新元号【令和】『REIWA』
典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)
萬葉集 巻第四 相 聞
よまきにあたるまき したしみうた
(巻一・ニを補う 相聞と大伴氏関係の歌)
鹿持雅澄『萬葉集古義』
難波天皇の妹の、山跡に在す皇兄に奉上れる御歌一首
0484 一日こそ人をも待ちし*長き日をかくのみ待てば有りかてなくも
岳本天皇のみよみませる御製歌一首、また短歌
0485 神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 騒きはゆけど* 吾が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思ひつつ 寝かてにのみ 明かしつらくも 長きこの夜を
反し歌
0486 山の端にあぢ群騒き行くなれど吾は寂しゑ君にしあらねば
0487 近江路の鳥籠の山なる不知哉川日のこの頃は恋ひつつもあらむ
額田王の近江天皇を思ひまつりてよみたまへる歌一首
0488 君待つと吾が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く
鏡女王のよみたまへる歌一首
0489 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
吹黄刀自が歌二首
0490 真野の浦の淀の継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる
0491 河上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
田部忌寸櫟子が太宰に任けらるる時の歌四首
0492 衣手に取りとどこほり泣く子にも益れる吾を置きて如何にせむ 舎人千年*
0493 置きてゆかば妹恋ひむかも敷細の黒髪敷きて長きこの夜を 田部忌寸櫟子
0494 吾妹子を相知らしめし人をこそ恋の増されば恨めしみ思へ
0495 朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて
柿本朝臣人麻呂が歌四首
0496 み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
0497 古にありけむ人も吾がごとか妹に恋ひつつ寝かてにけむ
0498 今のみのわざにはあらず古の人ぞ益りて哭にさへ泣きし
0499 百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かざらむ
碁檀越が伊勢国に往く時、留まれる妻がよめる歌一首
0500 神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝や為らむ荒き浜辺に
柿本朝臣人麻呂が歌三首
0501 処女らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は
0502 夏野ゆく牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや
0503 織衣の*さゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも
柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首
0504 君が家に吾が住坂の家道をも吾は忘らじ命死なずは
安倍女郎が歌二首
0505 今更に何をか思はむ打ち靡き心は君に寄りにしものを
0506 我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも吾無けなくに
駿河采女が歌一首
0507 敷細の枕ゆ漏る涙にそ浮寝をしける恋の繁きに
三方沙弥が歌一首
0508 衣手の別かる今宵ゆ妹も吾も甚く恋ひむな逢ふよしを無み
丹比真人笠麻呂が筑紫国に下る時よめる歌一首、また短歌
0509 臣女の 櫛笥に斎く* 鏡なす 御津の浜辺に さ丹頬ふ 紐解き放けず 吾妹子に 恋ひつつ居れば 明け暮れの 朝霧隠り 鳴く鶴の 哭のみし泣かゆ 吾が恋ふる 千重の一重も 慰むる 心も有れやと 家のあたり 吾が立ち見れば 青旗の 葛城山に 棚引ける 白雲隠り 天ざかる 夷の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ 粟島を 背向に見つつ 朝凪に 水手の声呼び 夕凪に 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行き廻り 稲日都麻 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に 打ち靡き 繁に生ひたる 名告藻の* などかも妹に 告らず来にけむ
反し歌
0510 白妙の袖解き交へて帰り来む月日を数みて往きて来ましを
伊勢国に幸せる時、當麻麻呂の大夫が妻のよめる歌一首
0511 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
草嬢*が歌一首
0512 秋の田の穂田の刈りばかか寄り合はばそこもか人の吾を言成さむ
志貴皇子の御歌一首
0513 大原のこのいつ柴のいつしかと吾が思ふ妹に今宵逢へかも
阿倍女郎が歌一首
