新元号【令和】『REIWA』 「Beautiful Harmony=美しい調和」
典拠巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)
(YouTube)
【原文】 「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」
|
【書き下し文】
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
|
【現代日本語訳】
時は初春の令き月(※この場合『令』は”物事のつやがあるように美しい”の意)、空気は美しく、風は和やかで、梅は美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う<香のように薫らせる。
|
【意味・理由】
人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。
梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。
|
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる*梅の花の歌三十二首、また序
天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。
【 時に初春の令月、気淑く風和
ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。】
加以曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて盖を傾け、夕岫に霧を結び、鳥はうすもの*に封りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐にして、膝を促して觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情をのベむ*。請ひて落梅の篇を紀さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠を成むベし。
0815 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐紀卿
0816 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも
少弐小野大夫
0817 梅の花咲きたる園の青柳は縵にすべく成りにけらずや
少弐粟田大夫
0818 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫
0819 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを
豊後守大伴大夫
0820 梅の花今盛りなり思ふどち挿頭にしてな今盛りなり
筑後守葛井大夫
0821 青柳梅との花を折り挿頭し飲みての後は散りぬともよし
某官笠氏沙弥*
0822 我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも
主人
0823 梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ
大監大伴氏百代*
0824 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも
少監阿氏奥島
0825 梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村
0826 打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ
大典史氏大原
0827 春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に
少典山氏若麻呂
0828 人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも
大判事舟氏麻呂
0829 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや
薬師張氏福子
0830 万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし
筑前介佐氏子首
0831 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに
壹岐守板氏安麻呂
0832 梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし
神司荒氏稲布
0833 年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ
大令史野氏宿奈麻呂
0834 梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来たるらし
少令史田氏肥人
0835 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも
薬師高氏義通
0836 梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり
陰陽師磯氏法麻呂
0837 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く
算師*志氏大道
0838 梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて
大隅目榎氏鉢麻呂
0839 春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る
筑前目田氏眞人
0840 春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏の上に
壹岐目村氏彼方
0841 鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老
0842 我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人
0843 梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通
0844 妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも乱ふ梅の花かも
小野氏国堅
0845 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為
筑前拯門氏石足
0846 霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理
員外故郷思ふ歌両首
0847 我が盛りいたく降ちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
0848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき吾が身また変若ぬべし
後に追ひて和める梅の歌四首
0849 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
0850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
0851 我が屋戸に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
0852 梅の花夢に語らく風流たる花と吾思ふ酒に浮かべこそ
松浦河に遊びて贈り答ふる歌八首、また序
余暫く松浦県に往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等に値へり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上に発く。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。僕問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑神仙ならむか」。娘等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫の舎の児、草菴の微しき者、郷も無く家も無し。なぞも称を云るに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚を羨しみ、乍は巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅に貴客に相遇ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官対ひて曰く、「唯々、敬みて芳命を奉はりき」。時に日は山西に落ち、驪馬去なむとす。遂に懐抱を申べ、因て詠みて贈れる歌に曰く、
0853 漁りする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
答ふる詩に曰く、
0854 玉島のこの川上に家はあれど君を恥しみ顕はさずありき
蓬客等また贈れる歌三首
0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
0856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
0857 遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我こそ巻かめ
娘等また報ふる歌三首
0858 若鮎釣る松浦の川の川波の並にし思はば我恋ひめやも
0859 春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
0860 松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ
後れたる人の追ひて和める詩三首
都帥老*
0861 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
0862 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我は恋ひつつ居らむ
0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨しさ
吉田連宜が答ふる歌四首*
