新元号【令和】『REIWA』
典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)
萬葉集 巻第十三
(とをまりみまきにあたるまき)
(作者名のない長歌。新旧の時代の歌が入り混じる)
鹿持雅澄『萬葉集古義』
是中長歌十六首*
3221 冬こもり 春さり来れば 朝には 白露置き 夕へには 霞棚引く 泊瀬のや* 木末が下に 鴬鳴くも
右一首。
3222 三諸は 人の守る山 本辺は 馬酔木花咲き 末辺は 椿花咲く うらぐはし山そ 泣く子守る山
右一首。
3223 天霧らひ 渡る日隠し* 九月の 時雨の降れば 雁がねも 乏しく来鳴く* 神奈備の 清き御田屋の 垣つ田の 池の堤の 百足らず 斎槻が枝に 瑞枝さす 秋のもみち葉 まき持たる 小鈴もゆらに 手弱女に 吾はあれども 引き攀ぢて 枝もとををに 打ち手折り 吾は持ちてゆく 君が挿頭に
反し歌
3224 独りのみ見れば恋しみ神奈備の山のもみち葉手折りけり君
右二首。
3225 天雲の 影さへ見ゆる 隠国の 泊瀬の川は 浦無みか 船の寄り来ぬ 磯無みか 海人の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも 沖つ波 競ひ漕入り来 海人の釣船
反し歌
3226 さざれ波たぎちて流る*泊瀬川寄るべき磯の無きが寂しさ
右二首。
3227 葦原の 瑞穂の国に 手向すと 天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より 言ひ継ぎ来たる 神奈備の 三諸の山は 春されば 春霞立ち 秋ゆけば 紅にほふ 神奈備の 三諸の神の 帯にせる 明日香の川の 水脈速み 生し溜めがたき 岩が根に* 苔生すまでに 新夜の 幸く通はむ 事計り 夢に見せこそ 剣大刀 斎ひ祭れる 神にしませば
反し歌
3228 神奈備の三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
3229 斎串立て神酒据ゑまつる神主の髻華の山影*見ればともしも
右三首。*
3230 帛まつり* 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石走る 神奈備山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば 古へ思ほゆ
反し歌
3231 月日はゆき変はれども*久に経る三諸の山の離宮ところ
右二首。*
3232 斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 磯榜ぎ廻みつつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 滝もとどろに 落つる白波
反し歌
3233 み吉野の滝もとどろに落つる白波留めにし妹に見せまく欲しき白波
右二首。
3234 やすみしし 我ご大王 高光る 日の御子の 聞こしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は* 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海も広し 見渡す 島も高し* そこをしも うらぐはしみか* ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に 内日さす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の 艷ひ栄えて 秋山の 色なつかしき 百敷の 大宮人は 天地と 日月とともに 万代にもが
反し歌
3235 山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
右二首。
3236 そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良山越えて 山背の 綴喜の原 ちはやぶる 宇治の渡 滝の屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の森の 皇神に 幣取り向けて 吾は越え行く 逢坂山を
右一首。*
3237 青丹よし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 処女らに 逢坂山に 手向種 幣取り置きて 我妹子に 淡海の海の 沖つ波 来寄す浜辺を くれくれと 独りそ吾が来し 妹が目を欲り
反し歌
3238 逢坂をうち出て見れば淡海の海白木綿花に波立ち渡る
右三首。
3239 近江の海 泊八十あり 八十島の 島の崎々
あり立てる 花橘を ほつ枝に 黐引き懸け 中つ枝に 鵤懸け しづ枝に 比米を懸け 己が母を 取らくを知らに 己が父を 取らくを知らに 戯ひ居るよ 鵤と比米と
右一首。
3240 大王の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 速き瀬に 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡の 滾つ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向して 吾が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 吾が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣大刀 鞘ゆ抜き出て 伊香山 いかが吾がせむ 行方知らずて
