温故知新[TOP]  聖徳太子  般若心経 
NHKテレビ 「100分de名著」 【維摩経】を 放送 、好評 テキスト (とらわれない、こだわらない) (古い「自分」を解体し、新たな「自分」を構築する。)

  目次 ・維摩詰所説経巻(巻上)第一第二第三 ・(巻中)第一第二第三 ・(巻下)第一第二
      下欄に記載 ( 面白い 超訳【維摩経】)(維摩書籍)(辞典)

維摩経(巻下之第一)  とらわれない、こだわらない
    自分の枠をばらし、新たな「私」を組み立てる。

『維摩経』は、西暦百年頃にインドで成立したと考えられています。「生老病死」と言った仏教の基本テーマだけでなく、政治や経済、平等や差別といった人間社会が抱えるさまざまな問題が、維摩詰によって提起されていきます。
『維摩経』 (ゆいまきょう、梵: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ)は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。 サンスクリット原典と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。
日本でも、仏教伝来間もない頃から広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の一つ『維摩経義疏』を始め、今日まで多数の注釈書が著されている。

維摩経動画(100分で名著1.2.3.4)他

 
①「維摩経 仏教思想の一大転換」 ②「維摩経 得意分野こそ疑え」、  維摩経義疏: 不可思議解脱経:聖徳太子 著 (島田蕃根) 「維摩経に〝今〟を学ぶ 」維摩経(動画)維摩経(YouTube)国立図書「維摩経」

(←クリック:詳細説明) (辞典)


目次 ・維摩詰所説経巻上 第一  第二  第三 ・維摩詰所説経巻中 第一  第二  第三 ・維摩詰所説経巻下 第一  第二
維摩詰所説経巻下(第一) 維摩経(巻下之第一)

香積品仏品第十

維摩詰所說經卷下 姚秦三藏鳩摩羅什譯 ・維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)巻の下 ・姚秦三蔵(ようしんさんぞう)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳す

