TOP(戻る)温故知新(戻る)、 世界三大古典詩集 ( 「詩經」「万(萬)葉集」「ソネット集 SONNET(Shakespeare)」

万葉集(萬葉集 Man'yōshū)は日本人の心の古典、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」
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新元号【令和】『REIWA』 典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)


萬葉集  巻第二十 
  (はたまきにあたるまき)

(家持歌日誌、最後の六年分。防人歌を含む)    鹿持雅澄『萬葉集古義』  


山村(やまむら)幸行(いでま)しし時の歌二首(ふたつ)
先の太上天皇(おほきすめらみこと)陪従(おほみとも)王臣(おほきみおみ)(みことのり)したまはく、夫諸王卿等(いましらもろもろ)(こた)へ歌を()みて(まを)せと()りたまひて、即ち御口号(みうたよみ)したまはく

4293 あしひきの山行きしかば山人(やまびと)の我に得しめし山つとそこれ


舎人親王(とねりのみこ)、詔を(うけたま)はりて和へ(まつ)れる御歌*一首(ひとつ)

4294 あしひきの山にゆきけむ山人の心も知らず山人や(たれ)

右、天平勝宝(てむひやうしようはう)五年(いつとせといふとし)五月(さつき)大納言(おほきものまをすつかさ)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)の家に(いま)せる時、
事を(まを)すに依りて請ひ問ふ(ほど)少主鈴(すなきすずのつかさ)山田( やまたの)(ふみひと)土麿、少納言(すなきものまをすつかさ)大伴宿禰家持に語りけらく、
(さき)に此の(こと)を聞けりといひて、即ち此の歌を()めりき。


天平勝宝五年八月(はつき)十二日(とをかまりふつかのひ)二三(ふたりみたり)大夫等(まへつきみたち)(おのもおのも)壺酒(さかつぼ)(ひきさ)げて、高圓野(たかまとぬ)に登り、聊か所心(おもひ)を述べて()める歌三首(みつ)

4295 高圓の尾花(をばな)吹きこす秋風に紐ときあけな(ただ)ならずとも

右の一首(ひとうた)は、左京少進(ひだりのみさとつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主

4296 天雲に雁そ鳴くなる高圓の萩の下葉はもみち()へむかも

右の一首は、左中弁(ひだりのなかのおほともひ)中臣清麿朝臣

4297 をみなへし秋萩しぬぎさ牡鹿の露分け鳴かむ高圓の野そ

右の一首は、少納言大伴宿禰家持。


六年(むとせといふとし)正月(むつき)四日(よかのひ)氏族人等(やからどち)、少納言大伴宿禰家持が(いへ)賀集(つど)ひて、宴飲(うたげ)する歌三首

4298 霜の()(あられ)飛走(たばし)りいや益しに(あれ)(まゐ)来む年の緒長く 古今未詳

右の一首は、左兵衛督(ひだりのつはもののとねりのかみ)大伴宿禰千室(ちむろ)

4299 年月は新た新たに相見れど()()ふ君は飽き足らぬかも 古今未詳

右の一首は、民部少丞(たみのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰村上。

4300 霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとそ()

右の一首は、左京少進大伴宿禰池主。


七日(なぬかのひ)天皇(すめらみこと)太上天皇(おほきすめらみこと)皇太后(おほみおや)(ひむかし)常宮(みや)の南の大殿に(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌一首

4301 印南野(いなみぬ)の赤ら柏は時はあれど君を()()ふ時はさねなし

右の一首は、播磨(はりま)の国の(かみ)安宿王(あすかべのおほきみ)(まを)したまへり。古今未詳。


三月(やよひ)十九日(とをかまりここのかのひ)、家持が(なりところ)の門の(つき)の樹の(もと)にて宴飲(うたげ)する歌二首

4302 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつ挿頭(かざ)したりけり

右の一首は、置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)

4303 我が背子が屋戸の山吹咲きてあらば止まず通はむいや年の端に

右の一首は、長谷花を攀ぢ、壺を(ひきさ)げて到来(きた)れり。因是(かれ)大伴宿禰家持、此の歌をよみて(こた)ふ。


(おや)じ月の二十五日(はつかまりいつかのひ)左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の(まへつきみ)山田御母(やまだのみおも)の宅に宴したまへる歌一首

4304 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年(ちとせ)にもがも

右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を()てよめる。但し未だ(いだ)さざりし(ほど)大臣(おほまへつきみ)宴を()めたまへるによりて、詠み挙げせざりき。


霍公鳥(ほととぎす)()める歌一首

4305 ()(くれ)のしげき()()をほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも

右の一首は、四月(うつき)、大伴宿禰家持がよめる。


七夕(なぬかのよひ)の歌八首(やつ)

4306 初秋風すずしき夕へ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため

4307 秋と言へば心そ痛きうたて()に花になそへて見まく欲りかも

4308 初尾花(をばな)花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く

4309 秋風になびく川()和草(にこぐさ)のにこよかにしも思ほゆるかも

4310 秋されば霧たちわたる天の川石()み置かば継ぎて見むかも

4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ

4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ

4313 青波に(そて)さへ濡れて榜ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか

右、七月(ふみつき)の七日の(よひ)*、大伴宿禰家持、独り天漢(あまのがは)()てよめる。

4314 八千種(やちくさ)に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ(しぬ)はな

右の一首は、同じ月の二十八日(はつかまりやかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。

4315 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓(たかまと)の宮

4316 高圓の宮の裾廻(すそみ)の野つかさに今咲けるらむ女郎花(をみなへし)はも

4317 秋野には今こそ行かめもののふの男女(をとこをみな)の花にほひ見に

4318 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか

4319 高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿(をしか)出で立つらむか

4320 ますらをの呼び立てませば*さ牡鹿の(むな)分けゆかむ秋野萩原

右の歌六首(むつ)は、兵部少輔(つはもののつかさのすなきすけ)大伴宿禰家持、独り秋の野を(しぬ)ひて、聊か拙懐(おもひ)を述べてよめる。


天平勝宝七歳(ななとせといふとし)乙未( きのとひつじ)二月( きさらき)、相替へて筑紫の諸国(くにぐに)に遣はさるる防人(さきもり)等が歌

4321 畏きや(みこと)(かがふ)り明日ゆりや加曳(かえ)斎田嶺(いむたね)*(いむ)無しにして

右の一首は、国造(くにのみやつこ)(よほろ)長下郡(ながのしものこほり)物部秋持(もののべのあきもち)