0514 我が背子が着せる衣の針目落ちず入りにけらしな我が心さへ
中臣朝臣東人が阿倍女郎に贈れる歌一首
0515 独り寝て絶えにし紐を忌々しみと為むすべ知らに哭のみしぞ泣く
阿倍女郎が答ふる歌一首
0516 吾が持たる三筋に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき
大納言大将軍兼大伴の卿の歌一首
0517 神樹にも手は触るちふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも
石川郎女が歌一首
0518 春日野の山辺の道を随身無く通ひし君が見えぬ頃かも
大伴女郎が歌一首
0519 雨障み常せす君は久かたの昨夜の雨に懲りにけむかも
後の人の追ひて和ふる歌一首
0520 久かたの雨も降らぬか雨つつみ君に副ひてこの日暮らさむ
藤原宇合の大夫が遷任されて京に上る時、常陸娘子が贈れる歌一首
0521 庭に立ち麻を刈り干し重慕ふ*東女を忘れたまふな
京職大夫藤原の大夫が大伴坂上郎女に賜れる歌三首
0522 娘子らが玉匣なる玉櫛の魂消むも妹に逢はずあれば
0523 よく渡る人は年にもありちふをいつの程そも吾が恋ひにける
0524 蒸衾柔が下に臥せれども妹とし寝ねば肌し寒しも
大伴坂上郎女が和ふる歌四首
0525 佐保川の小石踏み渡りぬば玉の黒馬の来夜は年にもあらぬか
0526 千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし吾が恋ふらくは
0527 来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを
0528 千鳥鳴く佐保の川門の瀬を広み打橋渡す汝が来と思へば
右郎女ハ、佐保大納言卿ノ女ナリ。初メ一品穂積皇子ニ嫁ギ、寵被ルコト儔無シ。皇子薨シシ後、藤原麻呂大夫郎女ヲ娉フ。郎女坂上ノ里ニ家ス。仍レ族氏ヲ坂上郎女ト号フナリ。
また大伴坂上郎女が歌一首
0529 佐保川の岸の高処の柴な刈りそね在りつつも春し来たらば立ち隠るがね
天皇の海上女王に賜へる御歌一首
0530 赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひも無し
右、今案フルニ、此ノ歌擬古ノ作ナリ。但往当便ヲ以テ斯ノ歌ヲ賜ヘルカ。
海上女王の和へ奉る歌一首
0531 梓弓爪ひく夜音の遠音にも君が御言を聞かくしよしも
大伴宿奈麻呂宿禰が歌二首
0532 打日さす宮に行く子をま悲しみ留むは苦し遣るはすべなし
0533 難波潟潮干のなごり飽くまでに人の見む子を吾し羨しも
安貴王の歌一首、また短歌
0534 遠妻の ここに在らねば 玉ほこの 道をた遠み 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からぬものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日往きて 妹に言問ひ 吾が為に 妹も事無く 妹が為 吾も事無く 今も見しごと 副ひてもがも
反し歌
0535 敷細の手枕まかず間置きて年そ経にける逢はなく思へば
右、安貴王、因幡八上釆女ヲ娶リ、係念極テ甚シク、愛情尤モ盛ナリ。時ニ勅シテ不敬ノ罪ニ断ジ、本郷ニ退却ク。是ニ王意悼怛、聊カ此歌ヲ作メリト。
門部王の恋の歌一首
0536 飫宇の海の潮干の潟の片思に思ひやゆかむ道の長手を
右、門部王、出雲守ニ任ラル時、部内ノ娘子ヲ娶ル。未ダ幾時モ有ラズ、既ニ往来絶ユ。累月ノ後、更ニ愛心ヲ起コス。仍レ此歌ヲ作ミテ娘子ニ贈致レリ。
高田女王の今城王に贈りたまへる歌六首
0537 言清く甚もな言ひそ一日だに君いし無くば忍ひ堪へぬもの*
0538 人言を繁み言痛み逢はざりき心あるごとな思ひ我が背子
0539 我が背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを
0540 我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる
0541 現世には人言繁し来生にも逢はむ我が背子今ならずとも
0542 常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじと動揺ひぬらし
神亀元年甲子冬十月、紀伊国に幸せる時、従駕の人に贈らむ為、娘子に誂へらえて笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0543 天皇の 行幸のまに 物部の 八十伴男と 出でゆきし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝火を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ 親しけく 吾をば思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙も得あらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 吾が身にしあれば 道守の 問はむ答を 言ひ遣らむ すべを知らにと 立ちてつまづく
反し歌
0544 後れ居て恋ひつつあらずば紀の国の妹背の山にあらましものを
0545 我が背子が跡踏み求め追ひゆかば紀の関守い留めなむかも