反し歌
3241 天地を嘆き乞ひ祈み幸くあらばまた反り見む志賀の唐崎
右二首。*
3242 ももづたふ* 美濃の国の 高北の 泳の宮に 月に日に* 行かまし里を* ありと聞きて 我が通ひ道の 大吉蘇山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は衝けども 心なき 山の 大吉蘇山 美濃の山
右一首。
3243 処女らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝凪に 満ち来る潮の 夕凪に 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人処女ども うながせる 領布も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白妙の 袖振る見えつ 相思ふらしも
反し歌
3244 阿胡の海の荒磯の上のさざれ波吾が恋ふらくはやむ時もなし
右二首。
3245 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読の 持たる変若水 い取り来て 君に奉りて 変若得しむもの*
反し歌
3246 天照るや*日月のごとく*吾が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも
右二首。
3247 沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも 惜しき 君が 老ゆらく惜しも
右一首。
相聞 此中長歌二十九首。
3248 磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を
反し歌
3249 磯城島の大和の国に人二人ありとし思はば何か嘆かむ
右二首。
3250 蜻蛉島 大和の国は 神柄と 言挙げせぬ国
然れども 吾は言挙げす 天地の 神も甚だ 吾が思ふ 心知らずや 往影乃* 月も経ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸安からず 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずば 我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 吾は渡らむ 真澄鏡 直目に君を 相見てばこそ 吾が恋やまめ
反し歌
3251 大舟の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし
3252 久かたの都を置きて草枕旅ゆく君をいつとか待たむ
柿本朝臣人麿が歌集の歌に曰く
3253 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国
然れども 言挙げぞ吾がする 言幸く ま幸くませと 障みなく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 五百重波* 千重波しきに 言挙げぞ吾がする*
反し歌
3254 磯城島の大和の国は言霊の佐くる国ぞ真福くありこそ
右五首。
3255 古よ 言ひ継ぎ来らく 恋すれば 安からぬものと 玉の緒の 継ぎては言へど 処女らが 心を知らに そを知らむ よしの無ければ 夏麻びく 思ひなづみ* 刈薦の 心もしぬに 人知れず もとなそ恋ふる 息の緒にして
反し歌
3256 しばしばに思はず人はあらめどもしましくも吾は忘らえぬかも
3257 直に来ずこよ巨勢道から石橋踏み*なづみぞ吾が来し恋ひてすべなみ
或ル本、此歌一首ヲ以テ、紀ノ国ノ浜ニ寄ルチフ鮑玉拾ヒニト言ヒテ行キシ君イツ来マサム、チフ歌ノ反歌ナリトス。具ニハ下ニ見エタリ。但シ古本ニヨリテ亦茲ニ累載ス。 右三首。*
3258 あら玉の 年は来去りて 玉づさの 使の来ねば 霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし たらちねの 母の飼ふ蚕の 繭隠り 息づき渡り 吾が恋ふる 心のうちを 人に言はむ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば 白妙の 我が衣手も 通りて濡れぬ
反し歌
3259 かくのみし相思はざらば天雲の外にそ君はあるべくありける
右二首。
3260 小治田の 年魚道の水を 間無くそ 人は汲むちふ 時じくそ 人は飲むちふ 汲む人の 間無きがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 吾が恋ふらくは やむ時もなし
反し歌
3261 思ひ遣るすべのたづきも今は無し君に逢はずて年の経ぬれば
或る本の反し歌に曰く
3262 瑞垣の久しき時よ恋すれば吾が帯緩ぶ朝宵ごとに
右三首。
3263 隠国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 吾が思ふ妹も 鏡なす 吾が思ふ妹も ありと いはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰が故か行かむ
古事記ヲ検ルニ曰ク、件ノ歌ハ、木梨之輕太子、自ラ死レル時ニ作メリト。*
反し歌
3264 年渡るまてにも人はありちふをいつの間そも吾恋ひにける
或る書の反し歌に曰く
3265 世の中を憂しと思ひて家出せる吾や何にか還りてならむ
右三首。