香積仏に食を請う

於是舍利弗心念。日時欲至。此諸菩薩當於何食 ・ここに於いて、舍利弗、心に念(おも)えらく、『日時(にちじ、日中の食時)至らんと欲す。この諸の菩薩は、まさに何に於いて(何アラバ)か食(じき)すべき。』 時維摩詰。知其意而語言。佛說八解脫。仁者受行。豈雜欲食而聞法乎。若欲食者且待須臾。當令汝得未曾有食 ・時に維摩詰、その意を知りて語りて言わく、『仏、八解脱(はちげだつ、貪著心を捨てるための八段階の修行)を説きたまい、汝は受行(信受奉行)す。豈(あに)食を欲することを雑(まじ)えて、しかも法を聞かんや。もし食を欲するならば、且(しばら)く待て。須臾(しゅゆ、スグニ)にして、まさに汝をして未曽有の食を得しむべし。』 時維摩詰即入三昧。以神通力示諸大眾。上方界分過四十二恒河沙佛土。有國名眾香。佛號香積。今現在。其國香氣比於十方諸佛世界人天之香最為第一 ・時に維摩詰、すなわち三昧に入り、神通力を以って、諸の大衆に示す。 方の界分(かいぶん、方角)に、四十二恒河沙(ごうがしゃ、ガンジス河の砂の数)の仏土を過ぎて、(一仏)国有り、衆香と名づく。仏は香積と号して、今現に在(ましま)したもう。その国の香気は、十方の諸仏の世界の人天の香に比すれば、最も第一なり。 彼土無有聲聞辟支佛名。唯有清淨大菩薩眾。佛為說法 ・彼の土(国土)に、声聞辟支仏は、その名さえ有ること無く、ただ清浄(空平等に住する)の大菩薩衆のみ有り。仏は為に法を説きたもう。 其界一切皆以香作樓閣。經行香地苑園皆香。其食香氣周流十方無量世界 ・その界(世界)の一切は、香を以って楼閣と作し、香地を経行(きょうぎょう、座禅を止めてする散歩)し、苑園は皆香(かんば)しく、その食の香気は、十方の無量の世界に周流(しゅうる)す。 時彼佛與諸菩薩方共坐食 ・ 有諸天子皆號香嚴。悉發阿耨多羅三藐三菩提心。供養彼佛及諸菩薩。此諸大眾莫不目見 ・諸の天子有り、皆光厳と号し、悉く阿耨多羅三藐三菩提心(それぞれの仏国土建立を志求する心)を発し、彼の仏、および諸菩薩を供養したてまつる。この(維摩詰の室内の)諸の大衆、目に見ざるものなし。 時に、彼の仏と、諸の菩薩とは、まさに共に坐して食したもう。 時維摩詰問眾菩薩言。諸仁者。誰能致彼佛飯。以文殊師利威神力故咸皆默然 ・時に、維摩詰、衆の菩薩に問うて言わく、『諸仁者(にんじゃ、ミナサン)、誰かよく彼の仏飯(ぶつぼん)を致さんや(招致せんや)。』と。文殊師利の威神力を以っての故に、ことごとく皆黙然たり。 維摩詰言。仁此大眾無乃可恥 ・維摩詰言わく、『仁(仁者)、この大衆、すなわち恥ずべきこと無からんや。』 文殊師利曰。如佛所言勿輕未學 ・文殊師利曰く、『仏の言(の)たもう所の如きは、未学のものを軽んずること勿(なか)れと。』(初学の者を進めんが為なり) 於是維摩詰。不起于座居眾會前化作菩薩。相好光明威德殊勝蔽於眾會。而告之曰。汝往上方界。分度如四十二恒河沙佛土。有國名眾香。佛號香積。與諸菩薩方共坐食 ・ここに於いて、維摩詰、座より起たず衆会の前に居り、(一の)菩薩を化作す。(この化菩薩の)相好と光明の威徳殊勝にして、衆会を蔽(おお)えり。しかも(維摩詰は)これ(化菩薩)に告げて曰く、『汝、上方の界分に往きて、四十二恒河沙の如き仏土を度(わた)れ。国有り、衆香と名づく。仏は香積と号したてまつる。諸菩薩と、まさに共に坐して食したもう。 汝往到彼如我辭曰。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少惱氣力安不。願得世尊所食之餘。當於娑婆世界施作佛事。令此樂小法者得弘大道。亦使如來名聲普聞 ・汝往きて彼(かしこ)に到り、我が辞(ことば)の如く曰え、『維摩詰、世尊の足下に稽首(けいしゅ、首を差し延べて礼す)して、敬(恭敬)を致すこと無量なり。起居を問訊(もんじん、ウカガウ)したてまつる、『少病少悩にして気力安きや不や。願わくは、世尊の食したもう所の余りを得んことを。まさに娑婆世界に於いて、仏事を施作(せさ)して、この小法(小乗の法)を楽(ねが)う者をして、弘き大道を得しめ、また如来の名声をして、あまねく聞こえしむべし』と。』 時化菩薩即於會前昇于上方 ・時に化菩薩、すなわち会の前に於いて、上方に昇る。 舉眾皆見其去到眾香界禮彼佛足。又聞其言。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少惱氣力安不。願得世尊所食之餘。欲於娑婆世界施作佛事。使此樂小法者得弘大道。亦使如來名聲普聞 ・衆をこぞりて、皆その去りて、衆香界に到り、彼の仏の足に礼するを見、またその言を聞く、『維摩詰、世尊の足下に稽首して、敬を致すこと無量なり。起居を問訊したてまつる、『少病少悩にして気力安きや不や。願わくは、世尊の食したもう所の余りを得んことを。娑婆世界に於いて、仏事を施作して、この小法を楽う者をして、弘き大道を得しめ、また如来の名声をして、あまねく聞こえしめんと欲す。』と。 彼諸大士見化菩薩歎未曾有。今此上人從何所來。娑婆世界為在何許。云何名為樂小法者。即以問佛 ・彼(かしこ、衆香界)の諸の大士(だいし、菩薩)は、化菩薩を見て、未曽有なりと歎じ、『今、この上人は、何所(いづこ)より来る。娑婆世界は、何(いづれ)の許(ところ)にか在ると為す。云何が名づけて小法を楽う者と為す。』と、すなわち以って仏に問いたてまつれり。 佛告之曰。下方度如四十二恒河沙佛土。有世界名娑婆。佛號釋迦牟尼。今現在於五濁惡世。為樂小法眾生敷演道教 ・仏、これに告げて曰(の)たまわく、『下方に度(わた)ること、四十二恒河沙仏土の如きに、世界有りて娑婆と名く。仏を釈迦牟尼と号す。今現に在して、五濁(ごじょく、末世には世界が汚れ濁ること、劫濁見濁煩悩濁衆生濁命濁)の悪世に於いて、小法を楽う衆生の為に道教を敷演(ふえん、演説)したもう。 彼有菩薩名維摩詰。住不可思議解脫。為諸菩薩說法。故遣化來稱揚我名并讚此土。令彼菩薩增益功德 ・彼(かしこ)に菩薩有り、維摩詰と名づけ、不可思議解脱に住して、諸の菩薩に法を説かんが為の故に、化を遣わして来たらしめ、我が名を称揚し、あわせてこの土を讃ぜしめて、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ。』と。 彼菩薩言。其人何如乃作是化。德力無畏神足若斯 ・彼の菩薩言わく、『その人は、何如(いかん)が、すなわちこの化を作して、徳力と無畏と神足とかくのごとくなる。』と。 佛言。甚大。一切十方皆遣化往施作佛事饒益眾生。於是香積如來。以眾香缽盛滿香飯與化菩薩 ・仏言たまわく、『(維摩詰の神通は)甚だ大なり。一切の十方(世界)に、皆化を遣わして往かしめ、仏事を施作して衆生を饒益せしむ。』と。ここに於いて、香積如来は、衆香の鉢を以って、香飯を盛満し、化菩薩に与えたもう。 時彼九百萬菩薩俱發聲言。我欲詣娑婆世界供養釋迦牟尼佛。并欲見維摩詰等諸菩薩眾 ・時に、彼の九百万の菩薩は、倶(とも)に声を発して言わく、『我、娑婆世界に詣(いた)りて釈迦牟尼仏を供養したてまつらんと欲し、併せて維摩詰等の諸の菩薩衆に見(まみ)えんと欲す。』と。 佛言可往。攝汝身香。無令彼諸眾生起惑著心。又當捨汝本形。勿使彼國求菩薩者而自鄙恥。又汝於彼莫懷輕賤而作礙想 ・仏言たまわく、『往くべし。汝が身香を摂(おさ)めて、彼の諸の衆生をして、惑著(疑惑と執著)の心を起こさしむること無かれ。またまさに汝が本形を捨てて、彼の国の菩薩(の行)を求むる者をして、自ら鄙(いや)しみ恥(はぢ)しむることなかれ。また汝は、彼に於いて軽賤(きょうせん、軽ろんずること)を懐き、礙想(げそう、尊卑優劣等の罣礙ある妄想)を作すことなかれ。 所以者何。十方國土皆如虛空。又諸佛為欲化諸樂小法者。不盡現其清淨土耳 ・所以は何となれば、十方の国土は、皆虚空の如くなればなり。また諸仏は、諸の小法を楽う者を化せんと欲するが為に、尽(ことごと)くは、その清浄の土を現ぜざるのみ。』と。 時化菩薩既受缽飯。與彼九百萬菩薩俱。承佛威神及維摩詰力。於彼世界忽然不現。須臾之間至維摩詰舍 ・時に、化菩薩は、すでに鉢と飯を受け、彼の九百万の菩薩と倶に、仏の威神(いじん、威勢)、および維摩詰の力を承けて、彼の世界に於いて、忽然(こつねん、急に)として現(み)えずして、須臾(しゅゆ、シバラク)の間に、維摩詰の舎(いえ)に至る。 時維摩詰。即化作九百萬師子之座嚴好如前。諸菩薩皆坐其上 ・時に、維摩詰、すなわち九百万の師子の座を化作す、厳好なること前の如し。諸の菩薩は、皆その上に坐す。 是化菩薩以滿缽香飯與維摩詰。飯香普熏毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門居士等。聞是香氣身意快然歎未曾有 ・この化菩薩、満鉢の香飯を以って、維摩詰に与う。飯香は、あまねく毘耶離城、および三千大千世界を薫ず。時に、毘耶離の婆羅門、居士等も、この香気を聞いて、身意快然として未曽有なりと歎ず。 於是長者主月蓋。從八萬四千人來入維摩詰舍。見其室中菩薩甚多諸師子座高廣嚴好。皆大歡喜禮眾菩薩及大弟子。卻住一面 ・ここに於いて、長者主月蓋(がつがい)、八万四千人を従え来たりて、維摩詰の舎に入る。その室の中の菩薩の甚だ多く、諸の師子座の高広にして厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、もろもろの菩薩、および大弟子を礼して、卻(しりぞ)きて一面に住す。 諸地神虛空神及欲色界諸天。聞此香氣亦皆來入維摩詰舍 ・諸の地神、虚空神、および欲色界の諸天も、この香気を聞いて、また来たりて、維摩詰の舎に入る。 時維摩詰語舍利弗等諸大聲聞。仁者可食如來甘露味飯大悲所熏無以限意食之使不消也 ・時に、維摩詰、舍利弗等の諸の大声聞に語らく、『仁者、如来の甘露味の飯を食(じき)すべし。(この飯は如来の)大悲の薫ずる所なり。限意(げんい、罣礙限界ある意)を以ってこれを食して、消(消化)せざらしむること無かれ。』 有異聲聞念。是飯少而此大眾人人當食 ・異なる(別の)声聞聞いて念(おも)えらく、『この飯は少なし、しかもこの大衆の人々まさに食すべし。』 化菩薩曰。勿以聲聞小德小智稱量如來無量福慧。四海有竭此飯無盡。使一切人食揣若須彌乃至一劫猶不能盡 ・ 化菩薩曰く、『声聞の小徳と小智を以って、如来の無量の福慧を称量することなかれ。四海(の水)は竭(つ)くること有れど、この飯は尽くること無し。一切の人をして食せしむとも、(その残飯を)揣(まと)むれば、須弥(山)のごとし、乃至一劫すとも、なお尽くすこと能わず。 所以者何。無盡戒定智慧解脫解脫知見功德具足者。所食之餘。終不可盡 ・所以は何となれば、無尽の戒定慧と智慧と解脱と解脱知見(げだつちけん)の功徳を具足する者の食う所の余りは、ついに尽くすべからず。』と。 於是缽飯悉飽眾會猶故不[歹*斯] ・ここに於いて、鉢の飯は、尽く衆会を飽かしむれど、なお故(もと)のごとくして、澌(つ)きず。 其諸菩薩聲聞天人食此飯者。身安快樂。譬如一切樂莊嚴國諸菩薩也。又諸毛孔皆出妙香。亦如眾香國土諸樹之香 ・その諸の菩薩、声聞、天人、この飯を食する者は、身の安く快楽(けらく)なること、譬えば、一切の楽の荘厳せる国の諸の菩薩の如し。また諸の毛孔(もうく)、皆妙香を出し、また衆香国土の諸樹の香の如し。

