(一) 家族
1-學而第一01-02
有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與、
有子曰く、その人となりや孝悌にして、上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして、乱をなすを好む者はいまだこれあらざるなり。君子は本を務む。本立ちて道
生ず。
孝悌なる
者はそれ
仁の
本たるか
2-里仁第四04-21
子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼、
子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。一にはもって喜び、一にはもって懼る。
3-為政第二02-24
子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也、
子曰く、その鬼にあらずしてこれを祭るは諂いなり。義を見てなさざるは勇なきなり。
4-顔淵第十二12-05
司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡、子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天、君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆爲兄弟也、君子何患乎無兄弟也、
司馬牛、憂えて曰く、人にはみな兄弟ありて、われにひとりなし。子夏曰く、商、これを聞く。死生、命あり。富貴は天にあり、と。君子、敬んで失なく、人に与い恭にして礼あらば、四海のうち、みな兄弟なり。君子、なんぞ兄弟なきを患えんや。
5-子路第十三13-18
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣、
葉公、孔子に語りて曰く、わが党に直躬なる者あり。その父、羊を攘む。しこうして子、これを証せり。孔子曰く、わが党の直き者はこれに異なり。父は子のために隠し、子は父のために隠す。直きことその中に在り。
(二) 友情
6-學而第一01-04
曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎
曾子曰く、われは日に三たびわが身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交りて信ならざるか。習わざるを伝うるか。
7-公冶長第五05-25
顔淵季路侍、子曰、盍各言爾志。子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾、顔淵曰、願無伐善、無施勞、子路曰、願聞子之志、子曰、老者安之、朋友信之、少者懐之、
顔淵、季路侍す。子曰く、なんぞおのおの爾の志を言わざる。子路曰く、願わくは車馬衣軽裘を、朋友とともにし、これを敝りて憾むなからん。顔淵曰く、願わくは善に伐るなく、労を施しすることなからん。子路曰く、願わくは子の志を聞かん。子曰く、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐けん。
8-顔淵第十二12-24
曾子曰、君子以文會友、以友輔仁、
曾子曰く、君子は文をもって友を会し、友をもって仁を輔く。
9-雍也第六06-03
子華使於齊、冉子爲其母請粟、子曰、與之釜、請益、曰與之、冉子與之粟五秉、子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘、吾聞之也、君子周急不繼富、原思爲之宰、與之粟九百、辭、子曰、毋、以與爾隣里郷黨乎、
子華、斉に使いす。冉子、その母のために粟を請う。子曰く、これに釜を与えよ。益さんことを請う。曰く、これにを与えよ。冉子、これに粟五秉を与う。子曰く、赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣る。われはこれを聞く。君子は急を周うて富めるに継がず、と。原思、これが宰たり。これに粟九百を与う。辞す。子曰く、もってなんじが鄰里郷党に与うるなからんや。
10-衛霊公第十五15-09
子貢問爲仁、子曰、工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也、
子貢、仁を為さんことを問う。子曰く、工、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ずその器を利にす。是の邦に居るや、その大夫の賢なる者に事え、その士の仁なる者を友とす。
11-季氏第十六16-04
孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣、
孔子曰く、益する者に三友あり、損する者に三友あり。直きを友とし、諒あるを友とし、多聞を友とするは益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とするは損なり。
学問
12-八イツ第三03-15
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也、
子、大廟に入り、事ごとに問う。或るひとの曰く、孰れか謂う、人の子礼を知ると。大廟に入りて事ごとに問えり。子これを聞きて曰く、これ礼なり。
13-衛霊公第十五15-30