3266 春されば 花咲き撓り 秋づけば 丹の秀に黄葉つ 味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 速き瀬に 生ふる玉藻の 打ち靡き 心は寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ふらくも しるくも逢へる 隠り妻かも
反し歌
3267 明日香川瀬々の玉藻の打ち靡き心は妹に寄りにけるかも
右二首。
3268 三諸の 神奈備山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧らひ 風さへ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
反し歌
3269 帰りにし人を思ふとぬば玉のその夜は吾も眠も寝かねてき
右二首。
3270 点し焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破薦を敷きて 打ち折らむ 醜の醜手を さし交へて 寝らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬば玉の 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
反し歌
3271 我が心焼くも吾なり愛しきやし君に恋ふるも我が心から
右二首。
3272 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立たまくの* たづきも知らず 居らまくの 奥処も知らず 親びにし 吾が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら 安からぬものを 嘆くそら 過ぐし得ぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の 麻笥を無みと 吾が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
反し歌
3273 二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
右二首。
3274 *白たへの 我が衣手を 折り返し 独りし寝れば ぬば玉の 黒髪敷きて 人の寝る 味眠は寝ずて 大舟の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寝る夜らを 数みもあへむかも
反し歌
3275 一人寝る夜を数へむと思へども恋の繁きに心神もなし
右二首。
3276a あしひきの* 山田の道を 敷妙の* 愛し妻と 物言はず 別れし来れば 早川の 行方も知らず 衣手の 帰るも知らに 馬じもの 立ちてつまづき*
3276b
為むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を 天地に 思ひ足らはし 魂合はば 君来ますやと 吾が嘆く 八尺の嘆き 玉ほこの 道来る人の 立ち止り いかにと問はば 言ひ遣らむ たづきを知らに さ丹頬ふ 君が名言はば 色に出て 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我を
反し歌
3277 眠をも寝ず吾が思ふ君はいづくへに今宵いませか*待てど来まさぬ
右二首。
3278 赤駒の 厩立て 黒駒の 厩立てて そを飼ひ 吾が行くごとく 思ひ妻 心に乗りて 高山の 峯のたをりに 射目立てて 鹿猪待つごとく 常しくに* 吾が待つ君を 犬な吠えそね
反し歌
3279 葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
右二首。
3280 我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬば玉の 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待つに* 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今更に 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて み袖もち 床打ち払ひ うつつには 君には逢はじ 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
或る本の歌に曰く
3281 我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬば玉の 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷に冴えわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今更に 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大舟の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はじ 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
反し歌
3282 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずは独りかも寝む
3283 今更に恋ふとも君に逢はめやも寝る夜を落ちず夢に見えこそ
右四首。