二年乙丑春三月、三香原の離宮に幸せる時、娘子を得て、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌
0546 三香の原 旅の宿りに 玉ほこの 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ 縁の無ければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神事依せて 敷細の 衣手交へて 己妻と 恃める今宵
秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
反し歌
0547 天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを
0548 この夜らの早く明けなばすべを無み秋の百夜を願ひつるかも
五年戊辰、太宰の少弐石川足人の朝臣が遷任さるるとき、筑前国蘆城の駅家に餞する歌三首
0549 天地の神も助けよ草枕旅ゆく君が家に至るまで
0550 大船の思ひ頼みし君が去なば吾は恋ひむな直に逢ふまでに
0551 大和道の島の浦廻に寄する波間も無けむ吾が恋ひまくは
右の三首は、作者未詳。
大伴宿禰三依が歌一首
0552 我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二つゆくらむ
丹生女王の太宰帥大伴の卿に贈りたまへる歌二首
0553 天雲の遠隔の極み遠けども心し行けば恋ふるものかも
0554 古りにし人の賜せる吉備の酒病めばすべなし貫簀賜らむ
太宰帥大伴の卿の大弐丹比縣守の卿の民部卿に遷任さるるに歌一首
0555 君がため醸みし待酒安の野に独りや飲まむ友無しにして
賀茂女王の大伴宿禰三依に贈りたまへる歌一首
0556 筑紫船いまだも来ねば予め荒ぶる君を見むが悲しさ
土師宿禰水道が筑紫より京に上る海路にてよめる歌二首
0557 大船を榜ぎの進みに岩に触り覆らば覆れ妹に因りてば
0558 ちはやぶる神の社に吾が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに
太宰の大監大伴宿禰百代が恋の歌四首
0559 事もなく生れ来しものを老次にかかる恋にも吾は逢へるかも
0560 恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
0561 思はぬを思ふと言はば大野なる三笠の杜の神し知らさむ
0562 暇無く人の眉根を徒に掻かしめつつも逢はぬ妹かも
大伴坂上郎女が歌二首
0563 黒髪に白髪交り老ゆまでにかかる恋には未だ逢はなくに
0564 山菅の実ならぬことを我に寄せ言はれし君は誰とか寝らむ
賀茂女王の歌一首
0565 大伴の見つとは言はじ茜さし照れる月夜に直に逢へりとも
太宰の大監大伴宿禰百代等が駅使に贈れる歌二首
0566 草枕旅ゆく君を愛しみ副ひてぞ来し志賀の浜辺を
右の一首は、大監大伴宿禰百代。
0567 周防なる磐國山を越えむ日は手向よくせよ荒きその道
右の一首は、少典山口忌寸若麻呂。以前天平二年庚午夏六月、帥大伴卿、忽ニ瘡ヲ脚ニ生シ、枕席ニ疾苦ス。此ニ因テ駅ヲ馳セテ上奏シ、庶弟稲公、姪胡麻呂ニ遺言ヲ語ラムコトヲ望請フ。右兵庫助大伴宿禰稲公、治部少丞大伴宿禰胡麻呂ノ両人ニ勅シテ、駅ヲ給ヒ発遣シ、卿ノ病ヲ看シム。数旬ヲ逕テ幸ニ平復ヲ得。時ニ稲公等病既ニ療タルヲ以テ、府ヲ発チ京ニ上ル。是ニ大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、及ビ卿ノ男家持等、駅使ヲ相送ル。共ニ夷守ノ駅家ニ到リ、聊カ飲シテ別ヲ悲シム。乃チ此歌ヲ作メリ。
太宰帥大伴の卿の大納言に任され、京に入らむとする時、府官人等、卿を筑前国蘆城駅家に餞する歌四首
0568 み崎廻の荒磯に寄する五百重波立ちても居ても我が思へる君
右の一首は、筑前の掾門部連石足。
0569 宮人の*衣染むとふ紫の心に染みて思ほゆるかも
0570 大和方に君が発つ日の近づけば野に立つ鹿も動みてぞ鳴く
右の二首は、大典麻田連陽春。
0571 月夜よし川音清けしいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ
右の一首は、防人佑大伴四綱。
太宰帥大伴の卿の京に上りたまへる後、沙弥満誓が卿に贈れる歌二首
0572 真澄鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕べに寂びつつ居らむ
0573 ぬば玉の黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり
大納言大伴の卿の和へたまへる歌二首
0574 ここに在りて筑紫やいづく白雲の棚引く山の方にしあるらし
0575 草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友無しにして
太宰帥大伴の卿の京に上りたまひし後、筑後守葛井連大成が悲嘆きてよめる歌一首
0576 今よりは城の山道は寂しけむ吾が通はむと思ひしものを
大納言大伴の卿の、新しき袍を攝津大夫高安王に贈りたまへる歌一首
0577 我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触れれど
大伴宿禰三依が悲別の歌一首
