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論語ー古典入門ー【論語は日本の文化】 
(第一部 孔子の生涯) (第二部 論語のことば)
 原文・書き下し文・現代語訳・英訳

【 小中学生に古典を語る 「論語(角川文庫)加地伸行著」 から内容を選んでいます。】 
古の人は男女七歳から「孝経」「論語」、次には「諸経」等を誦していた(「小学]」へリンク)

  (論語:加地伸行著) (論語指導士養成講座 1~24)(素読の思い出)(すらすら読める論語)(マンガ論語完全入門)

第一部 孔子の生涯

(一)孔丘少年(二)孔子の学校(三)不遇の時期(四政治の乱れ)(五)祖国の危機
(六)政治家孔子(七)流浪の旅(1)(八)流浪の旅(2)(九)運命ーそして別れ

(一) 孔丘少年

1-雍也第六 06-02

哀公問曰、弟子孰爲好學、孔子對曰、有顔囘、好學、不遷怒、不貳過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好學者也、

哀公あいこう問う、弟子ていし、たれか学を好むとなす。孔子こたえて曰く、顔回がんかいなる者ありて学を好みたり。怒りをうつさず、過ちをふたたびせず。不幸、短命にして死せり。今やすなわちなし。いまだ学を好む者あるをかざるなり。



2-為政第二02-04

子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、

いわく、われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にしてまどわず。五十にして天命を知り、六十にして耳したがう。七十にして心の欲するところに従ってのりえず。



3-述而第七07-21

子曰、我三人行、必得我師焉、擇其善者而從之、其不善者改之、

いわく、三人おこなえば、必ずわが師あり。その善き者をえらんでこれに従い、その善からざる者にしてはこれをあらたむ。



(二) 孔子の学校

4-述而第七07-13

子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也、

子、せいにありてしょうを聞く。三月肉の味を知らず。曰く、はからざりき、がくをなすのここに至るや。


5-泰伯第八08-08

子曰、興於詩、立於禮、成於樂、

いわく、詩におこり、礼に立ち、がくに成る。


6-學而第一 01-06

子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文、

いわく、弟子ていし、入りてはすなわち孝、出でてはすなわちてい、謹みて信あり、ひろく衆を愛して仁に親しみ、おこなって余力あればすなわちもってぶんを学べ。


(三) 不遇の時期

7-子路第十三13-05

子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専對、雖多亦奚以爲、

いわく、詩三百をしょう。これにさずくるにまつりごとをもってして達せず。四方に使いして専対せんたいするあたわずんば、多しといえどもまたなにをもってなさん。


8-學而第一 01-16

子曰、不患人之不己知、患己不知人也、

いわく、人のおのれを知らざるをうれえず、人を知らざるをうれうるなり。


9-學而第一01-01

子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

いわく、まなんでときにこれをならう。またよろこばしからずや。ともあり、遠方えんぽうよりたる。またたのしからずや。ひとらずしていきどおらず、また君子くんしならずや。

English


(四) 政治の乱れ

10-為政第二02-03

子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格、

いわく、これをみちびくにまつりごとをもってし、これをととのうるにけいをもってすれば、民まぬがれて恥なし。これをみちびくに徳をもってし、これをととのうるに礼をもってすれば、恥ありてかつただし。



11-顔淵第十二12-17

季康子問政於孔子、孔子對曰、政者正也、子帥而正、孰敢不正、

季康子きこうしまつりごとを孔子に問う。孔子対えて曰く、せいなる者は正なり。子、ひきいるに正をもってすれば、たれかあえてただしからざらん。


12-顔淵第十二12-18

季康子患盗、問於孔子、孔子對曰、苟子之不欲、雖賞之不竊、

季康子きこうしとううれえて、孔子に問う。孔子対えて曰く、いやしくも子の欲せざらんか、これをしょうすといえどもぬすまざらん。


13-顔淵第十二12-19

季康子問政於孔子、曰、如殺無道以就有道、何如、孔子對曰、子爲政、焉用殺、子欲善而民善矣、君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、

季康子きこうしまつりごとを孔子に問うて曰く、もし無道を殺してもって有道をさばいかん。孔子対えて曰く、子、まつりごとをなすにいずくんぞさつを用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風にして、小人の徳は草なり。草はこれに風をくわうれば必ずす。


14-雍也第六06-11

子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒、

子、子夏しかに謂いて曰く、なんじ君子のじゅとなれ。小人のじゅとなるなかれ。



(五) 祖国の危機

15-子罕第九09-22

子曰、後生可畏也、焉知來者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣、

いわく、後生こうせいおそるべし。いずくんぞ来者らいしゃの今にかざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、これまたおそるるにらざるなり。


(六) 政治家孔子

16-學而第一01-05

子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時、

いわく、千乗せんじょうの国をおさむるには、事をつつしみて信あり、用をせっして人を愛し、民を使うにときをもってす。


17-微子第十八18-04

齊人歸女樂、季桓子受之、三日不朝、孔子行、

斉人せいじん女楽じょがくおくる。季桓子きかんしこれを受け、三日ちょうせず。孔子る。


(七) 流浪の旅(その一)