子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思、無益、不如學也、
子曰く、われかつて終日食らわず、終夜寝ねずして、もって思うも益なし。学ぶにしかざるなり。
14-子張第十九19-05
子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣、
子夏曰く、日にそのなきところを知り、月にそのよくするところを忘るなし。学を好むと謂うべきのみ。
15-子張第十九19-06
子夏曰、博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣、
子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁、その中にあり。
16-學而第一01-14
子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣
子曰く、君子は食に飽くを求むるなく、居に安きを求むるなし。事に敏にして言に慎しみ、有道に就いて正す。学を好むというべきのみ。
17-為政第二02-02
子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪、
子曰く、詩は三百、一言にしてもってこれを蔽えば、曰く、思い邪なし。
18-憲問第十四14-25
子曰、古之學者爲己、今之學者爲人、
子曰く、古の学者はおのれのためにす。今の学者は人のためにす。
19-季氏第十六16-09
孔子曰、生而知之者、上也、學而知之者、次也、困而學之、又其次也、困而不學、民斯爲下矣、
孔子曰く、生れながらにしてこれを知る者は上なり。学んでこれを知る者は次なり。困んでこれを学ぶは、またその次なり。困んで学ばず、ここにおいて下となす。
20-為政第二02-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、
子曰く、由や、女にこれを知ることを誨えんか。これを知るをばこれを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知れるなり。
21-述而第七07-08
子曰、不憤不啓、不不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也、
子曰く、憤らざれば啓せず。せざれば発せず。一隅を挙げて、三隅をもって反さざれば、またせざるなり。
22-衛霊公第十五15-15
子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣、
子曰く、これをいかん、これをいかんと曰わざる者は、われこれをいかんともする末きのみ。
23-述而第七07-02
子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉、
子曰く、黙してこれを識り、学んで厭わず、人を誨えて倦まず。我において何かあらんや。
(四) 教養人と知識人
24-為政第二02-13
子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之、
子貢、君子を問う。子曰く、まず行え。その言はしかるのちにこれに従う。
25-里仁第四04-24
子曰、君子欲訥於言、而敏於行、
子曰く、君子は言に訥にして、行ないに敏ならんことを欲す。
26-顔淵第十二12-16
子曰、君子成人之美、不成人之惡、小人反是、
子曰く、君子は人の美をなし、人の悪をなさず。小人はこれに反す。
27-衛霊公第十五15-20
子曰、君子求諸己、小人求諸人、
子曰く、君子はこれをおのれに求め、小人はこれを人に求む。
28-衛霊公第十五15-21
子曰、君子矜而不爭、羣而不黨、
子曰く、君子は矜りて争わず、群して党せず。
29-衛霊公第十五15-22
子曰、君子不以言擧人、不以人廢言、
子曰く、君子は言をもって人を挙げず、人をもって言を廃せず。
30-子路第十三13-23
子曰、君子和而不同、小人同而不和、
子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
31-子路第十三13-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、
子曰く、君子は泰くして驕らず。小人は驕りて泰からず。
32-子路第十三13-27
子曰、剛毅朴訥近仁、
子曰く、剛、毅、木、訥なるは仁に近し。
33-雍也第六06-25
子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、
子曰く、君子は博く文を学び、これを約するに礼をもってすれば、またもって畔かざるべし。
34-雍也第六06-16
子曰、質勝文勝質則史、文質彬彬、然後君子、
子曰く、質、文に勝れば野、文、質に勝れば史、文質彬彬として、しかるのちに君子なり。
35-陽貨第十七17-02
子曰、性相近也、習相遠也、
子曰く、性、あい近し。習いあい遠し。
36-憲問第十四14-05
子曰、有徳者必有言、有言者不必有徳、仁者必勇、勇者不必有仁、
子曰く、徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁あらず。
(五) 弟子とともに
37-先進第十一11-02
子曰、從我於陳蔡者、皆不及門者也、徳行顔淵閔子騫冉伯牛仲弓、言語宰我子貢、政事冉有季路、文學子游子夏、