釈迦牟尼仏の法

爾時維摩詰問眾香菩薩。香積如來以何說法 ・その時、維摩詰、衆香菩薩に問わく、『香積如来は何を以ってか法を説きたもう。』と。 彼菩薩曰。我土如來無文字說。但以眾香令諸天人得入律行。菩薩各各坐香樹下聞斯妙香。即獲一切德藏三昧。得是三昧者。菩薩所有功德皆悉具足 ・彼の菩薩曰く、『我が土の如来は、文字の説無し。ただ衆香を以って、諸の天人をして、律行(戒律)に入ることを得しめたもう。菩薩は、各々香樹の下に坐し、この妙香を聞いて、すなわち一切徳蔵三昧(一切の徳を蔵せる三昧)を獲(う)。この三昧を得る者は、菩薩の有らゆる功徳を、皆悉く具足す。 彼諸菩薩問維摩詰。今世尊釋迦牟尼以何說法 ・彼の諸の菩薩、維摩詰に問わく、『今世の世尊釈迦牟尼仏は、何を以ってか法を説きたもう。』 維摩詰言。此土眾生剛強難化故。佛為說剛強之語以調伏之。言是地獄是畜生是餓鬼。是諸難處。是愚人生處 ・維摩詰言わく、『この土の衆生は剛強にして、化(化導)し難きなるが故に、仏は為に、剛強の語を説きて、以ってこれを調伏したもう。言わく、『これ地獄、これ畜生、これ餓鬼、これ諸の難処(八難処、地獄餓鬼畜生、鬱単越(うったんおつ)、長寿天、聾盲瘖唖、世智に勝れる、仏前仏後)、これ愚人の生処なり。 是身邪行是身邪行報。是口邪行是口邪行報。是意邪行是意邪行報 ・これ身の邪行、これ身の邪行の報、これ口の邪行、これ口の邪行の報、これ意の邪行、これ意の邪行の報なり。 是殺生是殺生報。是不與取是不與取報。是邪婬是邪婬報。是妄語是妄語報。是兩舌是兩舌報。是惡口是惡口報。是無義語是無義語報。是貪嫉是貪嫉報。是瞋惱是瞋惱報。是邪見是邪見報 ・これ殺生、これ殺生の報、これ不与取(ふよしゅ、窃盗)、これ不与取の報、これ邪婬、これ邪婬の報、これ妄語(もうご、嘘)、これ妄語の報、これ両舌(りょうぜつ、人を離間する語)、これ両舌の報、これ悪口(あっく、悪口雑言)、これ悪口の報、これ無義語(むぎご、綺語(きご)、冗談)、これ無義語の報、これ貪嫉(貪欲と嫉妬)、これ貪嫉の報、これ瞋悩(瞋恚と悩害)、これ瞋悩の報、これ邪見、これ邪見の報なり。 是慳吝是慳吝報。是毀戒是毀戒報。是瞋恚是瞋恚報。是懈怠是懈怠報。是亂意是亂意報。是愚癡是愚癡報・これ慳吝(けんりん、慳貪と吝嗇(りんしょく))、これ慳吝の報、これ毀戒(きかい、破戒)、これ毀戒の報、これ瞋恚、これ瞋恚の報、これ懈怠(けたい、ナマケルコト)、これ懈怠の報、これ乱意、これ乱意の報、これ愚癡、これ愚癡の報なり。 是結戒是持戒是犯戒。是應作是不應作。是障礙是不障礙。是得罪是離罪 ・これ結戒(けっかい、戒制定の因縁)、これ持戒、これ犯戒(ぼんかい、破壊)、これまさに作すべし、これまさに作すべからず。これ障礙、これ障礙にあらず、これ得罪、これ離罪なり。 是淨是垢。是有漏是無漏。是邪道是正道。是有為是無為。是世間是涅槃 ・これ浄、これ垢、これ有漏、これ無漏、これ邪道、これ正道、これ有為、これ無為、これ世間、これ涅槃なり。』と。 以難化之人心如猿猴故。以若干種法制御其心乃可調伏。譬如象馬[怡-台+龍]悷不調加諸楚毒乃至徹骨然後調伏。如是剛強難化眾生故。以一切苦切之言乃可入律 ・難化の人の心は猿猴(えんこう、サル)の如き(落ち着きなし)を以って、若干種の法を以って、その心を制御して、すなわち調伏すべし。譬えば、象馬の[怡-台+龍]悷(ろうれい、多悪)にして調えざるが如きは、楚毒(そどく、鞭撻)を加え、すなわち骨に徹するに至りて、然る後に調伏す。かくの如く、剛強にして化し難き衆生は、故(ことさら)に一切の苦切(くせつ、ネンゴロ、親切)の言(ごん、言葉)を以って、すなわち律に入るべし。』と。 彼諸菩薩聞說是已。皆曰未曾有也。如世尊釋迦牟尼佛。隱其無量自在之力。乃以貧所樂法度脫眾生。斯諸菩薩亦能勞謙。以無量大悲生是佛土 ・彼の諸の菩薩、(維摩詰の)これを説くを聞きおわりて、皆曰く、『未曽有なり。世尊釈迦牟尼仏の、その無量の自在の力を隠して、すなわち貧(ひん、貧道、声聞)の楽う所の法を以って、衆生を度脱したまい、この諸の菩薩も、またよく労謙(ろうけん、勤労と謙譲)して、無量の大悲を以って、この仏土に生じたもうが如きは。』 維摩詰言。此土菩薩於諸眾生大悲堅固。誠如所言。然其一世饒益眾生。多於彼國百千劫行。所以者何。此娑婆世界有十事善法。諸餘淨土之所無有 ・維摩詰言わく、『この土の菩薩は、諸の衆生に於いて、大悲堅固なること、誠に(汝等の)言う所の如し。然も、その一世に衆生を饒益(にょうやく、利益)すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何となれば、この娑婆世界には、十事の善法有りて、諸余の浄土には有ること無き所なり。 何等為十。以布施攝貧窮 ・何等をか十と為す。布施を以って貧窮を摂す。 以淨戒攝毀禁 ・淨戒を以って毀禁(ききん、犯戒)を摂す。 以忍辱攝瞋恚 ・忍辱を以って瞋恚を摂す。 以精進攝懈怠 ・精進を以って懈怠を摂す。 以禪定攝亂意 ・禅定を以って乱意を摂す。 以智慧攝愚癡 ・智慧を以って、愚癡を摂す。 說除難法度八難者 ・除難の法を説きて八難の者を度す。 以大乘法度樂小乘者 ・大乗の法を以って小乗を楽う者を度 以諸善根濟無德者 ・諸の善根を以って無徳の者を済(すく)う。 常以四攝成就眾生。是為十 ・常に四摂(ししょう、布施、愛語、利行、同事)を以って衆生を成就す。これを十と為す。』と。 彼菩薩曰。菩薩成就幾法。於此世界行無瘡疣生于淨土 ・彼の菩薩曰く、『菩薩、幾(いくばく)の法を成就して、この世界に於いて、行じて瘡疣(そうゆう、キズイボ、傷)無く、浄土に生ずる。 維摩詰言。菩薩成就八法。於此世界行無瘡疣生于淨土 ・維摩詰言わく、『菩薩は、八法を成就して、この世界に於いて、行じて瘡疣無く、浄土に生ずる。 何等為八。饒益眾生而不望報 ・何等をか八と為す。衆生を饒益して報を望まず、 代一切眾生受諸苦惱 ・一切の衆生に代わりて諸の苦悩を受け 所作功德盡以施之 ・作す所の功徳は、尽く以ってこれを施す。 等心眾生謙下無礙 ・心を衆生に等しくし、謙下(けんげ、謙遜卑下)して礙(さわり)無し。 於諸菩薩視之如佛 ・諸の菩薩に於いて、これを視ること仏の如し。 所未聞經聞之不疑 ・未だ聞かざる所の経は、これを聞いて疑わず。 不與聲聞而相違背 ・声聞と与(くみ)せざれども、相い違背せず。 不嫉彼供不高己利 ・彼の供(く、供養)を嫉まず、己が利(り、利養)に高ぶらずして、 而於其中調伏其心 ・その中に於いて、その心を調伏す。 常省己過不訟彼短 ・常に己が過ちを省みて、彼の短を訟(うった)えず。 恒以一心求諸功德。是為八法 ・恒に一心を以って、諸の功徳を求む。これを八法と為す。』と。 維摩詰文殊師利。於大眾中說是法時。百千天人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。十千菩薩得無生法忍 ・維摩詰と文殊師利、大衆の中に於いて、この法を説く時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発し、十千の菩薩は無生法忍を得たり。