0578 天地と共に久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
金明軍が大伴宿禰家持に与れる歌二首
0579 見まつりて未だ時だに変らねば年月のごと思ほゆる君
0580 足引の山に生ひたる菅の根のねもごろ見まく欲しき君かも
大伴坂上の家の大娘が大伴宿禰家持に報へ贈れる歌四首
0581 生きてあらば見まくも知らに何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
0582 丈夫もかく恋ひけるを幼婦の恋ふる心に比へらめやも
0583 月草の移ろひやすく思へかも吾が思ふ人の言も告げ来ぬ
0584 春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも
大伴坂上郎女が歌一首
0585 出でて去なむ時しはあらむを殊更に妻恋しつつ立ちて去ぬべしや
大伴宿禰稲公が田村大嬢に贈れる歌一首
0586 相見ずは恋ひざらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひは如何にせむ
右、一云、姉坂上郎女がよめる。
笠女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌廿四首
0587 我が形見見つつ偲はせ荒玉の年の緒長く我も偲はむ
0588 白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月ごろを
0589 衣手を折り廻む里に*ある吾を知らずぞ人は待てど来ずける
0590 あら玉の年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告らすな
0591 我が思ひを人に知らせや玉くしげ開きあけつと夢にし見ゆる
0592 闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
0593 君に恋ひ甚もすべ無み奈良山の小松がもとに立ち嘆くかも
0594 我が屋戸の夕蔭草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも
0595 我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも
0596 八百日往く浜の真砂も吾が恋にあに勝らじか沖つ島守
0597 うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひ渡るかも
0598 恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に
0599 朝霧の鬱に相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも
0600 伊勢の海の磯もとどろに寄する波畏き人に恋ひ渡るかも
0601 心ゆも吾は思はざりき山河も隔たらなくにかく恋ひむとは
0602 夕されば物思ひ増さる見し人の言問ふ姿面影にして
0603 思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我は死に還らまし
0604 剣太刀身に取り添ふと夢に見つ何の徴そも君に逢はむため
0605 天地の神し理無くばこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
0606 我も思ふ人もな忘れ多奈和丹*浦吹く風のやむ時無かれ
0607 人皆を*寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば眠ねがてぬかも
0608 相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づく如し
0609 心ゆも我は思はざりき又更に我が故郷に還り来むとは
0610 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかてましも
右の二首は、相別れて後また来贈れるなり。
大伴宿禰家持が和ふる歌二首
0611 今更に妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸欝悒しからむ
0612 中々に黙もあらましを何すとか相見始めけむ遂げざらなくに
山口女王の大伴宿禰家持に贈りたまへる歌五首
0613 物思ふと人に見えじと生強に常に思へど有りそかねつる
0614 相思はぬ人をやもとな白妙の袖漬づまでに哭のみし泣かも
0615 我が背子は相思はずとも敷細の君が枕は夢に見えこそ
0616 剣太刀名の惜しけくも吾はなし君に逢はずて年の経ぬれば
0617 葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる
大神郎女が大伴宿禰家持に贈れる歌一首
0618 さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふと侘び居る時に鳴きつつもとな
大伴坂上郎女が怨恨の歌一首、また短歌
