというのも、とても素晴らしい木のように思える。まして、桐の木材で琴を作って、様々な美しい音色が生み出されてくるのは素晴らしく、世間一般で言われている以上の価値がある。非常に抜きん出て素晴らしい木なのである。
木の形は不格好だけれど、樗の花はとても綺麗である。枯れてしまったような変わった花の咲き方であり、必ず五月五日の節句に合わせるように咲くというのも面白い。


[古文・原文] 35 第三十五段 池は【朗読】
池は勝間田(かつまた)の池。盤余(いはれ)の池。贄野(にえの)の池、初瀬に詣でしに、水鳥のひまなく居て、立ち騒ぎしが、いとをかしう見えしなり。
水なしの池こそ、あやしう、などてつけけるならむとて、問ひしかば、「五月など、すべて雨いたう降らむとする年は、この池に水といふものなむ、なくなる。また、いみじう照るべき年は、春のはじめに、水なむ多く出づる」と言ひしを、「無下になく、乾きてあらばこそ、さも言はめ、出づるをりもあるを、一筋にもつけけるかな」と、言はまほしかりしか。
猿澤の池は、采女(うねめ)の身投げたるを聞しめして、行幸などありけむこそ、いみじうめでたけれ。「寝くたれ髮を」と、人丸(ひとまる)が詠みけむほどなど思ふに、言ふもおろかなり。
おまへの池は、また何の心にてつけけるならむと、ゆかし。鏡の池。狭山(さやま)の池、三稜草(みくり)といふ歌のをかしきが、覚ゆるならむ。
こひぬまの池。原の池は、「玉藻な刈りそ」と言ひたるも、をかしうおぼゆ。

[現代語訳]
池は勝間田の池。盤余(いはれ)の池。贄野(にえの)の池は、初瀬にお参りした時、水鳥がたくさん隙間なく並んでいて、騒がしく一斉に飛び立っていったのが、とても素晴らしい眺めであった。
水無しの池というのは不思議な名前だ。どうしてこのような名前を付けたのだろうかと思って人に聞いてみると、「雨の多い五月など、とにかくいつもより雨が激しく降ろうとする年には、この池には水という水が全く無くなってしまうのです。反対に、非常に旱魃が激しくて雨が降らない年には、春の初めに大量の水が湧き出てくるのです」と答えたが、「いつも水が全く無くて、常に乾いているのであれば、水無しの池という名前をつけても良いだろうが、水が出る季節もあるというのに、一方的に名前を付けてしまったものですね」と言い返したくなってしまった。
猿沢の池は、昔、采女が身投げした池だということをお聞きになって、哀れに思った帝が行幸なされたこともある池だが、その優しい帝のお心がけは非常に素晴らしいものである。「寝くたれ髪を」と、人丸が詠んだというその時の光景などを思うと、何とも言いようがないほどに素晴らしく感じてしまう。
御前の池は、またどういった由来があってこの名前を付けたのだろうかと、知りたくなってしまう。鏡の池、狭山の池は、あの三稜草を詠んだ歌が風情があるので、記憶に残っている池である。
こいぬまの池、原の池は、「玉藻を刈り取るな」という歌があるので、それも面白いなと思う。


[古文・原文] 36 第三十六段 節は【朗読】 
節(せち)は、五月にしく月はなし。菖蒲(しょうぶ)、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民の住家まで、いかで、わがもとに繁く葺かむ(ふかん)と、葺きわたしたる、猶いとめづらし。いつかは、異折(ことをり)に、さはしたりし。
空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには、縫殿(ぬいどの)より、御薬玉(おくすだま)とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちょう)立てたる母屋(もや)の柱に左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹(すずし)の衣(きぬ)に包みて参らせたるを、同じ柱に結ひ付けて、月ごろある、薬玉に取り替へてぞ捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは、皆、糸を引き取りて、物結ひなどして、しばしもなし。
御節供(ごせっく)まゐり、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌付けなどして、さまざま、唐衣(からぎぬ)、汗衫(かざみ)などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃(むらご)の組して結び付けたるなど、珍しう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。

[現代語訳]
節供(節句)は、五月五日に及ぶものはない。菖蒲や蓬などが共に香り高く香っている様子は、とても趣きがある。禁中の御殿の軒をはじめとして、誰とも分からない一般民衆の家に至るまで、どうにかして自分の家に多くの茅を葺こうとして、人々が葺きわたしている様子は、何度見てもとても新鮮な光景なのである。いつ、他の節句の時期に、そんなことをしたことがあるだろうか。
空の様子は一面に曇っているが、中宮の御所では中宮御用の薬玉ということで、縫殿から色々な色の糸を組んで垂らした薬玉を献上するのだが、御帳台を立てた母屋の柱の左右にそれを掛けておく。去年九月九日の節句の菊を、粗末な生絹の切れに包んで献上したのだが、それを母屋の同じ柱に結びつけていたので、薬玉と取り替えて捨ててしまう。またこの薬玉は、次の九月九日の節句で菊を供える時まで、このまま保存しておくのだろうか。しかし薬玉は、みんながその糸を引っ張って、他の物を結びつけたりするのに使うので、すぐに無くなってしまう。
中宮に節供の午前を差し上げて、女房たちは菖蒲の刺櫛をさし、物忌をつけたりして、唐衣(からぎぬ)や汗衫(かざみ)などにはそれぞれ工夫して作った折枝をつける、長い菖蒲の根に紫と白のまだらな組糸で結びつけていくのである。これはま珍しい行事として言い立てることではないけれど、非常に風情がある。いつものことだからといって、毎年の春に咲く桜の花をどうでもいいという風に思う人がいるだろうか、いや、そんな人はいないのだ。

[古文・原文]
土ありく童(わらわべ)などの、ほどほどにつけては、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のにくらべなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童(こどねりわらわ)などに引きはられて泣くも、をかし。
紫の紙に樗(おうち)の花、青き紙に菖蒲の葉、細く巻きて結ひ、また、白き紙を根にしてひき結ひたるも、をかし。いと長き根を文(ふみ)の中に入れなどしたるを見るここちども、いと艶(えん)なり。返事書かむと言ひ合はせ、かたらふどちは、見せかはしなどするも、いとをかし。人の女(むすめ)、やむごとなき所々に、御文など聞え給ふ人も、今日は心異(こころこと)にぞなまめかしき。夕暮のほどに、郭公(ほととぎす)の名のりしてわたるも、すべていみじき。

[現代語訳]
外を歩き回っている子供たちが、自分がとてもお洒落をしていると思い込んで、常に飾り立てた袂を見守って、他の子の袂と見比べたりもしている。子供たちが自分の服装が何とも言えないほどに素晴しいと思っているところに、側に仕えている小舎人童から引き取られていって泣いているのも面白い。
紫の紙に樗の花を包んだり、青い紙に菖蒲の葉を細く巻きつけて結んだり、また白い紙を菖蒲の白い根で引き結んだりしたのも、趣きが感じられる。非常に長い菖蒲の根を手紙の中に入れたりしている様子を見る女房たちの気持ちも、とても華やかで賑やかなものである。その返事を書こうと思って相談し合い、仲の良い人たちはお互いの手紙を見せ合ったりしているが、その様子もとても面白い。さる高貴なお人の娘であるとか、高貴な方々の所へと中宮が手紙を送られるのだが、その手紙を書く女房たちも普段とは違って優雅で華やかな気持ちなのである。夕暮れの頃、郭公(ほととぎす)が名乗るようにして鳴いて通り過ぎていくのも、この日は何もかもが素晴らしい事のように感じるのだ。


[古文・原文] 37 第三十七段 花の木ならぬは【朗読】
花の木ならぬはかへで。桂。五葉(ごよう)。そばの木、しななき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。
檀(まゆみ)、更にも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊(さかき)、臨時の祭の御神楽(みかぐら)のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。
楠の木は、木立多かる所にも、殊にまじらひ立てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝(ちえ)に分かれて、恋する人の例(ためし)に言はれたるこそ、誰かは数を知りて言ひ始めけむと思ふに、をかしけれ。
檜の木、また、け近からぬものなれど、三葉四葉(みつば・よつば)の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。
楓の木のささやかなるに、萌え出でたる葉末(はずえ)の赤みて、同じ方(かた)に広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。
あすはひの木、この世に近くも見え聞こえず、御嶽(みたけ)に詣でて帰りたる人などの持て来める。枝ざしなどは、いと手触れにくげにあらくましけれど、何の心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなき兼言(かねごと)なりや。誰に頼めたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。

[現代語訳]
花が生らない木は、楓。桂。五葉の松。そばの木は、品がない感じがするが、花の咲く木がみんな散ってしまって、全体が若葉になってしまった中で、時節を弁えずに濃い紅葉がつやつやとして、青葉の中に思いがけず出てきているのは、珍しいものである。
まゆみは、今更言うまでもない。他の木に宿るという性質そのままであるが、宿り木という名前は、とても哀れである。榊は臨時のお祭りで神楽が出る時など、とても趣きがある。この世に木々は沢山あるが、(神楽歌の伝承によると)神の御前の木として昔から生えているものという伝承も特別で面白い。
楠の木は、木立の多い人の家でも、他の木と一緒に植えられることがなく、鬱蒼と茂った楠の森を思うと近づきがたいものだが、千本の枝を出している様子が、恋する人の千々に乱れた気持ちの比喩として言われるのは、誰が枝の数を数えてから言い始めたのだろうと思うと面白い。
檜の木、これはまた人家の近くには生えていない木だけれど、三葉四葉の殿造りという歌も面白い。五月には、(木から滴り落ちるしずくで)雨の音を真似するということだがそれも殊勝で哀れである。
楓の木はほっそりとしていて、初夏に萌えでてきた葉先が少し赤らんで、同じ方向に広がった葉の様子、花もとても儚げな感じで、虫か何かが干からびているのにも似ていて面白い。
あすはひの木、世間の近くには見えず人の話にも出てこないが、御嶽に参拝して帰ってくる人が持って帰ってくるようだ。枝ぶりは触れそうにないほど荒々しい感じであるが、どういった考えがあって、「明日は檜の木(あすはひのき)」という名前を付けたのだろうか。味気のない予言であることだ。誰に対してそんな予言をしたのかと思うと、名付けた人に聞いてみたくて面白い。

[古文・原文]
ねずもちの木、人なみなみなるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきが、をかしきなり。樗(おうち)の木。山橘(やまたちばな)。山梨の木。
椎の木、常盤木(ときわぎ)はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬ例(ためし)に言はれたるも、をかし。
白樫(しらかし)といふものは、まいて深山木(みやまぎ)の中にもいとけ遠くて、三位、二位の袍(うへのきぬ)染むる折ばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらねど、いつともなく雪の降り置きたるに見まがへられ、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、出雲国におはしける御事を思ひて、人丸(ひとまろ)が詠みたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、一節あはれともをかしとも聞きおきつる物は、草、木、鳥、虫も、おろかにこそ覚えね。
ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれど、をかし。なべての月には、見えぬものの、師走の晦日(つごもり)のみ時めきて、亡き人の食ひ物に敷く物にやと、あはれなるに、また、齢(よわい)を延ぶる歯固めの具にも、もて使ひためるは、いかなるにか。「紅葉せむ世や」と言ひたるも、頼もし。
柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむも、かしこし。兵衛の督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふも、をかし。
姿なけれど、椶櫚(すろ)の木、唐めきて、わるき家のものとは見えず。

[現代語訳]
ねずもちの木、他の木と同じような一人前の木ではないが、葉がとても繊細で小さいのが、面白いのだ。樗の木。山橘。山梨の木。
椎の木、常盤木はどれも寒くなっても葉が落ちずにあるのに、椎の木だけが葉が落ち代わらない例として歌に詠まれているのも面白い。
白樫という木は、深山に生える木の中でも特に私たちとは縁遠い木で、三位・二位の貴族の袍を染める時だけ、その葉っぱがわずかに人の目に触れるくらいだから、面白い木や素晴らしい木の中に特に持ち出すべきものではないけれど、その葉の白さはいつの季節でも雪が降っているような白さに見えて、スサノオノミコトが出雲国にお出かけになった時のことを思って人丸が詠んだ歌などを思うと、とても風情がある。何かの折に、その時に趣きがあるとか面白いとか思ったものは、草・木・鳥・虫でも疎かには思えないものだ。
ゆずり葉の、ふさふさと垂れていて艶めいている姿、その茎はとても赤くてキラキラと輝いて見える、怪しいけれど素敵である。普通の月には見えないけれど、十二月のつごもりの時だけには目立っている、亡くなった人にお供えする食べ物の下に敷く物かと思うと何となく哀れだけれど、また寿命を延ばすおめでたい歯固めの食膳の飾りにも使われているようだが、これはどうしたことなのだろう。古歌に、「ゆずり葉が紅葉することがあれば、あなたを忘れることができるでしょう」と詠まれたのも頼もしい。
柏木は、とても風情がある。葉守の神が鎮座していらっしゃる、畏れて敬うべき木でもある。歌に、兵衛の督、佐、尉などの異名として柏木が用いられているのも面白い。
趣きのない姿をした木だけれど、棕櫚の木は唐風の情趣があって、身分の低い人の家に生えている木のようには見えない。


[古文・原文] 39 第三十八段 鳥は 【朗読】 
鳥は、異所(ことところ)のものなれど、鸚鵡(おうむ)、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。郭公(ほととぎす)。水鶏(くひな)。しぎ。都鳥。ひは。ひたき。
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。
鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居(くもい)まで聞ゆる、いとめでたし。頭赤き雀。斑鳩の雄鳥(いかるがのおどり)。巧鳥(たくみどり)。
鷺(さぎ)は、いと見目も見苦し。眼居(まなこゐ)なども、うたて萬(よろづ)になつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみに居かはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。千鳥、いとをかし。
鶯(うぐいす)は、詩(ふみ)などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、様かたちも、さばかり貴(あて)に美しきほどよりは、九重(ここのえ)の内に鳴かぬぞ、いとわろき。人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり侍ひて聞きしに、まことに更に音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしかましきまでぞ鳴く。
夜鳴かぬも、寝(い)ぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏、秋の末まで、老い声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつけかへて言ふぞ、口惜しくくすしき心地する。それもただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。

[現代語訳]
鳥は異国のものだけれど、オウムはとてもかわいらしい。人の話す言葉を真似するというではないか。郭公。水鶏。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
山鳥は仲間を恋しがって、鏡を見せると自分の姿を仲間かと思って安心するが、その純粋さがとても哀れである。また、雌雄が谷を隔てて夜に眠るというのも、心苦しいことだ。
鶴はとてもいかつい(怖そうな)外見をしているが、鳴く声が天まで届くというのは、とても素晴らしい。頭の赤い雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
鷺は、見た目がとても見苦しい。あのぎょろりとした眼つきなども嫌な感じで、すべてが可愛げのない鳥であるが、「ゆるぎの森に独りでは寝ない」と言って妻を争っているのは面白い。水鳥では、鴛鴦がとても味わいのある鳥だ。夜に雌雄がお互いに代わり合って、羽の上に白く置いている霜を払っているところなど。千鳥もとても趣きのある鳥だ。
鶯は、詩などにも素晴らしい鳥として歌われており、鳴き声をはじめとして、姿形はあんなに高貴・上品で美しいのに、宮中の中に来ても鳴いてくれないのは、とても残念で悪い。ある人が「宮中では鳴かない」と言ったのを、私はまさかそんなことはないと思ったけれど、宮中に10年ばかりいて聞いていたが、本当に鶯は鳴くことがなかった。しかし、竹の近くに紅梅があったりして、鶯にとっては通ってきて鳴くのに都合が良い場所のように思われるのだが。宮中を退出して聞くと、貧しい家の何の見所もない梅の木では、うるさいほどに鶯が鳴いている。
夜に鳴かないのも、眠たいような感じがするが、生まれつきなので今更どうしようもないだろう。夏・秋の終わり頃まで、年寄り臭い声で鳴いていて、虫食いなどと人にいつもと違う名前で言われているのは、とても悔しくて残念な気持ちがする。それもただの雀などのように、いつもその辺にいる鳥であればそうも思われないだろう。鶯が春に鳴く鳥だからである。

[古文・原文]
「年たちかへる」など、をかしきことに歌にも詩(ふみ)にも作るなるは。なほ春のうち鳴かましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるを、謗り(そしり)やはする。鳶(とび)、烏(からす)などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり、祭の帰さ見るとて、雲林院(うりんいん)、知足院(ちそくいん)などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、諸声(もろこえ)に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
郭公はなほ、更に言ふべきかたなし。いつしか、したり顔にも聞えたるに、卯の花、花橘(はなたちばな)などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨(さみだれ)の短き夜に寝覚(ねざめ)をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬(あいぎょう)づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき。

[現代語訳]
「年が立ち返る新年の朝から鶯の声が待ち遠しい」などと、風情のある面白い鳥として、歌にも詩にも歌われている鳥である。春のうちだけ鳴くのであれば、鶯はどんなに素敵な鳥だろう。人間であっても、落ちぶれてしまって、世間の評価が低下し始めた人を、改めて誹謗することがあるだろうか。(はじめから評価の低い)鳶とか烏とかであれば、それに見入ったり論評し合ったりする人は、世の中にいないではないか。だから、鶯は素晴らしい鳥だと世間の評価が決まっているので、夏・秋の終わり頃に評判が落ちてしまうのは、納得のいかない気持ちがするのだ。祭りの帰さの見物で、雲林院や知足院などの前に車を立てかけて待っていると、ホトトギスのこの時期にはもう我慢できないといった感じで鳴いている。すると鶯がそのホトトギスの声を真似て、あの辺の小高い木立の茂みの中で声を揃えて鳴くのは、さすがに素晴らしい情趣がある。
ホトトギスの風情は、今更言うまでもない。いつの間にか、得意顔で鳴いているようにも聞こえるが、卯の花や花橘などに好んで止まり、その姿が見え隠れするのも、憎らしいほどの風情がある。五月雨の時期の短い夜に、目を覚まして何とか人より先にその声を聞こうと待っていると、明け方の夜に鳴いたその鳴き声の堂々としていて可愛らしいこと、その声に非常に心を惹かれて憧れてしまうのも無理はない。六月になると全く鳴かなくなるが、すべてが語り尽くせないほどの魅力である。夜に鳴くものは、どれでも何でも素晴らしいものだ。赤ん坊が泣いているのだけは、そうでもないが。


[古文・原文] 39 第三十九段 あてなるもの【朗読】 
あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷(けずりひ)のあまづら入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しきちごの、いちごなど食ひたる。

[現代語訳]
上品なもの(品があるもの)
薄紫色の衵(あこめ)に白がさねの汗衫(かざみ)。カルガモの卵。削った氷に甘いあまづらを入れて、新しい金まりに入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている景色。とても可愛らしい幼い子供が、苺などを食べている姿。


[古文・原文] 41
虫は鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。蟋蟀(きりぎりす)。はたおり。われから。ひをむし。螢。
蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。侍てよ」と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
額づき虫(ぬかずきむし)、またあはれなり。さる心地に道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず、暗き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。
蝿こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。人々しう、かたきなどにすべき物の大きさにはあらねど、秋など、ただ萬(よろづ)の物に居(ゐ)、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。
蟻はいとにくけれど、軽び(かろび)いみじうて、水の上などをただ歩みにありくこそ、をかしけれ。

[現代語訳]
虫は鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。こおろぎ。キリギリス。われから。ひおむし(カゲロウ)。蛍。
蓑虫は、哀れである。鬼の生ませた子なので、親に似てこの子にも(人を襲い食らうような)恐ろしい本性があるだろうと思われて、女親が粗末な着物を引き寄せて、「今に秋風の吹く季節になります。迎えに行くので待っていなさい」と言い残してどこかへ逃げ去っていったのも知らず、秋風の音を聞いてそれと知って、八月の頃になると、「お父さん、お父さん」と儚げな声で鳴いているのが、とても哀れである。
額づき虫、これも哀れな虫である。そのような小さな体で仏教の修行をしたいという気持ちを起こし、頭をいつも地面に付けて歩くという修行(常不軽の礼拝の行)をしているとは。思いがけず、暗い所でホトホトと頭を地面に付けて歩いている姿は面白い。
蝿こそは、憎いものの中に入れるべきもので、こんなに可愛らしさのないものはない。人と同じようにして、目の敵にするほどの大きさはないのだが、秋などは、あらゆるものの上に止まり、人の顔などにも湿った足で止まるのだ。人の名前に蝿と付いているのは、本当に疎ましい。
夏虫は、とても趣きがあって可愛らしい。火を近くに寄せて物語などを読んでいると、本の上などを飛び回っているのがとても趣きがある。
蟻はとても憎らしいものだが、非常に身軽であり水の上でも歩けるというのは、面白いものだ。

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[古文・原文] 42
七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣(わたぎぬ)の薄きをいとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。

[現代語訳]
七月頃に、風が強く吹いて、雨も非常に強く降った騒がしい日、そこら一帯がとても涼しいので、夏扇のことなどすっかり忘れていた。(そんな涼しい夏の日に)汗の香りが少し匂う綿入れの薄いものを敢えて引き被って昼寝をするというのは、(少し贅沢で)素晴らしいものだ。

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[古文・原文] 43
にげなきもの
下衆(げす)の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、くちをし。月の明きに、屋形(やかた)なき車のあひたる。また、さる車に、あめ牛かけたる。また、老いたる女の、腹高くてありく。若き男持ちたるだに見苦しきに、異人(ことひと)の許へ行きたるとて、腹立つよ。
老いたる男の、寝惑ひたる。また、さやうに髯(ひげ)がちなる者の、椎つみたる。歯もなき女の、梅食ひて酸(す)がりたる。下衆の、紅の袴着たる。このころは、それのみぞあめる。
靱負(ゆげひ)の佐(すけ)の夜行姿。狩衣(かりぎぬ)姿も、いとあやしげなり。人に怖ぢらるる袍(うえのきぬ)は、おどろおどろし。立ちさまよふも、見つけてあなづらはし。「嫌疑の者やある」と、たはぶれにも咎む。入りゐて、そらだきものにしみたる几帳にうち掛けたる袴など、いみじうたつきなし。
かたちよき君たちの、弾正の弼(ひち)にておはする、いと見苦し。宮の中将などの、さもくちをしかりしかな。

[現代語訳]
似つかわしくないもの(相応しくないもの)
身分の低い者たちの家に雪が降っている景色。また、そういった家に月が明るく差しているのも残念である。月の明るい夜に、屋形のない車に出会った時。また、そんな車にあめ牛をかけているのも悪い。また、老いた女が(年甲斐もなく孕んで)大きなお腹を抱えて歩いている姿。(そんな年嵩の女が)若い夫を持っているというだけでも見苦しいのに、その夫が(自分に満足できずに)他の女の元に通っているといって腹を立てている分不相応な姿。
年老いた男が、寝ぼけている姿。また、老いた髭面の男が、椎の実を前歯で噛んでいる姿も。歯がない老女が、梅を食べて酸っぱく感じている顔。身分の低い女官が、紅の袴を穿いている姿。最近は、みんなそんな感じの格好をしているというが。
靱負の佐の夜の巡回の姿。その狩衣姿も、(宮中には似つかわしくなくて)たいそう見苦しい。人から恐れられている赤い袍を来ていたのでは仰々しいのだが。巡回途中なのに、女房たちの局の周辺をうろうろしている(女性を物色している)のを見つけると軽蔑してしまう。「怪しい者はいないか」などと、戯れながら詰問したりする。懇意にしている女房の局に入って、香の香り高い匂いが染み込んだ几帳に、適当に掛けてある白袴などは、本当に不似合いなものである。
容姿端麗な若君が、弾正の弼に就任するというのもとても見苦しい。宮の中将などがいらっしゃる時には、本当に残念なご様子であった。

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[古文・原文] 44
細殿に、人あまた居て、やすからずものなど言ふに、清げなる男、小舎人童(こどねりわらわ)など、よき包み、袋などに衣ども包みて、指貫(さしぬき)のくくりなどぞ見えたる、弓、矢、楯など持てありくに、「誰(た)がぞ」と問へば、つい居て「なにがし殿の」とて行く者は、よし。気色ばみ、やさしがりて、「知らず」とも言ひ、ものも言はでも去ぬる(いぬる)者は、いみじうにくし。

[現代語訳]
細殿に女房が沢山いて、通りかかる人に声を掛けていると、小奇麗な格好をした男や小舎人童などが、立派な包みや袋などに主人の衣服を包んで、その端っこから指貫の裾のくくり紐などが覗いている。弓、矢、盾などを持ち歩いていると、「誰のものか」と聞かれた時に、その場に跪いて「何々様のものです」と答えて立ち去るものは見事だ。興奮したりはっきりせずに、「知りません」と言ったり、返事もしないで去ってしまう者は、とても憎らしい。

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[古文・原文] 45
殿司(とのもづかさ)こそ、なほをかしきものはあれ。下女の際は、さばかり羨しきものはなし。よき人にもせさせまほしきわざなめり。若く容貌(かたち)よからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからむかし。すこし老いて、ものの例知り、面(おも)なきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。 殿司の、顔愛敬づきたらむ、ひとり持たりて、装束、時に従ひ、裳・唐衣(も・からぎぬ)など今めかしくてありかせばやとこそ、おぼゆれ。

[現代語訳]
殿司は、これ以上ないほどに素晴らしい役職である。後宮の下女の身分では、これほど羨ましく思う役職はない。身分の高い人であっても、ぜひ勤めて欲しいものである。若くて美人な人が、身なりを良くしてこの職を務めたならば、更に素敵に見えるだろう。少し年老いていて、宮中の先例について良く知っている人で、見事に仕事をこなしているような人も、この仕事に相応しくて立派に見えるだろう。
殿司の可愛らしい顔をした人の一人に、自分が世話をして上げて、衣装も時節に従ったものとし、裳・唐衣なども今風の流行に見合ったものにして上げたいと思ってしまうものだ。


[古文・原文] 46
男(おのこ)はまた、随身(ずいじん)こそあめれ。いみじう美々(びび)しうて、をかしき君たちも、随身なきは、いとしらじらし。弁などは、いとをかしき官(つかさ)に思ひたれど、下襲(したがさね)の裾(しり)短くて、随身のなきぞ、いとわろきや。

[現代語訳]
男の人はまた、立派な随身(お仕えする者)を従えていて欲しいものだ。とても美しい顔立ちで立派な若殿たちでも、随身が従っていないのでは興ざめである。弁官などはとても立派な役職だと思ってはいるけれど、下襲の裾が短くて随身を連れていないのが、とても見苦しく感じてしまう。


[古文・原文] 47
職(しき)の御曹司(おんぞうし)の西面(にしおもて)の立蔀(たてじとみ)のもとにて、頭の弁(とうのべん)、物をいと久しう言ひ立ち給へれば、さし出でて、(清少納言)「それは誰ぞ」と言へば、(行成)「弁さぶらふなり」と、のたまふ。(清少納言)「何か、さもかたらひ給ふ。大弁見えば、うち捨て奉りてむものを」と言へば、いみじう笑ひて、(行成)「誰か、かかる事をさへ言ひ知らせけむ。それ、『さなせそ』とかたらふなり」と、のたまふ。
いみじう見え聞こえて、をかしき筋など立てたる事はなう、ただありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、なほ奥深き御心ざまを見知りたれば、(清少納言)「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さしろしめしたるを、常に、(行成)「『女はおのれをよろこぶ者のために顔づくりす。士はおのれを知る者のために死ぬ』となむ言ひたる」と、言ひあはせ給ひつつ、よう知り給へり。
「遠江の浜柳(とおとうみのはまやなぎ)」と言ひかはしてあるに、若き人々は、ただ言ひに見苦しきことどもなどつくろはず言ふに、(女房)「この君こそ、うたて見えにくけれ。異人(ことひと)のやうに歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」など、そしる。
さらにこれかれに物言ひなどもせず、(行成)「まろは、目は縦さまに付き、眉は額さまに生ひあがり、鼻は横さまなりとも、ただ口つき愛敬づき、おとがひの下、頸(くび)きよげに、声にくからざらむ人のみなむ、思はしかるべき。とは言ひながら、なほ、顔いとにくげならむ人は、心憂し」とのみ、のたまへば、まして、おとがひ細う、愛敬おくれたる人などは、あいなくかたきにして、御前(ごぜん)にさへぞ、あしざまに啓する。

[現代語訳]
職の御曹司の西面にある立蔀の所で、頭の弁が女房と長い時間ずっと立ち話をしていらっしゃるので、私(清少納言)が顔を出して「そこにいるのは誰ですか」と聞くと、藤原行成が「弁がいらっしゃっているのです」と(わざと畏まった感じで)答える。「どうしてそんなに長くお話しておられるのですか。大弁がいらっしゃれば、その女房はあなたを打ち捨てて大弁の所に言ってしまうでしょうに」と言うと、大いにお笑いになられて、「誰がそんな事まであなたへお知らせしたのでしょうか。だからこそ、『そんな風に打ち捨てたりしないでくれ』とこの女房に話していたのです」とお答えになられた。
頭の弁は、自分を実際以上の人間だとは見せかけようとせず、風流な男であるといった噂も立てなかったので、ただありのままの平凡な姿であり、中宮に仕える女房たちもみんなそういった平凡な人なのだと思っていた。だが、私はこの頭の弁の奥深い心の様子(才覚)を見て知っているので、「人並みの人物ではありません」などと中宮にも申し上げ、また、中宮もそのことをお知りになっているので、頭の弁はいつも、「『女は自分を愛してくれる者のために化粧をする。士である男は自分の本意を知ってくれる者のために死ぬことができる』と言うではないか」と私におっしゃりつつ、私が頭の弁の才覚を認めていることも知っておられた。
「遠江の浜柳(永遠に変わらないものの喩え)」と私たちは友情を言い交わし合っていたけれど、若い女房たちは、男性の見苦しい部分などを包み隠さずに言ってしまうものなので、「この君は、本当に嫌な人で付き合いにくい。他の人のように歌を歌って遊んだりなどもしないので、面白みがなくて殺伐としている」などと誹謗していた。
頭の弁もさらに色々な女房たちに、自分のことについて話すことなどもしないで、「私は目は縦に付き、眉も額のほうに生えており、鼻が横についているという顔でも、ただ口元が可愛らしくて、顎の下や首が綺麗で、声が悪くない人であれば、好きになってしまうこともあるな。とは言いつつも、やはり顔がひどく醜い人は嫌なものだ」とばかりおっしゃる。まして、顎が細い可愛らしさのない女房などは、むやみに頭の弁を目の敵にして、中宮にさえも頭の弁のことを悪く言っている。

[古文・原文]
ものなど啓せさせむとても、その初め言ひそめてし人を尋ね、下なるをも呼びのぼせ、常に来て言ひ、里なるは、文(ふみ)書きても、みづからもおはして、(行成)「遅く参らば、『さなむ申したる』と申しに参らせよ」と、のたまふ。(清少納言)「それ、人のさぶらふらむ」など言ひ譲れど、さしもうけひかずなどぞ、おはする。
(清少納言)「あるに従ひ、定めず、何事ももてなしたるをこそ、よきにすめれ」と、後見(うしろみ)聞こゆれど、(行成)「わがもとの心の本性」とのみ、のたまひて、「改まらざるものは心なり」と、のたまへば、(清少納言)「さて憚りなしとは、何を言ふにか」と、怪しがれば、笑ひつつ、(行成)「仲よしなども人に言はる。かくかたらふとならば、何か恥づる。見えなどもせよかし」と、のたまふ。
(清少納言)「いみじくにくげなれば、さあらむ人をば、え思はじと、のたまひしによりて、え見え奉らぬなり」と言へば、(行成)「実に(げに)、にくくもぞなる。さらば、な見えそ」とて、おのづから見つべきをりも、おのれ顔ふたぎなどして見給はぬも、真心にそら言し給はざりけり、と思ふに、三月つごもり方は、冬の直衣(なおし)の着にくきにやあらむ、袍(うえのきぬ)がちにてぞ、殿上の宿直(とのい)姿もある、つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂(こひさし)に寝たるに、奥の遣戸(やりど)をあけさせたまひて、上の御前、宮の御前出でさせたまへれば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせたまふ。

[現代語訳]
中宮に取次を頼む時でも、最初に取次を頼んだ私のことを尋ね、局にいた私を呼んで中宮の御前にまで上がらせたり、いつも局に来ては用事をいい、里に帰っている時にも、手紙を書いてきたり、自分自身も里にまでいらっしゃって、「参内するのが遅くなるのでしたら、『(頭の弁が)このように申していました』と使いを出して中宮に申し伝えて下さい」とおっしゃる。私が「そういった取次は、他の人にでも頼めばいいでしょうに」などと言って役目を譲ろうとしても、どうしても承知しない態度でいらっしゃる。
「今あるものに従って利用し、頑固なやり方を定めず、何事にも柔軟に対処することこそ、良いやり方とされていますのに」と、注意するような感じで言ってみたのだが、「これは私の心の本性だから」とだけおっしゃって、「改めることができないのは人間の心の本性だと言うではないか」と言われるので、「それでは改めることに憚るところがないというのは、どういった意味なのですか」と不思議そうに聞くと、頭の弁(藤原行成)はお笑いになられて、「仲が良いとも人々に言われている。そのように噂をされているのであれば、どうして恥ずかしがる必要があるのか。直接、会ってくれても良いではないか」とおっしゃる。
「とても容姿が良くないので、そういった人は好きになれないとあなたがおっしゃっていたので、(容姿の美しさ・可愛さに自信がなくて)直接お会いすることができないのです」と言うと、「本当に、(そんなに容姿が悪いのであれば)嫌いになってしまうな。それなら、会わないようにしよう」と言って、自然に顔を見られるような機会があっても、自分で顔を袖で隠したりなどして私の顔を見なかったので、本当にこのお方は嘘をつかないのだなと思っていた。しかし三月の終わり頃、冬の厚い直衣が着にくかったのだろうか、殿上の間で宿直する人たちにも袍だけの姿が多く見られ、翌朝、日が出てくるまで、式部のおもとと小廂に寝ていたところ、奥の遣戸をお開きになられて、帝と中宮がいらっしゃったので、突然のことで起き上がることもできず混乱していたのを、頭の弁はひどくお笑いになられた。

[古文・原文]
唐衣(からぎぬ)をただ汗衫(かざみ)の上にうち着て、宿直物(とのいもの)も何も埋もれ(うずもれ)ながらある上におはしまして、陣より出で入る者ども御覽ず。殿上人の、つゆ知らでより来て物言ふなどもあるを、(帝)「けしきな見せそ」とて、笑はせ給ふ。さて、立たせ給ふ。(帝)「二人ながら、いざ」と、仰せらるれど、「今、顔などつくろひたててこそ」とて、まゐらず。
入らせ給ひて後も、なほ、めでたき事どもなど、言ひあはせてゐたるに、南の遣戸のそばの几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾(すだれ)の少しあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、則隆(のりたか)が居たるなめりとて、見も入れで、なほ異事(ことこと)どもを言ふに、いとよく笑みたる顔のさし出でたるも、なほ則隆なめりとて、見やりたれば、あらぬ顔なり。
あさましと笑ひ騒ぎて、几帳引き直し隠るれば、頭の弁にぞおはしける。見え奉らじとしつるものをと、いとくちをし。もろともに居たる人は、こなたに向きたれば、顔も見えず。
立ち出でて、(行成)「いみじく名残なくも見つるかな」と、のたまへば、(清少納言)「則隆と思ひ侍りつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じとのたまふに、さつくづくとは」と言ふに、(行成)「女は寝起き顔なむ、いとよき、と言へば、ある人の局に行きてかいばみして、またもし見えやするとて、来たりつるなり。まだ上のおはしましつる折からあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどし給ふめりき。

[現代語訳]
唐衣をただ汗衫の上から引っ掛けて、夜具も何もかもうず高く積み上げている部屋に帝がいらっしゃって、北の陣を出入りする者たちを御覧になっている。殿上人の中にはそんな状況になっているとは全く知らずに、近寄ってきて話しかけてくる人もいるが、帝は「私たちがここにいるという素振りを見せないようにせよ」と命じられてお笑いになっている。そして、見学がお済みになると立ってお帰りになった。帝は「二人とも、さあ」とおっしゃられるけれど、「今、顔などを化粧で繕っておりますので」などと答えてお供はしなかった。
帝と中宮がお帰りになられた後も、やはりお二人は素晴らしいなどと式部のおもとと話し合っていると、南の開いている遣戸の側の几帳の手が突き出て、簾が少し開いていてそこの部分から黒いものが見えたので、蔵人の橘則隆がいるのだろうと思って、確かめもしないで、やはり何か他の事を話していると、とても笑っている顔が出てきたので、それでもまだ則隆なのだろうと思っていたが、実際に見てみると、則隆ではない違う顔だった。
軽はずみなことをと笑い騒いで、几帳を引き立てて隠れて見てみると、その顔は頭の弁の顔であった。顔はお見せしないでおこうとしていたのに、(偶然に頭の弁と顔を合わせてしまい)とても残念だ。一緒にいた式部のおもとは、こちらを向いていたので、頭の弁からは顔も見えない。
立って姿を現して、「本当に残すところもなく完全にあなたの顔を見てしまったものだな」とおっしゃるので、「蔵人の則隆だと思っていたので、軽々しく考えていました。どうして、見ないと言っていたのにそんなにしっかり御覧になったのですか」と聞くと、「女は寝起きの顔がとても良いものだと人が言うので、ある人の局(部屋)に行って覗き見をして、またもしかしたらあなたの顔も見られるかもしれないと思って、ここに来てしまったのです。まだ帝がいらっしゃった時からここにいたのに、私のことに気づきませんでしたね」と言って、それから後は、私の局の簾をくぐって入っていらっしゃるようだった。


[古文・原文] 48
馬は、いと黒きが、ただいささか白き所などある。紫の紋つきたる。蘆毛(葦毛)。薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに、ゆふかみとも言ひつべし。黒きが、足四つ白きも、いとをかし。

[現代語訳]
馬はとても黒くて、ほんの少しだけ白い所がある馬が良い。紫のまだら模様がついている。葦毛の馬。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などが非常に白い馬。本当に、「木綿髪(ゆうかみ)」とでも言える馬である。黒くて、四本の脚が白い馬も、とても面白い。


[古文・原文] 49

48段
牛は、額はいと小さく白みたるが、腹の下、足、尾の裾などはやがて白き。

[現代語訳]
牛は、額がとても小さくてその部分の色が白く、腹の下や足、尾の先などがすっかり白い牛が良い。

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[古文・原文] 50
猫は、上の限り黒くて、腹いと白き。

[現代語訳]
猫は、背中の全体が黒くて、お腹が白いのが良い。


[古文・原文] 51
雑色(ぞうしき)、随身(ずいじん)は、すこしやせて細やかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞ、よき。いたく肥えたるは、寝(い)ねぶたからむと見ゆ。

[現代語訳]
雑色・随身は少し痩せていて、ほっそりとしている人が良い。身分の高貴な男も、やはり若いうちは、そういった感じの細身の方が良い。とても太っている男は、いつも眠たそうに見えてしまい良くない。


[古文・原文] 52
小舎人童(こどねりわらわ)は、小さくて、髪いとうるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声をかしうて、かしこまりてものなど言ひたるぞ、らうらうじき。

[現代語訳]
小舎人童は、ちいさくて髪がとても立派な子供が良い。髪の先がさっぱりとしていて少し青みがかっている子供が、声が綺麗で、畏まった態度で話している姿は、賢そうに見えるものだ。


[古文・原文] 53
牛飼は、大きにて、髪あららかなるが、顔赤みて、かどかどしげなる。
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[現代語訳]
牛飼いは、大きな身体をしていて、髪の毛がバサバサに荒れており、赤ら顔で仕事を的確にこなしているようなのが良い。


[古文・原文] 54
殿上(てんじょう)の名対面(なだいめん)こそ、なほをかしけれ。御前に人さぶらふをりはやがて問ふもをかし。足音どもして、くづれ出づるを、上の御局の東面(ひがしおもて)にて、耳をとなへて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸つぶるらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、この折に聞きつけたるは、いかが思ふらむ。「名のり、よし」「あし」「聞きにくし」など定むるも、をかし。
果てぬなり、と聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出づると、蔵人のいみじく高く踏みこほめかして、丑寅(うしとら)の隅の高欄(こうらん)に、高膝(たかひざ)まづきといふゐずまひに、御前の方に向ひて、後ざまに「誰々か、侍る」と問ふこそ、をかしけれ。高く細く名のり、また、人々さぶらはねば、名対面仕う奉らぬよし奏するも、「いかに」と問へば、障る事ども奏するに、さ聞きて帰るを、方弘(まさひろ)聞かずとて、君たちの教へ給ひければ、いみじう腹立ち叱りて、勘へて(かんがえて)、また滝口にさへ笑はる。
御厨子所(みづしどころ)の御膳棚(おものだな)に、沓置きて、言ひののしらるるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらむ。え知らず」と主殿司(とのもづかさ)、人々などのいひけるを、「やや、方弘が汚き物ぞ」とて、いとど騒がる。

[現代語訳]
殿上の名対面(点呼)というのは、やはり面白いものである。帝の御前に人が伺候している時には、その人が『誰だ』と問うのも面白い。大勢の足音がして参集してくるのを、上の御局の東側で耳を澄まして聞いているのだが、知っている人の名(好きな人の名)が呼ばれている時には、ふといつものように胸が潰れるような思いがするものだ。また、うんともすんとも言ってこない恋人などがいて、この時にその名前を聞いた時には、どのように思うだろうか。「名乗り方が良い」「悪い」「聞きにくい」などと女房たちが判定するのも面白い。
殿上人の点呼が終わったようだと聞いているうちに、滝口の者どもが弓の弦を鳴らし、靴の音をさせてざわざわと出てくると、蔵人がとても高い足音を出して板敷きを踏み鳴らして、東北の隅の高欄の所に、高ひざまづきという座り方をして、帝の御前の方角に向かって、滝口に背を向けて、「誰かいらっしゃいますか」と問うている姿も面白い。あるいは声高にあるいは細い声で名乗り、また、人々の数が規定通りに揃わなければ、名対面を申し上げないということを帝に奏上するのだが、蔵人が「どうしてか」と聞くと、滝口が人が揃わないという事情について申し上げる。それを聞いて蔵人は帰るのだが、方弘がその事情を聞かなかったと言うので、若君たちが事情を教えたのだが、逆に非常に腹を立てて滝口たちを叱り付けて、罰則まで考えて、また滝口の者たちにさえ笑われてしまった。
(この方弘はどこか抜けているところがあり)台所の御膳棚に靴を入れてしまって、誰の靴かと騒動になっていると、(殿司・女房たちが)可哀想だと思ってかばって、「誰の靴なのでしょうか。私たちは知りません」と言ってくれたのに、「やあやあ、これは方弘の汚い靴だ」と自ら言って、更に騒ぎになってしまった。


[古文・原文] 55
若くてよろしき男の、下衆(げす)女の名、呼びなれて言ひたるこそ、にくけれ。知りながらも、何とかや、片文字(かたもじ)は覚えで言ふは、をかし。
宮仕へ所の局(つぼね)に寄りて、夜などぞ、悪しかるべけれど、主殿司(とのもづかさ)、さらぬただ所などは、侍ひなどにある者を具して来ても、呼ばせよかし。手づから声もしるきに。はした者、童(わらはべ)などは、されどよし。

[現代語訳]
若くて身分のある男が、下働きの卑しい女の名前を、呼びなれている感じで呼んだのは、憎たらしい。下女の名前を知っていながら、何と言っただろうかという感じで、名前の半分は覚えていないという風に言うのは、風情がある。
宮仕えをしている者の局(部屋)に寄って、夜などは、曖昧な名前の呼び方では悪いだろうけれど、宮中では主殿司がいて、そうではない所では、侍所などにいる人に呼んできて貰うようにすれば良い。自分で呼べば、声で誰か分かってしまうので。はした者や子供(童女)などは、名前をはっきり呼んでも良いが。



[古文・原文] 59
河は飛鳥川(あすかがわ)、淵瀬(ふちせ)も定めなく、いかならむと、あはれなり。大井河。音無川。七瀬川。
耳敏(みみと)川、またもなにごとをさくじり聞きけむと、をかし。玉星川。細谷川。いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。吉野河。天の河原、「たなばたつめに宿借らむ」と、業平が詠みたるも、をかし。

[現代語訳]
飛鳥川という河は、歌によれば、たまり水のような淵(ふち)が、いつ速い流れのある瀬になるか分からないという、一体どのような河なのかと思うとしみじみとした情趣がある。大井河。音無川。七瀬川。
耳敏川、これもまた何事を詮索しながら聞き出したのだろうかと思われて、面白い(面白い川の名前だ)。玉星川や細谷川、いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などを思い起こさせるものである。名取川は、いったいどんな評判を立てられたのだろうかと聞いてみたくなる。吉野河と天の河原は、「たなばたつめに宿借らむ」と、在原業平が歌に詠んでいたのも面白い。


[古文・原文] 59
暁に帰らむ人は、装束(しょうぞく)などいみじううるはしう、烏帽子(えぼし)の緒・元結(もとゆい)かためずともありなむとこそ、覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣(なほし・かりぎぬ)などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫(さしぬき)なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子(こうし)押し上げ、妻戸(つまど)ある所は、やがてもろともに率て(ゐて)行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。
思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍(うえのきぬ)、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇・畳紙など、昨夜枕上(まくらがみ)に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。

[現代語訳]
明け方(暁)に女の所から帰っていく男は、装束の服装などを大変きちんとして、烏帽子の緒や元結をしっかりと結ばなくても良いだろうと思うもの(気が緩むもの)だ。とてもだらしがなくて、みっともない姿で、直衣・狩衣などが歪んでいても、誰がそれを見つけて笑ったり非難したりするだろうか。
男というものはやはり、明け方の女の所から帰る様子が、風情があって魅力的であって欲しいものなのだ。やむを得ずに渋々と起きにくいような感じの男が、女から無理に急き立てられて、「夜が明けてしまいますよ。もう、世間体が悪くなってしまいます。」などと言われ、男が嘆いているような様子も、本当に満ち足りない気持ちで憂鬱に感じているように見える。
指貫なども、座ったままで着ようともせず、まず女に近寄って、夜に言った口説き文句の余韻を女の耳に囁き入れて、別に着物を着るようでもないけれど、気がつくといつの間にか帯などを結ぶようだ。格子を押し上げ、妻戸ではそのまま一緒に女を連れて行って、昼間に会えないでいる間、どんなに気がかりであるかという別れの言葉を女の耳に囁きながら、滑るようにして出て行く。こんな感じなので、つい見送らないではいられない、逢瀬の余韻は素晴らしいものになる。
何かを思い出したように、とてもすっきりと起き上がって、ぱたぱたと騒いで、指貫の腰紐をごそごそと結んで、直衣や袍、狩衣も袖をまくって、几帳面に腕を差し入れ、帯をとても固く結び終えてから、そこに少し座って、烏帽子の緒をきゅっときつく結び入れて、きちんと烏帽子をかぶり直す音がする。扇・畳紙などを昨夜、枕元に置いたのだけれど、自然にあちこちに散らかってしまい、それを探すけれど暗いのでどうして見つけることができるだろうか。「どこだ、どこだ」と手でそこら辺を叩き回って、ようやく見付けて、扇をパタパタと使い、懐紙をしまい込んで、「それでは失礼します(お暇します)」とだけ言うのだろう。


[古文・原文] 61
橋はあさむつの橋。長柄(ながら)の橋。天彦(あまびこ)の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅(やますげ)の橋。一筋わたしたる棚橋、心狭けれど、名を聞くにをかしきなり。

