日本の危機を救う!

『新論』会沢正志斎 ー新論解題ー

幕末の思想の最大の特色はその激しい危機意識にある。
(一)時代と著者(二)国体論(三)形勢(四)慮情(五)守禦(六)長計(七)本書の価値


『新論』という単純明快な題名のこの書物は,江戸時代後期,水戸藩徳川家に仕えた儒学者会沢安(1782~1863)(通称恒蔵・正志斎と号す)が著した書である。 江戸幕府の力が揺らいだ幕末期に,天皇・朝廷を厚く敬う尊王論と,日本周辺に姿を現すことが多くなった西洋諸国の勢力を排除しようとする攘夷論が結びついた 尊王攘夷の思想を体系化した書物であった。国家の行く末を案じて活動した吉田松陰などの志士達を中心に広く流布し,水戸に発達した学風である水戸学の書物としても伝わった。 現存の版本も多いが,慶應所蔵本の魅力は松平慶永(1828~90)の自筆書入れがなされている点である。越前福井藩主であった松平慶永は, 隠居後の「春嶽」の名で広く知られ,当時の名君の一人として,幕末政治史を語る上では欠くことができない人物である。
『新論』は,文政8 年(1825),会沢正志斎が主君徳川斉脩に対して意見を呈上するために執筆したものであった。国体(上・中・下)・形勢・虜情・守禦・長計の7 編からなり, 国の内外における政治的な危機を乗り越え,富国強兵を実現するためには,人々の心をまとめる方法として尊王と攘夷が必要であると強く主張した。 だが,その内容により公刊は許されず,同志の間で筆写されて密かに世間に流布したのであった。入手が難しいことは却って本の魅力を高めた。


(和装)
国体、形勢、虜情、守禦、長計、

出版書写事項、 :安政4[1857]
玉山堂、 日本橋南(江戸) 、 形態:2冊、 和装:27cm


・新論(原文)
・国体(書下文、現代訳)
・守禦(書下文、現代訳)
・『新論』会沢正志斎:新論解題(文部省蔵版)(全頁)、蔵版Ⅰ(全頁) 蔵版Ⅱ(全頁) 蔵版Ⅲ(全頁) 蔵版Ⅳ(全頁)
・国体・会沢正志斎(解説)
・坂本龍馬.由利公正.橋本左内 (松平春嶽)
・国是三論・七条・十二条(横井小楠)
・少年日本史
・『論語』(孔子言行録)論語はあらゆる教育の聖書



偶成  <松平春嶽>  (ぐうせい  まつだいらしゅんが<)


・ 眼に見る年年 開化の新たなるを  才を研き智を磨き 競うて身を謀る  翻って愁う習俗の 浮薄に流るるを  能く忠誠を守るは 幾人か有る
 めにみるねんねん かいかのあらたなるを   さいをみがきちをみがき きそうてみをはかる   ひるがえってうれうしゅうぞくの ふはくにながるるを   よくちゅうせいをまもるは いくにんかある

・ 西欧文明が流入して世の中は開化に向かって進んでいる。人々は競って技術や知識を学び立身出世を図っている。昔は天下のために学んだのであるが、今は軽薄に流れていて愁うべきことである。こういう時期に天下国家のために志を果たしている人はどれ位いるだろうか。それを思うとさびしいことである。

・ 松平春嶽 1828-1890
  幕末の福井藩主。名は慶永(よしなが)、号は春嶽。文政11年田安(たやす)家に生まれる。ペリー浦賀来航を期に富国強兵と藩政改革に着手、橋本左内を登用し推進させた。安政の大獄に連坐して 大老井伊直弼に隠居謹慎を命ぜられたが桜田門外の変後、解かれ幕府政治総裁職となり、幕政の改革をはかり、公武合体を推進した。大政奉還の際には将軍慶喜に返還をすすめ断行させた。 新政府に迎えられて議定となる。明治23年6月病没、年63。


『新論』会沢正志斎 ー新論解題ー
(一)時代と著者(二)国体論(三)形勢(四)慮情(五)守禦(六)長計(七)本書の価値

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