4322 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に(かご)()へ見えて世に忘られず

右の一首は、主帳(ふみひと)の丁、麁玉郡(あらたまのこほり)若倭部身麿(わかやまとべのむまろ)

4323 時々の花は咲けども何すれそ母とふ花の咲き出来(でこ)ずけむ

右の一首は、防人、山名郡(やまなのこほり)丈部(はせつかべの)眞麿(ままろ)

4324 遠江(とへたほみ)白羽(しるは)の磯と(にへ)の浦と合ひてしあらば言も(かゆ)はむ

右の一首は、同じ郡の丈部川相(かはひ)

4325 父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごてゆかむ

右の一首は、佐野(さやの)(こほり)、丈部黒當。

4326 父母が殿の(しりへ)百代草(ももよぐさ)百代いでませ我が来たるまで

右の一首は、同じ郡生玉部(いくたまべの)足國(たりくに)

4327 我が妻も絵に描き取らむ(いつま)もか旅ゆく(あれ)は見つつ偲はむ

右の一首は、長下郡、物部古麿(ふるまろ)
二月(きさらき)六日(むかのひ)、防人部領使(ことりつかひ)遠江( とほつあふみ)の国の史生(ふみひと)坂本朝臣人上(ひとかみ)が、(たてまつ)れる歌の数十八首(とをまりやつ)。但し拙劣(つたな)き歌十一首(とをまりひとうた)有るは取載()げず。

4328 大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて

右の一首は、某郡*助丁(すけのよほろ)、丈部(みやつこ)人麿。

4329 八十(やそ)国は難波に集ひ(ふな)飾り()がせむ日ろを見も人もがも

右の一首は、足下郡(あしからのしものこほり上丁(かみつよほろ)丹比部(たぢひべの)國人(くにひと)

4330 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて(まか)らむ見る母なしに

右の一首は、鎌倉郡(かまくらのこほり)の上丁、丸子連(まるこのむらじ)多麿(おほまろ)
二月の七日、相模(さがむ)の国の防人部領使、(かみ)従五位(ひろきいつつのくらゐの)(しもつしな)藤原朝臣宿奈麿(すくなまろ)が進れる歌の数八首。但し拙劣(つたな)き歌五首(いつつ)は、取載()げず。


防人の悲別(わかれ)の心を追痛(いた)みてよめる歌一首、また短歌(みじかうた)

4331 天皇(すめろき)の 遠の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫の国は
   (あた)まもる (おさ)への()そと 聞こし()す 四方の国には
   人(さは)に 満ちてはあれど (とり)が鳴く 東男(あづまをのこ)
   出で向かひ かへり見せずて 勇みたる (たけ)軍卒(いくさ)
   ()ぎたまひ (まけ)のまにまに たらちねの 母が目()れて
   若草の 妻をも()かず あらたまの 月日()みつつ
   葦が散る 難波の御津に 大船に 真櫂しじぬき
   朝凪に 水手(かこ)ととのへ 夕潮に 楫引き()
   (あど)もひて 漕ぎゆく君は 波の間を い行きさぐくみ
   真幸(まさき)くも 早く到りて 大王(おほきみ)の (みこと)のまにま
   大夫(ますらを)の 心をもちて ありめぐり 事し終はらば
   (つつ)まはず 還り来ませと 斎瓮(いはひへ)を 床辺(とこへ)に据ゑて
   白妙の 袖折りかへし ぬば玉の 黒髪しきて
   長き()を 待ちかも恋ひむ ()しき妻らは

(かへ)し歌

4332 大夫の(ゆき)取り負ひて出でて()けば別れを惜しみ嘆きけむ妻

4333 鶏が鳴く東男(あづまをとこ)の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み

右、二月の八日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4334 海原(うなはら)を遠く渡りて年()とも子らが結べる紐解くなゆめ

4335 今替る(にひ)防人が船出する海原の上に波な()きそね

4336 防人の堀江榜ぎ()る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ

右の三首*は、九日、大伴宿禰家持がよめる。

4337 水鳥(みづとり)の立ちの急ぎに父母に物()()にて今ぞ悔しき

右の一首は、上丁(かみつよほろ)有度部(うとべの)牛麿。

4338 畳薦(たたみけめ)牟良自(むらじ)が磯の離磯(はなりそ)の母を離れて行くが悲しさ

右の一首は、助丁(すけのよほろ)生部(いくべの)道麿。

4339 国めぐる(あとり)()けり行き巡り(かひ)り来までに(いは)ひて待たね

右の一首は、刑部(おさかべの)虫麿。

4340 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬(みづ)く白玉取りて来までに

右の一首は、川原虫麿。

4341 橘の美衣利(みえり)の里に父を置きて道の長道(ながち)は行きかてぬかも

右の一首は、丈部足麿(たりまろ)

4342 真木柱(まけばしら)讃めて造れる殿のごといませ母刀自(とじ)(おめ)変はりせず

右の一首は、坂田部(さかたべの)首麿(おびとまろ)

4343 ()ろ旅は旅と(おめ)ほど恋にして*顔持(こめち)痩すらむ我が身悲しも

右の一首は、玉作部(たまつくりべの)廣目(ひろめ)

4344 忘らむと野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも

右の一首は、商長(あきをさの)首麿(おびとまろ)

4345 我妹子(わぎめこ)と二人我が見し打ち()する駿河の()らは(くふ)しくめあるか

右の一首は、春日部(かすかべの)麿。

4346 父母が(かしら)掻き撫で(さき)くあれて言ひし言葉そ*忘れかねつる

右の一首は、丈部稲麿(いなまろ)
二月の七日、駿河の国の防人部領使、守従五位下布勢(ふせの)朝臣人主(ひとぬし)(まこと)( たてまつ)るは九日。歌の数二十首(はたち)。但し拙劣(つたな)き歌十首(とを)*は、取載()げず。

4347 家にして恋ひつつあらずは()()ける大刀(たち)になりても(いは)ひてしかも

右の一首は、国造の(よほろ)日下部(くさかべの)使主(おみ)三中(みなか)が父の歌。

4348 たらちねの母を別れてまこと我旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも

右の一首は、国造の丁、日下部使主三中。

4349 百隈(ももくま)の道は来にしを又更に八十(やそ)島過ぎて別れか行かむ

右の一首は、助丁(すけのよほろ)刑部(おさかべの)(あたへ)三野(みぬ)