子曰く、われに陳・蔡に従いし者は、みな門に及ばざりき。徳行には顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語には宰我・子貢。政事には冉有・季路。文学には子游・子夏ありき。
38-子罕第九09-21
子曰、苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫、
子曰く、苗にして秀いでざるものあるかな。秀いでて実らざるものあるかな。
39-雍也第六06-10
冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而癈、今女畫、
冉求曰く、子の道を説ばざるにはあらず。力足らざるなり。子曰く、力の足らざる者は、中道にして廃す。今、なんじは画る。
40-述而第七07-10
子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏、唯我與爾有是夫、子路曰、子行三軍、則誰與、子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事而懼、好謀而成者也、
子、顔淵に謂いて曰く、これを用うればすなわち行ない、これを舎けばすなわち蔵る。ただわれと爾とのみこれあるかな。子路曰く、子、三軍を行らば、すなわち誰とともにせん。子曰く、虎を暴ち河を馮り、死して悔いなき者は、われ与せざるなり。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んでなす者なり。
41-泰伯第八08-06
曾子曰、可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也、
曾子曰く、もって六尺の孤を託すべく、もって百里の命を寄すべし。大節に臨んで奪うべからざるなり。君子人か、君子人なり。
42-顔淵第十二12-04
司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼、
司馬牛、君子を問う。子曰く、君子は憂えず懼れず。曰く、憂えず懼れず。ここにこれを君子と謂うか。子曰く、内に省みて疚しからずんば、それ何をか憂え、何をか懼れん。
43-陽貨第十七17-04
子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戲之耳、
子、武城に之き、絃歌の声を聞く。夫子、莞爾として笑って曰く、?を割くに、なんぞ牛刀を用いん。子游対えて曰く、昔は偃や、これを夫子に聞く。曰く、君子道を学べば人を愛し、小人道を学べば使い易し、と。子曰く、二三子、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。
44-公冶長第五05-09
宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可朽也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聽其言而信其行、今吾於人也、聽其言而觀其行、於予與改是
宰予、昼寝ぬ。子曰く、朽木は雕るべからず。糞土の牆は?るべからず。予においてか何をか誅めん。子曰く、始めわれ、人においてや、その言を聴きてその行いを信じたりき。今われ、人においてや、その言を聴きてその行いを観る。予においてか、これを改めたり。
45-季氏第十六16-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也、
陳亢、伯魚に問うて曰く、子もまた異聞あるか。対えて曰く、いまだし。かつて独り立つ。鯉、趨りて庭を過ぐ。曰く、詩を学びたるか。対えて曰く、いまだし。(曰く)詩を学ばざれば、もって言うなし、と。鯉、退いて詩を学ぶ。他日また独り立つ。鯉、趨りて庭を過ぐ。曰く、礼を学びたるか。対えて曰く、いまだし。(曰く)礼を学ばざれば、もって立つなし、と。鯉、退いて礼を学べり。この二者を聞く。陳亢退き、喜んで曰く、一を問うて三を得たり。詩を聞き礼を聞き、また君子のその子を遠ざくるを聞けり。
(六) 生きかた
46-衛霊公第十五15-23
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、
子貢、問うて曰く、一言にしてもって終身これを行なうべきものあるか。子曰く、それ恕か。おのれの欲せざるところは人に施すことなかれ。
47-里仁第四04-15
子曰、參乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已無、
子曰く、参や、わが道は一もってこれを貫く。曾子曰く、唯。子出ず。門人、問うて曰く、なんの謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ。
48-里仁第四04-09
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也、
子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、いまだともに議るに足らざるなり。
49-里仁第四04-05
子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是、