18-先進第十一11-17

柴也愚、參也魯、師也辟、由也喭、

さいしんへきゆうがんなり。


19-為政第二02-15

子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、

いわく、学んで思わざればくらし。思って学ばざればあやうし。


20-雍也第六06-27

子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎、民鮮久矣、

いわく、中庸ちゅうようの徳たるや、それ至れるかな。民よくすることすくなきやひさし。


21-學而第一01-07

子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣、

子夏曰く、「賢賢たるかなとかげの色や」(賢を賢として色に易え)とあり。父母につかえてはよくその力をつくし、君に事えてよくその身をいたし、朋友と交わり、言いて信あらば、いまだ学ばずというといえども、われは必ずこれをまなびたりといわん。


22-顔淵第十二12-12

子曰、片言可以折獄者、其由也與、子路無宿諾、

いわく、片言へんげん、もってうったえさだむべき者は、それゆうなるか、と。子路しろ宿諾しゅくだくなかりき。


23-子罕第九09-28

子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼、

いわく、知者はまどわず。仁者じんしゃうれえず。勇者はおそれず。


(八) 流浪の旅ーその二

24-子罕第九09-12

子貢曰、有美玉於斯、韞匵 而藏諸、求善賈而沽諸、子曰、沽之哉、沽之哉、我待賈者也、

子貢曰く、ここに美玉びぎょくあり。ひつおさめてこれをぞうせんか。善賈ぜんこを求めてこれをらんか。いわく、これをらんかな、これを沽らんかな。われはを待つ者なり。


25-子罕第九09-05

子畏於匡、曰、文王既沒、文不茲乎、天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也、天之未喪斯文也、匡人其如予何、

子、きょうす。曰く、文王、すでに没し、文、ここに在らずや。天のまさに斯文しぶんほろぼさんとするや、後死こうしの者、斯文にあずかるを得ざらしめん。天のいまだ斯文を喪ぼさざるや、匡人きょうひと、それわれをいかんせん。


26-衛霊公第十五15-01

衛靈公問陳於孔子、孔子對曰、俎豆之事、則嘗聞之矣、軍旅之事、未之學也、明日遂行、 在陳絶糧、從者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣、

えい霊公れいこうちんを孔子に問う。孔子こたえて曰く、俎豆そとうことはすなわちかつてこれを聞けり。軍旅ぐんりょのことはいまだこれを学ばざるなり、と。明日めいじつついにる。
陳にありてりょうつ。従者病み、よくつことなし。子路しろいかまみえて曰く、君子もまた窮するあるか。いわく、君子もとより窮す。小人は窮すればここにらんす。

English


(九) 運命ーそして別れ

27-先進第十一11-08

顔淵死、子曰、噫天喪予、天喪予、

顔淵がんえん死す。いわく、ああ、天、われをほろぼすか。天、われをほろぼすか。


28-先進第十一11-09

顔淵死、子哭之慟、從者曰、子慟矣、子曰有慟乎、非夫人之爲慟、而誰爲慟、

顔淵がんえん死す。子、これをこくしてどうす。従者じゅうしゃ曰く、子、どうするか。曰く、どうあらんには、かの人のためにどうするにあらずして、がためにせん。


29-先進第十一11-22

子畏於匡、顔淵後、子曰、吾以女爲死矣、曰、子在、囘何敢死、

子、きょうす。顔淵がんえんおくる。いわく、われなんじをもって死せりとなす。曰く、子います。かい、なんぞあえて死せん。


30-雍也第六06-08


伯牛有疾、子問之、自牖執其手、曰、亡之、命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也、

伯牛はくぎゅうやまいあり。子これを問い、まどよりその手をる。曰く、これをうしなわん。めいなるかな。この人にしてこのやまいあり。この人にしてこのやまいあらんとは。


31-先進第十一11-11

季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死、

季路きろ鬼神きしんつかうるを問う。いわく、いまだ人につかうるあたわず、いずくんぞよくつかえん。曰く、あえて死を問う。曰く、いまだせいを知らず、いずくんぞ死をらん。


孔子の生涯 (終)

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第二部 論語のことば   

(一)家族(二)友情(三)学問(四)教養人と知識人(五)弟子とともに(六)生きかた
(七)幸福論(個人として)
(八)幸福論(政治を通じて)(九)運命(そして別れ)



(一) 家族

1-學而第一01-02

有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與、

有子ゆうしいわく、そのひととなりや孝悌こうていにして、かみを犯すをこのものすくなし。かみおかすことをこのまずして、らんをなすをこのものはいまだこれあらざるなり。君子くんしもとつとむ。もとちてみち しょうず。 孝悌こうていなる ものはそれ じんもとたるか。


2-里仁第四04-21

子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼、

いわく、父母の年は知らざるべからざるなり。いつにはもって喜び、一にはもっておそる。


3-為政第二02-24

子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、

いわく、そのにあらずしてこれを祭るはへつらいなり。義を見てなさざるはゆうなきなり。


4-顔淵第十二12-05

司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡、子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天、君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆爲兄弟也、君子何患乎無兄弟也、