菩薩行品第十一

菩薩行品第十一 ・菩薩行品(ぼさつぎょうぼん)第十一

菩薩行品第十一

菩薩行品第十一 ・菩薩行品(ぼさつぎょうぼん)第十一

仏事

是時佛說法於菴羅樹園。其地忽然廣博嚴事。一切眾會皆作金色 ・この時、仏、菴羅樹園(あんらじゅおん、マンゴー園)に於いて、説法したもう。その地は、忽然(こつねん、突然)として広博の厳事(辺り一面が七宝を以って荘厳さる)ありて、一切の衆会も皆金色と作る。 阿難白佛言。世尊。以何因緣有此瑞應。是處忽然廣博嚴事。一切眾會皆作金色 ・阿難、仏に白(もう)して言(もう)さく、『世尊、何の因縁を以ってか、この瑞応(ずいおう、メデタキシルシ)有る、この処、忽然として広博の厳事あり、一切の衆会も皆金色と作る。』と。 佛告阿難。是維摩詰文殊師利。與諸大眾恭敬圍繞。發意欲來故先為此瑞應 ・仏、阿難に告げたまわく、『これ維摩詰と文殊師利、諸の大衆のために恭敬囲繞(くぎょういにょう、恭しく取り囲まる)されて、意を発して来たらんと欲するが故に、先にこの瑞応を為す。』 於是維摩詰語文殊師利。可共見佛與諸菩薩禮事供養 ・ここに於いて、維摩詰、文殊師利に語らく、『共に仏と見(まみ)えて、諸の菩薩とともに、礼し事(つか)え供養すべし。』 文殊師利言。善哉行矣。今正是時 ・文殊師利言わく、『善哉、行かん。今まさに、これ時なり。』 維摩詰即以神力。持諸大眾并師子座置於右掌。往詣佛所到已著地。稽首佛足右遶七匝。一心合掌在一面立 ・維摩詰、すなわち神力を以って、諸の大衆、ならびに師子座を持ちて右の掌に置き、往きて仏の所に詣(いた)る。到りおわりて地に著(お)き、仏の足に稽首(けいしゅ、首を差し延ぶ)して、右遶(うにょう、周囲を右に廻る)すること七匝(しちそう、七遍回る)して、一心に合掌して一面に在りて立つ。 其諸菩薩即皆避座稽首佛足。亦繞七匝於一面立。諸大弟子釋梵四天王等。亦皆避座稽首佛足在一面立 ・その諸の菩薩は、すなわち皆座を避けて、仏の足に稽首し、また繞(めぐ)ること七匝して、一面に於いて立つ。諸の大弟子、釈梵四天王等も、また皆座を避けて、仏の足を稽首し、一面に在りて立つ。 於是世尊如法慰問諸菩薩已各令復坐。即皆受教眾坐已定。佛語舍利弗。汝見菩薩大士自在神力之所為乎 ・ここに於いて、世尊、法の如くに諸の菩薩を慰問しおわりて、各々をまた坐せしむ。すなわち皆教えを受けて、衆坐すでに定まる。 仏、舍利弗に語りたまわく、『汝、菩薩大士の自在の神力の為す所を見しや。』 唯然已見 ・唯(ゆい、ハイ)、すでに見き。』 於汝意云何 ・『汝が意に於いて云何(いかん)。』 世尊。我睹其為不可思議。非意所圖非度所測 ・『世尊、我は、それを睹(み)て不可思議と為す。心の図(はか、意図)る所に非ず。度(度量、メモリ)の測る所に非ざるなり。』 爾時阿難白佛言。世尊。今所聞香自昔未有。是為何香 ・その時、阿難、仏に白して言さく、『世尊、今聞く所の香は、昔より未だ有らず。これ何の香とか為す。』 佛告阿難。是彼菩薩毛孔之香 ・仏、阿難に告げたまわく、『これ彼の菩薩の毛孔(もうく)の香なり。』 於是舍利弗語阿難言。我等毛孔亦出是香 ・ここに於いて、舍利弗、阿難に語りて言わく、『我等が毛孔も、またこの香を出だす。』 阿難言。此所從來 ・阿難言わく、『ここより来たりや。』 曰。是長者維摩詰。從眾香國取佛餘飯於舍食者。一切毛孔皆香若此 ・曰く、『これ長者維摩詰、衆香国より仏の余飯を取りて、舎に於いて食せる者、(これに由りて)一切の毛孔、皆かくの若(ごと)く香(かんば)し。』 阿難問維摩詰。是香氣住當久如 ・阿難、維摩詰に問わく、『この香気の住すること、まさに久如(いくばく)なるべし。』 維摩詰言。至此飯消 ・維摩詰言わく、『この飯消(消化)するに至る。』 曰。此飯久如當消 ・曰く、『この飯、久如(いくばく)にて、まさに消すべき。』 曰。此飯勢力至于七日然後乃消 ・曰く、『この飯が勢力は、七日に至りて、然る後にすなわち消す。 又阿難。若聲聞人未入正位食此飯者。得入正位然後乃消 ・また阿難、もし声聞人の未だ正位(無漏の境)に入らざるもの、この飯を食えば、正位に入るを得て、然る後にすなわち消す。 已入正位食此飯者。得心解脫然後乃消 ・すでに正位に入るものこの飯を食えば、心に解脱を得て、然る後にすなわち消す。 若未發大乘意食此飯者。至發意乃消 ・もし未だ大乗の意を発さざるもの、この飯を食えば、意を発すに至りてすなわち消す。 已發意食此飯者。得無生忍然後乃消 ・すでに意を発せるもの、この飯を食えば、無生忍(不退転の位)を得て、然る後にすなわち消す。 已得無生忍食此飯者。至一生補處然後乃消 ・すでに無生忍を得たるもの、この飯を食えば、一生補処(いっしょうふしょ、次生に於いて仏に成る位)に至りて、然る後にすなわち消す。 譬如有藥名曰上味其有服者身諸毒滅然後乃消。此飯如是滅除一切諸煩惱毒然後乃消 ・譬えば、有る薬、名づけて上味と曰うが如きは、それを服する者有らば、身の諸毒滅して、然る後にすなわち消す。この飯もかくの如く、一切の諸煩悩の毒を除き、然る後にすなわち消す。』と。 阿難白佛言。未曾有也。世尊。如此香飯能作佛事 ・阿難、仏に白して言さく、『未曽有なり。世尊、この香飯の如きのよく仏事を作すことは。』 佛言。如是如是。阿難。或有佛土以佛光明而作佛事 ・仏言たまわく、『如是如是(にょぜにょぜ、ソウダソノトオリ)阿難、或いは有る仏土は、仏の光明を以って仏事を作す。 有以諸菩薩而作佛事 ・有る(ぶつど)は、諸の菩薩を以って仏事を作す。 有以佛所化人而作佛事 ・有るは、仏の化する所の人を以って仏事を作す。 有以菩提樹而作佛事 ・有るは、菩提樹を以って仏事を作す 有以佛衣服臥具而作佛事 ・有るは、仏の衣服臥具を以って仏事を作す。 有以園林臺觀而作佛事 ・有るは、園林、台観(だいかん、高殿)を以って仏事を作す。 有以三十二相八十隨形好而作佛事 ・有るは、三十二相、八十隨形好(はちじゅうずいぎょうこう、八十種好)を以って仏事を作す。 有以佛身而作佛事 ・有るは、仏身を以って仏事を作す。 有以虛空而作佛事。眾生應以此緣得入律行 ・有るは、虚空を以って仏事を作し、衆生は、まさにこの縁(虚空)を以って、律行(修行)に入るを得。 有以夢幻影響鏡中像水中月熱時炎如是等喻而作佛事 ・有るは、夢、幻、影、響、鏡中の像、水中の月、熱時の炎(カゲロウ)、かくの如き等の喩えを以って仏事を作す。 有以音聲語言文字而作佛事 ・有るは、音声、語言、文字を以って仏事を作す。 或有清淨佛土寂寞無言無說無示無識無作無為而作佛事。如是阿難。諸佛威儀進止。諸所施為無非佛事 ・有るは、清浄の仏土の寂寞、無言、無説、無示、無識、無作、無為を以って仏事を作す。かくの如く阿難、諸仏の威儀、進止、諸の施す所は、仏事に非ざるもの無しと為す