3284 菅の根の ねもころごろに 吾が思へる 妹によりてば 言の忌みも 無くありこそと 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂り 天地の 神をそ吾が祈む いたもすべなみ*
反し歌
3285 たらちねの母にも告らず包めりし心はよしゑ君がまにまに
或る本の歌に曰く
3286 玉たすき 懸けぬ時なく 吾が思へる 君によりてば 倭文幣を 手に取り持ちて 竹玉を 繁に貫き垂り 天地の 神をそ吾が乞ふ いたもすべなみ
反し歌
3287 天地の神を祈りて吾が恋ふる君に必ず逢はざらめやも
或る本の歌に曰く
3288 大船の 思ひ頼みて 松が根の* いや遠長く 吾が思へる 君によりてば 言の故も なくありこそと 木綿たすき 肩に取り懸け 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 天地の 神にそ吾が祈む いたもすべなみ
右五首。
3289 御佩を 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の 行方無み 吾がせし時に 逢ふべしと 卜へる君を* な寝そと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 吾は忘れじ 直に逢ふまでに
反し歌
3290 いにしへの神の時より逢ひけらし今心にも常忘らえず
右二首。
3291 み吉野の 真木立つ山に 繁に生ふる* 山菅の根の ねもころに 吾が思ふ君は 大皇の 任のまにまに 夷離る 国治めにと 群鳥の 朝立ちゆけば 後れたる 吾か恋ひなむ 旅ならば 君か偲はむ 言はむすべ せむすべ知らに あしひきの 山の木末に* はふ蔦の* 別れのあまた 惜しくもあるかも*
反し歌
3292 うつせみの命を長くありこそと留れる吾は斎ひて待たむ
右二首。
3293 み吉野の 御金の嶽に 間なくぞ 雨は降るちふ 時じくそ 雪は降るちふ その雨の 間なきがごと その雪の 時じきがごと 間もおちず 吾はそ恋ふる 妹が正香に
反し歌
3294 み雪降る吉野の嶽に居る雲のよそに見し子に恋ひ渡るかも
右二首。
3295 うちひさつ 三宅の原ゆ 直土に 足踏みつらね 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ 通はすも吾子 うべなうべな 母は知らず うべなうべな 父は知らず 蜷の腸 か黒き髪に 真木綿もち あざさ結ひ垂り 大和の 黄楊の小櫛を 抑へ刺す 敷妙の子は* それそ吾が妻
反し歌
3296 父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも
右二首。
3297 玉たすき 懸けぬ時なく 吾が思へる 妹にし逢はねば あかねさす 昼はしみらに ぬば玉の 夜はすがらに 眠も寝ずに 妹に恋ふるに 生けるすべ無し
反し歌
3298 よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ吾が恋ひ渡りなめ
右二首。
3299 見渡しに 妹らは立たし この方に 吾は立ちて 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも 榜ぎ渡りつつも 語らはましを*
或ル本ノ歌ノ頭句ニ云ク、こもりくの 泊瀬の川の 彼方に 妹らは立たし この方に 我は立ちて。* 右一首。
3300 押し照る 難波の崎に 引き上る 赤のそほ舟
そほ舟に 綱取り懸け 引こづらひ あり否みすれど 言ひづらひ あり否みすれど あり否み得ずぞ 言はれにし我が身
右一首。
3301 神風の 伊勢の海の 朝凪に 来依る深海松 夕凪に 来寄る俣海松 深海松の 深めし吾を 俣海松の また行き帰り 妻と 言はじとかも 思ほせる君
右一首。
3302 紀の国の 牟婁の江の辺に 千年に 障むことなく 万代に かくしもあらむと 大舟の 思ひ頼みて 出立ちの 清き渚に 朝凪に 来依る深海松 夕凪に 来依る縄海苔 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引かば絶ゆとや 里人の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り 梓弓 弓腹振り起し しのき羽を 二つ手挟み 放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思へば
右一首。
3303 里人の 吾に告ぐらく 汝が恋ふる 愛し夫は もみち葉の 散り乱れたる 神奈備の その山辺から* ぬば玉の 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫は逢へりと 人そ告げつる
反し歌
3304 聞かずして黙もあらましを何しかも君が正香を人の告げつる
右二首。
問答
3305 物思はず 道行きなむも 春山を 振り放け見れば 躑躅花 にほひ処女 桜花
栄え処女
汝をそも 吾に寄すちふ 吾をそも* 汝に寄すちふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
反し歌
3306 如何にして恋やむものぞ天地の神を祈れど吾は思ひ益す
3307 しかれこそ 年の八年を 切る髪の 我が肩*を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て
反し歌
3308 天地の神をも吾は祈りてき恋ちふものはかつて止まずけり
柿本朝臣人麿が集の歌に云く
3309 物思はず 道行きなむも 春山を 振り放け見れば 躑躅花 にほえ処女 桜花 栄え処女