宜啓す。伏して四月の六日の賜書を奉り、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月を懐きしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天を披きしが若し。至若、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙を落す。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏して冀くは、朝に雉*を懐くる化を宣べ、暮に亀を放つ術を存ち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ*、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作に類へ、衡皐税駕の篇に疑ふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。宜主を恋ふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心葵カク*に同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。何も労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使に因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。
諸人の梅の花の歌に和へ奉る一首
0864 後れ居て長恋せずは御苑生の梅の花にも成らましものを
松浦仙媛の歌に和ふる一首
0865 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
君を思ふこと未だ尽きずてまた題せる二首
0866 はろばろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
0867 君が行日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり
天平二年七月の十日。
山上臣憶良が松浦の歌三首*
憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、並典法に依りて部下を巡行し、其の風俗を察る。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、
0868 松浦県佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
0869 足姫神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰見き
0870 百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
天平二年七月の十一日、筑前国司山上憶良謹みて上る。
領巾麾の嶺を詠める歌一首*
大伴佐提比古の良子、特朝命を被ふり、藩国に奉使けらる。艤棹して帰き、稍蒼波を赴む。その妾松浦佐用嬪面、此の別れの易きを嗟き、彼の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かに離り去く船を望む。悵然として腸を断ち、黯然として魂を銷つ。遂に領巾を脱きて麾る。傍者流涕まざるはなかりき。因此の山を領巾麾の嶺と曰くといへり。乃ち作歌すらく、
0871 遠つ人松浦佐用姫夫恋に領巾振りしより負へる山の名
後の人が追ひて和ふる歌一首
0872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
最後の人が追ひて和ふる歌一首
0873 万代に語り継げとしこの岳に領巾振りけらし松浦佐用姫
最最後の人が追ひて和ふる歌二首
0874 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
0875 ゆく船を振り留みかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
書殿に餞酒せる日の倭歌四首
0876 天飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの
0877 人皆の*うらぶれ居るに立田山御馬近づかば忘らしなむか
0878 言ひつつも後こそ知らめ暫しくも*寂しけめやも君いまさずして
0879 万代にいまし給ひて天の下奏し給はね朝廷去らずて
敢へて私懐を布ぶる歌三首
0880 天ざかる夷に五年住まひつつ都の風俗忘らえにけり
0881 かくのみや息づき居らむあら玉の来経ゆく年の限り知らずて
0882 吾が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げ賜はね
天平二年十二月の六日、筑前国司山上憶良、謹みて上る。
三島王の後に追ひて和へたまへる松浦佐用嬪面の歌一首
0883 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
大典麻田連陽春が大伴君熊凝に為りて志を述ぶる歌二首*
0884 国遠き道の長手をおほほしく恋ふや過ぎなむ言問もなく
0885 朝露の消やすき吾が身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り
筑前の国司守山上憶良が、熊凝に為りて其の志を述ぶる歌に敬みて和ふるうた六首、また序
大伴君熊凝は、肥後国益城郡の人なり。年十八歳。天平三年六月の十七日を以て、相撲使某の国の司官位姓名の従人と為り、京都に参向る。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡高庭の駅家にて、身故りぬ。臨終らむとする時、長歎息きて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、並菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふ泣を致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途を患へず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首を作みて死りぬ。其の歌に曰く、
0886 打日さす 宮へ上ると たらちしの 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎゆき いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど おのが身し 労はしければ 玉ほこの 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ
0887 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか吾が別るらむ
0888 常知らぬ道の長手を暗々といかにか行かむ糧は無しに
0889 家にありて母が取り見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも
0890 出でてゆきし日を数へつつ今日今日と吾を待たすらむ父母らはも
0891 一世には二遍見えぬ父母を置きてや長く吾が別れなむ
貧窮問答の歌一首、また短歌
0892 風雑り 雨降る夜の 雨雑り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろひて 咳かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾をおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りやたまはぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾も作るを 綿も無き 布肩衣の 海松のごと 乱け垂れる かかふのみ 肩に打ち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へ吟ひ 竈には 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を 端切ると 云へるが如く 笞杖執る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
0893 世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
0900 富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも*
0901 荒布の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み
山上憶良頓首謹みて上る。
好去好来の歌一首、また短歌*
0894 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 倭の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選びたまひて 大御言
反云、大命 戴き持ちて 唐の 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます 諸々の 大御神たち 船の舳に反云、フナノヘニ 導きまをし 天地の 大御神たち 倭の 大国御魂 久かたの 天のみ空ゆ 天翔り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には 又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく 阿庭可遠志* 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ
反し歌
0895 大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ
0896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
天平五年三月の一日
良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。 大唐大使の卿の記室。
沈痾自哀文 山上憶良作
竊かに以るに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を度ることを得
謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす
謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。况乎我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し
謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く
毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたること鮮し
謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎恥しき*かも、我何なる罪を犯してか此の重疾に遭へる
謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来、年月稍多し
謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし
二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足の驢に比ふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累がるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しは妄なれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと
扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、投るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフ*の人なり。若し病結積れ沈重れる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして差ゆ。件の医を追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳きて百病を抄採り、尋ねて膏盲*の奥処*に達り
盲*は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むること可からず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと欲
謂ふは、晉の景公疾み、秦の医緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す
聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ
志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活ることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、必も此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食を節む」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其の当に死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽カク*期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死は畏るべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と為む。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだに直せず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿なり」と
鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。慮らむと欲へば慮り絶ゆ、何に由りてか慮らむ。惟以みれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸く悉嗟歎く。歳月競ひ流れ、昼夜息はず
曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵し動ぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして
魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、劇に北芒*の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ
古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」。若夫群生品類、皆尽くること有る身を以て、並に窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を怡び、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、安ぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、頓に此の病を除き、頼に平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや
已に上に見ゆ。
俗道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序
竊に以るに、釋慈の示教
釋氏慈氏を謂へり、先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり、五戒
謂ふは、一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへりを開きて遍く法界を化け、周孔の垂訓は、前に三綱
謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり、五教謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへりを張りて、斉しく邦国を済ふ。故に知る、引導は二ありと雖も、悟を得たるは惟一なりと。但以れば世に恒質無し、所以に陵谷更に変る。人に定期無し、所以に寿夭同じからず。撃目の間、百齢已に尽き、申臂の頃、千代亦空し。旦には席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、黄泉は何にか及ばむ。隴上の青松、空しく信釼を懸け、野中の白楊、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室無く、原野唯長夜の台のみ有り。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価金無からむ。未だ独り存へて遂に世の終を見る者を聞かず、所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み、釋迦能仁は金容を双樹に掩へり。内教に曰く、「黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること莫かれ」と
徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る、生必ず死有り、死若し欲はざらむは、生まれぬには如かず。况乎縦ひ始終の恒数を覚るとも、何にぞ存亡の大期を慮らむ。
俗道の変化は撃目の如く 人事の経紀は申臂の如し 空しく浮雲と大虚を行き 心力共に尽きて寄る所無し
老身重病年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌五首
長一首、短四首
0897 玉きはる 現の限りは* 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 灌ぐちふごとく ますますも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと 老いにてある 吾が身の上に 病をら 加へてしあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿なす 騒く子どもを 棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ
反し歌
0898 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ
0899 すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど子等に障りぬ
0902 水沫なす脆き命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ
0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス
天平五年六月の丙申の朔三日戊戌作めり。
男子名は古日を恋ふる歌三首
長一首、短二首
0904 世の人の 貴み願ふ 七種の 宝も吾は 何せむに 願ひ欲せむ* 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷細の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に 掻き撫でて 言問ひ*戯れ 夕星の 夕べになれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな離り 三枝の 中にを寝むと 愛しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと 大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様風の にはかにも* 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに 白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額づき かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと* 立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに 漸々に かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ 玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる 吾が子飛ばしつ 世間の道
反し歌
0905 若ければ道行き知らじ賄はせむ下方の使負ひて通らせ
0906 布施置きて吾は祈ひ祷む欺かず直に率行きて天道知らしめ*
巻第五了
TOP
引用文献
|