仏土の不同

阿難。有此四魔八萬四千諸煩惱門。而諸眾生為之疲勞。諸佛即以此法而作佛事。是名入一切諸佛法門 ・阿難、この四魔(五陰魔、煩悩魔、死魔、天魔)と八万四千の諸の煩悩の門有りて、諸の衆生は、これが為に疲労すれども、諸仏は、すなわちこの法(四魔)を以って仏事と作す。これを一切の諸仏の法門に入ると名づく。 菩薩入此門者。若見一切淨好佛土。不以為喜不貪不高 ・菩薩は、この門に入らば、もし一切の浄好の仏土を見るも、以って喜びと為さず、貪らず高ぶらず。 若見一切不淨佛土。不以為憂不礙不沒。但於諸佛生清淨心。歡喜恭敬未曾有也 ・もし一切の不浄の仏土を見るも、以って憂いと為さず、(身心)礙(とどこお)らず、没せず。ただ諸仏に於いて、清浄の心を生じて、未曽有なりと歓喜し恭敬す。 諸佛如來功德平等。為化眾生故。而現佛土不同 ・諸仏如来の功徳は平等なるも、衆生を化せんが為の故に、仏土の不同なるを現じたもう。 阿難。汝見諸佛國土。地有若干而虛空無若干也。如是見諸佛色身有若干耳其無礙慧無若干也 ・阿難、汝は、諸仏の国土は、地には若干(にゃくかん、イクツカノ)のもの有れども、虚空には若干のもの無きを見きや。かくの如く、諸仏の色身にも、若干のもの有るを見るのみ。その無礙の慧には若干のもの無し。 阿難。諸佛色身威相種性。戒定智慧解脫解脫知見。力無所畏不共之法。大慈大悲威儀所行。及其壽命說法教化。成就眾生淨佛國土。具諸佛法。悉皆同等。是故名為三藐三佛陀。名為多陀阿伽度。名為佛陀 ・阿難、諸仏の色身、威相(威儀と相好)、種姓(ウマレ)、戒定慧、解脱、解脱知見、力(十力)、無所畏、不共の法(十八不共法)、大慈、大悲、威儀所行、およびその寿命、法を説いて教化(教導転化)する、衆生を成就する、仏国土を浄む、諸の仏法を具す、(これ等は)悉く皆同等なり。 この故に名づけて三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ、正遍知)と為し、名づけて多陀阿伽度(ただあかど、如来)と為し、名づけて仏陀(ぶっだ、覚者)と為す。 阿難。若我廣說此三句義。汝以劫壽不能盡受。正使三千大千世界滿中眾生。皆如阿難多聞第一得念總持。此諸人等以劫之壽亦不能受。如是阿難。諸佛阿耨多羅三藐三菩提無有限量。智慧辯才不可思議 ・阿難、もし我、この三句(三藐三仏陀、多陀阿伽度、仏陀)の義を、広く説かば、汝、劫寿(こうじゅ、宇宙の生滅と同等の永い寿命)を以ってしても、ことごとく受くること能わず。まさに三千大千世界の中に満る衆生をして、皆阿難の如く多聞第一にして、念(ねん、心に留めること)の総持(そうじ、無忘失)を得しめ、この諸の人等が、劫の寿を以ってすれども、受くること能ず。かくの如く阿難、諸仏の阿耨多羅三藐三菩提(諸仏の境界)は、限量有ること無く、智慧と辯才は不可思議なり。』 阿難白佛言。我從今已往不敢自謂以為多聞 ・阿難、仏に白して言さく、『我、今より已往(いおう、以前、過去)のことは、敢えて自ら謂って、多聞なりと以為(おも)わじ。』 佛告阿難。勿起退意。所以者何。我說汝於聲聞中為最多聞。非謂菩薩。且止阿難。其有智者不應限度諸菩薩也。一切海淵尚可測量。菩薩禪定智慧總持辯才一切功德不可量也。阿難。汝等捨置菩薩所行。是維摩詰一時所現神通之力。一切聲聞辟支佛。於百千劫盡力變化所不能作 ・仏、阿難に告げたまわく、『退意を起こすなかれ。所以は何となれば、我、汝は声聞中に於いて最も多聞と為すと説き、菩薩を謂うには非ず。且く止みね。阿難、それ智有る者は、まさに諸の菩薩を限度(げんど、測ること)すべからず。一切の海淵はなお測量(しきりょう)すべきも、菩薩の禅定、智慧、総持、辯才、一切の功徳は量るべからず。阿難、汝等は、菩薩の所行を捨て置け。この維摩詰の一時に現す所の神通の力は、一切の声聞辟支仏が、百千劫に力を尽くして、変化すとも、作すこと能わざる所なり。』と。