司馬牛しばぎゅううれえて曰く、人にはみな兄弟けいていありて、われにひとりなし。子夏しか曰く、しょう、これを聞く。死生、命あり。富貴は天にあり、と。君子、つつしんで失なく、人にむかい恭にして礼あらば、四海のうち、みな兄弟けいていなり。君子、なんぞ兄弟なきをうれえんや。


5-子路第十三13-18

葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣、

葉公しょうこう、孔子に語りて曰く、わが党に直躬ちょくきゅうなる者あり。その父、ひつじぬすむ。しこうして、これをしょうせり。孔子曰く、わが党のなおき者はこれに異なり。父は子のためにかくし、子は父のために隠す。なおきことそのうちに在り。


(二) 友情

6-學而第一01-04

曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎

曾子そうしいわく、われはたびわがかえりみる。ひとのためにはかりてちゅうならざるか。朋友ほうゆうまじわりてしんならざるか。ならわざるをつたうるか。


7-公冶長第五05-25

顔淵季路侍、子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾、顔淵曰、願無伐善、無施勞、子路曰、願聞子之志、子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之、

顔淵がんえん季路きろす。いわく、なんぞおのおのなんじの志を言わざる。子路しろ曰く、願わくは車馬しゃば軽裘けいきゅうを、朋友とともにし、これをやぶりてうらむなからん。顔淵曰く、願わくは善にほこるなく、労を施しすることなからん。子路曰く、願わくは子の志を聞かん。いわく、老者ろうしゃはこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者しょうしゃはこれをなつけん。


8-顔淵第十二12-24

曾子曰、君子以文會友、以友輔仁、

曾子そうし曰く、君子はぶんをもって友をかいし、友をもって仁をたすく。



9-雍也第六06-03

子華使於齊、冉子爲其母請粟、子曰、與之釜、請益、曰與之庾、冉子與之粟五秉、子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘、吾聞之也、君子周急不繼富、原思爲之宰、與之粟九百、辭、子曰、毋、以與爾隣里郷黨乎、

子華しかせいに使いす。冉子ぜんし、その母のためにぞくを請う。いわく、これにを与えよ。さんことを請う。曰く、これにを与えよ。冉子、これに粟五へいを与う。いわく、赤の斉にくや、肥馬ひばり、軽裘けいきゅうる。われはこれを聞く。君子は急をすくうて富めるに継がず、と。原思げんし、これが宰たり。これに粟九百を与う。辞す。いわく、もってなんじが鄰里りんり郷党きょうとうに与うるなからんや。


10-衛霊公第十五15-09

子貢問爲仁、子曰、工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也、

子貢(しこう、仁を為さんことを問う。いわく、こう、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ずそのを利にす。是の邦に居るや、その大夫の賢なる者につかえ、その士の仁なる者を友とす。


11-季氏第十六16-04

孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣、
孔子曰く、益する者に三友あり、損する者に三友あり。なおきを友とし、まことあるを友とし、多聞たぶんを友とするは益なり。便辟べんぺきを友とし、善柔ぜんじゅうを友とし、便佞べんねいを友とするはそんなり。


(三) 学問

12-八イツ第三03-15



子入大廟、毎事問、或曰、孰謂人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、

、大廟に入り、事ごとに問う。或るひとの曰く、れか謂う、すうひと礼を知ると。大廟に入りてことごとに問えり。これを聞きて曰く、これれいなり。


13-衛霊公第十五15-30

子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思、無益、不如學也、

いわく、われかつて終日らわず、終夜ねずして、もって思うもえきなし。学ぶにしかざるなり。


14-子張第十九19-05

子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣、

子夏しか曰く、日にそのなきところを知り、つきにそのよくするところを忘るなし。学を好むとうべきのみ。


15-子張第十九19-06

子夏曰、博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣、

子夏(しか曰く、ひろく学びてあつく志し、せつに問いて近く思う。仁、そのうちにあり。


16-學而第一01-14

子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣

いわく、君子は食にくを求むるなく、きょやすきを求むるなし。事にびんにして言に慎しみ、有道ゆうどうに就いてただす。がくこのむというべきのみ。


17-為政第二02-02

子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、

いわく、詩は三百、一言にしてもってこれをおおえば、曰く、思いよこしまなし。


18-憲問第十四14-25

子曰、古之學者爲己、今之學者爲人、

いわく、いにしえの学者はおのれのためにす。今の学者は人のためにす。


19-季氏第十六16-09

孔子曰、生而知之者、上也、學而知之者、次也、困而學之、又其次也、困而不學、民斯爲下矣、

孔子曰く、生れながらにしてこれを知る者はかみなり。学んでこれを知る者はつぎなり。くるしんでこれを学ぶは、またその次なり。くるしんで学ばず、ここにおいてしもとなす。