[現代語訳]
橋といえば、あさむつの橋。長柄の橋。天彦の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅(やますげ)の橋である。たった板一枚だけを渡した棚橋、心が狭いケチな橋ではあるが、その名前を聞くのが面白いのである。


[古文・原文] 62
里は逢坂(あふさか)の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻(ひとづま)の里。頼めの里。夕日の里。妻取りの里、人に取られたるにやあらむ、わがまうけたるにやあらむと、をかし。伏見の里。朝顔の里。

[現代語訳]
里といえば、逢坂(おうさか)の里。ながめの里。寝覚(いざめ)の里。人妻の里。頼めの里。夕日の里である。妻取りの里というのは、人に妻を取られたのであろうか、それとも自分が人の妻を奪い取ったのであろうか、面白い。伏見の里。朝顔の里。


[古文・原文] 62
草は菖蒲(しょうぶ)。菰(こも)。葵(あおい)、いとをかし。神代よりして、さるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。物のさまも、いとをかし。沢潟(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらむと思ふに。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔。雪間(ゆきま)の若草。木ダニ。酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、異(こと)よりはをかし。
あやふ草は、岸の額に生ふらむも、げに頼もしからず。いつまで草は、またはかなくあはれなり。岸の額よりも、これは崩れやすからむかし。まことの石灰などには、え生ひずや(おいずや)あらむと思ふぞ、わろき。ことなし草は、思ふことをなすにやと思ふも、をかし。
忍ぶ草、いとあはれなり。道芝、いとをかし。茅花(つばな)も、をかし。蓬(よもぎ)、いみじうをかし。
山菅(やますげ)。日かげ。山藍(やまあい)。浜木綿(はまゆう)。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅(あさぢ)、いとをかし。
蓮葉(はすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠(じゅず)につらぬき、念仏して往生極楽の縁とすればよ。また、花なきころ、緑なる池の水に、紅に咲きたるも、いとをかし。翠翁紅(すいおうこう)とも詩に作りたるにこそ。
唐葵(からあおい)、日のかげにしたがひて傾くこそ、草木といふべくもあらぬ心なれ。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草、うつろひやすなるこそ、うたてあれ。

[現代語訳]
草は菖蒲や菰(こも)、葵(あおい)が、非常に素晴らしい。神代の時代からずっと、賀茂神社の祭りのかざしになっていると伝えられているのは、非常に素敵なことである。それらの草の外見も、とても面白い。沢潟(おもだか)というのは、名前が面白い。内心で思い上がっているのではないかと想像すると。三稜草(みくり)や蛇床子(ひるむしろ)、苔、雪間(ゆきま)から姿を見せる若草、木ダニ、酢漿(かたばみ)は、綾織りのような模様になっているのが、他の草よりも良い。
危う草は、岸の額のような狭い場所に生えているということだが、本当頼りがいのない草である。いつまで草は、これまた短命で儚い感じの草である。岸の額よりも、こちらのほうが崩れやすいだろう。しっかりした石造りの白壁には、生えないのだろうと思うのが良くない点である。ことなし草は、願い事を叶えてくれる草なのかと思うと、面白いものだ。
忍ぶ草、は非常にしみじみとした情趣を感じさせる。道芝は、とても面白い名前だ。茅花(つばな)も趣きがあるね。蓬(よもぎ)もとても風情がある。
山菅(やますげ)。日かげ。山藍(やまあい)。浜木綿(はまゆう)。葛。笹。青つづら。なづな。苗。浅茅(あさぢ)など、これらもとても素晴らしい草である。
蓮の葉というのは、他のあらゆる草よりも優れていて立派である。妙法蓮華経の名前にもその蓮が使われているように、蓮の花は仏様にお供えして、その実は数珠(じゅず)の玉として貫き、念仏を唱えて往生極楽に生まれ変わる縁にしようとするものなのだから。また、他の花がない初夏の季節に、緑色をした池の水に、紅の蓮の花が咲いているのも、非常に趣きがある。翠翁紅(すいおうこう)という言葉で、詩に歌われているほどである。
唐葵(からあおい)は、日の光の動きに従って花が光のほうに向くのだが、これは草木とは思えないような心のあり方である。さしも草。八重葎(やえむぐら)。つき草、簡単に心変わりしやすいという感じの名前が嫌なところであるが。


[古文・原文] 64
草の花は撫子(なでしこ)、唐(から)のはさらなり、大和のも、いとめでたし。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ。
竜胆(りんどう)は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花(ことはな)どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。
またわざと、取り立てて、人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつか(雁来花)の花、らうたげなり。名ぞうたてあなる。雁の来る花とぞ、文字には書きたる。かにひ(雁緋)の花、色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。
萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよとひろごり伏したる。さ牡鹿のわきて立ちならすらむも、心異なり。八重山吹(やえやまぶき)。
夕顔は花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実の有様こそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生ひ出でけむ。ぬかづきといふ物のやうにだにあれかし。されどなほ夕顔といふ名ばかりは、をかし。しもつけの花。蘆(あし)の花。
これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂先の蘇枋(すおう)にいと濃きが、朝霧に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず、昔思ひいで顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

[現代語訳]
草の花は撫子(なでしこ)、唐のものは言うまでもないが、大和(日本)のものもとても立派である。女郎花(おみなえし)。桔梗(ききょう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれなども良い。
竜胆(りんどう)は枝の張り具合などがむさくるしいが、他の花々がみんな霜にやられて枯れてしまった中で、非常に派手な色彩で顔を覗かせている様子は、非常に趣きがある。
また、敢えて取り上げて持ち上げてあげるほどの花ではないが、かまつか(雁来花)の花は可愛らしい。名前がちょっと嫌な感じだが。雁の来る花と文字では書いている。かにひ(雁緋)の花は、色は濃くないけれど、藤の花にとてもよく似ていて、春と秋に花を咲かせるのが素敵である。
萩、とても色合いが深くて、枝もしなやかな感じで咲いている花が、朝露に濡れてなよなよして広がって伏せている。歌で牡鹿が好んで立ち寄るとされていることも、他の物に対する心ばえとは違っている。八重山吹も良い。
夕顔は花の恰好が朝顔にとてもよく似ていて、朝顔・夕顔と並べて続けて言ってもおかしくない花の姿をしているのに、実の様子がとても情けないのである。どうしてあのような無様な実がなるようになったのだろうか。せめて、ぬかづきという物の実くらいであって欲しいと思うのだが。しかし、やはり夕顔という名前だけは風情がある。しもつけの花。蘆の花も良い。
この中に薄(すすき)を入れないのは、とても怪しい(とても納得できない)という人もいるだろう。秋の野原の情趣が漂う風情というのは、薄あってのものなのである。穂先が赤くなった薄が、朝露に濡れて風になびいている姿は、これほどに素晴らしいものが他にあるだろうか。しかし秋の終わりになると、本当に見所のないものになる。色々な色彩で咲き乱れている秋草の花が、跡形もなく散ってしまった後、冬の終わり頃に頭がもう真っ白に覆われてしまったのも知らずに、昔を思い出しながら風に顔を吹かれてゆらゆらと立っている、これは人間の人生にとても良く似ている。それに寄り添うような心があって、それを哀れと思っているのである。


[古文・原文] 65
集(しゅう)は、古万葉。古今。

[現代語訳]
歌集は、古万葉集と古今和歌集が良い。


[古文・原文] 66
歌の題は、都。葛(くず)。三稜草(みくり)。駒。霰(あられ)。

[現代語訳]
歌の題は、都や葛、三稜草(みくり)、駒、霰が良い。


[古文・原文] 67
おぼつかなきもの
十二年の山籠りの法師の女親(めおや)。知らぬ所に、闇なるに行きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並みゐたる。今出で来たる者の、心も知らぬに、やむごとなき物持たせて人の許にやりたるに、遅く帰る。物もまだ言はぬ児(ちご)の、そりくつがへり人にも抱かれず泣きたる。

[現代語訳]
安心できないもの(不安なもの)
比叡山に12年も籠って修行をしている法師の母親(女親)。知らない家に、月が出ていない闇夜に行ったのだが、姿があらわになり過ぎるといけないと思って、燈火もつけずにそれでもずらりと並んで座っている。今やってきたばかりの従者で、その気持ちも良く知らないので、大切な物を持たせて人のところに使いにやったところ、帰りが遅くなった時。物もまだ話せない小さな子供(赤ん坊)が、そっくり返って人に抱かれようとせず、泣いていること。


[古文・原文] 68
たとしへなきもの
夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白き黒きと。思ふ人と憎む人と。同じ人ながらも心ざしあるをりとかはりたるをりは、誠に異人(ことひと)とぞおぼゆる。火と水と。肥えたる人、痩せたる人。髪長き人と短き人と。

[現代語訳]
正反対なもの
夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と太陽の照る日と。人が笑うのと腹が立つのと。老いている人と若い人と。白いのと黒いのと。愛す人と憎む人と。同じ人でありながら、自分に対して愛情のある時と心変わりしてしまった時とでは、本当に別人のように思われる。火と水と。太った人と痩せた人と。髪が長い人と髪が短い人と。


[古文・原文] 68
夜烏(よがらす)どものゐて、夜中ばかりに、いね騒ぐ。落ちまどひ、木伝ひて、寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目に違ひてをかしけれ。

[現代語訳]
夜烏が沢山木に止まっていて、夜中頃、寝ぼけて騒いでいる。木から落ちそうになって慌てふためき、枝を伝って歩いて、今目が覚めたような声を出して鳴いたのは、昼間の憎たらしい姿とは違っていて趣きがある。


[古文・原文] 69
忍びたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじく短き夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされたる、なほ今すこし言ふべきことのあれば、かたみに答へ(いらえ)などするほどに、ただ居たる上より、烏の高く鳴きて行くこそ、顕証(けしょう)なるここちして、をかしけれ。
また、冬の夜いみじう寒きに、埋もれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうに聞ゆる、いとをかし。鶏の声も、はじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじうもの深く遠きが、明くるままに近く聞ゆるも、をかし。

[現代語訳]
人目を忍んで逢引する場所では、夏が一番情趣がある。とても短い夏の夜がもう明けてしまったので、一晩中、全く眠らずにいた。どこも昼間と同じように開け放したままで夜を過ごしたので、庭を涼しげに見渡すことができる。やはりまだ少し話し足りないことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに、座っている頭の上を、鳥が高い声で鳴きながら飛んでいくのは、誰かに見られているような気持ちがして面白いものだ。
また、非常に寒い冬の夜に、夜具に埋もれて寝たまま聞いていると、お寺の鐘の音がまるで物の底で鳴るかのように、音が籠って聞こえるのが面白い。鶏の声も初めは羽の中で鳴くのだが、口を突っ込むようにして鳴くので、とても深くて遠い場所から聞こえていた鳴き声が、夜が明けてくると段々近くで鳴いているように聞こえてくるのが面白い。


[古文・原文] 70
懸想人(けそうびと)にて来たるは、言ふべきにもあらず、ただうちかたらふも、またさしもあらねどおのづから来などもする人の、簾(す)の内に人々あまたありてものなど言ふに、居入りてとみに帰りげもなきを、供なるをのこ、童など、とかくさしのぞき、けしき見るに、斧の柄も朽ちぬべきなめりと、いとむつかしかめれば、長やかにうちあくびて、みそかにと思ひて言ふらめど、「あなわびし。煩悩苦悩かな。夜は夜中になりぬらむかし」など言ひたる、いみじう心づきなし。かの言ふ者は、ともかくもおぼえず、このゐたる人こそ、をかしと見え聞えつることも失するやうにおぼゆれ。
また、さいと色に出でてはえ言はず、「あな」と高やかにうち言ひうめきたるも、「下行く水の」と、いとほし。立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などのもとにて「雨降りぬべし」など、聞えごつも、いとにくし。
いとよき人の御供人などは、さもなし。君たちなどのほどは、よろし。それより下れる際は、皆さやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ、率て(ゐて)ありかまほしき。

[現代語訳]
思っている恋人として来た男は言うまでもないが、ただ打ち解けた仲がいい程度の人でも、あるいはそれほどではなくても、たまたま訪ねて来た人が、簾の内に女房が沢山いて話しているので、座り込んでしまってすぐには帰りそうにない。それを、男にお供してきた家来・童子が、どうなっているのかと顔を覗かせて様子を伺っているのだが、これでは斧の柄も腐ってしまいそうだ、簡単には帰れそうにないと思っていると、家来・童子は長々とあくびをして、密かにあくびをしたつもりで言うようなのだが、「あぁ、つらい。煩悩苦悩だな。夜ももう夜中になってしまった。」などと言っている。これは非常に不愉快である。こんなことを言う従者に対しては、何とも思わないのだが、(この従者の主人である)座っている男に対して、今まで素晴らしいと思って見たり聞いたりしてきた事も、消えて無くなってしまうように思われる。
また、それほどはっきりとは言わずに、「あぁあ」と甲高い声で言ってうめいたのも、歌にある「言はで思ふぞ言ふにまされる」という気持ちなのだろうと可哀想に思う。庭の立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、「雨が降ってくるぞ」などと、聞こえよがしに敢えて言うのも、とても憎たらしい。
特別身分の高い人にお仕えしている人などは、このような非礼な振る舞いはしない。名家の若君といった人々の従者は、良い。それより身分の低い者の従者は、みんなそのような問題がある。大勢いる家来の中でも、きちんとその者の性格を見極めた上で、お供に連れて行って欲しいものだ。


[古文・原文] 71
ありがたきもの
舅(しゅうと)に褒めらるる婿。また、姑に思はるる婦の君。毛のよく抜くる銀(しろかね)の毛抜き。主謗らぬ(そしらぬ)従者。
つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経るほど、いささかの疵(きず)なき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの隙(ひま)なく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難けれ。
物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けども、必ずこそきたなげになるめれ。
男、女をば言はじ、女どちも、契り(ちぎり)深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し。

[現代語訳]
めったにないもの(珍しいもの)
舅に褒められる婿。また姑に思ってもらえる嫁。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。
まったく欠点がない人。容姿・心・態度が優れていて、世間に交わってもまったく欠点を見せない人。同じ所に住んでいる人で、お互いに面と向かって顔を合わせず、少しの隙もなく相手に配慮しているような人はいない者だが、本当にこういった人は見つけにくい。
物語や歌集などを書き写す時に、元の本に墨を付けない人。価値のある本などは、非常に注意して書き写すのだけれど、必ずといっていいほど、元の本が墨で汚れてしまう。
男と女の関係については言うまでもない。女同士でもずっと仲良くしようと約束して付き合っている人でも、最後まで仲が良いということは殆どない。


[古文・原文] 72
内裏の局(うちのつぼね)は、細殿(ほそどの)いみじうをかし。上の蔀(かみのしとね)上げたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。冬は、雪、霰(あられ)などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。狭くて、童(わらはべ)などののぼりぬるぞ、あしけれども、屏風のうちに隠し据ゑたれば、異所(ことどころ)の局のやうに声高くゑ笑ひなどもせで、いとよし。
昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜は、まいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。沓(くつ)の音、夜一夜(よひとよ)聞ゆるが、とどまりて、ただ指一つして叩くが、その人ななりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。いと久しう叩くに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろく衣(きぬ)のけはひ、さななりと思ふらむかし。冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとど叩きはらへば、声にても言ふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
また、あまたの声して、詩誦じ(しょうじ)、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処(ここ)へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明すも、なほをかし。
御簾(みす)のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣(なほし)の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人(くらうど)の青色など着て、うけばりて遣戸(やりど)のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合せて立ちたるこそ、をかしけれ。
また、指貫(さしぬき)いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなるも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて鬢(びん)かき直しなどしたるも、すべてをかし。
三尺の几帳を立てたるも、帽額(もかう)の下にただすこしぞある、外に立てる人と内にゐたる人と、もの言ふが、顔のもとにいとよくあたりたるこそ、をかしけれ。たけの高く短からむ人や、いかがあらむ、なほ世の常の人は、さのみあらむ。

[現代語訳]
宮中にある女房の局の中では、細殿という建物が非常に趣きがある。上の蔀が上げてあるので風が強く吹き込んできて、夏でもとても涼しい。冬は雪や霰などが風と一緒に降り込んでくるが、これも非常に風流である。狭い所だが、子供などがやって来ている時には、具合が悪い時でも屏風の中に静かに座らせておくと、他の局の時のように子供たちが大声で笑い声を立てたりなどしないのも、非常に良いことである。
昼間でも油断せずに気配りをしていなければならない。まして夜は、ゆったりと眠ることができないのも、とても趣きがある。外で靴の音が一晩中聞こえているが、その靴の一つがふと止まって、ただ指一本だけで戸を叩く、それだけであの人だとすぐに分かるのが面白い。とても長い時間にわたって戸を叩いているが、こちらからは返さないので、相手はもう寝てしまっていると思っているだろう。それも恨めしいので、わざと少しだけ身動きして衣擦れの音を立てる、相手もこちらの意図を察しているだろう。冬は火鉢にそっと突き刺す箸の音も、そっと外に聞こえないようにしていると相手の男は思っていて、更に強く戸を叩いて声でも呼びかけているが、物陰から静かに近寄ってその声を聞くこともある。
また、大勢の声で詩を朗読したり歌を歌ったりする時には、叩かないでもこちらから遣戸を開けてしまうのだが、特にここを訪ねようと思っていなかった人も、ここに立ち止まってしまう。座る場所がなくて、外に立ったままの男が夜を明かすのも、また面白くて情趣がある。
局の御簾は真っ青で風情がある、几帳の帳(とばり)も色鮮やかで、女房たちの裾先が重なって見えているが、そこに直衣の後ろの綻びが裂けて下着が見えている貴公子たち、また青色の上着を着た六位の蔵人がやって来て、遣戸のところに身を寄せて立つことまではせずに、塀の方で裾を合わせて背をもたれて立っている、その様子は情趣があるものだ。
また、指貫(さしぬき)の濃い紫に直衣の色が鮮やかであり、色々な色の下着を外に出した人が、戸口の簾を中に押し入れて、身体が半分だけ部屋の中に入ったような姿も、外から見ればとても面白い姿ではある。そんな人が、綺麗な硯(すずり)を引き寄せて手紙を書いたり、あるいは鏡を求めて鬢(びん)を直していることなど、すべて趣き深いものである。
戸口には三尺の几帳が立ててあるが、簾の帽額の下と几帳の間には、少しだけ空間(隙間)がある。外に立っている男と室内の女房が話をする時に、この隙間が二人の顔のところに当たっているのも面白い。背が高すぎたり低すぎたりすればどうだろうか(上手くいかないかもしれない)、しかし世の中の大半の人は上手くいっているようだ。


[古文・原文] 73
まいて臨時の祭の調楽(ちょうがく)などは、いみじうをかし。主殿寮(とのもり)の官人(かんにん)の長き松を高くともして、頸(くび)はひき入れて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君たちの、日の装束して立ち止まり、もの言ひなどするに、供の随身(ずいじん)どもの、前駆(さき)を忍びやかに短う、おのが君たちの料に追ひたるも、遊びに交りて常に似ずをかしう聞ゆ。
なほあけながら帰るを待つに、君たちの声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」と歌ひたる、このたびは今少しをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくすくしうさし歩みて出でぬるもあれば、笑ふを、「暫しや、『など、さ、世を捨てて急ぎ給ふ』とあり」など言へど、心地などやあしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕ふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。

[現代語訳]
まして、賀茂の臨時のお祭りの調楽の時などには、とても面白いことになる。主殿寮(とのもり)の役人が長い松明を高く掲げて、寒そうに首を襟の中に引っ込めて行くので、松明の先が物につきそうになる。楽しく遊んで笛を吹いている、いつも以上に浮かれている貴公子たちが、束帯の正装をして局の前で立ち止まり、女房たちに話しかけている。貴公子にお供している随身たちが、声をひそめて短く、自分たちの主人のために先払いの声を掛けているのも、音楽にその声が混じっていて、いつもとは違った感じで面白く聞こえる。
遣戸を開けたまま帰りを待っていると、先ほどの貴公子たちの声で、「荒田に生ふる富草の花」と歌っているが、今度はいつもより面白い歌のように聞こえる。いったいどんなに真面目な人なのだろうか、局の前をさっさと行き過ぎてしまう者もいるのでそれを笑うと、貴公子の誰かが、「しばらくお待ちください。『どうしてそんなにこの世が嫌になったというように急ぐのか』と女房たちが言っていますよ。」などと言ったりする。気分でも悪いのだろうか、まるで倒れるかのように、誰かが追いかけて捕まえようとしているのではないかと思われるほど、急いで遠ざかっていく者もいるようだ。


[古文・原文] 74
職の御曹司(しきのおんぞうし)におはしますころ、木立などの遥かにもの古り(ふり)、屋のさまも高うけ遠けれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋(もや)は、鬼ありとて、南へ隔て出だして、南の廂(ひさし)に御帳(みちょう)立てて、又廂に女房はさぶらふ。近衛の御門(みかど)より左衛門の陣にまゐりたまふ上達部(かんだちめ)の前駆(さき)ども、殿上人のは短ければ、大前駆(おおさき)、小前駆(こさき)と付けて聞き騒ぐ。
あまたたびになれば、その声どもも皆聞き知りて、「それぞ」「かれぞ」など言ふに、また「あらず」など言へば、人して見せなどするに、言ひあてたるは、「さればこそ」など言ふも、をかし。
有明のいみじう霧り(きり)わたりたる庭におりてありくをきこしめして、御前(おまえ)にも起きさせたまへり。上なる人々の限りは、出でゐ、おりなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。「左衛門の陣にまかりて見む」とて行けば、我も我もと、追いつぎて行くに、殿上人あまた声して、「なにがし一声の秋」と誦(ず)じてまゐる音すれば、逃げ入り、ものなど言ふ。
「月を見たまひけり」など、めでて、歌詠むもあり。夜も昼も、殿上人の絶ゆるをりなし。上達部まで、まゐりたまふに、おぼろけに急ぐ事なきは、かならずまゐりたまふ。

[現代語訳]
職の御曹司という役所に中宮様がいらっしゃる頃、木立などが遥かに古い色合いで、建物の造りも高くて親しみにくい感じだけれど、なんとなく面白く思ってしまう。母屋には鬼が住み着いているということで、そこは閉めて南に準備をする、南の廂に御帳台を立てて、更にその南の又廂に女房たちは控えている。近衛の御門から左衛門の陣にお向かいになる上達部の方々の先駆けの掛け声、殿上人のは掛け声が短いので、私たちは大前駆(おおさき)、小前駆(こさき)と名前をつけて掛け声を聞いては騒いでいる。
何度も聞いているので、先駆けの声をみんなが聞き分けられるようになって、「これは誰それ」「あれは誰それ」などと言っている。また誰かが「それは違うわよ」と言うと、下女を使わせて見に行かせるなどして、言い当てた人は「やはりあの人じゃない」などと言い返しているのも面白い。
有明の月の頃、一面に深い霧が立ち込めた庭に、女房たちが下りて散歩するのをお聞きになって、中宮もまだ早い時間にお起きになられた。中宮の御前にいる女房たちは、外に出たり庭に下りたりして遊んでいるうちに、段々夜も明けてきた。「左衛門の陣まで行って見物してきましょう。」と言って、遂に門の外に出ていくと、私も私もと後を追いかけて続いてゆく。殿上人が大勢の声で、「一声の秋」という詩を吟じてこちらにやってくるので、職の御曹司の建物に逃げ込んでお話をする。
「月を眺めていらっしゃったんですね。」などと感動して、そこで歌を詠む人もいる。夜も昼も、殿上人がやって来るのが絶えることがない。上達部さえも参内される途中で、特別に急ぐ用事でもない限りは、必ずここにお立ち寄りになられる。


[古文・原文] 75
あぢきなきもの
わざと思ひ立ちて、宮仕へに出で立ちたる人の、もの憂がり(ものうがり)、うるさげに思ひたる。養子(とりこ)の、顔にくげなる。しぶしぶに思ひたる人を、強いて婿取りて、思ふさまならずと嘆く。

[現代語訳]
おもしろくないもの
わざわざ思い立って宮仕えに出た人が、お勤めを面倒くさがって煩わしく思っている。養子の顔が醜いということ。気の進まない人を無理矢理、婿にして、自分の思い通りに通ってきてくれないと嘆く人。

[古文・原文]
ここちよげなるもの
卯杖(うづえ)の法師。御神楽(みかぐら)の人長(にんじょう)。御霊会(ごりょうえ)の振幡(ふりはた)とか持たる者。

[現代語訳]
気持ち良さそうなもの
卯杖(うづえ)の法師。神楽の人長(にんじょう)。御霊会の時、振幡(ふりはた)とかいう物を持った人。


[古文・原文] 77
御仏名(おぶつみょう)のまたの日、地獄絵の御屏風(おびょうぶ)とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしういみじきこと限りなし。「これ見よ、これ見よ。」と仰せらるれど、「さらに見侍らじ」とて、ゆゆしさに、こへやに隠れ臥しぬ。
雨いたう降りて徒然なりとて、殿上人、上の御局(おつぼね)に召して、御遊びあり。道方(みちかた)の少納言、琵琶、いとめでたし。済政(なりまさ)、筝の琴(しょうのこと)、行義(ゆきよし)、笛、経房(つねふさ)の中将、笙の笛(しょうのふえ)など、おもしろし。一わたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」と誦(ず)じ給へりしに、隠れ臥したりしも起き出でて、「なほ罪は恐ろしけれど、もののめでたさは、やむまじ」とて、笑はる。

[現代語訳]
御仏名の翌日、地獄絵の御屏風をこちらに持ってこさせて、帝が中宮にお見せになられる。地獄絵はひどく恐ろしいこと(不気味なこと)この上ない。帝はわざと「これを見よ。これを見よ。」とおっしゃるのだが、私は「もうこれ以上は見ません。」と申し上げて、恐ろしいので、小部屋に引っ込んで寝てしまった。
雨がひどく降っていて手持ち無沙汰だったので、殿上人を上の御局にお召しになって、音楽の遊びの会を開かれた。道方(みちかた)の少納言の琵琶の演奏が、とても素晴らしい。済政(なりまさ)の筝の琴、行義(ゆきよし)の横笛、経房の中将が笙の笛なども面白い。一通り演奏して、琵琶も弾き終わったところで、大納言様が「琵琶の声がやんだというのに、物語をするのが遅い」と吟じられたので、隠れて眠っていた中宮が起きだしてきて、「やはり仏罰は恐ろしいですけど、素晴らしいものに惹かれるこの性格は変わらないでしょうね。」と言って、一同に笑われた。


[古文・原文] 78
頭の中将(とうのちゅうじょう)の、すずろなるそら言を聞きて、いみじう言ひおとし、「なにしに人と思ひほめけむ」など、殿上にていみじうなむのたまふと聞くにも、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞き直し給ひてむ」と、笑ひてあるに、黒戸(くろと)の前など渡るにも、声などする折は、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじうにくみたまへば、ともかうも言はず、見も入れで過す(すぐす)に、二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌(おんものいみ)に籠りて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。ものや言ひやらまし』となむ、のたまふ」と人々語れど、「よにあらじ」など、答へて(いらえて)あるに、日一日(ひひとひ)、下にゐ暮して参りたれば、夜の御殿(おとど)に入らせ給ひにけり。
長押(なげし)の下に火近く取り寄せて、扁(へん)をぞつく。「あなうれし。とくおはせ。」など、見つけて言へど、すさまじき心地して、何しに上りつらむと、おぼゆ。炭櫃(すびつ)のもとに居たれば、そこにまたあまた居て、ものなど言ふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかに言ふ。「あやし。いつの間に、何事のあるぞ」と、問はすれば、主殿司(とのもりづかさ)なりけり。
「ただここもとに、人伝てならで申すべきことなむ。」と言へば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿の奉らせたまふ。御返事(おんかえりごと)、とく」と言ふ。いみじくにくみたまふに、いかなる文ならむと思へど、ただ今、急ぎ見るべきにもあらねば、「去ね(いね)。今、聞えむ。」とて、懐にひき入れて入りぬ。なほ人のもの言ふ、聞きなどする、すなはち立ち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文(おふみ)を賜りて来(こ)』となむ、仰せらるる。とくとく(疾く疾く)」と言ふが、あやしう、伊勢の物語なりや、とて、見れば、青き薄様(うすよう)に、いと清げに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。
蘭省花時錦帳下
と書きて、「末はいかに、末はいかに。」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覽ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき真名(まんな)に書きたらむも、いと見苦しと、思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃(すびつ)に消え炭のあるして、
草の庵を誰か尋ねむ
と書きつけて取らせつれど、また返事も言はず。

[現代語訳]
頭の中将が、私(清少納言)についてのいい加減な嘘を聞いて、私のことをとてもひどく貶している。「どうしてあんな人を褒めてしまったのだろうか。」などと殿上の間でひどく悪くおっしゃっているのを聞くと、恥ずかしいけれど、「本当のことであれば仕方がないが、(根拠のない嘘なのだから)自然に私について思い直してくれるだろう。」と笑って済ませていたのだが、黒戸の前などを通る時にも、私の声が聞こえる時には、袖で顔をふさいでまったくこちらを見向きもしない。ひどく私を憎んでいらっしゃる様子なので、こちらも釈明もせず、見ないようにして過ごしていると、二月の終わり頃、ひどい雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで殿上の間に籠ることになって、「『さすがに(清少納言を無視していると)物足りなく感じるな。何かものを言ってやろうか』とおっしゃっておられる。」と人々の話を聞いたけれど、私は「まさかそんな事はあるまい。」などと答えて、一日中、局に下って過ごしていて、夜に中宮の御前にお伺いした。
女房たちは長押の下で、ともし火を近くに取り寄せて、文字の扁(へん)に旁(つくり)を付ける遊びをしている(『扁をつく』の正しい意味は明らかになっていない)。「あぁ、嬉しい。早くいらっしゃい。」などと、私を見つけて言うけれど、面白くない気持ちがしておやすみになられたのに、どうして参上などしてしまったのだろうと思う。囲炉裏の近くに座っていると、そこにまた大勢の人が来て話すことになる。「誰それが伺っています」と、とても賑やかに私に言ってくる。「怪しいわね。参上したばかりなのに、どんな用事があるというのだろう。」と使いの者に質問させると、主殿司(とのもりづかさ)なのだった。
「ただここで、人づてではなく私から直接申し上げたいことがあります。」と主殿司が言うので、出て行って質問すると、「これは、頭の殿からのお手紙です。早くお返事を下さい。」と言う。とても私のことを憎んでいらっしゃるはずなのに、どんな手紙なのだろうと思うけれど、今すぐに急いで見るべき手紙でもないので、「去りなさい。今、要件は承りました(しばらくしてから返事は書きます)。」と言って、手紙を懐に引き入れて奥に下がった。人と話をしていると、すぐにさきほどの使いが引き返してきて、「『それならば、さっきの手紙を返してもらってこい、』と頭の殿がおっしゃっています。早くお返事を下さい。」と言うが、どうも怪しい。これでは伊勢の物語(あるいは魚の物語(いをのものがたり))ではないかと思って手紙を見ると、青い薄様の紙に、とても丁寧に書かれておられる。(手紙の内容は)心がときめくようなものではなかった。
「『さらば、そのありつる御文(おふみ)を賜りて来(こ)』となむ、仰せらるる。とくとく(疾く疾く)」と言ふが、あやしう、伊勢の物語なりや、とて、見れば、青き薄様(うすよう)に、いと清げに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。 蘭省花時錦帳下
と書いて、「これに続く下の句はどんなものでしょうか。」とあるが、どのような返事をすべきだろうか。中宮様が起きていらっしゃれば御覧になってもらって相談できるのだが、これの下の句をいかにも知っていますという顔をして、下手な漢字で書いてあげるのも、とても見苦しいことになる。そうこう思って迷っているうちにも、返事を催促してくるので、ただその紙の奥に、囲炉裏から取った消え炭で、
草の庵を誰か尋ねむ
と書きつけて返事をしたけれど、あちらからの返事は来なかった。

[古文・原文]
皆寝て、つとめて、いととく局におりたれば、源中将の声にて、「ここに草の庵やある」と、おどろおどろしく言へば、「あやし。などてか、さ人げなきものはあらむ。玉の台(うてな)と求め給はましかば、答えてまし」と言ふ。「あなうれし。下にありけるよ。上にて尋ねむとしつるを」とて、昨夜ありしやう、
「頭の中将の宿直所(とのいどころ)に、少し人々しき限り、六位まで集りて、よろづの人の上、昔、今と語りいでて、言ひしついでに、『なほこの者、無下に絶え果てて後こそ、さすがに、えあらね。もし言ひ出づる事もやと待てど、いささか何とも思ひたらずつれなきも、いとねたきを、今宵あしともよしとも定めきりてやみなむかし』とて、皆言ひ合せたりしことを、『只今は見るまじ、とて、入りぬ』と、主殿司(とのもづかさ)が言ひしかば、また追ひ帰して、『ただ、手をとらへて、東西せさせず乞ひ取りて、持て来ずは、文を返し取れ』と、戒めて、さばかり降る雨の盛りに、遣りたるに、いと疾く帰り来たり。『これ』とて、さし出でたるが、ありつる文なれば、返してけるか、とて、うち見たるに、あはせてをめけば、『あやし、いかなる事ぞ』と、皆、寄りて見るに、『いみじき盗人を。なほ、えこそ思ひ捨つまじけれ』とて、見騒ぎて、『これが本、付けてやらむ。源中将、付けよ』など、夜ふくるまで、付けわづらひてやみにしことは、ゆく先も必ず語り伝ふべきことなり、などなむ、皆定めし」など、いみじうかたはらいたきまで言ひ聞かせて、
「今は、御名をば、草の庵となむ、付けたる。」とて、急ぎ立ちたまひぬれば、「いとわろき名の、末の世まであらむこそ、口惜しかなれ」と言ふほどに、修理の亮則光(すりのすけのりみつ)、「いみじきよろこび申しになむ、上にやとて、まゐりたりつる。」と言へば、「なんぞ。司召(つかさめし)なども聞えぬを、何になり給へるぞ」と問へば、

[現代語訳]
みんなが寝てから、翌朝(早朝)、まだ朝早いうちに局(つぼね)へと下りたところ、源中将の声で、「ここに草の庵という者はいますか。」と大げさな感じで言うので、「おかしな質問ですね。どうして、そのようなみすぼらしい者がここにいるでしょうか。玉の台という者をお求めでしたら、お答えできたでしょうが。」と答える。「あぁ、嬉しい。下の局にいたんですね。上(中宮の御所)に尋ねに行こうとしていました。」と言って、昨夜の状況を、
(宣方)「頭の中将の宿直所に、少しでも見所のある人々であればみんな、六位の者まで集まって、色々な人の噂話を、昔から今に至るまで語り合って、そんな話をしているついでに、(斉信)『やはりこの女は、理不尽に絶好してみたのだが、その後にどうにも気になってしまう。あちらから何か言ってくるのではないかと待っていても、全く何とも思っていないようなつれない態度がとても憎らしくて、今夜、良い女なのか悪い女なのか見極めてやろうではないか』と言って、みんなで話し合ったことを、『今すぐには見ないでおこうと言って、奥に入ってしまった』と主殿司が言ったので、また追い返して、(斉信)『ただ手を捕まえて、有無を言わせずに返事を取ってくるか、持ってこれないなら手紙を返して貰って来い』と戒めて、そのように激しく降る雨の中にもう一度使いに出したところ、すぐに早く帰ってきた。『これです』と差し出したのが、さっき送った手紙なので、返してきたのかと思って見てみると、すぐに大声を上げたので、『何事だ、どうしたことか』とみんなが寄ってきて見ると、(斉信)『たいそうな気持ちの盗人だな。やはり、簡単に思いを捨てて忘れてしまうことができない』と言って、手紙を見て騒いでいたが、(斉信)『この歌の上の句をつけて返そう。源中将、付けてみよ』などと夜が更けるまで、上の句を考え続けて諦めてしまったことは、将来も必ず語り伝えていくべきことだなどという話でみんなは結論を出してしまった。」などと、(聞いているこちらが)とても気恥ずかしくなるまで言い聞かせて、
(宣方)「今、あなたの名前を草の庵というように付けました。」と言って、急いでお立ちになったので、(清少納言)「そんなとても悪い名前が、後世にまで伝えられるのは、情けないことです。」と言うと、修理の亮則光(すりのすけのりみつ)が、「非常に喜ばしいことを申し上げようと、中宮の御所のほうに居るのかと思い、参上したところです。」と言う。「どうしたのですか。司召の話も聞きませんが、何におなりになったのですか。」と質問すると、

[古文・原文]
「いな。まことにいみじううれしきことの昨夜侍りしを、心もとなく思ひ明してなむ。かばかり面目あることなかりき」とて、はじめありけることども、中将の語りたまひつる同じことを言ひて、「『ただこの返事にしたがひて、こかけをしふみし、すべてさる者ありきとだに思はじ』と、頭の中将の給へば、ある限りかうようしてやりたまひしに、ただに来たりしは、なかなかよかりき。
持て来たりしたびは、如何(いか)ならむと、胸つぶれて、まことにわるからむは、せうとのためにもわるかるべし、と思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人の褒め感じて、『せうと、こち来(こちこ)。これ聞け』と、のたまひしかば、下心(したごこち)はいとうれしけれど、『さやうの方に更にえ侍ふまじき身になむ』と申ししかば、『言(こと)加へよ、聞き知れ、とにはあらず。ただ、人に語れとて、聞かするぞ』と、のたまひしになむ、少し口をしきせうとのおぼえに侍りしかども、本付け試みるに、『言ふべきやうなし。殊にまた、これが返しをやすべき』など言ひ合はせ、『わるしと言はれては、なかなかねたかるべし』とて、夜中までおはせし。
これは、身のため、人のためにも、いみじきよろこびに侍らずや。司召(つかさめし)に少々の司得て侍らむは、何ともおぼゆまじくなむ」と言へば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかな、と、これになむ胸つぶれておぼゆる。この、いもうと、せうと、といふことは、上まで皆しろしめし、殿上にも、司の名をば言はで、せうととぞ付けられたる。
物語などして居たるほどに、「まづ」と、召したれば、参りたるに、このこと、仰せられむとなりけり。「上渡らせ給ひて、語り聞えさせ給ひて、男ども皆、扇に書きつけて持たる」など、仰せらるるにこそ、あさましう、何の言はせけるにか、とおぼえしか。
さて後ぞ、袖の几帳(そでのきちょう)なども取り捨てて、思ひ直り給ふめりし。

[現代語訳]
(則光)「いや。本当に非常に嬉しいことが昨夜ございましたので、(少しでも早くお伝えしたいということで)落ち着かない思いで夜を明かしていたのです。これほど面目の立つ素晴らしいことはなかった」と言って、昨夜起こったことを全て、頭の中将が語ったことと同じことを話して、(則光)「『ただこの返事の内容によっては、今後相手にしないことにする、そういう人間がいたということさえ思わないでおこう』と、頭の中将がおっしゃるので、周囲の人々がある限りの知恵を絞って手紙を送ったのだが、使い者がただ手ぶらで帰ってきたのは、なかなか良かった。
返事を持って帰ってきた時は、どうなるだろうかと胸がつぶれるほど心配で、本当に悪い返事であれば、兄貴分である私にとっても体裁が悪いことになるだろうと思っていた。しかしそんな悪い返事ではなく、そこにいた人々みんなが褒め称えて、『兄貴よ、こっちへ来い。これを聞いてくれ』と言ったので、内心ではとても嬉しかったけれど、(則光)『そういう方面には、付き合いの乏しい身ですから』と申し上げたところ、『意見を述べよとか聞いて理解しろと言っているのではない。ただ、本人に語るべきだと思って聞かせているのだ』と言ってきた。(あなたの兄貴分としては)少し情けない思いがしたけれど、上の句を付けようと試みていると、(人々)『どうにも付けようがない。殊更に、この手紙に返歌をすべきなのだろうか』などと話し合って、『返歌がつまらないと言われてしまっては、逆に悔しいではないか』と言って、夜中まで話し合っていました。
これは、私にとってもあなたにとっても、とても喜ばしいことではありませんか。司召で少々の官位を得たとしても、何とも思わないようなことです」と言うので、本当に大勢の人々が集まって上の句について考えて話し合ったということも知らないで、(下手な返事をすれば)憎たらしい思いをするところだったなと、胸がつぶれるような気持ちがした。この、妹・兄ということは、帝に至るまでみんなが知っていることで、殿上の間でも、官位を言わないで、兄(せうと)と呼ばれていた。
女房たちと世間話をしていると、「すぐに」と中宮様に召し出されたので参上すると、このことについて何かおっしゃられようとしているのだった。(中宮)「帝がいらっしゃってお話をされたのですが、男たちはみんなあの話を扇に書き付けて持っているようです」などとおっしゃられたのは、呆れるような情けないことで、いったい何が私にあんなことを言わせたのかと思われたのだった。
その後、頭の中将も袖の几帳などをやめてしまって、私に対する評価を思い直したようであった。


[古文・原文] 79
返る年の二月廿よ日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壼(うめつぼ)に残り居たりしまたの日、頭の中将(藤原斉信)の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵、方の塞がりければ、方違(かたたがへ)になむ行く。まだ明けざらむに帰りぬべし。必ず言ふべき事あり。いたう叩かせで待て」と、のたまへりしかど、「局に一人はなどてあるぞ。ここに寝よ」と、御匣殿(みくしげどの)の召したれば、参りぬ。
久しう寝起きて下りたれば、「昨夜(よべ)いみじう人の叩かせ給ひし、辛うして起きて侍りしかば、『上にか。さらば、かくなむと聞えよ』と、はべりしかども、『よも起きさせ給はじ』とて、臥し侍りにき」と語る。心もなのことや、と聞くほどに、主殿司(とのもづかさ)来て、「頭の殿の聞えさせ給ふ、『ただ今まかづるを、聞ゆべきことなむある』」と言へば、(清少納言)「見るべきことありて、上なむ上り侍る。そこにて」と言ひて、やりつ。
局は、引きもやあけたまはむと、心ときめきして、わづらはしければ、梅壼の東面(ひがしおもて)の半蔀(はじとみ)上げて、(清少納言)「ここに」と言へば、めでたくてぞ、歩み出で給へる。桜の綾の直衣の、いみじう花々と、裏のつやなど、えも言はずきよらなるに、葡萄染(えびぞめ)のいと濃き指貫(さしぬき)、藤の折枝おどろおどろしく織り乱りて、紅の色、うち目など、輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など、下にあまた重なりたり。狭き縁に、片つ方は下ながら、少し簾のもと近う寄り居たまへるぞ、まことに絵に描き、物語のめでたきことに言ひたる、これにこそは、とぞ見えたる。
御前の梅は、西は白く、東は紅梅にて、少し落ち方になりたれど、なほをかしきに、うらうらと日の気色のどかにて、人に見せまほし。御簾(みす)の内に、まいて、若やかなる女房などの、髮うるはしくこぼれかかりて、など言ひためるやうにて、ものの答え(いらえ)などしたらむは、今少しをかしう見所ありぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髮なども我がにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色異なるころなれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬきはきぬなどばかりあまたあれど、露の映え(はえ)も見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿(うちきすがた)にて居たるこそ、ものぞこなひにて、口をしけれ。

[現代語訳]
翌年の二月二十日過ぎに、中宮が職の御曹司の建物においでになった時にお供に加わらないで、梅壺に居残っていた。その次の日、頭の中将(藤原斉信)のお手紙ということで、「昨日の夜、鞍馬寺に参詣したのだが、今夜、方角が悪いので方違えに別の所に行くことにした。まだ夜が明けないうちに宮中に帰る予定です。必ず伝えたいことがある。あまり局の戸を叩かなくても良いように(準備をして)待っていて下さい」とおっしゃっていたが、「どうして局に一人で居残っているのですか。こちらで寝なさい」と、御匣殿(みくしげどの)から呼ばれたので参上した。
寝坊してしまって局に下りてくると、「昨夜、ひどく戸を叩く人がいらっしゃったので、何とか頑張って起きて用件を聞いたところ、『上の御匣殿にいるのか。それなら、このように申し伝えよ』とおっしゃった。しかし、『まさか(こんな時間に)お起きにはならないだろう』と思って、断って寝てしまいました」と下女の女房が話している。心無い返事をしたものだなと聞いていると、主殿司がやって来て、「頭の殿がおっしゃっていました。『今、退出するが、お伝えしたいことがある』」と言うので、「やるべきことがあって、上の御匣殿に参ります。そこでお会いしましょう」と言って使いを帰らせた。
局では戸を引き開けるのではないかと、胸がどきどきとして煩わしかったが、梅壺の東側の半蔀を上げて、(清少納言)「こちらへ」と言うと、素晴らしいお姿で歩み出ていらっしゃった。桜襲(さくらがさね)の綾の直衣が非常に華やかで、裏の色つやなどは何とも言えないほど清らかなのに、薄紫染めの濃い指貫には藤の花の折枝の模様を豪華に浮き織りにして、袿(うちぎ)の紅色の打った光沢など、輝くばかりに見えている。紅色の下には、白や薄色の下着がたくさん重なっている。狭い簀子(すのこ)に片足を下ろしたままで、少し簾の下近くに寄って座っておられる姿は、本当に絵に描いたような、物語の中で素晴らしいと言われているような貴公子ぶりで、この人こそが絵・物語に出てくる人なのだというように見える。
梅壺の庭前の梅は、西は白い梅、東は紅梅で、少し花が散りかかっているけれど、なお情趣が残っており、うらうらとしたのどかな日差しで、人に見せたくなるような眺めだ。まして御簾の内側には、若い女房などが綺麗な黒髪をこぼれかからせてと物語で語られるような姿をしており、物の受け答えをしている様子があれば、もう少し面白い情趣のある見所ができたのに、もう梅の花の盛りが過ぎて、私のような古い年を取った女が、髪なども自分の髪ではなくなっていて、所々の髪が乱れて絡まっている。大体、みんなが色の異なる黒い喪服を来ている頃で、色があるかないかの薄い鈍色の上着に、重ねる色合いもない着物ばかり沢山着ているけれど、全く見映えがせず、中宮がいらっしゃらないので裳もつけず、袿姿(うちきすがた)でいたのが、風情を壊していて情けなかった。

[古文・原文]
(斉信)「職(しき)へなむ、まゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても、昨夜(よべ)、明し(あかし)も果てで、さりとも、かねて、さ言ひしかば、待つらむとて、月のいみじう明きに、西の京といふ所より来るままに、局を叩きしほど、辛うして寝おびれ起きたりしけしき、答へ(いらえ)のはしたなさ」など、語りて笑ひ給ふ。「無下にこそ思ひうんじにしか。など、さる者をば置きたる」と、のたまふ。げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもあり。暫しありて、出で給ひぬ。外より見む人は、をかしく、内にいかなる人あらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされたらむ後ろこそ、外にさる人やとおぼゆまじけれ。
暮れぬれば、まゐりぬ。御前に人々いと多く、上人(うえびと)などさぶらひて、物語のよきあしき、にくき所などをぞ、定め、言ひそしる。涼(すずし)、仲忠(なかただ)などがこと、御前(おまえ)にも、劣りまさりたるほどなど、仰せられける。(女房)「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひ(わらわおい)のあやしさを、せちに仰せらるるぞ」など言へば、(清少納言)「なにか。琴なども、天人の降るばかり弾きいで、いとわろき人なり。御門の御女(おんむすめ)やは得たる」と言へば、仲忠が方人(かたうど)ども、所を得て、「さればよ」など言ふに、(中宮)「このことどもよりは、昼、斉信(ただのぶ)が参りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそ、おぼえつれ」と、仰せらるるに、(女房)「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」など言ふ。
(清少納言)「まづそのことをこそは啓せむと思ひて、参りつるに、物語の事にまぎれて」とて、ありつることども聞えさすれば、(女房)「誰も見つれど、いとかう、縫ひたる糸、針目までやは見透しつる」とて笑ふ。
(斉信)「西の京といふ所の、あはれなりつること。諸共(もろとも)に見る人のあらましかばとなむ、おぼえつる、垣なども皆古りて(ふりて)、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君の「瓦に松はありつや」と答へたるに、いみじうめでて、(斉信)「西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ」と口ずさみつることなど、かしかましきまで言ひしこそ、をかしかりしか。