4350 庭中の阿須波(あすは)の神に小柴さし(あれ)は斎はむ還り来までに

右の一首は、主帳(ふみひと)(よほろ)若麻續部(わかをみべの)諸人(もろひと)

4351 旅衣八つ着重ねて(いぬ)れどもなほ肌寒し妹にしあらねば

右の一首は、望陀郡(うまぐたのこほり)上丁(かみつよほろ)、玉作部國忍(くにおし)

4352 道の()(うまら)(うれ)()ほ豆のからまる君を(はか)れか行かむ

右の一首は、天羽郡(あまはのこほり)の上丁、丈部鳥。

4353 家風は日に日に吹けど我妹子が家言(いへごと)持ちて来る人も無し

右の一首は、朝夷郡(あさひなのこほり)の上丁、丸子連大歳(おほとし)

4354 立ち(こも)の立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも

右の一首は、長狭郡(ながさのこほり)の上丁、丈部與呂麿(よろまろ)

4355 よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに

右の一首は、武射郡(むざのこほり)の上丁、丈部山代(やましろ)

4356 我が母の(そて)持ち撫でて我が(から)に泣きし心を忘らえぬかも

右の一首は、山邊郡(やまのべのこほり)の上丁、物部乎刀良(をとら)

4357 葦垣の隈所(くまと)に立ちて我妹子が(そて)もしほほに泣きしそ()はゆ

右の一首は、市原郡の上丁、刑部直千國(ちくに)

4358 大王の命かしこみ出で来れば()ぬ取り付きて言ひし子なはも

右の一首は、種淮郡(すゑのこほり)の上丁、物部(たつ)

4359 筑紫()()向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向(へむ)かも

右の一首は、長柄郡(ながらのこほり)の上丁、若麻續部(ひつじ)
二月の九日、上総(かみつふさ)の国の防人部領使、少目(すなきふみひと)従七位下(ひろきななつのくらゐのしもつしな)茨田(まむたの)(むらじ)沙彌麿(さみまろ)が進る歌の数十九首(とをまりここのつ)。但し拙劣(つたな)き歌六首*は、取載()げず。


私拙懐(おもひ)()ぶる一首、また短歌

4360 天皇(すめろき)の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に
   天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ
   かけまくも あやに畏し (かむ)ながら 我ご大王の
   打ち靡く 春の初めは 八千種に 花咲きにほひ
   山見れば 見の(とも)しく 川見れば 見のさやけく
   ものごとに 栄ゆる時と ()し賜ひ 明らめ賜ひ
   敷きませる 難波の宮は 聞こし()す 四方の国より
   奉る 御調(みつき)の船は 堀江より 水脈(みを)引きしつつ
   朝凪に 楫引き(のぼ)り 夕潮に 棹さし下り
   あぢ群の 騒き(きほ)ひて 浜に出でて 海原見れば
   白波の 八重折るが上に 海人小船(をぶね) はららに浮きて
   大御食(おほみけ)に 仕へまつると をちこちに (いざ)り釣りけり
   そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも
   ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも

反し歌

4361 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなべ

4362 海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ

右、二月の十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4363 難波津に御船下ろ据ゑ八十楫(やそか)()き今は榜ぎぬと妹に告げこそ

4364 防人(さきむり)に立たむ騒きに家の妹が()るべきことを言はず()ぬかも

右の二首は、茨城郡(うばらきのこほり)若舎人部(わかとねりべの)廣足(ひろたり)

4365 押し照るや難波の津より船装(ふなよそ)(あれ)は榜ぎぬと妹に告ぎこそ

4366 常陸(ひたち)指し行かむ雁もが()が恋を記して付けて妹に知らせむ

右の二首は、信太郡(しだのこほり)、物部道足(みちたり)

4367 ()(もて)の忘れもしだは筑波嶺(つくはね)を振り放け見つつ妹は(しぬ)はね

右の一首は、茨城郡、占部(うらべの)小龍(をたつ)

4368 久慈川は(さけ)くあり待て潮船に真楫しじ()()は還り来む

右の一首は、久慈郡、丸子部(まろこべの)佐壯(すけを)

4369 筑波嶺の早百合(さゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも(かな)しけ妹そ昼も愛しけ

4370 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみいくさ)に我は来にしを

右の二首は、那賀郡(なかのこほり)上丁(かみつよほろ)大舎人部(おほとねりべの)千文(ちふみ)

4371 橘の下吹く風のかぐはしき筑波(つくは)の山を恋ひずあらめかも

右の一首は、助丁(すけのよほろ)、占部廣方(ひろかた)

4372 足柄(あしがら)の 御坂た(まは)り 顧みず (あれ)()え行く
   荒し()も 立しや憚る 不破の関 ()えて()は行く
   (むま)の爪 筑紫の崎に ()まり居て (あれ)(いは)はむ
   諸々は (さけ)くと申す 還り来まてに

右の一首は、倭文部(しつりべの)可良麿(からまろ)
二月の十四日、常陸の国の部領防人使(ことりさきもりつかひ)大目(おほきふみひと)正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)息長(おきながの)真人(まひと)國島(くにしま)が進れる歌の数十七首。但し拙劣(つたな)き歌七首*は、取載()げず。

4373 今日よりは顧みなくて大王(おほきみ)(しこ)御楯(みたて)と出で立つ我は

右の一首は、火長、今奉部(いままつりべの)與曽布(よそふ)

4374 天地(あめつち)の神を祈りて幸矢(さつや)()き筑紫の島を指して()く我は

右の一首は、火長、大田部荒耳(あらみみ)

4375 松の()()みたる見れば家人(いはびと)の我を見送ると立たりし(もころ)

右の一首は、火長、物部眞島(ましま)

4376 旅ゆきに行くと知らずて母父(あもしし)に言申さずて今ぞ悔しけ

右の一首は、寒川郡の上丁、川上巨老(おほおゆ)

4377 母刀自(あもとじ)も玉にもがもや戴きて角髪(みづら)の中に合へ巻かまくも

右の一首は、津守(つもり)宿禰小黒栖(をくるす)