汝をぞも 吾に寄すちふ 吾をぞも 汝に寄すちふ 汝は如何に思ふや 思へこそ 年の八年を 切る髪の 吾が肩を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぐり
この川の 下にも長く 汝が心待て
右五首。
3310 隠国の 泊瀬の国に さよばひに 吾が来れば たな曇り 雪は降り来ぬ さ曇り 雨は降り来ぬ 野つ鳥 雉は響む 家つ鳥 鶏も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りて吾が寝む* この戸開かせ
反し歌
3311 隠国の泊瀬小国に妻しあれば石は踏めども猶し来にける
3312 隠国の 泊瀬小国 よばひせす 吾が背の君よ* 奥床に 母は寝たり 外床に 父は寝たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬば玉の 夜は明けゆきぬ ここだくも 思はぬごとく 隠ふ妻かも
反し歌
3313 川の瀬の石踏み渡りぬば玉の黒馬の来夜は常にあらぬかも
右四首。
3314 つぎねふ 山背道を 人夫の 馬より行くに 己夫の 徒歩より行けば 見るごとに 哭のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 吾が持たる まそみ鏡に 蜻蛉領巾 負ひ並め持ちて 馬買へ我が背
反し歌
3315 泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣裳濡らさむかも*
或る本の反し歌に曰く
3316 真澄鏡持てれど吾は験無し君が徒歩よりなづみ行く見れば
3317 馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも吾は二人行かむ
右四首。
3318 紀の国の 浜に寄るちふ 鮑玉 拾はむと言ひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉ほこの 道に出で立ち 夕卜を 吾が問ひしかば 夕卜の 吾に告らく 我妹子や 汝が待つ君は 沖つ波 来依す白玉 辺つ波の 寄する白玉
求むとそ 君が来まさぬ 拾ふとそ 君は来まさぬ 久ならば いま七日ばかり 早からば いま二日ばかり あらむとそ 君は聞こしし な恋ひそ我妹
反し歌
3319 杖衝き衝かずも吾は行かめども君が来まさむ道の知らなく
3320 直に行かずこゆ巨勢道から石瀬踏み求めそ吾が来し恋ひてすべなみ
3321 さ夜更けて今は明けぬと戸ひらきて紀へ行く君をいつとか待たむ
3322 門に居る娘子は内に*至るともいたくし恋ひば今帰り来む
右五首。
譬喩歌
3323 しなたつ 筑摩狭額田 息長の 越智の小菅
編まなくに い刈り持ち来 敷かなくに い刈り持ち来て 置きて 吾を偲はむ 息長の 越智の小菅
右一首。
挽歌
3324 かけまくも あやに畏し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 多くいませど 往き易る* 年の緒長く 仕へ来し 君の御門を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて いつしかも 我が大王の 天の下* しろしいまして* 望月の 満しけむと 吾が思へる 皇子の尊は 春されば 植槻が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに 露負ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の朝は 刺し柳 根張り梓を 大御手に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が大王を 煙立つ 春の日暮らし 真澄鏡 見れど飽かねば 万代に かくしもがもと 大船の 頼める時に 吾が涙* 目かも惑はす 大殿を 振り放け見れば 白たへに 飾りまつりて 内日さす 宮の舎人は* 栲の秀の 麻衣着るは 夢かも 現前かもと 曇り夜の 惑へるほとに 麻裳よし 城上の道ゆ つぬさはふ 磐余を見つつ 神葬り 葬りまつれば 行く道の たづきを知らに 思へども 験を無み 嘆けども 奥処を無み 御袖もち 触りてし松を 言問はぬ 木にはあれども あら玉の 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はな 畏かれども
反し歌
3325 つぬさはふ磐余の山に白たへに懸かれる雲は大君ろかも
右二首。
3326 磯城島の 大和の国に 如何さまに 思ほしめせか 連れもなき 城上の宮に 大殿を 仕へ奉りて 殿隠り 隠りいませば 朝には 召して遣はし 夕へには 召して遣はし 遣はしし 舎人の子らは 行く鳥の 群れて侍ひ あり待てど 召し賜はねば 剣大刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひ散らし 臥いまろび ひづち哭けども 飽き足らぬかも
右一首。
3327 百小竹の 三野の王 西の厩 立てて飼ふ駒
東の厩 立てて飼ふ駒 草こそは 取りて飼ひなめ* 水こそは 汲みて飼ひなめ* 何しかも 葦毛の馬の 嘶え立ちつる
反し歌
3328 衣手を葦毛の馬の嘶ゆ声心あれかも常ゆ異に鳴く
右二首。
3329a
白雲の 棚引く国の 青雲の 向伏す国の 天雲の 下なる人は 吾のみかも 君に恋ふらむ 吾のみし 君に恋ふれば*