[現代語訳]
(斉信)「職の役所に参上します。伝言はありますか。あなたはいつ参上するのですか」などとおっしゃる。(斉信)「それにしても、昨夜、方違えに行った所で夜も明かさずに、時間が遅いのに以前に言っておいたから待っているだろうと思って、月がたいそう明るい中を、西の京と呼ばれる所から帰ってきて、局の戸を叩いたところ、かろうじて寝ぼけながら起きてきた女房の様子、答えの冷たいそっけなさよ」などを語ってお笑いになる。「無下に断られて落ち込んでしまった。どうしてあんな者を置いているのか」とおっしゃる。本当にそうだったのだろうと、おかしくもあり可哀想でもある。しばらくしてから、出て行かれた。外から見ている人は、情趣を感じて、御簾の内側にどんな素敵な人がいるのだろうかと思って想像するだろう。奥の方から私の後ろ姿を見ていたら、外にそんな素敵な男性がいるとは思わないことだろう。
日が暮れてから、職の役所に参上した。中宮の御前には沢山の女房たちがいて、殿上人などもいらっしゃって、物語の良し悪しや嫌いな所などを議論し、言い合いをしたりしている。涼や仲忠などの宇津保物語の人物について、中宮にもその人物の優劣についてなどお話になられている。女房が「まずこの問題についてはどう考えますか。早く意見を述べて下さい。仲忠の子供時代の生い立ちの怪しさ(不遇さ)を、欠点としておっしゃっていますよ」などと言うと、(清少納言)「それがどうしたのですか。琴など弾いても天人が降ってきたお話のようなもので、あまり大したことのない人物です。涼は帝の娘を妻として得たでしょうか」と言う。仲忠を推薦している者たちは勢いを得て、「その通りだ」などと言っている。(中宮)「こんな物語の人物よりも、昼間、斉信が参上した姿をお前が見たならば、どんなに褒めて気持ちが乱れたことだろうと思っていた」とおっしゃられると、女房が「あぁ、本当にいつもより素晴らしいお姿でした」などと言っている。
(清少納言)「まず私もそのことを申し上げようと思って参上したのですが、物語の論議に巻き込まれてしまいまして」と言い、昼間のことなどをお話すると、女房は「みんなあの方のお姿は拝見しましたが、(清少納言のように)着物の縫い糸や針目までも細かく見ていたでしょうか」と言って笑う。
(斉信)「西の京という所が、寂しく荒れていたこと。一緒に見る人がいれば、(いっそう憐れな感じが増していただろう)と思う。築地などもみんな古くなっていて、苔がそこに生えていて」などと語っていると、宰相の君が「瓦に松はありましたか」と答えたので、頭の中将・斉信はとても感心して、(斉信)「西の方、都門から去ることどれくらいの土地なのか」と口ずさんで吟じていたことなど、うるさいほどに言い立てたのは、風情があって面白かった。


80~300
『枕草子』(三巻本)
80 :084:(能088):里にまかでたるに

 里にまかでたるに、殿上人などの来るをも、やすからずぞ人々は言ひなすなる。いと有心に、引きいりたるおぼえはたなければ、さ言はむもにくかるまじ。ま た、昼も夜も来る人を、何しにかは、「なし」ともかかやき帰へさむ。まことにむつましうなどあらぬも、さこそは<来め>[めく]れ。あまりう るさくもあれば、この度<出 でたる所をば、> いづくとなべてには知らせず。左中将経房の君、済政の君などばかりぞ、知り給へる。

 左衛門の尉則光が来て物語などするに、「昨日宰相の中将(=斉信)の参り給ひて、『いもうとのあらむ所、さりとも知らぬやうあらじ。いへ』と、いみじう 問ひ給ひしに、さらに知らぬよしを申ししに、あやにくに強ひたまひしこと」など言ひて、「あることは、あらがふはいとわびしくこそありけれ。ほとほ と笑みぬべかりしに、左の中将のいとつれなく知らず顔にてゐ給へりしを、彼の君に見だにあはせば笑ひぬべかりしに、<わびて、台盤の上に布(め=海 藻)のあ りしを取りてただ食ひに> 食ひまぎらはししかば、中間(ちゆうげん)にあやしの食ひものやと<人々>見けむかし。されど、かしこうそれにてなむ、そことは申さず なりにし。笑ひなましかば、不用(=失敗)ぞかし。まことに知らぬなめりと思<し>[え]たりしもをかしくこそ」など語れば、「さらにな聞こ え給ひそ」などいひて、日頃久しう なりぬ。

 夜いたくふけて、門をいたうおどろおどろしうたたけば、何のかう心もなう、遠からぬ門を高く叩くらむと聞きて、問はすれば、瀧口なりけり。「左衛門の尉 の」とて文を持て来たり。みな寝たるに、火取りよせて見れば、「明日御読経の結願にて、宰相の中将、御物忌にこもり給へり。『いもうとのあり所申せ、いも うとのあり所申せ』とせめらるるに、ずちなし。さらにえ隠し申すまじ。さなむとや聞かせ奉るべき。いかに。仰せにしたがはむ」といひたる、返事は書かで、 布(め)を一寸ばかり、紙につつみてやりつ。

 さて、のち来て、「一夜はせめたてられて、すずろなる所<々>[から]になむ率てありき奉りし。まめやかにさいなむに、いとからし。さて、 などともかくも御返りはな くて、すずろなる布(め)の端をばつつみて賜へりしぞ。あやしのつつみ物や。人のもとにさるものつつみて送るやうやはある。取り違(たが)へたる< か>」と[て]いふ。いささか 心も得ざりけると見るがにくければ、物も言はで、硯にある紙の端に、

  かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめを食はせけむ

と書きてさし出でたれば、「歌よませ給へるか。さらに見侍らじ」とて、あふぎ返して逃げて往ぬ。

 かう語らひ、かたみの後見などする[に]中に、何ともなくて少し仲あしうなりたるころ、文おこせたり。「便(びん)なきことなど侍りとも、なほ契り聞こ えしかたは忘れ給はで、よそにてはさぞとは見給へとなむ思ふ」といひたり。

 常にいふことは、「おのれを思(おぼ)さむ人は、歌をなむよみて得さすまじき。すべて仇敵(あだかたき)となむ思ふ。今は限りありて絶えむと思はむ時に <を>、さることはいへ」などいひしかば、この返りごとに、

  くづれよる妹背の山の中なればさらに吉野の河とだに見じ

と言ひやりしも、まことに見ずやなりにけむ、返しもせずなりにき。

 さて、かうぶり得て、遠江の介と言ひしかば、にくくてこそやみにしか。


81 :085:(能089,112):物のあはれ知らせ顔なるもの

 物のあはれ知らせ顔なるもの はな垂り、間(ま)もなうかみつつ物いふ声。眉抜く。


82 :086:(能090):さて、その左衛門の陣などに

 さて、その左衛門の陣などに行きて後、里に出でてしばしあるほどに、「とくまゐりね」などある仰せごとの端に、「左衛門の陣へいきし後ろ(=姿)なむ、 常に思しめし出でらるる。いかでか、さつれなくうちふりてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御返しに、か しこまりのよ し申して、私(わたくし)には、「いかでかはめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にも、『なかなるをとめ』とは御覧じおはしましけむとなむ思ひ給へし」と聞こ えさせたれば、たちかへり、「いみじく思へるなる仲忠がお<も>[り]てぶせなる事は、いかで啓したるぞ。ただ今宵のうちによろづの事を捨て てまゐれ。さらずは、い みじうにくませ給はむ」となむ仰せごとあれば、「よろしからむにてだにゆゆし。まいて『いみじう』とある文字には、命も身もさながら捨ててなむ」とて参り に き。


83 :087:(能091):職の御曹司におはします頃、西の廂にて

 職の御曹司におはします頃、西の廂にて不断の御読経あるに、仏などかけ奉り、僧どものゐたるこそさらなる<こと>なれ。

 二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の声にて、「なほかの御仏供(ぶく)<の>おろし侍りなむ」といへば、「いかでか、まだきには」と いふなるを、何の いふにかあらむとて、立ち出でて見るに、なま老いたる女法師の、いみじうすすけたる衣を着て、猿様(さるさま)にていふなりけり。「かれは、何事いふぞ」 といへば、声引きつくろひて、「仏の御弟子に候へば、御仏供のおろし賜(た)べむと申すを、この御坊たちの惜しみ給ふ」といふ。は なやぎ、みやびかなり。かかる者は、うちうんじたるこそあはれなれ、うたても、はなやぎたるかなとて、「こと物は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。 いとたふときこと」などいふけしきを見て、「などかこと物も食べざらむ。それが候はねばこそ取り申せ」といふ。菓子(くだもの)、ひろき餅(もちひ)な どを物に入れて取らせた[ら]るに、むげに仲よくなりて、よろづの事語る。

 若き人々出で来て、「男やある」「子やある」「いづくにか住む」など口々問ふに、をかし<き>言(こと)、そへ言などをすれば、「歌はうた ふや。舞などはす るか」と問ひもはてぬに、「夜は誰とか寝む。常陸の介と寝む。寝たる肌よし」これが末、いとおほかり。また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ 名は立つや」<と>頭をまろばし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、「往ね、往ね」といふに、「いとほし。これに何取らせむ」といふを 聞かせ給ひて、 「いみじうかたはらいたきことはせさせつるぞ。え聞かで、耳をふたぎてぞありつる。その衣一つ取らせてとく遣りてよ」と仰せらるれば、「これ、たまはする ぞ。衣すすけためり。白くて着よ」とて、投げ取らせたれば、ふし拝みて、肩にうち置きては舞<ふ>[た]ものか。まことににくくて、みな入り にし。

 後、ならひたる<にや>あらむ、常に見えしらがひあり<く>[て]。やがて常陸の介とつけたり。衣も白(しろ)めず、同じすす けにてあれば、いづち遣りてけむなどにく む。

 <右>[左]近の内侍(ないし)の参りたるに、「かかるものをなむ語らひつけておきためる。すかして、常に来ること」とて、ありしやうな ど、小兵衛といふ人にまね ばせて聞かせさせ給へば、「かれいかで見侍らむ。かならず見せさせ給へ。御得意ななり。さらによも語らひとらじ」など笑ふ。

 その後、また、尼なる乞食(かたゐ)のいとあてやかなる出で来たるを、また呼び出でてものなど問ふに、これはいとはづかしげに思ひてあはれなれば、例の 衣一つたまはせたるを、ふし拝むはされどよし、さてうち泣きよろこびて往ぬるを、はやこの常陸の介は来あひて見てけり。その後久しう見えねど、誰かは思ひ 出でむ。

 さて、師走の十余日のほどに雪いみじう降りたるを、女官どもなどして縁にいとおほく置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせ侍らむ」とて侍召して、 「仰せごとにて」<と>いへば、集まりて作る。主殿寮(とのもり)の官人の御きよめに参りたるなどもみな寄りて、いと高う作りなす。宮司など も参り集まりて、 言加へ興ず。三四人参りつる主殿寮(とのもづかさ)の者ども二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣はしなどす。「今日この山作る人には日三日賜 (た)ぶべし。また、参らざらむ者は、また同じ数とどめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひ参るもあり。里遠きはえ告げやらず。

 作りはてつれば、宮司召して衣二結ひ取らせて縁に投げ出だしたるを、一つ取りに取りて、拝みつつ、腰にさしてみなまかでぬ。袍(うへのきぬ)など着たる は、さて狩衣にてぞある。

 「これいつまでありなむ」と、人々にのたまはするに、「十日はありなむ」「十余日はありなむ」など、ただこの頃のほどを、ある限り申すに、「いかに」と 問はせ給へば、「正月の十余日までは侍りなむ」と申すを、御前にもえさはあらじとおぼしめしたり。女房はすべて年のうち、つごもりまでもえあらじとのみ申 すに、あまり遠くも申しつるかな、げにえしもやあらざらむ。一日(ついたち)などぞいふべかりけると下(した)には思へど、さはれ、さまでなくとも言ひそ めてむことはとて、かたうあらがひつ。

 二十日(はつか)のほどに雨降れど、消ゆべきやうもなし。少したけぞ劣りもて行く。「白山(しらやま)の観音これ消えさせ給ふな」[こ]と祈るも、もの ぐるほし。

 <さて、> その山作りたる日、御使に式部丞忠隆参りたれば、褥さし出だしてものなどいふに、「今日雪の山作らせ給はぬところなむなき。御前の壺にも作らせ給 へり。春宮にも弘徽殿にも作られたり。京極殿にも作らせ給へりけり」などいへば、

  ここにのみめづらしとみる雪の山所々にふりにけるかな

と、かたはらなる人して言はすれば、度々かたぶきて、「返しはつかうまつりけ<が>[る]さじ。あされたり。御簾の前にて人にを語り侍らむ」 とて立ちにき。歌いみじ うこのむと聞くものをあやし。御前にきこしめして「いみじうよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。

 つごもりがたに、少し小さくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、昼つ方、縁に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出で来たり。「などいと久しう見えざ りつるに」と問へば、「何かは。心憂きことの侍りしかば」といふ。「何事ぞ」と問ふに、「なほかく思ひ侍りしなり」とて、ながやかによみ出づ。

  うらやまし足もひかれずわたつ海のいかなる人にもの賜ふらむ

といふを、にくみ笑ひて、人の目も見入れねば、雪の山にのぼり、かかづらひありきて往ぬる後に、<右>[左]近の内侍に、「かくなむ」と言ひ やりたれば、「などか、 人添へてはたまはせざりし。かれがはしなたなくて雪の山までのぼりつたよひけむこそ、いとかなしけれ」とあるを、また笑ふ。

 さて雪の山つれなくて年もかへりぬ。一日(ついたち)の日の夜、雪のいとおほく降りたるを、「うれしくもまた降り積みつるかな」と見るに、「これはあい なし。はじめの際をおきて、今のはかき棄てよ」と仰せらる。

 局へいととく下るれば、侍の長(をさ)なる者柚(ゆ)の葉のごとくなる宿直衣(とのゐぎぬ)の袖の上に青き紙の松につけたるを置きて、わななき出でた り。「それはいづこのぞ」と問へば、「斎院より」といふに、ふとめでたうおぼえて、取りて参りぬ。

 まだ大殿籠りたれば、まづ御帳にあたりたる御格子を、碁盤などかきよせて、一人念じあぐる、いと重し。片つ方なればきしめ<く>[き]に、 おどろかせ給ひて、「な ど、さはすることぞ」とのたまはすれば、「斎院より御文の候ふには、いかでか急ぎあげ侍らざらむ」と申すに、「げにいと疾(と)かりけり」とて起きさせ給 へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを卯杖のさまに頭などつつみて、山橘・日かげ・山菅などうつくしげに飾りて御文はなし。ただなるやう あらむやはとて御覧ずれば、卯杖の頭つつみたる小さき紙に、

  山とよむ斧の響きを尋ぬればいはひの杖の音にぞありける

 御返し書かせ給ふほども、いとめでたし。斎院にはこれよりきこえさせ給ふも、御返しもなほ心ことに書きけがしおほう、御用意見えたり。御使に白き織物 の単衣、蘇芳なるは梅なめりかし、雪の降りしきたるに、かづきて参るもをかしう見ゆ。そのたびの御返しを知らずなりにしこそ口惜し<けれ> [う]。

 さて、その雪の山は、まことの越(こし)のにやあらむと見えて、消えげもなし。黒うなりて見るかひなきさまはしたれども、げに勝ちぬる心地して、いかで 十五日待 ちつけさせむと念ずる。されど、「七日をだにえ過ぐさじ」と、なほいへば、いかでこれ見果てむとみな人思ふほどに、にはかに内裏(うち)へ三日に入らせ給 ふべし。 いみじう口惜し、この山のはてを知らでやみなむことと、まめやかに思ふ。こと人も「げにゆかしかりつるものを」などいふを、御前(ごぜん)にも仰せらるる に、同じくは言ひあてて御覧ぜさせばやと思ひつるに、かひなければ、御物の具どもはこび、いみじうさわがしきにあはせて、木守(こもり)といふ者の、築土 (ついぢ)のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼びよせて、「この雪の山いみじう守りて、童べなどに踏み散らさせず、こぼたせで、よく守りて、十五日 まで候へ。その日まであらば、めでたき禄たまはせむとす。わたくしにもいみじき喜び言はんとす」など語らひて、常に台盤所の人(=旺文社文庫は「人」がな い)、下衆などに呉[ま]るるを、菓物 (くだもの)や何やといとおほく取らせたれば、うち笑みて、「いとやすきこと。たしかに守り侍らむ。童べぞのぼり候はむ」といへば、「それを制して、聞か ざらむ者をば申せ」など言ひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで候ひて出でぬ。

 そのほども、これが後ろめたければ、おほやけ人、すまし、長女(をさめ)などして、たえずいましめにやる。七日の節供(せく)のおろしなどをさへやれ ば、拝みつることなど笑ひあへり。

 里にても、まづ明くるすなはち、これを大事にて見せにやる。十日のほどに、「五日待つばかりはあり」といへば、うれしくおぼゆ。また昼も夜も遣るに、十 四日夜さり、雨いみじう降れば、これにぞ消えぬらむといみじう、いま一日(ひとひ)二日も待ちつけでと、夜も起きゐて言ひ嘆けば、聞く人も、「ものぐるほ し」と笑ふ。人の出でて行くに、やがて起きゐて、下衆(げ<す>[に])起こさするに、さらに起きねば、いみじうにくみ腹立ちて、起き出でた る遣りて見すれば、「円座(わら ふだ)のほどなむ侍る。木守いとかしこう守りて、童(わら<は>)べも寄せ侍らず。『明日、明後日(あさ<て>)までも候ひぬべ し。禄たまはらむ』と申す」といへば、いみじううれしく て、いつしか明日にならば歌よみてものに入れて参らせむと思ふ、いと心もとなくわびし。

 暗きに起きて、折櫃など具せさせて、「これに、その白からむ所入れて持て来。きたなげならむ所、かき棄てて」など言ひやりたれば、いととく持たせたる物 を引きさげて、「はやくうせ侍りにけり」といふに、いとあさましく、をかしうよみ出でて、人にも語り伝へさせむとうめき誦(ずん)じつる歌も、あさましう かひなくなりぬ。「いかにしてさるならむ。昨日までさばかりあらむものの、夜のほどに消えぬらむこと」と言ひくんずれば、「木守が申しつるは、『昨日いと 暗うなるまで侍りき。禄たまはらむと思ひつるものを』とて、手をうちてさわぎ侍りつる」など言ひ騒ぐに、内裏(うち)より仰せごとあり。さて、「雪は今日 まであり や」と仰せごとあれば、いとねたう口惜しけれど、「『年のうち、一日(ついたち)までだにあらじ』と人々の啓し給ひしに、昨日の夕暮れまで侍りしはいとか しこしとなむ思う給ふる。今日までは、あまりごとになむ。夜のほどに人のにくみて取り棄てて侍るにやとなむおしはかり侍ると啓せさせ給へ」など聞こえさせ つ。

 <さて、> 二十日参りたるにも、まづこのことを御前にてもいふ。「[身は投げ]身は投げつ」とて、蓋の限り持て来たりけむ法師のやうに、すなはち持て来しがあさまし かり しこと、物の蓋に小山作りて、白き紙に歌いみじく書きて参らせむとせしことなど啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思 ひたることをたがへつれば罪得らむ。まことは、四日の夜、侍どもを遣りて取り棄てしぞ。返りごとに言ひ当てしこそいとをかしかりしか。その女出で来て、い みじう手をすりて言ひけれども、『仰せごとにて。かの里より来たらむ人に、かく聞かすな。さらば、屋うちこぼたむ』など言ひて、左近の司の南の築土などに みな棄ててけり。『いと固くて、おほくなむありつる』などぞいふなりしかば、げに二十日も待ちつけてまし。今年の初雪も、降り添ひなまし。上も聞こしめし て、『いと思ひやり深くあらがひたり』など殿上人どもなどにも仰せられけり。さても、その歌語れ。今はかく言ひあらはしつれば、同じこと勝ちたるななり」 と 御前にも仰せられ、人々ものたまへど、「なでふにか、さばかり憂きことを聞きながら啓し侍らむ」など、まことにまめやかにうんじ、心憂がれば、<上 もわたら せ給ひて、>「まことに、年頃はおぼす人なめりと見しを、これにぞあやしと見し」など仰せらるるに、いとど憂く、つらく、うちも泣きぬべき心地ぞす る。「い で、あはれ、いみじく憂き世ぞかし。後に降り積みて侍りし雪をうれしと思ひ侍りしに、『それはあいなし、かき棄ててよ』と仰せごと侍りしよ」と申せば、 「勝 たせじとおぼしけるななり」と、上も笑はせ給ふ。


84 :088:(能092):めでたきもの

 めでたきもの 唐錦(からにしき)。飾り太刀。つくり仏のもくゑ。色あひ深く、花房長く咲きたる藤の花<の>松にかかりたる。

 六位の蔵人。いみじき君達なれど、えしも着給はぬ綾織物を、心<に>まかせて着たる青色姿などのいとめでたきなり。所の雑色、ただ人の子供 などにて、殿ばら の侍に、四位五位の司あるが下にうちゐて、何とも見えぬに、蔵人になりぬれば、えも言はずぞあさましきや。宣旨など持て参り、大饗の折の甘栗の使などに参 りた る、もてなしやむごとながり給へ<る>[り]さまは、いづこなりし天降(あまくだ)り人ならむとこそ見ゆれ。

 御むすめ、后にておはします、またまだしくても、姫君など聞こゆるに、御書(ふみ)の使とて参りたれば、御文取り入るるよりはじめ、褥(しとね)さし出 づる袖口など、明暮(あけくれ)見しものともおぼえず。下襲の裾(しり)引き散らして、衛府なるは今少しをかしく見ゆ。御手づから杯(さかづき)などさし 給へば、わが心持ちにもいかにおぼゆらむ。いみじくかしこまり、つちにゐし家の子・君達をも、心ばかりこそ用意しかしこまりたれ、同じやうにつれだちてあ りくよ。上の近う使はせ給ふを見るには、ねたくさへこそおぼゆれ。<御文書かせ給へば、御硯の墨すり、御団扇(うちは)など参り給へば、>馴 れつかうまつる三 年、四年ばかりを、なりあしく、物の色よろしくてまじはらむは、いふかひなきことなり。かうぶりの期になりて、下るべきほどの近うならむだに、命よりも惜 しかるべきことを、臨時の所々の御給はり申しておるるこそいふかひなくおぼゆれ。むかしの蔵人は、今年の春夏よりこそ泣きたちけれ、今の世には走りくらべ をなむする。

 博士の才あるは、めでたしといふもおろかなり。顔にくげに、いと下﨟なれど、やむごとなき人の御前に近づき参り、さべきことなど問はせ給ひて、御書の師 にて候ふは、うらやましくめでたしとこそおぼゆれ。

 願文、表、ものの序など作り出だしてほめらるるも、いとめでたし。

 法師の才ある、はたすべていふべくもあらず。

 后の昼の行啓。一の人の御ありき。春日詣。葡萄染の織物。すべて何も何も、紫なるものはめでたくこそあれ。花も糸も紙も。庭に雪のあつく降り敷きたる。 一の人。紫の花の中には、杜若(かきつばた)ぞ少しにくき。六位の宿直姿のをかしきも紫のゆゑなり。


85 :089:(能093):なまめかしきもの

 なまめかしきもの 細やかに清げなる君達の直衣姿。をかしげなる童女(どうによ)のうへの袴などわざとはあらでほころびがちなる汗衫ばかり着て、卯槌・ 薬玉など長く つけて、高欄のもとなどに扇さし隠してゐたる。

 薄様の草子。柳の萌え出でたるに、青き薄様に書きたる文つけたる。三重(みえ)がさねの扇。五重はあまりあつくなりて、もとなどにくげなり。いとあたら しからず、いたうものふりぬ桧皮葺(ひはだぶき)の屋に、長き菖蒲をうるはしうふきわたしたる。青やかなる簾の下より、几帳の朽木形、いとつややかにて、 紐の<風に>吹きなびかされたる、いとをかし。白き組の細き。帽額あざやかな<る>[り]簾の外、高欄にいとをかしげなる猫の赤 き首綱に白き札つきて、いかりの緒、組の 長きなどつけて引きあ<り>[る]くもをかしうなまめきたり。

 五月の節(せち)のあやめの蔵人。菖蒲のかずら、赤紐の色にはあらぬを、領布(ひ<れ>[し])・裙帯(くたい)などして、薬玉、皇子たち 上達部の立ち並み給へる に奉れる、いみじうなまめかし。取りて腰に引きつけつつ、舞踏し、拝し給ふも、いとめでたし。

 紫の紙を包み文にて、房長き藤につけたる。小忌(をみ)の君達もいとなまめかし。


86 :090:(能094):宮の五節いださせ給ふに

 宮の五節出ださせ給ふに、かしづき十二人、こと所には女御、御息所の御方の人出だすをば、わるきことになむすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御方を 十人は出ださせ給ふ。今二人は、女院、淑景舎の人、やがてはらからどちなり。

 辰の日の夜、青摺(あをずり)の唐衣・汗衫(かざみ)をみな着せさせ給へり。女房にだに、かねてさも知らせず、殿人(とのびと)には、ましていみじう隠 して、みな装束したちて、暗うなりにたるほどに、持て来て着<す>。赤紐をかしうむすび下げて、いみじうやうしたる白き衣、かた木のかたは絵 にかきたり。織物 の唐衣どもの上に着たるは、まことにめづらしきなかに、童は、まいて今少しなまめきたり。下仕(しもづかへ)まで<着て>出でゐたるに、殿上 人、上達部おどろ き興じて、小忌(をみ)の女房とつけて、小忌の君達は外にゐて物などいふ。

 「五節の局を、日も暮れぬほどに、みなこぼちすかして、ただあやしうてあらする、いとことやうなることなり。その夜までは、なほうるはしながらこそあら め」とのたまはせて、さもまどはさず、几帳どものほころび結ひつつ、こぼれ<出>でたり。

 小兵衛といふが、赤紐のとけたるを、「これ結ばばや」といへば、実方の中将寄りてつくろふに、ただならず。

  あしひきの山井の水はこほれるをいかなるひものとくるなるらむ

と言ひかく。年若き人の、さる顕証(けそう)のほどなれば、言ひにくきにや、返しもせず。そのかたはらなる人どもも、ただうち過ぐしつつ、ともかくも言は ぬを、宮司 (みやづかさ)などは耳とどめて聞きけるに、久しうなりげなるかたはらいたさに、こと方より入りて、女房のもとによりて、「などかうはおはするぞ」などぞ ささめくなる。四人ばかりをへだててゐたれば、よう思ひ得たらむにても言ひにくし。まいて、歌よむと知りたる人のは、おぼろげならざらむは、いかでかと、 つつましきこそはわろけれ。よむ人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそうちいへ。爪はじきをしありくが、いとほしければ、

  うはごほりあ<は>[か]にむすべるひもなればかざす日かげにゆるぶばかりを

と、弁のおもとといふに伝へさすれば、消え入りつつ、えも言ひやらねば、「何とか、何とか」と耳をかたぶけて問ふに、少し言(こと)どもりする人の、いみ じうつくろひ、めでたしと聞かせむと思ひければ、え聞きつけずなりぬるこそ、なかなか恥かくる<る>心地してよかりしか。のぼる送りなどに、 なやましと言ひて 行かぬ人をも、のたまはせしかば、ある限りつれだちて、ことにも似ず、あまりこそうるさげな<め>れ。

 舞姫は、相尹(すけまさ)の馬の頭(かみ)の女(むすめ)、染殿の式部卿の宮の上の御おとうとの四の君の御腹、十二にて、いとをかしげなりき。

 はての夜も、おひかづき出でもさわがず。やがて仁寿殿(じじゆうでん)より通りて、清涼殿の御前の東の簀子より舞姫をさきにて、上の御局に参りしほど も、をかしかりき。


87 :091:(能095):細太刀に平緒つけて

 細太刀に平緒つけて、清げなる男の持てわたるもなまめかし。


88 :092:(能096):内裏は、五節の頃こそ

 内裏(うち)は五節の頃こそすずろにただなべて見ゆる人もをかしうおぼゆれ。主殿司などの、色々のさいでを、物忌のやうにて、釵子(さいし)につけたる などもめづらしう見ゆ。宣耀殿の反橋に、元結のむら濃いとけざやかにて出でゐたるも、様々につけてをかしうのみぞある。上の雑仕(ざふし)、人のもとなる 童べもいみじき色ふしと思ひたることわりなり。山藍(やまゐ)、日かげなど、柳筥(やないばこ)に入れて、かうぶりしたる男など持てありくなどいとをかし う見ゆ。殿 上人の、直衣脱ぎたれて、扇や何やと拍子(はうし)にして、「つかさまさりとしきなみぞ立つ」といふ歌をうたひ、局どもの前わたる、いみじう立ち馴れた らむ心地もさわぎぬべしかし。まいて、さと一度(ひとたび)にうち笑ひなどしたるほど、いとおそろし。行事の蔵人の掻練襲(かいねりがさね)、ものよりこ とに清らに見ゆ。褥など敷きたれど、なかなかえも上りゐず、女房の<出で>ゐたるさまほめ<そ>[は]しり、この頃はこと事なか めり。

 帳台の夜、行事の蔵人のいときびしうもてなして、かいつくろひ、二人の童よりほかにはすべて入るまじと戸をおさへて、面(おも)にくきまでいへば、殿上 人なども、「なほこれ一人は」などのたまふを、「うらやみありて、いかでか」などかたくいふに、宮の女房の二十人ばかり蔵人を何ともせず戸をおしあけてざ めき入<れ>[りて]ば、あきれて、「いと、こは筋(ずち)なき世かな」とて、立てるもをかし。それにつけてぞ、<かしづき>ど ももみな入るけしき、いとねたげなり。上にもおは しましてをかしと御覧じおはしますらむかし。

 <童舞(わらはまひ)の夜は、いとをかし。> 灯台に向ひて寝たる顔どももらうたげなり。


89 :093:(能097):無名といふ琵琶の御琴を

 「無名といふ琵琶の御琴を上の持てわたらせ給へるに、見などして、かき鳴らしなどす」といへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、「これが名 よ、いかにとか」と聞こえさするに、「ただいとはかなく、名も<な>[お]し」とのたまはせたるは、なほいとめでたしとこそおぼえしか。

 淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へりし」とのたまふを、僧都の君、「それは 隆円に賜へ。おのがもとにめでたき琴(きん)侍り。それに代へさせ給へ」と申し給ふを、聞きも入れ給はで、こと事をのたまふに、いらへさせ奉らむとあまた たび聞こえ給ふに、なほものものたまはねば、宮の御前の、「『いなかへじ』と思したるものを」とのたまはせたる御けしきのいみじうをかしきことぞ限りな き。

 この御<笛>[文]の名を、僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしう思(おぼ)いためる。これは、職の御曹司におはしまいしほどの 事なめり。上の御前に、「いなか へじ」といふ御笛(ふ<え>[み])の候ふななり。

 御前に候ふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄象(げんじやう)、牧馬(ぼくば)、井手、渭橋(ゐけう)、無名など。また和琴(わ ごん)なども、朽目(くちめ)、塩竃、二貫などぞ聞こゆる。水龍(すゐろう)、小水龍(こすゐろう)、宇陀の法師、釘打、葉二つ、何くれなど、おほく聞き しかど忘れにけり。「宜陽 殿(ぎやうでん)の一の棚に」といふ言ぐさは頭の中将こそし給ひしか。


90 :094:(能098):上の御局の御簾の前にて

 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日琴笛吹き、遊びくらして、大殿油(おほとなぶら)まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油さし出でたれ ば、戸のあきたるが あらはなれば、琵琶の御琴をたたざまに持たせ給へり。紅の御衣ども、いふ<も>[に]世の常なる袿(うちき)、また張りたるどもなどをあまた 奉りて、いと黒うつやや かなる琵琶に、御袖を打ち掛けて、とらへさせ給へるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじう白うめでたくけざやかにて、はづれさせ給へる <は、たとふべき方ぞなきや。近くゐ給へる> 人[々]にさし寄りて、「『なか<ば>隠したり』けむ、えかくはあらざりけむかし。あれはただ人にこそはありけめ」といふを、道も なきにわけまゐりて申せば、笑はせ給ひて、「『別れ』は知りたりや」となむ仰せらるるも、いとをかし。


91 :095:(能100):ねたきもの

 ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、 針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。

 南の院におはします頃、「とみの御物なり。誰も誰もと、時かはさずあまたして縫ひてまゐらせよ」とて、たまはせたるに、南面に集まりて、御衣の片身づつ 誰かとく縫ふと、近くもむかはず、縫ふさまもいともの狂ほし。命婦の乳母(めのと)いととく縫ひはててうち置きつる、ゆだけの片の身を縫ひつるがそむきざ まなるを見つけで、とぢめもしあへず、まどひ置きて立ちぬるが、御背あはすれば、はやくたがひたりけり。笑ひののしりて、「はやく、これ縫ひなほせ」とい ふを、「誰あしう縫ひたりと知りてかなほさむ。綾などならばこそ裏を見ざらむ人もげにとなほさめ、無紋の御衣なれば何をしるしにてか、なほす人誰もあら む。まだ縫ひ給はぬ人になほさせよ」とて、聞かねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言、中納言の君などいふ人達、もの憂げに取りよせて縫ひ給ひしを、 見やりてゐたりしこそをかしかしりか。

 おもしろき萩・薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに掘りて往ぬるこそわびしうねたけれ。よろしき人などのある時は、 さもせぬものを、いみじう制すれども、「ただ少し」などうち言ひて往ぬる、いふかひなくねたし。

 受領などの家にも、ものの下部などの来てなめげに言ひ、さりとて我をばいかがせむなど思ひたる、いとねたげなり。

 見まほしき文などを、人の取りて、庭に下りて見立てる、いとわびしくねたく、追(お[も])ひて行けど、簾のもとにとまりて見立てる心地こそ、飛びも出 でぬべき心地 すれ。


92 :096:(能101):かたはらいたきもの

 かたはらいたきもの <よくも音(ね)弾きとどめぬ琴をよくも調べで心の限り弾きたてたる。> 客人(まらうど)などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言 など言ふを、えは制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひて同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは何ばかり<の人> ならねど、使ふ人 などだにいとかたはらいたし。旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。にくげなるちごを、己(おの)が心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、 これ が声のままに言ひたることなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人のものおぼえ声に人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬわが歌を人に語りて、人 のほめなどしたるよし言ふもかたはらいたし。


93 :097:(能102):あさましきもの

 あさましきもの 刺櫛(さしぐし)すりて磨くほどに、ものにつきさへて折りたる心地。車のうち覆(かへ)りたる。さるおほのかなるものは所せくやあらむ と思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。

 人のために、はづかしうあしきことをつつみもなく言ひゐたる。かならず来なむと思ふ人を夜一夜起きあかし待ちて、暁がたにいささかうち忘れて寝入りにけ るに、烏のいと近く「かか」と鳴くに、うち見上げたれば昼になりにける、いみじうあさまし。

 見すまじき人に、外(ほか)へ持て行く文見せたる。むげに知らず、見ぬことを、人のさし向ひて、あらがはすべくもあらず言ひたる。物うちこぼしたる心 地、いとあさまし。


94 :098:(能103):口惜しきもの

 口惜しきもの 五節(せち)[の]、御仏[の]名(ぶつみやう)に雪降らで、雨のかきくらし降りたる。節会(せちゑ)などに、さるべき御物忌(いみ)の あたりたる。い となみ、いつしかと待つことの、さはりあり、にはかにとまりぬる。あそびをもし、見すべきことありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いと口惜し。

 男も女も法師(ほふし)も、宮仕(づかへ)所などより、同じやうなる人もろともに寺へ<も>詣で、ものへも行くに、このましうこぼれ出で、 用意(よう い)、よく言はば、けしからず、あまり見苦(みぐる)しとも見つくべくぞあるに、さるべき人の、馬(むま)にても車にても行きあひ、見ずなりぬる、いと口 惜し。わびては、すきずきしき下衆(げす)などの、人などに語りつべからむをがなと思ふも、いとけしからず。


95 :099:(能104):五月の御精進のほど

 五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠(ぬりごめ)の<前の>二間(ふたま)なる所を、ことにしつらひたれば、例様(れいざま)な らぬもをかし。

 一日(ついたち)より雨がちに、曇り過ぐす。つれづれなるを、「ほととぎすの声たづねに行かばや」と言ふを、我も我もと出で立つ。賀茂の奥に、何さきと かや、七夕(たなばた)の渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞えし、「そのわたりになむ、ほととぎす鳴く」と人の言へば、「それは蜩(ひぐらし)なり」といふ 人もあり。「そこへ」とて、五日のあしたに、宮司(づかさ)に車の案内(あない)言ひて、北の陣より、「五月雨(さみだれ)は、とがめなきものぞ」とて、 さしよせ て、四人ばかりぞ乗りていく。うらやましがりて、「なほ今一つして、同じくは」などいへど、「まな」と仰(おほ)せらるれば、聞き入れず、情(なさけ)な きさまにて行くに、馬場(むまば)といふ所にて、人多くて騒ぐ。「何するぞ」と問へば、「手結(てつがひ)にて、真弓(まゆみ)射るなり。しばし御覧じて お はしませ」とて、車とどめたり。「左近の中将、みな着き給ふ」といへ<ど>[は]、さる人も見えず。六位など、立ちさまよへば、「ゆかしから ぬことぞ。はやく過ぎ よ」といひて、行(い)きもて行(ゆ)く。道も、祭の頃思ひ出でられてをかし。

 かくいふ所は、明順(あきのぶ)の朝臣の家なりけ<り>[る]。「そこもいざ見む」といひて車よせて下りぬ。田舎だち、ことそぎて、馬の絵 (かた)かきたる障子 (さうじ)、網代(あじろ)屏風、三稜草(みくり)の簾(すだれ)など、ことさらに昔のことを写したり。屋(や)のさまもはかなだち廊(らう)めきて端近 (はしぢ か)に、あさはかなれどをかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたるほととぎすの声を、口をし<う>[と]、御前に聞こしめさせ ず、さばかり慕ひつる人々 をと思ふ。「所につけては、かかる事をなむ見るべき」とて、稲といふものを取り出でて、若き下衆どものきたなげならぬ、そのわたりの家のむすめなど、ひき ゐて来て、五六人してこかせ、また見も知らぬくるべくもの二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくて笑ふ。ほととぎすの歌よまむとしつる、ま ぎれぬ。唐絵(からゑ)にかきたる懸盤(かけばん)して、もの食はせたるを、見入るる人もなければ、家のあるじ、「いとひなびたり。かかる所に来ぬる人 は、ようせずは、あるじ逃げぬばかりなど、責め出だしてこそ参るべけれ。無下にかくては、その人ならず」などいひて、取りはやし、「この下蕨(したわら び)は、手づから摘みつる」などいへば、「いかでか、さ女官などのやうに、着き並みてはあらむ」など笑へば、「さらば、取りおろして。例の、はひぶしにな らはせ給へる御前たちなれば」とて、まかなひ騒ぐ程に、「雨ふりぬ」といへば、急ぎて車に乗るに、「さて、この歌はここにてこそ詠まめ」などいへば、「さ はれ、道にても」などいひて、みな乗りぬ。

 卯の花のいみじう咲きたるを折りて、車の簾、かたはらなどにさしあまりて、おそひ・棟などに、長き枝を葺(ふ)きたるやうにさしたれば、ただ卯の花の垣 根(かきね)を牛に懸けたるとぞ見ゆる。供なる男(をのこ)どももいみじう笑ひつつ、「ここまだし、ここまだし」とさしあへり。

 人もあはなむと思ふに、更に、あやしき法師、下衆のいふかひなきのみ、たまさかに見ゆるに、いと口惜しくて、近く来ぬれど、「いとかくてやまむは。この 車のありさまぞ、人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿の程にとどめて、「侍従殿やおはします。ほととぎすの声聞きて、今なむ帰る」と言はせたる、使(つ かひ)「『只今まゐる。しばし、あが君』となむのたまへる。侍(さぶらひ)に間(ま)拡げておはしつる、急ぎ立ちて、指貫奉りつ」といふ。「待つべきにも あらず」とて、走らせて、土御門(つちみかど)ざまへやるに、いつの間にか装束(さうぞ)きつらむ、帯(<お>[思]び)は道のままにゆひ て、「しばし、しばし」と<追>[思]ひ来 る。供に侍三四人ばかり、ものもはかで走るめり。「とく遣れ」と、いとどいそがして、土御門に行き着きぬるにぞ、あへぎまどひておはして、この車のさまを いみじう笑ひ給ふ。

 「うつつの人の乗りたるとなむ、更に見えぬ。猶下りて、見よ」など笑ひ給へば、供に走りつる人ども<も>[に]興(きよう)じ笑ふ。「歌は いかが。それ聞かむ」と のたまへば、「今、御前に御覧ぜさせて後こそ」などいふ程に、雨まこと<に>降りぬ。「などか、こと御門(みかど)々々のやうにもあらず、 <この>土御門しも、かう上(<う>へ)もなくしそめけむと、今日(けふ)こそいとにくけれ」などいひて、「いかで<帰 >らむとすらむ。こなたざまは、ただおくれじと思ひつるに、人目も知らず走 られつるを、奥(あう)行かむことこそ、いとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし、内裏(うち)へ」といふ。「烏帽子(えぼうし)にては、いかで か」「取りにやり給へかし」などいふに、まめやかに降れば、笠<も>[り]なき男(をのこ)ども、ただ引きに引き入れつ。一条殿より笠持て来 たるを、ささせて、うち見 かへりつつ、こたみはゆるゆると物憂げにて、卯の花ばかりを取りておはするもをかし。

 さて、参りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。恨みつる人<々>[に]、怨(ゑん)じ、心憂がりながら、藤侍従(とうじじゆう)の一条の大路 走りつる語るにぞ、みな 笑ひぬる。「さて、いづら、歌は」と問はせ給へば、「かうかう」と啓すれば、「口惜しの事や。上(うへ)人などの聞かむに、いかでか、つゆをかしきことな くてはあらむ。その聞きつらむ所にて、きとこそはよまましか。あまり儀式(ぎしき)定めつらむこそ怪しけれ。ここにてもよめ。<い>[は]と いふかひなし」などのたまは すれば、げにと思ふに、いとわびしきを、言ひあはせなどする程に、<藤>[頭]侍従、ありつる花につけて、卯の花の薄様(うすやう)に書きた り。この歌おぼえず。こ れが返し、まづせむなど、硯取りに局にやれば、「ただ、これして疾(と)くいへ」とて、御硯<の>蓋に紙などして、たまはせたる。「宰相の 君、書き給へ」とい ふを、「なほ、そこに」などいふ程に、かきくらし雨降りて、神いとおそろしう鳴りたれば、物も覚えず、ただおそろしきに、御格子まゐり渡し、惑ひし程に、 このことも忘れぬ。

 いと久しう鳴りて、少しやむほどには暗うなりぬ。「只今、なほこの返事(かへりごと)奉らむ」とて、取りむかふに、人々・上達部など、神の事申しにまゐ り給へれば、西面に出でゐて、物聞えなどするにまぎれぬ。こと人はた、さして得たらむ人こそせめとて、やみぬ。なほこの事に宿世(すくせ)なき日なめりと くんじて、「今はいかで、さなむ行きたりしとだに、人におほく聞かせじ」など笑ふ。「今もなどか、その行きたりし限りの人どもにて、言はざらむ。されど、 させじと思ふにこそ」と、物しげなる御けしきなるも、いとをかし。「されど、今は、すさまじうなりにて侍るなり」と申す。「すさまじかべき事かは」などの たまはせしかど、さてやみにき。

 二日ばかりありて、その日のことなど言ひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ、『手づから折りたり』と言ひし下蕨は」とのたまふを、聞かせ給ひて、「思ひ出 づる事のさまよ」と笑はせ給ひて、紙の散りたるに、
  下蕨こそ恋しかりけれ
と書かせ給ひて、「本(もと)言へ」と仰せらるるも、いとをかし。
  ほととぎすたづねて聞きし声よりも
と書きて参らせたれば、「いみじう受けばりたり。かうだに、いかで、ほととぎすのことを<かけ>[書]つらむ」とて、笑はせ給ふもはづかしな がら、「何か。この歌よ み侍らじとなむ思ひ侍るを。ものの折など、人のよみ侍らむにも、『よめ』など仰せら<る>れば、えさ<ぶ>らふまじき心地なむし 侍る。いと、いかがは、文字の数知 らず、春は冬の歌、秋は梅<の>花の歌などをよむやうは侍らむ。<さ>[な]れど、歌よむと言はれし末々は、少し人よりまさり て、『その折の歌はこれこそありけれ。さは 言へど、それが子なれば』など言はればこそ、かひある心地もし侍らめ、つゆ取り分きたる方もなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初(さい そ)によみ出で侍らむ、亡き人のためにもいとほしう侍る」と、まめやかに啓すれば、笑はせ給ひて、「さらば、ただ心にまかせ<よ>。我[ら] はよめとも言はじ」との たまはすれば、「いと心やすくなり侍りぬ。今は、歌のこと思ひかけじ」など言ひてある頃、庚申(かうじん)せさせ給ふとて、内(うち)の大殿(おほいど の)、いみじう心まうけせさせ給へり。

 夜うち更くる程に、題出して、女房<に>も歌よませ給ふ。みなけしきばみ、ゆるがし出だすも、宮の御前近くさぶらひて、もの啓しなど、こと 事をのみ言ふを、 大臣(おとど)御覧じて、「など、歌はよまで、むげに離れゐたる。題取れ」と<の>[て]たまふを、「さる事うけたまはりて、歌よみ侍るまじ うなりて侍れば、思ひか け侍らず」と申す。「ことやうなる事。まことにさることやは侍る。などか、さは許させ給ふ。いとあるまじきことなり。よし、こと時は知らず、今宵はよめ」 など、責め給へど、け<ぎ>[に]よう聞きも入れで候ふに、みな人々よみ出だして、よしあし[と]など[さだ]定めらるる程に、いささかなる 御文を書きて、投<げ>[り]たまはせたり。見れ ば、

  元輔が後(のち)と言はるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる

とあるを見るに、をかしきことぞたぐひなきや。いみじう笑へば、「何事ぞ、何事ぞ」と大臣も問ひ給ふ。
 
 「その人の後(のち)と言はれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし

つつむこと候はずは、千の歌なりと、これよりなむ出でまうで来(こ)まし」と啓しつ。


96 :100:(能なし):職におはします頃

 職におはします頃、八月十余日の月明かき夜、右近の内侍に琵琶ひかせて、端近くおはします。これかれもの言ひ、笑ひなどするに、廂の柱に寄りかかりて、 物も言はで候へば、「など、かう音もせぬ。ものいへ。さうざうしきに」と仰せらるれば、「ただ秋の月の心を見侍るなり」と申せば、「さも言ひつべし」と仰 せらる。