0619 押し照る 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば 真澄鏡 磨ぎし心を 縦してし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に ちはやぶる 神や離けけむ うつせみの 人か障ふらむ 通はしし 君も来まさず 玉づさの 使も見えず なりぬれば 甚もすべ無み ぬば玉の 夜はすがらに 赤ら引く 日も暮るるまで 嘆けども 験を無み 思へども たつきを知らに 幼婦と 言はくも著く 小童の 哭のみ泣きつつ 徘徊り 君が使を 待ちやかねてむ
反し歌
0620 初めより長く言ひつつ恃めずはかかる思ひに逢はましものか
西海道の節度使の判官佐伯宿禰東人の妻が夫の君に贈れる歌一首
0621 間無く恋ふれにかあらむ草枕旅なる君が夢にし見ゆる
佐伯宿禰東人が和ふる歌一首
0622 草枕旅に久しく成りぬれば汝をこそ思へな恋ひそ我妹
池邊王の宴に誦ひたまへる歌一首
0623 松の葉に月は移りぬ黄葉の過ぎしや君が逢はぬ夜多み
天皇の酒人女王を思はしてみよみませる御製歌一首
0624 道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ひ思ふ*我妹
高安王の、裹める鮒を娘子に贈りたまへる歌一首
0625 沖辺ゆき辺にゆき今や妹がため我が漁れる藻臥束鮒
八代女王の天皇に献らせる歌一首
0626 君により言の繁きを故郷の明日香の川に禊ぎしにゆく
佐伯宿禰赤麻呂が娘子に贈れる歌一首*
0630 初花の散るべきものを人言の繁きによりて澱む頃かも
娘子が佐伯宿禰赤麻呂に報贈ふる歌一首
0627 我が手本まかむと思はむ大夫は恋水に沈み*白髪生ひにけり
佐伯宿禰赤麻呂が和ふる歌一首
0628 白髪生ふることは思はじ恋水をばかにもかくにも求めて行かむ
大伴四綱が宴席の歌一首
0629 何すとか使の来たる君をこそかにもかくにも待ち難てにすれ
湯原王の娘子に贈りたまへる歌二首
0631 愛想なき物かも人は然ばかり遠き家路を帰せし思へば
0632 目には見て手には取らえぬ月内の楓のごとき妹をいかにせむ
娘子が報贈ふる歌二首
0633 いかばかり思ひけめかも敷細の枕片去る夢に見え来し
0634 家にして見れど飽かぬを草枕旅にも夫のあるが羨しさ
湯原王のまた贈へる歌二首
0635 草枕旅には妻は率たらめど櫛笥の内の珠とこそ思へ
0636 我が衣形見に奉る敷細の枕離らさず巻きてさ寝ませ
娘子がまた報贈ふる歌一首
0637 我が背子が形見の衣嬬問に我が身は離けじ言問はずとも
湯原王のまた贈へる歌一首
0638 ただ一夜隔てしからに荒玉の月か経ぬると思ほゆるかも*
娘子がまた報贈ふる歌一首
0639 我が背子がかく恋ふれこそぬば玉の夢に見えつつ寐ねらえずけれ
湯原王のまた贈へる歌一首
0640 愛しけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
娘子がまた報贈ふる和歌一首
0641 絶ゆと言はば侘しみせむと焼大刀の諂ふことは辛しや吾君
湯原王の歌一首
0642 吾妹子に恋ひて乱れば反転に懸けて寄さむと吾が恋ひそめし
紀郎女が怨恨の歌三首
0643 世間の女にしあらば直渡り*痛背の川を渡りかねめや
0644 今は吾は侘びそしにける生の緒に思ひし君を縦さく思へば
0645 白妙の袖別るべき日を近み心に咽び哭のみし泣かゆ
大伴宿禰駿河麻呂が歌一首
0646 丈夫の思ひ侘びつつ遍多く嘆く嘆きを負はぬものかも
大伴坂上郎女が歌一首
0647 心には忘るる日無く思へども人の言こそ繁き君にあれ
大伴宿禰駿河麻呂が歌一首
0648 相見ずて日長くなりぬこの頃はいかに幸くや欝悒かし我妹
大伴坂上郎女が歌一首
0649 延ふ葛の*絶えぬ使の澱めれば事しもあるごと思ひつるかも
右、坂上郎女ハ、佐保大納言卿ノ女ナリ。駿河麻呂ハ、此ノ高市大卿ノ孫ナリ。両卿ハ兄弟ノ家、女孫姑姪ノ族ナリ。是ヲ以テ歌ヲ題シ送リ答ヘ、起居ヲ相問フ。
大伴宿禰三依が離れてまた相へるを歓ぶ歌一首
0650 我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり
大伴坂上郎女が歌二首
0651 久かたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ
0652 玉主に珠は授けて且々も枕と我はいざ二人寝む
大伴宿禰駿河麻呂が歌三首
0653 心には忘れぬものを偶々も見ぬ日さまねく月ぞ経にける
0654 相見ては月も経なくに恋ふと言はば虚言と吾を思ほさむかも
0655 思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変*
大伴坂上郎女が歌六首
0656 吾のみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふとふことは言のなぐさぞ
0657 思はじと言ひてしものを唐棣色の移ろひやすき我が心かも
0658 思へども験もなしと知るものを如何でここだく吾が恋ひ渡る
0659 予め人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥も如何にあらめ
0660 汝をと吾を人そ離くなるいで吾君人の中言聞きこすなゆめ
0661 恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽してよ長しと思はば
市原王の歌一首