20-為政第二02-17

子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、

いわく、ゆうや、なんじにこれをることをおしえんか。これをるをばこれをるとなし、らざるをらずとなす。これれるなり。


21-述而第七07-08


子曰、不憤不啓、不不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也、

いわく、いきどおらざればけいせず。せざれば発せず。一隅いちぐうげて、三隅さんぐうをもってかえさざれば、またせざるなり。


22-衛霊公第十五15-15

子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣、

いわく、これをいかん、これをいかんと曰わざる者は、われこれをいかんともするきのみ。


23-述而第七07-02

子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉、

いわく、黙してこれをり、学んでいとわず、人をおしえてまず。われにおいて何かあらんや


(四) 教養人と知識人

24-為政第二02-13

子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之、

子貢しこう、君子を問う。いわく、まずおこなえ。そのげんはしかるのちにこれにしたがう。


25-里仁第四04-24

子曰、君子欲訥於言、而敏於行、

いわく、君子は言にとつにして、行ないにびんならんことをほっす。


26-顔淵第十二12-16

子曰、君子成人之美、不成人之惡、小人反是、

いわく、君子は人の美をなし、人の悪をなさず。小人しょうじんはこれにはんす。


27-衛霊公第十五15-20

子曰、君子求諸己、小人求諸人、

いわく、君子はこれをおのれに求め、小人しょうじんはこれを人に求む。


28-衛霊公第十五15-21

子曰、君子矜而不爭、羣而不黨、

いわく、君子はほこりて争わず、ぐんしてとうせず。


29-衛霊公第十五15-22

子曰、君子不以言擧人、不以人廢言、

いわく、君子は言をもって人をげず、人をもって言をはいせず。



30-子路第十三13-23

子曰、君子和而不同、小人同而不和、

いわく、君子はしてどうぜず、小人は同じて和せず。


31-子路第十三13-26

子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、

いわく、君子はやすくしておごらず。小人は驕りて泰からず。


32-子路第十三13-27

子曰、剛毅朴訥近仁、

いわく、ごうぼくとつなるは仁に近し。


33-雍也第六06-25

子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、

いわく、君子はひろぶんを学び、これをやくするに礼をもってすれば、またもってそむかざるべし。


34-雍也第六06-16

子曰、質勝文勝質則史、文質彬彬、然後君子、

いわく、しつぶんに勝れば、文、質に勝れば文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかるのちに君子くんしなり。


35-陽貨第十七17-02

子曰、性相近也、習相遠也、

いわく、せい、あい近し。ならいあい遠し。


36-憲問第十四14-05

子曰、有徳者必有言、有言者不必有徳、仁者必勇、勇者不必有仁、

(いわく、徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者じんしゃは必ず勇あり。勇者ゆうしゃは必ずしもじんあらず。


(五) 弟子とともに

37-先進第十一11-02

子曰、從我於陳蔡者、皆不及門者也、徳行顔淵閔子騫冉伯牛仲弓、言語宰我子貢、政事冉有季路、文學子游子夏、

いわく、われにちんさいに従いし者は、みな門に及ばざりき。徳行とくこうには顔淵がんえん閔子騫びんしけん冉伯牛ぜんはくぎゅう仲弓ちゅうきゅう。言語には宰我さいが子貢しこう政事せいじには冉有ぜんゆう季路きろ。文学には子游しゆう子夏しかありき。


38-子罕第九09-21

子曰、苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫、

いわく、なえにしていでざるものあるかな。秀いでてみのらざるものあるかな。


39-雍也第六06-10

冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而癈、今女畫、

冉求ぜんきゅう曰く、の道をよろこばざるにはあらず。力足らざるなり。いわく、力の足らざる者は、中道にしてはいす。今、なんじはかぎる。


40-述而第七07-10

子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏、唯我與爾有是夫、子路曰、子行三軍、則誰與、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事而懼、好謀而成者也、

子、顔淵がんえんに謂いて曰く、これを用うればすなわち行ない、これをけばすなわちかくる。ただわれとなんじとのみこれあるかな。子路曰く、、三軍をらば、すなわちたれとともにせん。いわく、とらかわわた、死していなき者は、われくみせざるなり。必ずやことに臨んでおそれ、はかりごとを好んでなすものなり。


41-泰伯第八08-06

曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也、

曾子そうし曰く、もって六尺りくせきたくすべく、もって百里ひゃくりめいを寄すべし。大節たいせつに臨んで奪うべからざるなり。君子人くんしじんか、君子人くんしじんなり。


42-顔淵第十二12-04

司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼、

司馬牛しばぎゅう、君子を問う。いわく、君子はうれえずおそれず。曰く、憂えず懼れず。ここにこれを君子と謂うか。いわく、内にかえりみてやましからずんば、それ何をか憂え、何をかおそれん。


43-陽貨第十七17-04

子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戲之耳、

子、武城ぶじょうき、絃歌げんかの声を聞く。夫子、莞爾かんじとして笑って曰く、?けいくに、なんぞ牛刀ぎゅうとうを用いん。子游しゆう対えて曰く、昔はえんや、これを夫子に聞く。曰く、君子みちを学べば人を愛し、小人みちを学べば使いやすし、と。いわく、二三子にさんしえんの言なり。前言はこれにたわむれしのみ。