4378 月日(つくひ)やは過ぐは行けども母父(あもしし)が玉の姿は忘れせなふも

右の一首は、都賀郡(つがのこほり)の上丁、中臣部足國(たりくに)

4379 白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)(そて)振る

右の一首は、足利郡の上丁、大舎人部禰麿(ねまろ)

4380 難波門(なにはと)を榜ぎ出て見れば(かみ)さぶる生駒高嶺に雲そたなびく

右の一首は、梁田郡(やなたのこほり)の上丁、大田部三成(みなり)

4381 国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし

右の一首は、河内郡の上丁、神麻續部(かむをみべの)島麿。

4382 太小腹(ふたほがみ)悪しけ人なり疝病(あたゆまひ)我がする時に防人に差す

右の一首は、那須郡の上丁、大伴部廣成。

4383 津の国の海の渚に船装ひ()し出も時に(あも)が目もがも

右の一首は、塩屋郡の上丁、丈部足人(たりひと)
二月の十四日、下野(しもつけぬ)の国の防人部領使、正六位(おほきむつのくらゐの)(かみつしな)田口朝臣大戸(おほと)が進れる歌の数十八首。但し拙劣(つたな)き歌七首*は、取載()げず。

4384 (あかとき)のかはたれ時に島(かぎ)を榜ぎにし船のたづき知らずも

右の一首は、助丁(すけのよほろ)海上郡(うなかみのこほり)海上の国造、池田*日奉直(ひまつりのあたへ)得大理(とこたり)

4385 ()こ先に波な()(ゑら)後方(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来ぬ

右の一首は、葛餝郡(かづしかのこほり)私部(きさきべの)石島(いそしま)

4386 我が(かづ)五本(いつもと)柳いつもいつも(おも)が恋すな(なり)ましつつも*

右の一首は、結城郡、矢作部(やはきべの)眞長(まなが)

4387 千葉(ちは)の野の児手柏(このてかしは)(ほほ)まれどあやに(かな)しみ置きて発ち来ぬ*

右の一首は、千葉郡(ちはのこほり)、大田部足人。

4388 旅とへど真旅になりぬ家の()が着せし衣に垢付きにかり

右の一首は、占部(うらべの)虫麿。

4389 潮舟の()越そ白波(には)しくも負ふせ(たま)ほか思はへなくに

右の一首は、印波郡(いにはのこほり)丈部直(はせつかべのあたへ)大歳(おほとし)

4390 群玉(むらたま)(くる)に釘刺し堅めとし妹が心は(あよ)くなめかも

右の一首は、サ島郡*刑部(おさかべの)志加麿(しかまろ)

4391 国々の(やしろ)の神に(ぬさ)(まつ)(あが)乞ひすなむ妹が(かな)しさ

右の一首は、結城郡、忍海部(おしぬみべの)五百麿(いほまろ)

4392 天地(あめつし)のいづれの神を祈らばか(うつく)し母にまた言問はむ

右の一首は、埴生郡(はにふのこほり)、大伴部麻與佐(まよさ)

4393 大王の命にされば父母を斎瓮(いはひへ)と置きて(まゐ)出来にしを

右の一首は、結城郡、雀部(きさきべの)廣島。

4394 大王の命かしこみ(ゆみ)のみにさ寝か渡らむ長けこの夜を

右の一首は、相馬郡、大伴部子羊(こひつじ)
二月の十六日、下総の国の防人部領使、少目従七位下縣犬養宿禰(あがたのいぬかひのすくね)浄人(きよひと)が進れる歌の数二十二首(はたちまりふたつ)。但し拙劣(つたな)き歌十一首*は、取載()げず。


独り龍田山の桜の花を惜しめる歌一首

4395 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

独り江水()浮漂(うか)べる(こつみ)を見て、貝玉の依らざるを怨恨(うら)みてよめる歌一首

4396 堀江より朝潮満ちに寄る木糞(こつみ)貝にありせば(つと)にせましを

(たち)(かど)にて、江南美女(をとめ)を見てよめる歌一首

4397 見渡せば向つ()()の花にほひ照りて立てるは()しき誰が妻

右の三首は、二月の十七日(とをかまりなぬかのひ)、兵部少輔大伴宿禰*家持がよめる。


防人の(こころ)に為りて思を陳べてよめる歌一首、また短歌

4398 大王の 命かしこみ 妻別れ 悲しくはあれど
   大夫の 心振り起し 取り(よそ)ひ 門出をすれば
   たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取りつき
   平らけく 我は(いは)はむ 好去(まさき)くて 早還り()
   真袖もち 涙を(のご)ひ むせびつつ 言問(ことどひ)すれば
   群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ
   いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ
   葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ
   朝凪に ()向け漕がむと さもらふと 我が()る時に
   春霞 島()に立ちて (たづ)が音の 悲しく鳴けば
   はろばろに 家を思ひ出 負征矢(おひそや)の そよと鳴るまで 嘆きつるかも

反し歌

4399 海原に霞たなびき(たづ)が音の悲しき宵は国方(くにへ)し思ほゆ

4400 家思ふと()を寝ず居れば(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に

右、十九日、兵部少輔大伴宿禰家持がよめる。

4401 唐衣(からころも)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや(おも)なしにして

右の一首は、国造、小縣郡(ちひさがたのこほり)他田舎人(をさだのとねり)大島。

4402 ちはやぶる神の御坂に幣まつり斎ふ命は母父(おもちち)がため

右の一首は、主帳、埴科郡(はにしなのこほり)神人部(かむとべの)子忍男(こおしを)

4403 大王の命かしこみ青雲(あをくむ)のとのびく山を越よて来ぬかむ

右の一首は、小長谷部(をはつせべの)笠麿。
二月の二十二日(はつかまりふつかのひ)、信濃の国の防人部領使、道にて病を得て来たらず。進れる歌の数十二首。但し拙劣(つたな)き歌九首*取載()げず。

4404 難波道を行きて()まてと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも

右の一首は、助丁(すけのよほろ)上毛野(かみつけぬの)牛甘(うしかひ)

4405 我が妹子(いもこ)が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも()は解かじとよ

右の一首は、朝倉益人(ますひと)

4406 我が(いは)ろに()かも人もが草枕旅は苦しと告げやらまくも

右の一首は、大伴部節麿(ふしまろ)