97 :101:(能105):御方々、君達、上人など

 御方々、君達、上人など、御前(おまへ)に人のいとおほく候へば、廂の柱によりかかりて、女房と物語などしてゐたるに、物を投げたまはせたる、あけて見 たれば、「思ふべしや、いなや。人、第一ならずはいかに」と書かせ給へり。

 御前にて物語などするついでにも、「すべて、人に一に思はれずは、何にかはせむ。ただいみじう、なかなかにくまれ、あしうせられてあらむ。二三にては死 ぬともあらじ。一にてをあらむ」などいへば、「一乗の法ななり」など、人々も笑ふことのすぢなめり。

 筆、紙などたまはせたれば、「九品蓮台の間には、下品(げぼん)といふとも」など、書きて参らせたれば、「むげに思ひ屈(くん)じにけり。いとわろし。 言ひとぢめつることは、さてこそあらめ」とのたまはす。「それは、人にしたがひてこそ」と申せば、「そがわるきぞかし。第一の人に、また一に思はれむとこ そ思はめ」と仰せらるるも、をかし。


98 :102:(能106):中納言殿まゐり給ひて

 中納言殿まゐり給ひて、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、求め侍 るなり」と申し給ふ。「いかやうにかある」と問ひ聞こえさせ給へば、
「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と言高くのたまへば、「さては扇のにはあらで、 海月(くらげ)のななり」と聞こゆれば、「これは隆家が言にしてむ」とて、笑ひ給ふ。

 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ」と言へば、いかがはせむ。


99 :103:(能107):雨のうちはへ降る頃

 雨のうちはへ降る頃、今日も降るに、御使にて、式部の丞信経(のぶつね)参りたり。例のごと褥(しとね)さし出でたるを、常よりも遠くおしやりてゐたれ ば、「誰が料ぞ」といへば、笑ひて、「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきて、いと不便(ふびん)に、きたなくなり侍りなむ」といへば、「など。せんぞく 料にこそはならめ」といふを、「これは御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が足がたのことを申しざらましかば、えのたまはざらまし」と、かへすがへす 言ひしこそをかしかりしか。

 「はやう、中后(なかきさい)の宮にゑぬたきと言ひて名高き下仕(しもづかへ)なむありける。美濃の守にてうせにける藤原の時柄、蔵人なりける折に、下 仕どものある所にたちよりて、『これやこの高名のゑぬたき、などさも見えぬ』と言ひける、いらへに、『それは、時柄にさも見ゆるならむ』と言ひたりけるな む、『かたきに選りても、さることはいかでからむ』と上達部・殿上人まで興あることにのたまひける。またさりけるなめり、今日までかく言ひ伝ふるは」と聞 こえたり。「それまた時柄が言はせたるなめり。すべてただ題がらなむ、文も歌もかしこき」といへば、「げにさもあることなり。さは、題出ださむ。歌よみ給 へ」といふ。

 「いとよきこと」といへば、「御前(ごぜん)に同じくは、あまたをつかうまつらむ」なんどいふほどに、御返し出で来ぬれば、「あな、おそろし。まかり逃 ぐ」と言ひて出でぬるを、「いみじう真名(まな)も仮名(かんな)もあしう書くを、人笑ひなどする、かくしてなむある」といふもをかし。

 作物所(つくもどころ)の別当する頃、誰がもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵やうやるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる真名(ま んな)のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、そのかたはらに、「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあべけれ」とて殿上にやりたれば、人 々取りて見ていみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。

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100 :104:(能108):淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど

 淑景舎(しげいさ)、春宮に参り給ふほどのことなど、いかがめでたからぬことなし。正月十日にまゐり給ひて、御文などはしげうかよへど、まだ御対面はな きを、二月十余日宮の御方に渡り給ふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房など皆用意したり。夜中ばかりに渡らせ給ひしか ば、いくばくもあらで明けぬ。

 登華殿(とうくわでん)の東(ひんがし)の二間(ふたま)に御しつらひはしたり。殿(=道隆)、上(=北の方)、暁に一つ御車にて参り給ひにけり。つと めて、いと疾く御格子まゐりわたして、宮は御曹司(みざうし)の南に四尺の屏風、西東(にしひがし)に御座(おまし)しきて、北向に立てて、御畳の上に御 褥(しとね)ばかり置きて、御火桶参れり。御屏風の南、御帳(みちやう)の前に、女房いと多く候ふ。

 まだこなたにて御髪(みぐし)など参るほど、「淑景舎は見奉りたりや」と問はせ給へば、「まだ、いかでか。お車よせの日、ただ御後ろばかりをなむ、はつ かに」と聞こゆれば、「その柱と屏風とのもとに寄りて、我が後ろよりみそかに見よ。いとをかしげなる君ぞ」とのたまはするに、嬉しく、ゆかしさまさりて、 いつしかと思ふ。

 紅梅の固紋(かたもん)、浮紋(うきもん)の御衣ども、紅の打ちたる、御衣(ぞ)三重(みへ)が上にただ引き重ねて奉りたる。「紅梅には、濃き衣こそを かしけれ、え着ぬこそ口惜しけれ。今は紅梅のは着でもありぬべしかし。されど、萌黄などの憎ければ、紅には合はぬか」などのたまはすれど、只いとめでたく 見えさせ給ふ。奉る御衣の色ことに、やがて御かたちの匂ひ合はせ給ふぞ、なほ他(こと)よき人(=妹君)も、かうやはおはしますらむとぞ、ゆかしき。

 さて、ゐざり入らせ給ひぬれば、やがて御屏風に添ひつきて覗くを、「あしかめり、後ろめたきわざかな」と聞こえごつ人々もをかし。障子のいと広うあきた れば、いとよく見ゆ。上は、白き御衣ども紅の張りたる二つばかり、女房の裳なめり、引きかけて、奥に寄りて東向(ひんがしむき)におはすれば、ただ御衣な どぞ見ゆる。淑景舎は北に少し寄りて、南向におはす。紅梅いとあまた濃く薄くて、上に濃き綾の御衣、少し赤き小袿、蘇枋(すはう)の織物、萌黄のわかやか なる固紋の御衣奉りて、扇をつとさし隠し給へる、いみじう、げにめでたく美しと見え給ふ。殿は薄色の御直衣、萌黄の織物の指貫、紅の御衣ども、御紐さし て、廂の柱に後ろを当てて、こなた向きにおはします。めでたき御有様を、うち笑みつつ、例の戯言(たはぶれごと)せさせ給ふ。淑景舎のいとうつくしげに絵 に書いたるやうにゐさせ給へるに、宮はいとやすらかに、今少し大人びさせ給へる御けしきの、紅の御衣にひかり合はせ給へる、なほ類ひはいかでかと見えさせ 給ふ。

 御手水(てうづ)まゐる。彼の御方のは、宣耀殿(せんえうでん)、貞観殿(ぢやうぐわんでん)を通りて、童女二人下仕(しもづかへ)四人して持てまゐる めり。唐廂(からびさし)のこなたの廊(らう)にぞ女房六人ばかり候ふ。狭(せば)しとて、片方(かたへ)は御送りして、皆帰りにけり。桜の汗衫、萌黄、 紅梅などいみじう、汗衫長く引きて、取り次ぎまゐらする、いとなまめかし。織物の唐衣どもこぼれ出でて、相尹(すけまさ)の馬の頭(かみ)のむすめ、小 将、北野宰相の女、宰相の君などぞ近うはある。をかしと見るほどに、こなたの御手水は、番(ばん)の釆女(うねめ)の青裾濃(すそご)の裳、唐衣、裙帯 (くんたい)、領巾(ひれ)などして、面(おもて)いと白くて、下など取り次ぎまゐるほど、これはた公(おほやけ)しう唐めきてをかし。

 御膳(おもの)のをりになりて、御髪(みぐし)あげまゐりて、蔵人(=女官)ども御まかなひ(=陪膳)の髪(かみ)あげてまゐらする程は、隔てたりつる 御屏風も押し開けつれば、垣間見(かいまみ)の人、隠れ見の人、隠れ蓑とられたる心地して、飽かず侘びしければ、御簾(みす)と几帳との中にて、柱の外 (と)よりぞ見奉る。衣の裾(すそ)、裳などは、御簾の外(と)にみな押し出されたれば、殿、端の方より御覧じ出だして「あれは誰(た)そや、彼の御簾の 間より見ゆるは」と咎めさせ給ふに、「少納言が物ゆかしがりて侍るならむ」と申させ給へば、「あな、はづかし。かれ(=彼女)は故(ふる)き得意(=知り 合ひ)を。いと憎げなる女ども持たりともこそ見侍れ」などのたまふ御けしき、いとしたり顔なり。

 あなた(=淑景舎)にも御膳まゐる。「うらやましう、方々の、みなまゐりぬめり。疾く聞こし召して、翁(おきな)、嫗(おんな)に御おろしをだに給へ」 など、ただ日一日(ひとひ)、ただ猿楽言(さるがうごと)をのみし給ふ程に、大納言殿(=伊周)、三位中将(=隆家)、松君(=伊周の子)ゐてまゐり給へ り。殿いつしかと抱(いだ)き取り給ひて、膝に据ゑ奉り給へる、いと美し。せばき縁(えん)に所せき御装束(さうぞく)の下襲(したがさね)引き散らされ たり。大納言殿は物々しう清げに、中将殿はいと労々じう、いづれもめでたきを見奉るに、殿をばさるものにて、上の御宿世(すくせ)こそいとめでたけれ。 「御円座(わらふだ)」など(=道隆が)聞こえ給へど、「陣に着き侍るなり」とて、急ぎ立ち給ひぬ。

 しばしありて、式部の丞(ぞう)なにがし御使に参りたれば、御膳やどりの北に寄りたる間に褥さし出だしてすゑたり、御返し今日は疾く出させ給ひつ。まだ 褥も取り入れぬほどに、春宮の御使に周頼(ちかより)の少将参りたり。御文取り入れて、渡殿は細き縁なれば、こなたの縁にこと褥さし出だしたり。御文取り 入れて、殿、上、宮など御覧じわたす。「御返しはや」とあれど、とみにも聞こえ給はぬを、「なにがしが見侍れば、書き給はぬなめり。さらぬをりは、これよ りぞ間もなく聞こえ給ふなる」など申し給へば、御おもては少し赤みて、うちほほゑみ給へる、いとめでたし。「まことに、とく」など上も聞こえ給へば、奥に 向きて書い給ふ。上、近う寄り給ひて、もろともに書かせ奉り給へば、いとどつつましげなり。

 宮の方より萌黄の織物の小袿、袴おし出でたれば、三位の中将かづけ給ふ。頸苦しげに思ひて、持ちて立ちぬ。

 松君のをかしうもののたまふを、たれもたれも、うつくしがり聞こえ給ふ。「宮の御みこたちとて、ひき出でたらむに、わるく侍らじかし」などのたまはする を、げになどかさる御事の今までとぞ心もとなき。

 未(ひつぢ)の時ばかりに、「筵道(えんだう)まゐる」と言ふ程もなく、うちそよめき入らせ給へば、宮もこなたに入らせ給ひぬ。やがて御帳に入らせ給ひ ぬれば、女房もみな南面(おもて)にみなそよめき往ぬめり。廊(らう)に殿上人いと多かり。殿の御前に宮司めして「くだもの・さかななど召させよ。人々酔 はせ」など仰(おほ)せらる。まことに皆酔ひて、女房と物言ひ交はすほど、かたみにをかしと思ひたり。

 日の入るほどに起きさせ給ひて、山の井の大納言召し入れて、御袿まゐらせ給ひて、帰らせ給ふ。桜の御直衣に紅の御衣の夕映(ゆふば)えなども、かしこけ れば、とどめつ。山の井の大納言は入り立たぬ御兄人(せうと)にては、いとよくおはするぞかし。匂ひやかなる方は、この大納言にもまさり給へるものを、か く 世の人は切(せち)に言ひ落とし聞こゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山井も、三位の中将、内蔵(くら)の頭(かみ=頼親)など皆さぶらひ給ふ。宮のぼ らせ給ふべき御使にて、馬の内侍のすけ参りたり。「今宵は、えなむ」などしぶらせ給ふに、殿聞かせ給ひて、「いとあしき事。早(はや)のぼらせ給へ」と申 させ給ふに、春宮の御使しきりてある程、いと騒がし。御迎(むかへ)に、女房、春宮の侍従などいふ人も参りて、「疾く」とそそのかし聞こゆ。「まづ、さは かの君わたし聞こえ給ひて」とのたまはすれば、「さりとも、いかでか」とあるを、「見送り聞こえむ」などのたまはするほどにも、いとめでたくをかし。「さ らば遠きをさきにすべきか」とて、まづ淑景舎渡り給ひふ。殿など帰らせ給ひてぞ、のぼらせ給ふ。道の程も、殿の御猿楽言(さるがうごと)にいみじく笑ひ て、殆(ほとほと)打橋(うちはし)よりも落ちぬべし。

101 :105:(能109):殿上より、梅のみな散りたる枝を

 殿上より、梅のみな散りたる枝を、「これはいかが」と言ひたるに、ただ、「早く落ちにけり」といらへたれば、その詩を誦じて殿上人黒戸にいとおほくゐた る、上の御前に聞こしめして、「よろしき歌など詠みて出だしたらむよりは、かかることはまさりたりかし。よくいらへたり」と仰せられき。


102 :106:(能110):二月つごもり頃に

 二月つごもり頃に、風いたう吹きて空いみじう黒きに、雪少しうち散りたるほど、黒戸に主殿司来て、「かうて候ふ」と言へば、寄りたるに、「これ、公任の 宰相殿の」とてあるを、見れば、懐紙に、

  少し春ある心地こそすれ

とあるは、げに今日のけしきにいとようあひたる、これが本はいかでかつくべからむ、と思ひわづらひぬ。「たれたれか」と問へば、「それそれ」といふ。みな いと恥づかしきなかに、宰相の御答(いら)へを、いかでかことなしびに言ひ出でむ、と心一つに苦しきを、御前に御覧ぜさせむとすれど、上のおはしまして御 殿籠りたり。主殿司は、「とくとく」と言ふ。げに遅うさへあらむは、いと取りどころなければ、さはれとて、

  空寒み花にまがへて散る雪に

と、わななくわななく書きて取らせて、いかに思ふらむ、わびし。これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじとおぼゆるを、「俊賢(としかた)の 宰相など、『なほ、内侍に奏してなさむ』となむ定め給ひし」とばかりぞ、左兵衛の督の、中将におはせし、語り給ひし。


103 :107:(能111):はるかなるもの

 はるかなるもの 半臂の緒ひねる。陸奥国へ行く人、逢坂越ゆる程。生れたるちごの、大人になる程。<大般若の読経、一人してはじめたる。>


104 :108:(能113):方弘は、いみじう人に笑はるるものかな

 方弘(まさひろ)はいみじう人に笑はるる者かな。親などいかに聞くらむ。供にありく者のいと美々(び<び>[さ])しきを呼びよせて、「何 しにかかる者には使はるるぞ。いかがおぼゆる」など笑ふ。ものいとよく為(す)るあたりにて、下襲の色、袍(うへのきぬ)なども、人よりよくて着たるをば 紙燭さしつけ焼き、あるは、「これをこと人に着せばや」などいふに。げにまた言葉遣ひなどぞあやしき。里に宿直物取りにやるに、「男(をのこ)二人まか れ」といふを、「一人して取りにまかりなむ」といふ。「あやしの男(をのこ)や。一人して二人が物をばいかで持たるべきぞ。一升瓶(ひとますがめ)に二升 (ふたます)は入るや」といふを、なでふことと知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人の使の来て、「御返り事とく」といふを、「あな、にくの男や。などかう まどふ。竈(かまど)に豆やくべたる。この殿上の墨・筆は何者の盗み隠したるぞ。飯(いひ)、酒ならばこそ人もほしがらめ」といふを、また笑ふ。

 女院(=天皇の母)悩ませ給ふとて、御使に参りて帰りたるに、「院の殿上には誰々かありつる」と人の問へば、「それかれ」など、四五人(よたりいつた り)ばかりいふに、「また誰か」と問へば、「さて往ぬる人どもぞありつる」といふも、笑ふも、またあやしきことにこそはあらめ。人間(ひとま)により来 て、「わが君(き)こそ。ものきこえむ。まづと人ののたまひつることぞ」といへば、「何事ぞ」とて、几帳のもとにさしよりたれば、「むくろごめにより給 へ」と言ひたるを、「五体ごめ」となむ言ひつるとてまた笑はる。

 除目の中の夜、さし油するに、灯台の打敷(うちしき=敷物)を踏みて立てるに、あたらしき油単(ゆたん=打敷)に襪(したうづ=足袋)はいとよくとらへ られにけり。さしあゆみて帰へれば、やがて灯台は倒れぬ。襪に打敷つきて行くに、まことに大地震動したりしか。頭(=蔵人の頭)着き給はぬ限りは、殿上の 台盤には人もつかず。それに、豆一盛りをやをら取りて、小障子の後ろにて食ひければ、引きあらはして笑ふこと限りなし。


105:109:(能320):見苦しきもの

 見苦しきもの 衣の背縫、肩によせて着たる。また、のけ頸したる。例ならぬ人の前に子負ひて出で来たる者。法師、陰陽師の、紙冠(かみかぶり)して祓 (はら)へしたる。色黒うにくげなる女の鬘(かづら)したると、鬚がちに、かじけやせやせなる男と夏昼寝したるこそいと見苦しけれ。何の見るかひにてさて 臥(ふ)いたるならむ。夜などはかたちも見えず、またみなおしなべてさることとなりにたれば、我はにくげなるとて起きゐるべきにもあらずかし。さてつとめ てはとく起きぬる、いとめやすしかし。夏昼寝して起きたるは、よき人こそ今少しをかしかなれ、えせかたちはつやめき、寝腫れて、ようせずは、頬ゆがみもし ぬべし。かたみにうち見かはしたらむほどの生けるかひなさや。

 やせ、色黒き人の生絹(すずし)の単衣(ひとへ)着たる、いと見苦しかし。


106 :110:(能309):いひにくきもの

 言ひにくきもの 人の消息の中に、よき人の仰せ言(ごと)などのおほかるを、はじめより奥までいと言ひにくし。はづかしき人の物など遣(おこ)せたる返 りごと。大人になりたる子の思はずなることなどを聞くに、前にては言ひにくし。


107 :111:(能114):関は

 関は 逢坂。須磨の関。鈴鹿の関。岫田(くきた)の関。白河の関。衣の関。ただごえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそおぼゆれ。横はしりの関。 清見が関。みるめの関。よしよしの関こそ、いかに思ひ返したるならむと、いと知らまほしけれ。それを勿来(なこそ)の関といふにやあらむ。逢坂などを、さ て思ひ返したらむは、わびしかりなむかし。


108 :112:(能115):森は

 森は 浮田の森。うへ木の森。岩瀬の森。たちぎきの森。


109 :113:(能なし):原は

 原は あしたの原。粟津の原。篠原。萩原。園原。


110 :114:(能116):うづきのつごもりがたに

 四月(うづき)のつごもりがたに、初瀬に詣でて淀の渡りといふものをせしかば、舟に車をかきすゑて行くに、菖蒲・菰(こも)などの末の短かく見えしを取 らせたれば、いと長かりけり。菰積みたる舟のありくこそ、いみじうをかしかりしか。「高瀬の淀に」とは、これをよみけるなめりと見えて。三日帰りしに、雨 の少し降りしほど、菖蒲刈るとて、笠のいと小さき着つつ、脛(はぎ)いと高き男童(をのこわらは)などのあるも、屏風の絵に似て、いとをかし。


111 :115:(能118):つねよりことにきこゆるもの

 常よりことに聞こゆるもの 正月の車の音。また、鳥の声。暁のしはぶき。物の音はさらなり。


112 :116:(能119):絵にかきおとりするもの

 絵にかき劣りするもの なでしこ。菖蒲。桜。物語にめでたしと言ひたる男・女のかたち。


113 :117:(能120):かきまさりするもの

 描きまさりするもの 松の木。秋の野。山里。山路(やまみち)。


114 :118:(能121,122)冬はいみじう寒き

 冬は いみじう寒き。夏は 世に知らず暑き。


115 :119:(能123):あはれなるもの

 あはれなるもの 孝ある人の子。よき男の若きが、御嶽(みたけ)精進したる。たてへだてゐて、うちおこなひたる暁の額(ぬか)いみじうあはれなり。むつ まじき人などの、目さまして聞くらむ、思ひやる。詣づる程のありさま、いかならむなど、つつしみおぢたるに、たひらかに詣で着きたるこそいとめでたけれ。 烏帽子のさまなどぞ、少し人[の]わろき。なほいみじき人と聞こゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ。

 右衛門の佐(すけ)のたま孝(のぶたか)と言ひたる人は、「あぢきなき事なり。ただ清き衣を着て詣でむに、なでふ事かあらむ。必ずよも『あやしうて詣で よ』と、御嶽さらにのたまはじ」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖(あを)、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が、主殿の亮 (すけ)なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、帰る人も今詣づるも、めづらしう、あやしき事 に、すべて、むかしよりこの山に、かかる姿の人見えざりつ、と、あさましがりしを、四月一日に帰りて、六月十日の程に、筑前の守の死せしに、なりたりしこ そ、げに言ひにけるにたがはずもときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。

 男も女も、若く清げなるが、いと黒き衣着たるこそあはれなれ。

 九月つごもり、十月一日の程に、ただあるかなきかに聞きつけたるきりぎりすの声。鶏の、子いだきてふしたる。秋深き庭の浅茅に、露の、色々の玉のやうに ておきたる。夕暮れ暁に、河竹の風に吹かれたる、目さまして聞きたる。また、夜などもすべて。山里の雪。思ひかはしたる若き人の中の、せくかたありて、心 にもまかせぬ。


116 :120:(能124):正月に寺にこもりたるは

 正月に寺にこもりたるは、いみじう寒く、雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨うち降りぬるけしきなるは、いとわるし。清水などに詣でて局するほど、くれ 階(はし)のもとに車引きよせて立てたるに、帯ばかりうちしたる若き法師ばらの、足駄といふものをはきて、いささかつつみもなく下りのぼるとて、何ともな き経の端うち読み、倶舎(くさ)の頌(ず)など誦しつつありくこそ、所につけてはをかしけれ。わがのぼるは、いとあやふくおぼえて、かたはらによりて高欄 おさへなどして行くものを、ただ板敷などのやうに思ひたるもをかし。

 「御局して侍り。はや」といへば、沓ども持て来ておろす。衣うへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳、唐衣など、ことごとしく装束きたるもあり。深履 (ふかぐつ)・半靴(はうか)などはきて、廊のほど沓すり入るは、内わたりめきて、またをかし。

 内外(ないげ)許されたる若き男ども、家の子などあまた立ちつづきて、「そこもとは、落ちたる所侍り。あがりたり」など教へゆく。何者にかあらむ、いと 近くさしあゆみ、さいだつ者などを、「しばし。人おはしますに、かくはせぬわざなり」などいふを、げにと少し心あるもあり。また聞きも入れず、まづわれ仏 の御前にと思ひて行くもあり。局に入るほども、人のゐ並みたる前をとほり入らば、いとうたてあるを、犬防ぎのうち見入れたる心地ぞ、いみじうたふたく、な どてこの月頃詣でで過ぐしつらむと、まづ心もおこる。

 御[み]あかしの、常灯にはあらで、内にまた人のたてまつれるが、おそろしきまで燃えたるに、仏のきらきらと見え給へるは、いみじうたふときに、手ごと に文どもをささげて、礼盤にかひろぎ誓ふも、さばかりゆすり満ちたれば、取りはなちて聞きわくべきにもあらぬに、せめてしぼり出だしたる声々の、さすがに またまぎれずなむ。「千灯の御志(こころざし)は何がしの御ため」などは、はつかに聞こゆ。帯うちして拝み奉るに、「ここに、別当(<べと> [つか]う)候ふ」とて、樒(しきみ)の枝を折りもて来たるに、香(か)などのいとたふときもをかし。

 犬防のかたより法師より来て、「いとよく申し侍りぬ。幾日(いくか)ばかりこもらせ給ふべきにか。しかじかの人こもり給へり」など言ひ聞かせて往ぬる、 すなはち、火桶、菓子などもてつづかせて、半挿(はんざふ)に手水(てうづ)入れて、手もなき盥などあり。「御供の人は、かの坊に」など言ひて呼びもて行 けば、かはりがはりぞ行く。誦経の鐘の音など我がななりと聞くも、たのもしうおぼゆ。かたはらによろしき男のいと忍びやかに、額などつく、立居のほども心 あらむと聞こえたるが、いたう思ひ入りたるけしきにていも寝ずおこなふこそいとあはれなれ。うちやすむほどは、経を高うは聞こえぬほどに読みたるもたふと げなり。うち出でさせまほしきに、まいて洟(はな)などを、けざやかに聞きにくくはあらで、忍びやかにかみたるは、何事を思ふ人ならむ、かれをなさばやと こそおぼゆれ。

 日ごろこもりたるに、昼は少しのどやかにぞ、はやく(=以前)はありし。師の坊に、男ども、女、童など、みな行きて、つれづれなるも、かたはらに貝をに はかに吹き出でたるこそ、いみじうおどろかるれ。清げなる立文持たせたる男などの、誦経の物うち置きて、堂童子(だうどうじ)など呼ぶ声、山彦響きあひて きらきらしう聞こゆ。鐘の声響きまさりて、いづこのならむと思ふほどに、やむごとなきところの名うち言ひて、「御産(ごさん)たひらかに」など、げんげん しげに申したるなど、すずろにいかならむなどおぼつかなく念ぜらるかし。これはただなるをりのことなめり。正月などはただいとさわがしき。物望みなる人な ど、ひまなく詣づるを見るほどに、おこなひもし<や>らず。

 日うち暮るるほど詣づるは、こもるなめり。小法師ばらの、持ちあるくべうもあらぬ大(お<ほ>[に])屏風の高きを、いとよく進退して、畳 などをうち置くと見れば、ただ局(つぼね)に局立てて、犬防に簾(すだれ)さらさらとうち掛くる、いみじうしつきたり、やすげなり。そよそよとあまたおり 来て、大人だちたる人の、いやしからぬ声の忍びやかなるけはひして、帰る人にやあらむ、「そのことあやふし。火のこと制せよ」などいふもあなり。七つ八つ ばかりなる男児(をのこご)の、声愛敬づき、おごりたる声にて、侍の男(をのこ)ども呼びつき、ものなど言ひたる、いとをかし。また三つばかりなるちごの 寝おびれてうちしはぶきたるも、いとうつくし。乳母の名、母など、うち言ひ出でたるも、誰ならむと知らまほし。夜一夜ののしりおこなひ明かすに、寝も入ら ざりつるを、後夜(ごや)などはてて、少しうちやすみたる寝耳にその寺の仏の御経をいとあらあらしう、たふとくうち出で読みたるにぞ、いとわざとたふとく しもあらず、修行者(ずぎやうじや)だちたる法師の蓑うちしきたるなどが読むななりと、ふとうちおどろかれてあはれに聞こゆ。また、夜などはこもらで、人 々しき人の、青鈍の指貫の綿入りたる白き衣どもあまた着て、子供なめりと見ゆる若き男のをかしげなる、装束(さうぞ)きたる童べなどして(=と供にゐ て)、侍などやうの者どもあまたかしこまり囲繞(ゐねう)したるもをかし。かりそめに屏風ばかりを立てて、額など少しつくめり。顔知らぬは誰ならむとゆか し。知りたるはさなめりと見るもをかし。若き者どもはとかく局どものあたりに立ちさまよひて、仏の御かたに目も見入れ奉らず。別当など呼び出でて、うちさ さめき物語して出でぬる、えせ者とは見えず。

 二月つごもり、三月一日、花ざかりにこもりたるもをかし。清げなる若き男(<おの>こ)<ど>もの、主(しゆう)と見ゆる二三 人、桜の襖(あを=狩衣)、柳などいとをかしうて括(くく)りあげたる指貫の裾も、あてやかにぞ見なさるる。つきづきしき男(をのこ)に装束をかしうした る餌袋(ゑぶくろ=弁当)いだかせて、小舎人童ども、紅梅、萌黄の狩衣、いろいろの衣、おしすりもどろかしたる袴など着せたり。花など折らせて、侍めきて 細やかなる者など具して、金鼓(こんぐ)うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人もあれど、いかでかは知らむ。うち過ぎて往ぬるもさうざうしければ、「け しきを見せましものを」などいふもをかし。

 かやうにて、寺にも籠り、すべて例ならぬ所に、ただ使ふ人の限りしてあるこそ、かひなうおぼゆれ。なほ同じほどにて、一つ心に、をかしき事もにくきこと も様々に言ひあはせつべき人、かならず一人二人あまたも誘はまほし。そのある人のなかにも口惜しからぬもあれど、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこ そあらめ、わざとたづね呼びありくは。


117 :121:(能125,306)いみじう心づきなきもの

 いみじう心づきなきもの 祭・禊(みそぎ)などすべて男の物見るに、ただ一人乗りて見るこそあれ。いかなる心にかあらむ。やむごとなからずとも、若き男 (をのこ=召使ひ)などのゆかしがるをも引き乗せよかし。すき影にただ一人ただよひて心一つにまぼりゐたらむよ。いかばかり心せばく、けにくきならむとぞ おぼゆる。

 ものへ行き、寺へも詣づる日の雨。使ふ人などの、「我をばおぼさず。なにがしこそただ今の時の人」などいふを、ほの聞きたる。人よりは少しにくしと思ふ 人の、おしはかりごとうちし、すずろなるものうらみし、わがかしこなる。


118 :122:(能126):わびしげに見ゆるもの

 わびしげに見ゆるもの 六七月の午・未の時ばかりに、きたなげなる車にえせ牛かけてゆるがしいく者。雨降らぬ日、張り筵したる車。いと寒きをり、暑きほ どなどに、下衆女のなりあしきが子負ひたる。老いたる乞食(かたゐ)小さき板屋の黒うきたなげなるが雨にぬれたる。また、雨いたう降りたるに、小さき馬に 乗りて御前(ごぜん)したる人。冬はされどよし、夏は袍・下襲もひとつにあひたり。


119 :123:(能127):暑げなるもの

 暑げなるもの 随身の長の狩衣。衲(のふ)の袈裟。出居(いでゐ)の少将。いみじう肥えたる人の髪おほかる。六七月の修法の日中の時おこなふ阿闍梨。


120 :124:(能128):はづかしきもの

 はづかしきもの 男の心の内。いざとき夜居の僧。みそか盗人のさるべき隈(くま)にゐて見るらむをば、誰かは知らむ。暗きまぎれに忍びて物引き取る人も あらむかし。そはしも同じ心にをかしとや思ふらむ。

 夜居の僧は、いとはづかしきものなり。若き人の集まりゐて、人の上を言ひ笑ひ、そしりにくみもするを、つくづくと聞き集むる、いとはづかし。「あなうた て、かしがまし」など、御前近き人などのけしきばみいふをも聞き入れず、言ひ言ひのはてはみなうち解けて寝るも、いとはづかし。

 男は、うたて思ふさまならず、もどかしう心づきなき事などありと見れど、さし向ひたる人をすかし頼むるこそ、いとはづかしけれ。まして、情けあり、好ま しう、人に知られたるなどは、おろかなりと思はすべうももてなさずかし。心のうちにのみならず、またみなこれがことはかれに言ひ、かれが事はこれに言ひ聞 かすべかめるも、我が事をば知らで、かう語るはなほこよなきなめりと思ひやすらむ。いで、されば、少しも思ふ人にあへば、心はかなきなめりと見えて、いと はづかしうもあらぬぞかし。いみじうあはれに、心苦しう、見すてがたき事などを、いささか何とも思はぬも、いかなる心ぞとこそあさましけれ。さすがに人の 上をもどき、ものをいとよくいふさまよ。ことにたのもしき人なき宮仕人などをかたらひて、ただならずなりぬるありさまを、きよく知らでなどもあるは。


121 :125:(能129,100)むとくなるもの

 むとくなるもの 潮干の潟にをる大船。大きなる木の風に吹き倒されて、根をささげて横たはれ臥せる。えせ者の従者かうがへたる。人の妻などのすずろなる 物怨じなどして隠れたらむを、かならず尋ねさわがむものぞと思ひたるに、さしもあらずねたげにもてなしたるに、さてはえ旅だちゐたらねば、心と出で来た る。


122 :126:(能130):修法は

 修法は 奈良方(ならがた)。仏の護身(ごしん)どもなど、読み奉りたる、なまめかしうたふとし。


123 :127:(能131):はしたなきもの

 はしたなきもの こと人を呼ぶに、我がぞとてさし出でたる。ものなど取らするをりは、いとど。おのづから人の上などうち言ひ、そしりたるに、幼き子ども の聞き取りて、その人のあるに言ひ出でたる。

 あはれなることなど人の言ひ出でうち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。泣き顔つくり、けしき異 (こと)になせど、いとかひなし。めでたきことを見聞くには、まづただ出で来にぞ出で来る。


123 :128:(能131):八幡の行幸のかへらせ給ふに

 八幡の行幸のかへらせ給ふに、女院の御桟敷のあなたに御輿とどめて、御消息申させ給ひしなど、いみじくめでたく、さばかりの御ありさまにてかしこまり申 させ給ふが、世に知らずいみじきに、まことにこぼるばかり化粧じたる顔みなあらはれて、いかに見苦しからむ。宣旨の御使にて斉信(ただのぶ)の宰相の中将 の御桟敷へ参り給ひしこそ、いとをかしう見えしか。ただ随身四人、いみじう装束きたる、馬副(むまぞひ)の細く白くしたてたるばかりして、二条の大路の広 く清げなるに、めでたき馬をうちはやめて急ぎ参りて、少し遠くより下りて、傍(そば)の御簾の前に候ひ給ひしなど、いとをかし。御返り承(うけたまは)り て、また帰り参りて、御輿のもとにて奏し給ふほどなど、いふもおろかなり。

 さて、うちのわたらせ給ふを見奉らせ給ふらむ御心地、思ひやり参らするは、飛び立ちぬべくこそおぼえしか。それには長泣きをして笑はるるぞかし。よろし き人だになほ子のよきはいとめでたきものを、かくだに思ひ参らするもかしこしや。


124 :129:(能132):関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて

 関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて、女房の隙(ひま)なく候ふを、「あないみじのおもとたちや。翁をいかに笑ひ給ふらむ」とて、分け出でさせ給へば、戸 口近き人々いろいろの袖口して御簾引き上げたるに、権大納言の御沓取りてはかせ奉り給ふ。いとものものしく清げに、よそほしげに、下襲の裾(しり)長く引 き、所せくて候ひ給ふ。あなめでた大納言ばかりに沓取らせ奉り給ふよと見ゆ。山の井の大納言、その御次々のさならぬ人々、黒きものを引き散らしたるやう に、藤壺の塀のもとより登華殿の前までゐ並みたるに、細やかになまめかしうて、御佩刀(はかし)など引きつくろはせ給ひ、やすらはせ給ふに、宮の大夫(だ いぶ)殿は(=「は」を旺文社文庫は「を」としてゐる)戸の前に立たせ給へれば、ゐさせ給ふまじきなめりと思ふほどに、少し 歩み出でさせ給へば、ふとゐさせ給へりしこそ、なほいかばかりの昔の御おこ なひのほどにかと見奉りしこそ、いみじかりしか。

 中納言の君の、忌日とてくすしがりおこなひ給ひしを、「賜へ、その数珠しばし。おこなひして、めでたき身にならむ」と借るとて、集まりて笑へど、なほい とこそめでたけれ。御前に聞こしめして、「仏になりたらむこそは、これよりはまさらめ」とて、うち笑ませ給へるを、まためでたくなりてぞ見奉る。大夫殿の ゐさせ給へるを、かへすがへす聞こゆれば、「例の思ひ人」と笑はせ給ひし、まいて、この後(のち)の御ありさまを見たてまつらせ給はましかば、ことわりと おぼしめされなまし。


125 :130:(能133):九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の

 九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露はこぼるばかり濡れかかりたるも、いとをかし。透垣 の羅文(らもん)、軒の上などは、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。

 少し日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、露の落つるに、枝うち動きて、人も手触れぬに、ふと上(かみ)ざまへあがりたるも、いみじうをかしと言ひた ることどもの、人の心にはつゆをかしからじと思ふこそ、またをかしけれ。


126 :131:(能134):七日の日の若菜を

 七日の日の若菜を、六日人の持て来さわぎ、取り散らしなどするに、見も知らぬ草を子供の取り持て来たるを、「何とかこれをばいふ」と問へば、とみにも言 はず、「いさ」など、これかれ見あはせて、「耳無草となむいふ」といふ者のあれば、「むべなりけり。聞かぬ顔なるは」と笑ふに、またいとをかしげなる菊 の、生ひ出でたるを持て来たれば、

  つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあればきくもありけり

と言はまほしけれど、またこれも聞き入るべうもあらず。



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下巻の上(第127~218段.143段の次に「一本」1~28段あり)
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127 :132:(能135):二月、官の司に

 二月、官の司に定考(かうぢやう)といふことすなる、何事にかあらむ。孔子(くじ)などかけたてまつりてすることなるべし。聡明とて、上にも宮にも、あ やしきもののかたなど、かはらけに盛りてまゐらす。


128 :133:(能136):頭の弁の御もとより

 頭の弁(=行成)の御もとより、主殿司、ゑなどやうなるものを、白き色紙につつみて、梅の花のいみじう咲きたるにつけて持て来たり。ゑにやあらむと、急 ぎ取り入れて見れば、餅餤(べいだん)といふ物を二つ並べてつつみたるなりけり。添へたる立文には、解文(げもん)のやうにて、

 進上 餅餤一包
 例に依て進上如件
 別当 少納言殿

とて月日書きて、「みまなのなりゆき」とて、奥に、「このをのこはみづからまゐらむとするを、昼はかたちわろしとてまゐらぬなめり」と、いみじうをかしげ に書い給へり。御前(ぜん)に参りて御覧ぜさすれば、「めでたくも書きたるかな。をかしくしたり」などほめさせ給ひて、解文は取らせ給ひつ。「返り事いか がすべからむ。この餅餤持て来るには、物などや取らすらむ。知りたらむ人もがな」といふを、きこしめして、「惟仲(これなか)が声のしつるを。呼びて問 へ」とのたまはすれば、端に出でて、「左大弁(=惟仲)にもの聞こえむ」と侍して呼ばせたれば、いとよくうるはしくして来たり。「あらず、わたくし事な り。もし、この弁、少納言などのもとに、かかる物持て来る下部(しもべ)などは、することやある」といへば、「さることも侍らず。ただとめてなむ食ひ侍 る。何しに問はせ給ふぞ。もし、上官のうちにて得させ給へるか」と問へば、「いかがは」といらへて、返り事をいみじう赤き薄様に、「みづから持てまうで来 ぬ下部はいと冷淡なりとなむ見ゆめる」とて、めでたき紅梅につけて奉りたる、すなはちおはして、「下部候ふ。下部候ふ」とのたまへば、出でたるに、「さや うのもの、そらよみしておこせ給へると思ひつるに、美々しくも言ひたりつるかな。女の少し我はと思ひたるは、歌よみがましくぞある。さらぬこそ語らひよけ れ。まろなどに、さること言はむ人、かへりて無心ならむかし」などのたまふ。「則光、なりやすなど笑ひてやみにしことを、上の御前に人々いとおほかりける に、かたり申し給ひければ、『よく言ひたり』となむのたまはせし」とまた人の語りしこそ、見苦しき我ぼめどもをかし。


129 :134:(能137):などて、官得はじめたる六位の笏に

 「などて、官得はじめたる六位の笏に、職の御曹司の辰巳の隅の築土(ついひぢ)の板はせしぞ。さらば、西東(ひんがし)のをもせよかし」などいふことを 言ひ出でて、「あぢきなきことどもを。衣などにすずろなる名どもをつけけむ、いとあやし。衣のなかに、細長はさも言ひつべし。なぞ、汗衫は尻長といへか し」「男童(をのわらは)の着たるやうに、なぞ、唐衣(からぎぬ)は短衣(みじかきぬ)といへかし」「されど、それは唐土の人の着るも のなれば」「袍(うへのきぬ)、うへの袴は、さもいふべし。下襲よし。大口、またながさよりは口ひろければ、さもありなむ」「袴、いとあぢきなし。指貫 は、なぞ、足の衣とこそいふべけれ。もしは、さやうのものをば袋といへかし」など、よろづの事を言ひののしるを、「いで、あな、かしがまし。今は言はじ。 寝給ひね」といふ、いらへに、夜居の僧の、「いとわろからむ。夜一夜こそ、なほのたまはめ」と、にくしと思ひたりし声高(こはだか)にて言ひたりしこそ、 をかしかりしにそへておどろかれにしか。


130 :135:(能138):故殿の御ために

 故殿の御ために、月ごとの十日、経、仏など供養(くやう)せさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部、殿上人いとおほかり。清範、講 師にて、説くこと、はたいとかなしければ、ことにもののあはれ深かるまじき若き人々、みな泣くめり。

 果てて、酒飲み、詩誦しなどするに、頭の中将斉信の君の、「月秋と期して身いづくか」といふことをうち出だし給へりし、はたいみじうめでたし。いかで、 さは思ひ出で給ひけむ。

 おはします所に、わけ参るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじう、今日の料に言ひたりけることにこそあれ」とのたまはすれば、「それ啓し にとて、もの見さして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそおぼえ侍りつれ」と啓すれば、「まいて、さおぼゆらむかし」と仰せらる。

 わざと呼びも出で、逢ふ所ごとにては、「などか、まろを、まことに近く語らひ給はぬ。さすがににくしと思ひたるにはあらずと知りたるを、いとあやしくな むおぼゆる。かばかり年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに明暮なき折もあらば、何事をか思ひ出にせむ」とのたまへば、「さらなり。 かたかるべきことにもあらぬを、さもあらむ後には、えほめたてまつらざらむが口惜しきなり。上の御前などにても、やくとあづかりて、ほめ聞こゆるにいかで か。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、言ひにくくなり侍りなむ」といへば、「などて。さる人をしもこそ、よそ目(<よそ> め)より他(ほか)にほむるたぐひあれ」とのたまへば、「それがにくからずおぼえばこそあらめ。男も女も、けぢかき人思ひ、方(かた)引き、褒め、人のい ささかあしきことなどいへば腹立ちなどするが、わびしうおぼゆるなり」といへば、「たのもしげなのことや」とのたまふも、いとをかし。


131 :136:(能139):頭の弁の、職に参り給ひて

 頭の弁の、職に参り給ひて、物語などし給ひしに、夜いたうふけぬ。「あす御物忌なるにこもるべければ、丑になりなばあしかりなむ」とて、参り給ひぬ。

 つとめて、蔵人所の紙屋紙(かうやがみ)ひき重ねて、「今日は残りおほかる心地なむする。夜を通して、昔物語もきこえあかさむとせしを、にはとりの声に 催されてなむ」と、いみじうことおほく書き給へる、いとめでたし。御返りに、「いと夜深く侍りける鳥の声は、孟嘗君(まうさうくん)のにや」と聞こえたれ ば、たちかへり、「『孟嘗君のにはとりは、函谷関を開きて、三千の 客(かく)わづかに去れり』とあれども、これは逢坂の関なり」とあれば、

  夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ

心かしこき関守侍り」と聞こゆ。また、たちかへり、


  逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか

とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、取り給ひてき。後々のは御前に。

 さて、逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。「いとわろし。さて、その文は、殿上人みな見てしは」とのたまへば、「まことにおぼしけりと、これに こそ知られぬれ。めでたきことなど、人の言ひつたへぬは、かひなきわざぞかし。また、見苦しきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して、人につゆ見 せ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」といへば、「かくものを思ひ知りていふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく、あしうした り』など、例の女のやうにや言はむとこそ思ひつれ」など言ひて、笑ひ給ふ。「こはなどて。よろこびをこそきこえめ」などいふ。「まろが文を隠し給ひける、 また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。今よりも、さを頼みきこえむ」などのたまひて、のちに、 経房の中将おはして、「頭の弁はいみじう誉め給ふとは知りたりや。一日の文に、ありしことなど語り給ふ。思ふ人の人にほめらるるは、いみじううれしき」な ど、まめまめしうのたまふもをかし。「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また、思ふ人のうちに侍りけるをなむ」といへば、「それめづらしう、今 のことのやうにもよろこび給ふかな」などのたまふ。


132 :137:(能140):五月ばかり、月もなういと暗きに

 五月ばかり、月もなういと暗きに、「女房や候ひ給ふ」と声々して言へば、「出でて見よ。例ならず言ふは誰(たれ)ぞとよ」と仰せらるれば、「こは誰 (た)そ。いとおどろおどろしう、きはやかなるは」と言ふ。ものは言はで御簾をもたげて、そよろとさし入るる、呉竹なりけり。「おい、この君にこそ」と言 ひたるを聞きて「いざいざ、これまづ殿上に行きて語らむ」とて、式部卿の宮の源中将、六位どもなどありけるは往(い)ぬ。

 頭の弁はとまり給へり。「あやしくても往ぬる者どもかな。御前(ごぜん)の竹を折りて、歌詠まむとてしつるを、『同じくは職(しき)に参りて女房など呼 び出できこえて』とて来つるに、呉竹の名をいととく言はれて往ぬるこそ、いとほしけれ。誰(た)が教へを聞きて、人のなべて知るべうもあらぬ事をば言ふ ぞ」など、のたまへば、「竹の名とも知らぬものを。なめしとやおぼしつらむ」と言へば、「まことに、そは知らじを」など、のたまふ。

 まめごとなども言ひあはせてゐ給へるに、「種(う)ゑてこの君と称す」と誦(ず)じて、また集まり来たれば「殿上にて言ひ期(き)しつる本意もなくて は、など、帰り給ひぬるぞとあやしうこそありつれ」とのたまへば、「さることには、何の答へをかせむ。なかなかならむ。殿上にて言ひののしりつるは。上も きこしめして興ぜさせおはしましつ」と語る。頭の弁もろともに、同じことを返す返す誦じ給ひて、いとをかしければ、人々、皆とりどりにものなど言ひ明し て、帰るとてもなほ、同じことを諸声に誦じて、左衛門の陣入るまで聞こゆ。

 つとめて、いととく、少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したりければ、下(しも)なるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば 「知らず。何とも知らで侍りしを、行成(ゆきなり)の朝臣(あそん)のとりなしたるにや侍らむ」と申せば、「とりなすとも」とて、うち笑ませ給へり。誰が 事をも「殿上人ほめけり」などきこしめすを、さ言はるる人をもよろこばせ給ふも、をかし。


133 :138:(能141):円融院の御はての年

 円融院の御はての年、みな人御服脱ぎなどして、あはれなることを、おほやけよりはじめて、院の人も、「花の衣に」など言ひけむ世の御ことなど思ひ出づる に、雨のいたう降る日、藤三位の局に、蓑虫のやうなる童の大きなる、白き木に立文をつけて、「これ奉らせむ」と言ひければ、「いづこよりぞ。今日明日は物 忌なれば、蔀もまゐらぬぞ」とて、下(しも)は立てたる蔀より取り入れて、「さなむ」とは聞かせ給へれど、「物忌なれば見ず」とて、上(かみ)についさし て置きたるを、つ とめて、手洗ひて、「いで、その昨日の巻数(くわんず)こそ」とて請ひ出でて、伏し拝みてあけたれば、胡桃色といふ色紙の厚肥えたるを、あやしと思ひてあ けもて行け ば、法師のいみじげなる手にて、