44-公冶長第五05-09

宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可朽也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聽其言而信其行、今吾於人也、聽其言而觀其行、於予與改是

宰予さいよ昼寝ひるいぬ。いわく、朽木きゅうぼくるべからず。糞土ふんどかき?るべからず。予においてか何をかめん。いわく、始めわれ、人においてや、その言を聴きてその行いをしんじたりき。今われ、人においてや、その言を聴きてその行いをる。予においてか、これをあらためたり。


45-季氏第十六16-13

陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、

陳亢ちんこう伯魚はくぎょに問うて曰く、もまた異聞いぶんあるか。対えて曰く、いまだし。かつてひとり立つ。はしりて庭をぐ。曰く、詩を学びたるか。対えて曰く、いまだし。(曰く)詩を学ばざれば、もって言うなし、と。、退いて詩を学ぶ。他日またひとり立つ。はしりて庭をぐ。曰く、礼を学びたるか。対えて曰く、いまだし。(曰く)礼を学ばざれば、もって立つなし、と。、退いて礼を学べり。この二者を聞く。陳亢ちんこう退き、喜んで曰く、一を問うて三を得たり。詩を聞き礼を聞き、また君子のその子をとおざくるを聞けり。


(六) 生きかた

46-衛霊公第十五15-23

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、

子貢、問うて曰く、一言いちげんにしてもって終身これを行なうべきものあるか。いわく、それじょか。おのれの欲せざるところは人にほどこすことなかれ。


47-里仁第四04-15

子曰、參乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已無、

いわく、しんや、わが道はいつもってこれをつらぬく。曾子曰く、。子ず。門人、問うて曰く、なんのいぞや。曾子曰く、夫子ふうしの道は忠恕ちゅうじょのみ。


48-里仁第四04-09

子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也、

いわく、士、道に志して、悪衣あくい悪食あくしょくを恥ずる者は、いまだともにはかるに足らざるなり。


49-里仁第四04-05

子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是、

いわく、富とたっときとはこれ人の欲するところなり。らざるなり。貧といやしきとはこれ人の悪むところなり。その道をもってこれを得しにあらざればらざるなり。君子は仁を去りて、いずくにか名を成さん。君子は終食の間も仁にたがうなく、造次ぞうじにも必ずここにおいてし、巓沛てんぱいにも必ずここにおいてす。


50-學而第一01-15

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、

子貢しこう曰く、貧にしてへつらうなく、富みておごるなきはいかん。いわく、可なり。いまだ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者にしかざるなり。子貢曰く、詩に云う、「せっするがごとくするがごとく、たくするがごとく磨するがごとし」と。それこれのいか。いわく、や、始めてともに詩を言うべきのみ。これにくを告げて、来るを知るものなればなり。


51-衛霊公第十五15-29

子曰、過而不改、是謂過矣、

(いわく、あやまちて改めず、これを過ちと謂う。


52-子張第十九19-21

子貢曰、君子之過也、如日月之蝕焉、過也人皆見之、更也人皆仰之、

子貢しこう曰く、君子のあやまちや、日月じつげつしょくのごとし。あやまてば人みなこれを見る。あらたむれば人みなこれをあおぐ。


53-憲問第十四14-23

子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之、

子路しろきみつかえんことを問う。いわく、あざむくなかれ。しこうしてこれをおかせ。


54-子罕第九09-18

子曰、譬如爲山、未成一簣、止吾止也、譬如平地、雖覆一簣、進吾往也、

いわく、たとえば山をつくるがごとし。いまだ成らざること一簣いっきなるも、むはわれ止むなり。たとえば地をたいらにするがごとし。一簣いっきえすといえども、進むはわれくなり。


55-子路第十三13-13

子曰、苟正其身矣、於從政乎何有、不能正其身、如正人何、

いわく、いやしくもその身を正しくせば、まつりごとに従うにおいて何かあらん。その身を正しくするあたわずんば、まつりごとをいかんせん。



56-顔淵第十二12-01

顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、顔淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣、

顔淵がんえん、仁を問う。いわく、おのれにち、礼にえるを仁となす。一日、おのれにちて礼にえらば、天下仁にせん。仁をなすはおのれにる。しこうして人に由らんや。顔淵曰く、そのもくを請い問う。いわく、非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。顔淵曰く、回、不敏ふびんなりといえども、請う、この語をこととせん。

English


57-衛霊公第十五15-08

子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、

いわく、志士しし仁人じんじんは、生を求めてもって仁をがいするなく、身を殺してもって仁をすあり。


58-泰伯第八08-07

曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、人以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎、

