新元号【令和】『REIWA』
典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)
萬葉集 巻第一 雑 歌
ひとまきにあたるまき くさぐさのうた
(宮廷を中心とした雑歌を天皇代ごとに配列) 鹿持雅澄『萬葉集古義』
天皇のみよみませる御製歌
0001 籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます子 家告らせ 名のらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそ座せ 吾をこそ 夫とは告らめ* 家をも名をも
天皇の香具山に登りまして望国したまへる時にみよみませる御製歌
0002 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
天皇の宇智の野*に遊猟したまへる時、中皇命の間人連老をして献らせたまふ歌
0003 やすみしし 我が大王の 朝には 取り撫でたまひ 夕へには い倚り立たしし み執らしの 梓の弓の 鳴弭の* 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 鳴弭の*音すなり
反し歌
0004 玉きはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
讃岐国安益郡に幸せる時、軍王の山を見てよみたまへる歌
0005 霞立つ 長き春日の 暮れにける 別きも知らず むらきもの 心を痛み 鵺子鳥 うら嘆げ居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大王の 行幸の 山越しの風の 独り居る 吾が衣手に 朝宵に 還らひぬれば 大夫と 思へる我も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 綱の浦の* 海人処女らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾が下情
反し歌
0006 山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ
右、日本書紀ヲ検フルニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。亦軍王ハ詳ラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ斑鳩比米二ノ鳥、大ニ集マレリ。時ニ勅シテ多ク稲穂ヲ掛ケテ之ヲ養ヒタマフ。乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑此便ヨリ幸セルカ。
明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
額田王の歌
0007 秋の野のみ草苅り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ
右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、書ニ曰ク、戊申ノ年比良ノ宮ニ幸ス大御歌ナリ。但シ紀ニ曰ク、五年春正月己卯ノ朔ノ辛巳、天皇、紀ノ温湯ヨリ至リマス。三月戊寅ノ朔、天皇吉野ノ宮ニ幸シテ肆宴ス。庚辰、天皇近江ノ平浦ニ幸ス。
額田王の歌
0008 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎてな
右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、飛鳥ノ岡本宮ニ御宇シシ天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳ノ朔ノ壬午、天皇太后、伊豫ノ湯ノ宮ニ幸ス。後ノ岡本宮ニ馭宇シシ天皇七年辛酉ノ春正月丁酉ノ朔ノ壬寅、御船西ニ征キテ、始メテ海路ニ就ク。庚戌、御船伊豫ノ熟田津ノ石湯行宮ニ泊ツ。天皇、昔日ヨリ猶存レル物ヲ御覧シ、当時忽チ感愛ノ情ヲ起シタマヒキ。所以因歌詠ヲ製マシテ為ニ哀傷シミタマフ。即チ此ノ歌ハ天皇ノ御製ナリ。但額田王ノ歌ハ、別ニ四首有リ。
紀の温泉に幸せる時、額田王のよみたまへる歌
0009 三諸の山見つつゆけ*我が背子がい立たしけむ厳橿が本
中皇命の紀の温泉に徃せる時の御歌
0010 君が代も我が代も知らむ磐代の岡の草根をいざ結びてな
0011 我が背子は仮廬作らす草無くば小松が下の草を苅らさね
0012 吾が欲りし子島は見しを底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、天皇ノ御製歌ト云ヘリ。
中大兄の三山の御歌
0013 香具山は 畝傍を善し*と 耳成と 相争ひき 神代より かくなるらし 古昔も しかなれこそ 現身も 嬬を 争ふらしき
反し歌
0014 香具山と耳成山と戦ひし時立ちて見に来し印南国原
0015 綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜きよく照りこそ
右ノ一首ノ歌、今案フルニ反歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ歌ヲ以テ反歌ニ載セタリ。故レ今猶此ノ次ニ載ス。亦紀ニ曰ク、天豊財重日足姫天皇ノ先ノ四年乙巳、天皇ヲ立テテ皇太子ト為ス。
天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶、秋山の千葉の彩を競憐はしめたまふ時、額田王の歌を以て判りたまへるその歌
0016 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても聴かず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし怜し* 秋山吾は
額田王の近江国に下りたまへる時よみたまへる歌
0017 味酒 三輪の山 青丹よし 奈良の山の 山の際ゆ い隠るまて 道の隈 い積もるまてに つばらかに 見つつ行かむを しばしばも 見放かむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
反し歌
0018 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや
右ノ二首ノ歌、山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、近江国ニ都ヲ遷ス時、三輪山ヲ御覧シテ御歌ヨミマセリ。日本書紀ニ曰ク、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、近江ニ都ヲ遷ス。
井戸王の即ち和へたまへる歌
0019 綜麻形の林の岬のさ野榛の衣に付くなす目につく我が夫
右ノ一首ノ歌、今按フニ和スル歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ次ニ載セタリ。故レ以テ猶載ス。
天皇の蒲生野に遊猟したまへる時、額田王のよみたまへる歌
0020 茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
皇太子の答へたまへる御歌
明日香宮ニ御宇シシ天皇
0021 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも
紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。
十市皇女の伊勢の神宮に参赴たまへる時、波多の横山の巌を見て、吹黄刀自がよめる歌
0022 河の上のゆつ磐群に草むさず常にもがもな常処女にて