0662 網児の山五百重隠せる佐堤の崎小網延へし子が夢にし見ゆる
安都宿禰年足が歌一首
0663 佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしき愛しき妻の子
大伴宿禰像見が歌一首
0664 石上降るとも雨に障まめや妹に逢はむと言ひてしものを
安倍朝臣蟲麻呂が歌一首
0665 向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れゆかむたづき知らずも
大伴坂上郎女が歌二首
0666 相見ずて幾許久もあらなくにここだく吾は恋ひつつもあるか
0667 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむ暫しはあり待て
右、大伴坂上郎女ガ母石川内命婦ト、安倍朝臣蟲滿ガ母安曇外命婦トハ、同居ノ姉妹、同気ノ親ナリ。此ニ縁テ郎女ト蟲滿ト、相見ルコト踈カラズ、相談ラフコト既ニ密ナリ。聊カ戯歌ヲ作ミテ以テ問答ヲ為ス。
厚見王の歌一首
0668 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに
春日王の歌一首
0669 足引の山橘の色に出でて語らば継ぎて逢ふこともあらむ
娘子が湯原王に贈れる歌一首*
0670 月読の光に来ませ足引の山を隔てて遠からなくに
湯原王の和へたまへる歌一首
0671 月読の光は清く照らせれど惑へる心堪へじとぞ思ふ
安倍朝臣蟲麻呂が歌一首
0672 しづたまき数にもあらぬ我が身もち如何でここだく吾が恋ひ渡る
大伴坂上郎女が歌二首
0673 真澄鏡磨ぎし心を縦してば後に言ふとも験あらめやも
0674 真玉つく彼此兼ねて言ひは言へど逢ひて後こそ悔はありといへ
中臣女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌五首
0675 をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみ嘗ても知らぬ恋もするかも
0676 海の底奥を深めて我が思へる君には逢はむ年は経ぬとも
0677 春日山朝居る雲の鬱しく知らぬ人にも恋ふるものかも
0678 直に逢ひて見てばのみこそ玉きはる命に向ふ吾が恋やまめ
0679 いなと言はば強ひめや我が背菅の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ
大伴宿禰家持が交遊と久しく別るる歌三首
0680 けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ
0681 中々に絶ゆとし言はばかくばかり生の緒にして吾が恋ひめやも
0682 思ふらむ人にあらなくにねもごろに心尽して恋ふる我かも
大伴坂上郎女が歌七首
0683 物言ひの畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
0684 今は吾は死なむよ我が背生けりとも我に依るべしと言ふと言はなくに
0685 人言を繁みや君を二鞘の家を隔てて恋ひつつ居らむ
0686 この頃は千歳や行きも過ぎにしと我やしか思ふ見まく欲りかも
0687 うるはしと吾が思ふ心速川の塞は塞くとも猶や崩えなむ
0688 青山を横ぎる雲のいちしろく我と笑まして人に知らゆな
0689 海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき
大伴宿禰三依が悲別の歌一首
0690 照らす日を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人無しに
大伴宿禰家持が娘子に贈れる歌二首
0691 ももしきの大宮人は多けども心に乗りて思ほゆる妹
0692 愛想無き妹にもあるかもかく許り人の心を尽せる思へば
大伴宿禰千室が歌一首
0693 かくのみに恋ひやわたらむ秋津野に棚引く雲の過ぐとはなしに
廣河女王の歌二首
0694 恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から
0695 恋は今はあらじと吾は思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる
石川朝臣廣成が歌一首
0696 家人に恋過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に年の経ぬれば
大伴宿禰像見が歌三首
0697 吾が聞きに懸けてな言ひそ刈薦の乱れて思ふ君が直香ぞ
0698 春日野に朝居る雲のしくしくに吾は恋ひ増さる月に日に異に
0699 一瀬には千たび障らひ逝く水の後にも逢はむ今ならずとも
大伴宿禰家持が娘子の門に到りてよめる歌一首
0700 かくしてや猶や罷らむ近からぬ道の間をなづみ参来て
河内百枝娘子が大伴宿禰家持に贈れる歌二首
0701 はつはつに人を相見て如何にあらむいづれの日にかまた外に見む
0702 ぬば玉のその夜の月夜今日までに吾は忘れず間無くし思へば
巫部麻蘇娘子が歌二首
0703 我が背子を相見しその日今日までに我が衣手は乾る時もなし
0704 栲縄の長き命を欲しけくは絶えずて人を見まく欲りこそ
大伴宿禰家持が童女に贈れる歌一首
0705 葉根蘰今せす妹を夢に見て心の内に恋ひ渡るかも
童女が来報ふる歌一首
0706 葉根蘰今せる妹は無きものを*いづれの妹ぞここだ恋ひたる
