姉妹篇
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国家建設
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【推薦: 少年日本史 (著者:平泉澄)】
【少年H 上篇・下篇 (講談社 著者:妹尾河童)
】
【永遠の0 (講談社 著者:百田尚樹)
】
正しい日本人 (日本の危機を救う!)
(家庭に一冊の本
A5判 740頁 (著者:平泉澄)
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「少年日本史」
The story of Japan (Hiraizumi Kiyoshi)>
国歌「君が代」
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Japan「Kimi Ga Yo」
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現代訳
(初版)
日本語、英語(English)
(目次)
01.國家建設
、
02.神武天皇
、
03.皇 紀(上)
、
04.皇 紀(下)
、
05.神 代(上)、
、
06.神 代(下)、
、
07.日本武尊
、
08.神功皇后
、
09.應神天皇
、
10.繼体天皇
、
11.聖徳天皇(上)
、
12.聖徳天皇(下)
、
13.大化改新
、
14.天智天皇
、
15.藤原京
、
16.平城京
、
17.記紀、風土記
、
18.萬葉集(上)
、
19.萬葉集(下)
、
20.大 佛
、
21.和気清麻呂
、
22.坂上田村麻呂
、
23.最澄と空海
、
24.平假名
、
25.片假名
、
26.古今集
、
27.竹取物語
、
28.源氏物語
、
29.延喜式
、
30.菅原道真
、
31.延喜、天暦
、
32.藤原氏の全盛
、
33.八幡太郎義家
、
34.御三條天皇
、
35.院 政
、
36.保元の亂(上)
、
37.保元の亂(下)
、
38.平治の亂
、
39.平家の全盛
、
40.源三位頼政
、
41.平家の都落
、
42.源義經(上)
、
43.源義經(下)
、
44.源頼朝(上)
、
45.源頼朝(下)
、
46.承久の御計畫(上)
、
47.承久の御計畫(下)
、
48.北條時宗
、
49.後醍醐天皇
、
50.楠木正成
、
51.建武の中興
、
52.吉野五十七年(一)
、
53.吉野五十七年(二)
、
54.吉野五十七年(三)
、
55.吉野五十七年(四)
、
56.室町時代
、
57.織田信長
、
58.豊臣秀吉
、
59.徳川家康
、
60.徳川家光
、
61.山鹿素行
、
62.山崎闇齋(上)
、
63.山崎闇齋(下)
、
64.本居宣長
、
65.水戸光圀
、
66.井伊直弼
、
67.橋本景岳
、
68.吉田松陰
、
69.孝明天皇
、
70.明治維新
、
71.西郷隆盛
、
72.明治天皇
、
73.二大戰役
、
74.大東亞戦争
はしがき
日本の少年よ!我が愛する皆さんよ!