菩薩、有為を尽くさず

爾時眾香世界菩薩來者。合掌白佛言。世尊。我等初見此土生下劣想。今自悔責捨離是心。所以者何。諸佛方便不可思議。為度眾生故。隨其所應現佛國異。唯然世尊。願賜少法還於彼土當念如來 ・その時、衆香世界の菩薩の来たれる者、合掌して仏に白して言さく、『世尊、我等は、初めてこの土を見て、下劣の想を生ぜり。今は、自ら悔責(げしゃく)して、この心を捨離す。所以は何となれば、諸仏の方便は不可思議なり。衆生を度せんが為の故に、その応ずる所(の衆生)に随いて、仏国の異なりを現したもう。唯(ゆい)、然り、世尊、願わくは少しく法を賜らんことを。彼の土に還りて、まさに如来を念ずべし。』と。 佛告諸菩薩。有盡無盡解脫法門。汝等當學 ・仏、諸の菩薩に告げたまわく、『尽無尽解脱の法門有り。汝等、まさに学ぶべし。 何謂為盡。謂有為法。何謂無盡。謂無為法。如菩薩者。不盡有為不住無為 ・何をか謂って尽(じん)となす、有為法を謂う。何をか謂って無尽(むじん)となす、無為法を謂う。菩薩の如きは、有為を尽くさずして、無為にも住せず。 何謂不盡有為。謂不離大慈不捨大悲 ・何をか謂って有為を尽くさずとなす、謂わく、大慈を離れず大悲を捨てず、 深發一切智心而不忽忘 ・深く一切智(を得ん)の心を発して、忽(ゆるがせ)にして忘れず、 教化眾生終不厭惓 ・衆生を教化して、ついに厭惓(えんけん、アクコト)せず 於四攝法常念順行 ・四摂法(ししょうほう、布施、愛語、利行、同事)に於いて、常に念じ、順じて行じ、 護持正法不惜軀命 ・正法を護持して、躯命を惜しまず、 種諸善根無有疲厭 ・諸の善根を種えて、疲厭有ること無く、 志常安住方便迴向 ・志、常に安住して、方便して廻向し、 求法不懈說法無吝 ・法を求むるに懈(おこた)らず、法を説くに吝(おし)まず、 勤供諸佛故。入生死而無所畏 ・勤めて諸仏を供(養)するが故に、生死に入りて畏るる所無く、 於諸榮辱心無憂喜 ・諸の栄辱(えいにく、栄光と屈辱)に於いて、心に憂喜無く 不輕未學敬學如佛 ・未学を軽んぜず、学(学びつつある者)を敬うこと仏の如くし、 墮煩惱者令發正念。於遠離樂不以為貴 ・煩悩に堕する者には、正念を発さしめ、楽を遠離することに於いては、以って貴しと為さず、 不著己樂慶於彼樂 ・己が楽に著せずして、彼の楽に於いて慶び、 在諸禪定如地獄想 ・諸の禅定に在りても、地獄の如く想い、 於生死中如園觀想 ・生死の中に於いても、園観(おんかん、園林楼観)の如く想い、 見來求者為善師想 ・来たり(施しを)求むる者を見ては、これ善き師なりと想い 捨諸所有具一切智想 ・諸の所有を捨てて、一切智を具せんと想い、 見毀戒人起救護想 ・毀戒の人を見ては、救護の想を起こし、 諸波羅蜜為父母想 ・諸の波羅蜜(はらみつ、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の諸波羅蜜)は、これ父母なりと想い、 道品之法為眷屬想 ・道品(どうほん、三十七道品、菩薩の修行項目)は、これ眷属なりと想い、 發行善根無有齊限 ・善根を発し行ずることは、際限有ること無く、 以諸淨國嚴飾之事成己佛土 ・諸の浄国(浄土)の厳飾(ごんじき、荘厳)の事を以って、己が仏土を成じ(諸仏国を善き手本として我が仏土を建立し)、 行無限施具足相好 ・無限の施を行じて、相好(そうごう、三十二相八十種好)を具足し 除一切惡淨身口意 ・一切の悪を除いて、身口意を浄め、 生死無數劫意而有勇 ・生死は無数劫におよべど、意(い、意欲)には勇(ゆう、勇猛)有り、 聞佛無量德志而不倦 ・仏の無量の徳を聞けども、志は倦(う)まず 以智慧劍破煩惱賊 ・智慧の剣を以って煩悩の賊を破り、 出陰界入。荷負眾生永使解脫 ・陰界入(おんかいにゅう、生死世界)を出づれども、衆生を荷負して、永く(永遠に)解脱せしめ、 以大精進摧伏魔軍 ・大精進を以って、魔の軍を摧伏し、 常求無念實相智慧 ・常に無念(無妄想)と実相と智慧を求め、 行於世間法少欲知足 ・世間の法に於いて、少欲知足を行じ、 於出世間求之無厭。而不捨世間法 ・出世間に於いては、これ(出世間)を求めて厭くこと無く、しかも世間の法を捨てず、 不壞威儀法而能隨俗 ・威儀の法を壊(やぶ)らずして、よく俗に随い、 起神通慧引導眾生 ・神通の慧を起こして、衆生を引導し、 得念總持所聞不忘 ・念の総持を得て、所聞を忘れず、 善別諸根斷眾生疑 ・よく(衆生の)諸根(性格)を別(べつ、分別)して、衆生の疑いを断じ、 以樂說辯演法無礙 ・楽説(ぎょうせつ)の辯を以って、法を演(えん、演説)ずること無礙に、 淨十善道受天人福 ・十善道(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)を浄めて、天人の福を受け、 修四無量開梵天道 ・四無量(無量の慈悲喜捨)を修めて、梵天の道を開き、 勸請說法隨喜讚善 ・説法を勧請して、隨喜して善を讃え、 得佛音聲身口意善。得佛威儀 ・仏の音声、身口意の善を得て、仏の威儀を得、 深修善法所行轉勝。 ・深く善法を修して、所行は転(うた)た勝り、 以大乗教成菩薩僧。 ・大乗の教えを以って、菩薩僧と成り、 心無放逸不失眾善。行如此法。是名菩薩不盡有為 ・心に放逸無くして、衆善を失わず。かくの如き法を行ずる、これを菩薩、有為を尽くさずと名づく。