粟田娘子が大伴宿禰家持に贈れる歌二首
0707 思ひ遣るすべの知らねば片椀の底にぞ吾は恋ひ成りにける
0708 またも逢はむよしもあらぬか白妙の我が衣手に斎ひ留めむ
豊前国の娘子大宅女が歌一首
0709 夕闇は道たづたづし月待ちて行ませ我が背子その間にも見む
安都扉娘子が歌一首
0710 み空行く月の光にただ一目相見し人の夢にし見ゆる
丹波大女娘子が歌三首
0711 鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉散りて浮かべる心吾が思はなくに
0712 味酒を三輪の祝が斎ふ杉手触りし罪か君に逢ひ難き
0713 垣穂なす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこの頃
大伴宿禰家持が娘子に贈れる歌七首
0714 心には思ひ渡れどよしをなみ外のみにして嘆きぞ吾がする
0715 千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
0716 夜昼といふ別知らに吾が恋ふる心はけだし夢に見えきや
0717 つれもなくあるらむ人を片思に吾は思へば惑しくもあるか*
0718 思はぬに妹が笑まひを夢に見て心の内に燃えつつぞ居る
0719 丈夫と思へる吾をかくばかりみつれにみつれ片思をせむ
0720 むら肝の心砕けてかくばかり吾が恋ふらくを知らずかあるらむ
天皇に献れる歌一首
0721 足引の山にし居れば風流無み*我がせるわざを咎め給ふな
大伴宿禰家持が歌一首
0722 かくばかり恋ひつつあらずば石木にも成らましものを物思はずして
大伴坂上郎女が跡見の庄より、宅に留まれる女子の大嬢に贈れる歌一首、また短歌
0723 常世にと 吾が行かなくに 小金門に 物悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬば玉の 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 古里に この月ごろも 有りかてましを
反し歌
0724 朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれそ夢に見えける
天皇に献れる歌二首
0725 にほ鳥の潜く池水心あらば君に吾が恋ふる心示さね
0726 外に居て恋ひつつあらずば君が家の池に住むとふ鴨にあらましを
大伴宿禰家持が坂上の家の大嬢に贈れる歌二首 離リ絶エタルコト数年、復会ヒテ相聞往来ス。
0727 忘れ草吾が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり
0728 人も無き国もあらぬか我妹子と携さひ行きて副ひて居らむ
大伴坂上大嬢が大伴宿禰家持に贈れる歌三首
0729 玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻き難し
0730 逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも
0731 吾が名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立てば惜しみこそ泣け
また大伴宿禰家持が和ふる歌三首
0732 今しはし名の惜しけくも吾はなし妹によりてば千たび立つとも
0733 空蝉の世やも二ゆく何すとか妹に逢はずて吾が独り寝む
0734 吾が思ひかくてあらずば玉にもが真も妹が手に巻かれなむ
同じ坂上大嬢が家持に贈れる歌一首
0735 春日山霞たな引き心ぐく照れる月夜に独りかも寝む
また家持が坂上大嬢に和ふる歌一首
0736 月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り
同じ大嬢が家持に贈れる歌二首
0737 かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
0738 世の中の苦しきものにありけらく恋に堪へずて死ぬべき思へば
また家持が坂上大嬢に和ふる歌二首
0739 後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
0740 言のみを後も逢はむとねもころに吾を頼めて逢はぬ妹かも*
また大伴宿禰家持が坂上大嬢に贈れる歌十五首
0741 夢の逢ひは苦しかりけり覚きて掻き探れども手にも触れねば
0742 一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく吾が身はなりぬ
0743 吾が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに
0744 夕さらば屋戸開け設けて吾待たむ夢に相見に来むといふ人を
0745 朝宵に見む時さへや我妹子が見とも見ぬごとなほ恋しけむ
0746 生ける世に吾はいまだ見ず言絶えてかくおもしろく縫へる袋は
0747 我妹子が形見の衣下に着て直に逢ふまでは吾脱かめやも
0748 恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人言辞痛み吾がせむ
0749 夢にだに見えばこそあれかくばかり見えずてあるは恋ひて死ねとか