吹黄刀自ハ詳ラカナラズ。但シ紀ニ曰ク、天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、伊勢神宮ニ参赴タマヘリ。
麻續王の伊勢国伊良虞の島に流へたまひし時、時の人の哀傷みよめる歌
0023 打麻を麻續の王海人なれや伊良虞が島の玉藻苅ります
麻續王のこの歌を聞かして感傷み和へたまへる歌
0024 うつせみの命を惜しみ波に湿で伊良虞の島の玉藻苅り食む
右、日本紀ヲ案フルニ曰ク、天皇四年乙亥夏四月戊戌ノ朔乙卯、三品麻續王、罪有リテ因幡ニ流サレタマフ。一子ハ伊豆ノ島ニ流サレタマフ。一子ハ血鹿ノ島ニ流サレタマフ。是ニ伊勢国伊良虞ノ島ニ配スト云フハ、若疑後ノ人歌辞ニ縁リテ誤記セルカ。
天皇のみよみませる御製歌
0025 み吉野の 耳我の嶺*に 時なくそ 雪は降りける 間無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
或ル本ノ歌、
0026 み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ 間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。
天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌
0027 淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見
紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。
藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
天皇のみよみませる御製歌
0028 春過ぎて夏来るらし白布の衣乾したり天の香具山
近江の荒れたる都を過く時、柿本朝臣人麿がよめる歌
0029 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひしりの御代よ 生れましし 神のことごと 樛の木の いや継ぎ嗣ぎに 天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて 青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか 天離る 夷にはあらねど* 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 繁くなりぬる ももしきの 大宮処 見れば悲しも
反し歌
0030 楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ
0031 楽浪の志賀の大曲淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
高市連黒人が近江の堵の旧れたるを感傷しみよめる歌
0032 古の人に我あれや楽浪の古き都を見れば悲しき
0033 楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌
或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作
0034 白波の浜松が枝の手向ぐさ幾代までにか年の経ぬらむ
日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。
勢の山を越えたまふ時、阿閇皇女のよみませる御歌
0035 これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山
吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
0036 やすみしし 我が大王の きこしをす 天の下に 国はしも 多にあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷き座せば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし 落ち激つ 滝の宮処は 見れど飽かぬかも
反し歌
0037 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまた還り見む
0038 やすみしし 我が大王 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座して 登り立ち 国見をすれば 畳な著く 青垣山
山神の 奉る御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば もみち葉かざし ゆふ川の 神も* 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立て 下つ瀬に 小網さし渡し 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
反し歌
0039 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも
右、日本紀ニ曰ク、三年己丑正月、天皇吉野宮ニ幸ス。八月、吉野宮ニ幸ス。四年庚寅二月、吉野宮ニ幸ス。五月、吉野宮ニ幸ス。五年辛卯正月、吉野宮ニ幸ス。四月、吉野宮ニ幸セリトイヘリ。何月ノ従駕ニテ作ル歌ナルコトヲ詳ラカニ知ラズ。
伊勢国に幸せる時の歌
0040 嗚呼児の浦に船乗りすらむ乙女らが珠裳の裾に潮満つらむか
0041 釵纏く答志の崎に今もかも大宮人の玉藻苅るらむ
0042 潮騒に伊良虞の島辺榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻を
右の三首は、柿本朝臣人麿が京に留りてよめる。
0043 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠の山を今日か越ゆらむ
右の一首は、當麻真人麻呂が妻。
0044 吾妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
右の一首は、石上の大臣の従駕つかへまつりてよめる。右、日本紀ニ曰ク、朱鳥六年壬辰春三月丙寅ノ朔戊辰、浄広肆廣瀬王等ヲ以テ、留守官ト為ス。是ニ中納言三輪朝臣高市麻呂、其ノ冠位ヲ脱キテ、朝ニササゲテ、重ネテ諌メテ曰ク、農作ノ前、車駕以テ動スベカラズ。辛未、天皇諌ニ従ハズシテ、遂ニ伊勢ニ幸シタマフ。五月乙丑朔庚午、阿胡行宮ニ御ス。
輕皇子の安騎の野に宿りませる時、柿本朝臣人麿がよめる歌
0045 やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠国の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 石が根 楚樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉蜻の* 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして*
短歌
0046 安騎の野に宿れる旅人うち靡き寝も寝らめやもいにしへ思ふに
0047 ま草苅る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し
0048 東の野に炎の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ
0049 日並の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ
藤原の宮営りに役てる民のよめる歌