3329b 天地に 満ち足らはして* 恋ふれかも 胸の病める 思へかも 心の痛き 吾が恋ぞ 日に異にまさる いつはしも 恋ひぬ時とは あらねども この九月を 我が背子が 偲ひにせよと 千代にも 偲ひ渡れと 万代に 語り継がへと 始めてし この九月の 過ぎまくを いたもすべなみ あら玉の 月の変れば せむすべの たどきを知らに 岩が根の こごしき道の 岩床の 根延へる門に 朝には 出で居て嘆き 夕へには 入り居恋ひつつ
3329c
ぬば玉の 黒髪敷きて 人の寝る 味寝は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寝る夜らは 数みもあへぬかも
右一首。
3330 隠国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 鵜を八つ潜け 下つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎を食はしめ 下つ瀬の 鮎を食はしめ 麗し妹に 副ひてましを* 投ぐるさの 遠ざかり居て 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 衣こそは それ破れぬれば 縫ひつつも またも合ふといへ 玉こそは 緒の絶えぬれば 縛りつつ またも合ふといへ またも 逢はぬものは 妹にしありけり
3331 隠国の 泊瀬の山 青陸田の 忍坂の山は 走出の 宜しき山の 出立ちの 妙しき山ぞ 惜しき 山の 荒れまく惜しも
3332 高山と 海とこそは 山ながら かくも現しく 海ながら しかも直ならめ 人は 花ものそ うつせみの世人
右三首。
3333 大王の 命畏み 蜻蛉島 大和を過ぎて 大伴の 御津の浜辺ゆ 大舟に 真梶しじ貫き 朝凪に 水手の声喚び* 夕凪に 梶の音しつつ 行きし君 いつ来まさむと 幣置きて* 斎ひ渡るに 狂言や 人の言ひつる 我が心 筑紫の山の もみち葉の 散り過ぎにしと 君が正香を
反し歌
3334 狂言や人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
右二首。
3335 玉ほこの 道行く人は あしひきの 山行き野行き 直渡り* 川行き渡り 鯨魚取り 海道に出でて 畏きや 神の渡は 吹く風も 和には吹かず 立つ波も
疎には立たず 敷波の 立ち塞ふ道を 誰が心 いとほしとかも 直渡りけむ
3336 鳥が音も 聞こえぬ海に* 高山を 隔てになして 沖つ藻を 枕になして 蜻蛉羽の* 衣だに着ずに 鯨魚取り 海の浜辺に 心もなく 寝たる人は 母父に 愛子にかあらむ 若草の 妻かあるらむ* 思ほしき 言伝てむやと 家問へば 家をも告らず 名を問へど 名だにも告らず 泣く子なす 言だに問はず 思へども 悲しきものは 世の中にあり
反し歌
3337 母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ*人の悲しさ
3338 あしひきの山道は行かむ風吹けば波の立ち塞ふ海道は行かじ
或る本の歌
備中国*神島の浜にて調使首が屍を見てよめる歌一首、また短歌
3339 玉ほこの 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き 直渉り* 川行き渡り 鯨魚取り 海道に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たず 恐きや 神の渡の 敷波の 寄する浜辺に 高山を 隔てに置きて 浦沙を 枕に巻きて うらもなく 臥やせる君は 母父の 愛子にもあらむ 若草の 妻もあらむと 家問へど 家道も言はず 名を問へど 名だにも告らず 誰が言を いとほしみかも 敷波の 恐き海を 直渉りけむ
反し歌
3340 母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
3341 家人の待つらむものを連れもなき荒磯を枕きて伏せる君かも
3342 浦沙に臥やせる君を今日今日と来むと待つらむ妻し悲しも
3343 浦波の来寄する浜に連れもなく臥やせる君が家道知らずも
右九首。
3344 この月は 君来まさむと 大舟の 思ひ頼みて いつしかと 吾が待ち居れば もみち葉の 過ぎて行きぬと 玉づさの 使の言へば 蛍なす ほのかに聞きて 天地を 乞ひ祈み嘆き* 立ちて居て 行方も知らに 朝霧の 思ひ惑ひて 杖足らず 八尺の嘆き 嘆けども 験を無みと いづくにか 君がまさむと 天雲の 行きのまにまに 射ゆ鹿猪の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば 独り居て 君に恋ふるに 哭のみし泣かゆ
反し歌
3345 葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ
右二首。但シ或ヒト云ク、此ノ短歌ハ防人ノ妻ガ作メル也。然レバ長歌モ亦此ノ同作ナリト知ルベシ。
3346 見さくれば* 雲居に見ゆる 愛しき 十羽の松原
童ども いざわ出で見む こと避かば 国に離かなむ こと避かば 家に離かなむ 天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日に 妻離くべしや
反し歌
3347 草枕この旅の日に妻離り家道思ふに生かむすべ無し
或ル本ノ歌ニ曰ク、旅の日にして。
右二首。
巻第十三 了
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引用文献
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