4407 ひな曇り碓日(うすひ)の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも

右の一首は、他田部(をさだべの)子磐前(こいはさき)
二月の二十三日、上野(かみつけぬ)の国の防人部領使、大目正六位下(おほきむつのくらゐのしもつしな)上毛野君駿河が進れる歌の数十二首。但し拙劣(つたな)き歌八首*取載()げず。


防人の悲別(わかれ)(こころ)を陳ぶる歌一首、また短歌

4408 大王の (まけ)のまにまに 島守(さきもり)に 我が発ち来れば
   ははそ葉の 母の命は 御裳(みも)の裾 摘み上げ掻き撫で
   ちちの実の 父の命は 栲綱(たくづぬ)の 白髭の上ゆ
   涙垂り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただ独りして
   朝戸出の (かな)しき()が子 あら玉の 年の緒長く
   相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問(ことどひ)せむと
   惜しみつつ 悲しびいませ 若草の 妻も子どもも
   をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ
   白妙の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと
   引き留め 慕ひしものを 天皇(おほきみ)の 命かしこみ
   玉ほこの 道に出で立ち 岡の崎 い(たむ)むるごとに
   (よろづ)たび かへり見しつつ はろばろに 別れし来れば
   思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを
   うつせみの 世の人なれば 玉きはる 命も知らず
   海原の (かしこ)き道を 島伝ひ い榜ぎ渡りて
   あり巡り 我が来るまでに 平らけく 親はいまさね
   つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのえ)の ()統神(すめかみ)
   (ぬさ)まつり 祈り(まう)して 難波津に 船を浮け据ゑ
   八十楫(やそか)()き 水手(かこ)ととのへて 朝開き ()は榜ぎ出ぬと
   家に告げこそ

反し歌

4409 家人(いへびと)の斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親に(まう)さね

4410 み空行く雲も使と人は言へど家苞(いへづと)遣らむたづき知らずも

4411 家苞に貝そ(ひり)へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど

4412 島陰に我が船泊てて告げやらむ使を無みや恋ひつつ行かむ

二月の二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持。

4413 枕太刀(まくらたち)腰に取り佩き真憐(まかな)しき()ろが()き来む月の知らなく

右の一首は、上丁(かみつよほろ)、那珂郡、檜前舎人(ひのくまのとねり)石前(いはさき)()、大伴眞足女(またりめ)

4414 大王の命かしこみ(うつく)しけ真子が手離れ島伝ひ行く

右の一首は、助丁(すけのよほろ)、秩父郡、大伴部小歳(をとし)

4415 白玉を手に取り()して見るのすも家なる妹をまた見てもやも

右の一首は、主帳(ふみひと)荏原郡(えはらのこほり)、物部歳徳(としとこ)

4416 草枕旅ゆく()なが丸寝(まるね)せば家なる我は紐解かず寝む

右の一首は、()椋椅部(くらはしべの)刀自賣(とじめ)

4417 赤駒を山野に(はか)し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ

右の一首は、豊島郡の上丁、椋椅部荒虫(あらむし)()宇遲部(うぢべの)黒女(くろめ)

4418 我が門の片山椿まこと(なれ)我が手触れなな土に落ちもかも

右の一首は、荏原郡の上丁、物部廣足(ひろたり)

4419 (いは)ろには葦火(あしふ)焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ()はも

右の一首は、橘樹郡(たちばなのこほり)の上丁、物部眞根(まね)

4420 草枕旅の丸寝の紐絶えば()が手と付けろこれの(はる)()

右の一首は、()、椋椅部弟女(おとめ)

4421 我が行きの息づくしかば足柄の峰()ほ雲を見とと(しぬ)はね

右の一首は、都筑郡(つつきのこほり)の上丁、服部(はとりべの)於由(おゆ)

4422 我が()なを筑紫へ遣りて(うつく)しみ帯は解かなな(あや)にかも寝も

右の一首は、()服部呰女(あため)

4423 足柄の御坂に()して袖振らば(いは)なる妹はさやに見もかも

右の一首は、埼玉郡(さきたまのこほり)の上丁、藤原部等母麿(ともまろ)

4424 色(ぶか)()なが衣は染めましを御坂(たば)らばまさやかに見む

右の一首は、()物部刀自賣。
二月の二十幾日(はつかまりいくかのひ)*武藏(むざし)の国の部領防人使、(まつりごとひと)正六位上安曇(あづみ)宿禰三國が進れる歌の数二十首。但し拙劣(つたな)き歌八首*取載()げず。

4425 防人にゆくは誰が()と問ふ人を見るが(とも)しさ物()ひもせず

4426 天地(あめつし)の神に(ぬさ)置き斎ひつついませ我が()(あれ)をし()はば

4427 (いは)の妹ろ()(しの)ふらし真(ゆす)びに(ゆす)びし紐の解くらく()へば

4428 我が()なを筑紫は遣りて(うつく)しみ(えび)は解かなな(あや)にかも寝む

4429 馬屋なる縄断つ駒の(おく)るがへ妹が言ひしを置きて悲しも

4430 荒し()のい小箭(をさ)手挟(だはさ)み向ひ立ちかなるましづみ出でてと()が来る

4431 笹が葉のさやく霜夜に七重(ななへ)()る衣に増せる子ろが肌はも

4432 ()へなへぬ(みこと)にあれば(かな)し妹が手枕離れあやに悲しも

右の八首は、昔年(さきつとし)の防人の歌なり。主典(ふみひと)刑部(うたへのつかさの)少録(すなきふみひと)正七位上(おほきななつのくらゐのかみつしな)磐余( いはれの)伊美吉(いみき)諸君(もろきみ)が、抄写(かきつけ)て兵部少輔大伴宿禰家持に贈れり。


三月(やよひ)三日(みかのひ)、防人を検校(かむが)ふる勅使(みかどつかひ)、また兵部(つはもののつかさ)使人等(つかひども)(とも)に集ひて飲宴(うたげ)するときよめる歌三首