そうし曰く、はもって弘毅こうきならざるべからず。にんおもくして道遠し。仁もっておのが任となす。また重からずや。死してのちむ。また遠からずや。


59-里仁第四04-08

子曰、朝聞道、夕死可矣、

いわく、あしたに道を聞けば、ゆうべに死すともなり。


60-陽貨第十七17-14

子曰、道聽而塗説、徳之棄也、

いわく、道すがら聴きて、みちすがら説くは、徳をこれつるなり。


61-郷党第十10-12

厩焚、子退朝曰、傷人乎、不問馬、

うまやけたり。子、ちょうより退いて曰く、人をきずつくるか、と。馬をわず。


62-子罕第九09-27

子曰、歳寒、然後知松栢之後彫也、

いわく、とし寒くして、しかるにちに松栢しょうはくの後れてしぼむを知るなり。


(七) 幸福論ー個人として

63-為政第二02-11

子曰、温故而知新、可以爲師矣、

いわく、ふるきをたずねて新しきを知れば、もって師たるべし。


64-述而第七07-29

子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣、

いわく、じんとおからんや。われ仁を欲すれば、ここに仁いたる。


65-里仁第四04-25

子曰、徳不孤、必有鄰、

いわく、徳はならず、必ずとなりあり。


66-雍也第六06-09

子曰、賢哉囘也、一箪食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂、賢哉囘也、

いわく、けんなるかなかいや。一たん、一ぴょういん陋巷ろうこうにあり。人はその憂えにえず。回やその楽しみをあらためず。賢なるかなかいや。


67-述而第七07-15

子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲、

いわく、疏食そしくらい水を飲み、ひじを曲げてこれをまくらとす。楽しみまたその中にあり。不義ふぎにして富みかつたっときは、われにおいて浮雲ふうんのごとし。


68-述而第七07-19

子曰、我非生而知之者、好古敏以求之者也、

いわく、われは生まれながらにしてこれを知る者にあらず。いにしえを好み、びんにしてもってこれをもとめし者なり。


69-雍也第六06-18

子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者、

いわく、これをる者はこれをこのむ者にしかず。これをこのむ者はこれをたのししむ者にしかず。


70-雍也第六06-21

子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、

いわく、知者は水を楽しみ、仁者じんしゃは山を楽しむとあり。知者は動き、仁者じんしゃは静かなり。知者は楽しみ、仁者じんしゃ寿いのちながし。


71-微子第十八18-06

長沮桀溺耦而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉、ユウ而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也、

長沮ちょうそ桀溺けつできぐうして耕す。孔子これをよぎり、 子路しろをしてしんを問わしむ。 長沮ちょうそ曰く、かの輿たづなる者はたれとかなす。子路曰く、 孔丘こうきゅうたり。曰く、これの孔丘か。 曰く、これなり。曰く、これならばしんを知れり。桀溺けつできに問う。 桀溺けつでき曰く、子はたれとかなす。曰く、 仲由ちゅうゆうたり。曰く、これの孔丘の徒か。対えて曰く、しかり。曰く、滔滔とうとうたる者は、天下みなこれなり。しかしてたれ かもってこれにたがわん。かつ なんじはその人をくるの士に従わんよりは、あに世を くるの士に従うにしかんや、と。?ゆう してめず。子路りてもって告ぐ。夫子 憮然ぶぜんとして曰く、鳥と獣とはともにぐん われはこの人の徒にあらず。 なんじとともにたれくみせん。天下の有道には、丘は くみたがわざるなり。


72-先進第十一11-25


子路曾皙冉有公西華、侍坐、子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也、居則曰、不吾知也、如或知爾則何以哉、子路率爾對曰、千乘之國、攝乎大國之間、加之以師旅、因之以飢饉、由也爲之、比及三年、可使有勇且知方也、夫子哂之、求爾何如、對曰、方六七十、如五六十、求也爲之、比及三年、可使足民也、如其禮樂、以俟君子、赤爾何如、對曰、非曰能之也、願學焉、宗廟之事、如會同、端章甫、願爲小相焉、點爾何如、鼓瑟希、鏗爾舎瑟而作、對曰、異乎三子者之撰、子曰、何傷乎、亦各言其志也、曰、莫春者春服既成、得冠者五六人童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩 、詠而歸、夫子喟然歎曰、吾與點也、三子者出、曾皙後、夫三子者之言何如、子曰、亦各言其志也已矣、曰、夫子何哂由也、子曰、爲國以禮、其言不譲、是故哂之、唯求則非邦也與、安見方六七十如五六十而非邦也者、唯赤則非邦也與、宗廟之事如會同非諸侯如之何、赤也爲之小相、孰能爲之大相、