子曰く、富と貴きとはこれ人の欲するところなり。処らざるなり。貧と賤しきとはこれ人の悪むところなり。その道をもってこれを得しにあらざれば去らざるなり。君子は仁を去りて、悪くにか名を成さん。君子は終食の間も仁に違うなく、造次にも必ずここにおいてし、巓沛にも必ずここにおいてす。
50-學而第一01-15
子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、
子貢曰く、貧にして諂うなく、富みて驕るなきはいかん。子曰く、可なり。いまだ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者にしかざるなり。子貢曰く、詩に云う、「切するがごとく磋するがごとく、琢するがごとく磨するがごとし」と。それこれの謂いか。子曰く、賜や、始めてともに詩を言うべきのみ。これに往くを告げて、来るを知る者なればなり。
51-衛霊公第十五15-29
子曰、過而不改、是謂過矣、
子曰く、過ちて改めず、これを過ちと謂う。
52-子張第十九19-21
子貢曰、君子之過也、如日月之蝕焉、過也人皆見之、更也人皆仰之、
子貢曰く、君子の過ちや、日月の食のごとし。過てば人みなこれを見る。更むれば人みなこれを仰ぐ。
53-憲問第十四14-23
子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之、
子路、君に事えんことを問う。子曰く、欺くなかれ。しこうしてこれを犯せ。
54-子罕第九09-18
子曰、譬如爲山、未成一簣、止吾止也、譬如平地、雖覆一簣、進吾往也、
子曰く、譬えば山を為るがごとし。いまだ成らざること一簣なるも、止むはわれ止むなり。譬えば地を平にするがごとし。一簣を覆えすといえども、進むはわれ往くなり。
55-子路第十三13-13
子曰、苟正其身矣、於從政乎何有、不能正其身、如正人何、
子曰く、苟くもその身を正しくせば、政に従うにおいて何かあらん。その身を正しくするあたわずんば、政をいかんせん。
56-顔淵第十二12-01
顔淵問仁、子曰、克己復禮爲仁、一日克己復禮、天下歸仁焉、爲仁由己、而由人乎哉、顔淵曰、請問其目、子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動、顔淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣、
顔淵、仁を問う。子曰く、おのれに克ち、礼に復えるを仁となす。一日、おのれに克ちて礼に復えらば、天下仁に帰せん。仁をなすはおのれに由る。しこうして人に由らんや。顔淵曰く、その目を請い問う。子曰く、非礼は視るなかれ、非礼は聴くなかれ、非礼は言うなかれ、非礼は動くなかれ。顔淵曰く、回、不敏なりといえども、請う、この語を事とせん。
57-衛霊公第十五15-08
子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、
子曰く、志士、仁人は、生を求めてもって仁を害するなく、身を殺してもって仁を成すあり。
58-泰伯第八08-07
曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、人以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎、
子曰く、士はもって弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁もって己が任となす。また重からずや。死してのち已む。また遠からずや。
59-里仁第四04-08
子曰、朝聞道、夕死可矣、
子曰く、朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。
60-陽貨第十七17-14
子曰、道聽而塗説、徳之棄也、
子曰く、道すがら聴きて、塗すがら説くは、徳をこれ棄つるなり。
61-郷党第十10-12
厩焚、子退朝曰、傷人乎、不問馬、
厩焚けたり。子、朝より退いて曰く、人を傷くるか、と。馬を問わず。
62-子罕第九09-27
子曰、歳寒、然後知松栢之後彫也、
子曰く、歳寒くして、しかるにちに松栢の後れて彫むを知るなり。
(七) 幸福論ー個人として
63-為政第二02-11
子曰、温故而知新、可以爲師矣、
子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、もって師たるべし。
64-述而第七07-29
子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣、
子曰く、仁、遠からんや。われ仁を欲すれば、ここに仁至る。
65-里仁第四04-25
子曰、徳不孤、必有鄰、
子曰く、徳は孤ならず、必ず鄰あり。
66-雍也第六06-09
子曰、賢哉囘也、一箪食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂、賢哉囘也、
子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあり。人はその憂えに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。
67-述而第七07-15
子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲、
子曰く、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中にあり。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし。