4433 朝な()な上がる雲雀になりてしか都に行きて早還り来む

右の一首は、勅使、紫微(しび)大弼(おほきすけ)安倍沙美麿(さみまろ)の朝臣。

4434 雲雀あがる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく

4435 (ふふ)めりし花の初めに()し我や散りなむ後に都へ行かむ

右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持。


昔年(さきつとし)相替はれる防人が歌一首

4436 闇の夜の行く先知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも


先の太上天皇(おほきすめらみこと)の霍公鳥を御製(みよみ)ませる(おほみうた)一首*

4437 霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな()()し泣くも

薩妙觀(さつめうくわむ)が詔を(うけたま)はりて和へ奉れる歌一首

4438 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に(しるし)あらめやも


冬の日、靱負(ゆけひ)御井(みゐ)(いで)ましし時、内命婦(うちのひめとね)石川朝臣 諱曰邑婆 詔を(うけたま)はりて雪を()める歌一首

4439 松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居るらむ

その時、水主内親王(みぬしのひめみこ)、寝膳安からず。累日参りたまはず。(かれ)此の日太上天皇、侍嬬(みやをみな)等に()りたまはく、水主内親王の為に、雪を賦みて奉献(たてまつ)れとのりたまへり。是に(もろもろ)命婦(ひめとね)等、作歌(うたよみ)()ねたれば、此の石川命婦、独り此の歌を()みて(まを)せりき。
右の件の四首(ようた)は、上総の国の大掾(おほきまつりごとひと)正六位上(おほきむつのくらゐのかみつしな)大原真人今城(いまき)伝へ()めりき。年月未詳。


上総の国の朝集使(まゐうごなはるつかひ)大掾大原真人今城が(みやこ)に向かへる時、郡司(こほりのつかさ)妻女等(めら)(うまのはなむけ)せる歌二首

4440 足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつ偲はむ

4441 立ち(しな)ふ君が姿を忘れずば世の限りにや恋ひ渡りなむ


五月(さつき)九日(ここのかのひ)、兵部少輔大伴宿禰家持が(いへ)にて集飲(うたげ)せる歌四首

4442 我が背子が屋戸の撫子日並べて雨は降れども色も変らず

右の一首は、大原真人今城。

4443 久かたの雨は降りしく撫子がいや初花に恋しき我が()

右の一首は、大伴宿禰家持。

4444 我が背子が屋戸なる萩の花咲かむ秋の夕へは我を偲はせ

右の一首は、大原真人今城。

4445 鴬の声は過ぎぬと思へども()みにし心なほ恋ひにけり

右の一首は、即ち鴬の()くを聞きてよめる。*大伴宿禰家持。


同じ月の十一日(とをかまりひとひのひ)左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の(まへつきみ)の、右大弁(みぎのおほきおほともひ)丹比國人真人が宅に宴したまふ歌三首

4446 我が屋戸に咲ける撫子(まひ)はせむゆめ花散るないやをちに咲け

右の一首は、丹比國人真人が左大臣を寿(ことほ)く歌。

4447 幣しつつ君が()ほせる撫子が花のみ問はむ君ならなくに

右の一首は、左大臣の和へたまふ歌。

4448 あぢさゐの八重咲くごとく()つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ

右の一首は、左大臣の、味狭藍(あぢさゐ)の花に寄せて詠みたまへる。


十八日(とをかまりやかのひ)、左大臣の、兵部卿(つはもののつかさのかみ)(たちばなの)奈良麿(ならまろの)朝臣(あそみ)が宅に宴したまふ歌一首

4449 撫子が花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも

右の一首は、治部卿(をさむるつかさのかみ)船王(ふねのおほきみ)

4450 我が背子が屋戸の撫子散らめやもいや初花に咲きは増すとも

4451 (うるは)しみ()()ふ君は撫子が花になそへて見れど飽かぬかも

右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持が追ひてよめる。


八月(はつき)十三日(とをかまりみかのひ)、内の南の安殿(やすみとの)にて、肆宴(とよのあかり)したまへるときの歌二首

4452 官女(をとめ)らが玉裳(たまも)裾曳くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ

右の一首は、内匠頭(うちのたくみのかみ)播磨守(はりまのかみ)()けたる正四位下(おほきよつのくらゐのしもつしな)安宿王(あすかべのおほきみ)(まを)したまへり。

4453 秋風の吹き()き敷ける花の庭清き月夜(つくよ)に見れど飽かぬかも

右の一首は、兵部少輔従五位上(ひろきいつつのくらゐのかみつしな)大伴宿禰家持。未奏。


十一月(しもつき)二十八日(はつかまりやかのひ)、左大臣、兵部卿橘奈良麿朝臣が宅に集ひて、宴したまふ歌三首

4454 高山の(いはほ)に生ふる(すが)の根のねもころごろに降り置く白雪

右の一首は、左大臣のよみたまへる。


天平(てむひやう)元年(はじめのとし)班田(たあがつ)時の使葛城王(かづらきのおほきみ)の、山背の国より、薩妙觀(さつめうくわむ)命婦(ひめとね)等が(もと)に贈りたまへる歌一首 芹子(セリ)(ツト)ニ副ヘタリ

4455 あかねさす昼は田()びてぬば玉の夜のいとまに摘める芹これ

薩妙觀の命婦が報贈(こた)ふる歌一首

4456 大夫と思へるものを大刀佩きて可尓波(かには)の田居に芹そ摘みける

右の二首は、左大臣読みあげたまへり。*


〔天平勝宝〕八歳(やとせといふとし)丙申( ひのえさる)、二月の( つきたち)乙酉(きのととり)二十四日( はつかまりよかのひ)戊申( つちのえさる)天皇(すめらみこと)*太上天皇(おほきすめらみこと)、〔太〕皇太后(おほみおや)河内(かふち)離宮(とつみや)幸行(いでま)して、信信(よよ)を経て*壬子(みづのえね)に難波の宮に伝幸(うつりいでま)し、三月(おやじつき)七日(はつかまりなぬかのひ)*、河内の国の仗人(くれの)(さと)馬史國人(うまのふひとくにひと)が家にて、宴したまへるときの歌三首

4457 住吉の浜松が根の下()へて我が見る小野の草な刈りそね

右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。

4458 にほ鳥の息長川(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ(こと)尽きめやも*

右の一首は、主人(あろじ)散位寮(とねのつかさ)散位(とね)馬史國人。

4459 葦刈ると*堀江榜ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに

右の一首は、式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主読みあぐ。即ち云へらく、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)大原真人今城、先つ日他所(あだしところ)にて読みあげし歌なりといへり。