0750 思ひ絶え侘びにしものを中々に如何で苦しく相見そめけむ
0751 相見ては幾日も経ぬを幾許くも狂ひに狂ひ思ほゆるかも
0752 かくばかり面影にのみ思ほえば如何にかもせむ人目繁くて
0753 相見てば暫しく恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひ増さりけり
0754 夜のほどろ吾が出て来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ
0755 夜のほどろ出でつつ来らく度多くなれば吾が胸断ち焼くごとし
大伴の田村の家の大嬢が妹坂上大嬢に贈れる歌四首
0756 外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計せよ
0757 遠からば侘びてもあらむ里近くありと聞きつつ見ぬがすべ無さ
0758 白雲の棚引く山の高々に吾が思ふ妹を見むよしもがも
0759 如何にあらむ時にか妹を葎生の穢しき屋戸に入り座せなむ
右、田村大嬢ト坂上大嬢ト、并ニ右大弁大伴宿奈麻呂卿ノ女ナリ。卿田村ノ里ニ居レバ、田村大嬢ト号曰ク。但シ妹坂上大嬢ハ、母坂上ノ里ニ居ル、仍テ坂上大嬢ト曰フ。時ニ姉妹、諮問ヒテ歌ヲ以テ贈答ス。
大伴坂上郎女が竹田の庄より女子の大嬢に贈れる歌二首
0760 打ち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし吾が恋ふらくは
0761 早川の瀬に居る鳥の縁を無み思ひてありし吾が子はも鳴呼
紀女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌二首 女郎、名ヲ小鹿ト曰フ
0762 神さぶと否にはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも
0763 玉の緒を沫緒に搓りて結べれば在りて後にも逢はざらめやも
大伴宿禰家持が和ふる歌一首
0764 百年に老舌出でてよよむとも吾は厭はじ恋は増すとも
久迩の京に在りて、寧樂の宅に留まれる坂上大嬢を思ひて、大伴宿禰家持がよめる歌一首
0765 一重山隔れるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ
藤原郎女がこの歌を聞き、即和ふる歌一首
0766 路遠み来じとは知れるものからに然ぞ待つらむ君が目を欲り
大伴宿禰家持がまた大嬢に贈れる歌二首
0767 都路を遠みか妹がこの頃は祈ひて寝れど夢に見え来ぬ
0768 今知らす久迩の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な
大伴宿禰家持が紀女郎に報贈ふる歌一首
0769 久かたの雨の降る日を唯独り山辺に居れば鬱かりけり
大伴宿禰家持が久迩の京より坂上大嬢に贈れる歌五首
0770 人目多み逢はなくのみそ心さへ妹を忘れて吾が思はなくに
0771 偽りも似つきてそする顕しくもまこと我妹子吾に恋ひめや
0772 夢にだに見えむと吾は祈へども*相思はざればうべ見えざらむ
0773 言問はぬ木すらあじさゐ諸茅らが練のむらとにあざむかえけり
0774 百千遍恋ふと言ふとも諸茅らが練の詞し吾は頼まじ
大伴宿禰家持が紀女郎に贈れる歌一首
0775 鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何そも妹に逢ふよしも無き
紀女郎が家持に報贈ふる歌一首
0776 言出しは誰が言なるか小山田の苗代水の中淀にして
大伴宿禰家持がまた紀女郎に贈れる歌五首
0777 我妹子が屋戸の籬を見に行かばけだし門より帰しなむかも
0778 うつたへに籬の姿見まく欲り行かむと言へや君を見にこそ
0779 板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ち参り来む
0780 黒木取り草も刈りつつ仕へめど勤しき汝と誉めむともあらじ
0781 ぬば玉の昨夜は帰しつ今宵さへ吾を帰すな路の長手を
紀女郎が裹物を友に贈れる歌一首
女郎、名ヲ小鹿ト曰フ
0782 風高く辺には吹けれど妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻そ
大伴宿禰家持が娘子に贈れる歌三首
0783 一昨年の先つ年より今年まで恋ふれどなそも妹に逢ひ難き
0784 現には更にも得言はじ夢にだに妹が手本を巻き寝とし見ば
0785 我が屋戸の草の上白く置く露の命も惜しからず妹に逢はざれば
大伴宿禰家持が藤原朝臣久須麻呂に報贈れる歌三首
0786 春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも
0787 夢のごと思ほゆるかも愛しきやし君が使の数多く通へば
0788 うら若み花咲き難き梅を植ゑて人の言しげみ思ひそ吾がする
また家持が藤原朝臣久須麻呂に贈れる歌二首
0789 心ぐく思ほゆるかも春霞たな引く時に言の通へば
0790 春風の音にし出なば在りさりて今ならずとも君がまにまに
藤原朝臣久須麻呂が来報ふる歌二首
0791 奥山の岩蔭に生ふる菅の根のねもごろ我も相思はざれや
0792 春雨を待つとにしあらし我が屋戸の若木の梅もいまだ含めり
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