子路しろ曾晳そうせき冉有ぜんゆう公西華こうせいか侍坐じざす。いわく、われ一日なんじに長ずるをもって、われをもってするなかれ。りてはすなわち曰く、われを知らざるなり、と。もしなんじを知るものあらば、すなわち何をもってせんや。子路、率爾そつじとしてこたえて曰く、千乗せんじょうの国、大国のあいだはさまれ、これに加うるに師旅しりょをもってし、これによるに饑饉ききんをもってす。ゆうやこれをおさめ、三年に及ぶころおい、勇ありてかつほうを知らしむべきなり。夫子、これをわらう。求、なんじはいかん。対えて曰く、ほう、六、七十、もしくは五、六十、求やこれをおさめ、三年に及ぶころおい、民を足らしむべし。その礼楽のごときは、もって君子をたん。せき、なんじはいかん。対えて曰く、これをよくすると曰うにはあらず。願わくはこれを学ばん。宗廟の事、もしくは会同かいどうに、端章甫たんしょうほして、願わくは小相とならん。点、なんじはいかん。しつを鼓することまれなり。鏗爾こうじとして瑟をいてつ。対えて曰く、三子者さんししゃの撰に異なり。いわく、なんぞいたまんや。またおのおのその志を言うなり。曰く、暮春ぼしゅんには、春服すでに成る。冠する者五、六人、童子六、七人、に浴し、舞雩ぶうに風し、えいじて帰らん。夫子、喟然きぜんとして歎じて曰く、われは点にくみせん。三子者出ず。曾晳そうせきおくる。曾晳そうせき曰く、かの三子者の言はいかん。いわく、またおのおのそのこころざしを言うのみ。曰く、夫子、なんぞ由をわらうや。曰く、国をおさむるには礼をもってす。その言ゆずらず。このゆえにこれをわらう。ただ求はすなわち邦にあらざるか。いずくんぞほう六、七十、もしくは五、六十にして、邦にあらざる者を見んや。ただ赤はすなわち邦にあらざるか。宗廟そうびょう会同かいどうは諸侯にあらずしてなんぞ。赤やこれが小たらば、たれかよくこれがだいとならん。


(八) 幸福論ー政治を通じて

73-子路第十三13-16

葉公問政、子曰、近者説、遠者來、

葉公しょうこうまつりごとを問う。いわく、近き者よろこべば、遠き者きたる。


74-憲問第十四14-45

子路問君子、子曰、脩己以敬、曰如斯而已乎、曰脩己以安人、曰如斯而已乎、曰脩己以安百姓、脩己以安百姓、尭舜其猶病諸、

子路、君子を問う。いわく、おのれをおさむるに敬をもってす。曰く、かくのごときのみか。曰く、おのれを脩めてもって人をやすんず。曰くかくのごときのみか。曰く、おのれを脩めてもって百姓ひゃくせいを安んぜん。おのれを脩めてもって百姓を安んずるは、堯舜ぎょうしゅんもそれなおこれをめり。



75-為政第二02-01

子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之、

いわく、まつりごとをなすに徳をもってす。たとえば北辰ほくしんのその所に居て衆星しゅうせいのこれにむかうがごときなり。

English


76-雍也第六06-28

子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已、

子貢(しこう曰く、もしひろく民にほどこしてよく衆をすくうものあらばいかんぞや。仁と謂うべきか。いわく、なんぞ仁をこととせん。必ずや聖か。尭舜ぎょうしゅんもそれなおこれをめり。それ仁者じんしゃはおのれ立たんと欲して人を立て、おのれ達せんと欲して人を達せしむ。よく近くたとえを取る。仁のほうと謂うべきのみ。


77-子路第十三13-01

子路問政、子曰、先之勞之、請益、曰、無倦、

子路しろまつりごとを問う。いわく、これに先んじ、これをねぎらう。えきを請う。曰く、むことなかれ。

English


78-為政第二02-19

哀公問曰、何爲則民服、孔子對曰、擧直錯諸枉、則民服、擧枉錯諸直、則民不服、

哀公あいこう問うて曰わく、いかにすればすなわち民ふくせん。孔子こたえて曰く、なおきを挙げて、これをまがれるにけば民服せん。まがれるを挙げて、これを直きにけば、民ふくせざらん。


79-顔淵第十二12-22

樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、擧直錯諸在、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆擧皐陶、不仁者

樊遅はんち、仁を問う。いわく、人を愛す。知を問う。いわく、人を知る。樊遅はんちいまだ達せず。いわく、なおきを挙げてこれをまがれるにき、よくまがれる者をしてなおからしむ。樊遅はんち退く。子夏しかを見て曰く、さきにやわれ夫子に見えて知を問うに、子曰く、直きを挙げてこれをまがれるにき、よく枉れる者をして直からしむ、と。何の謂いぞや。子夏曰く、富めるかな、言や。しゅん、天下をたもち、衆より選んで皐陶こうようを挙げて、不仁者、遠ざかる。とう、天下をたもち、衆より選んで伊尹いいんを挙げて、不仁者、遠ざかれり。


80-子路第十三13-09

子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、既庶矣、叉何加焉、曰富之、曰既富矣、叉何加焉、曰教之、

子、えいく。冉有ぜんゆうぼくたり。いわく、おおいかな。冉有曰く、すでにおおし。また何をか加えん。曰く、これをまさん。曰く、すでに富めば、また何をか加えん。曰く、これにおしえん。


81-顔淵第十二12-07

子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立、

子貢(しこうまつりごとを問う。いわく、食をらわし、兵を足らわし、民にこれを信ぜしむ。子貢曰く、必ずやむを得ずして去らば、この三者においていずれをさきにせん。曰く、兵を去る。子貢曰く、必ずやむを得ずして去らば、この二者においていずれをさきにせん。曰く、食を去る。いにしえよりみな死あり、民、信なければ立たず。