4460 堀江榜ぐ伊豆()の船の楫つくめ音しば立ちぬ水脈(みを)速みかも

4461 堀江より水脈さかのぼる楫の()の間なくそ奈良ば恋しかりける

4462 舟競(ふなぎほ)ふ堀江の川の水際(みなきは)に来居つつ鳴くは都鳥かも

右の三首は、()()にてよめる。

4463 霍公鳥まづ鳴く朝明(あさけ)いかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで

4464 霍公鳥懸けつつ君を*松陰に紐解き放くる月近づきぬ

右の二首は、二十日、大伴宿禰家持(こと)()けてよめる。


(やがら)(さと)す歌一首、また短歌

4465 久かたの (あま)()開き 高千穂の (たけ)天降(あも)りし
   天孫(すめろき)の 神の御代より 梔弓(はじゆみ)を ()握り持たし
   真鹿児矢(まかこや)を 手挟(たはさ)み添へて 大久米の ますら健男(たけを)
   先に立て (ゆき)取り負ほせ 山川を 岩根さくみて
   踏み通り 国()ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け
   まつろはぬ 人をも(やは)し 掃き清め 仕へまつりて
   蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原(かしばら)の 畝傍(うねび)の宮に
   宮柱 太知り立てて (あめ)の下 知らしめしける
   天皇(すめろき)の (あま)日嗣(ひつぎ)と 次第(つぎて)来る 君の御代御代
   隠さはぬ 赤き心を 皇辺(すめらへ)に 極め尽して
   仕へくる (おや)職業(つかさ)と 事立(ことた)てて 授け賜へる
   子孫(うみのこ)の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて
   聞く人の (かがみ)にせむを (あたら)しき 清きその名そ
   (おほ)ろかに 心思ひて 虚言(むなこと)も 遠祖(おや)の名絶つな
   大伴の 氏と名に負へる 健男(ますらを)の伴

反し歌*

4466 磯城島(しきしま)の大和の国に明らけき名に負ふ伴の()心つとめよ

4467 剣大刀(つるぎたち)いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名そ

右、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)讒言(よこ)せしに縁りて、出雲守大伴古慈悲(こじひの)宿禰(つかさ)解けぬ。是以(かれ)家持此の歌をよめり。


臥病()みて常無きを悲しみ、修道(おこなひ)せまくしてよめる歌二首

4468 現身(うつせみ)は数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな

4469 渡る日の影に(きほ)ひて尋ねてな清きその道またも会はむため


寿(いのち)を願ひてよめる歌一首

4470 水泡(みつぼ)なす仮れる身そとは知れれどもなほし願ひつ千年(ちとせ)の命を

以前(かみ)歌六首(むうた)は、六月(みなつき)十七日(とをかまりなぬかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。


冬十一月(しもつき)の五日の夜、少雷起鳴(かみなり)雪散覆庭(ゆきふれり)忽懐感憐(かなしみて)よめる短歌(みじかうた)一首

4471 ()残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を(つと)に摘み来な

右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持。


八日、讃岐守(さぬきのかみ)安宿王( あすかべのおほきみ)(たち)出雲掾(いずものまつりごとひと)安宿奈杼麿( あすかべのなどまろ)が家に集ひて、宴したまふ歌二首

4472 大王の命かしこみ於保(おほ)の浦を背向(そがひ)に見つつ都へのぼる

右の一首*は、掾安宿奈杼麿。

4473 うち日さす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ

右の一首は、(かみ)山背王( やましろのおほきみ)の歌なり。主人(あろじ)安宿奈杼麿(あすかべのなどまろ)語りけらく、奈杼麿朝集使(まゐうごなはるつかひ)に差され、京師(みやこ)(まゐ)てむとす。此に因りて(うまのはなむけ)する日、(おのもおのも)歌をよみて、聊か所心(おもひ)()ぶ。

4474 群鳥(むらとり)の朝立ち()にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく*

右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後日(のち)に出雲守山背王の歌に追ひて和ふる(うた)