  これをだにかたみと思ふに都には葉がへやしつる椎柴の袖

と書いたり。いとあさましうねたかりけるわざかな。誰がしたるにかあらむ。仁和寺(にわじ)の僧正のにやと思へど、世にかかることのたまはじ。藤大納言ぞ かの院の別 当(べたう)にぞおはせしかば、そのし給へることなめり。これを、上の御前、宮などにとくきこしめさせばやと思ふに、いと心もとなくおぼゆれど、なほいと おそろしう言ひたる物忌し果てむとて、念じ暮らして、またつとめて、藤大納言の御もとに、この返しをして、さし置かせたれば、すなはちまた返ししておこせ 給へり。

 それを二つながら持て、急ぎ参りて、「かかることなむ侍りし」と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。宮ぞいとつれなく御覧じて、「藤大納言の手のさ まにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」など、いとまめやかにのたまはすれば、「さは、こは誰がしわざにか。好き好きしき 心ある上達部・僧綱などは誰かはある。それにや、かれにや」など、おぼめき、ゆかしがり、申し給ふに、上の、「このわたりに見えし色紙にこそいとよく似た れ」とうちほほ笑ませ給ひて、今一つ御厨子のもとなりけるを取りて、さしたまはせたれば、「いで、あな、心憂。これ仰せられよ。あな、頭痛や。いかで、と く聞き侍らむ」と、ただ責めに責め申し、うらみきこえて、笑ひ給ふに、やうやう仰せられ出でて、「使に行きける鬼童は、台盤所の刀自といふ者のもとなりけ るを、小兵衛がかたらひ出だして、したるにやありけむ」など仰せらるれば、宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「など、かくは謀らせおはしまししぞ。 なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝み奉りしことよ」と、笑ひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。

 さて、上の台盤所にても、笑ひののしりて、局に下りて、この童たづね出でて、文取り入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。「誰が文を、誰 か取らせし」といへど、ともかくも言はで、しれじれしう笑みて走りにけり。大納言、後に聞きて、笑ひ興じ給ひけり。


134 :139:(能142):つれづれなるもの

 つれづれなるもの 所避りたる物忌。馬下りぬ双六(すぐろく)。除目に司得ぬ人<の>家。雨うち降りたるは、まいていみじうつれづれなり。


135 :140:(能143):つれづれなぐさむもの

 つれづれなぐさむもの 碁。双六。物語。三つ四つのちごの、ものをかしういふ。また、いと小さきちごの、物語りし、たがへなどいふわざしたる。菓子(く だもの)。男などの、うちさるがひ、ものよくいふが来たるを、物忌みなれど、入れつかし。


136 :141:(能144):とり所なきもの

 とり所なきもの かたちにくさげに、心あしき人。みそひめのぬりたる。これいみじう、よろづの人のにくむなる物とて、今とどむ(=書くのをやめる)べき にあらず。また、あと火の火箸といふこと、などてか、世になきことならね ど、<みな人知りたらむ。げに書き出で、人の見るべきことにもあらねど、> この草子を、人の見るべきものと思はざりしかば、あやしきことも、にくきことも、ただ思ふことを書かむと思ひしなり。


137 :142:(能145):なほめでたきこと

 なほめでたきこと 臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽もいとをかし。

 春は、空のけしきのどかにうらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部司(かもんづかさ)の、畳をしきて、使は北向きに、舞人は御前のかたに向きて、これら は僻おぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重(ついがさね)取りて、前どもにすゑわたしたる。陪従(べいじう=楽人)も、その庭ばかりは御前にて出で入るぞ かし。公卿、殿上人、かはりがはり盃取りて、はてには屋久貝といふものして飲みて立つ、すなはち、とりばみといふもの、男(をのこ)などのせむだにいとう たてあるを、御前には、女ぞ出で取りける。おもひかけず、人あらむとも知らぬ火焼屋(ひたきや)より、にはかに出でて、おほくとらむと騒ぐものは、なかな かうちこぼし あつかふほどに、軽(かる)らかにふと取りて往ぬる者には劣りて、かしこき納殿(おさめどの)には火焼屋をして、取り入るるこそいとをかしけれ。掃部司の 者ども、畳とる やおそしと、主殿(とのもり)の官人、手ごとに箒(ははき)取りて砂(すなご)馴らす。

 承香殿(しようきやうでん)の前のほどに、笛吹き立て拍子(はうし)うちて遊ぶを、とく出で来なむと待つに、有度浜(うどはま)うたひて、竹の笆(ま せ)のもとにあゆみ出で て、御琴(みこと)うちたるほど、ただいかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう袖をあはせて、二人ばかり出で来て、西によりて向かひて立ち ぬ。つぎつぎ出づるに、足踏みを拍子にあはせて、半臂の緒つくろひ、冠・袍(きぬ)の領(くび)など、手もやまずつくろひて、「あやもなきこま山」などう たひて舞ひたるは、すべて、まことにいみじうめでたし。

 大輪(おほわ)など舞ふは、日一日見るともあくまじきを、果てぬる、いと口惜しけれど、またあべしと思へば、頼もしきを、御琴かきかへして、このたび は、やがて竹の後ろより舞ひ出でたるさまどもは、いみじうこそあれ。掻練のつや、下襲などの乱れあひて、こなたかなたにわたりなどしたる、いでさらに いへば世の常なり。

 このたびは、またもあるまじければにや、いみじうこそ果てなむことは口惜しけれ。上達部なども、みなつづきて出で給ひぬれば、さうざうしく口惜しきに、 賀茂の臨時の祭は、還立(かへりだち)の御神楽などにこそなぐさめらるれ。庭燎(にはび)の煙の細くのぼりたるに、神楽の笛のおもしろくわななき吹きす まされてのぼるに、歌の声もいとあはれに、いみじうおもしろく、さむく冴えこほりて、うちたる衣もつめたう、扇持ちたる手も冷ゆともおぼえず。才(ざえ) の男(をのこ)召して、声引きたる人長(にんぢやう)の心地よげさこといみじけれ。

 里なる時は、ただわたるを見るが飽かねば、御社(やしろ)までいきて見る折もあり。おほいなる木どものもとに車を立てたれば、松の煙のたなびきて、火の 影に半臂の緒、衣のつやも、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声合は<せ>て舞ふほどもいとをかしきに、水の流る る音、笛の声などあひたるは、まことに神もめでたしとおぼすらむかし。頭の中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くな りて上の社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、ものをさしも思ひ入れじとおもへど、なほこのめでたきことをこそ、さらにえ思ひすつまじけれ。

 「八幡(やはた)の臨時の祭の日、名残こそいとつれづれなれ。など帰りてまた舞ふわざをせざりけむ。さらば、をかしからまし。禄を得て、後ろよりまかづ るこそ口惜 しけれ」などいふを、上の御前に聞こしめして、「舞(ま)はせむ」と仰せらる。「まことにや候ふらむ。さらば、いかにめでたからむ」など申す。うれしがり て、宮の御前にも、「なほそれ舞はせさせ給へと申させ給へ」など、集まりて啓しまどひしかば、そのたび、帰りて舞ひしは、いみじううれしかりしものかな。 さしもやあらざらむとうちたゆみたる舞人、御前に召す、と聞こえたるに、ものにあたるばかり騒ぐも、いとど物ぐるほし。

 下にある人々のまどひのぼるさまこそ。人の従者(ずさ)、殿上人など見るも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを笑ふもをかし。


138 :143:(能146):殿などのおはしまさで後

 殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、さわがしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなくうたてありし[し]か ば、久しう里にゐたり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほえ絶えてあるまじかりける。

 右中将(=経房)おはして、物語し給ふ。「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳、唐衣をりにあひ、たゆまで候ふか な。御簾のそばのあきたりつるより見入れつれば、八九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとし げきを、『などか、かきはらはせでこそ』といひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて』と、宰相の君の声にていらへつるが、をかしうもおぼえつるかな。 『御里居いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、かならず候ふべきものにおぼしめされたるに、かひなく』と、あまた言ひつる、 語り聞かせ奉れとなめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。台の前に植ゑられたりける牡丹(ぼうた<ん>)などのをかしきこ と」などのたまふ。「いさ、人の憎しと思ひたりしが、また憎くおぼえ侍りしかば」といらへ聞こゆ。「おいらかにも」<とて>笑ひ給ふ。

 げにいかならむと思ひ参らする。御けしきにはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿(おほとの)がたの人、知るすぢにてあり」とて、さしつどひものなど いふも、下より参る見ては、ふと言ひやみ、放ち出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ、「参れ」など、たびたびある仰せ言をも過ぐして、げに久しく なりにけるを、また宮の辺(へん)には、ただあなた方に言ひなして、そら言なども出で来べし。

 例ならず仰せ言などもなくて日頃になれば、心細くてうちながむるほどに、長女文を持て来たり。「御前より、宰相の君して、忍びてたまはせたりつる」とい ひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれてとく開けたれば、紙にはものも書かせたまはず、山吹の花びら ただ一重をつつませ給へり。それに、「言はで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日頃の絶え間嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、 「御前には、いかが、もののをりごとに、おぼし出できこえさせ給ふなるものを。誰もあやしき御長居とこそ侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」といひて、「こ こなる所に、あからさまにまかりて、参らむ」といひて往ぬる後、御返りごと書きて参らせむとするに、この歌の本さらに忘れたり。「いとあやし。同じ故事 (ふるごと)と言ひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、前にゐたるが、「『下ゆく 水』とこそ申せ」といひたる、などかく忘れつるならむ。これに教へらるるもをかし。

 御返り参らせて、少しほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳にはた隠れて候ふを、「あれは新参(いままゐり)か」など笑はせ給ひて、 「にくき歌な れど、この折は言ひつべかりけりとなむ思ふを。おほかた見つけでは、しばしもえこそ慰<さむ>まじけれ」などのたまはせて、かはりたる御けし きもなし。

 童に教へられしことなどを啓すれば、いみじう笑はせ給ひて、「さることぞある。あまりあなづる故事(ふるごと)などは、さもありぬべし」など仰せらる る、ついでに、「なぞなぞ合しける、方人にはあらで、さやうのことにりやうりやうじかりけるが、『左の一はおのれ言はむ。さ思ひ給へ』など頼むるに、さり ともわろきことは言ひ出でじかしと、たのもしくうれしうて、みな人々作り出だし、選り定むるに、『その詞(ことば)をただまかせて残し給へ。さ申しては、 よも口惜しくはあらじ』といふ。げにとおしはかるに、日いと近くなりぬ。『なほこのことのたまへ。非常(ひざう)に、同じこともこそあれ』といふを、『さ ば、いさ知らず。な頼まれそ』などむつかりければ、おぼつかなながら、その日になりて、みな、方の人、男・女居わかれて、見証(けんそ)の人など、いとお ほく居並みてあはするに、左の一、いみじく用意してもてなしたるさま、いかなることを言ひ出でむと見えたれば、こなたの人、あなたの人、みな心もとなくう ちまもりて、『なぞ、なぞ』といふほど、心にくし。『天に張り弓』といひたり。右方の人は、いと興ありてと思ふに、こなたの人はものもおぼえず、みなにく く愛敬なくて、あなたによりてことさらに負けさせむとしけるを、など、片時のほどに思ふに、右の人、『いと口惜しく、をこなり』とうち笑ひて、『やや、さ らにえ知らず』とて、口を引き垂れて、『知らぬことよ』とて、さるが<う>[く]しかくるに、籌(かず)ささせつ。『いとあやしきこと。これ 知らぬ人は誰かあらむ。さらにかずささるまじ』と論ずれど、『知らずと言ひてむには、などてか負くるにならざらむ』とて、次々のも、この人なむみな論じ勝 たせける。『いみじく人の知りたることなれども、おぼえぬ時はしかこそはあれ。何しにかは、知らずとは言ひし』<と>、後にうらみられけるこ と」など、語り出でさせ給へば、御前なる限り、さ思ひつべし。「口惜しういらへけむ。こなたの人の心地、うち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど 笑ふ。これは忘れたること<か>は、ただみな知りたることとかや。


139 :144:(能147):正月十余日のほど

 正月十余日のほど、空いと黒う、雲(くも)<も>[り]あつく見えながら、さすがに日はけざやかにさし出でたるに、えせ者の家の荒畠(あら ばたけ)といふものの、 土うるはしうも直からぬ、桃の木のわかだちて、いと細枝(しもと)がちにさし出でたる、片つ方はいと青く今片つ方は濃くつややかにて蘇芳(すはう)の色な るが日かげに見えたるを、いと細やかなる童の狩衣はかけ破(や)りなどして髪うるはしきが、上りたれば、ひきはこえたる男児(をのこご)、また、小脛(こ はぎ)にて半靴(はうくわ)はきたるなど、木のもとに立ちて、「我に鞠打(ぎちやう)切りて」などこふに、また、髪をかしげなる童の、袙(あこめ)どもほ ころびがちにて、袴萎えたれど、よき袿(うちぎ)着たる三四人来て、「卯槌の木のよからむ、切りておろせ。御前にも召す」などいひて、おろしたれば、ばひ し<ら>[ゝ]がひ取りて、さし仰ぎて、「我におほく」など言ひたるこそをかしけれ。

 黒袴着たる男(をのこ)の走り来て乞ふに、「ま[し]て」などいへば、木のもとを引きゆるがすに、あやふがりて猿のやうにかいつきてをめくもをかし。梅 などのなりたる折も、さやうにぞするかし。


140 :145:(能148):きよげなる男の

 清げなる男(をのこ)の、双六を日一日うちて、なほあかぬにや、短かき灯台に火をともしていと明かうかかげて、かたきの賽を責め請ひて、とみにも入れね ば、筒(ど う)を盤の上に立てて待つに、狩衣のくびの顔にかかれば、片手しておし入れて、こはからぬ烏帽子ふりやりつつ、「賽いみじく呪ふとも、うちはづしてむや」 と、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこりかに見ゆれ。


141 :146:(能149):碁を、やむごとなき人のうつとて

 碁を、やむごとなき人のうつとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひ置くに、劣りたる人の、ゐづまひもかしこまりたるけしきにて、碁盤よりは少し 遠くて、およびて、袖の下は今片手してひかへなどして、うちゐたるもをかし。


142 :147:(能150):恐ろしげなるもの

 恐ろしげなるもの つるばみのかさ。焼けたる所。水ふぶき。菱。髪おほかる男の洗ひてほすほど。


143 :148:(能151):きよしと見ゆるもの

 清しと見ゆるもの 土器(かはらけ)。あたらしき鋺(かなまり)。畳にさす薦(こも)。水を物に入るるすき影。



144 :149:(能153):いやしげなるもの

 いやしげなるもの 式部の丞(ぜう)の笏。黒き髪の筋わろき。布屏風のあたらしき。旧り黒みたるは、さるいふかひなき物にて、なかなか何とも見えず。あ たらしうしたてて、桜の花おほく咲かせて、胡粉(こふん)、朱砂(すさ)など色どりたる絵どもかきたる。遣戸厨子(づし)。法師のふとりたる。まことの出 雲筵(むしろ)の畳。


145 :150:(能154):胸つぶるるもの

 胸つぶるるもの 競馬(くらべむま)見る。元結よる。親などの心地あしとて、例ならぬけしきなる。まして、世の中などさわがしと聞こゆる頃は、よろづの 事おぼえず。また、もの言はぬちごの泣き入りて、乳(ち)も飲まず、乳母のいだくにもやまで久しき。

 例の所ならぬ所にて、ことにまたいちじるからぬ人の声聞きつけたるはことわり、こと人などのそのうへなどいふにも、まづこそつぶるれ。いみじうにくき人 の来たるにも、またつぶる。あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ。

 よべ来はじめたる人の、今朝(けさ)の文のおそきは、人のためにさへつぶる。


146 :151:(能155):うつくしきもの

 うつくしきもの 瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来る道に、いと小さき塵のありける を目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人<な>[こ]どに見せたる、いとうつくし。頭はあまそぎなるちごの、目に髪のお ほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。

 大きにはあらぬ殿上童の、さうぞきたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、 いとらうたし。

 雛の調度。蓮(はちす)の浮葉のいと小さきを、池より取りあげたる。葵のいと小さき。何も何も、小さきものはみなうつくし。

 いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣長(きぬなが)にて襷(たすき)結ひたるがはひ出でたるも、また、短かきが袖がち なる着てありくも、みなうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児(をのこご)の、声はをさなげにてふみ読みたる、いとうつくし。

 にはとりのひなの、足高に、白うをかしげに衣短かなるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに立ちてありくもをかし。また親の、ともに つれてたちて走るも、みなうつくし。かりのこ。瑠璃の壺。


147 :152:(能156):人ばへするもの

 人ばへするもの ことなることなき人の<子の>、さすがにかなしうしならはしたる。しはぶき。はづかしき人にもの言はむとするに、先に立 つ。

 あなたこなたに住む人の子の四つ五つなるは、あやにくだちて、もの取り散らしそこなふを、ひきはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来たるに 所得て、「あれ見せよ。やや、はは」など引きゆるがすに、大人どものいふとて、ふとも聞き入れねば、手づから引きさがし出でて見騒ぐこそ、いとにくけれ。 それを、「まな」ともとり隠さで、「さなせそ」「そこなふな」などばかり、うち笑みていふこそ、親もにくけれ。我はた、えはしたなうも言はで見るこそ心も となけれ。


148 :153:(能157):名おそろしきもの

 名おそろしきもの 青淵(あをふち)。谷(たに)の洞(ほら)。鰭板(はたいた)。鉄(くろがね)。土塊(つちくれ)。雷(いかづち)は名のみにもあら ず、いみじう恐ろし。暴風(はやち)。不祥雲(ふさうぐも)。戈星(ほこぼし)。肘笠雨(ひぢかさあめ)。荒野(あらの)ら。

 強盗(がうだう)、またよろづに恐ろし。らんそう、おほかた恐ろし。かなもち、またよろづに恐ろし。生霊(いきすだま)。くちなはいちご。鬼わらび。鬼 ところ。荊(むばら)。枳殻(からたち)。いり炭。牛鬼。碇(いかり)、名よりも見るは恐ろし。


149 :154:(能158):見るにことなることなきものの

 見るにことなることなきものの文字に書きてことごとしきもの 覆盆子(いちご)。鴨跖草(つゆくさ)。芡(みづふぶき)。蜘蛛(くも)。胡桃(くる み)。文章博士(もんじやうはかせ)。得業(とくごふ)の生(しやう)。皇太后宮権の大夫(だいふ)。楊桃(やまもも)。

 虎杖(いたどり)は、まいて虎の杖と書きたるとか。杖なくともありぬべき顔つきを。


150 :155:(能159):むつかしげなるもの

 むつかしげなるもの ぬひ物の裏。ねずみの子の毛もまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。裏まだつけぬ裘(かはぎぬ)の縫ひ目。猫の耳の中。こと に清げならぬ所の暗き。

 ことなることなき人の、子などあまた持てあつかひたる。いとふかうしも心ざしなき妻(め)の、心地あしうして久しうなやみたるも、男の心地はむつかしか るべし。

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151 :156:(能160):えせものの所得る折

 えせものの所得(う)る折 正月の大根(おほね)。行幸の折の姫まうち君。御即位の御門つかさ。六月・十二月のつごもりの節折(よをり)の蔵人。季の御 読経の威儀師。赤袈裟着て僧の名どもをよみあげたる、いときらきらし。

 季の御読経。御(み)仏名などの御装束の所の衆。春日祭の近衛の舎人ども。元三の薬子(くすりこ)。卯杖の法師。御前の試み の夜の御髪上げ。節会(せちゑ)の御まかなひの采女(うねべ)。


152 :157:(能161):苦しげなるもの

 苦しげなるもの 夜泣きといふわざするちごの乳母(めのと)。思ふ人二人もちて、こなたかなたふすべらるる男。こはき物の怪にあづかりたる験者(げん ざ)。験(げん)だにいち早からばよかるべきを、さしもあらず、さすがに人笑はれならじと念ずる、いと苦しげなり。

 わりなくものうたがひする男にいみじう思はれたる女。一の所などに時めく人も、えやすくはあらねど、そはよかめり。心いられしたる人。


153 :158:(能162):うらやましげなるもの

 うらやましげなるもの 経など習ふとて、いみじうたどたどしく忘れがちにかへすがへす同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに 読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむとおぼゆれ。心地などわづらひてふしたるに、笑(ゑ)うち笑ひ、ものなど言ひ、思ふことなげにてあゆみありく 人見るこそ、いみじううらやましけれ。

 稲荷に思ひおこして詣でたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、遅れて来(く)<と見>る者ども のただ行きに先に立ち て詣づる、いとめでたし。二月午の日の暁に急ぎしかど、坂のなからばかりあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわび しくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちてやすみ困ずるに、四十余(よ)ばかりなる女の、壺装束などにはあらで、 ただ引きはこへたるが、「まろは七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。今四度はことにもあらず。まだ未に下向(げかう)しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言 ひて下(くだ)り行きしこそ、ただなるところには目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやとおぼえしか。

 女児(をむなご)も、男児(をのこご)も、法師も、よき子ども持たる人、いみじううらやまし。髪いと長くうるはしく、下がり端(ば)などめでたき人。ま た、やむごと なき人の、よろづの人にかしこまられ、かしづかれ給ふ、見るも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにもまづ取り出でらるる、うら やまし。

 よき人の御前に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、誰もいと鳥の跡にしもなどかはあらむ。されど、下などにあるをわざと召して、 御硯取り下ろして書かせさせ給ふもうらやまし。さやうのことは所の大人などになりぬれば、まことに難波わたり(=の悪手(あしで))遠からぬも、ことに従 ひて書くを、これはさに あらで、上達部などのまだ初めて参らむと申さする人のむすめなどには、心ことに紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて戯れにもねたがり言ふめり。

 琴、笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ。

 内裏・春宮の御乳母。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず参り通ふ。


154 :159:(能163):とくゆかしきもの

 とくゆかしきもの 巻染。むら濃、くくり物など染めたる。人の、子生みたるに、男(をとこ)女、とく聞かまほし。よき人さらなり、えせ者、下衆の際だに なほゆかし。

 除目のつとめて。かならず知る人のさるべきなき折も、なほ聞かまほし。


155 :160:(能164):心もとなきもの

 心もとなきもの 人のもとにとみの物縫ひにやりて、今々とくるしうゐ入りて、あなたをまもらへたる心地。子生むべき人の、そのほど過ぐるまでさるけしき もなき。遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封(ふん)じたる続飯(そくひ)など<はなち>あくるほど、いと心もとなし。

 物見におそく出で て、事なり にけり、白きしもとなどみつけたるに、近くやり寄するほど、わびしう、下りても往ぬべき心地こそすれ。

 知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて物言はせたる。いつしかと待ち出でたるちごの、五十日(いか)、百日(もも<か>)など のほどになりたる、行く末いと心もとなし。

 とみのもの縫ふに、生暗うて針に糸すぐる。されど、それは<さる>ものにて、ありぬべき所をとらへて、人にすげさするに、それも急げばにや あらむ、とみにもさし入れぬを、「いで、ただなすげそ」といふを、さすがになどてかと思ひ顔にえ去らぬ、にくささへそひたり。

 何事にもあれ、急ぎてものへいくべき折に、まづ我さるべき所へいくとて、ただ今おこせむとて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路いきける を、さななりとよろこびたれば、外(ほか)ざまに往ぬる、いと口惜し。まいて、物見に出でむとてあるに、「事はなりぬらむ」と、人の言ひたるを聞くこそ わびしけれ。

 子産みたる後の事の久しき。物見、寺詣でなどに、もろともにあるべき人を乗せにいきたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするも、いと心もとな く、うち捨てても往ぬべき心地ぞする。

 また、とみにていり炭おこすも、いと久し。人の歌の返しとくすべきを、え詠み得ぬほども心もとなし。懸想人などはさしも急ぐまじけれど、おのづからまた さるべきをりもあり。まして、女も、ただに言ひかはすことは、疾(と)きこそはと思ふほどに、あいなくひがごともあるぞかし。

 心地のあしく、もののおそろしき折、夜のあくるほど、いと心もとなし。


156 :161:(能165):故殿の御服の頃

 故殿の御服の頃、六月のつごもりの日、大祓といふことにて、宮の出でさせ給ふべきを、職の御曹司を方あしとて、官の司の朝所(あいたどころ)にわたらせ 給へり。その夜さり、暑くわりなき闇にて、何ともおぼえず、せばくおぼつかなくてあかしつ。

 つとめて、見れば、屋のさまいとひらに短かく、瓦ぶきにて、唐めき、さまことなり。例のやうに格子などもなく、めぐりて御簾ばかりをぞかけたる、なかな かめづらしくてをかしければ、女房、庭に下りなどしてあそぶ。前裁に萱草(くわんざう)といふ草を、ませ結ひていとおほく植ゑたりける。花のきはやかにふ さなりて咲きたる、むべむべしき所の前裁にはいとよし。時司(ときづかさ)などは、ただかたはらにて、鼓(つづみ)の音も例のには似ずぞ聞こゆるをゆかし がりて、若き人々二十人ばかり、そなたにいきて、階(はし)より高き屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、ある限り薄鈍(うすにび)の裳、唐衣、同じ色 の単襲 (ひとへがさね)、紅の袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空より下(お)りたるにやとぞ見ゆる。同じ若きなれど、おしあげた る人は、えまじらで、うらやましげに見あげたるも、いとをかし。

 左衛門の陣までいきて、倒れさわぎたるもあめりしを、「かくはせぬことなり。上達部のつき給ふ椅子(いし)などに女房どものぼり、上官などのゐる床子 (さうじ)どもを、みなうち倒し、そこなひたり」などくすしがる者どもあれど、聞きも入れず。

 屋のいとふるくて、瓦ぶきなればにやあらむ、暑さの世に知らねば、御簾の外(と)にぞ夜も出で来、臥したる。ふるき所なれば、むかでといふもの、日一日 おちかかり、蜂の巣の大きにて、つき集まりたるなどぞ、いとおそろしき。

 殿上人日ごとに参り、夜も居明かしてものいふを聞きて、「豈(あ)にはかりきや、太政官の地の今やかうの庭とならむことを」と誦(ず)じ出でたりしこそ をかしかりしか。

 秋になりたれど、かたへだに涼しからぬ風の、所がらなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞ帰らせ給ひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見 ゆるは、程のせばければなめり。


157:161:(能166):宰相の中将

 宰相の中将斉信(ただのぶ)・宣方(のぶかた)の中将、道方の少納言など参り給へるに、人々出でてものなどいふに、ついでもなく、「明日はいかなること をか」といふに、いささか思ひまはしと<ど>[く]こほりもなく、「『人間の四月』をこそは」といらへ給へるがいみじうをかしきこそ。過ぎに たることなれども、心得ていふは誰もをかしき中に、女などこそさやうの物忘れはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだになまおぼえなるものを、まこ とにをかし。内なる人も外(と)なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。

 この四月のついたちごろ、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭の中将、源中将、六位一人のこりて、よろづのこと言 ひ、経読み、歌うたひなどするに、「明けはてぬなり。帰りなむ」とて、「露は別れの涙なるべし」といふことを頭の中将のうち出だし給へれば、源中将ももろ ともにいとをかしく誦じたるに、「急ぎける七夕かな」といふを、いみじうねたがりて、「ただあかつきの別れ一筋を、ふとおぼえつるままに言ひて、わびしう もあるかな。すべて、このわたりにて、かかること思ひまはさずいふは、いと口惜しきぞかし」など、返す返す笑ひて、「人にな語り給ひそ。かならず笑はれな む」といひて、あまり明かうなりしかば、「葛城の神、今ぞずちなき」とて、逃げおはしにしを、七夕のをりにこの事を言ひ出でばやと思ひしかど、宰相にな り給ひにし<かば>、かならずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、文かきて、主殿司してもやらむなど思ひしを、七日に参り給へりし かば、いとうれしくて、その夜のことなど言ひ出でば、心もぞ得給ふ。ただすずろにふと言ひたらば、あやしなどやうちかたぶき給ふ。さらば、それにをありし ことをば言はむとてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしかば、まことにいみじうをかしかりき。

 月ごろいつしかとおも<ほえ>[はへ]たりしだに、わが心ながらすきずきしとおぼえしに、いかでさ思ひまうけたるやうにのたまひけむ。もろ ともにねたがり言ひし中将は、おもひもよらでゐたるに、「ありし<暁>[あ月]のこといましめらるるは。知らぬか」とのたまふにぞ、「げに、 げ に」と笑ふめるわろしかし。

 人と物いふことを碁になして、近う語らひなどしつるをば、「手ゆるしてけり」「結(けち)さしつ」などいひ、「男は手受けむ」などいふことを人はえ知ら ず。この君と心得ていふを、「何ぞ、何ぞ」と源中将は添ひつきていへど、言はねば、かの君に、「いみじう、なほこれのたまへ」とうらみられて、よき仲なれ ば聞かせてけり。あへなく近くなりぬるをば、「おしこぼちのほどぞ」などいふ。我も知りにけりといつしか知られむとて、「碁盤侍りや。まろと碁うたむとな む思ふ。手はいかが。ゆるし給はむとする。頭の中将とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば、定めなくや」といひしを、またかの君に語 りきこえければ、「うれしう言ひたり」とよろこび給ひし。なほ過ぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。

 宰相になり給ひし頃、上の御前にて、「詩をいとをかしう誦(ずう)じ侍るものを。『蕭會稽(せうくわいけい)之(の)過古廟(こべうをすぎにし)』など も誰か言ひ侍らむとする。しばしな<がら>[らでも]候へかし。口惜しきに」など申ししかば、いみじう笑はせ給ひて、「さなむいふとて、なさ じかし」などおほせられし もをかし。されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相の中将の御うへを言ひ出でて、 「『未だ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦(ずう)じ給ひし」などいへば、「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」とてよむに、 「さらに似るべくだにあらず」といへば、「わびしのことや。いかであれがやうに誦(ずう)ぜむ」とのたまふを、「『三十の期』といふ所なむ、すべていみじ う愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりて笑ひありくに、陣につき給へりけるを、わきに呼び出でて、「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」とのたまひけ れば、笑ひて教へけるも知らぬに、局のもとにきていみじうよく似せてよむに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、笑みたる声になりて、「いみじきことを聞 こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』とにくからぬけしきにて問ひ給ふは」といふも、わざとならひ給ひけ むがをかしければ、これだに誦(ずう)ずれば出でてものなどいふを、「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」などいふ。下にありながら、 「上に」など言はするに、これをうち出づれば、「まことはあり」などいふ。御前にも、かくなど申せば、笑はせ給ふ。

 内裏(うち)の御物忌なる日、右近の将監(さうくわん)みつなにとかやいふ者して、畳紙(たたうがみ)にかきておこせたるを見れば、「参ぜむとするを、 今日明日の御物忌にてなむ。『三十の期に及ばず』はいかが」と言ひたれば、返りごとに、「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」と かきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはい ましめけれ』とて、宣方は、『いみじう言はれにたり』といふめるは」と仰せられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。


157 :162:(能166):弘徽殿とは閑院の左大将の

 弘徽殿(こうきでん)とは閑院の左大将の女御をぞ聞こゆる。その御方にうちふしといふ者のむすめ、左京と言ひて候ひけるを、「源中将語らひてなむ」と人 々笑ふ。

 宮の職におはしまいしに参りて、「時々は宿直などもつかうまつるべけれど、さべきさまに女房などもも(=陽本「なとゝもゝ」)てなし給はねば、いと宮仕 へおろかに候ふこ と。宿直所をだに賜りたらば、いみじうまめに候ひなむ」と言ひゐ給へれば、人々、「げに」などいらふるに、「まことに人は、うちふしやすむ所のあるこそよ けれ。さるあたりには、しげう参り給ふなるものを」とさしいらへたりとて、「すべて、もの聞こえじ。方人とたのみ聞こゆれば、人の言ひふるしたるさまにと りなし給ふなめり」など、いみじうまめだちて怨(え)じ給ふを、「あな、あやし。いかなることをか聞こえつる。さらに聞きとがめ給ふべきことなし」などい ふ。かたはらなる人を引きゆるがせば、「さるべきこともなきを、ほとほり出で給ふ、やうこそはあらめ」とて、はなやかに笑ふに、「これもかの言はせ給ふな らむ」とて、いとものしと思ひ給へり。「さらにさやうのことをなむ言ひ侍らぬ。人のいふだににくきものを」といらへて、引き入りにしかば、後にもなほ、 「人に恥ぢがましきこと言ひつけたり」とうらみて、「殿上人笑ふとて、言ひたるなめり」とのたまへば、「さては、一人をうらみ給ふべきことにもあらざなる に、あやし」といへば、その後(のち)は絶えてやみ給ひにけり。


158 :163:(能167):昔おぼえて不用なるもの

 昔おぼえて不用なるもの 繧繝(うげん)ばしの畳のふし出で来たる。唐絵の屏風の黒み、おもてそこなはれたる。絵師の目暗き。七八尺の鬘(かづら)の赤 くなりたる。葡萄(えび)染めの織物、灰かへりたる。色好みの老いくづほれたる。

 おもしろき家の木立焼け失せたる。池などはさながらあれど、浮き草、水草など茂りて。


159 :164:(能168):たのもしげなきもの

 たのもしげなきもの 心短かく、人忘れがちなる婿の、常に夜離れする。そら言(ごと)する人の、さすがに人の事成し顔にて大事請(う)けたる。

 風はやきに帆かけたる舟。七八十ばかりなる人の、心地あしうて、日頃になりたる。


160 :165:(能169):読経は

 読経は 不断経。


161 :166:(能170):近うて遠きもの

 近うて遠きもの 宮のまへの祭り。思はぬ兄弟(はらから)・親族(しぞく)の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。十二月(しはす)の晦日(つごもり)の日、 正月(むつき)の一日(ついたち)の日のほど。


162 :167:(能171):遠くて近きもの

 遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。


163 :168:(能172):井は

 井は ほりかねの井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。山の井、などさしも浅きためしになり始めけむ。飛鳥井は、「みもひもさむし」とほめたる こそをかしけれ。千貫の井。少将井。櫻井。后町(きさきまち)の井。


164 :169:(能196):野は

 野は 嵯峨野さらなり。印南野。交野。駒野。飛火野(とぶひの)。しめし野。春日野。そうけ野こそすずろにをかしけれ。などてさつけけむ。宮城野。粟津 野。小野。紫野。


165 :170:(能235):上達部は

 上達部は 左大将。右大将。春宮の大夫。権大納言。権中納言。宰相の中将。三位の中将。


166 :171:(能236):君達は

 君達は 頭の中将。頭の弁。権の中将。四位の少将。蔵人の弁。四位の侍従。蔵人の少納言。蔵人の兵衛の佐。


167 :172:(能173):受領は

 <受領は 伊予の守。紀伊の守。和泉の守。大和の守。>


168 :173:(能174):権の守は

 権の守は 甲斐。越後。筑後。阿波。


169 :174:(能175):大夫は

 大夫は 式部の大夫。左衛門の大夫。右衛門の大夫。


170 :175:(能237):法師は

 法師は 律師。内供。


171 :176:(能238):女は

 女は 内侍のすけ。内侍。


172 :177:(能176):六位の蔵人などは

 六位の蔵人などは、思ひかくべきことにもあらず。かうぶり得てなにの権の守、大夫<などいふ>人の、板屋などの狭き家持たりて、また、小檜 垣(こひがき)などいふもの新しくして、車宿りに車引き立て、前近く一尺ばかりなる木生(お)ほして、牛つなぎて草など飼はするこそいとにくけれ。

 庭いと清げに掃き、紫革して伊予簾かけわたし、布障子(ぬのさうじ)はらせて住まひたる。夜は「門(かど)強くさせ」など、ことおこなひたる、いみじう 生ひ先なう、心づきなし。

 親の家、舅はさらなり、をぢ、兄などの住まぬ家、そのさべき人なからむは、おのづから、むつまじくうち知りたらむ受領の国へいきていたづらならむ、さら ずは、院、宮腹(ば<ら>[う])の屋あまたあるに、住みなどして、官(つかさ)待ち出でてのち、いつしかよき所尋ね取りて住(<す >[よ])みたる こそよけれ。


173 :178:(能177):女のひとりすむ所は

 女<の>一人住む所は、いたくあばれて築土(ついひぢ)なども全(また)からず、池などある所も水草ゐ、庭なども蓬(よもぎ)に茂りなどこ そせねども、ところどころ砂(すなご)の中より青き草うち見え、さびしげなるこそあはれなれ。ものかしこげに、なだらかに修理(すり)して、門(かど)い たく固め、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。


174 :179:(能178):宮仕人の里なども

 宮仕人(みやづかへびと)の里なども、親ども二人あるは、いとよし。人しげく出で入り、奥のかたにあまた声々様々聞こえ、馬の音などして、いとさわがし きまであれど、とが<も>[り]なし。されど、忍びても、あらはれても、「おのづから出で給ひにけるをえしらで」とも、また、「いつか参り給 ふ」など言ひに、さしのぞき来るもあり。

 心かけたる人、はたいかがは。門(かど)あけなどするを、うたてさわがしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。「大御門(みかど) はさしつや」など問ふなれば、「今まだ人のおはすれば」などいふ者の、なまふせがしげに思ひていらふるにも、「人出で給ひなば、とくさせ。このごろ盗人、 いとおほかなり。火あやふし」など言ひたるが、いとむつかしううち聞く人だにあり。

 この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると絶えずさしのぞきて、けしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ま していかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、かならず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜ふけぬ。御門あやふか なり」など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は「はや」などあまたたび遣(や)らはるれど、なほ居明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべ きけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親 添ひぬるは、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。兄人の家なども、けにくきはさぞあらむ。

 夜中、暁ともなく、門もいと心かしこうももてなさず、なにの宮、内裏わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子などもあげながら冬の夜を居明かし て、人の出でぬる後も見出だしたるこそをかしけれ。有明などは、ましていとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、急ぎても寝られず、人のうへども言ひあ はせて歌など語り聞<く>ままに、寝入りぬるこそをかしけれ。


175 :180:(能315):ある所に、なにの君とかや

「ある所になにの君とかや言ひける人(=女)のもとに、君達にはあらねど、その頃いたう好いたる者に言はれ、心ばせなどある人の、九月ばかりに行きて、有 明のいみじう霧り満ちておもしろきに、『名残思ひ出でられむ』と言葉をつくして出づるに、今は往ぬらむと遠く見送るほど、えも言はず艶(えん)なり。出づ る方を見せてたちかへり、立蔀(たてじとみ)の間(あひだ)に陰(かげ)にそひて立ちて、なほ行きやらぬさまに今一度(ひとたび)言ひ知らせむと思ふに、 『有明の月のありつつも』と、忍びやかにうち言ひてさしのぞきたる、髪の頭にもより来ず、五寸ばかり下がりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光 もよほされて、おどろかるる心地のしければ、やをら出でにけり」とこそ語りしか。


176 :181:(能179):雪のいと高うはあらで

 雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。

 また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮れより、端近う、同じ心なる人二三人ばかり、火桶を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれどこなたには火も ともさぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひ合はせたるこそをかしけれ。

 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、あやしと見出だしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。「今日の雪を、いか にと思ひやり聞こえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」など言ふ。「今日来む」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなど うち始めて、よろづの事を言ふ。円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外(と)にも、こ の言ふことは飽かずぞおぼゆる。

 明けぐれのほどに帰るとて、「雪某(なに)の山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。「女の限りしては、さもえ居明かさざらましを、ただなる よりはをかしう、すきたるありさま」など言ひ合はせたり。


177 :182:(能180):村上の前帝の御時に

 村上の前帝(せんだい)の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、楊器(やうき)に盛らせ給ひて、梅の花を挿して、月のいと明かきに、「これに歌よめ。い かが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花(ゆきはなつき)の時」と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよむは世の常 なり。かくをりにあひたることなむ言ひがたき」とぞ、仰せられける。

 同じ人を御供にて、殿上に人候はざりけるほど、たたずませ給ひけるに、炭櫃に煙の立ちければ、「かれは何ぞと見よ」と仰せられければ、見て帰り参りて、

  わたつ海のおきにこがるる物見れば、あまの釣りしてかへるなりけり

と奏しけるこそをかしけれ。蛙(かへる)の飛び入りて焼くるなりけり。


178 :183:(能181):御形の宣旨の

 御形(みあれ)の宣旨(せじ)(=といふ女房)の、上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなる(=人形)を作りて、みづら結ひ、装束などうるはしく して、なかに名書きて、奉らせ給ひけるを、「ともあきらの大君」と書いたりけるを、いみじうこそ興ぜさせ給ひけれ。


179 :184:(能182):宮にはじめて参りたるころ

 宮にはじめて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取り出でて見せさせ 給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。「これは、とあり、かかり。それか、かれか」などのたまはす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋など も、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじう匂ひたる 薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。

 暁にはとく下りなむといそがるる。「葛城の神もしばし」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ伏したれば、御格子も参らず。女官ど も参りて、「これ、放たせ給へ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。

 ものなど問はせ給ひ、のたまはするに、久<し>うなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」と仰せらる。

 ゐざり隠るるや遅きと、あけ散らしたるに、雪降りにけり。登華殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。

 昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪に曇りてあらはにもあるまじ」など、度々召せば、この局の主(あるじ)も、「見苦し。さのみやは籠りたらむとする。あへ なきまで御前許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものぞ」と、ただ急がしに出だしたつれば、我(あれ)にもあらぬ心地すれど 参るぞ、いと苦しき。火焼屋(ひたきや)の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。御前近くは、例の炭櫃の火こちたくおこして、それにはわざと人もゐず。 上臈御まかなひに候ひ給ひけるままに、近うゐ給へり。沈の御火桶の梨絵したるにおはします。次の間に長炭櫃に隙なくゐたる人々、唐衣こき垂れたるほどな ど、馴れやすらかなるを見るも、いとうらやまし。御文取りつぎ、立ち居、行き違ふさまなどの、つつましげならず、物言ひ、ゑ笑ふ。いつの世にか、さやうに まじらひならむと思ふさへぞつつましき。奥寄りて三四人さしつどひて絵など見るもあめり。

 しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿参らせ給ふなり」とて、散りたる物ども取りやりなどするに、いかでおりなむと思へど、さらにえふとも 身じろかねば、今少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳の綻びよりはつかに見入れたり。

 大納言殿の参り給へるなりけり。御直衣、指貫の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとにゐ給ひて、「昨日、今日物忌みに侍りつれど、雪のいたく降り 侍りつれば、おぼつかなさになむ」と申し給ふ。「『道もなし』と思ひつるに、いかで」とぞ御いらへある。うち笑ひ給ひて、「『あはれと』もや御覧ずる [と]と て」などのたまふ御ありさまども、これより何事かはまさらむ。物語にいみじう口にまかせて言ひたるにたがはざめりとおぼゆ。

 宮は、白き御衣どもに、紅の唐綾をぞ上に奉りたる。御髪(みぐし)のかからせ給へるなど、絵にかきたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知ら ぬを、夢の心地ぞする。女房ともの言ひ、たはぶれ言などし給ふ。御いらへを、いささかはづかしとも思ひたらず聞こえ返し、そら言などのたまふは、あらがひ 論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、面(おもて)ぞ赤むや。御菓子(くだもの)参りなど、とりはやして、御前にも参らせ給ふ。

 「御帳の後ろなるは、たれぞ」と問ひ給ふなるべし、さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近うゐ給ひて、ものなどのた まふ。まだ参らざりしより聞きおき給ひけることなど、「まことにや、さありし」などのたまふに、御几帳隔てて、よそに見やりて参りつるだにはづかしかりつ るに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたる心地、うつつともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾引きふたぎて、透影も やと扇をさしかくすに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ち出でしにかと、汗あえていみじきには、何事をかは、いらへも聞こえむ。

 かしこき陰とささげたる扇をさへ取り給へるに、振りかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ち給はな むと思へど、扇を手まさぐりにして、「絵のこと、誰がかかせたるぞ」などのたまひて、とみにもたまはねば、袖をおしあててうつぶしゐたる、裳、唐衣に白い ものうつりて、まだらならむかし。

 久しくゐ給へるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。これは誰が手ぞ」と聞こえさせ給ふを、「たまはりて見侍らむ」と申し 給ふを、「なほ、ここへ」とのたまはす。「人をとらへて立て侍らぬなり」とのたまふも、いと今めかしく、身のほどにあはず、かたはらいたし。人の草仮名書 きたる草子など、取り出でて御覧ず。「たれがにかあらむ。かれに見せさせ給へ。それぞ世にある人の手はみな見知りて侍らむ」など、ただいらへさせむと、あ やしきことどもをのたまふ。

 ひとところだにあるに、また前駆うち追はせて、同じ直衣の人参り給ひて、これは今少しはなやぎ、猿楽(さるがう)言などし給ふを、笑ひ興じ、「我も、な にがしが、とあること」など、殿上人のうへなど申し給ふを聞くは、なほ変化の者、天人などの下り来たるにやとおぼえしを、候ひ慣れ、日ごろ過ぐれば、いと さしもあらぬわざにこそはありけれ。かく見る人々も、みな家の内裏出でそめけむほどは、さこそはおぼえけめなど、観じもてゆくに、おのづから面慣れぬべ し。

 物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ。御いらへに、「いかがは」と啓するにあはせて、台盤所の方に、鼻をいと高くひたれば、「あな心憂。そ ら言を言ふなりけり。よし、よし」とて、奥へ入らせ給ひぬ。いかでか、そら言にはあらむ。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。あさましう、鼻こそは そら言しけれと思ふ。さても誰か、かく憎きわざはしつらむ。おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりも、おしひしぎつつあるものを、まいていみじ、にく しと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬれば、下りたる、すなはち、浅緑なる薄様に艶なる文を「これ」とて来たる。あけて見 れば、

 「『いかにしていかに知らまし偽りを空似ただすの神なかりせば』

となむ御けしきは」とあるに、めでたくも口惜しうも思ひ乱るるにも、なほ昨夜(よべ)の人ぞ、ねたくにくままほしき。

 「うすさ濃さそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき

なほこればかり啓しなほさせ給へ。式の神もおぼづから。いとかしこし」とて、参らせて後にも、うたてをりしも、などてさはたありけむと、いと嘆かし。


180 :185:(能183):したり顔なるもの

 したり顔なるもの 正月一日に最初(さいそ)に鼻ひた<る>人。よろしき人はさしもなし。下﨟よ。きしろふ度(たび)の蔵人に子なしたる人 のけしき。また、除目にその年の一の国得たる人。よろこびなど言ひて、「いとかしこうなり給へり」などいふいらへに、「何かは。いとこと様(やう)に滅び て侍るなれば」などいふも、いとしたり顔なり。

 また、いふ人(=求婚者)おほく、いどみたる中に、選(え)りて婿になりたるも、我はと思ひぬべし。受領したる人の宰相になりたるこそ、もとの君達のな りあがりたるよりもしたり顔にけ高う、いみじうは思ひためれ。


181 :186:(能184):位こそなほめでたき物はあれ

 位こそ なほめでたき物はあれ。同じ人ながら、大夫の君、侍従の君など聞こゆる折は、いとあなづりやすきものを、中納言・大納言・大臣などになり給ひて は、むげにせくかたもなく、やむごとなうおぼえ給ふことのこよなさよ。ほどほどにつけては、受領などもみなさこそはあめれ。あまた国に行き、大弍や四位・ 三位などになりぬれば、上達部などもやむごとながり給ふめり。