0050 やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子 荒布の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと 都宮は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに 天地も 依りてあれこそ 石走る 淡海の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまてを 物部の 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らに 鴨じもの 水に浮き居て 吾が作る 日の御門に 知らぬ国 依り巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる 神しき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまてを 百足らず 筏に作り 泝すらむ 勤はく見れば 神ながらならし
右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、藤原宮ニ遷リ居ス。
明日香の宮より藤原の宮に遷り居しし後、志貴皇子のよみませる御歌
0051 媛女の袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く
藤原の宮の御井の歌
0052 やすみしし 我ご大王 高ひかる 日の皇子 荒布の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 青山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の 水こそは 常磐に有らめ 御井のま清水
短歌
0053 藤原の大宮仕へ顕れ斎くや処女が共は羨しきろかも
右の歌、作者未詳。
太上天皇の難波の宮に幸せる時の歌*
0066 大伴の高師の浜の松が根を枕きて寝る夜は家し偲はゆ
右の一首は、置始東人。
0067 旅にして物恋しきに家語も聞こえざりせば恋ひて死なまし
右の一首は、高安大島。
0068 大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや
右の一首は、身人部王。
0069 草枕旅行く君と知らませば岸の黄土に匂はさましを
右の一首は、清江娘子が、長皇子に進れる歌。姓氏ハ詳カナラズ。
大宝元年辛丑、太上天皇の吉野の宮に幸せる時の歌
0070 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びそ越ゆなる
右の一首は、高市連黒人。
*0054 巨勢山の列列椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
右の一首は、坂門人足。
或ル本ノ歌、
0056 河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
右の一首は、春日蔵首老。
三野連が唐に入はさるる時、春日蔵首老がよめる歌
0062 大船の対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね
山上臣憶良が、大唐に在りし時、本郷憶ひてよめる歌
0063 いざ子ども早日本辺に大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
太上天皇の紀伊国に幸せる時、調首淡海がよめる歌
0055 麻裳よし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
二年壬寅、太上天皇の参河国に幸せる時の歌
0057 引馬野ににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに
右の一首は、長忌寸奥麻呂。
0058 いづくにか船泊てすらむ安禮の崎榜ぎ廻み行きし棚無小舟
右の一首は、高市連黒人。
0059 流らふる雪吹く風の*寒き夜に我が夫の君はひとりか寝らむ
右の一首は、譽謝女王。
0060 宵に逢ひて朝面無み隠にか日長き妹が廬りせりけむ
右の一首は、長皇子。
0061 大夫が幸矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るに清けし
右の一首は、舎人娘子が従駕つかへまつりてよめる。
慶雲三年丙午、難波の宮に幸せる時の歌
0064 葦辺ゆく鴨の羽交に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
右の一首は、志貴皇子。
0065 霰打ち安良禮松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも
右の一首は、長皇子。
大行天皇の難波の宮に幸せる時の歌
0071 大和恋ひ眠の寝らえぬに心なくこの渚の崎に鶴鳴くべしや
右の一首は、忍坂部乙麻呂。
0072 玉藻刈る沖へは榜がじ敷布の枕の辺忘れかねつも
右の一首は、式部卿藤原宇合。
0073 我妹子を早見浜風大和なる吾を松の樹に吹かざるなゆめ
右の一首は、長皇子。
大行天皇の吉野の宮に幸せる時の歌
0074 み吉野の山の荒風の寒けくにはたや今宵も我が独り寝む
右の一首は、或るひとの云はく、天皇のみよみませる御製歌。
0075 宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに
右の一首は、長屋王。
和銅元年戊申、天皇のみよみませる御製歌
0076 大夫の鞆の音すなり物部の大臣楯立つらしも
御名部皇女の和へ奉れる御歌
0077 吾が大王ものな思ほし皇神の嗣ぎて賜へる君なけなくに
三年庚戌春三月藤原の宮より寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に御輿停めて古郷を廻望したまひてよみませる歌
一書ニ云ク、
飛鳥宮ヨリ藤原宮ニ遷リマセル時、*太上天皇御製ミマセリ
0078 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ
藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌
0079
天皇の 御命畏み 和びにし 家を置き 隠国の 泊瀬の川に 船浮けて 吾が行く河の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上よ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 磐床と 川の氷凝り 冷ゆる夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代まてに 座まさむ君と 吾も通はむ
反し歌
0080 青丹よし寧樂の家には万代に吾も通はむ忘ると思ふな
右の歌は、作主未詳。
五年壬子夏四月、長田王を伊勢の斎宮に遣はさるる時、山辺の御井にてよめる歌
0081 山辺の御井を見がてり神風の伊勢処女ども相見つるかも
0082 うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば
0083 海の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む
右ノ二首ハ、今案フルニ御井ノ所ノ作ニ似ズ。若疑当時誦セル古歌カ。
長皇子と、志貴皇子と、佐紀の宮にて倶宴したまふときの歌
0084 秋さらば今も見るごと妻恋に鹿鳴かむ山そ高野原の上
右の一首は、長皇子。
萬葉集 巻第一 了
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引用文献
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