二十三日(はつかまりみかのひ)式部少丞(のりのつかさのすなきまつりごとひと)大伴宿禰池主が宅に集ひて、飲宴(うたげ)する歌二首

4475 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我は見つつ偲はむ

4476 奥山の(しきみ)が花の名のごとやしくしく君に恋ひ渡りなむ

右の二首は、兵部大丞(つはもののつかさのおほきまつりごとひと)大原真人今城。


智努女王(ちぬのおほきみ)(みうせ)たまへる後、圓方女王(まとかたのおほきみ)悲傷(かなし)みてよみたまへる歌一首

4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ


大原櫻井(さくらゐの)真人が、佐保川の(ほとり)を行く時、よめる歌一首

4478 佐保川に凍りわたれる薄氷(うすらび)の薄き心を我が思はなくに


藤原の夫人(おほとじ)の歌一首 浄御原ノ宮ニ御宇(アメノシタシロシメ)シシ天皇ノ夫人ナリ。字ヲ氷上大刀自(ヒガミオホトジ)ト曰ヘリ<

4479 朝宵に()のみし泣けば焼き大刀の利心(とごころ)(あれ)は思ひかねつも

4480 (かしこ)きや(あめ)朝廷(みかど)を懸けつれば音のみし泣かゆ朝宵にして*

右の件の四首、伝へ読むは兵部大丞大原今城。


〔勝宝〕九歳(ここのせといふとし)*三月の四日、兵部大丞大原真人今城が宅にて、宴する歌二首*

4481 あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君

右の一首*は、兵部少輔大伴宿禰*家持が植椿(つばき)()てよめる。

4482 堀江越え遠き里まて送り()る君が心は忘らゆまじも

右の一首は、播磨介藤原朝臣執弓(とりゆみ)(まけところ)()くときの別悲(わかれ)の歌なり。主人大原今城伝へ読めりき。


〔勝宝九歳〕六月の二十三日、大監物(おほきおろしもののつかさ)三形王( みかたのおほきみ)の宅にて、宴する歌一首

4483 移りゆく時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも

右、兵部大輔(つはもののつかさのおほきすけ)大伴宿禰家持がよめる。

4484 咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり

右の一首は、大伴宿禰家持が、物色(もの)変化(うつ)ろへるを悲伶(かなし)みてよめる。

4485 時の花いや()づらしもかくしこそ()し明らめめ秋立つごとに

右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


天平(てむひやう)宝字(はうじ)元年(はじめのとし)十一月(しもつき)の十八日、内裏(おほうち)にて肆宴(とよのあかり)きこしめす歌二首

4486 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ

右の一首は、皇太子(ひつぎのみこ)の御歌。

4487 いざ子ども狂行(たはわざ)なせそ天地の堅めし国そ大和島根は

右の一首は、内相藤原朝臣(まを)したまふ。


十二月(しはす)の十八日、大監物三形王の宅にて、宴する歌三首

4488 み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし

右の一首は、主人三形王。

4489 打ち靡く春を近みかぬば玉の今宵の月夜霞みたるらむ

右の一首は、大蔵大輔(おほくらのつかさのおほきすけ)甘南備( かむなびの)伊香(いかごの)真人

4490 あら玉の年往き還り春立たばまづ我が屋戸に鴬は鳴け

右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持。

4491 大き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引き(なら)しし菅原の里

右の一首は、藤原宿奈麿朝臣()石川女郎(いしかはのいらつめ)が、薄愛離別(したしみおとろへてのち)悲恨(かなし)みてよめる歌なり。年月未詳。


二十三日、治部少輔大原今城真人が宅にて、宴する歌一首

4492 月()めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。


二年(ふたとせといふとし)春正月(むつき)の三日、
侍従(おもとひと)堅子(ちひさわらは)王臣等(おほきみたちおみたち)を召して、
内裏(おほうち)(ひむかし)の屋の垣下(みかきもと)(さもら)はしめ、
玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴きこしめす。時に内相藤原朝臣(みことのり)(うけたまは)りて、
(のりたま)はく、諸王卿等(おほきみたちまへつきみたち) 随堪任意こころのまにま 歌よみ詩ふみ賦つくれとのりたまへり。 仍かれ詔旨みことのりのまにま、 各おのもおのも心緒おもひを陳のべて歌よみ詩ふみ賦つくれり。 諸人ノ賦レル詩マタ作メル歌ヲ得ズ。

4493 初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺らく玉の緒

右の一首は、右中弁(みぎのなかのおほともひ)大伴宿禰家持がよめる。但し大蔵(おほくらのつかさ)(まつりごと)に依りて、え(まを)さざりき。

4494 水鳥の鴨の()の色の青馬を今日見る人は限りなしといふ

右の一首は、七日の侍宴(とよのあかり)の為に、右中弁大伴宿禰家持、此の歌を(あらかじ)めよめり。但し仁王(おがみ)の事に依り、六日(むかのひ)内裏(おほうち)諸王(もろもろのおほきみたち)卿等(まへつきみたち)を召して、酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)きこしめし、(もの)給へるに因りて奏さざりき。


六日、内庭(おほには)に仮に樹木()を植ゑて、林帷(かきしろ)()て、肆宴きこしめす歌一首

4495 打ち靡く春ともしるく鴬は植木の木間(こま)を鳴き渡らなむ

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未奏。*


二月の某日(それのひ)*式部大輔(のりのつかさのおほきすけ)中臣清麿朝臣が宅にて、宴する歌十首(とを)*

4496 恨めしく君はもあるか屋戸の梅の散り過ぐるまで見しめずありける

右の一首は、治部少輔大原今城真人。

4497 見むと言はば(いな)と言はめや梅の花散り過ぐるまて君が来まさぬ

右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4498 ()しきよし今日の主人(あろじ)は磯松の常にいまさね今も見るごと

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4499 我が背子しかくし聞こさば天地の神を()()み長くとそ思ふ

右の一首は、主人(あろじ)中臣清麿朝臣。

4500 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ

右の一首は、治部大輔(をさむるつかさのおほきすけ)市原王(いちはらのおほきみ)

4501 八千種の花は移ろふ常盤(ときは)なる松のさ枝を我は結ばな

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4502 梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ磯にもあるかも

右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。

4503 君が家の池の白波磯に寄せしばしば見とも飽かむ君かも

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4504 うるはしと()()ふ君はいや日日(ひけ)に来ませ我が背子絶ゆる日なしに

右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4505 磯の裏に常呼び来棲む鴛鴦(をしどり)の惜しき()が身は君がまにまに

右の一首は、治部少輔大原今城真人。


(とき)()けて、(おのもおのも)高圓(たかまと)離宮処(とつみやところ)(しぬ)ひてよめる歌五首

4506 高圓の野の(うへ)の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4507 高圓の()(うへ)の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや

右の一首は、治部少輔大原今城真人。

4508 高圓の野辺はふ(くず)の末つひに千代に忘れむ我が大王かも

右の一首は、主人中臣清麿朝臣。

4509 ()ふ葛の絶えず偲はむ大王の()しし野辺には(しめ)結ふべしも

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4510 大王の継ぎて()すらし高圓の野辺見るごとに()のみし泣かゆ

右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。


山斎(しまのいへ)属目()てよめる歌三首

4511 鴛鴦(をし)の棲む君がこの山斎(しま)今日見れば馬酔木(あしび)の花も咲きにけるかも

右の一首は、大監物御方王(みかたのおほきみ)

4512 池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を(そて)扱入(こき)れな

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。

4513 磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも

右の一首は、大蔵大輔甘南備伊香真人。


二月の十日、内相の宅にて、渤海(ぼかいに)大使(つかはすつかひのかみ)小野田守(たもりの)朝臣()(うまのはなむけ)する宴の歌一首

4514 青海原(あをうなはら)風波なびき往くさ()(つつ)むことなく船は速けむ

右の一首は、右中弁大伴宿禰家持。未誦之。


七月の五日、治部少輔大原今城真人が宅にて、因幡守(いなばのかみ)大伴宿禰家持を(うまのはなむけ)する宴の歌一首

4515 秋風の末吹き靡く萩の花ともに挿頭(かざ)さず相か別れむ

右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


三年(みとせといふとし)春正月(むつき)一日(つきたちのひ)、因幡の国の(まつりごととの)にて、国郡司等(つかさびとら)賜饗(あへ)する宴の歌一首

4516 (あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや()吉事(よごと)

右の一首は、(かみ)大伴宿禰家持がよめる。



        巻第二十 了

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引用文献


○ManyoshuBest100
○万葉集[YouTube]
○萬葉集朗詠ライブ
○万葉集(動画 YouTube) NipponArchives
○歴史ヒストリア

○100分de名著 万葉集 其の1
○100分de名著 万葉集 其の2
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