 女こそなほわろけれ。内裏(うち)わたりに、御乳母(めのと)は内侍のすけ、三位などになりぬればおもしろけれど、さりとてほどより過ぎ、何ばかりのこ とかはある。また、多<く>や[う]はある。受領の北の方にて国へ下るをこそは、よろしき人のさいはひの際と思ひてめでうらやむめれ。ただ人 の、上達部の北の方になり、上達部の御むすめ、后にゐ給ふこそは、めでたきことなめれ。

 されど、男はなほ若き身のなり出づるぞいとめでたきかし。法師などのなにがしなど言ひてありくは、何とかは見ゆる。経たふとく読み、みめ清げなるにつけ ても、女房にあなづられて、なりかかり(?)こそすめれ。僧都・僧正になりぬれば、仏のあらはれ給へるやうに、おぢ惑ひかしこまるさまは、何にか似たる。


182 :187:(能026,240)かしこきものは

 かしこきものは、乳母の男(をと<こ>[ゝ])こそあれ。帝(みかど)、親王(みこ)たちなどは、さるものにておきたてまつりつ。そのつぎ つぎ、受領(ずらう)の家などに も、所につけたるおぼえのわづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心地もいとよせありて、このやしなひたる子をも、むげにわがものになして、女はさ れどあり、男児(をのこご)はつとたちそひて後ろ見、いささかもかの御ことにたがふ者をばつめたて、讒言(ざうげん)し、あしけれど、これが世をば心にま かせていふ人もなければ、ところ得、いみじき面持ちして、こと行ひなどす。

 むげにをさなきほどぞ少し人わろき。親の前に臥(ふ)すれば、一人局(つぼね)に臥したり。さりとてほかへ行けば、こと心ありとてさわがれぬべし。強 (し)ひて呼びおろして臥したるに、「まづまづ」と呼ばるれば、冬の夜など、引きさがし引きさがしのぼりぬるがいとわびしきなり。それはよき所も同じこ と、今少しわづらはしきことのみこそあれ。


183 :188:(能305):病は

 病(やまひ)は 胸。物の怪。脚の気。はては、ただそこはかとなくて物食はれぬ心地。


183 :189:(能305):十八九ばかりの人の

 十八九ばかりの人の、髪いとうるはしくて丈ばかりに、裾いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色白う、顔愛敬づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう 病みて、額髪もしとどに泣きぬらし、乱れかかるも知らず、面(おもて)もいと赤くて、おさへてゐたるこそをかしけれ。


183 :190:(能305):八月ばかりに

 八月ばかりに、白き単衣なよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあてやかなるを引きかけて、胸をいみじう病めば、友達の女房など、数々(かずか ず)来つつとぶらひ、外(と)のかたにも若やかなる君達あまた来て、「いといとほしきわざかな。例もかうや悩み給ふ」など、ことなしびにいふもあり。

 心かけたる人はまことにいとほしと思ひ嘆き、<人知れぬなかなどは、まして人目思ひて、寄るにも近くえ寄らず、思ひ嘆き>たるこそをかしけ れ。いとうるはし う長き髪を引き結ひて、ものつくとて起きあがりたるけしきもらうたげなり。

 上にもきこしめして、御読経の僧の声よきたまはせたれば、几帳引きよせてすゑたり。ほどもなきせばさなれば、とぶらひ人あまた来て、経聞きなどするも隠 れなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得(う)らむとおぼゆれ。


184 :191:(能317):すきずきしくてひとり住みする人の

 すきずきしくて一人住みする人の、夜はいづくにかありつらむ、暁に帰りて、やがて起きたる、ねぶたげなるけしきなれど、硯取りよせて墨こまやかにおしす りて、ことなしびに筆に任せてなどはあらず、心とどめて書く、まひろげ姿もをかしう見ゆ。

 白き衣どもの上に、山吹、紅などぞ着たる。白き単衣(ひとへ)のいたうしぼみたるを、うちまもりつつ書きはてて、前なる人にも取らせず、わざと立ちて、 小舎人童、つきづきしき随身など近う呼び寄せて、ささめき取らせて、往ぬる後も久しうながめて、経などのさるべき所々、忍びやかに口ずさびに読みゐたる に、奥の方に御粥、手水(てうず)などしてそそのかせば、あゆみ入りても、文机(ふづくゑ)におしかかりて書(ふみ)などをぞ見る。おもしろかりける所は 高ううち誦じたるも、いとをかし。

 手洗ひて、直衣ばかりうち着て、六の巻そらに読む、まことにたふときほどに、近き所なるべし、ありつる使、うちけしきばめば、ふと読みさして、返りごと に心移すこそ、罪得らむとをかしけれ。


185 :192:(能なし):いみじう暑き昼中に

 いみじう暑き昼中(ひるなか)に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水(ひみづ)に手をひたし、もて騒ぐほどに、こちたう赤き薄様を、唐撫子 (からなでしこ)のいみじう咲きたるに結びつけて取り入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、且(か)つ使ひつるだに あかずおぼゆる扇もうち置かれぬれ。


186 :193:(能なし):南ならずは東の廂の板の

 南ならずは、東の廂の板(=縁)のかげ見ゆばかり(=つややか)なるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳の帷子(かたびら)いと涼し気に見えた るをおしやれば、流れて思ふほどよりも過ぎて立てるに、白き生絹の単衣、紅の袴、宿直物(とのゐもの=ねまき)には濃き衣のいたうは萎えぬを、少し引きか けて臥したり。

 灯篭(とうろ)に火ともしたる二間(ふたま)ばかり去りて、簾(す)高うあげて、女房二人ばかり、童など、長押によりかかり、また、おろいたる簾に添ひ て臥したるもあり。火取(とり)に火深う埋(うづ)みて、心細げに匂はしたるも、いとのどやかに、心にくし。

 宵うち過ぐるほどに、忍びやかに門叩く音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ立ち隠し、人まもりて入れたるこそ、さるかたにをかしけれ。

 かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音(ね)も立てず、爪弾(つまび)きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。


187 :194:(能なし):大路近なる所にて聞けば

 大路近(ちか)なる所にて聞けば、車に乗りたる人の有明のをかしきに簾(すだれ)あげて、「遊子(いうし)なほ残りの月に行く」といふ詩を、声よくて誦 じたるもをかし。

 馬にても、さやうの人の行くはをかし。さやうの所にて聞くに、泥障(あふり=泥除けの馬具)の音の聞こゆるを、いかなる者ならむと、するわざもうち置き て見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。


188 :195:(能262):ふと心劣りとかするものは

 ふと心劣りとかするものは 男も女も言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづの事よりまさりてわろけれ。ただ文字一つにあやしう、あてにもいやしうもな るは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人(=私も)ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地に さおぼゆるなり。

 いやしき言(こと)もわろき言(こと)も、さと知りながらことさらに言ひたるはあしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましき わざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなき言も、あやしき言も、大人なるは、まのもなく言ひ たるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに聞き入りたるこそ、さるべきことなれ。

 何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、 やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそあしう書きなしつれば言ふかひなく、作り人さへこそいとほしけれ。「ひてつ車 (くるま)に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。


189 :196:(能307):宮仕人のもとに来などする男の

 宮仕人のもとに来などする男の、そこにて物食ふこそいとわろけれ。食はする人も、いとにくし。思はむ人の、「なほ」など心ざしありて言はむを、忌みたら むやうに口をふたぎ、顔をもてのくべきことにもあらねば、食ひをるにこそはあらめ。

 いみじう酔(ゑ)ひて、わりなく夜ふけて泊まりたりとも、さらに湯漬をだに食はせじ。心もなかりけりとて来ずは、さてありなむ。

 里などにて、北面より出だしては、いかがはせむ。それだになほぞある。


190 :197:(能185):風は

 風は 嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)。


190 :198:(能185):八、九月ばかりに

 八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚(あし)横さまにさわがしう吹きたるに、夏通したる綿衣(わたぎぬ)の掛かりたるを、 生絹の単衣かさねて着たるも、いとをかし。この生絹だにいと所せく暑かはしく取り捨てまほしかりしに、いつのほどにかく(=涼しく)なりぬるにか、と思ふ もをかし。暁に格子、端戸(つまど)をおしあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。


190 :199:(能185):九月つごもり、十月の頃

 九月つごもり・十月の頃、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋(むく)の葉こ そ、いととくは落つれ。

 十月ばかりに木立おほかる所の庭は、いとめでたし。


191 :200:(能186):野分のまたの日こそ

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られた るが、萩・女郎花(をみなへし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壷などに木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたる こそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着てまことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、 母屋(もや)より少しゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。

 ものあはれなるけしきに、見出だして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、十七八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見 えぬが、生絹の単衣のいみじうほころび絶え、花もかへり濡れなどしたる薄色の宿直物を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈(た け)ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより(=髪が)見ゆるに、童べ・若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こ し立てなどするを、うらやましげに(=簾を)押し張りて、簾に添ひたる後手(=後姿)も、をかし。


192 :201:(能187):心にくきもの

 心にくきもの もの隔てて聞くに、女房とはおぼえぬ手の忍びやかにをかしげに聞こえたるに、答(こた)へわかやかにして、うちそよめきて参るけはひ。も のの後ろ、障子などへだてて聞くに、御膳(おもの)参るほどにや、箸・匙(かひ)など、取りまぜて鳴りたる、をかし。ひさげの柄の倒れ伏すも、耳こそとま れ。

 よう打ちたる衣の上に、さわがしうはあらで、髪の振りやられたる、長さおしはからる。いみじうしつらひたる所の、大殿油は参らで、炭櫃などにいと多くお こしたる火の光ばかり照り満ちたるに、御帳の紐などのつややかにうち見えたる、いとめでたし。御簾の帽額・総角(あげまき)などにあげたる鈎(こ=金具) の際(きは)やかなるも、けざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の、灰の際(きは)清げにて、おこしたる火に、内にかきたる絵などの見えたる、いとをかし。箸 のいときはやかにつやめきて、筋交(すぢか)ひ立てるも、いとをかし。

 夜いたくふけて、御前にも大殿籠り、人々みな寝ぬる後、外のかたに殿上人などのものなどいふ<に>、奥に碁石の笥(け)に入るる音あまたた び聞こゆる、いと心にくし。火箸を忍びやかに突い立つるも、まだ起きたりけりと聞くも、いとをかし。なほ寝(い)ねぬ人は心にくし。人の臥したるに、物へ だてて聞くに、夜中ばかりなど、うちおどろきて聞けば、起きたるななりと聞こえて、いふことは聞こえず、男も忍びやかにうち笑ひたるこそ、何事ならむとゆ かしけれ。

 また、<主(しゆう)も>おはしまし、女房など候ふに、上人(うへびと)、内侍のすけなど、はづかしげなる、参りたる時、御前近く御物語な どあるほどは、大殿油も消ちたるに、長炭櫃(すびつ)の火に、もののあやめもよく見ゆ。

 殿ばらなどには、心にくき新参(いままゐり)のいと御覧ずる際にはあらぬほど、やや更かしてまうのぼりたるに、うちそよめく衣のおとなひなつかしう、ゐ ざり出でて御前に候へば、ものなどほのかに仰せられ、子めかしうつつましげに、声のありさま聞こゆべうだにあらぬほどにいと静かなり。女房ここかしこにむ れゐつつ、物語うちし、下りのぼる衣のおとなひなど、おどろおどろしからねど、さななりと聞こえたる、いと心にくし。

 内裏の局などに、うちとくまじき人のあれば、こなたの火は消ちたるに、かたはらの光の、ものの上などよりとほりたれば、さすがにもののあやめはほのかに 見ゆるに、短かき几帳引き寄せて、いと昼はさしも向かはぬ人なれば、几帳のかたに添ひ臥して、うちかたぶきたる頭つきのよさあしさは隠れざめり。直衣、指 貫など几帳にうちかけたり。

 六位の蔵人の青色もあへなむ。緑衫(ろうさう)はしも、あとのかたにかいわぐみて、暁にもえ探りつけでまどはせこそせめ。

 夏も、冬も、几帳の片つ方にうちかけて人の臥したるを、奥のかたよりやをらのぞいたるも、いとをかし。

 薫物の香、いと心にくし。


192 :202:(能なし):五月の長雨の頃

 五月の長雨の頃、上の御局の小戸の簾に、斉信の中将の寄りゐ給へりし香は、まことにをかしうもありしかな。その物の香ともおぼえず。おほかた雨にもしめ りて、艶なるけしきのめづらしげなきことなれど、いかでか言はではあらむ。またの日まで御簾にしみかへりたりしを、若き人などの世に知らず思へる、ことわ りなりや。


192 :203:(能なし):ことにきらきらしからぬ男の

 ことにきらきらしからぬ男(をのこ)の、高き、短かきあまたつれだちたるよりも、少し乗り馴らしたる車のいとつややかなるに、牛飼童、なりいとつきづき しうて、牛のいたうはやりたるを、童は遅(おく)るるやうに綱引かれて遣る。

 細やかなる男の裾濃だちたる袴、二藍か何ぞ、髪はいかにもいかにも、掻練、山吹など着たるが、沓のいとつややかなる、筒(どう)のもと近う走りたるは、 なかなか心にくく見ゆ。


193 :204:(能188):島は

 島は 八十島(やそしま)。浮島。たはれ島。ゑ島。松が浦島。豊浦(とよら)の島。まがきの島。


194 :205:(能189):浜は

 浜は うど浜。長浜。吹上(ふきあげ)の浜。打出(うちいで)の浜。もろよせの浜。千里(ちさと)の浜。広う思ひやらる。


195 :206:(能190):浦は

 浦は <をふ>[おほ]の浦。塩竈の浦。こりずまの浦。名高の浦。


196 :207:(能115):森は

 森は うへ木の森。石田(いはた)の森。木枯(こがらし)の森。うたた寝の森。岩瀬の森。大荒木(おほあらき)の森。たれその森。くるべきの森。立聞 (たちぎき)の森。

 横竪(よこたて)の森といふが耳にとまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、ただ一木あるを何事につけけむ。


197 :208:(能191):寺は

 寺は 壺坂。笠置(かさぎ)。法輪(ほふりん)。霊山(りやうぜん)は釈迦仏の御住処(すみか)なるがあはれなるなり。石山。粉河(こかは)。志賀。


198 :209:(能192):経は

 経は 法華経さらなり。普賢(ふげん)十願。千手経。随求(ずいぐ)経。金剛般若。薬師経。仁王経の下巻。


199 :210:(能194):仏は

 仏は 如意輪。千手、すべて六観音。薬師仏。釈迦仏。弥勒(みろく)。地蔵。文殊。不動尊。普賢。

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200 :211:(能193):ふみは

 書(ふみ)は 文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文(ぐわんもん)。表。博士の申文(まをしぶみ)。


201 :212:(能195):物語は

 物語は 住吉。うつほ。殿うつり。国ゆづりはにくし。むもれ木。月待つ女。梅壷の大将。道心すすむる。松が枝(え)。こま野<の>物語は、 古蝙蝠(かはほり=扇)探し出でて持て行きしがをかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子生ませて、かたみの衣など乞ひたるぞにくき。交野(かたの)の 少将。


202 :213:(能197):陀羅尼は

 陀羅尼は 暁。経は 夕暮。


203 :214:(能198):あそびは

 遊びは 夜。人の顔見えぬほど。


204 :215:(能199):あそびわざは

 遊びわざは 小弓。碁。さまあしけれど、鞠(まり)もをかし。<韻塞。碁>


205 :216:(能200):舞は

 舞は 駿河舞。求子(もとめご)、いとをかし。太平楽、太刀などぞうたてあれど、いとおもしろし。唐土(もろこし)に敵(かたき)どちなどして舞ひけむ など聞くに。

 鳥の舞。抜頭(ばとう)は髪振りあげたるまみなどはうとましけれど、楽(がく)もなほいとおもしろし。落蹲(らくそん)は二人して膝踏みて舞ひたる。狛 がた。


206 :217:(能201):弾くものは

 弾くものは 琵琶。調(しら)べは風香調(ふかうでう)。黄鐘調(わうしきでう)。蘇合(そがふ)の急(きふ)。鶯の囀りといふ調べ。

 筝(しやう)の琴、いとめでたし。調べは、相府連(さうふれん)。


207 :218:(能202):笛は

 笛は 横笛いみじうをかし。遠うより聞こゆるが、やうやう近うなりゆくもをかし。近かりつるが遥かになりて、いとほのかに聞こゆるも、いとをかし。車に ても、徒歩(かち)よりも、馬よりも、すべて、懐にさし入れて持たるも、何とも見えず。さばかりをかしき物はなし。まして聞き知りたる調子などは、いみじ うめでた し。暁などに忘れてをかしげなる枕のもとにありける、見付たるもなほをかし。人の取りにおこせたるをおし包みてやるも、立文のやうに見えたり。

 笙(さう)の笛は月の明かきに、車などにて聞き得たる、いとをかし。所せく持てあつかひにくくぞ見ゆる。さて、吹く顔やいかにぞ。それは横笛も吹きなし なめ<り>[し]かし。

 篳篥(ひちりき)はいとかしがましく、秋の虫を言はば、轡(くつわ)虫などの心地して、うたてけ近く聞かまほしからず。ましてわろく吹きたるは、いとに くきに、臨時の祭の日、まだ御前(おまへ)には出でで、ものの後ろに横笛をいみじう吹きたてたる、あな、おもしろと聞くほどに、なからばかりよりうち添へ て吹きのぼりたるこそ、ただいみじううるはし髪(がみ)持たらむ人も、みな立ちあがりぬべき心地すれ。やうやう琴・笛にあはせてあゆみ出でたる、いみじう をか し。


208 :219:(能203):見るものは

 見るものは 臨時の祭。行幸。祭のかへさ。御賀茂詣(みかもまうで)。


208 :220:(能203):賀茂の臨時の祭

 賀茂の臨時の祭、空の曇り寒げなるに、雪少しうち散りて、挿頭の花、青摺(あをずり)などにかかりたる、えも言はずをかし。太刀の鞘(さや)のきはやか に、黒うまだらにて、ひろう見えたるに、半臂(はんぴ)の緒(を)の瑩(えう)したるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、氷かとおどろくばかりなる打 目など、すべていとめでたし。今少しおほくわたらせまほしきに、使は必ずよき人ならず、受領などなるは目もとまらず憎げなるも、藤の花に隠れたるほどはを かし。なほ過ぎぬる方を見送るに、陪従(べいじゆう)のしなおくれたる、柳に挿頭の山吹わりなく見ゆれど、泥障(あふり)いと高ううち鳴らして、 「<賀茂>[神]の 社のゆふだすき」と歌ひたるは、いとをかし。


208 :221:(能203):行幸にならぶものは何にかはあらむ

 行幸にならぶものは何にかはあらむ。御輿(こし)に奉るを<見>奉るには、明暮御前に候ひつかうまつるともおぼえず、神々しく、いつくし う、いみじう、常は 何とも見えぬなにつかさ、姫まうち君さへぞ、やむごとなくめづらしくおぼゆるや。御綱の助の中・少将、いとをかし。

 近衛の大将、ものよりことにめでたし。近衛司(づかさ)こそなほいとをかしけれ。

 五月(=武徳殿への行幸)こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたることなめれば、いと口惜し。昔語(むかしがたり)に人の いふを聞き、思ひあは するに、げにいかなりけむ。ただその日は菖蒲(さうぶ)うち葺き、世の常のありさまだにめでたきをも、殿のありさま、所々の御桟敷どもに菖蒲葺(ふ)きわ たし、よろづの人ども菖蒲鬘(かづら)して、あやめの蔵人、形よき限り選りて出だされて、薬玉たまはすれば、拝して腰につけなどしけむほど、いかなりけ む。

 ゑいのすいゑうつりよきもなどうち(=「えびすのいへうつり、よもぎなどうち」からの誤写)けむこそ、をこにもをかしうもおぼゆれ。還(かへ)らせ給ふ 御輿のさきに、獅子・狛犬など舞ひ(=蘇芳菲の舞)、あはれさることのあ らむ、ほととぎすうち鳴き、頃(ころ)のほどさへ似るものなかりけむかし。

 行幸はめでたきものの、君達、車などの好ましう乗りこぼれて、上下(かみしも)走らせなどするがなきぞ口惜しき。さやうなる車のおしわけて立ちなどす るこそ、心ときめきはすれ。


208 :222:(能203):祭のかへさ、いとをかし

 祭のかへさ、いとをかし。昨日はよろづのうるはしくして、一条の大路の広う清げなるに、日の影も暑く、車にさし入りたるもまばゆければ、扇して隠し、居 なほり、久しく待つも苦しく、汗などもあえしを、今日はいととく急ぎ出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵・蔓(かづら)どももうちなびき て見ゆる。

 日は出でたれども、空はなほうち曇りたるに、いみじう、いかで聞かむと、目をさまし起きゐて待たるる郭公の、あまたさへあるにやと鳴き響かすは、いみじ うめでたしと思ふに、<鶯>[うぐひ]の老いたる声して彼に似せむと、ををしううち添へたるこそ、憎けれどまたをかしけれ。

 いつしかと待つに、御社の方より赤衣うち着たる者どもなどのつれだちて来るを、「いかにぞ。事なりぬや」といへば、「まだ、無期(むご)」などいら へ、御輿など持て帰る。かれに奉りておはしますらむもめでたく、け高く、いかでさる下衆などの近く候ふにかとぞ、おそろしき。

 遥かげに言ひつれど、ほどなく還らせ給ふ。扇よりはじめ、青朽葉どものいとをかしう見ゆるに、所の衆の、青色に白襲をけしきばかり引きかけたるは、卯の 花の垣根近うおぼえて、ほととぎすもかげに隠れぬべくぞ見ゆるかし。

 昨日は車一つにあまた乗りて、二藍の同じ指貫、あるは狩衣など乱れて、簾解きおろし、もの狂ほしきまで見えし君達の、斎院の垣下(ゑが=相伴人)にと て、日の装束うるはしうして、今日は一人づつさうざうしく乗りたる後(しり)に、をかしげなる殿上童(わらは)乗せたるもをかし。

 わたり果てぬる、すなはちは心地も惑ふらむ、我も我もと危ふく恐ろしきまで前(さき)に立たむと急ぐを、「かくな急ぎそ」と扇をさし出でて制するに、聞 きも入れねば、わりなきに、少しひろき所にて強ひてとどめさせて立てる、心もとなく憎しとぞ思ひたるべきに、ひかへたる車どもを見やりたるこそをかしけ れ。

 男車の誰(たれ)とも知らぬが後(しり)に引きつづきて来るも、ただなるよりはをかしきに、引き別るる所にて、「峰にわかるる」と言ひたるもをかし。な ほあかず をかしければ、斎院の鳥居のもとまで行きて見るをりもあり。

 内侍の車などのいとさわがしければ、異方(ことかた)の道より帰れば、まことの山里めきてあはれなるに、卯つ木垣根といふものの、いとあらあらしくおど ろおどろしげに、さし出でたる枝どもなどおほかるに、花はまだよくも開(ひら)けはてず、つぼみたるがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたにさしたる も、蔓な どのしぼみたるが口惜しきに、をかしうおぼゆ。いとせばう、えも通るまじう見ゆる行く先を、近う行きもて行けば、さしもあらざりけることをかしけれ。


209 :223:(能204):五月ばかりなどに山里にありく

 五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとたたざまに行けば、下は えならざりける水の、深くはあらねど、人などのあゆむに走りあがりたる、いとをかし。

 左右(ひだりみぎ)にある垣にあるものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、急ぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いと口惜 しけれ。蓬の、車に押しひしがれたりけるが、輪の回りたるに、近ううちかかりたるもをかし。


210 :224:(能205):いみじう暑きころ

 いみじう暑きころ、夕涼みといふほど、物のさまなどもおぼめかしきに、男車の前駆(さき)追ふはいふべきにもあらず、ただの人も後(しり)の簾(すだ れ)あげ て、二人も、一人も、乗りて走らせ行くこそ涼しげなれ。まして、琵琶掻い調べ、笛の音など聞こえたるは、過ぎて往ぬるも口惜し。さやうなるは、牛の鞦(し りがい)の香の、なほあやしう、嗅ぎ知らぬものなれど、をかしきこそもの狂ほしけれ。

 いと暗う、闇なるに、前(さき)にともしたる松の煙の香の、車のうちにかかへたるもをかし。


211 :225:(能247):五月四日の夕つ方

 五月四日の夕つ方、青き草おほくいとうるはしく切りて、左右(ひだりみぎ)担(にな)ひて、赤衣着たる男の行くこそをかしけれ。


212 :226:(能248):賀茂へまゐる道に

 賀茂へまゐる道に、田植うとて女の新しき折敷(をしき)のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて歌をうたふ。折れ伏すやうに、また何事するとも見えで 後ろざまに行く。いかなるにかあらむ。をかしと見ゆるほどに、ほととぎすをいとなめう歌ふを聞くにぞ心憂き。「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこ そ、我は田植うれ」と歌ふを聞くも、いかなる人か「いたくな鳴きそ」とは言ひけむ。仲忠(なかただ)が童生(わらはお=生い立ち)ひ言ひ落とす人と、ほと とぎす鴬に劣ると言ふ人こそ、いとつらうにくけれ。


213 :227:(能249):八月つごもり

 八月つごもり、太秦(=広隆寺)に詣づとて見れば、穂に出でたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。「早苗取りしかいつのまに」、まことにさいつ ころ賀茂へ詣づとて見しが(=212)、あはれにもなりにけるかな。これは男(をのこ)どもの、いと赤き稲の本(もと)ぞ青きを<取>[も た]りて刈る。何にかあらむ して本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかでさすらむ、穂をうち敷きて並みをるも、をかし。庵(いほ)のさまなど。


214 :228:(能なし):九月二十日あまりのほど

 九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家に泊まりたりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。

 夜ふけて、月の窓より洩りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人歌よ むかし。


215 :229:(能なし):清水などに参りて

 清水などに参りて、坂もとのぼるほどに、柴たく香のいみじうあはれなるこそをかしけれ。


216 :230:(能206):五月の菖蒲の

 五月の菖蒲の、秋冬過ぐるまであるが、いみじう白(しら)み枯れてあやしきを、引き折りあげたるに、その折の香の残りてかかへたる、いみじうをかし。


217 :231:(能207):よくたきしめたる薫物の

 よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、引き上げたるに、煙(けぶり)の残りたるは、ただ今の香(か)よりもめでたし。


218 :232:(能208):月のいと明かきに

 月のいと明かきに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶(すゐさう)などの割れたるやうに、水の散りたるこそをかしけれ。


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下巻の下(第219~301段および跋文)
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219 :233:(能209):おほきにてよきもの

 大きにてよきもの 家。餌袋(ゑぶくろ)。法師。菓子(くだもの)。牛。松の木。硯の墨。

 男(をのこ)の目の細きは、女びたり。また、鋺(かなまり)のやうならむもおそろし。火桶。酸漿(ほほづき)。山吹の花。桜の花びら。


220 :234:(能210):短くてありぬべきもの

 短くてありぬべきもの とみのもの縫ふ糸。下衆女の髪。人のむすめの声。灯台。


221 :235:(能211):人の家につきづきしきもの

 人の家につきづきしきもの 肱折りたる廊。円座(わらふだ)。三尺の几帳。おほきやかなる童女(どうによ)。よきはしたもの。

 侍の曹司(ざうし)。折敷(をしき)。懸盤。中(ちゆう)の盤。おはらき。衝立障子。かき板。装束よくしたる餌袋。傘(からかさ)。棚厨子。提子(ひさ げ)。銚子。


222 :236:(能212):ものへ行く路に

 ものへ行く路に、清げなる男(をのこ)の細やかなるが、立文持ちて急ぎ行くこそ、いづちならむと見ゆれ。

 また、清げなる童べなどの、袙(あこめ)どものいとあざやかなるにはあらで、なえばみたるに、屐子(けいし)のつややかなるが、歯に土おほく付きたるを 履きて、白き紙に大きに包みたる物、もしは箱の蓋に草子どもなど入れて持て行くこそ、いみじう、呼びよせて見まほしけれ。

 門近(かどちか)なる所の前わたりを呼び入るるに、愛敬なく、いらへもせで行く者は、使ふらむ人こそおしはからるれ。


223 :237:(能214):よろづの事よりも

 よろづの事よりも、わびしげなる車に装束わるくて物見る人、いともどかし。説経などはいとよし。罪失ふことなれば。それだになほあながちなるさまにては 見苦しきに、まして祭などは見でありぬべし。下簾なくて、白き単衣の袖などうち垂れてあめりかし。ただその日の料と思ひて、車の簾もしたてて、いと口惜し うはあらじと出でたるに、まさる車などを見つけては、何しにとおぼゆるものを、まいて、いかばかりなる心にて、さて見るらむ。

 よき所に立てむといそがせば、とく出でて待つほど、ゐ入り、立ち上がりなど、暑く苦しきに困ずるほどに、斎院の垣下(ゑが)に参りける殿上人・所の衆・ 弁・少納言など、七つ八つと引きつづけて、院の方より走らせてくるこそ、事なりにけりとおどろかれてうれしけれ。

 物見の所の前に立てて見るも、いとをかし。殿上人物言ひにおこせなどし、所の御前(ごぜん)どもに水飯(すゐはん)食はすとて、階(はし)のもとに馬引 き寄するに、おぼえある人の子どもなどは、雑色など下りて馬の口取りなどしてをかし。さらぬ者の見も入れられぬなどぞいとほしげなる。

 御輿のわたらせ給へば、轅どもある限りうちおろして、過ぎさせ給ひぬれば、まどひあぐるもをかし。その前に立つる車はいみじう制するを、「などて立つま じき」とて強ひて立つれば、言ひわづらひて、消息などするこそをかしけれ。所もなく立ちかさなりたるに、よきところの御車、副車(ひとだまひ)引きつづき ておほく来るを、いづこに立たむとすらむと見るほどに、御前(ごぜん)どもただ下りに下りて、立てる車どもをただ除けに除けさせて、副車まで立てつづけ させつるこそ、いとめでたけれ。追ひさげさせつる車どもの、牛かけて、所あるかたにゆるがし行(ゆ)くこそ、いとわびしげなれ。きらきらしくよきなどを ば、いとさしもおしひしがず。いと<清>[きよ]げなれど、またひなび、あやしき下衆など絶えず呼び寄せ、出だし据ゑなどしたるもあるぞか し。


224 :238:(能215):細殿にびんなき人なむ

 「細殿に便(びん)なき人(=不適切な男)なむ、暁に笠さして出でける」と言ひ出でたるを、よく聞けば、わがうえなりけり。地下(ぢげ=六位以下)など 言ひても、目やすく人に許さるばかりの人にもあらざなるを、あやしのことやと思ふほどに、上より御文持て来て、「返りごと、ただ今」と仰せられたり。何事 にかとて見れば、大笠の絵(かた)をかきて、人は見えず、ただ手の限り笠を捉へさせて、下(しも)に、

  「山の端明けし朝(あした)より」

と書かせ給へり。なほはかなきことにても、ただめでたくのみおぼえさせ給ふに、はづかしく心づきなきことは、いかでか御覧ぜられじと思ふに、かかるそら言 の出でくる、苦しけれど、をかしくて、こと紙に、雨をいみじう降らせて、下に、

  「ならぬ名の立ちにけるかな

さてや、濡れ衣にはなり侍らむ」
と啓したれば、右近の内侍などに語らせ給ひて、笑はせ給ひけり。


225 :239:(能216):三条の宮におはします頃

 三条の宮におはします頃、五日の菖蒲の輿などもて参り、薬玉参らせなどす。

 若き人々、御匣殿など、薬玉して姫宮・若宮に着け奉らせ給ふ。いとをかしき薬玉ども、ほかより参らせたるに、青刺(あをざし=菓子)といふ物を持て来た るを、青き薄様を艶なる硯の蓋に敷きて、「これ、笆(ませ)越しに候ふ」とて参らせたれば、

  みな人の花や蝶やと急ぐ日もわが心をば君ぞ知りける

 この紙の端を引き破(や)らせ給ひて書かせ給へる、いとめでたし。


226 :240:(能099):御乳母の大輔の命婦

 御乳母の大輔(たいふ)の命婦、日向へ下るに、賜はする扇どもの中に、片つ方は日いとうららかにさしたる田舎の館(たち)などおほくして、今片つ方は京 のさるべき 所にて、雨いみじう降りたるに、

  あかねさす日に向かひても思ひ出でよ都は晴れぬながめすらむと

と御手にて書かせ給へる、いみじうあはれなり。さる君を見おき奉りてこそえ行くまじけれ。


227 :241:(能281):清水にこもりたりしに

 清水にこもりたりしに、わざと御使して賜はせたりし、唐の紙の赤みたるに、草(さう)にて、

  「山ちかき入相(いりあひ)の鐘の声ごとに恋ふる心の数は知るらむ

ものを、こよなの長居や」とぞ書かせ給へる。紙などのなのめげならぬも、取り忘れたる旅にて、紫なる蓮の花びらに書きてまゐらす。


228 :242:(能223):駅は

 駅は 梨原(なしはら)。望月の駅。やまは駅は、あはれなりしことを聞きおきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほ取りあつめてあはれな り。


229 :243:(能225):社は

 社は 布留の社。生田の社。旅の御社。花ふちの社。杉の御社は、しるしやあらむとをかし。ことのままの明神、いとたのもし。「さのみ聞きけむ」とや言は れ給はむ、と思ふぞいとほしき。


229 :244:(能225):蟻通の明神

 蟻通(ありどほし)の明神、貫之が馬のわづらひけるに、この明神の病ませ給ふとて、歌よみ奉りけむ、いとをかし。この蟻通しとつけけるは、まことにやあ りけむ、昔おはしましける帝の、ただ若き人をのみおぼしめして、四十(よそぢ)になりぬるをば、失なはせ給ひければ、人の国の遠きに行き隠れなどして、さ らに都のうちにさる者のなかりけるに、中将なりける人の、いみじう時の人にて、心などもかしこかりけるが、七十(ななそぢ)近き親二人を持たるに、かう四 十をだに制することにまいておそろしと怖(お)ぢ騒ぐに、いみじく孝(けう)なる人にて、遠き所に住ませじ、一日(ひとひ)に一たび見ではえあるまじと て、 みそかに家のうちの地(つち)を掘りて、そのうちに屋をたてて、籠め据ゑて、行きつつ見る。人にも、おほやけにも、失せ隠れにたる由を知らせてあり。など か、家に 入り居たらむ人をば知らで(=知らない顔して)もおはせかし。うたてありける世にこそ。この親は上達部などにはあらぬにやありけむ、中将などを子にて持た りけるは。心いとかしこう、よろづの事知りたりければ、この中将も若けれど、いと聞こえあり、いたりかしこくして、時の人におぼすなりけり。

 唐土の帝、この国の帝を、いかで謀りてこの国討ち取らむとて、常に試みごとをし、あらがひごとをしておそり(?)給ひけるに、つやつやとまろにうつくし げに削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづかた」と問ひに奉りたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしわづらひたるに、いとほしくて、親 のもとに行きて、「かうかうの事なむある」といへば、「ただ、速からむ川に、立ちながら横さまに投げ入れて、返りて流れむかたを末と記(しる)して遣は せ」と教ふ。参りて、我が知り顔に、「さて試み侍らむ」とて、人と具して、投げ入れたるに、先にして行くかたにしるしをつけて遣はしたれば、まことにさな りけり。

 また、二尺ばかりなる蛇(くちなは)の、ただ同じ長さなるを、「これはいづれか男女(をとこをんな)」とて奉れり。また、さらに人え見知らず。例の中将 来て問へば、「二つを並べて、尾のかたに細きすばえをしてさし寄せむに、尾はたらかざらむを女(め)と知れ」といひける、やがて、それは内裏(だいり)の うちにてさ、しけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、またさるしるしをつけて、遣はしけり。

 ほど久しくて、七曲(ななわた)にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるが小さきを奉りて、「これに緒通してたまはらむ。この国にみなし侍る事 なり」とて奉りたるに、「いみじからむものの上手不用(=お手上げ)なり」と、そこらの上達部・殿上人、世にありとある人いふに、また行きて、「かくな む」といへば、 「大きなる蟻をとらへて、二つばかりが腰に細き糸をつけ(=二匹の蟻をつなぎ)て、またそれに、今少し太きをつけて、あなたの口に蜜(みち)を塗りて見 よ」といひ ければ、さ申して、蟻を 入れたるに、蜜の香を嗅ぎて、まことにいととくあなたの口より出でにけり。さて、その糸の貫ぬかれたるを遣はしてける後になむ、「なほ日の本の国はかしこ かりけり」とて、後にさる事もせざりける。

 この中将をいみじき人におぼしめして、「何わざをし、いかなる官・位をか賜ふべき」と仰せられければ、「さらに官もかうぶりもたまはらじ。ただ老いたる 父母(ちちはは)の隠れ失せて侍る、尋ねて、都に住まする事を許させ給へ」と申しければ、「いみじうやすき事」とてゆるされければ、よろづの人の親これを 聞きてよろこ ぶこといみじかりけり。中将は上達部、大臣になさせ給ひてなむありける。

 さて、その人の神になりたるにやあらむ、その神の御もとに詣でたりける人に、夜現れてのたまへりける、

 七曲にまがれる玉の緒をぬきてありとほしとは知らずやあるらむ

とのたまへりける、と人の語りし。


230 :245:(能241):一条の院をば今内裏とぞいふ

 一条の院をば新内裏(いまだいり)とぞいふ。おはします殿(でん)は清涼殿にて、その北なる殿に(=中宮は)おはします。西、東は渡殿にて、わたらせ給 ひ、まうのぼら せ給ふ道にて、前は壺なれば、前栽植ゑ、笆(ませ)結ひて、いとをかし。

 二月二十日ばかりのうらうらとのどかに照りたるに、渡殿の西の廂にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠(たかとほ)の兵部卿御笛の師にてものし給ふを、御笛二 つして高砂を折り返へして吹かせ給へば、なほいみじうめでたしといふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集まり出で て、見奉る折は、「芹(せり)摘みし」(=不満)などおぼゆることこそなけれ。

 すけただは木工(もく)の允(じよう)にてぞ蔵人にはなりたる。いみじくあらあらしくうたてあれば、殿上人、女房、「あらはこそ」とつけたるを、歌に作 りて、「双(さう)なしの主(ぬし)、尾張人(をはりうど)の種にぞありける」と歌ふは、尾張の兼時がむすめの腹なりけり。これを御笛に吹かせ給ふを、添 ひに候 ひて、「なほ高く吹かせおはしませ。え聞き候はじ」と申せば、「いかが。さりとも、聞き知りなむ」とて、みそかにのみ吹かせ給ふに、あなたより渡りおはし まして、「かの者なかりけり。ただ今こそ吹かめ」と仰せられて吹かせ給ふは、いみじうめでたし。


231 :246:(能242):身をかへて、天人などは

 身をかへて、天人などはかうやあらむと見ゆるものは、ただの女房にて候ふ人の、御乳母(めのと)になりたる。唐衣(からぎぬ)も着ず、裳をだにも、よう 言はば着ぬさまにて御前に添ひ臥し、御帳のうちを居所(ゐどころ)にして、女房どもを呼びつかひ、局(つぼね)にものを言ひやり、文(ふみ)を取りつがせ などしてあるさま、言ひつくすべくもあらず。

 雑色(ざふしき)の蔵人になりたる、めでたし。去年(こぞ)の十一月(しもつき)の臨時の祭に(=雑色が)御琴(みこと)持たりしは、人とも見えざりし に、君達(き んだち)とつれだちてありくは、いづこなる人ぞとおぼゆれ。(=雑色の)ほかよりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。


232 :247:(能243):雪高う降りて

 雪高う降りて、今もなほ降るに、五位も四位も、色うるはしう若やかなるが、袍(うへのきぬ)の色いと清らにて、革の帯の形(かた)つきたるを、宿直姿 に、ひきはこえて、紫の指貫も雪に冴え映えて、濃さまさりたるを着て、袙の紅ならずは、おどろおどろしき山吹を出だして、傘(からかさ)をさしたるに、風 のいたう吹きて横さまに雪を吹き掛くれば、少し傾ぶけて歩み来るに、深き沓・半靴(はうくわ)などのはばきまで、雪のいと白うかかりたるこそをかしけれ。


233 :248:(能244):細殿の遣戸を

 細殿の遣戸をいととうおしあけたれば、御湯殿(おゆどの)に馬道(めだう)より下りて来る殿上人、なえたる直衣・指貫の、いみじうほころびたれば、色々 の衣どものこぼれ出でたるを押し入れなどして、北の陣ざまにあゆみ行くに、あきたる戸の前を過ぐとて、纓(えい=冠の尻尾)をひき越して顔にふたぎて往ぬ るもをかし。


234 :249:(能224):岡は

 岡は 船岡。片岡。鞆岡(ともおか)は、笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡。人見の岡。


235 :250:(能226):降るものは

 降るものは 雪。霰(あられ)。霙(みぞれ)はにくけれど、白き雪のまじりて降る、をかし。


235 :251:(能226):雪は

 雪は、檜皮葺(ひはだぶき)、いとめでたし。少し消え方になりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをか し。

 時雨・霰は 板屋。

 霜も 板屋。庭。


236 :252:(能227):日は

 日は 入日。入り果てぬる山の端に、光のなほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。


237 :253:(能228):月は

 月は 有明の東の山際に細くて出づるほど、いとあはれなり。


238 :254:(能229):星は

 星は すばる。牽牛(ひこぼし)。夕づつ。よばひ星、少しをかし。尾だになからましかば、まいて。


239 :255:(能230):雲は

 雲は 白き。紫。黒きもをかし。風吹くをりの雨雲。

 明け離るるほどの黒き雲の、やうやう消えて、白うなりゆくも、いとをかし。「朝(あした)にさる色」とかや、書(ふみ)にも作りたなる。

 月のいと明かき面(おもて)に薄き雲、あはれなり。


240 :256:(能231):さわがしきもの

 さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の斎(とき)の生飯(さば)食ふ。十八日に、清水にこもりあひたる。

 暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人の来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主(あるじ)の上りたる、いとさわがし。

 近きほどに火出で来ぬといふ。されど、燃えはつかざりけり。


241 :257:(能232):ないがしろなるもの

 ないがしろなるもの 女官どもの髪上げ姿。唐絵の革の帯の後ろ。聖のふるまひ。


242 :258:(能233):ことばなめげなるもの

 ことばなめげなるもの 宮の部(べ)の祭文(さいもん)読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴の陣の舎人。相撲(すまひ)。


243 :259:(能234):さかしきもの

 さかしきもの 今様の三歳児(みとせご)。ちごの祈りし、腹などとる女。ものの具ども請ひ出でて、祈り物作る、紙をあまたおし重ねて、いと鈍き刀して切 るさまは、一重だに断つべくもあらぬに、さるものの具となりにければ、おのが口をさへ引きゆがめておし切り、目多かるものどもして、かけ竹うち割りなどし て、いと神々しうしたてて、うち振るひ祈ることども、いとさかし。かつは、「なにの宮・その殿の若君、いみじうおはせしを、掻い拭(のご)ひたるやうに やめ(=治し)奉りたりしかば、禄を多く賜りしこと。その人かの人召したりけれど、験(しるし)なかりければ、今に嫗(おんな=私)をなむ召す。御徳をな む見る」な ど語りをる顔もあやし。

 下衆の家の女主(あるじ)。痴れたる者、それしもさかしうて、まことにさかしき人を教へなどすかし。


244 :260:(能245):ただ過ぎに過ぐるもの

 ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ)。春、夏、秋、冬。


245 :261:(能246):ことに人に知られぬるもの

 ことに人に知られぬるもの 凶会日(くゑにち)。人の女親(めおや)の老いにたる。


246 :262:(能027):文ことばなめき人こそ

 文のことばなめき人こそいとにくけれ。世をなのめに書き流したることばのにくきこそ。

 さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げにわろきことなり。されど、我が得たらむはことわり、人のもとなるさへにくくこそあれ。

 おほかたさし向かひても、なめきは、などかく言ふらむとかたはらいたし。まいて、よき人などをさ申す者はいみじうねたうさへあり。田舎びたる者などの、 さあるは、をこにていとよし。

 男主(をとこしゆう)などなめく言ふ、いとわるし。我が使ふ者などの、「何とおはする」「のたまふ」など言ふ、いとにくし。ここもとに「侍り」などいふ 文字をあらせばや と聞くこそ多かれ。さも言ひつべき者には、「似げな、愛敬な、などかう、このことばはなめき」と言へば、聞く人も言はるる人も笑ふ。かうおぼゆればにや、 「あまり見そす」など言ふも、人わろきなるべし。

 殿上人、宰相などを、ただ名のる名を、いささかつつましげならず言ふは、いとかたはなるを、清うさ言はず、女房の局なる人をさへ、「あの御もと」「君」 など言へば、めづらかにうれしと思ひて、ほむることぞいみじき。

 殿上人・君達、御前よりほかにては官(つかさ)をのみ言ふ。また、御前にてはおのがどちものを言ふとも、聞こしめすには、などてか「まろが」などは言は む。さ言はむにかしこく、言はざらむにわろかるべきことかは。


247 :263:(能250):いみじうきたなきもの

 いみじうきたなきもの なめくぢ。えせ板敷の帚(ははき=ほうき)の末。殿上の合子(がふし=朱塗りの椀)。


248 :264:(能251):せめておそろしきもの

 せめておそろしきもの 夜鳴る神。近き隣に、盗人の入(い)りたる。わが住む所に来たるは、ものもおぼえねば何とも知らず。

 近き火、またおそろし。


249 :265:(能252):たのもしきもの

 たのもしきもの 心地あしきころ、伴僧あまたして修法(ずほふ)したる。心地などのむつかしきころ、まことまことしき思人(おもひびと)の言ひなぐさめ たる。

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250 :266:(能253):いみじうしたたてて婿とりたるに

 いみじうしたたてて婿取りたるに、ほどもなく住まぬ婿の、舅に会ひたる、いとほしとや思ふらむ。

 ある人の、いみじう時に会ひたる人の婿になりて、ただ一月ばかりも、はかばかしうも来でやみにしかば、すべていみじう言ひさわぎ、乳母(めのと)などや うの者は、まがまがしきことなどいふもあるに、そのかへる正月(むつき)に蔵人になりぬ。「『あさましう、かかるなからひには、いかで』とこそ人は思ひた れ」など、言ひあつかふは、(=婿は)聞くらむかし。

 六月(みなつき)に人の八講し給ふ所に、人々集まりて聞きしに、蔵人になれる婿の、綾(りよう)の表(うへ)の袴、黒半臂などいみじうあざやかにて、忘 れにし人の車の鴟(とみ)の尾といふものに、半臂の緒を引きかけつばかりにてゐたりしを、いかに見るらむと、車の人々も知りたる限りはいとほしがりしを、 こと人々も、「つれなくゐたりしものかな」など、後にも言ひき。

 なほ、男は、もののいとほしさ、人の思はむことは知らぬなめり。


251 :267:(能なし):世の中になほいと心うきものは

 世の中になほいと心憂きものは、人ににくまれむことこそあるべけれ。たれてふ物狂ひか、われ人にさ思はれむとは思はむ。されど、自然に宮仕へ所にも、 親・同胞(はらから)の中にても、思はるる思はれぬがあるぞいとわびしきや。

 よき人の御ことはさらなり。下衆などのほども、親などのかなしうする子は、目たて耳たてられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるはことわり、いか が思はざらむとおぼゆ。ことなることなきはまた、これをかなしと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり。

 親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に思はれむばかりめでたきことはあらじ。

252 :268:(能なし):男こそ、なほいとありがたく

 男こそ、なほいと在り難く怪しき心地したるものはあれ。いと清げなる人を棄てて、にくげなる人を持たるもあやしかし。おほやけ所に入り立ちする男、家の 子などは、あるがなかによからむをこそは、選りて思ひ給はめ。およぶまじからむ際をだに、めでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかかれかし。人のむす め、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふは、いかなることにかあらむ。

 かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌もあはれに詠みて、うらみおこせなどするを、(=男は)返事(かへりごと)はさかしらにうちするも のから、寄 りつかず、らうたげにうち嘆きてゐたる(=女)を、見捨てて行きなどするは、あさましう、おほやけ腹立ちて、見証(けんそ)の心地(=第三者から見ても) も心憂く 見ゆべけれど、身の上にては、つゆ心苦しさを思ひ知らぬよ。


253 :269:(能なし):よろづの事よりも情けあるこそ

 よろづの事よりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげの言葉なれど、せちに心に深く入らねど、いとほしき事をば「いとほし」とも、 あはれなるをば「げにいかに思ふらむ」など言ひけるを、伝へて聞きたるは、さし向ひていふよりもうれし。いかでこの人に「思ひ知りけり」とも見えにしが な、と常にこそおぼゆれ。

 かならず思ふべき人、とふべき人はさるべきことなれば、取り分かれしもせず。さもあるまじき人の、さしいらへをも後ろやすくしたるは、うれしきわざな り。いとやすきことなれど、さらにえあらぬことぞかし。

 おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人も多かるべし。


254 :270:(能なし):人のうへいふを

 人のうへいふを腹立つ人こそいとわりなけれ。いかでか言はではあらむ。わが身をばさしおきて、さばかりもどかしく言はまほしきものやはある。されど、け しからぬやうにもあり、また、おのづから聞きつけて、うらみもぞする、あいなし。

 また、思ひはなつまじきあたりは、いとほしなど思ひ解けば、念じて言はぬをや。さだになくば、うち出で、笑ひもしつべし。


255 :271:(能312):人の顔に

 人の顔に、取り分きてよしと見ゆる所は、たびごとに見れども、あなをかし、めづらし、とこそおぼゆれ。絵など、あまた度(たび)見れば、目も立たずか し。近う立てたる屏風の絵などは、いとめでたけれども、見も入れられず。

 人のかたちはをかしうこそあれ。にくげなる調度(でうど)の中にも、一つよき所のまもらるるよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。


256 :272:(能なし):古代の人の指貫着たるこそ

 古代(こたい)の人の、指貫着たるこそ、いとたいだいしけれ。前に引き当てて、まづ裾をみな籠め入れて、腰はうち捨てて、衣の前を調(ととの)へはて て、腰をおよびてとるほどに、後ろざまに手をさしやりて、猿の手結はれたるやうにほどき立てるは、とみのことに出でたつべくも見えざめり。


257 :273:(能217):十月十余日の月の

 十月十余日の月のいと明かきに、ありきて見むとて、女房十五六人ばかりみな濃き衣を上に着て、引き返しつつありしに、中納言の君の、紅の張りたるを着 て、頸より髪をかき越し給へりしが、あたらし。卒塔婆(そとば)に、いとよくも似たりしかな。「ひひなのすけ」とぞ若き人々つけたりし。後(しり)に立ち て笑ふも知 らずかし。


258 :274:(能なし):成信の中将こそ

 成信の中将こそ、人の声はいみじうよう聞き知り給ひしか。同じ所の人の声などは、常に聞かぬ人はさらにえ聞き分かず。ことに男は人の声をも手をも、見分 き聞き分かぬものを、いみじうみそかなるも、かしこう聞き分き給ひしこそ。


259 :275:(能218):大蔵卿ばかり

 大蔵卿ばかり、耳とき人はなし。まことに、蚊の睫(まつげ)の落つるをも聞きつけ給ひつべうこそありしか。

 職の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将(=成信)宿直にて、ものなど言ひしに、そばにある人の、「この中将に、扇の絵のこと言へ」とささめけば、 「今、かの君の立ち給ひなむにを」と、いとみそかに言ひ入るるを、その人だにえ聞きつけで、「何とか、何とか」と耳をかたぶけ来るに、遠くゐて、「にく し。さのたまはば、今日は立たじ」とのたまひしこそ、いかで聞きつけ給ふらむとあさましかりしか。


260 :276:(能254):うれしきもの

 うれしきもの まだ見ぬ物語の一(=第一巻)を見て、いみじうゆかしとのみ思ふが、残り見出でたる。さて、心劣りする(=期待外れ)やうもありかし。

 人の破(や)り捨てたる文を継ぎて見るに、同じ続きをあまたくだり見続けたる。いかならむと思ふ夢を見て、恐ろしと胸つぶるるに、ことにもあらず合はせ (=夢判断)なしたる、いとうれし。

 よき人の御前に、人々あまた候ふをり、昔ありけることにもあれ、今聞こしめし、世に言ひけることにもあれ、語らせ給ふを、われ(=清少)に御覧じ合はせ てのたまは せたる、いとうれし。

 遠き所はさらなり、同じ都のうちながらも隔たりて、身にやむごとなく思ふ人のなやむ(=病む)を聞きて、いかにいかにと、おぼつかなきことを嘆くに、お こたりたる 由、消息聞くも、いとうれし。

 思ふ人の、人にほめられ、やむごとなき人などの、口惜しからぬ者におぼしのたまふ。もののをり、もしは、人と言ひかはしたる歌の聞こえて、打聞(うちぎ き)などに書き入れらるる。みづか(=清少自身)らのうへにはまだ知らぬことなれど、なほ思ひやるよ。

 いたううち解けぬ人の言ひたる故(ふる)き言の、知らぬを聞き出でたるもうれし。後(のち)にものの中などにて見出でたるは、ただをかしう、これにこそ ありけれと、彼(か)の言ひたりし人ぞをかしき。

 陸奥国紙(みちのくにがみ)、ただのも、よき得たる。はづかしき人の、歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる、われながらうれし。常におぼえたることも、 また人の問ふに、清 う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むるもの見出でたる。

 物合(ものあはせ)、何くれと挑むことに勝ちたる、いかでかうれしからざらむ。また、われはなど思ひてしたり顔なる人謀(はか)り得たる。女どちより も、男はまさりてうれし。これが答(たふ=仕返し)は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるもをかしきに、いとつれなく、何とも思ひたらぬさまに て、たゆめ 過ぐすも、またをかし。にくき者のあしきめ見るも、罪や得らむと思ひながら、またうれし。

 ものの折に衣打たせにやりて、いかならむと思ふに、きよらにて得たる。刺櫛(さしぐし)磨(す)らせたるに、をかしげなるもまたうれし。「また」もおほ かるものを。

 日頃、月頃しるきことありて、悩みわたるが、おこたりぬるもうれし。思ふ人の上は、わが身よりもまさりてうれし。

 御前に人々所もなくゐたるに、今のぼりたるは、少し遠き柱もとなどにゐたるを、とく御覧じつけて、「こち」と仰せらるれば、道あけて、いと近う召し入れ られたるこそうれしけれ。


261 :277:(能255):御前にて人々とも、また

 御前にて人々とも、また、もの仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしな ばやと思ふに、ただの紙のいと白う清げなるに、よき筆、白き色紙、陸奥国紙など得つれば、こよなうなぐさみて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべ かんめりとなむおぼゆる。また、高麗縁(ばし)の筵(むしろ)青うこまやかに厚きが、縁(へり)の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを引きひろげて見れ ば、何か、なほこの世は、さらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなきことにもなぐさむなるかな。『姨捨山の月』 は、いかなる人の見けるにか」など笑はせ給ふ。候ふ人も、「いみじうやすき息災の祈りななり」などいふ。

 さてのち、ほど経て、心から思ひみだるることありて里にある頃、めでたき紙二十を包みてたまはせたり。仰せごとには、「とくまゐれ」などのたまはせで、 「これは聞こし召しおきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることを おぼしおかせ給へりけるは、なほただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。心もみだれて、啓すべきかたもなければ、ただ、

 「かけまくもかしこき神のしるしには鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな

あまりにやと啓せさせ給へ」とて参らせつ。台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単衣取らせなどして、まことに、この紙を草子に作りなどもて騒ぐに、 むつかしきこともまぎるる心地して、をかしと心のうちにおぼゆ。

 二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、「これ」といふ。「あれは誰そ。あらはなり」など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。「いづこよ りぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて取り入れたれば、ことさらに御座(ござ)といふ畳のさまにて、高麗など、いと清らなり。心のうちには、さにやあ らむなど思へど、なほおぼつかなさに、人々出だして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければ、いふかひなくて、所違へなどならば、おのづか らまた言ひに来なむ。宮の辺(へん)に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべしと思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ。仰せごとな めりと、 いみじうをかし。

 二日ばかり音もせねば、疑ひなくて、右京の君のもとに、「かかることなむある。さることやけしき見給ひし。忍びてありさまのたまへ。さること見えずは、 かう申したりとな散らし給ひそ」と言ひやりたるに、「いみじう隠させ給ひしことなり。ゆめゆめまろが聞こえたると、な口にも」とあれば、さればよと思ふも しるく、をかしうて、文を書きて、またみそかに御前の高欄におかせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落して、御階(みはし)の下に落ちにけり。


262 :278:(能256):関白殿、二月二十一日に

 関白殿、二月二十一日に法興(ほこ)院の積善(さくぜん)寺といふ御堂(みだう)にて一切経供養せさせ給ふに、女院もおはしますべければ、二月一日のほ どに、二条 の宮へ出でさせ給ふ。ねぶたくなりにしかば、何事も見入れず。

 つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに起きたれば、白う新らしうをかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日掛けたるなめり。御しつらひ、獅 子・狛犬など、いつのほどにか入りゐけむとぞをかしき。桜の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、いととく咲きにけるかな、梅 こそただ今はさかりなれ、と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花の匂ひなどつゆまことにおとらず。いかにうるかさりけむ。雨降らばしぼみなむかしと思 ふぞ口惜しき。小家などいふもの多かりける所を、今造らせ給へれば、木立など見所あることもなし。ただ、宮のさまぞ、けぢかうをかしげなる。

 殿わたらせ給へり。青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣に紅の御衣三つばかりを、ただ御直衣に引き重ねてぞたてまつりたる。御前よりはじめて、紅梅の濃き薄 き織物、固紋、無紋などを、ある限り着たれば、ただ光り満ちて見ゆ。唐衣は、萌黄、柳、紅梅などもあり。

 御前にゐさせ給ひて、ものなど聞こえさせ給ふ。御いらへなどのあらまほしさを、里なる人などにはつかに見せばやと見奉る。女房など御覧じわたして、 「宮、何事をおぼしめすらむ。ここらめでたき人々を据ゑ並めて御覧ずるこそはうらやましけれ。一人わろきかたちなしや。これみな家々のむすめどもぞかし。 あはれなり。ようかへりみてこそ候はせ給はめ。さても、この宮の御心をば、いかに知り奉りて、かくは参り集まり給へるぞ。いかにいやしくもの惜しみせさせ 給ふ宮とて、我は宮の生まれさせ給ひしより、いみじう仕(つかうまつ)れど、まだおろしの御衣一つたまはらず。何か、しりう言(=陰口)には聞こえむ」な どのたまふがをかしけれ ば、笑ひぬれば、「まことぞ。をこなりと見てかく笑ひいまするがはづかし」などのたまはするほどに、内裏より式部の丞なにがしが参りたり。

 御文は、大納言殿取りて殿に奉らせ給へば、引き解きて、「ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば、あけて見侍らむ」とはのたまはすれど、あやふしとおぼいた めり。「かたじけなくもあり」とて奉らせ給ふを、取らせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらずもてなさせ給ふ、御用意ぞありがたき。

 御簾の内より女房褥(しとね)さし出でて、三四人御几帳のもとにゐたり。「あなたにまかりて、禄のことものし侍らむ」とて立たせ給ひぬるのちぞ、御文御 覧ずる。御返し、紅梅の薄様に書かせ給ふが、御衣の同じ色に匂ひ通ひたる、なほ、かくしもおしはかり参らする人はなくやあらむとぞ口惜しき。今日のはこと さらにとて、殿の御方より禄は出させ給ふ。女の装束に紅梅の細長添へたり。肴などあれば、酔はさまほしけれど、「今日はいみじきことの行事に侍り。あが 君、許させ給へ」と、大納言殿にも申して立ちぬ。

 君など、いみじく化粧じ給ひて、紅梅の御衣ども、おとらじと着給へるに、三の御前は、御匣殿、中の姫君よりも大きに見え給ひて、上など聞こえむにぞよか める。

 上もわたり給へり。御几帳引き寄せて、あたらしう参りたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。

 さしつどひて、かの日の装束、扇などのことを言ひあへるもあり。また、挑み隠して、「まろは、何か。ただあらむにまかせてを」などいひて、「例の、君 の」など、にくまる。夜さりまかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせ給はず。

 上、日々にわたり給ひ、夜もおはします。君達などおはすれば、御前、人ずくなならでよし。御使日々に参る。

 御前の桜、露に色はまさらで、日などにあたりてしぼみ、わろくなるだに口惜しきに、雨の夜降りたるつとめて、いみじくむとくなり。いととう起きて「泣き て別れけむ顔に心劣りこそすれ」といふを聞かせ給ひて、「げに雨降るけはひしつるぞかし。いかならむ」とて、おどろかせ給ふほどに、殿の御かたより侍の者 ども、下衆など、あまた来て、花の下(もと)にただ寄りに寄りて、引き倒し取りてみそかに行く。「『まだ暗からむに』とこそ仰せられつれ。明け過ぎにけ り。ふびん なるわざかな。とくとく」と倒しとるに、いとをかし。「言はば言はなむ」と、兼澄がことを思ひたるにやとも、よき人ならば言はまほしけれど、「彼の花盗む は誰ぞ。あしかめり」といへば、いとど逃げて、引きもて往ぬ。なほ殿の御心はをかしうおはすかし。枝どももぬれまつはれつきて、いかにびんなきかたちなら ましと思ふ。ともかくも言はで入りぬ。

 掃部司(かもんづかさ)参りて、御格子参る。主殿(とのも)の女官御きよめなどに参りはてて、起きさせ給へるに、花もなければ、「あな、あさまし。あの 花どもはいづち往ぬるぞ」と仰せらる。「あかつきに『花盗人あり』といふなりつるを、なほ枝など少しとるにやとこそ聞きつれ。誰がしつるぞ、見つや」と仰 せらる。「さも侍らず。まだ暗うてよくも見えざりつるを。白みたる者の侍りつれば、花を折るにやと後ろめたきに言ひ侍りつるなり」と申す。「さりとも、み なは、かう、いかでかとらむ。殿の隠させ給へるならむ」とて笑はせ給へば、「いで、よも侍らじ。春の風のして侍るならむ」と啓するを、「かう言はむとて隠 すなりけり。盗みにはあらで、いたうこそ、ふりなりつれ」と仰せらるも、めづらしきことにはあらねど、いみじうぞめでたき。

 殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむとひき入る。おはしますままに、「かの花は失せにけるは。いかで、かうは盗ませしぞ。いとわろか りける女房達かな。いぎたなくて、え知らざりけるよ」とおどろかせ給へば、「されど、『我よりさきに』とこそ思ひて侍りつれ」と、忍びやかにいふに、いと とう聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつることぞ。世にこと人出でゐて見じ。宰相とそことのほどならむとおしはかりつ」といみじう笑はせ給ふ。「さりけるもの を、少納言は、春の風におほせける」と、宮の御前のうち笑ませ給へる、いとをかし。「そらごとをおほせ侍るなり。『今は、山田もつくる』らむものを」など うち誦ぜさせ給へる、いとなまめきをかし。「さてもねたくみつけられにけるかな。さばかりいましめつるものを。人の御かたには、かかるいましめ者のあるこ そ」などのたまはす。「『春の風』は、そらにいとかしこうもいふかな」など、またうち誦<ぜ>させ給ふ。「ただ言(ごと)にはうるさく思ひ強 りて侍りし。今 朝のさま、いかに侍らまし」などぞ笑はせ給ふ。小若君「されど、それをいととく見て、『露にぬれたる』といひける、『おもてぶせなり』といひ侍りける」と 申し給へば、いみじうねたがらせ給ふもをかし。

 さて、八九日のほどにまかづるを、「今少し近うなりてを」など仰せらるれど、出でぬ。いみじう、常よりものどかに照りたる昼つ方、「花の心開けざるや。 いかに、いかに」とのたまはせたれば、「秋はまだしく侍れど、夜(よ)に九度(こ<こ>のたび)のぼる心地なむし侍る」と聞こえさせつ。

 出でさせ給ひし夜、車の次第もなく、「まづ、まづ」と乗り騒ぐがにくければ、さるべき人と、「なほ、この車に乗るさまのいとさわがしう、祭のかへさなど のやうに、倒れぬべくまどふさまのいと見苦しきに、ただ、さはれ、乗るべき車なくてえ参らずは、おのづからきこしめしつけてたまはせもしてむ」など言ひあ はせて、立てる前よりおしこりて、まどひ出でて乗りはてて、「かう<か>[こ]」といふに、「まだし、ここに」といふめれば、宮司寄り来て、 「誰々おはするぞ」と問 ひ聞きて、「いとあやしかりけることかな。今はみな乗り給ひぬらむとこそ思ひつれ。こはなど、かうおくれさせ給へる。今は得選(とくせん)乗せむとしつる に。めづらかなりや」などおどろきて、寄せさすれど、「さは、まづその御心ざしあらむをこそ乗せ給はめ。次にこそ」といふ声を聞きて、「けしからず、腹ぎ たなくおはしましけり」などいへば乗りぬ。その次には、まことに御厨子が車にぞありければ、火もいと暗きを、笑ひて二条の宮に参り着きたり。

 御輿はとく入らせ給ひて、しつらひゐさせ給ひにけり。「ここに呼べ」と仰せられければ、「いづら、いづら」と右京、小左近などいふ若き人々待ちて、参る 人ごとに見れど、なかりけり。下るるにしたがひて、四人づつ御前に参りつどひて候ふに、「あやし。なきか。いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、ある限り 下りはててぞからうじて見つけられて、「さばかり仰せらるるに、おそくは」とて、ひきゐて参るに、見れば、いつの間にかう年ごろの御すまひのやうに、おは しましつきたるにかとをかし。

 「いかなれば、かうなきかとたづぬばかりまでは見えざりつる」と仰せらるるに、ともかくも申さねば、もろともに乗りたる人、「いとわりなしや。最果(さ いはち)の車に乗りて侍らむ人は、いかでか、とくは参り侍らむ。これも、御厨子(みづし)がいとほしがりて、ゆづりて侍るなり。暗かりつるこそわびしかり つれ」とわぶわぶ啓するに、「行事する者のいとあしきなり。また、などかは、心知らざらむ人(=新参)こそはつつまめ、右衛門など言はむかし」と仰せら る。「され ど、いかでかは走り先立(さいだ)ち侍らむ」などいふ、かたへの人にくしと聞くらむかし。「さまあしうて高う乗りたりとも、かしこかるべきことかは。定め たらむさま の、やむごとなからむこそよからめ」と、ものしげにおぼしめしたり。「下り侍るほどのいと待ち遠に苦しければにや」とぞ申しなほす。

 御経のことにて、明日わたらせ給はむとて、今宵参りたり。南の院の北面にさしのぞきたれば、高杯どもに火をともして、二人、三人、三四人、さべきどち屏 風引き隔てたるもあり。几帳など隔てなどもしたり。また、さもあらで、集まりゐて衣どもとぢかさね、裳の腰さし、化粧するさまはさらにも言はず、髪などい ふもの、明日よりのちはありがたげに見ゆ。「寅の時になむわたらせ給ふべかなる。などか、今まで参り給はざりつる。扇持たせて、もとめ聞こゆる人ありつ」 と告ぐ。

 さて、まことに寅の時かと装束きたちてあるに、明けはて、日もさし出でぬ。西の対の唐廂にさし寄せてなむ乗るべきとて、渡殿へある限り行くほど、まだう ひうひしきほどなる新参(いままゐり)などはつつましげなるに、西の対に殿の住ませ給へば、宮もそこにおはしまして、まづ女房ども車に乗せ給ふを御覧ずと て、御簾のうちに、宮、淑景舎、三四の君、殿の上、その御おとと三所(みところ)、立ち並みおはしまさふ。

 車の左右に、大納言殿、三位の中将、二所して簾(すだれ)うちあげ、下簾引きあげて乗せ給ふ。うち群れてだにあらば、少し隠れどころもやあらむ、四人づ つ書立(かきたて)にしたがひて、「それ、それ」と呼び立てて乗せ給ふに、あゆみ出づる心地ぞ、まことにあさましう顕証なりといふも世の常なり。御簾のう ちに、そこら の御目どもの中に、宮の御前の見苦しと御覧ぜむばかり、さらにわびしきことなし。汗のあゆれば、つくろひたてたる髪なども、みなあがりやしたらむとおぼ ゆ。からうじて過ぎ行きたれば、車のもとに、はづかしげに清げなる御さまどもして、うち笑みて見給ふもうつつならず。されど、倒れでそこまでは行きつきぬ るぞ、かしこきか、おもなきか、思ひたどらるれ。

 みな乗りはてぬれば、引き出でて、二条の大路に榻(しぢ)にかけて、物見る車のやうに立て並べたる、いとをかし。人もさ見たらむかしと心ときめきせら る。四位、五位、六位などいみじう多う出で入り、車のもとに来て、つくろひ、物言ひなどする中に、明順(あきのぶ)の朝臣の心地、空を仰ぎ、胸をそらいた り。

 まづ、院の御迎へに、殿をはじめ奉りて、殿上人、地下などもみな参りぬ。それわたらせ給ひて後に、宮は出でさせ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふ ほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐車なり。それにつづきてぞ尼の車、後(しり)・口より水晶の数珠、薄墨 の裳、袈裟、衣、いといみじくて、簾はあげず、下簾も薄色の裾少し濃き、次に女房の十、桜の唐衣、薄色の裳、濃き衣、香染、薄色の表着(うはぎ)ども、い みじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空は緑に霞みわたれるほどに、女房の装束の匂ひあひて、いみじき織物、色々の唐衣などよりも、なまめかしうを かしきこと限りなし。

 関白殿、その次々の殿ばら、おはする限り、もてかしづきわたし奉らせ給ふさま、いみじくぞめでたし。これをまづ見たてまつり、めで騒ぐ。この車どもの二 十立て並べたるも、またをかしと見るらむかし。

 いつしか出でさせ給はなむと待ち聞こえさするに、いと久し。いかなるらむと心もとなく思ふに、からうじて采女八人、馬に乗せて引き出づ。青裾濃(すそ ご)の裳、裙帯(くたい)、領布(ひれ)などの風に吹きやられたる、いとをかし。「ふせ」といふ采女は、典薬の頭(かみ)重雅(しげまさ)が知る人なりけ り。葡萄染の織物の指貫を着たれば、「重雅は色許されにけり」など、山の井の大納言笑ひ給ふ。

 みな乗りつづきて立てるに、今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたしと見奉りつる御ありさまには、これ、はた、くらぶべからざりけり。

 朝日のはなばなとさしあがるほどに、水葱(なぎ)の花いときはやかにかがやきて、御輿の帷子(かたびら)の色つやなどの清らささへぞいみじき。御綱張り て出でさせ給ふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、まことに、「頭(かしら)の毛」など人のいふ、さらにそらごとならず。さて、のちは髪あしからむ人もか こちつべし。あさましう、いつくしう、なほいかで、かかる御前に馴れ仕るらむと、わが身もかしこうぞおぼゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻ども一たびに かきおろしたりつる、また牛どもにただ掛けに掛けて、御輿の後(しり)につづけたる心地、めでたく興あるさま、いふかたもなし。

 おはしまし着きたれば、大門(だいもん)のもとに高麗(こま)、唐土(もろこし)の楽して、獅子・狛犬をどり舞ひ、乱声(らんじやう)の音、鼓の声にも のもおぼえず。こは、生きての仏の国などに来にけるにやあらむと、空に響きあがるやうにおぼゆ。

 内に入りぬれば、色々の錦のあげばりに、御簾いと青くかけわたし、屏幔(へいまん)ども引きたるなど、すべてすべて、さらにこの世とおぼえず。御桟敷に さし寄せたれば、またこの殿ばら立ち給ひて、「とう下りよ」とのたまふ。乗りつる所だにありつるを、今少しあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、 唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ。色の黒さ赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふともえ下りず。「まづ、後(しり)なるこ そは」などいふほどに、それも同じ心にや、「しぞかせ給へ。かたじけなし」などいふ。「恥ぢ給ふかな」と笑ひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、 「『むねかたなどに見せで、隠しておろせ』と、宮の仰せらるれば、来たるに、思ひぐまなく」とて、引きおろして率て参り給ふ。さ、聞こえさせ給ひつらむと 思ふも、いとかたじけなし。

 参りたれば、はじめ下りける人、物見えぬべき端に八人ばかりゐにけり。一尺余、二尺ばかりの長押の上におはします。「ここに立ち隠して率て参りたり」と 申し給へば、「いづら」とて、御几帳のこなたに出でさせ給へり。まだ御裳、唐の御衣奉りながらおはしますぞいみじき。紅の御衣どもよろしからむやは。中に 唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳など奉りて、ものの色などは、さらになべてのに似るべき やうもなし。

 「我をばいかが見る」と仰せらる。「いみじうなむ候ひつる」なども、言(こと)に出でては世の常にのみこそ。「久しうやありつる。それは大夫(だいぶ) の、院の御供に着て人に見えぬる、同じ下襲ながらあらば、人わろしと思ひなむとて、こと下襲縫はせ給ひけるほどに、おそきなりけり。いと好き給へり」とて 笑はせ給ふ。いとあきらかに、晴れたる所は今少しぞけざやかにめでたき。御額あげさせ給へりける御釵子(さいし)に、分け目の御髪のいささか寄りてしるく 見えさせ給ふさへぞ、聞こえむ方なき。

 三尺の御几帳一よろひをさしちがへて、こなたの隔てにはして、その後ろに畳一枚(ひとひら)を長さまに縁(はし)を端(はし)にして、長押の上に敷き て、中納言の君といふは、殿の御叔父の右兵衛の督(かみ)忠君(ただきみ)と聞こえけるが御むすめ、宰相の君は、富の小路の右の大臣の御孫、それ二人ぞ上 にゐて、見給ふ。御覧じわたして、「宰相はあなたに行きて、人どものゐたるところにて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここにて、三人はいとよく見侍りぬ べし」と申し給へば、「さば、入れ」とて召し上ぐるを、下にゐたる人々は、「殿上ゆるさるる内舎人(うどねり)なめり」と笑へど、「こは、笑はせむと思ひ 給ひつるか」と言へば、「馬副(むまさへ)のほどこそ」など言へど、そこに登りゐて見るは、いと面だたし。かかることなどぞ、みづからいふは、吹き語りな どに もあり、また、君の御ためにも軽々しう、かばかりの人をさおぼしけむなど、おのづからも、もの知り、世の中もどきなどする人は、あいなうぞ、かしこき御こ とにかかりてかたじけなけれど、あることはまたいかがは。まことに身のほどに過ぎたることどももありぬべし。

 女院の御桟敷、所々の御桟敷ども見渡したる、めでたし。殿の御前、このおはします御前より院の御桟敷に参り給ひて、しばしありて、ここに参らせ給へり。 大納言二所、三位の中将は陣に仕り給へるままに、調度(でうど)負ひて、いとつきづきしう、をかしうておはす。殿上人、四位・五位こちたくうち連れ、御供 に候ひて並みゐたり。

 入らせ給ひて見奉らせ給ふに、みな御裳・御唐衣、御匣殿までに着給へり。殿の上は裳の上に小袿(こうちぎ)をぞ着給へる。「絵にかいたるやうなる御さま どもかな。今一<人>[尺]は、今日は人々しかめるは」と申し給ふ。「三位の君、宮の御裳脱がせ給へ。この中の主君(すくん)には、わが君こ そおはしませ。御桟敷の 前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろげのことかは」とてうち泣かせ給ふ。げにと見えて、みな人涙ぐましきに、赤色に桜の五重の衣を御覧じて、「法服の一つ足ら ざりつるを、にはかにまどひしつるに、これをこそ(=僧に)返り申すべかりけれ。さらずは、もしまた、さやうの物を取り占められたるか」とのたまはする に、大納言 殿、少ししぞきてゐ給へるが、聞き給ひて、「清僧都のにやあらむ」とのたまふ。一言(ひとこと)としてめでたからぬことぞなきや。

 僧都の君、赤色の薄物の御衣(ころも)、紫の御袈裟、いと薄き薄色の御衣ども、指貫など着給ひて、頭つきの青くうつくしげに、地蔵菩薩のやうにて、女房 にまじりありき給ふも、いとをかし。「僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」など笑ふ。

 大納言の御桟敷より、松君ゐて奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着給へり。御供に例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、 女房の中にいだき入れ奉るに、なにごとのあやまりにか、泣きののしり給ふさへ、いとはえばえし。

 ことはじまりて、一切経を蓮の花の赤き一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下、六位、何くれまで持てつづきたる、いみじう尊し。導師参り、香 (かう)はじまりて、舞ひなどす。日ぐらしみるに、目もたゆく苦し。御使に五位の蔵人参りたり。御桟敷の前に胡床(あぐら)立ててゐたるなど、げにぞめ でたき。

 夜さりつ方、式部の丞則理(のりまさ)参りたり。「『やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に候へ』と宣旨かうぶりて」とて、帰りも参らず。宮は「まづ帰り てを」とのたまはすれど、また蔵人の弁参りて、殿にも御消息あれば、ただ仰せ事にて、入らせ給ひなむとす。

 院の御桟敷より、「千賀(ちか)の塩竃」などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど持て参りちがひたるなどもめでたし。

 ことはてて、院帰らせ給ふ。院司、上達部など、今度(こたみ)はかたへぞ仕り給ひける。

 宮は内裏に参らせ給ひぬるも知らず、女房の従者どもは、二条の宮にぞおはしますらむとて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いた うふけぬ。内裏(うち)には、宿直(とのゐ)物持て来なむと待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、言ひ腹立て ど、かひもなし。つとめて来たるを、「いかで、かく心もなきぞ」などいへど、陳(の)ぶることも言はれたり。

 またの日、雨の降りたるを、殿は、「これになむ、おのが宿世は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」と聞こえさせ給へる、御心おごりもことわりなり。されど、 その折、めでたしと見たてまつりし御ことどもも、今の世の御ことどもに見奉りくらぶるに、すべて一つに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことど もも、みなとどめつ。


263 :279:(能257):たふときこと

 たふときこと 九条の錫杖(さくぢやう)。念仏の回向(ゑかう)。


264 :280:(能258):歌は

 歌は 風俗(ふぞく)。中にも、杉立てる門。神楽歌もをかし。今様歌は長うてくせづいたり。


265 :281:(能259):指貫は

 指貫(さしぬき)は 紫の濃き。萌黄(もえぎ)。夏は二藍(ふたあゐ)。いと暑きころ、夏虫の色したるも涼しげなり。


266 :282:(能260):狩衣は

 狩衣(かりぎぬ)は 香染の薄き。白きふくさ。赤色。松の葉色。青葉。桜。柳。また青き。藤。男は 何の色の衣をも着たれ。


267 :283:(能261):単衣は

 単衣(ひとへ)は 白き。日(ひ)の装束の、紅の単衣の袙など、かりそめに着たるはよし。されど、なほ白きを。黄ばみたる単衣など着たる人は、いみじう 心づきなし。

 練色(ねりいろ)の衣どもなど着たれど、なほ単衣は白うてこそ。


268 :284:(能263):下襲は

 下襲(したがさね)は 冬は躑躅(つつじ)。桜。掻練襲。蘇芳襲。夏は二藍。白襲。


269 :285:(能264):扇の骨は

 扇の骨は 朴。色は赤き。紫。緑。


270 :286:(能265):檜扇は

 檜扇(ひあふぎ)は 無紋。唐絵。


271 :287:(能266):神は

 神は 松の尾。八幡(=応神天皇)、この国の帝にておはしましけむこそめでたけれ。行幸(ぎやうがう)などに、水葱(なぎ)の花の御輿にたてまつるな ど、いとめでた し。大原野。春日、いとめでたくおはします。平野は、いたづら屋(=空き家)のありしを、「何する所ぞ」と問ひしに、「御輿宿(みこしやどり)」と言ひし も、いとめで たし。斎垣(いがき)に蔦などのいと多くかかりて、もみぢの色々ありしも、「秋にはあへず」と貫之が歌思ひ出でられて、つくづくと久しうこそ立てられし か。みこもりの神、またをかし。賀茂、さらなり。稲荷。


272 :288:(能267):崎は

 崎は 唐崎。三保が崎。


273 :289:(能268):屋は

 屋は まろ屋。あづま屋。


274 :290:(能269):時奏する、いみじうをかし

 時奏(ときさう)する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり来て、弦(つる)うち鳴らしてなむ、「何(な)の某 (なにがし)、刻(とき)丑三つ、子四つ」など、はるかなる声に言ひて、時の杭(くひ)さす音など、いみじうをかし。「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびた る人はいふ。すべて、何も何も、ただ四つのみぞ杭にはさしける。


275 :291:(能270):日のうらうらとある昼つ方

 日のうらうらとある昼つ方、また、いといたう更けて、子の刻(とき)などいふほどにもなりぬらむかし、大殿ごもりおはしましてにやなど、思ひ参らするほ どに、「をのこども」と召したるこそ、いとめでたけれ。

 夜中ばかりに、御笛の声の聞えたる、またいとめでたし。


276 :292:(能271):成信の中将は

 成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。伊予の守兼資が女忘れで、親の伊予へ率てくだりしほ ど、いかにあはれなりけむとこそおぼえしか。あかつきに行くとて、今宵おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。

 その君、常にゐて物言ひ、人の上など、わるきはわるしなどのたまひしに。

 物忌くすしう、つのかめなどにたててくふ物まづかいかけなどするもの(=「鶴亀などに立てて食ふ物まづかい掻きなどする物」か)の名(=箸)を、姓(さ う)にて持たる 人のあるが、こと人の子になりて、平(たひら)などいへど、ただそのもとの姓を、若き人々ことぐさにて笑ふ。ありさまもことなる事もなし、をかし き方なども遠きが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、御前わたりも、見苦しなど仰せらるれど、腹ぎたなきにや、告ぐる人もなし。

 一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、にくき人はさらに寄せず。東の御門につと向かひて、いとをかしき小廂に、式部のおもとと諸共に、夜も昼もあれ ば、上も常にもの御覧じに入らせ給ふ。「今宵は内に寝なむ」とて、南の廂に二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるを、うるさしなど言ひ合はせて、寝た るやうにてあれば、なほいみじうかしがましう呼ぶを、「それ起こせ。空寝ならむ」と仰せられければ、この兵部来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれ ば、「さらに起き給はざめり」と言ひに行きたるに、やがてゐつきて、物言ふなり。しばしかと思ふに、夜いたうふけぬ。「権中将にこそあなれ。こは何事を、 かくゐては言ふぞ」とて、みそかに、ただいみじう笑ふも、いかでかは知らむ。あかつきまで言ひ明かして帰る。また、「この君、いとゆゆしかりけり。さら に、寄りおはせむに、物言はじ。何事をさは言ひ明かすぞ」など言ひ笑ふに、遣戸あけて、女は入り来(き)ぬ。

 つとめて、例の廂に、人の物言ふを聞けば、「雨いみじう降る折に来たる人なむ、あはれなる。日頃おぼつかなく、つらき事もありとも、さて濡れて来たらむ は、憂き事もみな忘れぬべし」とは、などて言ふにかあらむ。さあらむを、昨夜(よべ)も、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべて、このごろ、うちしきり見 ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜(ひとよ)もへだてじと思ふなめりと、あはれになりなむ。さらで、日頃も見ず、おぼつかなく て過ぐさむ人の、かかる折にしも来むは、さらに心ざしのあるにはせじとこそおぼゆれ。人の心々なるものなればにや。物見知り、思ひ知りたる女の、心ありと 見ゆるなどを語らひて、あまた行く所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、なほさるいみじかりし折に来たりし、など、人にも語りつが せ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。それも、むげに心ざしなからむには、げに何しにかは、作り事にても見えむとも思はむ。されど、雨のふる時に、ただむ つかしう、今朝まで晴れ晴れしかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿、めでたき所ともおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、とく降りやみねか し とこそおぼゆれ。

 をかしき事、あはれなる事もなきものを。さて、月の明かきはしも、過ぎにし方、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなる 事、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月もしは一年(ひととせ)も、まいて七、八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼ えて、えある まじうわりなき所、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、物言ひて帰し、また、泊まるべからむは、とどめなどもしつべし。

 月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こ ま野の物語は、何ばかりをかしき事もなく、ことばも古めき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見しこま に」と言ひて尋ねたるが、あはれなるなり。

 雨は心もなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、たふとうめでたかべい事も、雨だに降れば 言ふかひなく、口惜しきに、何かその濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。

 交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし。昨夜(よべ)、一昨日(をととひ)の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞにくき。きたな かりけむ。

 風などの吹き、荒々らしき夜来たるは、たのもしくて、うれしうもありなむ。

 雪こそめでたけれ。「忘れめや」など一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)、蔵人の青色 などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、にくかるまじ。昔の蔵人は、夜など人のもとに も、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそあめれ。衛府などの着たるは、まいていみじ うをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。

 月のいみじう明かき夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折 は、さはありなむや。


277 :293:(能272):つねに文おこする人の

 常に文おこする人の「何かは。言ふにもかひなし。今は」と言ひて、またの日音(おと)もせねば、さすがに明けたてば、さし出づる文の見えぬこそさうざう しけれと思ひて、「さても、きはぎはしかりける心かな」と言ひて暮らしつ。

 またの日、雨のいたく降る、昼まで音もせねば、「むげに思ひ絶えにけり」など言ひて、端のかたにゐたる夕暮れに、笠さしたる者の持て来たる文を、常より もとくあけて見れば、ただ「水増す雨の」とある、いと多くよみ出だしつる歌どもよりもをかし。


277 :294:(能273):今朝はさしも見えざりつる空の

 今朝はさしも見えざりつる空の、いと暗うかき曇りて、雪のかきくらし降るに、いと心細く見出だすほどもなく、白う積もりて、なほいみじう降るに、随身め きて細やかなる男(をのこ)の、笠さして、そばの方なる塀の戸より入りて、文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白き陸奥国紙・白き色紙の結びたる、上に 引きわたしける墨のふと凍りにければ、裾薄(すそうす)になりたるを、あけたれば、いと細く巻きて結びたる、巻目はこまごまとくぼみたるに、墨のいと黒 う、薄く、行(くだ)り狭(せ)ばに、裏(うらうへ)表書き乱りたるを、うち返し久しう見るこそ、何事ならむと、よそに見やりたるもをかしけれ。まいて、 うちほほゑむ 所はいとゆかしけれど、遠うゐたるは、黒き文字などばかりぞ、さなめりとおぼゆるかし。

 額髪長やかに、面様(おもやう)よき人の、暗きほどに文を得て、火ともすほども心もとなきにや、火桶の火を挟(はさ)みあげて、たどたどしげに見ゐたる こそをかしけれ。


278 :295:(能274):きらきらしきもの

 きらきらしきもの 大将(だいしやう)の御前駆(みさき)追ひたる。孔雀(くざ)経の御読経。御修法。五大尊(ごだいそん)のも。御斎会(ごさいゑ)。 蔵人の式部の丞(ぞう)の白馬(あをむま)の日大路(おほ<ぢ>[は])練りたる。その日、靫負(ゆげひ)の佐(すけ)の摺衣(すりぎぬ) <えう>[破(や)ら]する。尊勝王の御修 法。季の御読経。熾盛光(しじやうくわう)の御読経。


279 :296:(能275):神のいたう鳴るをりに

 神のいたう鳴るをりに、雷鳴(かみなり)の陣こそいみじうおそろしけれ。左右(さう)の大将、中・少将などの御格子のもとに候ひ給ふ、いといとほし。鳴 りはてぬるをり、大将仰せて、「おり」とのたまふ。


280 :297:(能276):坤元録の御屏風こそ

 坤元録(こんげんろく)の御屏風こそをかしうおぼゆれ。漢書の屏風は雄々しくぞ聞こえたる。月次(つきなみ)の御屏風もをかし。


281 :298:(能277):節分違へなどして夜深く帰る

 節分(せちぶん)違(たが)へなどして夜深く帰る、寒きこといとわりなく、頤(おとがひ)などもみな落ちぬべきを、からうじて来着きて、火桶引き寄せた るに、火の大きにて、つゆ黒みたる所もなくめでたきを、こまかなる灰の中よりおこし出でたるこそ、いみじうをかしけれ。

 また、ものなど言ひて、火の消ゆらむも知らずゐたるに、こと人の来て、炭入れておこすこそいとにくけれ。されど、めぐりに置きて、中に火をあらせたるは よし。みなほかざまに火をかきやりて、炭を重ね置きたるいただきに火を置きたる、いとむつかし。


282 :299:(能278):雪のいと高う降りたるを

 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして、集まり候ふに、「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」と、おほせら るれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。

 人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。


283 :300:(能279):陰陽師のもとなる小童べこそ

 陰陽師のもとなる小童べこそ、いみじう物は知りたれ。祓などしに出でたれば、祭文など読むを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち走りて、「酒、水いかけさせ よ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主にもの言はせぬこそうらやましけれ。さらむ者がな、使はむとこそおぼゆれ。


284 :301:(能280):三月ばかり、物忌しにとて

 三月ばかり、物忌しにとて、かりそめなる所に、人の家に行きたれば、木どもなどのはかばかしからぬ中に、柳といひて、例のやうになまめかしうはあらず、 ひろく見えて、にくげなるを、「あらぬものなめり」といへど、「かかるもあり」などいふに、

  さかしらに柳の眉のひろごりて春のおもてを伏する宿かな

とこそ見ゆれ。

 その頃、また同じ物忌しに、さやうの所に出で来るに、二日といふ日の昼つ方、いとつれづれまさりて、ただ今もまゐりぬべき心地するほどにしも、仰せごと の あれば、いとうれしくて見る。浅緑の紙に、宰相の君いとをかしげに書い給へり。

  いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ暮らしわづらふ昨日今日かな

となむ、わたくしには、「今日しも千歳の心地するに。あかつきにはとく」とあり。この君ののたまひたらむだにをかしかべきに、まして仰せごとのさまはおろ かならぬ心地すれば、

  雲の上も暮らしかねける春の日を所がらともながめつるかな

わたくしには、「今宵のほども、少将にやなり侍らむとすらむ」とて、あかつきにまゐりたれば、「昨日の返し、『かねける』いとにくし。いみじうそしりき」 と仰せらる、いとわびし。まことにさることなり。


285 :302:(能282):十二月二十四日

 十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけむかし。

 日頃降りつる雪の今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷(たるひ)いみじうしだり、地(つち)などこそむらむら白き所がちなれ、屋の上はただおし なべて白きに、あやしき賤(しづ)の屋も雪にみな面(おも)隠しして、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。白銀(しろがね)などを葺きたるやうなる に、水晶の滝など言はましやうにて、長く、短く、ことさらにかけわたしたると見えて、言ふにもあまりてめでたきに、下簾もかけぬ車の、簾をいと高うあげた れば、奥までさし入りたる月に、薄色、白き、紅梅など、七つ八つばかり着たるうへに、濃き衣のいとあざやかなるつやなど月にはえて、をかしう見ゆる、かた はらに、葡萄染の固紋の指貫、白き衣どもあまた、山吹、紅など着こぼして、直衣のいと白き、紐を解きたれば、脱ぎ垂れられて、いみじうこぼれ出でたり。指 貫の片つ方は軾(とじきみ)のもとに踏み出だしたるなど、道に人会ひたらば、をかしと見つべし。

 月の影のはしたなさに、後ろざまにすべり入るを、常に引きよせ、あらはになされてわぶるもをかし。「凛々(りんりん)として氷鋪(し)けり」といふこと を、返す返す誦じておはするは、いみじうをかしうて、夜一夜もありかまほしきに、行く所の近うなるも口惜し。


286 :303:(能283,能284):宮仕へする人々の出で集まりて

 宮仕へする人々の出で集まりて、おのが君々の御ことめできこえ、宮の内、殿ばらの事ども、かたみに語りあはせたるを、その家主(あるじ)にて聞くこそを かしけれ。

 家ひろく、清げにて、わが親族(しぞく)はさらなり、うち語らひなどする人も、宮仕へ人を方々に据ゑてこそあらせまほしけれ。さべき折はひとところに集 まりゐて、 物語し、人のよみたりし歌、何くれと語りあはせて、人の文など持て来るも、もろともに見、返りごと書き、またむつましう来る人もあるは、清げにうちしつら ひて、雨など降りてえ帰らぬも、をかしうもてなし、参らむ折は、そのこと見入れ、思はむさまにして出だし出でなどせばや。

 よき人のおはしますありさまなどのいとゆかしきこそ、けしからぬ心にや。


287 :304:(能285):見ならひするもの

 見ならひするもの 欠伸(あくび)。ちごども。


288 :305:(能286):うちとくまじきもの

 うちとくまじきもの えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも、うらなくぞ見ゆる。船の路。


288 :306:(能286):日のいとうららかなるに

 日のいとうららかなるに、海の面のいみじうのどかに、浅緑の打ちたるを引き渡したるやうにて、いささかおそろしきけしきもなきに、若き女などの袙(あこ め)、袴など着たる、侍の者の若やかなるなど、櫓(ろ)といふもの押して、歌をいみじう歌ひたるは、いとをかしう、やむごとなき人などにも見せ奉ら まほしう思ひ行くに、風いたう吹き、海の面ただあしにあしうなるに、ものもおぼえず、泊まるべき所に漕ぎ着くるほどに、船に波のかけたるさまなど、片時に さばかりなごかりつる海とも見えずかし。

 思へば、船に乗りてありく人ばかり、あさましう、ゆゆしきものこそなけれ。よろしき深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて漕ぎ出づべきにもあらぬ や。まいて、そこひも知らず、千尋などあらむよ。ものをいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下衆どものいささかおそろしとも思はで 走りありき、つゆ荒うもせば、沈みやせむと思ふを、大きなる松の木などの二三尺にてまろなる、五つ六つ、ぼうぼうと投げ入れなどするこそいみじけれ。

 屋形といふものの方にて(=櫓を)押す。されど、奥なるはたのもし。端(はた)にて立てる者こそ目くるる心地すれ。早緒と(=名)つけて、櫓とかにすげ たるものの弱げさよ。かれが絶えば、何にかならむ。(=櫓が)ふと落ち入りなむを。それ(=櫓)だに太くなどもあらず。わが乗りたるは、清げに造り、端戸 (つまど)あけ、格子あげなどして、さ水とひとしう下りげに(=喫水線が高い)などあらねば、ただ家の小さきにてあり。

 小舟を見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りてうち散らしたるにこそいとよう似たれ。泊まりたる所にて、船ごとにともしたる火は、またいと をかしう見ゆ。

 はし舟と(=名)つけて、いみじう小さきに乗りて漕ぎありく、つとめてなどいとあはれなり。「跡の白波」は、まことにこそ消えもて行け。よろしき人は、 なほ乗りてありくまじきこととこそおぼゆれ。徒歩路もまた、おそろしかなれど、それはいかにもいかにも地(つち)に着きたれば、いとたのもし。