82-顔淵第十二12-09

哀公問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若對曰、盍徹乎、曰、二吾猶不足、如之何其徹也、對曰、百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足、

哀公あいこう有若ゆうじゃくに問うて曰く、年えて用足らず。これをいかんせん。有若、対えて曰く、なんぞてっせざるや。曰く、二なるもわれなお足れりとせず。これをいかんぞそれ徹せんや。対えて曰く、百姓ひゃくせい足らば、君たれとともにか足らざらん。百姓足らずんば、君たれとともにからん。


83-顔淵第十二12-11

齊景公問政於孔子、孔子對曰、君君。臣臣、父父、子子、公曰、善哉、信如君不君、臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾豈得而食諸、

せい景公けいこうまつりごとを孔子に問う。孔子こたえて曰く、君を君とし、臣を臣とし、父を父とし、子を子とす。公曰く、いかな。まことにもし、君、君とせられず、臣、臣とせられず、父、父とせられず、子、子とせられずんば、ぞくありといえども、われ得てこれをくらわんや。


84-憲問第十四14-17

子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之、管仲不死、曰未仁乎、子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁、

子路しろ曰く、桓公かんこう公子糾こうしきゅうを殺して、召忽しょうこつこれに死し、管仲かんちゅうは死せず。いまだ仁ならずといわんか。いわく、桓公は諸侯を九合きゅうごうし、兵車をもってせざるは、管仲の力なり。その仁をいかんせん、その仁をいかんせん


85-憲問第十四14-18

子貢曰、管仲非仁者與、桓公殺公子糾、不能死、叉相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自経於溝涜而莫之知也、

子貢しこう曰く、管仲かんちゅうは非仁なる者か。桓公かんこう公子糾こうしきゅうを殺したるに、死するあたわず。またこれにしょうたり。いわく、管仲は桓公をしょうとし、諸侯にたらしめ、天下を一匡いっきょうす。民、今にいたるまで、そのを受く。管仲なかりせば、われそれはつこうむり、えりを左にせん。あに匹夫ひっぷ匹婦ひっぷまことをなし、みずから溝涜こうとくくびれてこれを知るなきがごとくせんや。


(九) 運命ーそして別れ

86-公冶長第五05-06

子曰、道不行、乘桴浮于海、從我者其由也與、子路聞之喜、子曰、由也、好勇過我、無所取材、

いわく、道おこなわれず、いかだに乗りて海に浮ばん。われに従う者はそれゆうなるか。子路しろ、これを聞いて喜ぶ。いわく、由や勇を好むことわれにぐ。よろしきを取るところなし。


87-八イツ第三03-24

儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸、

封人ほうじんまみえんことをうて曰く、君子のここに至るや、われいまだかつて得てえずんばあらず、と。従者じゅうしゃ、これをまみえしむ。でて曰く、二三子にさんし、なんぞうしなうをうれえんや。天下の道なきや久し。天、まさに夫子ふうしをもって木鐸ぼくたくとなさんとするなり。


88-憲問第十四14-37

子曰、莫我知也夫、子貢曰、何爲其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎、

いわく、われを知るものなきかな。子貢しこう曰く、何すれぞそれ子を知るなからんや。いわく、天をうらみず、人をとがめず、下学かがくして上達じょうたつす。われを知る者は、それてんなるか。


89-子罕第九09-16

子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、

子、川のほとりにありて曰く、くものはかくのごときかな、昼夜をかず


90-尭曰第二十20-03

孔子曰、不知命、無以爲君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也、

孔子曰く、めいを知らざれば、以って君子たること無きなり。礼を知らざれば、以ってつこと無きなり。げんを知らざれば、以って人をること無きなり。


論語のことば  (終)


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孔子は、よきリーダーとなるために
人間としての「徳」を身につけなさい、そのための努力をしなさいと説いています。
論語は日本の文化 (日本訳) (英訳)四書五経は日本の文化(温故知新)
( 人は心で動く ) ( 利をみて義を思う )

上に立つ者(リーダー)は、それなりの器量と人格がなくてはいけません

  ・仁 (思いやりの心)
  ・義 (人間としての正しいすじ道)
  ・礼 (他の人に敬意を示す作法)
  ・勇 (決断力)
  ・智 (洞察力、物ごとを判断する働き)
  ・謙 (謙虚、つつましくひかえめ)
  ・信 (うそをつかない約束を守る)
  ・忠 (まごころ)
  ・寛 (寛容、心が広く人のあやまちを受け入れる)

の自分を律する倫理性(徳)をもたなければならないと孔子は説いています。



江守孝三 Emori Kozo

(姉妹篇 A) 論 語 Rongo :原文、読み下し
學而第一 為政第二 八佾 第三 里仁第四 公冶長第五 雍也第六 述而第七 泰伯第八 子罕第九 郷党第十 先進第十一 顔淵第十二 子路第十三 憲問第十四 衛霊公第十五 季氏第十六 陽貨第十七 微子第十八 子張第十九 尭曰第二十
(姉妹篇 B)  論 語Rongo: 原文,読み下し ,日本語Japanese ,英語English ,フランス語French ,ドイツ語German
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