68-述而第七07-19
子曰、我非生而知之者、好古敏以求之者也、
子曰く、われは生まれながらにしてこれを知る者にあらず。古を好み、敏にしてもってこれを求めし者なり。
69-雍也第六06-18
子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者、
子曰く、これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。
70-雍也第六06-21
子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者樂、仁者壽、
子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむとあり。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。
71-微子第十八18-06
長沮桀溺而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉、ユウ而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也、
長沮と桀溺として耕す。孔子これを過り、子路をして津を問わしむ。長沮曰く、かの輿を執る者は誰とかなす。子路曰く、孔丘たり。曰く、これ魯の孔丘か。曰く、これなり。曰く、これならば津を知れり。桀溺に問う。桀溺曰く、子は誰とかなす。曰く、仲由たり。曰く、これ魯の孔丘の徒か。対えて曰く、しかり。曰く、滔滔たる者は、天下みなこれなり。しかして誰かもってこれに易わん。かつ而はその人を辟くるの士に従わんよりは、あに世を辟くるの士に従うにしかんや、と。?して輟めず。子路行りてもって告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥と獣とはともに羣而とともに誰に与せん。天下の有道には、丘は与し易わざるなり。
72-先進第十一11-25
子路曾皙冉有公西華、侍坐、子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也、居則曰、不吾知也、如或知爾則何以哉、子路率爾對曰、千乘之國、攝乎大國之間、加之以師旅、因之以飢饉、由也爲之、比及三年、可使有勇且知方也、夫子哂之、求爾何如、對曰、方六七十、如五六十、求也爲之、比及三年、可使足民也、如其禮樂、以俟君子、赤爾何如、對曰、非曰能之也、願學焉、宗廟之事、如會同、端章甫、願爲小相焉、點爾何如、鼓瑟希、鏗爾舎瑟而作、對曰、異乎三子者之撰、子曰、何傷乎、亦各言其志也、曰、莫春者春服既成、得冠者五六人童子六七人、浴乎沂、風乎舞
、詠而歸、夫子喟然歎曰、吾與點也、三子者出、曾皙後、夫三子者之言何如、子曰、亦各言其志也已矣、曰、夫子何哂由也、子曰、爲國以禮、其言不譲、是故哂之、唯求則非邦也與、安見方六七十如五六十而非邦也者、唯赤則非邦也與、宗廟之事如會同非諸侯如之何、赤也爲之小相、孰能爲之大相、
子路・曾晳・冉有・公西華、侍坐す。子曰く、われ一日なんじに長ずるをもって、われをもってするなかれ。居りてはすなわち曰く、われを知らざるなり、と。もしなんじを知るものあらば、すなわち何をもってせんや。子路、率爾として対えて曰く、千乗の国、大国の間に摂まれ、これに加うるに師旅をもってし、これによるに饑饉をもってす。由やこれを為め、三年に及ぶ比おい、勇ありてかつ方を知らしむべきなり。夫子、これを哂う。求、なんじはいかん。対えて曰く、方、六、七十、もしくは五、六十、求やこれを為め、三年に及ぶ比おい、民を足らしむべし。その礼楽のごときは、もって君子を俟たん。赤、なんじはいかん。対えて曰く、これをよくすると曰うにはあらず。願わくはこれを学ばん。宗廟の事、もしくは会同に、端章甫して、願わくは小相とならん。点、なんじはいかん。瑟を鼓すること希なり。鏗爾として瑟を舎いて作つ。対えて曰く、三子者の撰に異なり。子曰く、なんぞ傷まんや。またおのおのその志を言うなり。曰く、暮春には、春服すでに成る。冠する者五、六人、童子六、七人、沂に浴し、舞に風し、詠じて帰らん。夫子、喟然として歎じて曰く、われは点に与せん。三子者出ず。曾晳後る。曾晳曰く、かの三子者の言はいかん。子曰く、またおのおのその志を言うのみ。曰く、夫子、なんぞ由を哂うや。曰く、国を為むるには礼をもってす。その言譲らず。このゆえにこれを哂う。ただ求はすなわち邦にあらざるか。いずくんぞ方六、七十、もしくは五、六十にして、邦にあらざる者を見んや。ただ赤はすなわち邦にあらざるか。宗廟、会同は諸侯にあらずしてなんぞ。赤やこれが小たらば、たれかよくこれが大とならん。
(八) 幸福論ー政治を通じて
73-子路第十三13-16
葉公問政、子曰、近者説、遠者來、
葉公、政を問う。子曰く、近き者説べば、遠き者来る。
74-憲問第十四14-45
子路問君子、子曰、脩己以敬、曰如斯而已乎、曰脩己以安人、曰如斯而已乎、曰脩己以安百姓、脩己以安百姓、尭舜其猶病諸、
子路、君子を問う。子曰く、おのれを脩むるに敬をもってす。曰く、かくのごときのみか。曰く、おのれを脩めてもって人を安んず。曰くかくのごときのみか。曰く、おのれを脩めてもって百姓を安んぜん。おのれを脩めてもって百姓を安んずるは、堯舜もそれなおこれを病めり。
75-為政第二02-01