菩薩、無為に住せず

何謂菩薩不住無為。謂修學空不以空為證 ・何をか謂って、菩薩は無為に住せずとなす。謂わく、空を修学すれども空を以って証(証悟)と為さず、 修學無相無作。不以無相無作為證 ・無相(むそう、我が身心無し)無作(むさ、我が為すこと無し)を修学すれども、無相無作を以って証と為さず、 修學無起不以無起為證 ・無起(むき、無生)を修学すれども、無起を以って証と為さず、 觀於無常而不厭善本 ・無常を観(観察)ずれども、善本(善い行い)を厭わず、 觀世間苦而不惡生死 ・世間の苦を観ずれども、生死を悪(にく)まず、 觀於無我而誨人不倦 ・無我を観ずれども、人に誨(おし)えて倦(う)まず、 觀於寂滅而不永滅 ・寂滅を観ずれども、永く(永遠に)滅せず、 觀於遠離而身心修善 ・遠離(おんり、空にして一切の繫縛事を離るること)を観ずれども、身心に善を修し、 觀無所歸而歸趣善法 ・帰(き、帰依、帰著)する所無しと観ずれども、善法に帰趣し、 觀於無生而以生法荷負一切 ・無生を観ずれども、生法(しょうほう、人、衆生、我)を以って一切を荷負し、 觀於無漏而不斷諸漏 ・無漏を観ずれども、諸漏を断たず、 觀無所行而以行法教化眾生 ・行ずる所無しと観ずれども、行法(ぎょうほう、修行の法)を以って衆生を教化し、 觀於空無而不捨大悲。 ・空無(くうむ、一切の事物は個々の自性無し)を観ずれども、大悲を捨てず、 觀正法位而不隨小乘。 ・正法位(しょうぼうい、無為を観じて証を取る位)を観ずれども、小乗に随わず、 觀諸法虛妄無牢無人無主無相。本願未滿而不虛福德禪定智慧。修如此法。是名菩薩不住無為 ・諸法は虚妄(こもう、一切の事物は個々の自性無し)にして、牢(ろう、世間、迷惑の境界)無く、人(にん、六道中の一)無く、主(しゅ、我、ワレ)無く、相(そう、我が身心)無しと観ずれども、本願未だ満たざれば、福徳(衆生済度の方便力)と禅定智慧(衆生済度の智慧力)とを虚(むな)しうせず。かくの如き法を修す、これを菩薩は無為に住せずと名づく。 又具福德故不住無為。具智慧故不盡有為 ・また、福徳を具せんが(為の)故に、無為に住せず、 智慧を具せんが故に、有為を尽くさず、 大慈悲故不住無為。滿本願故不盡有為 ・大慈悲の故に、無為に住せず、 本願を満たさんが故に、有為を尽くさず、 集法藥故不住無為。隨授藥故不盡有為 ・法薬を集めんが故に、無為に住せず、 随うて薬を授くるが故に、有為を尽くさず、 知眾生病故不住無為。滅眾生病故不盡有為 ・衆生の病を知るが故に、無為に住せず、 衆生の病を滅せんが故に、有為を尽くさず、 諸正士菩薩以修此法。不盡有為不住無為。是名盡無盡解脫法門。汝等當學 ・諸の正士菩薩は、この法を修するを以って、有為を尽くさず無為に住せざるなり。これを尽無尽解脱の法門と名づく。汝等は、まさに学ぶべし。』と。 爾時彼諸菩薩聞說是法皆大歡喜。以眾妙華若干種色若干種香。散遍三千大千世界。供養於佛及此經法并諸菩薩已。稽首佛足歎未曾有言。釋迦牟尼佛。乃能於此善行方便。言已忽然不現還到彼國 ・その時、彼の諸の菩薩、この法を説きたもうを聞き、皆大いに歓喜し、衆の妙華の若干種の色あり、若干種の香あるを以って、遍(あまね)く三千大千世界に散(ま)き、仏およびこの経と、ならびに諸の菩薩とを供養しおわりて、仏の足を稽首(けいしゅ)して、未曽有なりと歎じて言わく、『釈迦牟尼仏は、すなわちこの善行方便(ぜんぎょうほうべん、善巧方便、巧みなる方便)を能(よ)くしたもう。』と。言いおわりて忽然(こつねん、突然、ふッと)として現れず、還りて彼の国に到る。

引用文献


  TOP

 面白い 超訳【維摩経】

初期大乗仏教典の傑作であり、かの聖徳太子も注釈本を書き下ろしたという「維摩経」の超訳チャレンジ。
仏教典=「お経」というと、法事の時などに坊さんがなにやらムニャムニャ唱えている呪文みたいなものだというイメージが強いですが、羅列された漢字の文字列を「中国語」の文章として読もうとしてみると、その内容の面白さに、ひとかたならず驚かされます。
中でも「維摩経(ゆいまぎょう)」は、戯曲的な色彩が強くて面白いという噂だったので読んでみたわけなのですが、イキイキとした人物描写が実に素敵で、凡百の小説やドラマなどよりもよっぽどか楽しく読むことができました。

「宗教書」などと考えず、純粋に「読み物」として楽しんでいただければ、これ幸い。

【維摩経】目次
「維摩詰所説経」より

◆維摩居士、仮病を使う (方便品)

◆難色を示す仏弟子たち (弟子品)

◆ しり込みする菩薩ども (菩薩品)

◆ 文殊がゆく! (文殊師利問疾品)

◆ ミラクルパワー! (不思議品)

◆一般ピープルってどうよ? (観衆生品)

◆ ザ・ウェイ・オブ・ブッダ (仏道品)

◆相対化を超えてゆけ! (不二法門品)

◆極上のランチ (香積仏品)

◆菩薩でGO! (菩薩行品)

◆極楽を見たか? (見阿閦如来品)

◆「法」を守れ!(法供養品)

◆大団円(嘱累品)

(附録)
◆ザ・ワールド・オブ・パラダイス(仏国品)


引用文献  .



    TOP


梵漢和対照・現代語訳 維摩経 単行本 – 2011/8/27 植木 雅俊 (翻訳) 単行本: 680ページ 出版社: 岩波書店 (2011/8/27)
維摩経は、人間生活におけるとらわれを捨て、世俗の生活(在家)のなかに仏教の理想を実現することの意味を説いた初期大乗仏典の代表的傑作である。本書は、「空」という大乗仏教思想の核心をドラマ仕立てで説く根本経典の、正確かつ平易な現代語訳。前世紀末に見つかった20世紀仏教学史上最大の発見と称されるサンスクリット原典に依拠し、梵文と漢訳(書下し)を併記。詳細な注解を付す決定版。
本書は、サンスクリット・テキスト影印版(大正大学綜合佛教研究所刊)を底本とする現代日本語訳と、綿密な校訂によるローマナイズしたサンスクリット原典テキスト、鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』(漢文書き下しテキスト)を併記対照させつつ、さらに詳細な注解を施したものである。原典テキストに準拠した曖昧さを残さない正確で読みやすい訳業は、全体の半分近くを占める訳出の根拠となる綿密な注解とともに、仏典翻訳史に新たな頁を刻む画期的な達成である。