 海はなほいとゆゆしと思ふに、まいて海女のかづきしに入るは憂きわざなり。腰に着きたる緒の絶えもしなば、いかにせむとならむ。男(をのこ)だにせまし かば、さてもありぬべきを、女はなほおぼろげの心ならじ。船に男(をのこ)は乗りて、歌などうち歌ひて、この栲縄(たくなは)を海に浮けてありく、あやふ く後ろめたくはあらぬにやあらむ。のぼらむとて、その縄をなむ引くとか。惑ひ繰り入るるさまぞことわりなるや。船の端(はた)をおさへて放ちたる息(い き)などこそ、まことにただ見る人だにしほたるるに、落し入れてただよひありく男(をのこ)は、目もあやにあさましかし。


289 :307:(能287):右衛門の尉なりける者の

 右衛門の尉なりける者の、えせなる男親を持たりて、人の見るにおもてぶせなりとくるしう思ひけるが、伊予の国よりのぼるとて、浪に落とし入れけるを、 「人の心ばかり、あさましかりけることなし」とあさましがるほどに、七月十五日、盆たてまつるとて急ぐを見給ひて、道命阿闍梨、

  わたつ海に親おし入れてこの主の盆する見るぞあはれなりける

とよみ給ひけむこそをかしけれ。


290 :308:(能288):小原の殿の御母上とこそは

 小原の殿の御母上とこそは、普門といふ寺にて八講しける、聞きて、またの日小野殿に、人々いと多く集まりて、遊びし、文作りてけるに、

  薪こることは昨日に尽きにしをいざ斧の柄はここに朽たさむ

とよみ給ひたりけむこそいとめでたけれ。

 ここもとは打聞になりぬるなめり。


291 :309:(能289):また、業平の中将のもとに

 また、業平の中将のもとに母の皇女(みこ)の、「いよいよ見まく」とのたまへる、いみじうあはれにをかし。引き開けて見たりけむこそ思ひやらるれ。


292 :310:(能290):をかしと思ふ歌を

 をかしと思ふ歌を草子などに書きて置きたるに、いふかひなき下衆のうちうたひたるこそ、いと心憂けれ。


293 :311:(能291):よろしき男を下衆女などのほめて

 よろしき男を下衆女などのほめて、「いみじうなつかしうおはします」などいへば、やがて思ひおとされぬべし。そしらるるは、なかなかよし。下衆にほめら るるは、女だにいとわるし。また、ほむるままに言ひそこなひつるものは。


294 :312:(能なし):左右の衛門の尉を

 左右(さう)の衛門の尉(ぞう)を判官(はうぐわん)といふ名つけて、いみじうおそろしう、かしこき者に思ひたるこそ。夜行し、細殿などに入り臥した る、いと見苦しかし。布の白袴、几帳にうちかけ、袍(うへのきぬ)の長くところせきを、わがねかけたる、いとつきなし。太刀の後(しり)に引きかけなどし て立ちさまよふは、されどよし。青色をただ常に着たらば、いかにをかしからむ。「見し有明ぞ」と誰言ひけむ。


295 :313:(能292):大納言殿参り給ひて

 大納言殿参り給ひて、ふみのことなど奏し給ふに、例の、夜いたくふけぬれば、御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風、御几帳の後ろなどに、みな隠れ 臥しぬれば、ただ一人、ねぶたきを念じて候ふに、「丑四つ」と奏すなり。「明け侍りぬなり」と一人ごつを、大納言殿「いまさらに、な大殿ごもりおはしまし そ」とて、寝(ぬ)べきものとも思(おぼ)いたらぬを、うたて、何しにさ申しつらむと思へど、また人のあらばこそは、まぎれも臥さめ。上の御前の、柱に寄 りかからせ給ひ て、少し眠らせ給ふを、「かれ、見奉らせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」と申させ給へば、「げに」など、宮の御前にも笑ひ聞こえさせ給ふ も、知らせ給はぬほどに、長女(をさめ)が童の、鶏(にはとり)を捕らへ持て来て、「あしたに里へ持て行かむ」といひて隠し置きたりける、いかがしけむ、 犬見つけて追 ひければ、廊のまきに逃げ入りて、おそろしう鳴きののしるに、みな人起きなどしぬなり。上も、うちおどろかせ給ひて、「いかでありつる鶏(とり)ぞ」など 尋ねさせ 給ふに、大納言殿の「声、明王(めいわう=明君)の眠りを驚かす」といふことを高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目もい と大きになりぬ。 「いみじき折のことかな」と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほ、かかる事こそめでたけれ。

 またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、「下るるか。いで、送らむ」とのたまへば、裳・唐衣は屏風にうちかけて行く に、月のいみじう明かく、御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖をひかへて、「倒るな」といひて、おはするままに、「遊子なほ残りの月に 行く」と誦し給へる、またいみじうめでたし。

 「かやうの事、めで給ふ」とては、笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。


296 :314:(能293):僧都の御乳母のままなど

 僧都の御乳母のままなど、御匣殿の御局にゐたれば、男(をのこ)のある、板敷のもと近う寄り来て、「からい目を見候ひて、誰にかは憂(うれ)へ申し侍ら む」とて、 泣きぬばかりのけしきにて、「何事ぞ」と問へば、「あからさまにものにまかりたりしほどに、侍る所の焼け侍りにければ、がうなのやうに、人の家に尻をさし 入れてのみ候ふ。馬づかさの御秣積みて侍りける家より出でまうで来て侍るなり。ただ垣を隔てて侍れば、夜殿に寝て侍りける童べも、ほとほと焼け ぬべくてなむ。いささかものもと<う>で侍らず」など言ひをるを、御匣殿も聞き給ひて、いみじう笑ひ給ふ。

  みまくさをもやすばかりの春の日に夜殿さへなど残らざるらむ

と書きて、「これを取らせ給へ」とて投げやりたれば、笑ひののしりて、「このおはする人の、家焼けたなりとて、いとほしがりて賜ふなり」とて、取らせたれ ば、ひろげてうち見て、「これは、なにの御短冊にか侍らむ。物いくらばかりにか」といへば、「ただ読めかし」といふ。「いかでか、片目もあきつかうまつら では」といへば、「人にも見せよ。ただ今召せば、とみにて上へ参るぞ。さばかりめでたき物を得ては、何をか思ふ」とて、みな笑ひまどひ、のぼりぬれば、 「人にや見せつらむ。里に行きていかに腹立たむ」など、御前に参りてままの啓すれば、また笑ひ騒ぐ。御前にも、「など、かくもの狂ほしからむ」と笑はせ給 ふ。


297 :315:(能294):男は、女親亡くなりて

 男(=男の子)は 女親(めおや)亡くなりて、男親(をおや)の一人ある、いみじう思へど、心わづらはしき北の方(=後妻)出で来て後は、内にも入れ立 てず、装束 などは、乳母、また故上(=先妻)の御人(ひと=召使ひ)どもなどしてせさせす。

 西東の対のほどに、まらうど居(=客間に住む)など、をかし。屏風・障子の絵も見所ありて住まひたる。

 殿上のまじらひのほど、口惜しからず人々も思ひ、上も御けしきよくて、常に召して、御遊びなどのかたきにおぼしめしたるに、なほ常にもの嘆かしく、世の 中心に合はぬ心地して、すきずきしき心ぞ、かたはなるまであべき。

 上達部のまたなきさまにてもかしづかれたる妹(いもうと)一人あるばかりにぞ、思ふことうち語らひ、なぐさめ所なりける。


298 :316:(能297):ある女房の、遠江の守の子なる人を

 ある女房の、遠江<の守>の子なる人を語らひてあるが、同じ宮人をなむ忍びて語らふと聞きて、うらみければ、「『親などもかけて誓はせ給 へ。いみじきそらごとなり。ゆめにだに見ず』となむいふは、いかがいふべき」と言ひしに、

  誓へ君遠江の神かけてむげに浜名の橋見ざりきや


299 :317:(能298):びんなき所にて

 便なき所にて、人に物を言ひけるに、胸のいみじう走りけるを、「など、かくある」と言ひける人に、

  逢坂(あふさか)は胸のみつねに走り井の見つくる人やあらむと思へば

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300 :318:(能296):まことにや、やがては下る

まことにや、「やがては下る」と言ひたる人に、

思ひだにかからぬ山のさせも草誰か伊吹の里は告げしぞ


301:319:(能321,能322):この草子、目に見え心に思ふことを(跋文)

 この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどにかき集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつ べき所々もあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ。

 宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には史記といふ書(ふみ)をなむ書かせ給へる」などのたまはせしを、「枕にこそ は侍らめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬこ とぞ多かるや。

 おほかた、これは世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも言ひ出だしたらばこそ、「思ふほど よりはわろし。心見えなり」とそしられめ、ただ心一つにおのづから思ふことを戯れに書きつけたれば、ものに立ち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべき ものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ見る人はし給ふなれば、いとあやしうぞあるや。げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるをも悪 しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。

 左中将まだ伊勢の守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。惑ひ取り入れしかど、やがて持 ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。


一本

  きよしと見ゆるもの のつぎに

:一本01:(能なし):夜まさりするもの

 夜まさりするもの 濃き掻練のつや。むしりたる綿。

 女は 額はれたるが髪うるはしき。琴(きん)の声。かたちわろき人のけはひよき。ほととぎす。滝の音。


:一本02:(能なし):ほかげにおとるもの

 火影(ほかげ)におとるもの 紫の織物。藤の花。すべてその類(るい)はみなおとる。紅は月夜にぞわろき。


:一本03:(能なし):聞きにくきもの

 聞きにくきもの 声にくげなる人の物言ひ、笑ひなど、うちとけたるけはひ。眠(ねぶ)りて陀羅尼読みたる。歯黒(はぐろ)めつけて物言ふ声。ことなるこ となき人はもの食ひつつもいふぞかし。篳篥(ひちりき)習ふほど。


:一本04:(能なし):文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの

 文字に書きてあるやうあらめど心得ぬもの 撓塩(いためじお)。袙。帷子。屐子。泔(ゆする)。桶舟(をけふね)


:一本05:(能なし):下の心がまへわろくて清げに見ゆるもの

 下の心がまへてわろくて清げに見ゆるもの 唐絵の屏風。石灰の壁。盛物。檜皮葺の屋の上。かうしりの遊び。


:一本06:(能299):女の表着は

 女の表着(うはぎ)は 薄色。葡萄染。萌黄。桜。紅梅。すべて薄色の類。


:一本07:(能299):唐衣は

 唐衣(からぎぬ)は 赤色。藤。夏は 二藍。秋は 枯野。


:一本08:(能300):裳は

 裳(も)は 大海(おほうみ)。


:一本09:(能なし):汗衫は

 汗衫(かざみ)は 春は 躑躅。桜。夏は 青朽葉。朽葉。


:一本10:(能301):織物は

 織物は 紫。白き。紅梅もよけれど、見(み)ざめこよなし。


:一本11:(能302):綾の紋は

 綾の紋は 葵。かたばみ。霰(あられ)地。


:一本12:(能なし):薄様色紙は

 薄様色紙は 白き。紫。赤き。刈安染(かりやすぞめ)。青きもよし。


:一本13:(能なし):硯の箱は

 硯の箱は 重ねの蒔絵に雲鳥(くもとり)の紋。


:一本14:(能なし):筆は

 筆は 冬毛。使ふもみめもよし。兎(う)の毛。


:一本15:(能なし):墨は

 墨は 丸(まろ)なる。


:一本16:(能なし):貝は

 貝は 虚貝(うつせがひ)。蛤(はまぐり)。いみじう小さき梅の花貝。


:一本17:(能なし):櫛の箱は

 櫛の箱は 盤絵(ばんゑ)、いとよし。


:一本18:(能なし):鏡は

 鏡は 八寸五分(ふん)。


一本19:(能なし):蒔絵は

 蒔絵は 唐草。


一本20:(能なし):火桶は

 火桶は 赤色。青色。白きに作り絵もよし。


一本21:(能なし):夏のしつらひは

 <夏のしつらひは 夜。冬のしつらひは 昼。>


一本22:(能なし):畳は

 畳は 高麗縁(かうらいばし)。また、黄なる地の縁(はし)。


一本23:(能なし):檳榔毛は

 檳榔毛(びらうげ)は、のどやかに遣りたる。網代(あじろ)は、走らせ来る。


一本24:(能319):松の木立高き所の

 松の木立(こだち)高き所の東、南の格子上げわたしたれば、涼しげに透きて見ゆる母屋(もや)に、四尺の几帳立てて、その前に円座置きて、四十ばかりの 僧の、いと清げなる墨染の衣(ころも)・薄物の袈裟(けさ)あざやかに装束きて、香染(かうぞめ)の扇を使ひ、せめて陀羅尼を読みゐたり。

 もののけにいたう悩めば、移すべき人とて、大きやかなる童の、生絹の単衣あざやかなる、袴長う着なしてゐざり出でて、横ざまに立てたる几帳のつらにゐた れ ば、外様(とざま)にひねり向きて、いとあざやかなる独鈷(とこ)を取らせて、うち拝みて読む陀羅尼もたふとし。

 見証(けそ)の女房あまた添ひゐて、つとまもらへたり。久しうもあらでふるひ出でぬれば、もとの心失せて、おこなふままに従ひ給へる、仏の御心もいとた ふとしと見ゆ。

 兄人・従兄弟なども、みな内外(ないげ)したり。たふとがりて、集まりたるも、例の心ならば、いかにはづかしと惑はむ。みづからは苦しからぬことと知 りながら、いみじうわび、泣いたるさまの、心苦しげなるを、憑き人の知り人どもなどは、らうたく思ひ、け近くゐて、衣(きぬ)引きつくろひなどす。

 かかるほどに、よろしくて、「御湯」などいふ。北面に取りつぐ若き人どもは、心もとなく引きさげながら、急ぎ来てぞ見るや。単衣どもいと清げに、薄色の 裳など萎えかかりてはあらず、清げなり。

 いみじうことわりなど言はせて、ゆるしつ。「几帳の内にありとこそ思ひしか、あさましくもあらはに出でにけるかな。いかなることありつらむ」とはづかし くて、髪を振りかけてすべり入れば、「しばし」とて、加持少しうちして、「いかにぞや、さわやかになり給ひたりや」とてうち笑みたるも、心はづかしげな り。「しばしも候ふべきを、時のほどになり侍りぬれば」などまかり申しして出づれば、「しばし」など留(と)むれど、いみじう急ぎ帰るところに、上臈とお ぼしき人、簾のもとにゐざり出でて、「いとうれしく立ち寄らせ給へるしるしに、たへ難(がた)う思ひ給へつるを、ただ今おこたりたるやうに侍れば、かへす がへすなむ喜び聞こえさする。明日も御暇(いとま)のひまにはものせさせ給へ」となむ言ひつつ、「いと執念(しふね)き御もののけに侍るめり。たゆませ給 はざらむ、よう侍るべき。よろしうものせさせ給ふなるを、よろこび申し侍る」と言(こと)ずくなにて出づるほど、いと験(しるし)ありて、仏のあらはれ給 へる[と](=「と」陽本あり旺文社文庫なし)こそおぼゆれ。


 清げなる童べの髪うるはしき、また大きなるが髭は生ひたれど、思はずに髪うるはしき、うちしたたかに、むくつけげに多かるなどおぼ<え> [く](=陽本「く」)で。暇(いとま)な う此処彼処(ここかしこ)に、やむごとなう、おぼえあるこそ、法師もあらまほしげなるわざなれ。


一本25:(能239):宮仕所は

 宮仕所は 内裏(うち)。后(きさい)の宮。その御腹の一品(いつぽん)の宮など申したる。斎院、罪深(ふか)かなれど、をかし。まいて、余の所は。ま た春宮の女御の御方。


一本26:(能なし):荒れたる家の蓬ふかく

 荒れたる家の蓬(よもぎ)深く、葎(むぐら)はひたる庭に、月の隈(くま)なく明かく、澄みのぼりて見ゆる。また、さやうの荒れたる板間より洩り来る 月。荒うはあらぬ風の音。

 池ある所の五月長雨の頃こそいとあはれなれ。菖蒲、菰(こも)など生ひこりて、水も緑なるに、庭も一つ色に見えわたりて、曇りたる空をつくづくとながめ 暮らしたるは、いみじうこそあはれなれ。いつも、すべて池ある所はあはれにをかし。冬も氷したる朝(あした)などは言ふべきにもあらず。わざとつくろひた るよりも、うち捨てて水草(みくさ)がちに荒れ、青みたる絶え間絶え間より、月影ばかりは白々と映りて見えたるなどよ。

 すべて、月影はいかなる所にてもあはれなり。


一本27:(能308):はつせにもうでて

 初瀬に詣でて局にゐたりしに、あやしき下﨟どもの、後ろをうちまかせつつ居並みたりしこそねたかりしか。

 いみじき心起こして参りしに、川の音などのおそろしう、呉階(くれはし)を上(のぼ)るほどなど、おぼろげならず困じて、いつしか仏の御前をとく見奉ら むと思ふに、白衣着たる法師、蓑虫などのやうなる者ども集まりて、立ちゐ、額づきなどして、つゆばかり所もおかぬけしきなるは、まことにこそねたくおぼえ て、おし倒しもしつべき心地せしか。いづくもそれはさぞあるかし。

 やむごとなき人などの参り給へる御局などの前ばかりをこそ払ひなどもすれ、よろしきは制しわづらひぬめり。さは知りながらも、なほさしあたりてさる折 々、いとねたきなり。

 掃(はら)ひ得たる櫛、あかに落とし入れたるもねたし。


一本28:(能316):女房の参りまかでには

 女房の、参りまかでには、人の車を借る折もあるに、いと心よう言ひて貸したるに、牛飼童、例のしもしよりも強く言ひて、いたう走り打つも、あなうたてと おぼゆるに、男(をのこ)どものものむつかしげなるけしきにて、「とう遣れ。夜ふけぬさきに」などいふこそ、主(しゆう)の心おしはかられて、また言ひふ れむともおぼえね。

 業遠(なりとほ)の朝臣の車のみや夜中・暁わかず人の乗るに、いささかさることなかりけれ。ようこそ教へ習はしけれ。それに道に会ひたりける女車の、深 き所に落とし入れて、え引き上げで、牛飼の腹立ちければ、従者(ずさ)して打たせさへしければ、ましていましめおきたるこそ。

以上、一本

源経房朝臣・・・
橘則季・・・

奥書

本云

1)往時所持之荒本紛失年久、更借出一両之本令書留之、依無証本不散不審、但管見之所及、勘合旧記等注付時代年月等、是亦謬案歟
    安貞二年三月                                                     耄及愚翁

2)古哥本文等、雖尋勘時代、久隔和哥等、多以不尋得、纔見事等在別紙

3)自文安四年冬比、仰面々令書写之、同五年中夏事終、校合再移朱点了
                                     秀隆兵衛督大徳書之

4)文明乙未之仲夏、広橋亜槐、実相院准后本、下之本末両冊、見示曰、余書写所希也、厳命弗獲點馳禿毫、彼旧本不及切句、此新写読而欲容易、故比校之次加 朱点畢
                              正二位行権大納言藤原朝臣教秀



補遺(第二類本にのみ付戴されてゐる本文)

上巻末所載

 一本 牛飼はおほきにて といふつぎに

 法師は、言(こと)少ななる。男だに、あまりつきづきしきは、憎し。されどそれはさてもあらむ。

 女は、おほどかなる。下の心はともかくもあれ、上辺(うはべ)は子めかしきは、まづらうたげにこそ見ゆれ。いみじき虚言(そらごと)を人に言ひつけられ などしたれども、道々しく(=理屈で)あらがひ、弁(わきま)へなどはせで、ただうち泣きなどして居たれば、見る人おのづから心苦しうて、ことわるかし。

 女の遊びは、古めかしけれども、乱碁。けふせに。双六。はしらき。扁つくもよし。

中巻末所載

 一本 心にくきもの の下

 夜居に参りたる僧を、あらはなるまじうとて局にすゑて、冬は火桶など取らせたるに、声もせねば、いぎたなく寝たるなめりと思ひて、これかれ物言ひ、人の うへ褒めそしりなどするに、数珠(ずず)のすがり(=房)の、心にもあらず、脇息などに当たりて鳴りたるこそ心にくけれ。

下巻末(「一本」本文の次に)所載

 又一本

又一本1

 霧は 川霧。

又一本2

 出で湯は ななくりの湯。有馬の湯。那須の湯。つかさの湯。ともの湯。


又一本3

 陀羅尼は 阿弥陀の大咒(だいず)。尊勝(そんしよう)陀羅尼。随求(ずいぐ)陀羅尼。千手(せんず)陀羅尼。


又一本4

 時は 申。子。丑。


又一本5

 下簾(すだれ)は 紫の裾濃(すそご)。つぎには蘇枋(すはう)もよし。


又一本6

 目もあやなるもの もくゑの筝(しやう)の琴(こと)の飾りたる。七宝の塔。木像の仏の小さき。


又一本7:(能89)

 もののあはれ知り顔なるもの 鼻垂りしたる。かつ、鼻かみつつ物言ふけはひ。わさび食ふ。眉ぬくも。


又一本8

 めでたきものの人に名につきていふかひなく聞こゆる 梅。柳。桜。霞。葵(あふひ)。桂。菖蒲(さうぶ)。桐。檀(まゆみ)。楓(かへで)。小萩。雪。 松。


又一本9

 見るかひなきもの 色くろくやせたるちごの瘡(かさ)出でたる。ことなることなき男の行く所おほかるが、ものむづかりするに。にくげなるむすめ。


又一本10

 まづしげなるもの あめの牛のやせたる。直垂の綿うすき。青鈍(あおにび)の狩衣。黒柿(くろがい)の骨に黄なる紙はりたる扇。ねずみに食らはれたる餌 袋(ゑぶくろ)。香染(かうぞめ)の黄ばみたるにあしき手を薄墨にかきたる。


又一本11

 本意なきもの 綾の衣(きぬ)のわろき。みやたて人の中あしき。心と法師に成りたる人の、さはなくて清からぬ。思ふ人のかくしする。得意の上そしる。冬 の雪ふらぬ。

付記
&cir;121段 むとくなるもの
第二類本によると、「えせ者の従者かうがへたる」の次に以下のような本文がある。

 「聖の足もと。髪短き人の、物とり下ろして、髪けづりたるうしろで。翁のもとどり放ちたる。相撲の負けてゐるうしろで。人の妻(め)の、すずろなるもの 怨(えん)じして隠れたるを、かならずたづねさわがむものぞと思ひたるに、さしもあらず、のどかにもてなしたれば、さてもえ旅だちゐたらねば、心と出で来 たる。

 なま心おとりしたる人の知りたる人と、心なること言ひ、むづかりて、ひとへにも臥さじと身じろくを、引き寄すれど、強ひてこはがれば、あまりになりて は、人もさはれとて、かいくらみて(内閣文庫本「かいくくみて」)臥しぬる後に、冬などは単衣(ひとへぎぬ)ばかりをひとつ着たるも、あやにくがりつるほ どこそ、寒さも知られざりつれ、やうやう夜の更くるままに、寒くもあれど、おほかたの人もみな寝たれば、さすがに起きてもえいかで、ありつる折にぞ寄りぬ べかりけると、目も合はず思ひ臥したるに、いとど奥の方より、もののひしめき鳴るも、いとおそろしくて、やをらよろぼひ寄りて、衣を引き着るほどこそ、む とくなれ。人はたけく思ふらむかし、そら寝して知らぬ顔なるさまよ」

&cir;122段 修法は
第二類本にはなく、160段に類似の文が見える。
&cir;160段 読経は
第二類本には「法華経は不断。修法はならがた。仏の御しんどもほと読みてまゐりたる、なまめかしうたふとし」とある。

以上。

引用文献引用朗読


江守孝三(Emori Kozo)

  
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貴重図書


国会図書館
[清少納言 著][他] (青山堂, 1893)
枕草子春曙抄. 上(春はあけぼの) 青山堂明26
枕草子春曙抄. 中(めでたきもの)
枕草子春曙抄. 下(宮にはじめて)

[枕草子] 5巻清少納言 [著][寛永年間][出版者不明]
[枕草子] 5巻の解題古活字版。書名は通称による。第1冊(川瀬一馬氏の分類では第三種ロ本)は近代の補配。第2冊以降(第三種ハ本)は、屋代弘賢の書き入れ本。第5冊の文化元年(1804)の奥書によると、屋代が横田袋翁(1749-1835)と共に奈佐勝皐(1745-99)を訪ね、その所蔵本と校合したもの。奈佐の死の1年前、寛政10年(1798)のことであった。横田、奈佐はともに幕臣で、屋代と交流深い歌人や学者である。屋代弘賢が所持した時、すでに第1冊がなく補写させていたようだが、その行方は未詳。岡本閻魔庵(第1冊のみ)、中村秋香、大野洒竹等旧蔵。
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枕草子 上巻 学習院大学図書館 貴重書コレクション
枕草子 上巻.1~150.
枕草子 下巻.1~120

京都大学附属図書館所蔵 谷村文庫 『枕草子』 [04/56]
枕草子(谷村文庫)、冒頭  「はるはあけほの やうやうしろくなりゆく やまきはすこしあかりて むらさきたちたる雲のほそくたなひきたる…」
 『枕草子』は、清少納言によって書かれた、平安時代の随筆です。  清少納言は、藤原元輔の娘として生まれ、一条天皇の中宮定子に仕えました。『枕草子』は、彼女が女房として仕えていた期間に書かれたものといわれています。  内容は、類聚章段(るいじゅうしょうだん)、日記的章段、随筆的章段の、大きく三つに分けられます。類聚章段は、「山は…」「川は…」など「…は」や、「にくきもの」など「…もの」で始まり、それぞれのテーマに当てはまるものが列挙されています。ここでは、清少納言の鋭い感性が窺われます。日記的章段には、彼女が中宮定子の女房として仕えていた間にしたことや、見聞きしたことなどが書かれています。随筆的章段はこれ以外のものを指し、様々な思いをつづったものや歌の書きとめなどがあります。この時代の宮廷内の女性たちの暮らしや、考え方を知ることができる貴重な作品です。

『枕草子』 [04/56]


図書

枕草紙[1、2、3、4、5]
枕草子〔清少納言〕 巻一 慶安2(1649)年刊 黒川真頼・小汀文庫旧蔵本(国学院大学)
枕草子全段

江守孝三(Emori Kozo)

  
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枕草子概要

出典: フリー百科事典

枕草子』(まくら の そうし)とは、平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」とも表記され、鎌倉時代に書写されたと見られる現存最古の写本前田本蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。古くは『清少納言記』、『清少納言抄』などとも称した。

内容

「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」の「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「回想章段」(日記章段)など多彩な文章から成る。このような三種の分類は、池田亀鑑によって提唱された(『全講枕草子』解説、1957年)。もっとも、分類の仕方が曖昧な章段もある(例えば第一段「春は曙」は、通説では随想章段に入るが異論あり)。平仮名を中心とした和文で綴られ、総じて軽妙な筆致の短編が多いが、中関白家の没落と主君・中宮定子の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もある。作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、『源氏物語』の心情的な「もののあはれ」に対し、知性的な「をかし」の美世界を現出させた。

ただし後述するように『枕草子』の内容は伝本によってかなりの相違があり、現在ではそれら伝本はおおよそ雑纂形態(三巻本能因本)と類纂形態(堺本前田本)の二つの系統に分けられている。[1]雑纂形態の本は上の三種をばらばらに並べているが、類纂形態の本はそれらを区別整理して編集したものであり、この編集は作者の清少納言よりのちの人物の手によってなされたという。

総じて簡潔な文で書かれ、一段の長さも短く、現代日本人にとっても読みやすい内容である。

外部リンク

書名の由来

巻末の跋文によれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上した時、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「にこそは侍らめ」(三巻本系による、なお、能因本欠本「枕にこそはし侍らめ」、能因本完本「これ給いて枕にし侍らばや」堺本・前田本には該当記事なし)と即答したので、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜された…と記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、では肝心のとは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で争議が続き、いまだに解決を見ない。田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、の意味について八種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。

  1. 備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味(顕昭所引教長卿註で説かれたのをはじめ、近世の契沖村田春海らに継承され明治まで広く支持された説)
  2. 題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため(「枕」を「枕詞」「歌枕」などの「枕」と同じく見て、内容によって書名を推量した説で、『磐斎抄』『春曙抄』などに見える)
  3. 秘蔵本説:枕の如く人に見すまじき秘蔵の草子(関根正直説)
  4. 寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの」という詞を踏まえた洒落

ほかにも漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など、異説を唱える研究者はまだまだいる。また、『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(石田穣二、角川文庫『枕草子』解説)。

ただし萩谷朴は本文の解釈から、上記の定子より紙を賜ったという話は清少納言の作った虚構であるとしている。

評価

源氏物語』に比肩する中古文学の双璧として、後世の連歌俳諧仮名草子に大きな影響を与えた。鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』と並んで日本三大随筆と称される。

肯定的評価
  • 枕草子こそ、心のほど見えて、いとをかしう侍れ。さばかり、をかしくも、あはれにも、いみじくも、めでたくもあることも、残らず書き記したる中に、宮のめでたく盛りにときめかせ給ひしことばかりを、身の毛も立つばかり書き出でて、関白殿失せさせ給ひ、内の大臣流され給ひなどせしほどの衰へをば、かけても言ひ出でぬほどの、いみじき心ばせなりけむ(様々な回想を記した中に、ただ中宮がめでたく栄えておられ、風雅をたしなみ、しみじみと情け深く、配慮にすぐれた素晴らしい様子を描き、伊周・隆家兄弟の左遷や実家の衰退に伴う中宮の悲境について、些かも言及しないのは、清少納言の「いみじき心ばせ」であった、とする『無名草子』作者の見解)。
  • 枕草子は人間存在、自然を共に深く愛した故に、それを、それぞれの位相において、多種多彩の美として享受・形成した(目加田さくを)。
  • 次から次へと繰り出される連想の糸筋によって、各個の章段内部においても、類想・随想・回想の区別なく、豊富な素材が、天馬空をゆくが如き自在な表現によって、縦横に綾なされている(萩谷朴)。
  • 「季節-時刻」の表現(春は曙など)は、当時古今集に見られる「春-花-朝」のような通念的連環に従いつつ、和歌的伝統に慣れ親しんだ読者の美意識の硬直性への挑戦として中間項である風物を省いた斬新なものである(藤本宗利)。
  • 中宮定子への敬慕の念の現れである。道隆一族が衰退していく不幸の最中、崩じた定子の魂を静めるために書かれたものである。故に道隆一族衰退の様子が書かれていないのは当然である(同上)。
  • 自賛談のようにみえる章段も、(中略)中宮と中宮を取り巻く人々が失意の時代にあっても、天皇の恩寵を受けて政治とは無縁に美と好尚の世界に生きたことを主張している(上野理)。
批判的評価
  • 清少納言の出身階級を忘れひたすら上流に同化しようとした浅薄な様の現れである(秋山虔)。
(自分の親族身分のみならず身分が高い者に対しても敬語がないため)
  • 「定子後宮の文明の記録」に過ぎず、「個」の資格によって書かれたものではない(石田穣二)。

伝本

成立経過

初稿の成立については長徳2年(996年)の頃、左中将だった源経房が作者の家から持ち出して世上に広めたと跋文には記しているが、その後も絶えず加筆され、寛弘末年頃に執筆されたと見られる文もある。源氏物語の古註『紫明抄』に引かれる『枕草子』の本文には現存本にないものもあり、複雑な成立過程を思わせる。伝本間の相異はすこぶる大きく、例えば「三巻本と能因本とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある」(石田穣二『鑑賞日本古典文学8』「枕草子」総説)という。

伝本の系統

三巻本

雑纂形態をとり、三巻からなる。耄及愚翁なる藤原定家と思しき人物による安貞2年(1228年)の奥書を持つ系統の伝本で、池田亀鑑が昭和3年(1928年)に命名した。但しもともとは上下二巻だったのをさらに2冊づつに分けて4冊にしたものが、そのうちの第一冊を失った結果三巻(3冊)になったものである。「文意あざやかにて」解読しやすく、最も古態に近いと考えられている。三巻本は池田亀鑑によりさらに以下の2種類に区別される。
  • 第1類本(甲類) - 「春は曙」の冒頭第1段から75段までが無く、76段「ここちよげなるもの」から始まる伝本。298段以降に「一本」すなわち書写した本にはもともと無く、他本からの転載として29段を書き加える。「一本」と跋文もあわせて253段。
    陽明文庫蔵本、宮内庁書陵部図書寮蔵本、高松宮家蔵本
  • 第2類本(乙類) - 第1類本(甲類)に欠けている本文を他本より補う。328段。
    弥富破摩雄旧蔵本、刈谷図書館蔵本、伊達家旧蔵本、勧修寺家旧蔵本、中邨秋香旧蔵本、古梓堂文庫蔵本

能因本

これも雑纂形態の伝本で通常上下二巻として伝わるが、その章段の順序は同じ雑纂形態の三巻本とはかなり相違し、また内容にも相互に出入りがある。清少納言と姻戚関係にあった能因法師(姉妹の一人が清少納言の実子・橘則長の室)が所持していた本であるという奥書があることにより、能因本と呼ばれる。三巻本との間で善本論争が繰り広げられた結果、現在は能因本の源流本が劣ることがほぼ定説となっている。
  • 学習院大学蔵本 - もと三条西家蔵で上下二巻の冊子本。室町時代の書写本で筆者は三条西実隆とも、またはその子公条ともいわれる。
  • 野坂元定蔵本 - これも室町期の伝本。下巻のみの零本であるが、ほかの能因本には無い観応元年(1350年)の奥書があり、能因本の存在がこの時期にまで遡ることの出来るものとして貴重とされる。
  • 古活字本 - 慶長から慶安にかけて出版されたもので4種類あり、冊数は5冊または7冊となっている。但しその本文は三巻本も用いて改めたり、また版に写す際に誤刻したところが多くあり、本来の能因本の本文から見れば不純なものであるという。

堺本

類纂形態をとる。上下二巻で、に住む道巴という人物が所持した本を、元亀元年(1570年)に清原枝賢が書写したとの奥書があるので堺本と呼ばれるが、現在この系統で近世以前に遡る写本は確認されていない。日記・回想章段を欠く。その伝本は2種類に分けられている。
  • 第一類 - 282段を所収し元亀元年の奥書がある。高野辰之旧蔵本、朽木文庫旧蔵本など。朽木文庫旧蔵本は、『堺本枕草子評釈』速水博司著(1990年、有朋堂)の底本となっている。
  • 第二類 - 208段を収める。後光厳院が書写したとの奥書がある本で、宸翰本と呼ばれる。第一類と比べると下巻後半の本文を欠いており、本来第一類であったものの残欠本と見られるが、本文は第一類よりも古態を伝えているという。『群書類従』第27輯には『枕草紙異本』としてこの宸翰本が収録されている。『新校群書類従』は第21輯に収めるが、これは校異および下巻後半に欠けた本文の補填を高野辰之旧蔵本で行なったものである。

前田本

類纂形態の伝本で四巻。第一巻に107段、第二巻に89段、第三巻に102段、第四巻に32段を収めるが、さらに第五巻があって紛失したかといわれる。この系統の伝本は加賀前田家伝来本(前田育徳会蔵)があるのみである。金蒔絵の箱に入っており、箱には金象嵌で『清少納言枕草子』とある。鎌倉時代前期の書写で『枕草子』の写本の中では最古のものとされ、重要文化財に指定されている。

ほかには、詞書の本文に三巻本系統の伝本を使用したと見られる鎌倉時代後期成立の白描画の絵巻物、『枕草子絵詞』七段分が現存する。

このうち能因本は江戸初期の古活字本に底本として利用されたことにより、『枕草子傍注』や『枕草子春曙抄』(北村季吟註)といった注釈書とセットになって近代まで『枕草子』の本文として主流を占めた。しかし池田亀鑑が「清少納言枕草子の異本に関する研究」と題する論文で流布本(能因本)に対する安貞二年奥書本(三巻本)の優位性を初めて唱え、昭和21年(1946年)には田中重太郎によって三巻本の第2類本が再評価された。それ以降もっぱら三巻本に基づく本文が教科書にも採用され読まれており、現在能因本による本文の出版は三巻本とくらべてごく少数となっている。堺本、前田本についても同様である。

ただしこれは『枕草子』に限らず、古い時代に成立した仮名の文学作品のほとんどについて言えることであるが、現在と違って本を作るのに人の手で書き写すしかなかった時代には、作者とされる人物の手を離れた作品は書写を重ねるごとに誤写誤脱が加わり、また場合によっては意図的に表現や内容を書き替えるということが普通に行なわれていた。現在『枕草子』において善本とされる三巻本についても、作者とされる清少納言の原作から見れば幾度と無く書写を繰り返した結果成立したものであり、その間に相当な改変の手が加わっていると考えなければならない。これは三巻本よりも本文の上で劣るとされている能因本や堺本、前田本も同様であるが、要するにいずれの系統の伝本であっても、書写の過程で本文に少なからぬ改変が加えられており、三巻本においてもそれは例外ではないということである。したがって『枕草子』の本文を研究・解釈するにあたっては、三巻本の本文のみを鵜呑みにすることはある意味危険であり、必要に応じて能因本ほかの系統の本文を参照すべきであるといえよう。

外部リンク

注釈書・研究書

明治時代以前の注釈書

写本・校注

  • 『枕冊子』 日本古典全書 田中重太郎校注
  • 『枕草子』 日本古典文学大系 池田亀鑑・岸上慎二校注
  • 『枕草子』 新日本古典文学大系 渡辺実校注
  • 『枕草子(上・下)』 新潮日本古典集成 萩谷朴校注
  • 『枕草子』 日本古典文学全集1974年) 松尾聰永井和子校注 (←能因本)
  • 『枕草子』 新編日本古典文学全集(1997年) 松尾聰・永井和子校注
  • 『完訳日本の古典 枕草子(上・下)』 小学館 松尾聰・永井和子校注 (←能因本)
  • 『枕草子』 笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ 松尾聰・永井和子校注 (←能因本)
  • 『日本の文学 枕草子(上・下)』 ほるぷ出版 鈴木日出男校注
  • 『枕草子春曙抄杠園抄』 日本図書センター (←春曙抄)
  • 『新校本枕草子』 笠間書院 根来司校訂
  • 『三巻本枕草子本文集成』 笠間書院 杉山重行編 ISBN 4-305-70191-X
  • 『前田家本枕冊子新註』 非売品・古典文庫 田中重太郎校注 (←前田本)

評釈

  • 『枕草子評釈』 明治書院 金子元臣 (←能因本)
  • 『枕草子精講』 五十嵐力岡一男 學燈社 (←能因本)
  • 『全講枕草子』 至文堂 池田亀鑑
  • 『枕草子評釈』 清水書院 増渕恒吉
  • 『枕冊子全注釈』 角川書店 田中重太郎
  • 『枕草子講座1~4』 有精堂
  • 『鑑賞日本古典文学8 枕草子』 角川書店 石田穣二
  • 『補訂 枕草子集註』 思文閣出版 関根正直 (←能因本)
  • 『枕草子解環1~5』 同朋舎出版 萩谷朴
  • 『堺本枕草子評釈』 有朋堂 速水博司 (←堺本)

文庫で読む枕草子

枕草子論攷

  • 枕草子に關する論考』 池田亀鑑
  • 『清少納言枕冊子研究』 笠間書院 田中重太郎著
  • 『枕草子研究』 岸上慎二著
  • 『枕草子研究 続編』 笠間書院 岸上慎二著
  • 『枕草子の研究 増補版』 右文書院 林和比古著
  • 『枕草子論』 笠間書院 目加田さくを著
  • 『枕草子論考』 教育出版センター 榊原邦彦著
  • 『枕草子研究』 風間書房 藤本宗利著
  • 『新しい枕草子論』 新典社 圷美奈子著
  • 『枕草子の新研究』 新典社 浜口俊裕・古瀬雅義編

枕草子周辺

  • 『清少納言伝記攷』 新生社 岸上慎二著
  • 『人物叢書 清少納言』 吉川弘文館 岸上慎二著
  • 『日本の作家11 清少納言 感性のきらめき』 新典社 藤本宗利著
  • 『清少納言』 笠間選書 村井順著
  • 『清少納言をめぐる人々』 笠間選書 村井順著
  • 『枕草子幻想 定子皇后』 思文閣出版 下玉利百合子著
  • 『枕草子周辺論』 笠間書院 下玉利百合子著
  • 『枕草子周辺論 続編』 笠間書院 下玉利百合子著
  • 『東西女流文芸サロン-中宮定子とランブイエ侯爵夫人-』 笠間選書 目加田さくを・百田みち子著
  • 『平安朝サロン文芸史論』 風間書房 目加田さくを著
  • 『枕草子の婦人服飾』 思文閣 安谷 ふじゑ著

講義

  • 『枕草子 女房たちの世界』 日本エディタースクール 谷川良子著
  • 『岩波古典講読シリーズ 枕草子』 岩波セミナーブックス 渡辺実著

事典・資料

  • 『枕草子大事典』 勉誠出版 枕草子研究会編
  • 『枕草子必携』 学燈社 岸上慎二著
  • 『図説日本の古典6 蜻蛉日記・枕草子』 集英社 木村正中・土田直鎮ほか編
  • 『枕草子・紫式部日記』 新潮古典文学アルバム 鈴木日出男著
外部リンク

現代語訳など

枕草子を平易に理解する入門編としては現代語訳された小説漫画等がある。

入門書
  • 『枕草子入門』 有斐閣新書 稲賀敬二ほか著
  • 『これなら読めるやさしい古典 枕草子』 汐文社 長尾剛
エッセイ
  • 『「枕草子」を旅しよう』 講談社 田中澄江
  • 『イラスト古典 枕草子』 学研 文・紀野恵 画・大和和紀
  • 『枕草子REMIX』 新潮社(のち新潮文庫) 酒井順子
  • 『リンボウ先生のうふふ枕草子』 祥伝社 林望
  • 『王朝ガールズトーク×イラストエッセイ  超訳 枕草子』 中央公論新社 森千章
  • 『ヘタな人生論より枕草子』 河出文庫 荻野文子
小説
漫画
参考書

外国語訳

その他

ピーター・グリーナウェイ監督による1996年公開の映画『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(The Pillow Book)は、「現代の清少納言(清原諾子)」の話を標榜している。とはいえ、ストーリーはエロチックであり、ヒロインに日本人でなく香港の女優を起用し、舞台の場景は物語の中では「京都」としながら、実際には香港で撮影されている。

関連項目

外部リンク



堺本

堺本(さかいぼん)は、日本随筆作品『枕草子』の写本の系統の一つ。

概要

大別して4種類が確認されている『枕草子』の写本系統の内、回想章段を欠き随想・類想章段が明確に分けられた状態の類纂本と呼ばれる系統の一つ。類纂形態の写本には、他に前田本が存在するが前田本は随想・類想章段の後に回想章段がまとめられている点が堺本との相違である。

現在の伝本はいずれも室町時代以降の写本で、奥書に原作者・清少納言と同じ清原氏の出である儒学者清原枝賢和泉国に住む隠遁の僧・道巴(どうは)から借り受けて書写した経緯が記されていることから堺本と呼ばれる。他系統の本文に比して後世の加筆・改竄が多いとされ、雑纂形態の三巻本能因本に比して注釈書の刊行点数は少数に留まっている。

現存する写本には後光厳天皇書写の宸翰本(後光厳院本、190段)と、95段から成る別系統の写本が有りこの2系統を併せた総称が堺本である。しかし、河内方(河内学派)の素寂が『源氏物語』の注釈書『紫明抄』で引用した「すさまじきもの」(日本古典文学大系25段)の本文は「すさまじき物 おうなけさう しはすの月夜…」と、現存する写本のどの系統とも全く異なるものとなっている他、同書が『枕草子』を出典元として引用している文章は全般に宸翰本系統の本文に近い傾向が認められることから、現存しない「古堺本」と称すべき写本の系統が存在したのではないかとする説が近年になって浮上している。

主な写本

堺本を底本とする注釈書

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The Pillow Book

From encyclopedia
This article is about the Japanese book. For the Peter Greenaway film of the same name, see The Pillow Book (film).
Sei Shōnagon in a late 17th century illustration

The Pillow Book (枕草子 Makura no Sōshi?) is a book of observations and musings recorded by Sei Shōnagon during her time as court lady to Empress Consort Teishi (定子) during the 990s and early 1000s in Heian Japan. The book was completed in the year 1002.

In it she included lists of all kinds, personal thoughts, interesting events in court, poetry, and some opinions on her contemporaries. While it is mostly a personal work, Shōnagon's writing and poetic skill makes it interesting as a work of literature, and it is valuable as a historical document. Part of it was revealed to the Court by accident during Shōnagon's life. The book was first translated into English in 1889 by T. Purcell and W. G. Aston. Other notable English translations were by Arthur Waley in 1928, Ivan Morris in 1967, and Meredith McKinney in 2006.

Overview

Starting with the "exhaustiveness" of the "collection of similar things" and how it is represented by "as for worms", "as for the flowers of trees", "awful things", and "things of beauty", author Sei Shōnagon’s "Ramblings" observed the nature of everyday life and the four seasons, and described in diverse sentences "her recollections" (her diary) that look back at the society of the imperial court surrounding Empress Teishi whom she served, among other things.

Three types of classification were proposed by Kikan Ikeda.[1] However, there are sections that are rather ambiguous and are difficult to classify (e.g., in the first paragraph of her ramblings, "As for Spring, (it is) the dawn [that is lovely]", there are objections to common opinions of what is actually meant here).

It is composed primarily in Japanese hiragana, and generally many of her short stories were written in a witty literary style. Confessions of her personal feelings are mixed into her writing with occasionally subtle sentimentality that reflects the downfall of the emperor’s adviser, Fujiwara no Michitaka (her biological father), as well as the misfortune of both Emperor and Empress Teishi.

Both the author's sophisticated sense and her eye for particular things are fused; for if one compares the sentimentality of mono no aware (the Pathos of Things) as found in "The Tale of Genji", similar beauty of the world is revealed through the use of the intellectual word okashi (lovely) in this piece.

The miscellaneous collection has been arranged loosely into three types, while the collection of similar things has been compiled by distinct classification, and this so-called compiling was done afterwards by the hands of people other than Sei Shōnagon.

In general, this piece is written in brief statements, where the length of one paragraph is relatively short, and it is easy to read the contents, even for modern Japanese speakers.

Other pillow books

Sei Shōnagon, illustration from an issue of Hyakunin Isshu (Edo period)

More generally, a pillow book is a collection of notebooks or notes which have been collated to show a period of someone or something's life. In Japan such kind of idle notes are generally referred to as the zuihitsu genre. Other major works from the same period include Kamo no Chōmei's Hōjōki and Yoshida Kenkō’s Tsurezuregusa. Zuihitsu rose to mainstream popularity in the Edo period, when it found a wide audience in the newly developed merchant classes. Furthermore, it gained a scholarly foothold, as Japanese classical scholars began customarily writing in the zuihitsu style. Reputable authors from this movement include Motoori Norinaga, Yokoi Yayu, and Matsudaira Sadanobu.[2]

Peter Greenaway released his film The Pillow Book in 1996. Starring Vivian Wu and Ewan McGregor, it tells a modern story that references Sei Shōnagon's work.

The Pillow Book is also the name of a series of radio thrillers written by Robert Forrest and broadcast on BBC Radio 4's Woman's Hour Drama. These are detective stories with Sei Shōnagon as a principal character and feature many of her lists.[3]

See also

Reference

  1. Jump up ^ 池田亀鑑, Complete Lectures on The Pillow Book (全講枕草子』解説), 1957
  2. Jump up ^ Kodansha Encyclopedia of Japan
  3. Jump up ^ "Woman's Hour Drama, The Pillow Book, series 3". BBC. Retrieved 16 November 2010. 

Bibliography

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