私は今、皆さんに、大切な贈物をしようとしているのだ。それは何か? 即ち此の「少年日本史」だ。之を贈ろうとする考を、私は前々からいだいていた。
それは二十年近く前に、ある中學校で、急に講演をした時に始まる。私は云った。「皆さん! 皆さんはお氣の毒に、長く敵の占領下に在って、事實を事實として教えられる事が許されていなかった。今や占領は終った。重要な史實は、正しく之を知らねばならぬ」。こう云って、二、三の重要な歴史事實を説いた。
生徒一千人。その千人の目、二千の瞳は、私が壇上にある間は、壇上の私に集中し、壇を下りた時には、壇下の私に集中した。かえる歸ろうとして外へ出た時、生徒は一齊に外へ出て私を取卷いた。彼等は何も云わぬ。只穴のあくほど私を見つめるのみだ。私は自動車に乗った。車は生徒に取卷かれた。四、五人の生徒は、自動車の屋根の上へ這い上って來た。車はしばらく動きがとれなかった。
此の感動以來、私は眞實の歴史を、ひろく日本の少年、皆さんに語りたいと思いつづけて來た。機會は途に到來した。今や私は、皆さんに語りたいと思う事を、少年日本史一冊にまとめ、之を皆さんに贈る事が出來た。皆さん、どうか之を受け、之を通讀して下さい。
皆さんは日本人だ。皆さんを生んだものは、日本の歴史だ。その顔、その心、その言葉、それは皆幾百年前からの先祖より受けついだものだ。それを正しく受けついだ者が、正しい日本人だ。
從って、正しい日本人となる爲には、日本歴史の眞實を知り、之を受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戰敗れた後の我が國は、占領軍の干渉の爲に、正しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け八年にして解除せられた。然し歴史の學問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている。從って皆さんが、此の少年日本史を讃まれる時、それが一般に行なわれている書物と、大きく相違しているのに驚くであろう。
皆さんよ、人の貴いのは、それが誠實であるからだ。誠實は一切の徳の根本だ。その誠實を守る爲には、非常な勇氣を必要とするのだ。世の中には、自分の慾の爲に、事實を正しく視る事の出來ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事實を述べる勇氣のない人も多い。
今後の日本を携うべき少年の皆さん、敗戰の汚辱を拭い去って、光に充ちた日本の再興に當るべき皆さんは、何よりも先ず誠實でなければならぬ。そしてその誠實を一生守り通す勇氣を持たなければならぬ。
日本の歴史は、さような誠實と勇氣との結晶だ。凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成に與る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體でいえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覺をいだいてはならぬ。
私は今、数え年七十六歳だ。從って本書は、皆さんへの、最初の贈物であって、同時に最後の贈物となるであろう。私は戰で疲れ切った心身に、ようやく残る全力をあげて、一氣に之を書いた。
その原稿一千枚。それを私は歴史的假名遣で書いた。それが正しいと信ずるからだ。然し皆さんは學校で、現代假名遣しか學んでいない。よって時事通信杜は、皆さんの讀みやすいように現代假名遣に改めたいと希望した。私は他日、日本が正しい日本にかえる時、必ず歴史的假名遣にかえるに違いないと信じつつ、しばらくその申入を容認した。
昭和四十五年秋九月
再刊本はしがき
花を追ひて 二十日旅して 思へらく
日の本は猶(なほ) ひろくありけり
昭和三十年の春 九州より山陰へかけて、各地を巡遊した時の実感を、私は斯様に歌ひました。戦は悲運にも終わったとはいふものの、山河の秀麗依然たるのみならず、人々の心はあたたかく雄雄しく、昔に異ならぬを喜んだのであります。
その後15年を経て、少年日本史を著すに及んで、知る、知らぬ、数多くの人々に歓迎せられ、共鳴せられました事は、いよいよその感を深めたのでありました。それはまことに、桜の花。色いまだ褪せず、日本魂(やまとだましひ)猶剛健なるを信じせしめるに、十分でありました。
その後、不幸にして、初め之を出版した時事通信社の方針が変り、合意の上、契約を解除しましたが、今回、皇學館大學出版部の好意に依り、再刊の運びに至りました。願わくはひろく海内に流布して、正気の復活に貢献出来ますように。かように祈りつつ、再び之を純真なる日本の少年に贈るのであります。
表紙の絵は、旧刊と区別する為に、あらためて羽石(はねいし)画伯にお頼みしましたところ、御多用中にも拘らず快く之を容れて、十一歳の少年北條時宗が、将軍の御前に於いて、小笠懸(こかさがけ)を命ぜられ、駿馬を駈って、見事に的を射あてた英姿を描いて下さいました。その御好意に對し、厚く御礼申上げます。
昭和四十八年初冬 平泉 澄(ひらいずみ きよし)
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引用文献
GLN
、
「少年日本史」発行「皇學館大学出版部」
、
「THE STORY OF JAPAN」発行「青々企画」
、
「物語日本史」姉妹編「講談社学術文庫」
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平泉 澄 (検索)
英語(English)
江守孝三 emori kozo
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