子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之、
子曰く、政をなすに徳をもってす。たとえば北辰のその所に居て衆星のこれに共うがごときなり。
76-雍也第六06-28
子貢曰、如能博施於民、而能濟衆者、何如、可謂仁乎、子曰、何事於仁、必也聖乎、尭舜其猶病諸、夫仁者己欲立而立人、己欲逹而逹人、能近取譬、可謂仁之方也已、
子貢曰く、もし博く民に施してよく衆を済うものあらばいかんぞや。仁と謂うべきか。子曰く、なんぞ仁を事とせん。必ずや聖か。尭舜もそれなおこれを病めり。それ仁者はおのれ立たんと欲して人を立て、おのれ達せんと欲して人を達せしむ。よく近く譬えを取る。仁の方と謂うべきのみ。
77-子路第十三13-01
子路問政、子曰、先之勞之、請益、曰、無倦、
子路、政を問う。子曰く、これに先んじ、これを労う。益を請う。曰く、倦むことなかれ。
78-為政第二02-19
哀公問曰、何爲則民服、孔子對曰、擧直錯諸枉、則民服、擧枉錯諸直、則民不服、
哀公問うて曰わく、いかにすればすなわち民服せん。孔子対えて曰く、直きを挙げて、これを枉れるに錯けば民服せん。枉れるを挙げて、これを直きに錯けば、民服せざらん。
79-顔淵第十二12-22
樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、擧直錯諸在、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆擧皐陶、不仁者
樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。樊遅いまだ達せず。子曰く、直きを挙げてこれを枉れるに錯き、よく枉れる者をして直からしむ。樊遅退く。子夏を見て曰く、郷にやわれ夫子に見えて知を問うに、子曰く、直きを挙げてこれを枉れるに錯き、よく枉れる者をして直からしむ、と。何の謂いぞや。子夏曰く、富めるかな、言や。舜、天下を有ち、衆より選んで皐陶を挙げて、不仁者、遠ざかる。湯、天下を有ち、衆より選んで伊尹を挙げて、不仁者、遠ざかれり。
80-子路第十三13-09
子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、既庶矣、叉何加焉、曰富之、曰既富矣、叉何加焉、曰教之、
子、衛に適く。冉有、僕たり。子曰く、庶いかな。冉有曰く、すでに庶し。また何をか加えん。曰く、これを富まさん。曰く、すでに富めば、また何をか加えん。曰く、これに教えん。
81-顔淵第十二12-07
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立、
子貢、政を問う。子曰く、食を足らわし、兵を足らわし、民にこれを信ぜしむ。子貢曰く、必ずやむを得ずして去らば、この三者においていずれを先にせん。曰く、兵を去る。子貢曰く、必ずやむを得ずして去らば、この二者においていずれを先にせん。曰く、食を去る。古よりみな死あり、民、信なければ立たず。
82-顔淵第十二12-09
哀公問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若對曰、盍徹乎、曰、二吾猶不足、如之何其徹也、對曰、百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足、
哀公、有若に問うて曰く、年饑えて用足らず。これをいかんせん。有若、対えて曰く、なんぞ徹せざるや。曰く、二なるもわれなお足れりとせず。これをいかんぞそれ徹せんや。対えて曰く、百姓足らば、君たれとともにか足らざらん。百姓足らずんば、君たれとともにか足らん。
83-顔淵第十二12-11
齊景公問政於孔子、孔子對曰、君君。臣臣、父父、子子、公曰、善哉、信如君不君、臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾豈得而食諸、
斉の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、君を君とし、臣を臣とし、父を父とし、子を子とす。公曰く、善いかな。まことにもし、君、君とせられず、臣、臣とせられず、父、父とせられず、子、子とせられずんば、粟ありといえども、われ得てこれを食わんや。
84-憲問第十四14-17
子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之、管仲不死、曰未仁乎、子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁、
子路曰く、桓公、公子糾を殺して、召忽これに死し、管仲は死せず。いまだ仁ならずといわんか。子曰く、桓公は諸侯を九合し、兵車をもってせざるは、管仲の力なり。その仁を如せん、その仁を如せん。
85-憲問第十四14-18
子貢曰、管仲非仁者與、桓公殺公子糾、不能死、叉相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自経於溝涜而莫之知也、
子貢曰く、管仲は非仁なる者か。桓公、公子糾を殺したるに、死するあたわず。またこれに相たり。子曰く、管仲は桓公を相とし、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民、今に到るまで、その賜を受く。管仲微りせば、われそれ髪を被り、衽を左にせん。あに匹夫匹婦の諒をなし、みずから溝涜に経れてこれを知るなきがごとくせんや。