至れり尽くせりの本(事例)
『維摩経』のサンスクリット原典は既に失われているとされてきた。ところが、その写本が何と1999年に完本として発見された。本書は、その写本の影印版(2003年)を綿密に校訂し、詳細な注釈(全680頁の約半分を占める)を付して現代語訳した上で、「サンスクリット原文」、「鳩摩羅什訳」、「著者の現代語訳」を見開きで対照させるという、読者にとって極めて便利な構成で作られている。
 著者は、お茶の水女子大学に「仏教におけるジェンダー平等思想」というテーマの論文を提出し、2002年に同大で男性として初の人文科学博士の学位を取得した。そして、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』上・下(岩波書店)で毎日出版文化賞に選ばれた(2008年)。まさに、サンスクリット語と仏教学の泰斗である。大学や研究機関に身を置くことはないが、大学の研究者たちの業績を遥かに凌駕する研究成果を次々に発表している。まさに、在俗でありながら十大弟子をも圧倒し、性差をも超えていた維摩居士を地で行く人というべきである。
 権威主義的な小乗仏教の女性軽視にとらわれた智慧第一の舎利弗も、天女にからかわれ、手玉にとられる。維摩詰の十大弟子に対する弾呵も手厳しいが、本書の注釈においては、過去の研究成果の矛盾点に対する著者の指弾も手厳しい。例えば、43〜46頁の長きにわたる注釈で、著者は、長尾雅人博士の一音(いっとん)説法についての無理なこじつけを槍玉にあげる。長尾氏が、「釈尊は方言で語られたが、受け取る側はそれぞれの方言で受け止めた」と解釈し、その例として「『おしん』というテレビ・ドラマが佐賀弁で話されていても全国で理解されたのと同じだ」と述べていることについて、著者は「それは全国放送なので手加減しているから理解されたのであり、鹿児島弁であったらどうなのだ」と批判する。そして、長尾氏がどうして方言にこだわられるのか、そのネタ本まで暴露している。本書の、注釈ではこのような批判が網羅されている。これまでの研究は何だったのかという思いが募る。
 古来、初めてお経を読む人に、『維摩経』はうってつけとされてきた。それには相応の理由がある。プラトンの著作が哲学である以前にドラマ(ソクラテスを主人公とする対話)として面白いのと同様、仏教経典はドラマ(主人公は世尊)としてまず面白い。別けても『維摩経』の仕掛けは無類である。経典文学の最高峰である『法華経』とならぶものである。
 インド人の想像力にはほとほと頭がさがる。一文学書として『維摩経』を捉えた時、あくまで個人的な感想であるが、その読後感はルキアノス『本当の話』に一番近い感じがした。『アラビアンナイト』や『黄金のろば』も奇想天外だが、スピードが伴わない。『維摩経』は、これらの世界文学の最高峰とならべても遜色がないのである。それが、曖昧さを残さない正確な訳文で現代に蘇った。  文学的魅力は読めば終わるが、思想を汲み取る作業は別である。ありがたいことに著者は、インド仏教史の概略、戯曲『維摩経』のあらすじ、在家の地位の歴史的変遷、積極的な利他行の原動力としての「空」――など、『維摩経』理解に欠かせない思想背景を巻末の「解説」で詳細に論じてくれている。先に「はしがき」「解説」「あとがき」に目を通してから、現代語訳の本文を読むことをお勧めしたい。
 仏教用語辞典としても使える索引の充実ぶり、梵漢和を対照させたレイアウトは、印刷業者泣かせの作業であり、サンスクリット原文の校正を考えても、5500円の定価は信じられない安さである。その“安さ”が不思議でならなかったが、「あとがき」を読んで納得した。著者自身が、コンピュータのDTP技術を駆使して完全原稿(版下)を作成していたのだ。出版社まかせでは価格が跳ね上がるだけではなく、誤植が跡を絶たない(出版社にいた経験からこのことは請け合える)。その意味でもテキストの信頼性は他を圧している。至れり尽くせりとは、この本のためにあるような言葉だ。


梵文和訳 維摩経 単行本 – 2011/1/1 高橋 尚夫 (翻訳) 西野 翠 (翻訳)単行本: 333ページ 出版社: 春秋社 (2011/1/1)
真の菩薩の生き方を鋭く初期大乗経典の『維摩経』。その梵文テキストをチベット訳や漢訳なども参照しながら、正確かつ平易な言葉で翻訳。巻末には、用語解説や梵・蔵・漢の相違点などを示した詳細な訳注を付す。


『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著) ムック 釈 徹宗 (その他) – 2017/5/25 釈 徹宗 (その他)
あらゆる枠組みを超えよ!
かの聖徳太子が日本に紹介した仏典『維摩経』。病気になった在家仏教信者・維摩と、彼を見舞った文殊菩薩との対話を通して、「縁起」や「空」など大乗仏教の鍵となる概念をめぐる考察が、まるで現代劇のように展開される。この『維摩経』を現代的に読み解く面白さを、宗教学者で僧侶の釈徹宗氏が解説する。


維摩経講話 (講談社学術文庫) 文庫 – 1990/3/5 鎌田 茂雄 (著)
『維摩経』は、大乗仏教の根本原理、すなわち煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を最もあざやかにとらえているといわれる。迷いと悟り、理想と現実、善と悪など、全く対立するものを不二(ふに)と見なし、その不二の法門に入れば、一切の対立を超えた無対立の世界、何ものにも束縛されない自由な境地に入る。在家の信者の維摩居士が主役となって、菩薩や声聞(しょうもん)を相手に活殺自在に説法するところが維摩経の不思議な魅力といえよう。


大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経 (中公文庫) 文庫 – 2002/8/25 長尾 雅人 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳)
大金持ちの俗人維摩居士の機知とアイロニーに満ちた教えによって、空の思想を展開する一大ドラマ維摩経。人間の求道の過程において「英雄的な行進の三昧」こそ、あらゆる活動の源泉力であると力説する首楞厳三昧経。



・超訳【維摩経】・超訳【無門関】・超訳【金剛経】・超訳【夢中問答(上)】

超訳【維摩経】 超訳文庫設立の契機ともなった記念碑的作品。 初期大乗経典の傑作にして、ドタバタコントの元祖みたいな一大哲学サイキック活劇です。 気楽に読むだけで、キミも「ミラクルパワー」がゲットできる!?

超訳【無門関】 「仏」に逢ったら即、ぶっ殺せ! 「師匠」に逢ったら、やっぱりぶっ殺せ! 「親」に逢ったら? もちろんぶっ殺せ! そしてオマエは天下無敵となるのだ!! ・・・というもの凄い剣幕で語られる、48のシュールなナゾナゾたち。 快僧無門慧開の真意は何処!?

超訳【金剛経】 我らの心に平安をもたらすもの、それは「完全円満なる智慧」。 ・・・という壮大なテーマで繰り広げられる、ブッダとその弟子スブーティ(須菩提)のボケとツッコミによる究極哲学ふたり漫才! 超メジャータイトル「般若心経」と、ショートエピソード「ミラクルフラッシュ・ボーイの物語(不思議光菩薩所説経)」も同時収録! 全編とも、漢訳原典つきです!

超訳【夢中問答】(上) 「夢」とは何か? そしてその中で交わされる問答とはいったい? 足利直義の切実な問いを受け、夢窓国師が開く「真実の法門」とは!? 室町時代のディアロゴスの軌跡が、七百年後の今に甦る!
超訳【維摩経】


TOP

維摩経

百科事典

維摩経』 (ゆいまきょう、: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ[1])は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。

サンスクリット原典[2]と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。

日本でも、仏教伝来間もない頃から広く親しまれ、聖徳太子三経義疏の一つ『維摩経義疏』を始め、今日まで多数の注釈書が著されている。

概要

維摩経は初期大乗仏典で、全編戯曲的な構成の展開で旧来の仏教の固定性を批判し在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。

内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。

維摩が病気[3]になったので、釈迦舎利弗目連迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。

維摩経は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点もある。

  • 一般に般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。
  • 般若経典では一般に「」思想が繰り返し説かれるが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って道を窮めることを軸としている。

不二法門

維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間出世間無我生死(しょうじ)と涅槃煩悩菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。

たとえば、生死と涅槃を分けたとしても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもなければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るという。

これは、維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか説明を促し、これらを菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といい、我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促したが、維摩は黙然として語らなかった。文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆した。

この場面は「維摩の一黙、雷の如し」として有名で、『碧巌録』の第84則「維摩不二」の禅の公案にまでなっている。

原典・主な訳注

主な解説講話

注・出典

[ヘルプ]
  1. ^ 「ニルデーシャ」(nirdeśa)とは、「演説説教」のこと。
  2. ^ それ以前は逸失したものと思われていたが、1999年に大正大学学術調査隊によって、チベット・ラサポタラ宮ダライ・ラマの書斎で発見された。
  3. ^ この病気は、風邪や腹痛、伝染病などではない。維摩の言葉、「衆生が病むがゆえに、我もまた病む」は大乗仏教の慣用句となっている。
  4. ^ 大正大学教授
  5. ^ 大正大学総合仏教研究所研究員

関連項目



Copyright(c) 2017 ぷらっとさんぽ(-Prattosampo-)   江守孝三 (Emori Kozo)